Influence of Cheney : Revisited
昨日取り上げたWashington Postのチェイニー大特集だが、読んでみるとなかなか面白い。チェイニーがブッシュ政権の外交政策に大きな影響力を持っていたのは周知の事実だが、経済政策に関しても、チェイニーの力は相当なものだったようである(Becker, Jo and Barton Gellman, "A Strong Push From Backstage", Washington Post, June 26, 2007)。
以前に触れたように、「思いやりのある保守主義」を掲げていたブッシュ大統領は、保守派が求める極端な「小さい政府」には違和感を持っていた。しかし、ブッシュ減税に象徴されるように、実際のブッシュ政権の経済政策には、保守派色の強い内容が少なくなかった。このちょっとしたパラドックスを解く鍵は、保守派の経済政策を強力に推進した、チェイニー副大統領の存在にあるようだ。
その手法は外交政策に似ている。チェイニーは、ブッシュにどのような政策を実施するべきだと強制するとは限らない。決定を下す権限は、あくまでもブッシュに残されるのが普通である。むしろ、ホワイトハウスの意思決定プロセスを支配し、大統領に上がる選択肢自体を操作するのが、チェイニーのやり方なのである。
例えば予算編成の場合では、大統領に原案が上がる前に、チェイニーが座長を務める会議で、閣僚との調整が行われる。ブッシュ政権の最初のOMB長官だったダニエルズの時代には、予算に関して閣僚が大統領に直訴したことは、一度もなかったという。米国では、例外的なことである。
この記事には、チェイニーの影響力を示す事例が3つ取り上げられている。第一は、2001年の最初の減税である。この時米議会では、共和党のジェフォーズ上院議員が、地元向けの歳出拡大が認められなければ、共和党を離脱するという立場をとっていた。同議員が離党すれば、上院の多数党が民主党に移ってしまうところだったので、政権内の意見は分かれた。最後に方向性を決めたのは、ジェフォーズ議員用に歳出拡大の余地を作るためだけに、保守の原則を曲げて減税規模を縮小するべきではないという、チェイニーの意見だった。
第二は、同時多発テロ後の2002年に実施された、2回目の減税である。この減税の目玉となった法人税減税は、自らが集めた識者の意見に基づいた、チェイニーの発案だったという。通常であれば、減税の原案を作るのは財務省の役割だが、ブッシュ政権で税制に関する議論をリードしていたのは、チェイニーだったのである。
何といっても印象的なのは、3つ目の2003年の減税である。この時チェイニーは、ダニエルズやオニール財務長官、さらにはエバンス商務長官の反対を押し切って、大型減税の実施を主張した。また、グリーンスパンFRB議長に渡された「財政赤字の拡大は金利の上昇を招く」というレポートには、自分のスタッフに反論を書かせた。
さらに、チェイニーの底力が発揮されたのが、03年減税にキャピタル・ゲイン減税が含まれた経緯である。この減税の当初の目玉は、配当課税の撤廃だった。しかし、減税による投資促進というサプライ・サイド経済学の考え方を重視するチェイニーは、キャピタル・ゲイン減税が欲しかった。あいにく(?)ブッシュ大統領は、高額所得層をこれ以上優遇する減税には懐疑的だったので、政権案にはキャピタル・ゲイン減税は含まれなかった。するとチェイニーは、議会共和党の会合に乗り込み、議会審議の過程で、キャピタル・ゲイン減税を復活させてしまったのである。
当時の議論を追っていた立場から言わせてもらえば、グリーンスパンが右往左往しているように見えたり、あれだけ大統領が強調していた配当課税撤廃が半減になり、突然キャピタル・ゲイン減税が出てきたりしたのは、大きな謎だった。まさかその裏にチェイニーがいるとは…昨日は「話題の先食い」なんて書いたが、目からウロコの事実がこれだけあるのなら、それだけの価値はある。
さらに興味深いのは、この懐古談からですら、08年選挙につながる内容が読み取れなくもない点である。謎掛けのようだが、その話は次回以降に取り上げて行きたい。
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