2008/09/05

Change Who Can Believe In : 共和党大会最終日

繰り返しになってしまうが、マケイン候補の課題は共和党の枠を超えた支持の広がりをどのようにして実現するかという点にある。昨日の演説で浮き彫りにされたのも、やはりこうした課題だった。

まず言うべきことは言っておくと、やはりマケイン候補は演説が上手くない。前評判があまりに低いと、「実は意外に良かった」となるケースも少なくないが、今回は「やっぱり」だった。後半のベトナム戦争での経験から、最後の「一緒に戦おう」と畳み掛けるところは素晴らしかった。マケイン候補にしかできない演説であり、まさに圧巻といって良い。しかし、それ以外の部分は、やや辛いものがあった。保守派の論客であるペギー・ヌーナンは、長々とペイリン演説の評価を繰り広げた後、マケイン演説については、一言「John McCain also made a speech. It was flat」で片付けている(Noonan, Peggy, "A Servant's Heart", Wall Street Journal, September 5, 2008) 。実際に、テレビでは、あくびをしている観客の顔が何度も映し出されていた。

もっとも、会場の盛り上がりが今ひとつだったのには理由がある。マケイン候補は、会場の外に向けても話そうとしていたからである。それまでの共和党大会の演説は、ほとんどが党の結束を固めようとする内容だった。ペイリン知事の演説も例外ではない。しかし、マケイン演説の主眼は、「ワシントンを変えなければならない」という点にあった。オバマ批判も極めて中途半端。党派の違いではなく、「国を第一に考えることが必要だ」というのが、マケイン候補が伝えたかったメッセージなのだろう。

ところが、当然そのためには、共和党も変わらなければならない。マケイン候補も、それに近い言葉を盛り込んだ。しかし、会場に集まった共和党支持者は、必ずしもそう思っているわけではない。低下しているとはいえ、ブッシュ大統領に対する支持率ですら、無党派層や民主党支持者よりも高いのが現実だ。こうした目線の違いが、マケイン演説に対する会場の冷めた反応につながった。

マケイン陣営は、ペイリン知事の選出にみられるように、「経験」から「変革」へと戦線を拡大しようとしている。共和党支持者をまとめるだけでは勝てない以上、無党派層・民主党支持者の不満を取りこまなければならないからだ。だからこそマケイン候補は、会場の外に向けて話さなければならなかった。会場の共和党支持者は、動き始めた列車から取り残されたような感覚に襲われたのではないだろうか。

また、観衆の反応という点では、とくに中段の経済政策に関する部分で、盛り上がりの欠如が目立った。マケイン候補は、経済的な苦境を抱える個人の例をあげるなど、エドワーズ的(!)な語り口で、「経済がわかっていない」というオバマ陣営からの批判に答えようとした。民主党の大会であれば、会場が一気に親近感に溢れる場面だが、共和党大会ではそうはいかなかった。共和党支持者の経済を見る目は、民主党支持者や無党派層ほど厳しくないからだ。ここにも、会場・共和党支持者と、マケイン候補が狙わなくてはならない無党派層・民主党支持者のギャップが立ち現れていた。

マケイン陣営には、決定的な弱みが残されていることも見逃せない。「変革」の重要性を強調する一方で、その裏付けとなる政策的な提案に新味が見られないという点だ。例えば経済政策については、賃金保険の部分を除いて、減税・小さな政府・エネルギー開発、といったお馴染みの政策が繰り返されただけだった。「変革」の実現を保証するのは、マケイン候補の「私欲ではなく国益を第一に考える」という、モラルの高さだけである。選挙戦ももう終盤。果たしてそのギャップを埋める時間はあるだろうか。

話はがらりと変わるが、ネット上で話題になったのが、マケイン候補の演説の背景にまたしても「緑」が使われたことだ。かつてその彩りの悪さが、マケイン陣営の手際の悪さを象徴するとして散々取り上げられただけに、再び「緑」が現れたことには、驚きの声があがっている。

話はそこでは終わらない。この「緑」は背景に映し出された建物の前にある芝生だったのだが、今度は「この建物は何か?」というのが話題になっている。どうやらこれは、カリフォルニアにあるWalter Reed Middle Schoolという学校らしいのだが、これはもしかすると Walter Reed Army Medical Center(イラク戦争などの負傷兵を収容している病院)と取り違えたのではないか、というがあるのだ。

嘘みたいな話ではあるが、「もしかしたら」と思わせてしまうところが、マケイン陣営の怖さ(?)である。

2008/09/04

Happy Soldiers : 共和党大会3日目

昨日のペイリン知事の演説は、なかなかの見物だった。明朗で親しみやすく、かつ、辛らつにオバマ批判、エスタブリッシュメント批判を繰り広げる。ジョークも満載だ(「ホッケー・マムと闘犬の違いを知っている?口紅よ!」)期待と不安が入り混じっていた党大会の参加者は、完璧にペイリン知事に魅了されていた。

驚かされたのは、会場の明るさである。前座で会場を存分に暖めたジュリアーニ知事もそうだが、共和党による民主党批判には、冗談めかして軽くあしらうような風情が目立つ。民主党の共和党批判が、眉間に皺を寄せて詰め寄るような傾向があるのとは大きな違いだ。政策面でも、共和党は明るい雰囲気を振りまきやすい要素があるように思う。「減税、自由貿易で雇用を生む」というメッセージは、「中間層が苦しんでいる」→「大企業から金をとってセーフティーネットを」みたいな議論よりは、前向きに聞こえやすい。「どんどん(資源を)掘るんだ、ペイビー」なんて、民主党にはいえませんよね。

もっとも、こうした「明るさ」が、今の米国の雰囲気に合致するかは別の問題。自宅のテレビからみていると、数年前の党大会の再放送を見ているような違和感があったのも事実だ。ペイリン知事は、確かに共和党の地盤を固める役回りは果たすだろう。しかし、ここ数年の米国では、共和党支持者の数が民主党支持者対比で減っている。地盤を固めれば勝てた2000年、2004年とは違う。ペイリン知事の成否は、無党派・民主党支持層にどこまで食い込めるかにかかっている。

それはそうと、気になったのは、最後に登場したマケイン候補。会場が盛り上がりに盛り上がったところだったが、ニコニコするばかりで、気の利いた発言はほとんどきかれなかった。「演説下手」で通るマケイン候補。大丈夫だろうか...

もっとも、オバマ演説ほどの視聴者を集められるかどうかは未知数だ。夕暮れ時のオフィスには、野外コンサートの音が聞こえていた。フットボールの開幕に併せた無料コンサートが開かれているのだ。ハリケーンに始まり、フットボールに終わる。そんな共和党大会である。

2008/09/02

Here We Go Again : ペイリン旋風再び

ペイリン知事の副大統領指名は、娘の妊娠騒動を筆頭に、さまざまな情報が乱れ飛ぶ展開となった。マケイン陣営にとって気にすべきなのは、ペイリン知事に対する有権者の評価もさることながら、世論の注目がマケイン・ペイリン陣営に集まってしまった点だろう。夏場にオバマ候補が不調だったのは、世論の関心がオバマ候補に集中し、選挙戦が「オバマ候補の信任投票」の様相を呈したからだ。マケイン陣営も、メディアによる扱いの小ささを逆手にとった。有権者はオバマ候補の「変化」のメッセージを好意的に受け止めつつも、その「見慣れない経歴」から、最後の一歩を踏み出せなかった。

しかし、「ペイリン旋風」は、オバマ候補をメディアから吹き飛ばしてしまった。

オバマ陣営にとっては願っても無い展開だろう。マケイン候補の「判断力」を有権者が注視する時間帯がやってきそうだからだ。実際オバマ陣営は、ペイリン知事の資質ではなく、同知事を選んだマケイン候補の判断を疑問視する戦法を選んだ。先の民主党大会でも、オバマ陣営は、「マケイン候補の意図は真摯だが、判断力に問題がある(分かっていない)」という論法で、マケイン候補の愛国心を問うことなく、その資質を議論の俎上に上げようとした。この点では、ペイリン旋風はオバマ陣営にとって追い風になる。

各種世論調査には、オバマ候補が支持率でやや抜け出した様相がある。オバマ候補の支持率は、バイデン議員を副大統領に選んだ時点で、やや低下した。おそらくヒラリー支持者が幻滅したからだろう。そのヒラリー支持者は、オバマ候補の下にまとまり始めている兆しがある。一方のペイリン候補も、保守派のマケイン支持度を上げることには成功しているようにみえる。

はてさて、ペイリン旋風はどこに落ち着くのだろうか。評価は共和党大会が終わるのを待たねばなるまい。

その共和党大会では、ブッシュ大統領が衛星中継を使って演説をしている。時間帯は東部時間の9時台後半から10時にかけて。主要テレビ局の放送が始まるか、始まらないかの微妙な時間帯だ。中継だけに、観衆の拍手などとのタイミングがつかみ難そうだ。

確かに支持率の低い大統領ではある。それにしても、ここまでの扱いとは...

2008/08/30

After the Flood : 民主党大会最終日・オバマの演説

というわけで、オバマ演説の話は飛んでしまった。その代わりといっては何だが、当日の朝(演説の前)に掲載されたコラムを紹介しておきたい。

Caro, Robert A., "Johnson's Dream, Obama's Speech", New York Times, August 27, 2008.

オバマの演説は、選挙演説としてみるならば、高得点をたたき出したことは間違いない。チェックボックスはすべてチェックする。そんな演説だった。以前にも指摘したと思うが、オバマは自らを攻撃されることには神経質だ。「これができていない」といわれると、ムキになって答える傾向がある。政策や主義をたたかれても、クールに切り返すせるのとは大きな違いだ。そんな傾向が、今回の演説にも現れたような気がする。

結果は、マケインへの痛烈な批判や、しつこいほどの具体的な政策が盛り込まれた演説だった。いわゆる「レッド・ミート」満載の演説は、民主党支持者を満足させるには十分だっただろう。

しかし、歴史的な演説という観点ではどうだろうか。オバマ自身の演説でも、2004年の党大会演説には及ばなかったのではないだろうか。マイケル・ガーソンは、オバマは演説の機会を得られた歴史的な意味合いを軽視せず、中間層向けの処方箋を示すだけでなく、もっと根深い格差の問題に言及し、「融合」のメッセージを改めて強調するべきだと指摘していた(Gerson, Michael, "Don't Underestimate the Moment", Washington Post, August 27, 2008)。そのガーソンは、オバマの演説を聴いた後に、「ゴアやケリーの演説と本質的に同じ演説だった」と辛辣な指摘を行っている(Gerson, Michael, "Obama The Orthodox", Washington Post, August 30, 2008)。

「狙い」に応じて動けることは、政治家にとって大事な資質である。その意味で、オバマはしっかりとクリントンの流れを汲んでいるように見える。今回の演説に「歴史的」な意味が与えられるならば、「黒人初の大統領が選挙を勝ち抜く布石になった演説」という格好になるのかもしれない。これは、出来の良し悪しとは違う次元の話である。

言い換えれば、オバマの「歴史的な演説」は、就任演説を待たなければならないのかもしれない。

その演説を現実にするためには、この演説は必要だった。

そうだとすれば、どことなく哀しい現実である。

2008/08/29

Star is Born ? / ペイリン旋風がやってくる!?

何だかすごいことになってきた。マケインが選んだ副大統領候補は、アラスカ州のペイリン知事だった。今年の大統領選挙には、黒人、ハワイ、女性、アラスカ、という要素が入ってくるわけだ。しかも、ペイリンの旦那さんには、エスキモーの血が流れているという。最近生まれたばかりのお子さんは、ダウン症だったりもする。長男は陸軍で、9月11日にイラクに向かうという。ほとんど無名だったペイリン知事。しばらくは"average hockey mom"のストーリーが、メディアを賑わせそうだ。

オバマ陣営にとっては、ペイリンは戦い難い相手だろう。オバマの問題の一つは、一般有権者の共感を得難いという部分にある。このため昨日の演説でも、オバマは自らの生い立ちを語りつつ、「普通の国民」のストーリーをふんだんに盛り込こんだ。ブルーカラーの出自であるバイデンを副大統領候補に選んだのも、一つには同じような理由がある。返す刀で、マケインは庶民の暮らしが理解できない、何せ「自分の家の数すらわからない」のだから、と切り返すという戦略だ。そこに出てきたのがペイリン知事だ。結婚式を上げるお金がなく、裁判所ですませてしまったという同知事は、狩猟や釣りが趣味。いかにも庶民に好かれそうな雰囲気である。

オバマ陣営のイニシャルのリアクションは、「人口9000人の町の町長で、外交経験ゼロ」というものだが、このようないい振りは利口とはいえまい。人口9000人のアラスカの町を「見下している」と言われかねないからだ。なにしろ、アラスカ、というのは米国人の好きな「フロンティア」な感じがする(?)。ペイリン知事の好物は「ムースバーガー」だ(!?)。なぜかハワイとは違う。なぜだかは、良く分からないが...(そういえば、昨日の「オバマ劇場」でも、ハワイ部分は極めて扱いが小さかった)。それに、「(オバマ候補の)経験の浅さを攻撃してきたが、そっちだって経験は浅いじゃないか」という言い方は、「経験の浅さ=望ましくない」という議論を認めることになる。必ずしもオバマ陣営にとって助けになる論法ではないだろう。

バイデンとの対比も難しい。確かに、外交経験ゼロ、政治経験もオバマより無い(!)という点では、バイデンとは雲泥の差である。しかし、これは下馬評にあった他の有力候補者でも同じこと。例外はリーバーマンだが、これは共和党内部での混乱が予想されていた。そうであれば、思い切って対照的に新鮮な顔をもってくるというのは一つの見識だ。はっきりとは言い難い部分だが、「討論会で女性を叩くのは難しい」というのは米国の常識だ。ヒラリーの例をみればおわかりだろう。

トリッキーなのは、ヒラリー票との兼ね合いである。多くのメディアは、マケインが女性を副大統領候補に選んだことで、ヒラリー票/女性票の行方が改めて焦点になってきたと指摘している。確かに、そうした側面はあるだろう。ペイリン知事も、こうした狙いを明言している。しかし、ペイリン知事の売りは、政策的にはバリバリの保守であること。だからこそ、共和党内部からも歓迎論が多い。ヒラリーとは性別は同じでも、政策は全く違う。それでも、ヒラリー票は動くだろうか?

むしろペイリン知事の強みは、マケイン候補に「変革」のイメージを与えられること。若く、ワシントンからは(地理的にも)遠い。アラスカでは政治改革・財政改革に取り組んだ。何度か触れているが、ローブ以来の選挙戦の常道は、「弱み」を強み」に変えること。昨日の演説で、オバマ候補が「司令官としての資質」を正面から取り上げたのも、その伝統に則っている。そしてマケイン候補は、「旧態依然」との攻撃を正面からひっくり返そうとしている。

オバマ陣営にとって大切なのは、照準を誤らないことだ。メディアはペイリン知事に飛びつくだろう。しかし、オバマ陣営の照準はあくまでもマケインである。昨日のオバマ演説は、マケイン批判のトーンの高さが際立った。オバマ陣営は、オバマへの信任投票から、オバマ-マケインの選択に戻そうとしている。ペイリン旋風に惑わされてはいけない。むしろ、旋風が吹き荒れるのであればこそ、激戦州での地道な組織戦略が重要になる。

知られていない知事だけに、マケイン陣営には、これからどんな爆弾が飛び出すかわからないというリスクはある(たとえば、メイドの社会保障税を払っていないとか...)。しゃべりがどうなのか、といった点も、全く自分にはわからない。それでも、この選択が選挙戦を大きく揺るがしているのは確かだ。

少なくとも、ペイリン旋風は、オバマの「歴史的な演説」を吹き飛ばしてしまった。オバマ演説が世間を騒がす中で、情報は少しずつ流れ出していった。アラスカからチャーター機がマケインが演説を予定していたオハイオに飛んだという情報が流れる。ローブがほのめかす。ポーレンティーが否定する。ロムニーが否定する...。少しずつ、少しずつ。驚きと期待感が醸成される。

見事な情報戦略だった。

フロントランナーであるオバマは、バイデンという玄人好みの安全な選択をした。アンダードックであるマケイン陣営が、安全な選択をしてもしょうがない。タイミングとあわせて、秀逸な一手というべきだろう。

それはそうとして、旋風は旋風でも、気になるのはハリケーンですね。共和党大会の開会延期や、ブッシュ大統領の演説キャンセルも検討されているとか...。

2008/08/28

Born in the USA?! / 民主党大会最終日

演説の評価は一晩おいてからにしたい。これだけのスペクタルを見せつけられると、判断も鈍ってしまう。CNN、MSNBCは絶賛、Foxは意見が割れている、というのが今のところ。それでも、Materpieceという言葉が飛び交っている。

ポイントは、「司令官の資質」で正面から勝負する姿勢を明確にしたことだろう。ここ数回の選挙の鍵は、弱みを強みにする戦略だ。マケイン陣営は、オバマ候補だけに注目が集まっていることを利用して、選挙をオバマの信任投票に仕立て上げた。今度はオバマが弱みを強みに変える番だ。

経済面での演説は評価が分かれてしかるべきだろう。最後の10分は「らしい」演説だったが、最初の方の経済部分は、エドワーズ/ヒラリー流の「アイオワの誰々が...」と、クリントン・一般教書演説風のラウンダリー・リストが入り交じっているようだった。ヒラリーの経済政策がアピールするのであれば、ということかも知れないが、これまでのオバマのスタイルというよりは、クリントンスタイルだ。さて、それでは、経済政策を一言で表す言葉は有権者の心に残っただろうか?

いずれにしても、オバマ候補が伸びるとすれば、意外に「司令官」の資質の部門かもしれない。そんな印象を受けた。

そして、黒人が初めて大統領候補に指名されたこと。その歴史的な意味合いは、決して軽視できない。

一点だけ。ペロシ下院議長が大会を終了させた後、なぜ、Born in the USAを流したのだろうか?これは安易には使えないはずの曲なのだが...

やはり民主党はわかっていないのでは?と最後の最後に不安になってしまった。

追記:と、思ったら、これには結構深い意味があったという分析が...恐れ入りました。

Separate Lives :所得、貧困、医療保険

何でこの日にこのネタを?というところかもしれない。しかし、だからこそのこのページである。

8月26日に商務省センサス局が、2007年の所得・医療保険に関するデータを発表した。ブッシュ政権下の景気拡大の特徴が読み取れる興味深い数字である。

06年対比の数字では、貧困率はほぼ前年並み(12.3%→12.5%)、実質中位所得はやや上昇(49,568ドル→50,233ドル)、所得格差はわずかに縮小(ジニ係数で0.470→0.463)、無保険者(比率では15.8%→15.3%、人数では470万人→457万人)も減少した。これだけ見れば、悪くない数字である。

しかし、一歩引いて長めの視点でみると、様相が変わってくる。CBPPが指摘するように、所得や医療保険に関する数字は、前回の景気拡大時のピークにまで戻っていないのだ。07年以降の景気の弱さを考えると、今回の景気拡大は、前回の景気後退の落ち込みを取り戻すに至らないままに、終焉を迎えた可能性が高い。

縮小しているといわれる所得格差についても、センサス局の数字には注意が必要だ。CBPPのレポートの脚注にあるように、センサス局の数字には、①キャピタルゲインが含まれていない、②999,999ドル以上の所得を勘定しない、という特性があるからだ。このため、超高所得者の数字はこの統計には十分に反映されていない可能性がある。

この他にも、今回のデータの細部には、面白い特徴がある。まず、実質中位所得における世代格差である。2007年の実質中位所得は、前回の景気の谷だった2001年対比では1.5%上昇している(前回ピークの1999年対比では-0.8%)。これを世代別に分解すると、現役世代では減り具合が多きい一方で、退職年齢にさしかかってくる世代では、むしろ実質中位所得は上昇している。具体的には、15〜24歳:-3.7%、25〜34歳:-3.4%、35〜44歳:-0.5%、45〜54歳:-3.7%。ここまでは減少である。ところが、55〜64歳:6.8%、65〜74歳:9.2%の増加を記録している。所得の内訳はこの統計からはわからないが、直感的には勤労所得は伸びず、年金等がある年齢層は堅調、と読めなくもない。CBPPのレポートでは、公的年金の支給額が現役時代の賃金上昇率にリンクしている点を取り上げ、90年代の好景気を経験した世代の年金支給額が上昇しているとみている。ちなみに、前回の景気拡大はこうではなかった。景気の谷(1991年)と山(2000年)で比較すると、実質中位所得は10.6%増。15〜24歳:21.5%、25〜34歳:15.3%、35〜44歳:6.9%、45〜54歳:4.7%、55〜64歳:8.6%、65〜74歳:10.8%といった具合で、確かに高年齢層の伸びは大きいが、若年層でもかなり伸びている。

無保険者の数字も細部をみておきたい。無保険者が減ったといっても、民間保険については加入者数はほぼ同じ(2.02億人)、比率は低下(67.9%→67.5%)している。無保険者の減少に貢献しているのは、公的保険(加入者数は8030万人→8300万人、比率では27%→27.8%)だ。その内訳では、高齢者向けのメディケア(13.6→13.8%)、低所得層向けのメディケイド(12.9→13.2%)のいずれもが、存在感を増している。

ここから政治的な示唆を引き出したくなるのはやまやまだが、ある程度は自明だろう。政治的にはビッグイベントに食傷気味の今日この頃。とりあえずは数字の紹介に止めておきたい。

さて、そろそろ演説の時間になりそうだ。それにしても、40分は長いだろ。拍手も入れたら1時間近くになりそうだ。さてさて。

2008/08/27

Who's the Boss / 民主党大会3日目(プレビュー)

民主党大会も3日目。本日の主役、であるはずのバイデン候補にとっては、晴れがましい一方で、荷の重い一日だ。

バイデン候補の副大統領指名受諾演説は、文句無く今日の目玉となるはずの行事である。東部時間の10時30分に予定されている演説には、遊説から駆けつけたオバマ候補も立ち会う予定だ。しかし、バイデン候補の前には、「クリントン」の大きな影が差し掛かる。二日目から三日目にかけて、党大会の話題の中心は「クリントン」につきる。一日目のミシェル夫人の演説は上出来だったが、二日目が始まる頃には、メディアの関心はヒラリーの演説に完全に移動してしまった。そして、三日目にはクリントン大統領の演説もある。オバマ候補が不在であるという事情も手伝って、党大会はさながら「クリントン劇場」の様相を呈している。いかにして「クリントン劇場」から、「オバマ-バイデン」に焦点を切り返すのか。バイデン候補の役割は重い。

昨日のヒラリーの演説にもかかわらず、ヒラリー支持者には割り切れない思いが残っているといわれる(Saslow, Eli, "Many Clinton Supporters Say Speech Didn't Heal Divisions", Washington Post, August 27, 2008)。さらに今日はクリントン大統領の演説もある。大統領の演説は東部時間の午後9時から。主要メディアの放送が始まる午後10時よりも前のスロットで、時間も10分までに制限されているという。昨日のヒラリーと比べても、また、明日は野外スタジアムでゴア副大統領が喋ることを考え合わせても、存在感は削られている。それでも、メディアは「クリントン劇場」を盛り上げようとするだろう。討論会でみられたように、バイデン候補もしゃべりは悪くない。しかし、いかんせん有権者にはなじみが薄い。これまで毎日党大会に出席しつづけているのも、少しでもテレビに露出して、有権者に印象付けようという狙いのように思われる。

そもそも、バイデン候補の副大統領指名は、「玄人好み」の安全策だった。外交経験やブルーカラーの出自、カトリックである点や攻撃的な言動に長けている点など、バイデン候補はオバマ候補に欠けている点を上手く補う。地理的にも、オバマ候補が苦手とするペンシルバニア出身というプラスがある。さらには、重量級の副大統領候補をオバマ候補が選んだことで、テレビ討論会での「見栄え」などを考えなければならないマケイン陣営の副大統領選びも、一層難しくなっているという見方もある(Cummings, Jeanne, "Biden is Wrench in McCain's VP Choice", Politico, August 27, 2008 )。この辺は、オバマ陣営も計算ずくだろう。

その一方で、オバマ候補が「変化」という自らの強みをさらに光らせるような選択をしなかったのも事実である。むしろ、「変化」という切り口で言えば、ワシントンの超ベテランであるバイデン候補は、マケイン候補に近いとすらいえる。投票歴をみても、バイデン候補はリベラルな部類に入る。同じく投票歴がリベラルなオバマ候補と抱き合わせても、「新しい政治」につながる要素は見出せない。ギャロップ社の世論調査をみても、バイデン候補指名による支持率押し上げ効果は全くみられていない。

オバマ陣営は、「変化」の部分はオバマ自身の力で乗り切れる、という計算だろう。しかし、折角の晴れ舞台であるバイデン候補にしてみれば、一瞬にして注目が明日のオバマ演説に映ってしまうのも切ない話である。自分なら、クリントン大統領は最終日に持っていって、ゴア副大統領と一緒にオバマ候補の紹介役にすればいいのにと思ってしまう。まあ、そうすると、3日目自体が沈んでしまいかねないから、そこもオバマ陣営の計算には入っているのかもしれないが。

それはそうと、最終日のインベスコ・フィールドにはスティービー・ワンダーが登場するらしい。実は前評判では、ブルース・スプリングスティーンという噂も流れていた。大統領選挙が進むに連れ、良い意味で「人種」の問題もオープンに議論されてくるようになった気がする。ケリーはスプリングスティーン、オバマはスティービー・ワンダーというのも、一つのあり方なのだろう。それにしても、わざわざ噂を打ち消すプレス・リリースまで出ているとは...。

音楽の話で言えば、昨日ヒラリーが演説する前に流れた煽りビデオ(?)だが、なぜレニー・クラヴィッツのAre You Gonna Go My Wayが使われていたのだろう?ヒラリーは何をしゃべろうとしているのかと、一瞬ドキドキしてしまった。

...おっと、いけないいけない。今日はバイデン候補の日だった。まずはお手並み拝見だ。

2008/08/26

Goodbye Cruel World / 民主党大会2日目

ヒラリーの演説が終わった。冷静な分析はさておき、まずはすばらしい演説だった。抑えるべきポイントはすべて抑え、キャッチーなフレーズすらちりばめた。センチメンタルさはない。敗北のかけらもない。そこには、前進するヒラリーがいた。進み続ければ、オバマ候補を支持できる。そんなメッセージが組み立てられていた。

けれども、それだけにセンチメンタルにならざるを得なかったのも事実だ。ヒラリーにとって最後の党大会の晴れ舞台になるのだろうか。大歓声を受けるヒラリーを見るのはこれが最後なのだろうか。なぜヒラリーは今ここにいなければならないのか?

演説が始まった頃、画面に映ったクリントン大統領は、明らかに涙をおさえているように見えた。I love youとつぶやいているようにも見えた。後半部分、クリントン大統領の笑顔は、本当に嬉しそうだった。

そのクリントン大統領に、明日は舞台が回ってくる。二日間もクリントン家にスロットを与えた点を捉え、オバマ陣営は相当気を遣わざるを得なくなっているという指摘がある。しかし、クリントン夫妻は「政治家」だ。その底力を侮ってはいけない。与えられた役割はきっちり果たすだろう。争乱の前評判が高ければ高いほど、この二日間はオバマ陣営にとって大きなプラスになるに違いない。

むしろこの二日間は、クリントン夫妻にとってとても残酷な二日間だ。

ヒラリーはその残酷さをはねのけてみせた。だからこそ、クリントン大統領は笑っていた。

Keep Going.

ヒラリーは繰り返した。

Keep Going.

Where the Policies Have No Names / 民主党大会初日

民主党大会初日。注目されたミシェル夫人の演説は、なかなかの出来だった。ほどよくアップビートで、だからといって押し付けがましくない。自分たちこそがアメリカンドリームを体現してきたという主張を、あくまでもさりげなく、けれどもほがらかに訴えた。「変化」といった浮ついた言葉に舞い上がることもない。なにせChangeという単語は3回しか使われていないのだ。

トランスクリプトでは読み取り難いが、このほどよい雰囲気・トーンはなかなか出せるものではない。「クールさ」が時に批判されるオバマ候補に対して、ミシェル夫人には「高圧的」というイメージがあった。しかし、この辺りは上手くコントロールされていた。前回の大統領選挙では、夫人の演説は今ひとつだったので、久しぶりに驚かされた。

夫人の演説の大きな狙いは、オバマ候補に親近感をもたせること。支持率伸び悩みの要因となっている"otherness"の問題に切り込むことだった。その点では、演説もさることながら、その後に衛星放送で画面に登場したオバマ候補が語ろうとするタイミングで、振り付けを完全に無視した娘たちが呼びかけてしまう場面は、なんともアットホームな雰囲気だった。「子供を使うのはずるい」というのはいつの選挙でも聞く議論だが、こればかりはしょうがない。オバマ候補の登場を知らなかった娘たちは、「サプライズがある」と聞かされて、Jonas Brothersなの?と聞いたらしい。 ...どう考えても可愛すぎる。

それでも、オバマ候補が抱える最大の課題は解消されていない。それは、オバマ政権が、有権者を「どこに」連れて行こうとしているのか?という疑問である。ミシェル夫人は、「世の中をありのままに受け止めるのではなく、『あるべき姿』を求めるべきだ」と繰り返し訴えた。では、「あるべき姿」とは何なのか。医療保険や教育など、具体例を語る段になると、そのイメージは一気に散漫になる。これは「変革」を訴えるオバマ自身の演説にも共通した傾向である。具体案がないわけではない。欠けているのは、具体案を貫くストーリーであり、共感できる「あるべき姿」だろう。その意味では、「メッセージに欠けている」というカーヴィルの辛口コメントも頷ける。

National JournalのRonald Brownsteinは、オバマ候補の経済政策には、全体を象徴する標語が存在しないと指摘する(Brownstein, Ronald, "Direction Makers", National Journal, August 23, 2008)。クリントンであれば、New Democrat、 Third Way、 Putting People Firstといった言葉が思い浮かぶ。ブッシュ大統領なら Compassionate Conservatismだ。しかしオバマ候補は、こうした一言で政策の内容を示すような標語を持ち合わせない。そこにあるのは"Change You Can Believe In"であって、"Change"が何かは表に出てこない。むしろ、政策の内容ではなく、党派の違いを超えた団結、特殊利益からの決別、といったプロセスの変化に重点があるようにすら読み取れる。

あるいは、オバマ候補の政策への立ち位置は、"Clear-Eyed Pragmatist"という言葉に端的に表れているのかもしれない。バイデン議員を副大統領候補に選んだ際に、オバマ候補が同議員を評して使った言葉である。本選挙最大の掘り出し物サイト(?)であるfivethirtyeightは、オバマ候補が予備選挙で謳っていた壮大な「変化」のテーマは、今の有権者の雰囲気にマッチしないと指摘する。ブッシュ政権の問題が、腐敗や壊れたシステムの必然の帰結ではなく、ブッシュ自身の間違った判断にある以上、有権者が求めているのは、ブッシュと違った思考方式で、ブッシュが作り出した苦境から米国を救える候補者だというわけだ。

一方で、オバマ候補の経済政策やその政策哲学が、基本的には「大きな政府」の方向にあるのは事実である。言ってしまえば、リベラルの哲学に沿いながらも、現実的な問題解決を図るとういことなのだろうが、オバマ候補の立ち位置をどう整理するのか、研究者やメディアの間でも今ひとつ整理がついていない。有権者に「変化」のたどり着く行き先が見え難いのも無理はないところである。そして、こうした不透明さが、とくに日々の暮らしに不満をもっている白人労働者層が、オバマ支持に踏み切れない一つの理由になっているのだろう。

分かりやすいストーリーを描くことができるのか。それとも「変化」への求心力で押し切るのか。最終日に控えるオバマ候補の演説の見所である。

と、その前に、今晩はヒラリー劇場ですね。毎晩ハイライトは夜10時からなので疲れます。日本で観劇していた方がラクかも...

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長らく中断してきたTaste of the Unionですが、思い立って復活することにしました。いろいろ思うところはありましたが、立ち止まっていても始まらないということで。備忘録の側面が強くなるとは思いますが、密やかに続けていきたいと思います。お付き合いいただければ幸いです。

2008/02/02

Love and Hate : Update

自宅に届けられた朝刊(ローカルですが)に、例のオバマの医療保険関係広告の記事が載っていた。

しかし、そのタイトルは広告に抗議をしたクリントンのアドバイザーが、行き過ぎた批判を謝罪したというものである(Thrush, Glenn, "Clinton adviser apologizes for remarks on Obama ad", Newsday, February 2, 2008)。記事の内容も、積極的に攻めに出たオバマをあくまでも淡々と記し、それをMuveOnやオプラ・ウィンフリーがオバマ支持で動き出したという記述が続く。

断っておくが、これがヒラリー地元のニューヨーク・ローカル紙である。

ことほど左様に、メディアの流れはオバマにある。クリントン家は前評判を覆し続けてきたが、果たして今度はどうだろうか。

2008/02/01

成り上がりの悲嘆:エスタブリッシュメントとクリントン

民主党の予備選挙では、オバマ支持表明の流れが止まらない。2月1日には、ネットルーツの雄として知られるMoveOn(Zeleny, Jeff, “MoveOn Endorses Obama”, New York Times, February 1, 2008)、カリフォルニア最大の労働組合であるSEIU(Greenhouse, Steven, “Calif. Service Union Backs Obama”, New York Times, February 1, 2008)がオバマ支持を明らかにした。ヒラリーにとってはダブルパンチである。

目立つのは、女性の動きである。キャロライン・ケネディ女史もさることながら、最近では30日にカンサス州のキャサリン・シベリウス知事がオバマ支持を表明。他にも、アリゾナ州のジャネット・ナポリターノ知事、ルイジアナ州のキャサリン・ブランコ前知事、ミズーリ州のクレア・マッカスキル上院議員といった女性政治家が、オバマ支持を打ち出している(Seelye, Katharine Q., “Endorsement Scorecard”, New York Times, January 30, 2008)。変わったところでは、ヒラリー支持で知られるランゲル下院議員の奥さんもオバマ支持を宣言している(Chan, Sewell, “It’s Official: Alma Rangel Backs Obama”, New York Times, February 1, 2008)。下馬評ではシベリウス知事やマッカスキル議員は、オバマが勝った場合の副大統領候補にあげられている。お気づきの方もいると思うが、シベリウス知事が行った今年の一般教書演説への民主党からの反論演説は、「民主党だろうが共和党だろういが、何よりもアメリカ人であることが大切」と述べるなど、オバマの論調にそっくりだった。昨日の討論会の回答はともかく、ヒラリーが副大統領になる芽は薄いと思うが、黒人-女性のチケットが生まれる可能性はありそうだ(Cillizza, Chris, “The Line on Running Mates”, Washington Post, February 1, 2008)。

オバマ支持の広がりは、毛色の違う二つの方向から広がっている。ベテラン世代・エスタブリッシュメントと若者である。

エスタブリッシュメントという点では、大きな流れを印象付けたのは、1月28日のケネディ上院議員による支持表明だろう。民主党のシンボル的存在であるケネディ家によるお墨付きは、民主党支持者にとっては、クリントン陣営からの離反を妨げてきた精神的なバリアーを解く作用があったようだ。確かにクリントン家の民主党における存在感は大きい。しかし、ケネディ家に比較すれば、まだまだ「新参者」に過ぎない。

浮き彫りになったのは、エスタブリッシュメントとクリントン夫妻との微妙な関係である。民主党エスタブリッシュメントの間には、クリントン夫妻に対する愛憎半ばする感情があるようだ。エスタブリッシュメントの立場からすれば、クリントンは民主党を大統領に返り咲かせてくれた恩人である。しかし、クリントン夫妻のあくなき上昇欲は、エスタブリッシュメントからすれば自己中心的と映る。ホワイトウォーターやモニカ・ルインスキーといったスキャンダルの連発も当然記憶に残っている。

クリントン夫妻は、エスタブリッシュメントの一員になろうと必死に這い上がってきた政治家だ。政策面でも、労組との亀裂をはらみながら、知識人の好む中道路線を選んだ。しかしエスタブリッシュメントには、そうした夫妻の行動を上昇欲ゆえの計算高さと評価する風潮があった。メディアはJFKの再来を期待したが、クリントン夫妻はそこまで洗練されていなかった(Harris, John F., “Washington Elite Lead Clinton Backlash”, Politico, January 29, 2008)。

ケネディ上院議員は、クリントン前大統領の攻撃的な選挙活動に嫌気がさしたために、オバマ支持を明言するに至ったといわれる。さらに前大統領を批判する向きは、クリントン政権関係者の間にも広がっているという(Dionne Jr., “Hobbled by Hubby”, Washington Post, January 29, 2008)。最近のワシントンにおける反クリントン感情の強さは、クリントン政権時代以来みられなかった水準だという。こうした素地は前政権時代から培われていたようだ。

「変化」を掲げる候補者という点で、1992年のクリントンと今年のオバマには類似点がある。既成の秩序を乱されるという意味では、エスタブリッシュメントはオバマに警戒感をもってもおかしくない。しかし、オバマの「融和」を求める姿勢やクールな受け答えは、エスタブリッシュメントと相性が良い。以前からケネディ議員にアドバイスを仰ぐなど、オバマの対応もそつがなかった。なんと言っても、同じ「成り上がり」でも、オバマは圧倒的にスマートだ。

人種の問題も見逃せない。黒人の候補を支持できるというのも、エスタブリッシュメントにとっては魅力だからだ。米国では、少なくとも政治面では、黒人の進出に対する障害は既に取り除かれているという見方がある。欠けていたのは安心して投票できる候補であり、96年にパウエルが立候補していれば多分当選していただろうという指摘である(O’Sullivan, John, The Obama Appeal”, National Review, February 11, 2008)。その点オバマは、黒人でありながら声高に人種問題を訴えようとはしない。エスタブリッシュメントにとっては、二重の意味で安心できる候補なのである。

ケネディのお墨付きによって、オバマはエスタブリッシュメントにとって、名実ともに安心できる選択になった。同時に、「勝つのはヒラリー」という神話は崩壊し、オバマで本選挙も勝てるという計算が立ってきた。かつては黒人の圧倒的な支持がクリントン夫妻の救いだったが、今回は雲行きが怪しい。

ワシントン・ポストのデビッド・ブローダーは、「あまり気づかれていないが、民主党リーダーの間にクリントン夫妻を拒否する動きが大きくなっており、これによって選挙戦の流れはオバマに傾いている」と指摘する(Broder, David S., “A Matchup Starts to Take Shape”, Washington Post, January 31, 2008)。

政治というのは残酷なものだ。

そうえいば、ケネディからの電話を受けながら支持表明を逡巡していたリチャードソンはどうしたのだろうか(Vargas, Jose Antonio, “Richardson's Choice”, Washington Post, January 29, 2008)。討論会で人の話を聞いてなかったというのも(そしてそれをしゃべっちゃうのも)、リチャードソンらしいよなあ...。

オバマとヒラリー、そしてメディア:Love and Hate

昨晩米国では、オバマとヒラリーの討論会が行われた。無数に繰り返される討論会をいちいち見ることはしなくなって久しいが、ちょうど帰宅した時間だったので最後の部分だけをちらっとみた。

興味を引かれたのは、最後の質問(「互いを副大統領に選ぶか?」)の直前に行われた、それぞれの候補への個別質問である。オバマに対する質問は、「子を持つ親として、テレビ等の過剰な描写にどう対処すべきか」というもの。ハリウッド関係者が聴衆に多い中ではあまり厳しい態度はとれないという部分はあるが、概ね好評のオバマ家族のイメージを出せる側面もある。そもそもこの問題は、選挙戦自体の大きなテーマではなく、無難に回答が容易にみつかる「流し」の質問だ。これに対してヒラリーへの問いは、「子供の質問が出たところで、配偶者の話題を」という前振りから、「クリントン前大統領をヒラリー政権はコントロールできるのか」という質問へ進んだ。まさに今の予備選挙の核となる部分であり、ヒラリーにとって厳しい質問である。頭をかすめたのは、「メディアはオバマに優しすぎる」というクリントン前大統領の不満である。

オバマ急伸の一因として、クリントン前大統領によるオバマ攻撃が逆効果に働いたという見方が一般的である。E.J.ディオンヌは、クリントン前大統領が「悪い警官」を演ずることで作り出した苦々しさが、黒人票をオバマ支持に集束させ、白人票のヒラリーからの流出につながったと指摘する。ディオンヌはケネディ上院議員による支持表明に代表されるクリントン離れを誘発したことで、予備選挙の構図は根本から変わってしまったとまで述べている(Dionne Jr., “Hobbled by Hubby”, Washington Post, January 29, 2008)。

その一方で、メディアの「オバマ好み」はかねてから指摘されており、メディアの一部にもこうした傾向を認める向きがあったのも事実である。メディアは単純に新顔のオバマが勝ち上がっていくというストーリーを好んでいるというわけだ(Kurtz, Howard, “For Clinton, A Matter of Fair Media”, Washington Post, December 19, 2007)。

具体的な事例も少なくない。例えば、オバマ陣営の関係者がメディアを装ってオバマに有利な質問をしたことがあったが、メディア関係者はこれを問わなかった。しかし、同じようなケースがヒラリー陣営で発生したときには、大変な騒動になった。シカゴの有力支援者に関するスキャンダルについても、実際に当事者が逮捕されたタイミングがサウスカロライナでのオバマ勝利に重なっていたために、ほとんど報じられていない。

メディアはオバマの「融和」を掲げる姿勢を大きく取り上げる。しかし、オバマはしたたかな政治家であり、選挙運動は十分に攻撃的である。例えば医療保険改革である。昨日の討論会でオバマは、両者の医療保険改革案は95%同じだと述べた。その一方でオバマ陣営は、ヒラリーの医療保険改革案を批判するメールを関係者に送っている(Smith, Ben, “More negative mail”, Politico, January 31, 2008)。「(ヒラリー案は)保険料を払えない人にも医療保険への加入を強要している」と批判するロジックは、90年代に共和党がクリントン政権の医療保険改革案を廃案に押しやった当時を髣髴とさせる。何よりも、中年夫婦の写真を使っているところなどは、医療関連団体によるかの有名な「ハリーとルイーズ」広告のようだ。ポール・クルーグマンは、「事実を歪曲しており、改革実現に向けて非建設的。『希望の政治』などと良くいえたものだ」と手厳しい(Krugman, Paul, “Obama does Harry and Louise, again”, New York Times, February 1, 2008)。

もちろん、ヒラリー陣営も攻撃的な活動はしているだろう。しかしメディアに書きたてられる可能性が低ければ、オバマ陣営はこうした広告を打ちやすくなる。クリントン前大統領が憤るのも一理ある。

こうしたメディアを巡る問題は、クリントン陣営、より正確に言えば、「クリントン政権」に淵源があるという見方も可能だろう。クリントン政権とメディアとの関係は必ずしも良好ではなかった。「成り上がり者」として軽蔑されることを嫌うクリントンは、メディアに対して警戒心を抱いていた。度重なるスキャンダルを巡る攻防も、メディアとクリントンの関係を悪化させた。こうした関係は、現在の選挙戦にもある程度続いている。メディアのアクセスを制限し、メッセージをコントロールしようとするヒラリー陣営の戦略を、メディアは本音では好んでいないのではないだろうか。当時のクリントンは、既存の体制に挑む「若僧」だった。メディアやエスタブリッシュメントの中には、クリントンに対して複雑な感情をもつ層も少なくない。ケネディのオバマ支持にもみられたように、オバマの登場によってその暗部が一気に噴出したように感じられる。

同じようなメディアの「偏向」は、マケインについても指摘さている(Conason, Joe, “Will the press get over its love for McCain?”, Salon, February 1, 2008)。マケインは税制や移民問題で明らかに政策を変えている。しかしメディアが攻撃するのは、ロムニーの「日和見主義」である。オバマと同様に、マケインもしたたかな政治家である。フロリダの予備選挙でマケインは、「ロムニーはイラク撤退のタイムテーブル作りに賛成している」と繰り返し批判した。ロムニーは事実を歪曲していると猛反撃したが、メディアにこの点を厳しく叩かれた形跡は無いようだ。

メディアのストーリーラインが変わっていくかどうかは、選挙戦の今後にも少なからぬ影響を与える。「フリー・メディア」と呼ばれるように、メディアによる好意的な報道は自前では賄えない広告活動になる。スーパーチューズデーのように、米国全土での選挙活動が必要とされるときはなおさらだ。

それにしても、オバマ・マケイン対決が実現した場合に、メディアはどう報道していくのだろうか。これもまた興味深いところである。

2008/01/31

How Economy Learned to Stop Worrying and Love McCain

スーパーチューズデーでマケインの指名獲得がほぼ確実になる可能性が出てきている。一旦は消えたと思われたマケインがなぜ復活できたのか。ニューハンプシャーでの「番狂わせ」と同様、選挙ウォッチャーが考えなければならない課題である。

トリッキーな要素の一つは経済の争点化だ。ロムニーはビジネスの経験もあり、経済に関する提案も緻密である。パワーポイントを使ったプレゼンテーションなどは、大統領候補としては異例だろう。ロムニーのミシガンでの勝利は、景気停滞に苦しむ同地域で、経済問題に焦点を絞った戦いが功を奏したという見方が一般的だ。立候補以前のスタンスや宗教上のハンデも手伝い、ロムニーは社会政策を中心に保守派の獲得を目指さざるを得なかった。しかし、経済問題への論点の移動は、ロムニーが最も得意な分野で勝負できるきっかけになるはずだった。対照的にマケインは、自ら「経済に関する知識は自分が理解すべき水準に達していない」と発言したことがあるほど、経済には強くない(Holmes, Elizabeth, “Romney’s New Groove”, Wall Street Journal, January 26, 2008)。発言を追っていても、景気対策の必要性を否定したり、デトロイトで「失われた雇用は戻ってこない」と「直言」してしまったり、グリーンスパンを賞賛してみたり(Eilperin, Juliet, “McCain's Economic Strategy: Bring in Greenspan”, Washington Post, January 17, 2008)。「ぶれのない姿勢」といえなくもないが、なんともタイミングが悪い。

それでも経済の争点化は、マケインにプラスになっている側面がある。四つの点を指摘したい。

第一は、経済争点化の裏側にある、テロ・イラク問題に対する有権者の関心の変化だ。経済の争点化と反比例するように、米国民のテロ・イラク問題への関心は低下している。このことは、二つの点でマケインにプラスに働いている。第一は、テロに対する関心の低下が、共和党のかつてのトップランナーだったジュリアーニの失速を招いた点だ。かつてバイデンが「ジュリアーニは、母音と子音と9-11しか話さない」と揶揄したように、ジュリアーニは9-11で得たヒーローとしてのイメージに頼りつづけた。こうした戦略は、有権者の関心の変化に対応しきれていなかったといわざるを得ない(Smith, Ben and David Paul Kuhn, “Rudy Defeat Marks End of 9/11 Politics”, Politico, January 30, 2008)。ブッシュの低支持率を鑑みれば、2002年や04年にブッシュが取ったのと同様のスタンスが通用すると考えるのが甘かった。マケインにとっては、有力な対抗馬が消えただけではない。ジュリアーニの支持層は、中道派であり外交政策での強さを求める。最も流れやすい次の候補はマケインだ。

第二はイラクにおける「増派」の成果である。中長期的な安定につながるかどうは別として、ブッシュ政権による「増派」がイラク情勢をある程度落ち着かせているのは事実である。マケインは「増派」の提唱者であり、常にこれを支持し続けてきた。こうしたマケインの姿勢は、一時は選挙でマイナスに働くとみられていた時期もあったが、現時点では大きなプラス要因として働いている。ジュリアーニは、9-11の成果を掲げながら、イラク情勢も改善させると主張した。しかしイラク情勢は、マケインが提唱しつづけてきた政策を維持することで、実際に改善してしまった。ここでも時代はマケインに動いていた(Bai, Matt, “The Post-Surge Campaign”, New York Times, January 30, 2008)。

経済の争点化がマケインにプラスに働いた第二の要因は、やはり「裏側」の動きにある。具体的には、移民問題の存在感の低下である。ブッシュ政権が掲げる「包括的な移民政策」は、不法移民に対する厳しい対応を優先する保守層に極めて評判が悪かった。昨年夏ごろにマケインが不調になった最大の理由は、民主党のケネディ議員と組んで、議会でブッシュ政権の「包括的な移民政策」の立法化を進めようとした点にあった。しかし、経済問題に争点が集中してくる中で、移民政策に関する議論は下火になってきた。そもそも移民問題は共和党陣営に限定された論点だった。それはどちらかというと社会的・感情的な側面からの関心であり、民主党側から起こるような雇用・経済に結びついた議論ではなかった。そして、経済への懸念が共和党にも広がる中で、移民問題の比重は低下していった。また、逆説的だが、ケネディ・マケイン法案の挫折も、移民問題の存在感が低下する一因になっている。その間にマケインは、国境警備の強化を重視する方向に、自分のスタンスを動かしている。ケネディ・マケイン法案についても、1月30日の討論会では、現在だったら賛成票を投じないとまで述べているほどだ。こうした方針転換を大騒ぎされずに行えたのも、移民問題の存在感の低下に拠る部分が大きい(Seib, Gerald, “McCain Gains as Furor Over Immigration Cools”, Wall Street Journal, January 29, 2008)。

第3の要因は、経済に対する不満がブッシュ政権に対する批判と重なっている可能性である。イラク情勢が安定化しながらもブッシュ政権の支持率が回復しない一因は、経済情勢の悪さの責任を問われているためだと考えられる。そして、フロリダの出口調査によれば、ブッシュ批判票を集めたのがマケインだった。

この辺りは、今回の選挙戦におけるマケインの存在のトリッキーさである。エスタブリッシュメントに立ち向かう「一匹狼」として戦った2000年の選挙戦と違い、今回の選挙戦ではマケインはエスタブリッシュメントの一員として戦おうとした。ブッシュ政権との禍根も清算し、イラク政策ではブッシュの支持にも回った。しかし有権者の中には、やはり「一匹狼」としてのマケインのイメージが染み付いている。だからこそ、マケインに反ブッシュ票が集まったという考え方も成り立つ(Cost, Jay, “How McCain Won”, Real Clear Politics, January 30, 2008)。

同時に、こうした有権者の「物覚えの良さ」は、移民問題に関してもマケインにプラスに働いているようにみえる。残された強硬な反対派の怒りが専らブッシュ政権に向かい、同じような政策を支持した筈のマケインは切り離されている気配がある(Weisman, Jonathan and Paul Kane, “After Romney’s Barrage, McCain Stands Tall”, Washington Post, January 30, 2008)。

第4の要因は、マケインの経済政策の中身が、ブッシュ政権に対する保守層の反感にマッチした可能性である。マケインの経済政策の基本は歳出削減の重視にある。2001・03年のブッシュ減税に反対票を投じた点は、減税を好む保守層から批判されている。しかし、保守層はブッシュ政権下の歳出拡大にも強い不満をもっている。今年の一般教書演説で、ブッシュ大統領が利益誘導型の歳出(Earmark)の削減を訴えた背景にあるのもこうした保守派の不満だ。経済保守はロムニー寄りといわれるが、歳出削減という点では、マケインこそが保守層にアピールしたというわけである(Henninger, Daniel, “What McCain’s Got”, Wall Street Journal, January 31, 2008)。

もちろんマケイン陣営も、経済争点化への対応を進めている。そこには二つの論法がある。第一は、議員としての自らの経験を強調すること。「レーガン革命の歩兵として戦い、上院商業委員会の委員長も務めた」といった具合である(Leonhardt, David, “McCain’s Fiscal Mantra Becomes Less is More”, New York Times, January 26, 2008)。第二は、キャラクターの議論に持ち込むことだ。そこでの構図は、ヒラリーとオバマの論争に似た部分がある。マケインは、ロムニーが細部にわたる知識の豊富さを誇っている点を逆手に取り、「マネージャーを雇うのは簡単だ。(しかし)リーダーは実際の(政治)経験と国家に仕える愛国心を持たなければならない」と述べている(Holmes, ibid)。「政策通よりもキャラクター」という論法は、オバマがヒラリーを皮肉って「自分はCOOではない」と述べたことを彷彿とさせる。ちなみにヒラリーは、「大統領とはCEOとCOOを兼務すること。自分は現場にかかわるマネージャーになる」と反論している(Snow, Kate and Susan Kriskey and Eloise Harper, “Clinton: Unlike Obama, I'm Ready to Be CEO and COO”, ABC News, January 16, 2008)。

有権者にも経済問題の点でマケインを懸念する傾向は今のところみられない。それどころか、フロリダの出口調査では、経済問題を重視する層が、ロムニー(32%)よりもマケイン(40%)に入れている。


ところで、経済問題での切り返し方に限らず、マケインとオバマの選挙戦には似通った傾向が少なくない。詳しくは後日に譲るが、第一はここで述べた政策通よりもキャラクターという論法であり、第二は超党派・融和へのメッセージ、第三はメディアとの相性のよさ、そして第四に生い立ち(軍人・黒人)から来る攻撃のしにくさである。

共和党ではロムニーが劣勢に立っている。果たしてヒラリーはどうだろうか。

For the Record FL: How McCain could Win

フロリダの予備選挙は、共和党のフィールドを一気に狭めた。トップランナーといわれたジュリアーニは、結局のところ一度も浮上する機会がないままに、戦線から離脱していった。スーパーチューズデーは、事実上マケインとロムニーの一騎打ちの様相を呈してきたが、実際にはマケインがここで勝負を決める可能性が高いという見方も可能である。この点については、後ほど詳しく紹介する。

民主党については、フロリダの結果もさることながら、アップした数時間後にエドワーズが戦線から離脱してしまった。側近ですら驚いたというのだから仕方がないが(Chozick, Amy, Christopher Cooper and Nathan Koppel, “Edwards’s Exit Weighs on Outcome”, Wall Street Journal, January 31, 2008)、エドワーズの票と資金の行方が注目されるという事実に違いは無い。資金については、エドワーズの集金力はヒラリーやオバマには劣る。それでも07年第3四半期の献金額は3000万ドル。同時期に共和党のトップランナーであるマケインが集めた金額とほぼ同レベルである。票という観点では、全国レベルでみればほぼイーブンではないかと思われる。ただし、予備選挙は地域ごとなので影響も微妙になる。民主党の30%ルールを考えると、ヒラリーに白人票が流れる分、南部の代議員数で差がつきにくくなったかもしれない。

ニューヨークタイムスのロン・クラインは、ポイントになるのは、エドワーズ支持者は「変化」を求めるのになぜオバマに投票しなかったのか。そして、黒人に抵抗感があるのになぜヒラリーに投票しなかったのかという問いかけだと指摘する(Klain, Ron, “Plotting the Post-Edwards Strategy”, New York Times, January 30, 2008)。オバマはエドワーズ支持層が求める「戦う姿勢」を見せる必要がある。ヒラリーはエドワーズが「自分のことを気にかけている候補者」としてエドワーズに集まった票を、政策ではなく感情に訴えかけることで引き寄せる必要があるというわけだ。


まずは結果。

①共和党
マケイン:36%
ロムニー:31%
ジュリアーニ:15%
ハッカビー:13%

②民主党
ヒラリー:50%
オバマ:38%
エドワーズ:14%

民主党は民主党本部がフロリダにペナルティーを課したこともあり、選挙活動が行われないというイレギュラーな予備選挙になった。ヒラリーの勝利がスーパーチューズデーに向けたモメンタムになったかどうかは議論がわかれる。

共和党については、なんといってもマケインの勝利が大きい。これまでの予備選挙では、マケインは無党派層に支えられた部分が少なくなかったが、フロリダは共和党支持者として登録しなければ投票できない。マケインは、「共和党でも勝てる」ことを示した格好だ。

もっとも、内情はそれほど簡単ではない。出口調査に明らかなように、マケインの支持層はやはり中道よりである。

まず支持政党でみると、共和党支持者(投票者の80%)ではマケインとロムニーは33%で並んでいる。17%を占めた「無党派など」で、マケイン(44%)はロムニー(23%)を大きく引き離している。主義の観点では、保守(61%)ではロムニー(37%)がマケイン(29%)を上回っているが、穏健(28%)・リベラル(11%)ではマケインがそれぞれ43-21、49-24でロムニーを上回った。さらに特筆されるのは、反ブッシュ票がマケインに流れている点である。ブッシュ政権にネガティブな感情を持つ層(32%)ではマケイン(45%)がロムニー(23%)を大きく上回る一方、ポジティブな感情を持つ投票者(68%)はマケイン(33%)よりもロムニー(35%)に流れた。いずれのケースでも、投票者の多数を占める層ではロムニーがリードしたものの、少数層でマケインに引き離された故の敗北となっている。2000年のフロリダでは、マケインは「非常に保守」といわれる層でブッシュに7対1の差をつけられた。今回の差は2対1なので、主流派への歩みよりはある程度進んでいる。それでもマケインの「反主流派」振りが消えたわけではない。

もっとも、こうした留保点は残しつつも、マケインにはスーパーチューズデーで共和党候補の指名獲得を手中にする可能性がある(Martin, Jonathan and David Paul Kuhn, “McCain Takes Charge with Florida Win”, Politico, January 30, 2008)。大きな理由は、マケイン・ロムニー以外の候補にある。第一はジュリアーニである。ジュリアーニの撤退は、中道層の多い北東部でマケインに有利に働く。ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット、デラウェアに加え、地元であるアリゾナで勝てば、カリフォルニアを別にすれば、マケインは獲得代議員数でロムニーに大差をつけられる。他方、カリフォルニアは下院選挙区ごとに代議員が割り当てられているので、勝者総取りの場合のような大差はつきにくい。第二はハッカビーである。ハッカビーの継続参戦は、ロムニーとの間での保守票の分裂要因になる。とくに南部のアラバマ、ジョージア、オクラホマ、テネシー、アーカンソーといった州では、宗教保守派の票がハッカビーに流れかねない。計算上は、スーパーチューズデー後にもロムニーに逆転の道筋は残るかもしれないが、ロムニーは自らの資産を選挙戦につぎこんでいる現状だ。対照的にマケインは、資金不足といってもメディアの好意的な扱いに助けられている。

ところで、マケインの反主流的なアピールは、本選挙ではプラスに働くと考える向きが多い(Balz, Dan, “For McCain, Momentum That May Be Hard to Stop”, Washington Post, January 30, 2008)。共和党が大統領選挙に勝つためには、無党派層をいかに取り込むかが重要な課題になる。2006年の議会選挙での敗北が、無党派層の取りこぼしが最大の要因だった。加えて、他の有力候補と異なり、移民の受け入れに寛容な姿勢を示していたことから、ヒスパニック層への食い込みも期待できる。実際にフロリダでは、ヒスパニック(12%)の54%がマケインに投票している。民主党では党派を超えた支持を集めるオバマが健闘している。共和党で対抗できるのはマケインだというわけである。このため、政策の面では異論のある保守層も、大統領選挙での勝利という大目標の下に、マケイン支持で固まっていく可能性がある。

フロリダは、共和党の置かれた厳しい状況がよく反映された州である(Dade, Corey, “Are Republicans Losing Panhandle Grip?”, Wall Street Journal, January 31, 2008)。有権者登録数をみると、2006年秋から昨年末までに、民主党は有権者を1万7千人増やしており、共和党はほぼ同じ程度の有権者を失っている。また、ヒスパニック層の民主党シフトも進んでいるといわれる。住宅バブル崩壊の影響も厳しく、中間層の現政権に対する不満は高まっている。2000年の大統領選挙を決したフロリダを落とせば、共和党のホワイトハウス維持は難しくなる。こうした中で、共和党の地盤維持を指揮するクリスト州知事は、予備選挙直前にマケイン支持を表明した。

予備選挙の初期段階(といってもつい最近のことだが)では、「民主党はまとまっており有力候補も絞られている、共和党は分裂しており混戦」といわれていた。しかしスーパーチューズデーが終わってみると、「民主党は分裂、共和党は団結」という構図が生まれるかもしれない。

2008/01/29

For the Record SC : He is Still Standing

フロリダでジュリアーニが去るかどうかという瀬戸際なのに、昔を振り返るのも心苦しいが、サウスカロライナの結果をまとめておきたい。

結果はご存知のとおり、オバマの圧勝である。その後のケネディ家によるオバマ支持の発表もあり、風向きはまたオバマの方向に吹きつつあるようにも感じられる。

数字は次のとおりである。

オバマ:56%
ヒラリー:27%
エドワーズ:18%

出口調査についていえば、これも既に大きく報道されているように、黒人票が圧倒的にオバマに集まったことで選挙は決まった(オバマ78%、ヒラリー19%、エドワーズ2%)。背景には、①黒人層が、オバマのアイオワでの勝利によって「黒人初の大統領」の実現を信じられるようになってきた、②クリントン陣営(とくに前大統領)によるオバマ攻撃が逆効果になった、という二つの点が指摘されている。既に取り上げたように、ヒラリーはミシガンでも黒人票を30%しか取れていなかった。その流れは続いているようである。

隠れたストーリーは、白人票である。事前のストーリーでは、地元のエドワーズがヒラリーと白人票を分け合い、結果的にヒラリーはオバマに届かないという筋書きがいわれていた。結果的には、黒人票の差が大きすぎたので、そうしたストーリーは前面には出てこなかった。しかし実際に、白人票はエドワーズとヒラリーで割れた(エドワーズ:40%、ヒラリー:36%、オバマ:24%)。白人層からのエドワーズの得票は、それまでの3州(アイオワ、ニューハンプシャー、ネバダ)の平均(17%)から23ポイント上昇している。これに対して、ヒラリーは3ポイント、オバマは10ポイントの減少となった。

とくに注目されるのは、投票日が近くなってきてから、白人票がヒラリーからエドワーズに流れた可能性がある点だ。ジョージ・ウィルによれば、1週間以内に投票先を決めた白人層の半数がエドワーズに入れている。ウィルは、クリントン夫妻のネガティブな選挙運動への反感から、白人層がエドワーズに流れたと指摘している(Well, George F., “Staying the Coarse”, Washington Post, January 29, 2008)。

度重なる敗北にもかかわらず、エドワーズ陣営は予備選挙から撤退しない方針を明らかにしている。その背景として囁かれているのが、民主党のキングメーカーを狙った思惑である(Bolton, Alexander, “Edwards Eyes a Brokered Convention”, The Hill, January 29, 2008)。いずれの候補者も過半数の代議員を確保できなかった場合、決着は党大会に持ち込まれる。そこでエドワーズが獲得した代議員が勝負を決めるというわけである。勝者総取り形式の多い共和党と違い、民主党の予備選挙は比例配分の色合いが濃く、各小選挙区で30%以上の票を獲得した候補には同数の代議士が配分されるケースが多い。オバマとヒラリーが競っている状況では、最後まで代議士数に大きな差がつかない可能性があるからだ。それどころかエドワーズ陣営は、「最も当選可能性がある候補」という視点から、代議員が党大会の場でエドワーズを指名する可能性すらあると指摘する。

本当にエドワーズがキングメーカーになる局面があるかどうかは別にして、エドワーズの参戦継続は、スーパーチューズデーの結果にも微妙な影響を与える(Cillizza, Chris, "The Edwards Factor", Washington Post, January 29, 2008)。二つの視点が指摘されている。第一に、エドワーズ陣営が狙っている州(ジョージア、アラバマ、テネシー、ミズーリ、ミネソタ、ノースダコタなど)に、オバマとの重なりがみられる点である。これらの州は共和党が比較的強い州であり、中道寄りにアピールできるオバマ陣営が重点とする州である。同時に、南部・農村地域はエドワーズが頼みにする地域だというわけだ。

もっとも、ワシントンポストのクリス・シリザは、ジョージアやアラバマといった南部の州では黒人票がオバマに集まるため、エドワーズの参戦継続によってもオバマの優位は変わらないと指摘する。むしろ第二の視点として見逃せないのは、ヒラリーとオバマがいずれも重視しているテネシーやミズーリでの、白人票の動きである。サウスカロライナと同様に、白人票がヒラリーとエドワーズに割れた場合、オバマが漁夫の利を得る可能性が指摘できる。

それにしても民主党の予備選挙は、トップランナーの争いが過熱する中で、党内の様々な緊張関係が焙り出される展開になっている。人種の問題、クリントンに対する複雑な感情、中道路線の是非、そして世代交代論。複雑化する各候補の選挙戦略は、少しのひずみも見逃さずに、そこを利用しようとする。多用な支持者を統合しているのが民主党の特質だといえばそれまでだが、このままでは本選挙への後遺症を心配しなければならなくなるかもしれない。

2008/01/22

How Late is Too Late?:景気刺激策への奔流

FEDによる緊急利下げが実施された。米経済を巡る状況は日に日に厳しさを増しており、盛り上がり始めた予備選挙もどこかに飛んでいってしまったような感がある。

ワシントンでは、景気対策を巡る議論が加速している。当初は1月28日の一般教書演説で景気対策を発表すると見られていたブッシュ大統領は、予定を繰り上げて18日にはGDP1%程度の刺激策を支持すると発表。22日には議会民主党との会合を開いている。タイミングの合わせにくさが指摘される景気刺激策だが、下院銀行委員会のフランク委員長は3月初めには審議を終えられるとの見方を披露している(Sahadi, Jeanne, “Tax rebates: Where's your check?”, CNNMoney, January 19, 2008)。2001年のブッシュ減税(5月末審議終了)、03年のブッシュ減税(同)、また、02年の景気対策(前年の9-11対応で議論が始まり、2月に審議終了)など、景気関連の審議は半年程度かかるのが通例。もし3月までに可決にこぎつけられれば、米国にしては異例に速い議論の進み方になる。

刺激策には二つの追い風が吹いている。第一は今年が国政選挙の年であること。大統領選挙にばかり目が行きがちだが、議会も秋には改選を迎える。第二に、政権と議会を違う政党が支配する「分割政府」であること。お互いに審議遅延の攻めを追いたくないという意識が働いている。平時であれば、「分割政府」は、政策決定の遅滞を招きがちだが、今は平時ではない。昨年までの米国政治は党派対立の厳しさが目立ったが、景気の急速な減速はワシントンの風景を変えつつある。

もっとも問題は、刺激策がどの程度の効果を持つかである。

ミシガン大学のクリストファー・ハウス等は、多くは期待できないと指摘する。主力と想定される戻し減税と投資減税の実績が芳しくないからである("Bush Stimulus May Have Only Modest Effect", Wall Street Journal, January 10, 2008)。

戻し減税については、2001年の事例がある。2001年の場合、戻し減税を消費に回すと回答した家計は22%に過ぎなかった(Shapiro, Matthew D. and Joel Slemrod, “Consumer Response to Tax Rebates”, NBER Working Paper No.8672, December 2001)。多くの部分は貯蓄に回されており、実際にこの時期には貯蓄率の上昇がみられたという。投資減税については2002年の例がある。当時の投資減税は、償却期間の長い設備に対象が絞られており、この部分では40%程度の投資促進効果があったとみられる。しかし、対象が極めて限定されていた上に、設備投資はGDPの8%程度に過ぎないために、景気への影響も限定的だったと指摘されている。加えて、投資減税は企業が投資を実施する時期を早めるだけで、追加的な投資を誘発する措置ではない。このため、長期的な成長力にも影響は与えられないという。また、タックス・ポリシー・センターのレン・バーマンは、2003年のブッシュ減税で2002年の投資減税の拡大・期限延長が行われた先例があるため、今回も企業は様子見を決め込むかもしれないと警告する。

他方で、2001年の戻し減税については、納税者の手元に渡ってから6ヶ月以内に三分の二が使われたという調査もある(Johnson, David S., Jonathan A. Parker and Nicholas S. Souleles, “Household Expenditure and the Income Tax Rebates of 2001”, NBER Working Paper No.10784, September 2004)。ブルッキングス研究所のジェイソン・ファーマンによれば、IRSは6月末までには戻し減税のチェックを送付し始められるという。Economy.comのマーク・ザンディは、戻し減税が1000億ドルの戻し減税が実施され、その三分の二が年末までに消費されれば、年率でGDP1%に相当すると指摘する(Sahadi, ibid)。

景気対策の主力が金融政策である点については、米国では異論はない。ハーバード大学のフェルドシュタイン教授は、2002年8月の講演で、マクロ経済を安定させるためのツールとしては、一般的には裁量的な財政政策よりも金融政策の方が優れていると指摘、「議会が景気刺激策の必要性を論じ始めるのは、景気が拡大に転じたことを示す最も良い指標かもしれない」とすら述べている(Feldstein, Martin, “Is There a Role for Discretionary Fiscal Policy? : comment”, August 2002)。しかし現在では、そのフェルドシュタイン教授さえもが、緩和的な金融政策と拡張的な財政政策のミックスが必要だと説いているのが現実である(Feldstein, Martin, “How to Avert Recession”, Wall Street Journal, December 5, 2007)。

市場のプレッシャーを受けながら、ワシントンは景気刺激策へと突き進みつつある。

For the Record MI NV SC:Last Man Standing ?

他の仕事に忙殺されているうちに、予備選挙が立て続けに終わってしまった。とりあえず結果だけは記録しておこう。

民主党
①ミシガン(1月15日)
クリントン:55%
支持者なし:40%
②ネバダ(1月19日)
クリントン:51%
オバマ:45%
エドワーズ:4%

共和党
①ミシガン(1月15日)
ロムニー:39%
マケイン:30%
ハッカビー:16%
②ネバダ(1月19日)
ロムニー:51%
ポール:14%
マケイン:13%
ハッカビー:8%
トンプソン:8%
ジュリアーニ:4%
③サウスカロライナ(1月19日)
マケイン:33%
ハッカビー:30%
トンプソン:16%
ロムニー:15%
ジュリアーニ:2%

民主党側では、ヒラリーが調子を取り戻したようにみえる。他の有力候補者の名前が投票用紙に無かったミシガンはともかく、有力労組がオバマ支持に回ったネバダで勝ったのは大きい。いぜんとしてサウスカロライナではオバマにリードを許しているが、スーパーチューズデーに向かう体勢は悪くない。

入口調査からの気づきの点は2つ。まずミシガンでのヒラリー支持の絵柄である。ミシガンは民主党指導部の要請を跳ね除けて予備選日程を早めたため、多くの候補が正式に予備選に参加しなかった。それでも、「支持者なし」が40%となったのは、ヒラリーの上限がこの程度(55%)という解釈も可能だろう。当初からいわれていたことだが、ヒラリーはある程度固い支持がある一方で伸び代は少ない。自分がこの予備選をObama’s to loseと考える一因である。また、黒人の68%が「支持者なし」と投票しており、サウスカロライナでのヒラリーの苦戦を予想させる。

第2点は繰り返しになるが、ヒラリーの立ち直りとエドワーズの落ち込みの連関性である。ネバダは労組の力が強い。エドワーズはそこを頼みにしていたが、直前になって有力労組(Culinary Workers Union)がオバマ支持を打ち出した。蓋をあけてみると、労組票はクリントン45%、オバマ44%と割れ、エドワーズは7%に沈んだ。

共和党では、ロムニーとマケインが待望の勝利をあげた。ロムニーにとっては、ミシガンでの勝利が無ければ撤退もありえただけに、その意味では大きい勝利である。ただし、全国区でのストーリーは、間違いなくマケインの復活だろう。いまや全国調査でも、マケインは共和党のトップ候補である。

入口調査から見たマケイン復活の特徴は、党派を超えたアピールにある。逆にいえば、共和党ベースはマケインに対してまだ距離を置いている。共和党支持者の投票行動をみると、ニューハンプシャーでは、マケイン35%・ロムニー33%、ミシガンではロムニー41%・マケイン27%。一方の無党派層は、ニューハンプシャーではマケイン40%・ロムニー27%、ミシガンではマケイン35%・ロムニー29%である。また、マケインにとって特に大きな勝利となったサウスカロライナでは、投票者の80%を占める共和党支持者では、ハッカビー(32%)がマケイン(31%)を上回っている。投票者の18%である無党派層の42%がマケインに入れたことで、勝負が決まった格好だ(ハッカビーは25%)。

マケインにとって、無党派層にアピールできる点は、本選挙で勝てる可能性を高くする。ただでさえ、共和党予備選挙への参加者は伸び悩んでいる。マケインはサウスカロライナで勝ってはいるが、得票数は2000年に同州でブッシュに負けたときよりも少ない。今共和党に求められているのは、中道よりの共和党支持者や無党派層に働きかけられる力だという指摘もある(Seib, Gerald F., “GOP Can Revive Curbed Enthusiasm”, Wall Street Journal, January 22, 2008)。実際に、共和党予備選での復活と歩調を合わせるように、マケインはヒラリーとの仮想対決でも優位に立っている。

共和党は経済保守(ロムニー)、社会保守(ハッカビー)、外交保守(ジュリアーニ/マケイン)に分裂していると指摘される。外交保守ではジュリアーニが強かったが、ここにきてマケインに乗り換える向きが増えているという(Kamiya, Gary, “Dead party walking”, Salon, January 22, 2008)。これまでとは違い、今後の予備選挙では共和党支持者だけが投票できる州が少なくない(Dionne Jr., E. J., “Crunch Time for McCain”, Washington Post, January 22, 2008)。「勝ち馬」を探す方向で共和党がまとまれるかどうかが、マケインの予備選挙での戦いを左右することになりそうだ。

2008/01/09

For the Record : Devils in NH

一夜明けて、昨日の結果についてはさまざまな分析がある。思い切りはずしてしまった評論家たち(人のことは言えないが...)のいい振りは楽しみではあったが、あまり読み込む余裕がなかった。勇んでいつもより早く家を出たら、通勤電車がブレーキ故障で立ち往生。乗り換えさせられた満員電車に閉じ込められてしまったのだ(思い切り焦げたにおいがしました)。

仕方がないので、とりあえずDavid Brooksのコラムを紹介しておく。共和党予備選での投票者が多かったことを指摘しているところなどは、さすがにそつがない(Brooks, David, “Surprise Parties”, New York Times, January 8, 2008)。

ここでは、例によって数字を整理しておきたい。

投票結果はここ

①民主党
クリントン:39%
オバマ:36%
エドワーズ:17%

②共和党
マケイン:37%
ロムニー:32%
ハッカビー:11%
ジュリアーニ:9%
トンプソン:1%

入り口調査については、NYTだけでなく、CNNMSNBCにも出ている。それぞれ結果を出してくれる設問が違うので面倒だが、まずは民主党について、ざっくりと見比べてみた。

気づいた点は二点ある。

第一に、ニューハンプシャーでヒラリーを支えた支持層として、女性・低学歴・暮らしの厳しい層という絵柄が浮かび上がってくる。アイオワでは女性はヒラリーよりオバマを支持したが、ニューハンプシャーではこれが逆転した。また、学歴が低くなるほど、そして、家族の経済状況に対する見方が厳しくなるほど、ヒラリー支持が高くなり、オバマ支持が低くなる。オバマとヒラリーの支持層を評して、「ワインとビール」という言い方がされたが、ニューハンプシャーではこうした傾向が鮮明に出た。経済問題を重視する層がヒラリーを選んだ割合も、アイオワの26%に対してニューハンプシャーは44%と極めて高くなっている。前述のコラムでDavid Brooksは、「労働階級の女性(ウェイトレス・ママ)はヒラリーを支持し続けた」と指摘している。暮らしに密着した問題意識が、ヒラリーの背後にはあるのかもしれない。

投票日の前日に「散文より詩」と書いていたE.J.ディオンヌは、しぶしぶ前言を撤回しながら、「暮らしに問題意識をもつ人たちは、具体的な提案を求めているのかもしれない」と指摘している(Dionne, Jr., E.J., ”Hillary's Winning Wonkery”, New Republic, January 09, 2008)。そこで引き合いに出されているのが、後期のクリントン大統領が一般教書演説で細かい提案を並べ立てたときのことである。こうした演説は評論家には不評だったが、世論調査では好評だった。ちなみに、当時「小さな提案戦略」の背後にいたのは、今回ヒラリーが負けていたら立場が危うかったといわれる、マーク・ペンである。

第二に、ニューハンプシャーで負けたのは、オバマではなくてエドワーズではないかということだ。アイオワと比較した場合、ヒラリー票が伸びている層には、エドワーズ票が減少している層との重なりが目立つ。

例えば女性票である。たしかにヒラリーの女性票は30%から46%へと増加しているが、オバマの女性票は35%から34%へと微減したに過ぎない。他方で、エドワーズの女性票は23%から15%へと大きく減っている。

また、前述の暮らしに密着した問題意識をもつ層は、エドワーズからヒラリーへと流れた雰囲気がある。例えば、経済を重視する層の場合、ヒラリー票が18ポイント増加している一方で、オバマ票は1ポイントの微減。エドワーズ票は9ポイント減少している。「自分のような人のことを考えてくれること」を重視する層でも、ヒラリー票が17ポイント増加したのに対し、オバマ票の減少は3ポイント、エドワーズ票は7ポイント減である。こうしたエドワーズ票の流れをみると、今後のヒラリーの経済政策の方向性には要注意かもしれない。

ちなみに、エドワーズの苦境はこれにとどまらない。変化を実現できることを重視する層では、ヒラリー票が9ポイント伸びているが、オバマ票も4ポイント伸びている。対するエドワーズは6ポイントの減少である。11月の本選挙での当選可能性を重視する層では、オバマが29ポイント増加させた一方で、エドワーズは15ポイント減少させた(ヒラリーは4ポイント減)。

いよいよマッチレースの様相を呈してきた民主党予備選。エドワーズとその支持者の行方は、大きなかく乱要因になりそうだ。

2008/01/08

Come Back Girl !?

言葉もない。

時間も資料も無いので、分析はこれから昼を迎える日本の皆さんに任せたいと思うが、ここ数日の当地のメディア・評論家のトーンが、すべて覆された格好である。世論調査もほとんど間違っていた。

それだけ有権者が真剣だということなのだろう。

インスタントな情報を見る限りでは、①女性票がヒラリーに動いた、②無党派層がマケインに流れた、ことがオバマ票の伸び悩みにつながったようだ。前者はヒラリーの感情の発露が、後者は事前のオバマ優勢論のあまりの強さが影響しているように思われる。

民主党の行方は混沌としてきた。オバマ陣営は、アイオワであまりに強かったがために、期待をコントロールしきれなかった。ヒラリー陣営はのどから手がでるほど欲しかった勝利だろうが、これで起死回生の大胆な方向転換はできなくなったかもしれない。続くネバダ、サウスカロライナではオバマ有利ともつたえられており、戦略の立て方は却って難しい側面もあるだろう。

見逃せないのはマケインの復活だ。無党派層がマケイン勝利をもたらしたとするならば、マケインはオバマに勝ったという議論も可能であり、「本選挙で勝てるのは誰か」という部分で強みを発揮するかもしれない。他方で、無党派層に偏っていけば、エスタブリッシュメントのマケイン嫌いがまたぞろ顔を出すかもしれない。

しかし、すごい選挙だ。

明日の朝起きてみたら、実はオバマが勝っていた、とか、誰かが演説で叫んで顰蹙を買っていた、なんてことがないといいのだが。

追伸:ヒラリーの勝利演説をみた。"I found my voice"には泣かされたが、全般的にはやはりオバマにはかなわない。しかし、有名どころの支援者を従えずに、一人で演壇に立った姿に、今後の反転攻勢のきっかけが垣間見えたような気もする。

願わくは、バックグラウンドにいた若い学生諸君。せっかくなんだからちゃんと演説を聞くように!

2008/01/07

The Way She Lose

涙ぐんだ(ように見えた)だけでニュースになるなんて、と思う向きもあるかもしれない。しかし、大統領選挙を勝ち抜くというのは大変な話なのである。

ニューハンプシャーのイベントで、ヒラリーが涙ぐんだという報道があった。「どうやって毎朝起き上がって戦い続けられるのか?」という問いに対して、「簡単ではない..正しいことだと心から信じていなければとても続けられない」と答えた時のことだ。友人によれば、ヒラリーが公の場で涙をみせるのは10年に一度の出来事だという(Healy, Patrick and Marc Santora “Clinton Talks About Strains of Campaign”, New York Times, January 7, 2008)。

ヒラリーの選挙戦については、「人間らしさ」をもっと出すべきかどうか、といった議論があった。政策通の部分を強調するヒラリーは、時に有権者とのつながりに欠けるように映る。その一方で、女性として大統領を目指す以上、感情的な弱さはみせるべきではないという指摘もあった。しかし、今回の出来事は、こうした方法論を超越した瞬間だったように思えてならない。大統領選挙というのは自らの全人格をさらけ出す戦いである。メディアや対立候補には叩かれつづけた上に、結果は残酷なまでに明白に出てしまう。勝利にたどり着けなければ、自らの人格を米国民に否定されたように感じてしまってもおかしくない。

どうやって続けられるのか。ヒラリーにとっては厳しい時間帯である。

ヒラリーの置かれた状況の厳しさを最も的確にあらわしているのは、誰あろうヒラリーの発言である(Simon, Roger, “Can you win on dull?”, Politico, January 7, 2008 )。ヒラリーは「キャンペーンは詩だが、施政は散文である」というクオモの発言を引用する。「(オバマが)人々を感動させる演説ができるのはすばらしいが、カメラが去った後で、タフな決定を行えるのは自分だ」。そんな自負である。実際に、最近のオバマの演説は、細かい政策にはほとんど触れず、「融和」「変化」といった大きなメッセージで聴衆を盛り上げる。一方のヒラリーは、広範囲な政策分野での提案を次から次へと披露する。

もっとも、有権者は必ずしも政策通を好むわけではない。むしろ時に「詩」を求めるのが現実である。「オバマの訴える変化には中身がない」という意見もないわけではないが、それをかき消すだけの熱気が今のオバマにはある。「変化」の形容といい、ヒラリー陣営の状況の表し方は見事というほかは無いが、皮肉なことに、そこで切り取られた状況が示すのはヒラリーの苦境である。

ヒラリー陣営には、ニューハンプシャーの先行きを案ずる向きがあるようだ(Allen, Mike and Ben Smith, “Hillary advisers fear N.H. loss”, Politico, January 6, 2008)。アイオワでヒラリーが獲得した支持は、従来の年であればトップになるのに十分だった。しかしオバマの動員力はすさまじかった。ニューハンプシャーでも同じ現象が起きれば、ヒラリーの勝利は遠くなる。さらにヒラリー陣営には、ニューハンプシャーでの敗北は、サウスカロライナでの敗北につながるという覚悟がある。オバマが勝てる可能性が見えてきた中で、黒人票が急速にヒラリーから離れているからだ。勝負となるスーパーチューズデーまでに、ヒラリーが明示的に立ち直りを示せる機会はおそらくない。

ニューハンプシャーで敗北した場合には、ヒラリー陣営は何らかの「動き」を見せる必要に迫られるという見方もある。トップの交代というのは常道だが、ヒラリー陣営のトップは長年の腹心であり、これを切るのはヒラリーらしくない(世論調査担当のマーク・ペンはずいぶん批判されているようだが...)。ゴアは選挙対策本部をワシントンからテネシーに移したが、ヒラリーが事務所をニューヨークに移してもインパクトが無い。Politico紙は「名前の通った人間(クリントン政権関係者)をスタッフに加えるのではないか」と指摘するが、有名どころの多くは既にヒラリー陣営にいる。今になって新たに誰がヒラリー陣営に乗り込んでくるだろうか(ゲームを変えるとしたらゴアだが...)。

「負け方」が問われるというの辛いものである。

2008/01/06

For the Record : What Happened in Iowa (...left in Iowa?)

遠い昔のように思えるが、アイオワの結果を数字でたどれるようにリンクを整理しておこう。

まずは党員集会の結果

①民主党
オバマ:37.6%
エドワーズ:29.7%
ヒラリー:29.5%

②共和党
ハッカビー:34.4%
ロムニー:25.2%
トンプソン:13.4%
マケイン:13.1%

そして入り口調査の結果はこちらこちら

投票結果と比べるとクリントンのパーセントがエドワーズを上回っている点で整合性がないが、この辺は党員集会の妙かもしれないし、そもそも入り口調査という手法の限界かもしれない。

民主党側で興味深いのは年齢構成。若い人ほどオバマ支持が強く、年齢が上がるとヒラリー支持が上がる。またオバマは独身層で圧倒的に強いが(43-24)、既婚者ではほぼ同じ(28-29)。変化vs経験では、前者重視がオバマ(51-19)、後者重視がヒラリー(5-49)と、この辺りは陣営の計算どおりだろうが、全体に占める割合という点で前者が圧倒的に多かった(52-20)。面白いのは、少ないながら本選挙で勝てることを重視する層(8)では、エドワーズを選ぶ割合が高かった(36)。

政治信条に関する分析も見逃せない。「融和」を訴えるオバマだが、実は支持が強いのはリベラル層(オバマ:40、エドワーズ:16、ヒラリー:24)。穏健(33-22-31)、保守(21-42-22)と右に動くに連れてオバマの支持は減る。また従前から指摘されていたように、所得が高くなるほどオバマ支持は高い(5万未満:34%、5~10万:34%、10万~:41%)。高所得のリベラルが、なぜ「融和」のオバマを支持するのか。この点は、掘り下げる必要がある。

共和党の場合、所得という点では低所得ほどハッカビーの支持が高く、高所得になるとロムニー支持が上回っている。ハッカビーのポピュリズム的経済政策と照らし合わせても、理解しやすいところだろう。政治信条では、左にいくほどマケイン支持が高くなっており、これもわかりやすい。年齢では低いほどハッカビー支持が高い。所得・年齢のクロスでは、オバマとハッカビーはねじれた関係にあるようだ。

民主党と共和党の比較で気づくのは二点。第一に、重視する争点について、民主党側ではトップ3に入っていない移民問題が、共和党側ではトップである。第二に、投票する際に重視する要素として、双方共に本選挙で勝てる可能性を重視する割合が低い(ともに8%)。

アイオワが米国の代表というわけではないが、全てが終わったときには鍵となった投票だったと評価される可能性は高い。整理しておいて損のない数字ではあるだろう。

2008/01/05

Don't Be Cruel, New Hampshire...

世論というのは酷なものだ。アイオワでの躓きは、既にニューハンプシャーに波及している。RealClearPoliticsによれば、ニューハンプシャーでヒラリーとロムニーの支持率が明らかに落ちている。民主党ではオバマ、共和党ではマケインがトップに立っている状況。いずれの候補も、強みにしようとしてきた「勝てる候補」というオーラが剥がれ落ちようとしているようだ。

ヒラリーの場合、CNNの調査では「最も勝てる候補」と見る割合が36%と前回調査から9ポイント低下、35ポイントのオバマにほとんど並ばれた。安定感・確かさといったヒラリーのイメージが揺らいでいる(Steinhauser, Paul, “Poll: Clinton, Obama tied in New Hampshire”, CNN, January 5, 2008)。オバマは、「経験のなさ」が弱点とされてきたが、アイオワでの勝利によって一つ壁を抜けたような感じがある。一時は「次の大統領は確実」とみられていたヒラリーを破ったのだから、不安だった有権者もオバマ支持に踏み切りやすくなったはずだ。92年にクリントンが躍進してComeback Kidの名前を獲得したニューハンプシャーは、ヒラリーにどんな結果をつきつけるのだろうか。

ヒラリー陣営には、仮にニューハンプシャーで負けたとしても、最終的にはスーパーチューズデーに勝負をかけるだけの体力はある。しかしComeback Ladyとなるためには、どこかで現在のストーリーラインを変えなければならない。言い換えれば、ニューハンプシャーで負けたとしても、反転攻勢の糸口がみつけられさえすれば、ヒラリーにとっても悪くない結果とみなければいけない。つまり、負け方が肝心なのだ。

共和党の状況は複雑だ。ニューハンプシャーは宗教色がそれほど強くない。組織・資金に劣るハッカビーが勢いを維持するのは簡単ではない。他方で、本来のトップランナーだったロムニーは、勝つべきアイオワでの敗北で大きく傷ついた。全国規模でリードしていたジュリアーニはフロリダ以降にかける戦略であり、存在感は薄い。その間隙を縫って浮上したのがマケインという展開である。ニューハンプシャーでロムニーが敗北すれば、指名争いから大きく後退するのは必然。共和党エスタブリッシュメントがマケインに回帰することになれば、なんとも皮肉な展開である。

興味深いのは、オバマとマケインはいずれも無党派層の支持が強いという事実だ。ブッシュ政権下で党派対立の度合いを強めた米国は、その振り子を一気に戻そうとしているようにも見える。仮に彼らが本選挙に進めば、同じ支持層を取り合う格好になる。そうなると、両者の意見が最も違う部分、すなわち、イラク戦争に論点が回帰する可能性も指摘できる。

しかし、ここに来ての状況の変化の速さは、眩暈を覚えるほどだ。これまで1年間の選挙戦は何だったのだろうとすら思ってしまう。

お楽しみはこれからである。

アイオワ追想:Reach Up (and Touch the Sky)

アイオワ党員集会が終わった。結果はみなさんご存知の通り。ある程度は予想されていたとはいえ、劇的な結果といっていいだろう。民主党・共和党の双方で、「新星」が勝利を得たというのは特筆に価する。

しかし、正直なところ、米国の選挙を追うのは日本の方が楽かもしれない。結果が出たのは当地の夜10時台で、とりあえず当日の報道に目を通すのが精一杯。翌日になればニューヨークは米経済の見通しで持ちきりだから、振り返れるのはようやく深夜に帰宅してからという始末である。

それでも、遅ればせながら四つの点を指摘したい。

第一に、民主党と共和党の勢いの差である。党員集会で驚かされた数字は23.9万と12万だ。これはそれぞれ民主党と共和党の党員集会への参加者の数である。民主党員集会への参加者は、2004年の12.4万人をはるかに上回った。共和党も2000年の8.8万人を上回ってはいるが、その差は歴然である。本選挙を視野に入れれば、この数字の違いは無視できない。オバマの勝利が無党派層に支えられている側面がある点を考えればなおさらだ。オバマとハッカビーの勝利という結果をみる限り、無党派層が民主党に傾く一方で、共和党側では残ったコアな支持層である宗教保守の影響力が目立った格好である。

第二に、「変化」のメッセージが色濃く反映された結果だということである。民主党については言い尽くされた感があるが、共和党側についても同じことがいえそうだ。勝負をかけながら惨敗したロムニーは、本来ならば北部の州知事として「変化」のメッセージを出せる立場にあった。しかしロムニーは、「保守の3本の足(経済、外交、社会)」という概念を使い、専ら主流派としての戦いを行おうとした。同じく主流派になろうとして失敗しそうになったマケインと同じ轍を踏んだようにすらみえる。いずれにしても、メディアとしてはストーリーラインを作りやすくなったのは確かだ。

今回の選挙のキーワードは、「変化」と「能力」だと考えている。有権者の現状に対する強い不満が、「変化」を求めるうねりを起こしている。その一方で、ブッシュ政権の政権運営能力の無さへの幻滅や、戦争・テロの危険性は、「能力」のある候補者への欲求につながる。こうした構図に変化はないと思うが、イラク戦争やテロの懸念が後景に退き、むしろ経済問題が浮上する中で、「能力」よりも「経験」の比重が高まりつつあるように見受けられる。ヒラリーやロムニー・ジュリアーニには有難くない構図だろう。とくに「過去」の候補というレッテルを貼られかけているヒラリーは、むしろ90年代=クリントン政権の栄光を前面に押し出し、「経験」を切り札に反転攻勢に出ようとしているともいわれるが、諸刃の剣と言わざるを得まい(Smith, Ben, Jim VandeHei and Mike Allen, “HRC team retools strategy, predicts N.H. win” , The Politico, January 4, 2008)。。

第三に、「変化」のメッセージとして、「融和」が浮上している点だ。オバマのメッセージの肝は、変化を起こすには党派対立を超える必要があるという点にある。アイオワでの勝利スピーチは、2004年の民主党大会を想起させるような、「融和」の主張だった。目を引いたのは、ハッカビーもその勝利スピーチの中で、「融和」を意識した発言を行った点である。「アメリカ人は変化を求めている...その変化は私たちの挑戦が米国をもう一度結び付けなおす点にあると理解し、単に民主党や共和党というのではなく、米国人であることをもう一度誇りに思えるようにすることから始まる」という発言は、オバマのスピーチであっても不思議ではないような内容である。宗教右派は「非妥協的で攻撃的」という固定観念があるが、その辺りも見直す必要があるかもしれない。

第四に、「変化」「融和」といったメッセージが前面に出た反動で、具体的な経済政策という点では、比較的詳細さに欠ける候補が勝利を収める結果になった。民主党陣営では、エドワーズとヒラリー陣営の政策提案の完成度の高さは出色である。これに対して、オバマの提案はメッセージ性こそあるものの、内容面では一歩見劣りする。ハッカビーについては、Fair Taxに代表される面白い提案はあるが、なにぶんアドバイザーにも事欠く状況であり、政策の中身まで本人が詰めきれているとは到底思えない。この点でも、メッセージ優先の選挙結果ということができる。予備選挙中の政策論の必要性についてはかねてから議論がある。一つの主張が、選挙中の公約をそのまま実現できるわけではないのだから、むしろメッセージを大事にすべきだというものだった。アイオワでの結果は、こうした主張を裏付けた格好である。政策屋の自分としては、必ずしも有難い展開ではないが...

いうまでもなく、次のニューハンプシャーも大きな山場である。とくに民主党側では、ここでヒラリーが歯止めをかけなければ、状況はかなり苦しくなる。

注目されるのは、やはり無党派層の動向。無党派層がオバマに流れれば、ヒラリーにとって苦しいだけでなく、ニューハンプシャーでの勝利を目論むマケインにも打撃になりかねない。さらにいえば、無党派層の存在感の高まりは、いまだに参戦の機会をうかがっているようにみえるブルームバーグにも魅力的に映るかもしれない。

もう一つは、エドワーズ(票)の行方。エドワーズにとって、2位というアイオワでの結果は3位よりはましという程度。エドワーズは2位になるのならオバマに勝たなければならなかった。そうでなければ、ヒラリーを破ったオバマというストーリーラインだけが目立ち、両者の対決という構図が固まってしまう。エドワーズの存在感は低下せざるを得ず、Dead Man Walkingという評価もある始末だ。しかし、仮にエドワーズが撤退するとなれば、その票の行方は大きなインパクトを持つ。選挙戦がヒラリーを中心に回っていたために、エドワーズ票もオバマに流れやすい印象があるが、果たしてどうか。そうなれば、一気にオバマが有利になる。本人の言動を含めて見逃せない。

大きな「揺れ」を起こしたアイオワ。久しぶりに震えるような選挙の予感が走った。スーパーチューズデーまでの一ヶ月、経済にかかりっきりのニューヨークで、じりじりさせられる日が続きそうだ。

2008/01/02

アイオワ前夜のポピュリズム

あっという間にアイオワ党員集会前夜になってしまった。当地のマスコミは、いずれの党でも、一時のトップランナーが危うくなっているというストーリーラインで共通している。予備選挙の前倒しは、序盤州の存在感を低下させるとの見方もあったが、今のところはアイオワが全てであるかのような雰囲気だ。

もちろん、アイオワが終われば、報道の風向きはガラッと変わるかもしれない。つまづいた候補者にとっては、次のニューハンプシャーで建て直せるかどうかが正念場になる。共和党に至っては、「一時のトップランナー」であったジュリアーニのそもそもの戦略がフロリダからの反転攻勢であり、序盤での戦いぶりが肝心なのは、ロケット・スタートを見込んでいるロムニーだ。

党員集会の結果はさておき、選挙後の方向性という点で見逃せないのはポピュリストの風潮だ。民主党のエドワーズは、前回の選挙戦よりも攻撃的な色彩を強めている。アイオワの世論調査では、ヒラリーやオバマと近い数字を出しており、その動向は軽視できない。また、本来は中道であるはずのヒラリーも、既報のように通商政策などではポピュリスト寄りの発言が目立つ。

もっとも、より注目すべきなのは、共和党のハッカビーだろう。ハッカビーはその宗教色の強さから、保守派の支持を急速に集めてきた。しかし見落としてならないのは、オーソドックスな保守の考え方というよりは、ポピュリズムと形容した方がしっくりくるような、その経済政策である。ハッカビーは、貿易は公正でなければならず、雇用の海外流出に歯止めをかけなければならないと主張する。CEOの高給にも批判的で、「ウォール街からワシントンにかけての権力の枢軸は、完全に自分と敵対している」といって憚らない(Cook, Clive, "America in 2008: Populism Calls the Shots", Financial Times, December 27, 2007)。保守派の論客であるジョージ・ウィルは、ハッカビーの主張は、自由貿易や低税率、企業や市場原理による富の配分といった共和党のコアな信念から完全に逸脱していると指摘する(Will, George F., "The '70s Hit Parade", Washington Post, December 20, 2007)。

最近では移民にも厳しい立場を示す局面があることから、社会保守主義と経済ナショナリズムを併せ持ったそのスタイルをして、ハッカビーを「大言壮語のないブキャナン」などと評する向きもある。ブキャナンとの違いは、何といってもしゃべりのうまさであり、メディアが彼を支えている。状況としても、本来ならば潰しにかかるはずの共和党エスタブリッシュメントが弱体化している上に、経済的にもポピュリズム的な主張が受け入れられやすい環境にあるという(Heilemann, John, "Huckabuchanan", New York, December 17, 2007) 。

リベラル派のコラムニストであるE.J.ディオンヌは、ハッカビー台頭の背景には、共和党支持者の嗜好の変化があると指摘する(Dionne Jr., E.J., "Huckabee the Rebel", Washington Post, December 21, 2007)。そこで引き合いに出されているのが、社会的には保守的だが経済政策では政府の役割を評価する共和党支持者(プロ・ガバメント・コンサーバティブ)が増加しているというピュー・リサーチ・センターの分析だ。なかには、ハッカビーはいわれているほど政府の役割を拡大しようという具体策を示しているわけではなく、むしろ企業のモラルに訴えかけるという手法は、企業不信の問題に保守の立場からアプローチするにはリーズナブルなやり方だという評価もあるが、実はこうした評価をしている本人(Ross Douthat)自体が、「共和党は有権者の経済的な不安感に訴えかけるべきだ」と主張する、Party of Sam's Clubの筆者だったりする(Douthat, Ross, "Huckabee's Heresies", The Atlantic, December 20, 2007)。

もちろんポピュリズムの動きがあるのは共和党だけではない。見逃せないのは、とくに通商政策の分野に関して、民主党・共和党の双方の陣営から、自由貿易への無条件の支持を見直すべきだという意見が台頭しているように見受けられる点である。

民主党系の立場からは、最近のコラムでポール・クルーグマンが、圧倒的に賃金水準が低い国の台頭によって、90年代のように自由貿易が米国民の賃金に与える影響は軽微だとは言い切れなくなったと述べている(Krugman, Paul, "Trouble with Trade", New York Times, December 28, 2007)。保護主義に転向するわけではないが、とくに製造業においては、通商から利益を得られる国民はむしろ少数派だという事実に目を背けてはならないというわけだ。

共和党系の立場からは、ワシントンポストのトニー・ブランクリーが同じような発言をしている(Blankley, Tony, "Hillary, Huckabee and Trade; It's Time for a Free-Trade Debate", Real Clear Politics, December 5, 2007)。ブランクリーは、「先進国は自由貿易の敗者になるかもしれない」というポールサミュエルソンの議論を引き合いに出しながら、共和党も従来の考え方に縛られずに積極的に議論に参加すべきだと主張する。実際に賃金が下がったりはしないのかもしれないが、懸念する価値はある。伝統的な自由貿易主義者はハッカビーをシニシズム、ポピュリズム、デマゴークと批判するかもしれないが、もしかしたら米国民は、グローバリゼーションにかかわりすぎたエリートには見えない、本当の危機を嗅ぎとっているのかもしれない。そうブランクリーは指摘する。

米国はグローバリゼーションとの関わり方を整理しなければならない時期に差し掛かっているように思われる。誰がアイオワの勝者になろうと、ポピュリズムの勃興が投げ掛けた問いは消えないのである。

それにしても今日は寒い。ほぼ真夜中の自宅周辺はマイナス8度。体感温度はマイナス15度くらいだろう。

さて、明日のアイオワはどんな天気になるのだろう。それで大統領の行方が決まってしまうというのも、正直不思議な気はしてしまうのだが...