2007/06/30

It's Ending…and It's Official (a sort of)

移民法改革の失敗が濃厚になった。28日に上院は、包括的な移民法改革案の採決に移るという動議を否決した。ブッシュ大統領は記者会見で「努力が及ばなかった」と発言。滅多に失敗を認めない大統領の、極めて珍しい敗北宣言であった。

移民法改革の挫折によって、ブッシュ政権が国内政策で大きな成果を残せる可能性は、ほぼ皆無になったと見られている(Baker, Peter , "Bush May Be Out of Chances For a Lasting Domestic Victory", Washington Post, June 29, 2007)。Washington Postが指摘するように、2004年に再選を果たしたブッシュ大統領は、国内政策に関して4つの目標を掲げた。公的年金改革、抜本的税制改革、移民法改革、訴訟改革である。しかし、いずれの改革も、ほとんど進展を見せないまま、ブッシュ政権は終末期を迎えようとしている。いや、最後の望みであった移民法改革が挫折した時点で、国内政策の点では、第二期ブッシュ政権は終わってしまったのかもしれない。

中間選挙で共和党が敗北した際に、政権が浮揚する契機として、移民法改革をあげる識者が少なくなかった。民主党と超党派の合意を得られやすいというのが、その理由だった。しかし、こうした見方は正しかっただろうか。超党派路線で政権が浮揚を目指すのであれば、政権はそれまでのやり方を見直す必要があった筈だ。しかし移民法改革は、選挙の前後で政権が方針を変えるような分野ではなかった。政権に近い考え方を持つ民主党が議席を増やしたから、移民法改革は通しやすくなった。それだけの話である。

しかし、移民法改革については、民主党内にも深刻な意見の相違がある。まして、大統領が共和党からの支持を広げようとすれば、その方向性はむしろ超党派路線から離れていく。大統領に譲る意図も余地もない中で、民主党が積極的に政権に協力するインセンティブは少なかったのではないだろうか。

ブッシュ政権が本気で超党派路線での復活を目指すのであれば、その舞台は公的年金改革であるべきだった。この問題での党派間の意見の違いは、思われている程大きくない。現在の年金制度を切り崩すような個人勘定(carve out)には、民主党は賛成しにくいだろうが、現行制度に積み増すような仕組み(add on)であれば、賛同者は少なくない。政権にとっては、公的年金改革という党派対立を激化させた張本人とでもいうべき問題で、個人勘定という持論を譲歩する姿勢を見せる余地があったのである。

移民法改革の挫折とほぼ同じタイミングで、国内政策のみならず、イラク政策の点でも、ブッシュ政権の終わりを告げる様な出来事があった。6月25日に、共和党のルーガー上院議員が、ブッシュ政権に駐イラク米兵の削減を求める演説を行なった(DeYoung, Karen and Shailagh Murray, "GOP Skepticism On Iraq Growing", Washington Post, June 27, 2007)。議会共和党は、9月までは待ちの姿勢を取る筈だった。外交委員長を務めた重鎮議員の演説で、そのスケジュールが突然早まった感がある。

ブッシュ政権のレイム・ダック化が進む2007年は、次の政権への「移行期」になると思っていた。しかしこのままでは、残りの約1年半は次の政権までの「空白期」になってしまうかもしれない。

2007/06/29

Present from Cheney...to Romney

チェイニーの懐古談と08年選挙を結ぶリンク。それはアドバイザーである。Cesar Condaは、チェイニーの国内・経済政策のアドバイザーだった。彼こそが、グリーンスパンから渡された文書(財政赤字の拡大は金利の上昇を招く)に反論を書いたスタッフである。そして今回の選挙でCondaは、ロムニーの経済スタッフに名を連ねているのである。

これまでの記録を見る限り、Condaは立派に(?)保守の経済政策を信奉しているようだ。その論理展開は、保守派がブッシュ政権に望んだ財政政策の、ピュアな形ともいえる。また、政策の政治的な効果に関心がある点には、元気だった頃のブッシュ政権が思い出されて、妙な懐かしさすら感じてしまう。

例えばCondaは、今年の4月に、最高税率の引き上げを批判するコラムを書いている(Conda, Cesar, "Brace for Backfire", National Review, April 26, 2007)。民主党が、AMT改革の財源を高額所得層増税で賄おうとしていたことへの反論である。Condaは、最高税率の引き上げは、中小企業への打撃になり、起業家スピリットを傷付けると主張する。また、最高税率の引き上げは、政治的にも悪手だというのが、彼の主張である。米国人は金持ちからの再配分を求めるような妬みの強い国民ではない。むしろ、階級闘争の色彩がある税制改革は、選挙では必ず逆効果になる。88年の高額医療保険、90年のブッシュ増税、93年のクリントンによる増税が好例である。

またCondaは、06年の中間選挙の前には、共和党の劣性を挽回する方策として、今ではサッパリ聞かなくなった、投資家階層論を展開している(Conda, Cesar and Daniel Clifton, "The GOP Has Some Explaining to Do", National Review, October 18, 2006)。投資家階層論は、ブッシュ政権がオーナーシップ構想を推進する論拠の一つになった議論である。株式投資をする有権者は、経済成長を重視するようになるために、共和党の経済政策に親近感を持ち易くなる。だから共和党は、投資優遇税制などによって、投資家階層を増やすと同時に、彼らに利益を還元して、共和党への支持を固めるべきだ。簡単に言えば、そんな考え方である。

このコラムでCondaは、共和党は好調な株価の恩恵を受けてしかるべきだと主張する。ブッシュ政権が推進したキャピタル・ゲイン減税(いうまでもなく、チェイニーのお気に入りである)や配当課税減税が、株価を引き上げたからだ。共和党は投資家階層へのアピールを強め、更なる減税を打ち出すべきだというのが、Condaのアドバイスだった。

Condaはどの程度ロムニーの経済政策に影響を与えるのだろうか。詳しいことは分からないが、共和党の有力候補者の中では、ロムニーがもっとも減税に前向きな発言をしているのは事実である。特にロムニーは、法人税減税を視野に入れていると言われる。税制上の正統性はさておき、大企業批判の気運がある米国では、売り込み方の難しいスタンスである。

実はCondaは、法人税減税論者としても知られる。Condaは、「税制は成長・経済効率と社会的な目的のどちらを優先すべきか」という質問に対して、財源に限りがあることを考えれば、児童税額控除の拡充等よりも、税収のフィードバックが期待できる法人税減税の優先度を高くするべきだと答えている。またCondaは、米国の生産性を向上させるための方策としても、もっとも有力なのは法人税減税だとも発言している(Pethokoukis, James, "Romney Adviser: Cut Taxes for Companies, Not Kids", U.S. News & World Report, Aprl 5, 2007)。

ロムニーは、社会政策や宗教の部分で、保守派に対する弱みがある。それだけに、経済政策で保守派にアピールする必要性は高い。ひょっとすると、「チェイニーの贈り物」が活躍する余地は大きいのかも知れない。

2007/06/28

China Meets Campaigns

中国が2008年の大統領選挙に関心を寄せている。それ自体は不思議でも何でもないが、実際の動きが伝えられると、それなりに驚かされてしまう。

Washington Postによれば、先にワシントンで行われた米中戦略対話の際に訪米した中国の高官が、有力候補者のアドバイザーと会合を持ったらしい(Abramowitz, Michael, "Meeting With U.S. Campaign Aides Shows China's Interest in the Race", Washington Post, June 28, 2007)。会合は中国側の意向でセットされたようで、一足先に中国側の意見を伝えて、中国批判を封じようという狙いがあったのではないかと指摘されている。

WashingtonPostによれば、会合への参加者は次の通りである。

former CIA general counsel Jeffrey H. Smith (Clinton)
former Navy secretary Richard J. Danzig (Obama)
former State Department official Derek Chollet (Edwards)
former State Department policy planning chief Mitchell B. Reiss(Romney)
McCain's national security adviser Randy Scheunemann
staff director of the Senate Foreign Relations Committee Antony J. Blinken (Biden)

招待されたが参加しなかったジュリアーニ陣営を除けば、有力陣営の揃い踏みである。

中国が08年選挙に関心を持つのは自然な成り行きである。ワシントンの中国に関する関心は、為替や貿易不均衡、知的財産権といった昔ながらの論点から、さらに広がりを見せている。例えば人権では、ダルフールの虐殺に関係した、北京オリンピックの辞退問題が騒がしい。貿易関連では、中国から輸出されたペットフードや玩具、歯磨き粉などに有害物質が含まれていたために、中国産品の安全性に対する懸念が高まっている。つい先日も、中国から輸出されたタイヤにリコールが命じられたばかりである。どうやら、輸入業者が知らない内に、現地の工場がタイヤの耐久性を確保するための素材を使わなくなっていたらしい。

経済の世界で話題を呼んでいるのは、外貨準備の積極運用である。中国によるブラックストーンへの出資は、直接的な企業買収よりは批判を浴びにくいかと思ったが、民主党のウェブ上院議員などは、早速安全保障上の懸念を表明している。ブラックストーンが保有する企業には、機微な業種も含まれているというわけだ。そのほかにも、「80年代の産業政策論争では、市場重視論者は米国政府が自国企業に出資するのはけしからん(「勝者を選んではいけない」)と主張したが、中国政府が米国企業に出資するのは良いのか?超プロ資本主義のWall Street Journalの論説室は、中国に買われそうになったらどう反応するのか?」なんていう議論もある(Meyerson, Harold, "Globalization's Stir-Fry", Washington Post, June 28, 2007)。

もっとも、中国だけでなく、産油国などを含めた政府による外貨の運用自体が、各国政府の関心を集めているという事情もある。いわゆる国富ファンド(Sovereign Wealth Funds:SWF)については、6月21日に財務省のロウリー次官代理が、米国は海外からの投資を明確に支持するとしながらも、透明性の欠如や規制の及び難さといった点で金融システムの不安定化につながりかねない、その大きさや投資方針などが金融面での保護主義を誘発しかねない、腐敗や官僚主義に陥る可能性がある、といったリスク要因を指摘している。

そういえば、中国高官とアドバイザーの会合をセットしたのは、CSISのハムレ所長だという。CSISはPIIEと組んで、China Balance Sheetというプロジェクトを展開している。PIIEの後見人は、ブラックストーンのピーター・ピーターソンである。

いや、だから何だというわけではないですよ。

2007/06/27

Influence of Cheney : Revisited

昨日取り上げたWashington Postのチェイニー大特集だが、読んでみるとなかなか面白い。チェイニーがブッシュ政権の外交政策に大きな影響力を持っていたのは周知の事実だが、経済政策に関しても、チェイニーの力は相当なものだったようである(Becker, Jo and Barton Gellman, "A Strong Push From Backstage", Washington Post, June 26, 2007)。

以前に触れたように、「思いやりのある保守主義」を掲げていたブッシュ大統領は、保守派が求める極端な「小さい政府」には違和感を持っていた。しかし、ブッシュ減税に象徴されるように、実際のブッシュ政権の経済政策には、保守派色の強い内容が少なくなかった。このちょっとしたパラドックスを解く鍵は、保守派の経済政策を強力に推進した、チェイニー副大統領の存在にあるようだ。

その手法は外交政策に似ている。チェイニーは、ブッシュにどのような政策を実施するべきだと強制するとは限らない。決定を下す権限は、あくまでもブッシュに残されるのが普通である。むしろ、ホワイトハウスの意思決定プロセスを支配し、大統領に上がる選択肢自体を操作するのが、チェイニーのやり方なのである。

例えば予算編成の場合では、大統領に原案が上がる前に、チェイニーが座長を務める会議で、閣僚との調整が行われる。ブッシュ政権の最初のOMB長官だったダニエルズの時代には、予算に関して閣僚が大統領に直訴したことは、一度もなかったという。米国では、例外的なことである。

この記事には、チェイニーの影響力を示す事例が3つ取り上げられている。第一は、2001年の最初の減税である。この時米議会では、共和党のジェフォーズ上院議員が、地元向けの歳出拡大が認められなければ、共和党を離脱するという立場をとっていた。同議員が離党すれば、上院の多数党が民主党に移ってしまうところだったので、政権内の意見は分かれた。最後に方向性を決めたのは、ジェフォーズ議員用に歳出拡大の余地を作るためだけに、保守の原則を曲げて減税規模を縮小するべきではないという、チェイニーの意見だった。

第二は、同時多発テロ後の2002年に実施された、2回目の減税である。この減税の目玉となった法人税減税は、自らが集めた識者の意見に基づいた、チェイニーの発案だったという。通常であれば、減税の原案を作るのは財務省の役割だが、ブッシュ政権で税制に関する議論をリードしていたのは、チェイニーだったのである。

何といっても印象的なのは、3つ目の2003年の減税である。この時チェイニーは、ダニエルズやオニール財務長官、さらにはエバンス商務長官の反対を押し切って、大型減税の実施を主張した。また、グリーンスパンFRB議長に渡された「財政赤字の拡大は金利の上昇を招く」というレポートには、自分のスタッフに反論を書かせた。

さらに、チェイニーの底力が発揮されたのが、03年減税にキャピタル・ゲイン減税が含まれた経緯である。この減税の当初の目玉は、配当課税の撤廃だった。しかし、減税による投資促進というサプライ・サイド経済学の考え方を重視するチェイニーは、キャピタル・ゲイン減税が欲しかった。あいにく(?)ブッシュ大統領は、高額所得層をこれ以上優遇する減税には懐疑的だったので、政権案にはキャピタル・ゲイン減税は含まれなかった。するとチェイニーは、議会共和党の会合に乗り込み、議会審議の過程で、キャピタル・ゲイン減税を復活させてしまったのである。

当時の議論を追っていた立場から言わせてもらえば、グリーンスパンが右往左往しているように見えたり、あれだけ大統領が強調していた配当課税撤廃が半減になり、突然キャピタル・ゲイン減税が出てきたりしたのは、大きな謎だった。まさかその裏にチェイニーがいるとは…昨日は「話題の先食い」なんて書いたが、目からウロコの事実がこれだけあるのなら、それだけの価値はある。

さらに興味深いのは、この懐古談からですら、08年選挙につながる内容が読み取れなくもない点である。謎掛けのようだが、その話は次回以降に取り上げて行きたい。

2007/06/26

Paris Hilton vs. Dick Cheney

米国のメディアは、どこを見てもパリス・ヒルトン一色である。無理もない。政治の分野では、ニュースのネタがちょっとした夏枯れ状態なのである。

ワシントンでは、ブッシュ政権のレイム・ダック化が進んでいるだけでなく、民主党議会も思うように成果を上げられていない。典型的な膠着状態である。独立記念日の休会が近いから、例年ならば議会審議が山場を迎える時期だが、今年の場合は、移民法改革の復活が辛うじて議論になっているくらいである。考えてみれば、最大の争点であるイラク戦争を、取り敢えず9月まで先送りしてしまったのだ。盛り上がらないのも仕方がない。

とはいえ、大統領候補も一通りの紹介は終わっている。世論調査の構図も、基本的には変わらない。第2四半期の献金額発表や、独立記念日周辺のトンプソン正式出馬までは、これといったニュースがない。それどころか、こうした折角のネタでさえ、メディアは先食いしてしまっている。献金額は、エドワーズとマケインの生き残りが問われる結果になる。トンプソンの人気には、実績が伴わないのではないか?

そうなってくると、メディアが先食いできるネタは限られてくる。その一つは、まだ任期が残っているにもかかわらず、ブッシュ政権の総括を始めてしまうことである。そう思っていた矢先に始まったのが、Washington Postのチェイニー副大統領の大特集である。史上最強の副大統領が、どうやってその権力を行使してきたのか。力の入った企画である。

チェイニーは、ブッシュ政権の大きな謎である。本人が秘密主義だというだけではない。そもそも就任前のチェイニーには、ここまで「危険物」扱いされる可能性が指摘されていただろうか。何せ、リベラル派のコラムニストであるEugene Robinsonには、「ブッシュ大統領の弾劾を求めないのは、チェイニー大統領の誕生だけは避けたいからだ」なんて書かれている(Robinson, Eugene, "'Angler' For Power", Washington Post, June 26, 2007)。特集の本文を読む余裕がないので、写真だけを見ていたのだが、これまでの「輝かしい」経歴や、家族人としての顔を見るにつけ、不思議な感覚に襲われる。

Washington Postには、いかにチェイニーを退陣させるかが、こともあろうに共和党の中で大きな関心事になっているというコラムが掲載されている(Quinn, Sally, "A GOP Plan To Oust Cheney", Washington Post, June 26, 2007)。このままではチェイニーは、来年の選挙で共和党のお荷物になる。ゴールドウォーターがニクソンに退陣を迫ったように、ワーナー上院議員辺りが働き掛けたらどうか。そして、大統領選挙で勝てそうな候補を副大統領に据えるべきだ。

その「勝てそうな候補」というのがトンプソンだというのはさておき、こうしたシナリオに無理があるのは当然である。大統領が指名する副大統領候補は、議会の承認が必要である。次の選挙に野心がある人間を、民主党議会が簡単に認めるだろうか。ニクソンがアグニューの後任にフォードを指名した時には、議会との綿密な下調整があった。フォードの場合は、ニクソンが消えた場合の大統領就任含みだった訳だが、今回にしても同じ様な重みがある。

もっとも、そんなシナリオの実現可能性よりも、驚かされるのは、こんなコラムが掲載されてしまうという状況である。問題のコラムは、チェイニーは夏にペースメーカーのバッテリー交換手術があるから、医師の勧告で辞めるという、格好の口実ができると指摘する。そこまで書かれてしまう。それが今のチェイニーなのだろうか…

2007/06/25

選挙参謀はあなた:年金改革案を考えよう!

週明け早々に恐縮だが、どうも体調が今一つなので、今日は米国マニア(?)向けのDo It Yourselfサイトを2つばかり紹介しておきたい。

一つ目は、大統領選挙人の計算が行えるサイト。ブルームバーグの話を取り上げた時に教えて頂きました。

http://www.archives.gov/federal-register/electoral-college/calculator.html

自分の場合は、過去の選挙結果を入れたスプレッド・シートを作っているが、そこまでこだわらなければ、このサイトで十分。どんな組み合わせで過半数の選挙人を獲得するのか、選挙参謀になったつもりで考えられる。ちなみに、これに各州の投票数なんかを組み合わせると、いかに国民の過半数から支持されなくても大統領になれるかが分かったりして、段々楽しくなってくる。

もう一つは、年金改革のシミュレーションである。

http://www.actuary.org/socialsecurity/game.html

給付削減や増税など、それぞれに上げられた選択肢から、これぞと思うものを選んでいくと、それで問題の何割が解決できるかが表示されるという趣向である。それぞれの選択肢には、賛同者と反対者の意見もコンパクトにまとめてあって、なかなか勉強になる。何より、年金改革は比較的議論も煮詰まっているし、このサイトのように制度のサステナビリティーに焦点を当てるのであれば、解決策は意外なほど組み立てやすいのが良く分かる。自分もやってみたが、給付年齢の引き上げと、プログレッシブ・インデクシング(高額所得層に重い給付削減)だけで、あっさり問題は100%以上解決してしまった。もちろん、累進性とか経済成長に与える影響とか、議論の余地が残っている部分もある。サイトの方も、「よくできました...でも、そんなに単純ではありません」なんて言ってくる。

それでも、やはり年金改革は、意思さえあれば進められる課題だと思ってしまう。考えてもみて欲しい。イラク戦争や医療保険改革では、同じようなサイトは到底作れないのである。

という訳で、いきなり週末ネタのようになってしまったが、しばし遊んで頂ければ幸いである。

2007/06/23

Nussle is Dane !:ブッシュ政権失速のcollateral damage

ブッシュ政権から、ロブ・ポートマン行政管理予算局(OMB)長官が離脱することになった。ブッシュ政権の求心力喪失は今に始まったわけではないが、気になるのは、後任人事が議会民主党に発するメッセージである。議会民主党は、今回の人事を政権による宣戦布告として受け止めるだろう。果たしてそれは、政権が十分に熟慮した上での方針なのだろうか。

レイム・ダック化が進むブッシュ政権には、二つの選択肢がある。一つは、民主党に歩み寄り、後世に残る実績作りを目指すこと。もう一つは、保守寄りの姿勢を強めて、求心力の回復に努めることだ。

ブッシュ政権がポートマンの後任に選んだのは、ナスル前下院議員である。予算委員長を務めた経験もあり、財政に関する知識は申し分ない。問題は民主党との関係である。同じ下院議員出身でも、党派を超えた信頼を得ていたポートマンと違い、ナスルには党派対立を辞さない血の気の多い政治家という定評がある(Solomon, Deborah, "Nussle Nominated for Budget Chief", Wall Street Journal, June 20, 2007)。ナスルの評価を聞かれた民主党のホイヤー下院議員は、散々ポートマンを称賛した上で、「ナスルは(自分と同様)デンマーク系だ」と突拍子もない発言をして、報道陣を煙に巻こうとした(Hearn, Josephine, "Hoyer: Many words, no comment on Nussle", Politico, June 19, 2007)。社交辞令すら言いたくない理由があったのだろう。

いずれにしても、ブッシュ政権によるナスルの後任指名は、どう考えても、民主党への歩み寄りとは取られないだろう。問題は、これがどこまで計算された動きなのかである。確かにブッシュ政権は、これから秋にかけて本格化する予算審議では、歳出抑制を合言葉に、拒否権を駆使して民主党と対峙していく方針のようだ。その背景には、保守派が共和党に幻滅したのは歳出の膨張を許したからであり、そこでの姿勢を明確にしなければ、次の選挙でも苦心するという判断があるという(Novak, Robert D., "Bush's Veto Strategy", Washington Post, June 18, 2007)。

しかしブッシュ大統領には、後世へのレガシー作りを目指す色気も見られる。その好例が、超党派の合意を目指す移民法改革である。選挙への影響を考えるのであれば、こんな改革は止めて欲しいという共和党議員は少なくないだろう。それでもブッシュがレガシーを目指すなら、民主党の協力は不可欠である。

こうしたなかで決まったポートマンの後任人事は、ブッシュ政権もいよいよ内政でのレガシー作りをあきらめた証なのだろうか。ブッシュ自身は二度と選挙には出ないけれど、自分よりも共和党のレガシーを優先するというのだろうか。

カール・ローブ的な世界では、そんな計算もあるのかも知れない。しかし、ローブの名前をめっきり聞かなくなったからか、そこまでの決断があるようには、どうも感じられない。むしろ、政権運営から一貫性が消えて行っているような気がしてならない。

ところでナスルといえば、現在のポジションは、ジュリアーニ陣営のアイオワ州担当である。アイオワ州選出の下院議員だったナスルは、昨年同州知事選に出馬して敢え無く落選、浪人中の身だった。ナスルがいても、アイオワでのジュリアーニの選挙運動はなっていなかったという見方もあるが(Yepsen, David, "Rude Rudy", June 20, 2007)、ゼーリックを世銀に持っていかれたマケイン陣営といい、ブッシュ政権の失速からとんだ流れ弾が飛んできたものである。

In an Uncertain World:オバマとファンド・マネー

高学歴者にオバマ支持が多い理由は、年功序列への違和感が一因だという議論を先日取り上げた。実は同じ様な現象が、お金の流れにも見られる。ヘッジ・ファンドや、プライベート・エクイティ・ファンドからの政治献金が、オバマに集まっているのである。

少々古い話になるが、今年の第1四半期の政治献金統計で目を引いたのが、オバマの金融界からの集金力である。ウォール街の有力投資銀行11社の社員からのオバマへの献金額(47.9万ドル)は、地元ニューヨークのジュリアーニ(47.3万ドル)や、ヒラリー(44.8万ドル)を抑えて、堂々の第一位を記録した(Jensen, Kristin and Christine Harper, "Obama Top Fundraiser on Wall Street", Washington Post, April 18, 2007)。もっとも献金額の多かったゴールドマンの場合を見ても、オバマが集めた献金(12万ドル)は、ヒラリー(6.4万ドル)の2倍近かった。ファンドからの献金にも似たような傾向がある。プライベート・エクイティの場合、同じ期間のオバマへの献金額(8.5万ドル)は、やはりヒラリーへのそれ(4.8万ドル)を大きく上回っている。

オバマの金融界とのコネクションは、ヒラリーとは対照的である(Risen, Clay, "Money Man", New Republic, May 11, 2007)。ルービン元財務長官に代表されるように、ヒラリーにはウォール街の大物がついている。Thomas Lee、Roger Altman、Steve Rattnerなどは、90年代にLBOで名を馳せた、ベビーブーマー世代の猛者である。これに対して、オバマを支持しているのは、一回り若いX世代のファンド・マネージャー達。Eton Park Capital ManagementのEric Mindichや、Quadrangle GroupのJosh Steinerなどが、その好例である。

背景にある力学は、高学歴・低学歴の場合と似通っている。ブーマー世代にすれば、まだ若すぎるオバマは、必要な入場料を払っていない存在だ。一方で、日の出の勢いのファンド勢にしてみれば、経験よりも、アイディアやカリスマが大切なのである。

但し、ファンドのオバマ支持には、それらしい計算高さも反映されている。既にヒラリー陣営にはエスタブリッシュが群がっている。今さら若輩者が列に並んでも、メインテーブルには座れない。しかし、オバマ陣営であれば、主賓扱いも夢ではない。

中にはファンドらしく、ヘッジをかけているかのような動きもある。オバマを支持するJosh Steinerも、Quadrangle Groupでは、ヒラリーを支持するSteve Rattnerの右腕である。

言ってみれば、ファンドにとってオバマは、日常的に取扱っている投資商品のようなものである。エスタブリッシュされておらず、新しくリスキーで、アップサイドの潜在性が高い商品だ。

大統領選挙への投資に期待されるのは、政治的なリターンである。米国には、ファンドに対する政治的な風当たりが強くなる兆しがある。今も米議会では、ファンドへの課税強化を巡る議論が活発になっている。大物に化けそうな味方を作っておいて損はない。

もっとも、国際金融市場では、ファンド・マネーの足の速さが、リスク要因として議論されることが少なくない。ファンドからオバマに流れているポリティカル・マネーには、どの程度の粘着力があるのだろうか。

ファンド・マネーの争奪戦は熾烈である。ファンド・マネージャーが多く住むコネチカット州のグリーンウィッチは、献金を求める候補者達で賑わっている。この地に居を構える新興富裕者層にとっては、選挙関連のイベントに関わることが、社交上の必要要件になっているとも伝えられる(Cowan, Alison Leigh, "Wealthy Enclave Offers Windfall for Candidates", New York Times, May 28, 2007)。

そんな中で、しっかりリスクを管理しているように見えるのが、ルービン家である。元長官とヒラリー陣営の結び付きは、周知の事実である。その一方で、J.P.Morganのプライベート・エクイティ・ファンドであるOne Equityを取り仕切る息子のJamie Rubinは、オバマ陣営を支持している。

もちろん、ルービン家にとっては当然の選択なのだろう。何しろ、この世の中には、確かなことは一つもないのである。

2007/06/22

ポピュリズムは民主党の「勝利の方程式」か?

米国では、いわゆる「左」の勢いが良い。しかし、そこに盲点はないのだろうか。

6月18日から20日まで、ワシントンではTake Back Americaと題する会合が盛大に開催された。リベラル派の運動家が集まるこの会合には、民主党の三大候補が勢ぞろいした。改めて「左」の勢いが示された格好である。

リベラル系のコラムニストであるE.J.Dionne Jr.は、こうした状況を米国政治の軸が「左」に移動した証だと指摘する(Dionne Jr., E. J., "'The Left' Moves Front and Center", Washington Post, June 22, 2007)。米国政治では、何故か「左」という言葉には、悪いイメージがある。だから、「民主党は左に寄りすぎなのではないか」「中道を見捨てるのか」という議論が起こりやすい。しかし、こうした議論は、かつての中道と、今の中道は違うという事実を理解していない。有力候補者がTake Back Americaに参加したのは、「左」に媚びようとする政治的な計算からではない。「左」こそが、今の米国民の位置だからなのである。

随分と鼻息が荒い。

確かにイラク問題については、有権者は「左」に動いているのかも知れない。実際に、民主党の各候補者も、反戦方向へのシフトを進めている。

その典型がヒラリーである。昨年のTake Back Americaでは、まだ撤退に消極的だったヒラリーが、聴衆から容赦のないブーイングを浴びた。しかし今ではヒラリーも、戦争終結の必要性を強調するようになった。今年の会合では、聴衆の反応もそれほどは悪くなかったようだ(Bacon Jr., Perry, "Antiwar Democrats Are Less Critical As Clinton Takes A New Tack on Iraq", Washington Post, June 21, 2007)。

Dionneの議論で危うさを感じるのは、経済政策の部分である。Dionneは、医療保険やグローバリゼーションの問題に象徴的されるように、経済政策でも、有権者は「左」に動いていると指摘する。Dionneに言わせれば、もはやポピュリズムは異端ではない。昨年の中間選挙で、ポピュリズム的な経済政策を主張した候補が多数当選したのが、何よりの証拠である。

ここまでは事実かもしれない。

問題は「左」が適切な対応策を示しているかどうかだ。

米国の歴史を振り返ると、経済構造の転換期には、取り残されて行こうとする勢力の異議申し立てとして、ポピュリズムが度々登場してきた。そしてその主張には、反動的で理不尽な提案と、新しい時代に対応しようとする革新的な内容が、混在しているのが常だった。後者は次の時代の改革を導く手掛かりになるが、前者は歴史の藻屑と消えていった。

現在の米国も、情報化とグローバリゼーションによる、経済構造の転換期にある。その点では、ポピュリズムが生まれる素地はある。

では、伝統的な「左」が考える対策、例えば保護主義や福祉国家の再興は、次世代の政策足り得るだろうか。

Dionneも、たとえ保守が没落したとしても、有権者が一斉に「左」に動くとは考えていない。一部は、イデオロギーに引きずられた政治に嫌気が差して、現実的な「良い解決策」を求めるようになる。だからこそブルームバーグの出馬に関心が集まるのだという。

それでも、有権者が「良い解決策」を求める問題は、「右」の論点ではなく、「左」の問題意識によって形作られている。やはり、米国政治の軸は「左」に動いている。これがDionneの結論である。

さて、もう一度歴史を紐解こう。米国で「第三の候補」が盛り上がるのは、有権者の関心事を既存の政党が取りこぼしている時である。しかし、「第三の候補」が大統領に当選した例はない。むしろ、「第三の候補」による問題提起を巧みに取り込んだ政党が、有権者の支持を集めてきた。

Take Back Americaに併せて行われた人気投票の結果は、オバマが一位(29%)。続いてエドワーズ(26%)、ヒラリー(17%)という順番だった(Smith, Ben, "Obama wins Politico.com Straw Poll", Politico, June 20, 2007)。

今のところ、オバマの経済政策は、必ずしもポピュリスト的ではない。そして、「歴史」を見る限りでは、オバマの視点は間違っていないようにも思える。

むしろ問題は、勢いづく「左」が、それにどう答えるかという点にあるのかもしれない。

2007/06/21

庶民派ヒラリーとSopranos

いくらメディアで絶賛されても、こればっかりは理解できない。ヒラリーの新しいウェブ広告の話である。

テーマは、このページでも過去に取り上げた、キャンペーン・ソング選びに関する結果発表。それをクリントン夫婦の出演で、先頃放送された人気テレビ・シリーズSopranosの最終回に真似た映像に仕立てている。これがなかなかの出来だという評判なのである。



と、いわれても、日本では肝心の最終回が放送されていないのだから仕方がない。散々米国では話題になっていたから、どんな幕切れだったかは知っている。しかし、いかんせん映像を知らないので、正直言って「演技はイマイチだなあ」というくらいの感想が精一杯である。

何はともあれ、「ヒラリーの庶民的な側面をアピールする」という狙いからは、庶民に人気のテレビ・シリーズを使うのは、なかなか利口な戦略だとはいえるのだろう。

実はヒラリーは、比較的学歴が低い人達からの支持が強い。この点は、支持者に高学歴者が多いオバマとは対照的である。

New RepublicのNoam Scheiberは、こうした支持層の色分けを、面白い視点から解説している(Scheiber, Noam, "Paying Dues", The New Republic, June 20, 2007)。Scheiberに言わせれば、低学歴層がヒラリーを好むのは、彼女が経験を積んでいるからである。それも、大統領という仕事をこなすには経験が必要だと考えているからではない。低学歴者は年功序列を尊重しているからだというのである。

低学歴者が成り上がるには、年功序列に頼るしかない。ちょっと能力があるからといって、オバマのような若輩者が、いきなり割り込んでくるのは許せない。その点ヒラリーは、きちんとステップを踏んできたから、大統領になる資格がある。裏返していえば、高学歴者がオバマを好むのは、「実力があるのに年長者に譲らなければならないなんて許せない」という価値観の現れなのである。

ヒラリーが選んだキャンペーン・ソングは、セリーヌ・ディオン(from カナダ)のYou & Iだった。当初のリストにはなかったが、投票者の推薦で二次候補に残った曲だという。

しかし、一般庶民の候補だというのなら、もっと違った路線もあったように思うのだがどうだろう。この際、ウェブ広告のバックに流れていた、Don't Stop Believin'でも良かったのに…

2007/06/20

ブルームバーグ出馬で「風景」はどう変わる?

ブルームバーグNY市長の動向が俄かに注目され始めた。同市長は、選挙登録を共和党から無所属に変えたことを明らかにした(Shear, Michael D., "N.Y. Mayor Bloomberg Leaves GOP", Washington Post, June 20, 2007)。このことが、同市長が大統領選挙への出馬を考えている証だと論じられている。米国で、二大政党に属さない候補として大統領選挙への出馬を目指すためには、今回のような措置が手続き的に必要になるからだ。

William Safireによれば、最近までブルームバーグ市長本人は、"A short, Jewish billionaire from New York? C’mon."とか言っていたらしいが、本音のところはどうなのだろうか(Safire, William, "Tiers in My Eyes", New York Times Magazine, June 17, 2007)。

ブルームバーグ市長の出馬が取り沙汰されるようになった政治的な背景については、追々ゆっくりと触れたいと思うが、下世話な関心は、仮に出馬した場合の選挙への影響である。

詳しい説明は後日に譲るが、端的に言って、第三の候補が素直に大統領選挙に勝つのは容易ではない。むしろ第三の候補は、既存政党の候補から票を奪うことで、選挙結果に間接的に影響を与える可能性の方が高い。1992年にロス・ペローがいなかったら、クリントン政権はなかったかもしれない。2000年の選挙にラルフ・ネーダーが出馬していなかったら、ゴア大統領が誕生していただろう。

問題は、ブルームバーグ市長は誰から票を奪うことになるかである。これが何ともハッキリしない。何せ、同市長は共和党から市長選に出馬するまでは、民主党員だったのだから紛らわしい。

例えばNew York Timesは、民主党から票を奪うのではないかと指摘する(Cardwell, Diane and Jennifer Steinhauer, "Bloomberg Severs G.O.P. Ties, Fueling Talk of ’08 Bid", New York Times, June 20, 2007)。確かに、同性愛などの社会政策に対する同市長の立場は、共和党には受け入れにくいかもしれない。また、党派を超えた政治を標榜するだけに、同じような「新しい政治家」を謳うオバマとはかぶりやすいともいえる。

そうかと思えばRasumussen Reportsは、ブルームバーグ市長は共和党にとっての脅威になると分析する。同社が4月2~3日に実施した世論調査では、ヒラリーが民主党の候補者だったとした場合、ジュリアーニやマケインとの一騎打ちではほぼ同率の支持率だが、ブルームバーグが選択肢に加わると、ヒラリーがどちらの候補者にも9ポイントの差をつけた。ちなみにブルームバーグ市長の支持率は8~9%である。また、同社が5月30日に行った世論調査では、共和党の候補では勝てないと思われた場合の方が、同市長に乗り換える有権者の割合が高いという結果も出ている。具体的には、共和党の候補が勝てないと思った場合、46%がブルームバーグ、37%がヒラリー、17%がそれでも共和党の候補に投票すると答えている。反対に、民主党の候補者が勝てそうもない場合には、ジュリアーニが35%、ブルームバーグが34%、それでも民主党の候補に投票するというのが31%だった。

いずれにしても、この点に関しては、様々な世論調査が行われるのは間違いないだろう。

ちなみにRasumussen Reportsは、選挙マニアには応えられない話題も提供している。ブルームバーグ市長が、違う角度から大統領選出のプロセスに影響を与える可能性である。

鍵は大統領選挙人にある。米国の大統領選挙は、各州に人口比で割り当てられた「大統領選挙人」の争奪戦である。大統領になるのは、過半数の選挙人を獲得した候補者だ。このため、仮にブルームバーグ市長が幾つかの州で勝利を収めたりすると、どの候補も過半数の選挙人を得られない可能性が出てくる。

そうなるとどうなるか。大統領の選出は、下院の投票で決められる。但し、各州に割り当てられる票数は1票ずつである。現在の下院では、民主党の議員が多数を占める州(26州)の方が、共和党が多数を占める州(21州)を上回っている(残りは同数)。しかしその中には、1議席差で民主党が辛うじて多数を保っている州が少なくとも12州あるという。つまり、下院選挙のちょっとした動きで、大統領の行方が左右されかねないのである。

もっとも、この想定はブルームバーグ市長が、ある程度の選挙人を獲得するというのが前提である。そうであれば、脅威に感じなければならないのは、やはり民主党の方かも知れない。市長の地元のニューヨークや隣のニュージャージーは、伝統的に民主党が強い。民主党の候補が誰であれ、この辺りの州を落としては、過半数の選挙人の獲得は難しいのではないだろうか。

自分のPCには、各州の選挙人数を打ち込んだスプレッド・シートが用意されている。とはいえ、いくらなんでもシュミレーションを始めるのは早すぎる。取り敢えずは、一応作ってあった「ブルームバーグ」のファイルを開くことで、満足しておこう。

2007/06/19

オバマのOpposition Researchとオフショアリング

オバマ陣営の「反対候補調査(Opposition Research)」が議論を呼んでいる。ヒラリーとインドのビジネス界との結び付きの強さを批判する文書が流布し、その出所がオバマ陣営であることが、明らかになったのである(Zeleny, Jeff, "A New Kind of Politics Closely Resembles the Old", New York Times, June 16, 2007)。

これが騒ぎになったのは、「新しい政治家」を標榜するオバマ陣営が絡んでいるからだ。反対候補の経歴等を調べ上げるOpposition Research自体は、今時どこの陣営も行なっている。面白そうなネタを流し、マスコミやブロガーに拾われるのを期待するのも、珍しい行為とはいえない。

しかしオバマは、個人攻撃になるような選挙運動はしないと公言している。対立候補との論戦は、あくまでも政策ベースで行なうというのが、「新しい政治家」たるオバマの主張だった(Smith, Ben, "Obama on oppo", Politico, June 15, 2007)。本人のジョークが元ネタだとはいえ、ヒラリーを「(インドの)パンジャーブ地域選出の民主党議員」と揶揄する今回の文書は、とても政策論争が狙いだとは言い難い。

オバマだけに高いスタンダードを適用するのはおかしいという意見もある。しかしオバマは、「新しい政治家」であることを最大の売りにしている。高いハードルは、自らが選んだ代償だと見るべきだろう。

思い起こされるのは、2004年の大統領選挙におけるエドワーズの戦い方である。この選挙でエドワーズは、「前向きな選挙」を掲げ、対立候補の攻撃はしないと公約していた。その結果、少しでもエドワーズが厳しい発言をすれば、すわ公約破りかと騒がれたものである。ちなみに、当時のエドワーズのアドバイザーは、現在オバマ陣営を仕切っているデビッド・アクセルロードである。

ところで、一連の騒動で見逃せないのは、オバマ陣営の文書が槍玉に上げていた論点が、インドへのオフショアリングだった点である。この文書では、インド企業がニューヨーク州(バッファロー)に雇用を産んだことを引き合いに、「オフショアリングには功罪両面がある」としたヒラリーの発言が批判的に取り上げられている。

今回の文書については、オバマ自らが、先走ったスタッフによる間違った行動だったとして、インド系アメリカ人のコミュニティーに謝罪している(Smith, Ben, "Obama's letter", Politico, June 18, 2007)。オフショアリングについても、「複雑な現象に対する自分の意見が反映されていない」というのが、オバマの説明である(Beaumont, Thomas, "Obama: Campaign's 'Punjab' remark was 'stupid'", The Des Moines Register, June 18, 2007)。

しかし、オバマ陣営の最初の抗弁のように、今回の文書が「政策」、即ちオフショアリングでの立場の違いに焦点を当てるものだったとしたら、どうだろうか(Kornblut, Anne E., "With Opposition Research, Tone Is Revealing", Washington Post, June 16, 2007)。オバマはオフショアリングに反対する立場から、ヒラリーに対峙しようとしていたのだろうか?その線からオバマに攻められたら、ヒラリーはどう反論していただろうか?

今回の騒動は、オバマの「高いスタンダード」に引き寄せて語られる側面が大きい。しかしその陰には、これからの選挙戦の過程で、グローバリゼーションを巡る議論が、思わぬ方向に転がっていくリスクが示唆されているような気がしてならない。

2007/06/18

for the mini record : 中国と大統領選挙

記録のために、「中国」というだけで脈絡のない二つの話題を取り上げておきたい。

一つ目は、出馬宣言も秒読みというフレッド・トンプソン前上院議員の外交スタッフに関する話題である。トンプソン前議員のスタッフに関しては、以前ブッシュ・チェイニー人脈が集まっているという話をとりあげた。この時には触れられなかったが、外交政策のスタッフも人選が進んでいるようである(Hayes, F. stephen, "Hawks for Thompson", Weekly Standard, June 12, 2007)。

具体的に名前が挙がっているのは、フリスト前上院院内総務のスタッフだったMark Esper、2000年のブッシュ選対に参加していたJoel Shin、そして、チェイニー副大統領の長女にして、ブッシュ政権では国務省に在籍していたElizabeth Cheneyである。いずれもワシントンではタカ派としてしられている人材らしい。

この中でオヤッと思ったのが、Mark Esperである。90年代にはトンプソンのスタッフだった同氏(ちなみにフリストはトンプソンと同じテネシー州の出身)は、議会のU.S.-China Economic and Security Review Commission(USCC)のメンバーなのである。そして、実はトンプソン自身も、2005~06年までUSCCのメンバーを務めたことがある。

USCCといえば、労働組合の代表者が参加していたりしていたりして、中国に厳しい見方をする委員会として、その名は日本にまで鳴り響いている。同委員会でのトンプソン議員の活動はそれほど知られていないが、ホームページで見る限りは、核兵器の北朝鮮への拡散問題に興味があったように見受けられる。一体この委員会への参加は、同議員にどんな影響を与えたのだろうか?

もう一つの話題は、オバマ上院議員のスタッフに関する話題である。

オバマ議員の経済担当スタッフには、「民主党の常識に縛られない」という評価がある。もっと簡単に言えば、「リベラルの考え方にこだわらない」という意味である。その典型とでもいうべき発言が、中国との通商政策に関する、Austan Goolsbeeのコメントである(Vorobyova, Toni, "Stronger yuan won't fix US deficit -Obama advisor", Reuters News, May 18, 2007)。

Goolsbeeの発言の趣旨は、「人民元が大幅に切り上がったとしても、米国の対中貿易赤字は他の国との赤字に置き換わるだけだ」というものである。さらに同氏は、「すべてのアジア通貨との関係が調整されればインパクトはあるだろうが、それは政府ではなくて市場によって行われることになる。その場合には、インフレや金利の上昇など、あまり楽しくない状況になるだろう」とも指摘している。さらに同氏は、「賃金格差の最大の要因は(通商ではなく)技術革新である」とも述べている。

こうした見解は、エコノミストの視点からすれば、いずれも極めて真っ当な見方である。しかし、予備選挙に臨む民主党の候補者陣営としては、「勇気ある発言」ではないだろうか。

さらに、Goolsbeeの意見で面白いのは、自由貿易協定(FTA)に対する批判的な意見である。同氏は、FTAが自由貿易のコンセプトを粗悪にしてしまい、政治家がドーハ・ラウンドのような大きな改革を追及する意志と体力を奪われてしまったと指摘する。

これなども、FTA全盛の現在においては、真に「勇気のある発言」ではないだろうか。

2007/06/17

ある晴れた日に:Come Home Soon

自分が持ち歩いているMP3プレーヤーには、どこで手に入れたかも分からない曲が大量に放り込んである。8 MileのEminem(?)ではないが、いつものように、それを聴きながら移動中にこのページの原稿を書いていると、ふと流れてきた音楽にハッとさせられた。

早く家に帰ってきて

あなたのいないhouseはhomeじゃない

一人では死にたくない

早く家に帰ってきて


電車の中なので、歌詞は切れ切れにしか聞き取れない。女性グループによるカントリーの歌だ。確認すると、SheDaisyのCome Home Soonという2004年の曲だった。

「早く家に帰ってきて」。こんな歌詞は、米国の演歌たるカントリーでは、どうということのない決まり文句だった筈である。しかし、自分が直感的に感じたように、今の米国では、こうした歌詞の意味合いは全く変わってしまった。

そう、この歌はイラク戦争に出征した兵士の帰還を待つ妻のストーリーなのである。

New Republic誌によれば、イラク戦争の泥沼化が進むに連れて、カントリーによる戦争の取り上げられ方が変わってきたという(Cottle, Michelle, "Changing Tunes", New Republic, June 8, 2007)。9-11の後、基本的にはRed Americaの音楽であるカントリーからは、愛国的な(時には好戦的な)歌が相次いだ。反旗を翻したDixie Chicksが、カントリー界から締め出されたりもした。

しかし、そのトーンは次第に変わって行く。帰還した兵士の迷いや、残された家族の思い。決して声高ではないが、パーソナルなストーリーが語られるようになった。

米国には、イラクに駐留する米兵に、ギターなどの楽器を寄付するボランティアがいるという(Slevin, Peter, "Amid the Chaos of War, Gifts of Music", Washington Post, June 12, 2007)。Washington Post紙は、ギターを受け取った兵士のこんなコメントを引用している。

"The uplifting rhythm of all jazz and blues riffs calm my soul and warm my heart. It only takes one song to feel like I'm at home."

Come Home SoonがMP3プレイヤーから流れてきた時、車窓には澄み切った青空が広がっていた。

まるで、あの日のニューヨークの朝のように。

2007/06/16

The Plan Revised:オバマの変わる勇気

オバマの弱点は実績不足だといわれる。それは、やむを得ない話である。何しろ、この時点での出馬は、当初の計画にはなかったからだ。

オバマが大統領を狙っていなかったというわけではない。あくまでも、タイミングの話である。

2004年の選挙で上院議員になったオバマが、最初にスタッフと思い描いた数字は、「2010-2012-2016」だったという(Dorning, Mike and Christi Parsons, "Carefully crafting the Obama 'brand'", Chicago Tribune, June 12, 2007)。2010年には上院の再選かイリノイ州知事を目指す。その後で、早ければ12年、遅くとも16年には大統領選挙に出馬するというロードマップである。

オバマが「慎重」な計画を立てたのは、実績不足を自覚していたからだ。2004年の民主党大会の演説で、一躍全米クラスの知名度は得た。しかし、このままでは、「人気先行」、場合によっては「目立ちたがり」と批判されかねない。

上院議員1年目のオバマは慎重だった。全国ネットのテレビ取材は極力断る。上院に溶け込み、味方を増やし、地元に貢献することが優先である。同僚の献金集めに汗を流し、公聴会には最初から最後まで出席して、じっと発言の順番を待つ。持論がある筈の、イラク戦争や最高裁判事指名といった論点でも、目立った発言はしない。一方で、地元をくまなく見て回り、石炭産業のメリットになるように、石炭液化への補助金獲得に奔走する。

同時に、政策に関する幅広い知識の習得にも努めた。オバマは、立法担当だけではなく、政策担当のスタッフを採用する。新人議員では珍しいことだという。その狙いの一つは、幅広い専門家を集めた勉強会を組織することだった(Smith, Ben, "Obama kept friends close, enemies closer", Politico, June 12, 2007)。

エネルギーや対中貿易といったテーマ別に開催された勉強会では、オバマは政策の細部だけでなく、その政治的な意味合いについても、並々ならぬ関心を示したという。薄い国政の知識を補うには、絶好の機会だった筈である。

こうした慎重なプランニングは、ヒラリーの辿ってきた道と酷似している。2000年の選挙でのヒラリーの当選は、当時の民主党にとって、唯一といって良い程の稀なグッドニュースだった。それでも1年生議員のヒラリーは、目立たないように心掛けた。先輩議員にスポットライトを譲り、ニューヨークのために尽くす。そして、2006年に再選を果たした上で、初めて大統領選挙に出馬した。

オバマが「慎重」な計画を見直したのは、昨年の中間選挙の辺りだという。自著のブック・ツアーが好調だったのに加え、イラク戦争批判が高まった。イリノイ州の先輩であるダービン上院議員は、「こんなチャンスは一生に一度、良くても二度しか巡ってこない。真剣に考えた方がいい」と助言したそうだ(Dorning, ibid)。

実は自分には、今でもヒラリーは2004年の大統領選挙に出馬すべきだったという思いがある。プランを守るべきか、それとも見直すべきか。それぞれの決断の結果は、やがて明らかになる。

2007/06/15

obamagirl: I Got a Crush on Obama !

今週は少々キツい週だったので、金曜日はお楽しみということで。

先ずはこれをご覧下さい。YouTubeなどに登場し、話題を呼んでいる映像です。



この映像が今後どのような波紋を呼ぶかは、何とも読みにくい。

しかし、何となく、昨年の中間選挙で問題になった、テネシー州の上院選挙でのこのテレビ広告を思い出してしまったのは事実である。



黒人のフォード候補に向けられたこの広告は、途中と最後に登場する白人女性と同候補の関係を暗示しているとして、強い批判の対象になった。この辺りの機微は、日本に住む自分には、完全には理解仕切れない。

もっとも、obamagirlにはそんな悪意は感じられない。これがどこかの陣営の差し金となれば話は変わってくるが、作成者は既に分かっていて、取り敢えずどこの陣営とも関係のない作品らしい。オバマ陣営の反応も、「驚いた」というものだった(Tapper, Jake, "Music Video Has a 'Crush on Obama'", ABC News, June 13, 2007)。

確かなのは、各陣営にとって、候補者のイメージをコントロールするのは至難の業になってきたということだ。今回の映像は、いわばセミプロの手によるもののようだが、作成費用は20~30万円程度。二番煎じ、三番煎じが出てくるのは、時間の問題だろう。

いや、虚心坦懐(?)に観賞すると、なかなか耳に残りますよね。それが言いたかっただけです。

良い週末をお過ごし下さい。

2007/06/14

On The Dark Side : マケイン=ダース・ベイダー論

マケインの大統領への夢は、再びブッシュによって絶たれてしまうのだろうか。

不思議な記事をインターネットで見つけた。マケインの選挙を手伝っているMark McKinnon(Senior Media Advisor)が、オバマが民主党の候補になったら、マケインの選挙から手を引くといっているらしい。政策面ではオバマに同意しているわけではないが、アフリカ系アメリカ人として国を変えるユニークな潜在性があると感じており、その芽を摘む役割は演じたくないというのが理由だそうだ(Wolffe, Richard, "I'm a McCain Man, Through and Through--Unless the Democrats Nominate Obama. Then, Forget the McCain Thing", Newsweek, June 6, 2007)。

McKinnonは先頃ブッシュ政権と決別したMatthew Dowdと同じく、元は民主党筋でありながら、テキサス時代にブッシュ陣営に転じた過去がある。その点では、「保守の黄昏」の一貫という見方も可能だろう。しかし、自分が感じたのは、エスタブリッシュに歩み寄ろうとしたマケインの悲劇である。

マケインは、主流派への異議申し立てで売った2000年の選挙と違い、今回は主流派の戦いをしようとした。2000年に厳しく競ったブッシュ陣営とも和解し、イラク戦争や移民問題では共闘する。ブッシュのスタッフも引き入れた。McKinnonはその代表格だった。陣営を移った時には、「英国海軍からカリブの海賊に移籍したみたいだ」なんて言っていたものである(Baker, Peter, "Alliance and Rivalry Link Bush, McCain", Washington Post, April 29, 2007)。

しかし、ブッシュの人気は低迷。マケインにとって、イラク・移民問題はアキレス腱になっている。そして、McKinnonまでもがこの始末である。

思い出されるのは、暫く前のLos Angels Timesの記事である。2000年の選挙では、マケインは帝国に歯向かうルーク・スカイウォーカーのようだった。しかし、今回の選挙では、マケインはダークサイドに魅せられた。同じジェダイの騎士でも、悲劇的な結末を辿った誰かのように(Chait, Jonathan, "McCain goes over to the dark side", Los Angels Times, March 10, 2007)。

マケインの選挙運動には、主流派を意識しているが故の軋みも感じられる。例えば財政政策である。マケインは、共和党の中でも減税派ではなく健全財政派に属する。実際にマケインは、2001・03年のブッシュ減税には反対票を投じている。また、選挙スタッフにはブッシュ陣営を引き入れながらも、経済関係のアドバイザーには、うるさ型として議会共和党に煙たがられた二人の議会予算局長(クリッペンとホルツィーキン)を起用している。

しかし、マケインの財政政策はいま一つ歯切れが悪い。一層の減税こそ声高には主張しないが、ブッシュ減税の恒久化には賛成する。それどころか、たとえ歳出削減との組み合わせでも、ブッシュ減税の打ち切りには反対するという(Chait, ibid)。歳出・歳入の両面から財政健全化を目指すのではなかったのか?また、裁量的経費の削減には熱心だが、肝心の義務的経費問題では、超党派の議論が必要という主張が目立つ程度。「超党派の議論」というのは、「増税も辞さず」という暗示なのだろうが、具体像は見えてこない。

ダース・ベイダーは最後には昔の自分を取り戻す。マケインにも転機は訪れるのだろうか。

2007/06/13

I Like Vetoes ! : ロムニーの財政政策

ロムニーが新しいテレビ広告を開始した。

そのタイトルが凄い。

「私は拒否権が好きだ!」

要すれば、歳出削減に真摯に取り組み、議会との対決も辞さないという意思表示である。ロムニーは、国防費以外の裁量的経費について、その伸び率をインフレ率マイナス1%に抑えるという。ロムニー陣営の計算によれば、10年間で3000億ドルの歳出削減である。そして、議会がこれを上回る予算を可決してきたら、迷わず拒否権を発動する。何せロムニーは、マサチューセッツ州知事時代には、800回以上も拒否権を使っている。

そう。拒否権が好きなのだ。

一見して分かる通り、こうしたアピールは、小さな政府を欲する保守派を向いた動きである。しかし同時に、ブッシュ大統領から距離を置こうとする試みであることも見逃せない。ブッシュ大統領が、歳出法案に一度も拒否権を使わずに、「大きな政府」の出現を許したのは、保守派にとって許しがたい行為だった。「拒否権が好き!」という宣言は、分かる人にとっては、かなりあからさまなブッシュ批判なのである。

共和党の大統領候補にとって、ブッシュ大統領との距離感は頭の痛い問題である。ワシントンの経験がないロムニーは、アウトサイダーとして、ブッシュに距離を置きやすいのかもしれない。

それはそれとして、財政政策としては、この「拒否権が好き!」宣言をどう考えたら良いだろうか。気付きの点を2つ指摘したい。

第一に、そんなに沢山の拒否権は発動できない。そもそも予算に関する法案が800もあるだろうか?

トリックは項目別拒否権にある。大統領が歳出法案を拒否するには、法案全てに対して拒否権を使うしかない。しかし、マサチューセッツを含むほとんどの州政府では、知事は法案の気に入らない部分だけに拒否権を使える。コマーシャルで使われている元の演説の中ではロムニーも認めているが、思う存分拒否権を使うには、先ずは項目別拒否権を議会からもらわなければならない。

項目別拒否権は合理的なツールに見える。しかし、その導入は、財政運営における議会とのパワーバランスを、大統領に極めて有利な方向に動かす。実際に、州政府の経験では、項目別拒否権は知事が持説に沿った予算を実現するために使うケースが多い。個別の項目を人質に取れるようになれば、大統領のバーゲニング・パワーは俄然強くなるからだ。

第二に、裁量的経費は財政問題の本丸ではない。米国の財政問題のキモは、義務的経費に関する長期的な問題、それも医療保険に尽きる。

ロムニーは、裁量的経費を総額で切り込むだけでなく、個別のプログラムを一つずつ点検して、無駄を削っていくという。ビジネスで成功を納めたロムニーとしては、CEO的な手法は一つの売りである。

しかし、裁量的経費の抑制は、それ自体が健全財政をもたらす特効薬ではない。むしろ、医療保険改革などで国民に痛みを甘受してもらわなければならない時のために、無駄は極力削っているという姿勢を示すという意味合いが強い。

米国では、健全財政を働きかけている団体のConcord Coalitionが、ブルッキングス研究所とヘリテージ財団という、リベラル・保守の二大シンクタンクと組んで、候補者に財政政策に対する態度を明確にするよう求める公開質問状を発表している(Yepsen, David, "Question candidates about nation's fiscal future", Politico, June 7, 2007)。そこでたずねられているのは、①厳しい財政ルールを支持するか、②具体的にどのような歳出削減を支持するか。それがどの程度問題解決に資するのか、③具体的にどのような増税を支持するか。それが度程度問題解決に資するか、④年金をどうするか、⑤医療保険をどうするか、という5つの問いである。「拒否権が好き!」では合格点はおぼつかない。

ロムニーといえば、マサチューセッツ。マサチューセッツといえば、医療保険改革である。ここでの提案にこそ、ロムニーの経済政策の真価が問われる筈である。

さて、本論とはだいぶん離れてしまうが、この機会を逃すと触れられない気がするので、ちょっとテレビ・コマーシャルの話を。この時期からテレビ・コマーシャルに打って出るのは、普通と比べると随分早い(Luo, Michael, "Romney Steps Up Advertising Push", New York Times, June 13, 2007)。しかし、ビッグ3に食い込めない候補にとっては、テレビは数少ない頼みの綱である。とくに、リチャードソンの「就職面接」シリーズは笑える。

リチャードソン、やはりいい人そうだけど、これで本当にいいのか?

2007/06/12

対中法案:真打ち登場へのカウントダウン

今日はPCに向う余裕がなさそうなので、携帯からの短信で…

米議会では、13日に新しい対中法案が提案される予定である。これまでも様々な対中法案が議論されてきたが、いよいよ真打ちの登場である。

「またか」と思われる方も少なくないだろう。しかし、米議会に提案される対中法案が、着実に進化していることは見逃せない。

昨年まで世間を賑わせていたシューマー・グラム法案は、中国が為替制度を改革しなければ、高率の制裁関税を発動するという、いささか乱暴な内容だった。たとえ成立しても、WTO違反は確実であり、むしろ「可決するぞ」という脅しのために用意された側面が強い。

しかし今度の法案は違う。シューマー、グラムの両議員に、ボーカス、グラスリーという主流派の議員が参加した今回の法案は、WTOに整合的で、大統領拒否権を覆せるだけの賛成票の獲得を目指すという。

ポイントは、少なくとも表面的には中国を狙い打ちにしないことだ。ボーカス、グラスリー両議員が前議会に提案した法案の考え方が踏襲されるのであれば、標的になるのは、「根本的な不均衡にある通貨(Fundamentally Misaligned Currency)」である。

副次的な効果もある。日本を目の敵にする勢力にも、支持を広げられることだ。通貨が「根本的な不均衡」にあるというのは、実効為替レートの水準を対象に、実際に観測されるレートと、マクロ経済のファンダメンタルと整合的なレートの間に、実質的で持続的な乖離が存在する場合を指す。そこでは、必ずしも為替介入の是非が問われるわけではない。従って、日本だって対象になり得る。例えば米国の自動車業界は、人民元より日本円という立場だから、こうした法案は歓迎だ。

注目されるのは、法案がどこまで行政府の行動を縛る内容になるかである。今の議会の状況を考えれば、何らかの対中法案が成立するのは、時間の問題かもしれない。恐らく政権も、何らかの法案の成立はやむを得ないという方針だろう。

そうであれば、グローバリゼーションを擁護する立場からすれば、いかに「より悪くない」法案で落とすかが、知恵の出し所になる。いわば、確信犯としての、「保護主義のコントロール」である。

従って、行政府にある程度の裁量が残り、また、行動を強いられるにしても、それほど強硬な内容でなければ、政権としても仕方がないという判断は有り得る。議会にしても、圧力を一段上げるポーズが大切なのであって、ここで極端に走る必要はないという考え方もあろう。

もっとも、確信犯であっても、上手く落とせるかどうかというリスクは残る。一度動き出した法案は、時にコントロールが難しくなる。大統領選挙との絡みも不確定要因である。

何より見逃してはいけないのは、「より悪くない」法案というのは、基本的には時間稼ぎだということである。稼いだ時間で何をするのか。本当の課題はそこにある。

2007/06/11

Deja Vu All Over Again ? : ヒラリーと米韓FTA

ヒラリーが米韓FTAに反対する意向を明らかにした(Hitt, Greg, "Clinton Underscores Party's Angst Over Trade", Wall Street Journal, June 11, 2007)。ヒラリーの通商政策の揺らぎについては、このページでも触れて来たが、また一歩先に進んだ感がある。

取り急ぎ、気になった点を4つ指摘したい。

第一に、ヒラリーの「転向」は本物なのだろうか?

ヒラリーが米韓FTAへの反対を表明したのは、6月9日にミシガンで開かれたAFL-CIO主宰のタウン・ミーティング。誰を狙った演説かは一目瞭然だ。予備選挙で基礎票に媚びるのは、米国の選挙の常道である。まして、労組にとって「クリントン」という名前には、NAFTAの記憶がこびりついている。こと労組に関しては、ヒラリーにとって通商政策は「踏み絵」のようなものである。問題は、今のポジションが労組向けの一時的なポーズなのか、それとも本心なのかという点に尽きる。

第二に、こうした問いへの答を探す上で困惑させられるのが、ヒラリーが米韓FTAに反対する理屈が、余りにオールドファッションなことである。

ルービノミクス論争に象徴されるように、現在の米国の論点は、自由貿易の負の側面への対策を、通商交渉を止めてでも優先すべきなのか。止めた場合のコストをどう考えるのか、といった点にある。しかし、ヒラリーの反対理由は、自動車市場開放の不十分さ。報道やプレス・リリースを見る限り、新しいレトリックは感じられない。トランスクリプトをみていないので、即断はできないが、これではまるで、90年代の日米摩擦である。下手をすれば、次は数値目標だとでも言いだしかねない。

思えば、自動車産業を話題にすること自体に「古さ」がある。フラット化する世界の通商問題の特徴は、企業と労働者の利害の乖離である。企業は海外の安価な雇用を利用しやすくなったが、国内の労働者は逆に厳しい競争に直面する。だからこそ、最近の米国では、企業に近い共和党と労組に近い民主党で、通商政策に対する立場が分かれてきた。

しかし、自動車業界には、比較的古い構図が残っている。労使が一体となって政府に救済を求めるという方向性だ。その舞台に乗った議論は、ある意味では安易であり、新しい時代の通商政策への考え方を知るには物足りない。

第三に、とはいえ、自動車業界にも新しい風は吹き初めている。

ダイムラーがクライスラーを手放したので、ビッグ3がオールUSAに戻ってしまったのはご愛嬌だが、実は米韓FTAに対する3社の足並みは揃っていない。GMが中立の立場をとっているからだ。GMは、自動車関連税と環境規制、そして紛争解決手続きの点で、他社と立場を異にしているという。「安易な問題」も、次第に様相は変わって来ている。ヒラリーの判断には、どの程度こうした事情が勘案されているのだろうか。

第四は、オバマの出方である。

米韓FTAについては、既にエドワーズも反対を表明している。オバマは労組との関係が今一つといわれるが、他候補の動きに追随するのか。それとも、このまま「通商ではもっとも中道」という路線で行くのだろうか。

もし後者であるとすれば、通商問題は民主党予備選挙の小さくない論点になる。特にヒラリーにとっては、論戦があまりヒートアップしてしまうと、本選挙で中央に戻れなくなるほど左に寄らざるを得なくなる危険性が浮上して来るかもしれない。

それともヒラリーには、中央に戻るつもりはないのだろうか。

ということで、最初の疑問に戻る。

ヒラリーの本音は、一体どこにあるのだろうか。

2007/06/09

Real difference ? : ジュリアーニの医療保険改革案

またか、と思われるかもしれないが、少しお付き合い願いたい。医療保険改革は、2008年の大統領選挙や、「ブッシュ後」の米国の大きなテーマだからだ。

ジュリアーニの医療保険改革案の骨格が明らかになってきた(Meckler, Laura and John Harwood, "Giuliani Health Proposal Seeks Individual Coverage", Wall Street Journal, June 7, 2007)。これまでは、オバマを中心に民主党の議論を中心に取り上げて来たが、共和党の提案はどう違うのか。その違いは、政治家のレトリックから想像するよりも、実は微妙である。

まずは、ジュリアーニのラインで説明しよう。

今のシステムの問題は、保険の選択肢が少ない点にある。高い保険しか買うことができない。勤務先を通じて保険を買っている場合には、普通は質の良い(高い)保険しか選べない。個人で市場から買おうにも、市場の参加者が少ないし、州政府が売ることのできる保険の種類(最低限のカバレッジ等)を規制している。保険会社にすれば、採算を取るためには保険料を上げざるを得ない。

鍵になるのは、個人保険市場の活性化である。そのためには、2つの方策が必要だ。第一に、勤務先経由の保険に与えられている優遇税制を改革し、個人保険を買った場合と条件を同じにする。これで、個人保険市場への参加者が増える。第二に、供給サイドでは、州の規制権限を弱体化させる。これによって、例えば、カバーされるサービスの範囲は狭いが、保険料が安い保険も売れる(買える)ようになる。買いやすくなれば無保険者は減る。

これは、民間をベースにした改革だ。補助金で医療保険を拡大する民主党の考え方とは、根本的に違う。個人への義務付けもしない。補助金が必要になり、逆に価格が上がってしまう。

民主党の改革案は、「医療の社会化(Social Medicine)」だ。

この「医療の社会化」というのが、共和党側の殺し文句である。医療保険改革、とりわけ無保険者対策の関門は、既に保険を持っている人にどう納得してもらうかという点にある。確かに米国にはたくさんの無保険者がいるが、数でいえば、保険に加入している人の方が圧倒的に多い。こうした人達は、今より条件が悪化するのを恐れている。「社会化=国営化=悪」という連想は強力である。

それはそれとして、民主党とジュリアーニの案には、本当に天と地ほどの差があるのだろうか。

試しに完成型を想像して頂きたい。どちらの案も、既存の官民ハイブリッドの仕組みを残す。しかし、企業の負担は増やさずに、その外側の保険を広げる。シングル・ペイヤーと比較すれば、こうした構造自体は、両者は近しい関係にあるのではないだろうか?実際に、ジュリアーニが提案している税制改革には、民主党サイドにも同調する意見がある(例外は労組。企業に医療を負担させたいからだ)。

そうであれば、問題となるのは、やはり「逆選択」の問題である。安くてカバー範囲の少ない保険が普及したら、リスクの偏りがさらに進むのではないか?その部分を掬い上げる手立ては必要なのか?議論はこのような方向に進むのが筋である。そして、そこで初めて、国の役割の議論になる。


選挙は必要以上に立場の違いを強調する場になりがちである。それは、候補者の立ち居地を知る上では、大事な手掛かりになるし、キャラクターを判断する材料になるという意見もある。しかし、本来なら存在する筈の、共通する議論の土台が、弾き飛ばされてしまう可能性は見逃せない。候補者が立場を鮮明にすることが、改革の実現にとって好ましいかどうかは、全くの別問題なのである。

2007/06/08

Was First Cut The Deepest ?: ブッシュ vs. 保守派

米国では、移民改革法の審議が暗礁に乗り上げたようだ。上院は採決に移るための動議の可決に失敗してしまった。保守派を正面から批判してまで改革を主張したブッシュ大統領だが、結果は厳しかった。もっとも、肝心な時に本人はサミットでドイツだから、何となくちぐはぐ感は残る。

ところで、ブッシュ大統領が保守派に反旗を翻したのは、これが始めてではない。むしろ両者の緊張関係は、2000年の大統領選挙の時から存在していた。

象徴的な出来事が、1999年7月22日にインディアナ州で行なわれた"Duty of Hope"と題された演説である。

ここでブッシュは次のように述べている。

「政府がなくなりさえすれば、すべての問題は解決するという考え方は、『ほっておいてくれ』という以外に、何の高度な目標も、高貴な目的も持たない非建設的な考え方である。(中略)政府は国民の敵ではない。(中略)政府の活動は慎重に制限されなければならないが、その枠内においては、強く、行動的で、尊敬されなければならない」

90年代の保守陣営には、いわゆるLeave Me Alone Coalitionという考え方があった。国民は、政府なんかには放っておいて欲しいと思っている。政府をどんどん小さくすれば、共和党の支持はどんどん増える。94年のギングリッチ革命で、こうした考え方は一気にメイン・ストリームに躍り出た。

しかし、その栄華は続かない。民主党のクリントン大統領は、財政赤字の削減や、福祉改革に相乗りし、「小さな政府」では、共和党との差異を消す。一方で、赤字削減の方策として、医療費をターゲットにした共和党を、冷酷であると攻撃し、国民の支持を回復した。

「放っておいてくれ」で選挙に勝つのは良い。しかし、実際にその権力を握った後は、政府をどう扱えば良いのか?そんな疑問が渦巻いていた時に飛び出したのが、この演説だった。

David Brooksは、この演説が瀕死の保守主義を救ったとして、高く評価している(Brooks, David, "A Human Capital Agenda", New York Times, May 15, 2007)。単に彼の嗜好に合っていただけじゃないか(...)とは思うが、少なくとも、当時の「瀕死の保守」は、異議を申し立てたブッシュを受け入れた。その意味では、今回とは立場が違う。

今の共和党も、少なくとも傍からみれば危機的な状況にある。しかし、その原因については、保守主義に問題があったというよりは、ブッシュがいけなかったという見方が根強いように感じられる。99年のような異議申し立てよりも、レーガン賛美への回帰が目立つのは、あまりにブッシュが酷い状況になってしまったことの裏返しなのかもしれない。

それが共和党にとって吉と出るか、凶と出るか。その答は、2008年まで待たなければならないのだろう。

2007/06/07

オバマの医療保険改革案 Part II : 義務付けはなぜ必要か

昨日に続いて、オバマの医療保険改革案を取り上げる。なぜ無保険者の解消には、個人への保険加入の義務付が必要なのか。今日は政策論の視点から整理したい。

大きく分けると、理由は二つである(Nichols, Len M., "Where's Obama's Mandate?", American Prospect, June 4, 2007)。

第一に、義務付にしてこそ、公平で効率的な市場が実現する。理由は「逆選択」の存在である。保険というのは、様々な加入者のリスクをプールして、それに見合った保険料を決める仕組みである。従って、リスクの低い加入者にすれば、保険料は高いと感じがちになり、自分は医療サービスを必要としないだろうという判断から、保険に加入しなくなる。そうなると、残されたプールのリスクが上がり、保険料も引き上げられる。「逆選択」による悪循環だ。

「逆選択」は、保険会社による高リスク加入者回避の動きにもつながる。放っておけば、高リスクの加入者の比率が高くなり過ぎて、保険の運営が難しくなるからだ。

「義務付」が行われれば、低リスク者も、保険に加入せざるを得ない。そうなれば「逆選択」に伴う不公平が解消される。低リスク者とはいえ、医療サービスを受けないわけではない。無保険者の医療費は高くなりがちだし、病院が彼らに備えるだけで費用が発生する。現在の仕組みでは、その一部は他の保険加入者に付け回されている。つまりは、フリー・ライダーの問題ある。

また、「逆選択」に伴う無駄も減らせる。保険会社は、出来るだけ低リスク者の比率を高めるために、多額の宣伝費等を使っている。この部分がなくなれば、保険料も引き下げられるようになり、保険に加入しやすくなる。

第二の理由は、「逆選択」があるために、「義務付」なしでは、無保険者は解消できないということだ。いくら補助金を積んでもフリー・ライダーは発生する。既存の研究によれば、金銭面で保険を買いやすくするだけでは、無保険者の3分の1が保険に入るだけだとみられている。子供だけに義務付けた場合には、その割合は半分に上がる。オバマのアドバイザーは、加入の方法を簡略化したりすれば、3分の2まで無保険者を減らせるというが、これは楽観的な見通しであり、それでも1500万人の無保険者が残る(Cohn, Jonathan, "Wading Pool", New Republic, May 31, 2007)。

オバマはなぜ「義務付」を避けたのか。中間層の反発を恐れたという説もあるが、少なくとも表向きの理由は、「実現できない義務は課したくない」というものだったようである(Cohn, ibid)。つまりは、保険に入れといわれても、経済的に難しい場合もあるだろうという判断である。

New America FoundationのLen Nicholsに言わせれば、これは「義務付」への反論としては、真っ当な部類に入る。だからこそ、「義務付」を提案する場合には、しっかりとした補助金の枠組みを整備する必要がある。言い換えれば、この問題は、政策的な対応が可能だということになる。そこが、オバマに対する「物足りなさ」感につながっている。

ちなみに、悪い反論とは何か。Nicholsは、個人ではなく、企業に責任を負わせようとする考え方だという。企業にとって医療費負担は、国際競争上の重荷になっている。個人にとっても、保険を勤務先に依存していると、転職や失業の時に大変だ。企業をベースにした保険を主軸に据えるのは、グローバル時代の改革とは言い難い。

皆保険に向けたもう一つの進め方は、国が一つのプールを作ること(シングル・ペイヤー)である。オバマを批判する中には、「シングル・ペイヤーでなければ改革とはいえない」といわんばかりの人もいるようだが、「大きな政府」への嫌悪感が強い米国では、そこまで進むのは、政治的には難しいだろう。

いずれにしても、医療保険の議論は、一歩踏み込んだだけで、一気に複雑になることが、お分かりいただけたのではないだろうか。

つくづく医療保険は、重要だけれど、選挙ではあまり突っ込んだ議論には進みにくい分野である。

2007/06/06

Candidate of Almosts ? : 医療改革案からみたオバマ

予想されていた通り、オバマが提案した医療保険改革案は、他の民主党の主要な候補の提案と、概ね似通った内容であった(Lazewski, Robert, "Clinton, Edwards, Obama--Offering Health Care Reform Proposals More Similar Than Different", Health Care Policy and Marketplace Review, June 4, 2007)。

しかし、この「概ね」というのが曲者だ。

米国でちょっとした話題になっているのが、オバマの改革案が厳密には皆保険制ではないことである。

説明が必要だろう。民主党の改革案の主流は、医療費の引き下げと、公的保険の拡大、民間保険市場の改革等によって、官民ハイブリッドの現在のシステムを活かしながら、無保険者を減らそうというもの。こうした方向性は、ほぼ固まっている。

しかし、こうした改革は、国が運営する一つの保険(シングル・ペイヤー)ではないから、それだけで無保険者が解消されるわけではない。やり方は幾つかあるが、マサチューセッツやカリフォルニアなどの州政府による最近の改革では、個人に保険への加入義務を課すことで、皆保険制を実現しようとしている。既に発表されているエドワーズの改革案にも、こうした「個人への義務付」が含まれているが、オバマの改革案には、これに相当する提案がない。従って、オバマの改革案は、「ほとんど皆保険」にはなるかもしれないが、「皆保険」には届かない。

なぜ「義務付」が必要なのかという点については、政策的な観点からしっかりとした議論がある。これについては、近日中に触れるつもりだが、ここで注目したいのは、この問題をオバマのキャラクターに関連付ける議論である。

例えばAmerican ProspectのEzra Kleinは、「ほとんど皆保険」を提案してしまったオバマは、「あと一歩」の候補者であることを露呈してしまったと指摘する(Klein, Ezra, "A Lack of Audacity" American Prospect, May 30, 2007)。才能はあるし、レトリックも素晴らしい。しかし、約束を実現できるかというと疑問が残る。オバマの医療改革案も、「皆保険」だとは宣伝されているが、実際には皆保険の「可能性」止まりだ。

New RepublicのJonathan Cohnも、オバマの今回の判断には、大統領としての資質(Cohnの評価はmix)が垣間見えると述べる(Cohn, Jonathan, "Wading Pool", New Republic, May 31, 2007)。オバマの判断には中間層の反感を買いたくないという計算があったのかもしれない。しかし、州の改革に見られるように、「義務付」はもはやタブーではなく、むしろ「個人の責任」という要素が加わるために、保守派の賛同も得やすくなる可能性がある。それに、約束するだけでは「皆保険」には届かないかもしれない。そろりそろりとプールに入るのではなく、思い切って飛び込むべきではなかったか。

実は民主党陣営には、候補者は詳細な医療保険改革案を示すべきではないという議論があった(Schmidt, Mark, "Presidential Health Care Plans", New Republic, May 21, 2007)。医療保険改革は、内容が難解な上に、難しいトレード・オフが付き物だ。それだけに、詳細なプランを明らかにすれば、必ず敵に攻撃される。まして、大統領になれたとしても、実際の改革案は議会との交渉で決まる。選挙の時に詳細な案を示す意味はない。

さらにオバマの場合には、詳細な案を示すことの問題点がもう一つある(Klein, ibid)。既存のラベルを嫌い、大きな夢のあるテーマを語ってきたのに、詳細な政策論に降りていけば、従来型の議論に引きずり込まれてしまう。夢を夢として語れなくなってしまう。

それでも詳細な案を提示したオバマは、その点では「大胆」といえるのかもしれない。しかし、その内容については、「あと一歩」という評価が目立ってしまう。どの論者もオバマのプランに良いところがないとは言っていない。しかし、キャラクターの議論と重ね合わせると、「あと一歩」なのだ。

Paul Krugmanは、具体的な政策に関する提案こそが、候補者のキャラクターの本質を示す鏡だと指摘する(Krugman, Paul, "Obama in Second Place", New York Times, June 4, 2007)。2000年の大統領選挙でのブッシュの提案を真剣に分析すれば、どんなにいい加減な人物であるかが分かった筈だというのである。ちなみに、オバマの改革案に対するkrugmanの評価も、「あと一歩」だ。

個人的には、今回の「義務付」の問題は政策論として善し悪しを語るべき題材だとは思うが、それはそれで、一つの視点ではある。

2007/06/05

Who's Supporting Whom :「怠惰」なトンプソンとブッシュの距離感

こんなにトンプソンを取り上げるつもりではなかったのだけれど、今が旬なので仕方がない。

ブッシュ・チェイニー人脈が、トンプソン陣営に流れ始めているらしい(Allen, Mike, "Key Bush backers rally to Fred Thompson", Politico, June 4, 2007)。

大所では、チェイニーの顧問を務めたマリー・マタリンが、アドバイザー役としての活動を始めているようだ。また、経済政策については、ブッシュ政権の経済顧問だったローレンス・リンゼーが責任者になる見込みだという。リンゼーにすれば、2000年にブッシュ陣営で担当したポジションの再現である。ブッシュ政権の経済政策担当者としては、グレン・ハバードとグレッグ・マンキューがロムニー陣営にいる。鳴かず飛ばずだったマンキューはともかく、リンゼーとハバードはブッシュの減税路線の仕掛人。トンプソンとロムニーの経済政策には、ブッシュの色彩がどこまで残るのだろうか。

このほかにも、ホームページの立ち上げを担当するのが、現ブッシュ陣営の電子キャンペーンの担当者(Michael Turk)だったり、親父人脈では、国内政策担当(David M. McIntosh)、COO(Thomas Collamore)がいる。極めつけは、ジェフ・ブッシュの息子のジョージ.P.ブッシュ(!)が、トンプソンの資金集めを応援するe-mailを発信していることだ。

もっとも、トンプソンにしても、ロムニーにしても、ブッシュの路線継承を強調している訳ではない。特にトンプソンの演説には、ブッシュの名前はほとんど登場しないという(Brooks, David, "Back to Basics", New York Times, June 1, 2007)。

トンプソンがブッシュに言及しないのは、彼が反ワシントンの立場で選挙を戦おうとしている現れだという見方がある。ブッシュがどうのこうのと、ワシントンの政治にとり付かれているのが問題だというわけだ。この点についてDavid Brooksは、トンプソンは徹底的な分権主義者であり、保守主義の観点からみれば、原点回帰の性格があると指摘する(Brooks, ibid)。Brooksにいわせれば、傷心の保守主義陣営にアピールするには、「原点回帰」は利口なポジションかもしれない(もっとも、21世紀の政策課題には分権主義では対応できないというのが、Brooksの見立ではあるが)。

また、反ワシントンの立場を取れば、経験不足という批判を封じられるという見方もある。有権者の現状に対する不満は強い。そうであれば、「経験者に任せてこの有様だったら、新しいやり方を試した方が良いのではないか?」と主張できるというのである(Dickerson, John, "Lazy Fred", Slate, May 31, 2007)。

一方で、トンプソンには熱意が足りないという議論は燻り続けている。上院議員時代のトンプソンによる、「こんなところで残りの人生を終わるつもりはない」「しょうもない事柄についての『上院の意見に関する決議(sense of senate)』に投票するために、14時間も16時間も費やすのは嫌だ」といった発言は、何度もメディアに取り上げられている。

SlateのJohn Dickersonは、反ワシントンで切り返せる「経験不足」批判と違い、「怠惰」というイメージは、トンプソンにとっては致命傷になりかねないと指摘する。何といっても、有権者は国のために懸命に働く大統領を求めているからだ(Dickerson, ibid)。

Washington PostのRichard Cohenはもっと辛辣である。曰く、トンプソンは何を実現したいかが見えてこない。トンプソンはレーガンに似ているといわれるが、レーガンにはイデオロギーがあり、それを実現するために政治家になった。トンプソンは上院議員としては大した実績を残さないまま、他人が書いた台詞を読む役者に転身した。二人は同列には語れない(Cohen, Richard, "Can He Find His Motivation?", June 5, 2007)。

こうも指摘する。

大統領は誰かに頼まれるのを待っていてなれるような役職ではない。例外は大統領の子供だけであり、同じ間違いは繰り返してはいけない(!)。

そういえば、ブッシュ大統領も、休暇の長さが評判になったことがあるような…

もちろん、出馬前からここまで批判されるのは、注目(警戒?)されている証。トンプソンが正式にリングに上がれば、こうした議論は一層盛んになりそうだ。

2007/06/04

Like Father, Like Son : 移民が切り裂くブッシュと保守派

ブッシュはどの大統領に似ているのか。「ニクソン以来の低支持率」だの、「トルーマンみたいに後世には評価される」だの、いろいろな議論はあるが、意外に見落とされていた比較対象がある。

お父さんである。

保守派の論客であるPeggy Noonanは、移民政策に関する大統領の最近の発言を引き合いに、保守運動の遺産をないがしろにしたという点で、ブッシュ親子は同罪だと指摘する(Noonan, Peggy, "Too Bad", Opinion Journal, June 1, 2007)。いずれの大統領も、選挙の時には保守の伝統に則った政治を行なうといいながら、それを裏切ったというのである。

いうまでもなく、父親の裏切りは、Read My Rips, No New Tax破りである。Noonanは、「ブッシュは第三期レーガン政権を任されたに過ぎない事が分かっていなかった」と手厳しい。

そして、クリントンの8年を経て、新たな保守の時代を切り拓くとした息子は、移民改革の問題で、保守派を名指しで批判するに至った。

5月29日の演説でのブッシュ大統領の発言は、確かに強烈である(Rutenberg, Jim, "Bush Takes On Conservatives Over Immigration", New York Times, May 30, 2007)。「国民を怖がらせたいのであれば、この提案は恩赦だといえば良い。そうした言い方は、国民を怖がらせるための空虚な政治的レトリックだ」「米国にとって正しい事をしたくないのであれば、小さな一部分を取り上げて、国民を怖がらせれば良い」。

とくにこの「米国にとって正しい事をしたくないのであれば」というアドリブの台詞が不味かったらしい(Rutenberg, Carl and Carl Hulse, "President's Push on Immigration Tests G.O.P. Base", New York Times, June 3, 2007)。「ブッシュの政治は保守派が最優先」というステレオ・タイプの見方も手伝って、米国のメディアは、その口調の厳しさを、ある種の驚きを持って報じている。何せ保守派は、ブッシュの残り少ない支持を守る防波堤である。

もっとも、ブッシュが保守派を重視してきた背景には、政治的な計算があった。むしろ実際の政策運営では、保守派の意向が無視される局面が少なくなかった。一向に止まらない政府の拡大などは、その好例である。だいたいブッシュは、2000年の大統領選挙のときにも、痛烈な保守派批判をやらかしている(この話は前にちょっとだけ触れたが、別の機会に改めて紹介したい)。

移民問題でのブッシュの発言が特筆されるのは、保守派への態度が、「無視」に止どまらず、「攻撃」へと進んでいるからだ。Noonan曰く、too bad(僕の政策が気に入らないのは、そりゃ残念さま)から、You're Bad(お前たちがいけないんだ!)への変化である。

基本的な支持層(共和党なら保守、民主党ならリベラル)と党指導部との軋轢は、米国の政党では珍しくない。しかしNoonanは、民主党とブッシュ政権の違いを、こう指摘する。

「リベラルについて民主党は、少し頭はおかしいが、心のあり方は正しいと思っている。ブッシュ政権は、保守派は愚かで心のあり方も間違っていると考えている」。

メモリアル・デーの休会が開け、米議会では移民法改革の議論が再開される。保守派の怒りは、このままでは、イラク政策でも大統領を支持出来なくなるという議論にも発展している(Rutenberg et al, ibid)。議会の審議がどのような結果に終わるにしても、共和党には深い傷跡が残りそうである。


<Publc Announcement>
先日、このページの読者の方から、原稿執筆のお仕事をいただきました。思わぬご依頼で感激しました。ありがとうございます。民間の研究員ですので、寄稿は本職の一部です。このページでそこまでは考えていませんでしたが、嬉しい誤算です。ほかにもご依頼がありましたら、対応を検討させていただきますので、ご興味のある方は、プロフィールにあるメール・アドレスまでご連絡ください。もちろん、遊びにきていただけるだけで大歓迎です。念のため。

2007/06/03

若者たちの乗換駅:バートレットの離脱

そろそろ潮時ということか。

休日なので詳しいニュースは読んでいないが、ブッシュ政権のバートレット顧問が辞任するようだ。バートレットといえば、古くからのブッシュの忠臣の一人。なにせ、1993年にブッシュがテキサス州知事への出馬を準備している時からの付き合いだ。政権の求心力の低下は今に始まったことではないが、何とも象徴的な出来事である。

ブッシュ政権は、何があろうと後1年強で終わる。長く参加してきた人達も、そうでもない人達も、一つの旅の終わりが近付いている。

もっとも、まだまだ新たな長い旅が待っている人も多い。ホワイトハウスでは、驚くほど若い実力者が活躍している。乗換え駅はそれぞれだ。バートレットにしてもまだ36歳である(ということは、ブッシュ陣営に参加したのは22歳!)。

日本ではあまり大きく報道されていないかも知れないが、最近ブッシュ政権からは、一人の「若きベテラン」が離脱を明らかにしている。ホワイトハウスの政治担当を務めるSara Taylorは、カール・ローブの右腕として、選挙に深く関わってきた人物。政権との付き合いは古く、2000年の選挙戦でブッシュ陣営が雇った最初のスタッフの一人だったという(Fletcher, Michael A., "Another Top Bush Aide Makes an Exit", May 28, 2007)。にもかかわらず、年齢はまだ32歳。次の仕事は、取り敢えず民間で探すというが、いずれその名前を聞く機会が再び訪れるだろう。

経済諮問委員会(CEA)からも、近々「才媛」が離脱する。2005年にCEAに参加したKatherine Baickerは、主に医療保険改革に携わってきた。たまたま講演を聞く機会があったが、脳ミソが回転している音が聞こえてきそうなくらいの迫力だった。こちらもまだ30代半ば。この後は、教職に戻るらしい。

パブリックな立場で、若い時期から鍛えられて強くなっていく。こういう人たちがアメリカを支えていくのだと、改めて思い知らされる。

もちろん、終点まで乗り続けなければならない人もいる。つくづく2期目の後半というのは、大統領の孤独さが浮き立つ時間帯である。

2007/06/02

for the record : ベビーブーマー2題(移民・金融資産)

久し振りに、ベビーブーマーに関する話題を。気になっていた記事を二つ紹介したい。

一つは、ベビーブーマーの将来は移民次第だという話。高齢化が進み、退職世代と現役世代のバランスが崩れるなかで、ベビーブーマーへの衝撃を緩らげるには、移民に頼らなければならない側面が大きいという議論である(Jordan, Miriam, "Boomers' Good Life Tied to Better Life for Immigrants", Wall Street Journal, May 7, 2007)。

それだけなら余り珍しくないかも知れないが、この記事の特徴は、既に米国に入国している移民の生活向上に焦点を当てている点だ。昨今の移民法改正の議論が示唆するように、米国が急速に移民を増やすことには、国内政治的にハードルがある。そうであれば、今いる移民の今後を考えた方が現実的である。

3つの視点がある。第一に、税収。移民の暮らし振りが良くなれば、ベビーブーマーを支える財政支出を支える税収が増える。

第二に労働力の質。ベビーブーマーが生活水準を維持するには、米国が競争力を保たなければならない。そのためには、質の高い労働力が不可欠。従って、若い労働力である移民のスキル・アップが重要になる。

第三は資産である。不動産はベビーブーマーの大事な虎の子の一つ。移民がハイ・クラスの不動産を買えるようになれば、不動産価格が下支えられ、ブーマー世代の資産の目減りが防げるというわけだ。

もう一つの記事は、その資産の話と関係がある。といっても、不動産ではなく、退職後の生活に備えた金融資産の話である。

ベビーブーマーが退職すれば、これまで蓄えてきた金融資産が取り崩され始め、これが株価などにも影響を与えるという考え方がある。しかし、MITのJames Poterbaらの研究によれば、2040年にかけて401(k)プランに代表される退職後向けの資産総額はむしろ増加していくという(Hulbert, Mark, "Baby Boomers Are Cashing In. So What?", New York Times, May 27, 2007)。

一つの理由は、401(k)が普及し始めてから、まだ日が浅い点にある。2003年の時点では、50%を超える家庭に401(k)の加入資格者がいる。しかし、1984年には、その割合は20%に満たなかった。このため、ブーマー世代は、資産の長期保有に伴う複利の恩恵に預かれる余地が少ない。むしろ、若年世代の資産には毎年利子が付いていく。いわゆる「複利計算の魔術」が働くわけだ。GDP比でみた401(k)の資産総額は、現在の43%から、2040年には150%以上にまで拡大するという。

その威力は、他の資産の減少分を補って余りある。この研究は、伝統的な企業年金(確定給付型)の資産総額は、徐々に減少していくと想定している。それでも、これらを併せた退職後向け資産の総額は、2040年にはGDPの1.8倍に達するとみられている(現在は同94%)。

もちろん、これは総額の話。個々人の事情は、運用次第で違ってくるし、金額の大小で「複利計算の魔術」の利き振りも変わる。個人の資産運用に比重を置くにしても、何らかの政策的な補完措置の議論は必要かもしれない。

ベビーブーマーという巨大なブロックの動向は、経済学の素材としてはなかなか面白いようだ。