2008/02/01

オバマとヒラリー、そしてメディア:Love and Hate

昨晩米国では、オバマとヒラリーの討論会が行われた。無数に繰り返される討論会をいちいち見ることはしなくなって久しいが、ちょうど帰宅した時間だったので最後の部分だけをちらっとみた。

興味を引かれたのは、最後の質問(「互いを副大統領に選ぶか?」)の直前に行われた、それぞれの候補への個別質問である。オバマに対する質問は、「子を持つ親として、テレビ等の過剰な描写にどう対処すべきか」というもの。ハリウッド関係者が聴衆に多い中ではあまり厳しい態度はとれないという部分はあるが、概ね好評のオバマ家族のイメージを出せる側面もある。そもそもこの問題は、選挙戦自体の大きなテーマではなく、無難に回答が容易にみつかる「流し」の質問だ。これに対してヒラリーへの問いは、「子供の質問が出たところで、配偶者の話題を」という前振りから、「クリントン前大統領をヒラリー政権はコントロールできるのか」という質問へ進んだ。まさに今の予備選挙の核となる部分であり、ヒラリーにとって厳しい質問である。頭をかすめたのは、「メディアはオバマに優しすぎる」というクリントン前大統領の不満である。

オバマ急伸の一因として、クリントン前大統領によるオバマ攻撃が逆効果に働いたという見方が一般的である。E.J.ディオンヌは、クリントン前大統領が「悪い警官」を演ずることで作り出した苦々しさが、黒人票をオバマ支持に集束させ、白人票のヒラリーからの流出につながったと指摘する。ディオンヌはケネディ上院議員による支持表明に代表されるクリントン離れを誘発したことで、予備選挙の構図は根本から変わってしまったとまで述べている(Dionne Jr., “Hobbled by Hubby”, Washington Post, January 29, 2008)。

その一方で、メディアの「オバマ好み」はかねてから指摘されており、メディアの一部にもこうした傾向を認める向きがあったのも事実である。メディアは単純に新顔のオバマが勝ち上がっていくというストーリーを好んでいるというわけだ(Kurtz, Howard, “For Clinton, A Matter of Fair Media”, Washington Post, December 19, 2007)。

具体的な事例も少なくない。例えば、オバマ陣営の関係者がメディアを装ってオバマに有利な質問をしたことがあったが、メディア関係者はこれを問わなかった。しかし、同じようなケースがヒラリー陣営で発生したときには、大変な騒動になった。シカゴの有力支援者に関するスキャンダルについても、実際に当事者が逮捕されたタイミングがサウスカロライナでのオバマ勝利に重なっていたために、ほとんど報じられていない。

メディアはオバマの「融和」を掲げる姿勢を大きく取り上げる。しかし、オバマはしたたかな政治家であり、選挙運動は十分に攻撃的である。例えば医療保険改革である。昨日の討論会でオバマは、両者の医療保険改革案は95%同じだと述べた。その一方でオバマ陣営は、ヒラリーの医療保険改革案を批判するメールを関係者に送っている(Smith, Ben, “More negative mail”, Politico, January 31, 2008)。「(ヒラリー案は)保険料を払えない人にも医療保険への加入を強要している」と批判するロジックは、90年代に共和党がクリントン政権の医療保険改革案を廃案に押しやった当時を髣髴とさせる。何よりも、中年夫婦の写真を使っているところなどは、医療関連団体によるかの有名な「ハリーとルイーズ」広告のようだ。ポール・クルーグマンは、「事実を歪曲しており、改革実現に向けて非建設的。『希望の政治』などと良くいえたものだ」と手厳しい(Krugman, Paul, “Obama does Harry and Louise, again”, New York Times, February 1, 2008)。

もちろん、ヒラリー陣営も攻撃的な活動はしているだろう。しかしメディアに書きたてられる可能性が低ければ、オバマ陣営はこうした広告を打ちやすくなる。クリントン前大統領が憤るのも一理ある。

こうしたメディアを巡る問題は、クリントン陣営、より正確に言えば、「クリントン政権」に淵源があるという見方も可能だろう。クリントン政権とメディアとの関係は必ずしも良好ではなかった。「成り上がり者」として軽蔑されることを嫌うクリントンは、メディアに対して警戒心を抱いていた。度重なるスキャンダルを巡る攻防も、メディアとクリントンの関係を悪化させた。こうした関係は、現在の選挙戦にもある程度続いている。メディアのアクセスを制限し、メッセージをコントロールしようとするヒラリー陣営の戦略を、メディアは本音では好んでいないのではないだろうか。当時のクリントンは、既存の体制に挑む「若僧」だった。メディアやエスタブリッシュメントの中には、クリントンに対して複雑な感情をもつ層も少なくない。ケネディのオバマ支持にもみられたように、オバマの登場によってその暗部が一気に噴出したように感じられる。

同じようなメディアの「偏向」は、マケインについても指摘さている(Conason, Joe, “Will the press get over its love for McCain?”, Salon, February 1, 2008)。マケインは税制や移民問題で明らかに政策を変えている。しかしメディアが攻撃するのは、ロムニーの「日和見主義」である。オバマと同様に、マケインもしたたかな政治家である。フロリダの予備選挙でマケインは、「ロムニーはイラク撤退のタイムテーブル作りに賛成している」と繰り返し批判した。ロムニーは事実を歪曲していると猛反撃したが、メディアにこの点を厳しく叩かれた形跡は無いようだ。

メディアのストーリーラインが変わっていくかどうかは、選挙戦の今後にも少なからぬ影響を与える。「フリー・メディア」と呼ばれるように、メディアによる好意的な報道は自前では賄えない広告活動になる。スーパーチューズデーのように、米国全土での選挙活動が必要とされるときはなおさらだ。

それにしても、オバマ・マケイン対決が実現した場合に、メディアはどう報道していくのだろうか。これもまた興味深いところである。

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