2007/12/31

Gazillion Bubble Show

週末に家族を連れてGazillion Bubble Show というショーを見に行った。バブル、つまりは、いろんなシャボン玉を作る芸人の出し物だ。たかがシャボン玉といっても、600人弱の観客を相手にたった一人で1時間半飽きさせないのだからたいしたものだ。もちろん子供向けのショーだが、クライマックスに客席に大量のバブルが飛んでくると、大人も思わず笑顔で手を伸ばしてしまう。ナレーションでも言っていたが、バブルは子供だけのものではない。とても魅力的なのだ。

バブルの魅力は、その儚さと裏腹の脆い美しさにあるのだろう。細工の施されたどんなに頑丈そうなバブルも、必ず消えていく運命にある。解説では、バブルは極めて繊細なので、微細な埃によっても壊れてしまうと言っていたが、何千ものバブルの崩壊を見続けて気付いたのは、むしろ多くのバブルは自壊していくということだ。膨らんだバブルの下部には、次第に水分が集まってくる。自らの重みに耐えられなくなったバブルはやがて破裂する。その過程を美しく見せるには、演者もしくは観客が人為的にバブルを壊すしかない。

こちらのショーだけに、音楽やレーザー光線の演出などは華やかなもの。それでもバブルは消えていく。

仕事柄とはいえ、「何もバブルのショーを見に行く必要はないよな」と思ったのは帰り道になってからのこと。夕暮れ時に立ち寄ったロックフェラーセンターの展望台では、センターの建設は失業者救済に一役買ったという解説があった。

31日はこちらの仕事納め。といっても、通勤電車はさすがに空いている。

来年はどんな年になりますか。引き続き宜しくお願い致します。

2007/12/28

Method of Change : 60年代賛美論とオバマ

民主党の予備選挙におけるキーワードは、変化と実力である。政策論という点では、ニュアンスの違いこそあれ、有力な候補者の間に大きな違いはない。政策的に、さまざまな角度から亀裂が入っている共和党予備選挙とは対照的だ。有権者の現状に対する不満が強い中で、変化をもたらせる候補者は誰なのか。テロや戦争への懸念がくすぶるなかで、国を任せられる実力があるのは誰なのか。問われているのはこの2点である。米国の選挙はキャラクターで決まるという議論は、決して新しいものではない。ただし、今回の選挙の場合、一緒にビールを飲みたいのは誰か?というような問いかけは、あまり聞かれない。それだけシリアスさの強い選挙だということかもしれない。

変化といった場合に、各候補の差別化はどうなされるのだろうか。分かりやすいのが、ヒラリーによる定義づけである。ある候補(エドワーズ)は変化を要求し(demanding it)、ある候補(オバマ)は希望するが(hope for it)、自分はそれを実現するための方法を知っている(work for it)といういいぶりである。それぞれのセールスポイントを的確に言い表しており、攻撃された筈の各候補にしても納得してしまうのではないだろうか。

例えばエドワーズは、既得権者が話し合いだけで、進んで譲歩するわけがないと強調してきた。違いは乗り越えられるとするオバマの議論に対しては、ナイーブに過ぎるという批判がある。しかし、変化を実現するための方法論としては悪くないという指摘もある。議会の状況を考えれば、変化を立法で実現するには、共和党議員をある程度巻き込む必要があるが、融和の必要性を解けば、ためにする反論をある程度封じられる。加えて、融和論は無党派層にアピールするので、議会選挙でも民主党候補にプラスに働く可能性があるからだ(Schmitt, Mark, “The Theory of Change Primary”, The American Prospect, December 21, 2007)。

変化といえば、米国の広告業界では、60年代をテーマにした広告戦略がちょっとしたブームだという(Elliott, Stuart, “The ‘60s as the Good Old Days”, New York Times, December 10, 2007)。その特徴は、カウンターカルチャーや反戦運動など、ともすればネガティブなイメージが伴っていた出来事を、ポジティブな視点から取り上げる点にある。変化をもたらした時代として、60年代を評価するわけだ。その時代に人格を形成してきたベビーブーマーがターゲットなのは容易に想像がつくが、意外にその子供世代にも好評だという。

興味深いのは、60年代賛美の風潮とオバマの議論の関係である。既に触れたように、世代交代論はオバマの主張の主要な軸の一つである。オバマは、「自分たちはヒラリーが実現できない種類の変化を体現している。それは世代的な問題だ」と述べる。60年代から続く論争を戦いつづけている世代では、国を一つにまとめ上げて、変化を実現するのが難しいというわけだ(DeBose, Brian, “Obama confronts generation rifts”, Washington Times, November 8, 2007 )。

オバマの議論は、60年代の闘争を明示的に否定している。しかし同時に、現状維持に対抗して「変化」を求めるというスピリットでは、広告業界が感じ取っている60年代賛美論に相通ずる部分がある。この辺りが、オバマの特異な位置取りだ。

60年代とオバマの関係では、反戦の側面も忘れてはならない。現在の60年代賛美論の底流には、当時の反戦運動と現在のイラク戦争反対論の共鳴を指摘する向きがある。他方で、クリントン政権の中道路線を批判するリベラル派の勢力が、政策や主張の面ではどうみても中道派であるオバマ支持に回っている一つの理由は、イラク戦争に対する姿勢の違いだといわれる。ここでもオバマにとっては、批判の対象としている60年代のスピリットが追い風になっている。

体制に逆らい世代交代を訴えた世代が、同じような視点から交代を求められている。これも現在の米国の景色である。

2007/12/27

Start of Something New...

威勢の良いエントリーから早2か月弱。すっかり休眠状態にしてしまった。予想はしていたが、一度止まったものを再起動するのは思いの外難しかった。観客が去ってしまったフィールドへ戻る恐怖もあった。しかし、予備選挙まであと数日。いつまでも眠ってはいられない。新年と共にとも思ったが、そこはヘソ曲がりで、この妙なタイミングで戻ってみようと思い立った。

というわけで、Long Island Rail Roadに揺られ、Led Zeppelinのリユニオンを聴きながら、myloを叩く自分がここにいる。通勤時間に書き込むというスタイルは変えたくないが、こちらの携帯では日本語が打てない。新しいツールで新しいフィールドを作るのも悪くないだろう。そうすれば彼らはやって来る、かも知れない。

再開にあたって、これからの選挙戦を見ていく自分なりの視点を整理しておきたい。それは、選挙の結果によって変わるものと変わらないものの見極めである。

民主党が勝つか、共和党が勝つかによって、政策の方向性に違いが出るのは当然だ。しかし、いずれの政党が勝つにしても、ブッシュ政権の8年間が終わるだけで、米国は変わらざるを得ない。勝者の如何を問わず、向かっていく方向性はないのだろうか。言い換えれば、分裂した米国の修復が始まる可能性である。

米国の分裂が言われて久しい。最近の米国では、その理由を問い、先行きを憂慮する論調が少なくない。例えば12月1日のNational Journal誌は、党派対立に焦点をあてた特集("Partisan Impulse")を掲載している。そこでは、議会関係者の多くが、クオリティの高い立法活動には超党派の協力が望ましいと考えつつも、一方で早晩には党派対立は緩和しないと考えていると報じられている。

また、最近話題を呼んでいるのが、Ronald BrownsteinのThe Second Civil War - How Extreme Partisanship has Paralyzed Washington and Polarized Americaである。2007年11月3日号のNational Journal誌に掲載された同書の抜粋(Brownstein, Ronald, "From a Uniter to Divider", National Journal, November 3, 2007)によれば、Brownsteinはブッシュ政権が党派対立の先鋭化に走った理由を4点指摘している。第一に、ブッシュ大統領がテキサス州知事時代に築いたような、民主党関係者との親密な人間関係が築けなかったこと。第二に選挙戦略。Uniterとして臨んだ2000年選挙が接線に終わった結果、ブッシュ陣営は保守層を重視するいわゆるBase Strategyに傾斜した。第三に大統領としてのビジョン。ブッシュ大統領には「正しいことを実現するのが大統領である」というビジョンがあり、超党派の声を重視するという志向がなかった。第四に政策目標。ブッシュ大統領が目指した政策は、レーガン大統領よりも一貫して保守主義の原則に従っていたとBrownsteinは指摘する。

もっとも、このうち第四の保守主義の部分については、必ずしも納得的とはいえない部分がある。確かに結果からみれば、ブッシュ政権の業績は保守主義の伝統に忠実である。しかし、ブッシュ大統領が提唱した「思いやりのある保守主義」や「オーナーシップ社会」といた概念には、伝統的な保守主義の考え方とは相容れない部分がある。レーガン政権以来の米国は「小さな政府」の方向性にあると総括できるが、その一方で政府の役割を問い直す動きも、クリントン政権からブッシュ政権にかけて続いているように思われる。選挙戦略のような政治的な思惑を別にすれば、ブッシュ政権の政策の中にも、党派対立の収束につながるヒントは隠されていると見るべきだろう。

分裂は政治に限らないという指摘もある。David Brooksは、ポピュラーミュージックの細分化を指摘する(Brooks, David, ”The Segmented Society”, New York Times, November 20, 2007)。ストーンズやスプリングスティーンのような、幅広い音楽のエッセンスを吸収し大衆に訴えかけられるようなアーティストは、U2を最後に出てこなくなった。技術の発展によって、レコード会社が聴衆を細分化し、それぞれの嗜好に合った音楽をマーケティングしやすくなったのが一因だ。ラジオ局も専門化が進んでいるから、例えば今ストーンズが売り出そうにも、取り上げてくれる番組がない。

Brooksは、政治をはじめとして、格差や移民問題など様々な分野で、分裂を憂う声を良く聞くようになったと指摘する。技術発展と商業化は、分裂を促進する要素になっている。ストーンズが黒人音楽に学んだように、かつて音楽は人や文化をまとめる役割を果たしてきた。しかし、そこですら状況は変わっている。

イラク後の外交政策や、グローバリゼーション下の経済政策といった点で、米国はその立ち位置を問い直さなければならない時期に差し掛かっている。果たしてこうした大きな節目に、米国は何らかのコンセンサスにたどり着けるのだろうか。たどり着くとすれば、そこにはどんな風景があるのだろうか。道筋はどうなるのだろう。

その曙光は見えないだろうか。

正直なところ、ニューヨークではまだ選挙の雰囲気などほとんど感じられない。確かにクリスマスに招かれた友人宅で、「えっ、あのフレッドトンプソンが大統領選挙に出ているの?」みたいな話題はあったけれど、High School Musicalや、数日後に迫ったHannah Montana / Miley Cyrusのコンサートの話題の方がよほど盛り上がる。そんな中だからこそ、見えるものもあるかもしれない。日本にいたときのような頻繁な更新は難しいかもしれないが、しばしお付き合いいただければ幸いである。

2007/11/03

On the Town

4年半ぶりに居住者として訪れた米国はやはり米国でした。宿泊するはずの短期アパートは到着前日にキャンセルされ、契約が始まっているはずの借家にはなぜかまだ大家が住んでいる。携帯電話を買いに行けば、先方のトラブルで全て片付くまでに1時間。しかも戻ってインターネットでアカウントを見直すとまだ間違っている。

これでこそ米国です。

それでも寒風吹きすさぶマンハッタンを歩き回っていると、信号無視のやり方も次第に思い出して、自然にテンションが上がってきます。歩道が広いからか、携帯を打ちながら歩いている人がほとんどいないからか、リズムが合えばどんどん進めます。

話は逸れますが、米国人は子供に「信号をちゃんとみろ」とは教えないそうです。あくまでも見なければいけないのは「車」。互いの意志を確認して、ぶつからないようにするのが米国流。人身事故は少ないそうです。自動車同士の場合も、互いに事故を避けようと行動する。事故になってしまえば、一方的にどちらが悪いとはならず、双方の自動車保険料が上がってしまうだけなのです。

短期アパートの一室ではCNNをかけっぱなしにしています。今日はパキスタンの非常事態宣言のニュースで持ちきり。大統領選挙のニュースもありますが、日本で受けていた印象と同じく、もう一つ盛り上がりに欠けているような感じです。ケーブルテレビが発達している米国では、ニュースを見ない人は全く見ないで日々が過ぎていきます。

他方でプロの間では来年を視野に入れた動きが活発です。成田空港で偶然再会したDC時代の同僚(米国人)は、ロビイストとして日本の某官庁向けに選挙後の見通しを報告した帰りだということでした。私も来週にはDCに入る予定です。

強い風はハリケーンの残滓がマサチューセッツ方向に進んでいる影響です。もう少し冬であれば、フロリダ方向から北上してくる嵐はnor'easterといわれ、大雪の原因になります。

この国にいつまでもいられるわけではないのですから、本格的に冬が来る前にこのページも本格的に復活させなければなりません。復活の狼煙とはいきませんが、まずはとりあえず生息のご報告まで。

2007/10/27

Gonna Be A Long Walk Home

福岡に来ています。ブッシュ政権下の経済についてお話させていただきました。渡米前最後の本格的なお仕事です。

会議を抜け出して、昔住んでいた街を約25年ぶりに訪れてみました。住んでいた社宅は取り壊され、跡地にはショッピングセンター。ラジオ塔だけが残っていました。

ちょうど中学に上る頃に移った街。これまでの蓄積が効かない所にほうり込まれ、子どもながらに転機でした。

帰り道。あまりの渋滞に、バスをあきらめて歩いた私鉄の駅までの道。30分ほどの道のりに、なぜか6年前の9月11日の朝に、あてもなく歩いた時を思い出しました。World Trade Centerからミッドタウンまで。とても気持ちの良い秋の日でした。

5日後には、4年半振りのニューヨーク。我が家への道程は遠そうです。

しばらくお休みしてしまっているTaste of Union。新しい街から再開します。今しばらくお待ちください。

2007/10/16

ポピュリズムと共和党

最近の民主党の方向性はポピュリズムへの傾斜と形容されることが少なくない。しかし米国の歴史においては、ポピュリズムは何も民主党の専売特許というわけではない。むしろ今の米国では、ポピュリズムの欠如が問題になっているのは共和党だというのが、外交評議会のピーター・ベイナートの意見である(Beinart, Peter, “The GOP's Fading Populism”, Washington Post, June 12, 2007)。

第二次世界大戦以来の共和党の最大の功績は、保守主義と反エリート主義を結びつけたことである。上流階級の思想と考えられていた保守主義は、ポピュリスト的な化粧を施すことで広範な支持を獲得する道を見出したのである。その発端はマーッカーシーによる共産主義批判(=エリート批判)やニクソンによる社会政策の争点化(=エリート、司法批判)であり、レーガンの大きな政府(=エリート、官僚)批判であった。

しかし、80から90年代にかけて共和党が政治的な成功を収めるに連れて、反エリート路線の標的を選びにくくなってきた。司法や官僚も右傾化し、福祉政策や犯罪対策の見直しも進んだからである。パット・ブキャナンは標的を企業エリートにすり替え、マケインはロビイスト批判を展開したが、これらはいずれも左派に対する攻撃というよりは、自らの支持基盤に矛先を向けるような議論だった。

こうしたなかでブッシュ政権は、イラク戦争を利用して保守主義にポピュリストの衣装をまとわせることに成功した。国が危険にさらされたときには、ポピュリズムは国を守る強いリーダーを求める機運につながりやすい。さらに国土安全保障の議論では、ブッシュ政権は盗聴権限の問題などを通じて、民主党を「大衆の安全よりも手続き論でテロリストの人権を尊重する知的エリート」として攻撃した。

ところがイラク戦争の泥沼化によって、こうしたブッシュ政権の路線も行き詰まる。イラク戦争の主眼がイラクの民主化に移ると、ポピュリズム的には事態の解決を担うのはイラク国民であるべきだということになる。米国内でテロが起きない以上、人権重視批判も緊迫感に欠ける。

共和党が選ぶ次のターゲットは何か。一つはブキャナン流の企業エリートである。ドバイによる港湾管理会社買収への反論が共和党サイドからも沸き起こったのがその表れだ。また、移民も新たなターゲットである。しかし移民に関しては、人権擁護派の民主党エリート批判であるだけでなく、労働力としての移民を必要とする企業も敵に廻すことになる。ブキャナンの当時と同様に、矛先は自らの足下を向いているのである。

結局のところ、共和党が新しいポピュリズムの理論武装を見出すのは難しいというのがベイナートの結論である。最近の共和党候補の議論をみていると、レーガン回帰論が盛んなように、再び攻撃の矛先が「政府」に向かっているようにも思える。もっとも理論構築の巧拙はさておき、米国民にこうした議論を受け入れる素地があるかどうかは、切り離して考えなければならない問題だろう。

2007/10/15

Lazy Obama ?

民主党の予備選挙では、ヒラリーの優位が確立されてきたとの見方が優勢である。オバマの伸び悩みの一因は、政策面での「怠惰さ」にあるのかもしれない。

ワシントン・エクザミナーのビル・サモンが最近発表した「The Evangelical President」は、ブッシュ大統領が民主党の候補者としてヒラリーが有力だと考えているという記述が大きく報道されている。しかし、個人的に興味深かったのは、オバマに関するホワイトハウスの匿名上級スタッフの評価である(Sammon, Bill, “President predicts GOP will keep control of White House after 'tough race' in 2008”, Washington Examiner, September 23, 2007)。このスタッフは、オバマが大統領になるために必要な知的な厳格さを備えているにもかかわらず、安易に自分の魅力に頼っていると指摘する。オバマの有権者への態度には横柄さが感じられるが、それは「これくらいのことを言っておけば大丈夫だろう」という意識の表れであり、知的な怠惰さを象徴しているというのである。例えばオバマは、著書Audacity of Hopeのなかで、「政府のプログラムは宣伝どおりに機能しているわけではない」と書いているが、あるテレビの番組でたずねられた時には、なかなかその具体例を示せなかったという。ようやくメディケアや眼ディケイドの請求が電子的に行われていないと答えてはみたものの、実際にはこれらは既にほとんど電子化されていた。同スタッフは、「オバマは大統領になるために必要な厳しい下準備を怠っている。もう手遅れだ」と手厳しい。

このページでも、オバマが安易に「新しい政治」「ワシントンのロビイストとの決別」「党派対立の克服」といった議論に頼りがちだという印象を何度か指摘してきた。オバマ陣営にとっては、これも大事な戦力なのだろうとは思うが、気になり始めたら目に付くものである。例えば最近では、オバマは民主党の医療保険改革案について、ヒラリーとエドワーズ、そして自分の改革案の内容は、95%が共通していると発言している(Davis, Teddy, “Obama Says Health Plan is '95% the Same' as Dem Rivals”, ABC News, October 9, 2007)。だからこそ重要なのは、「保険会社や製薬会社を乗り越えられるのは誰か」だというのが、オバマの主張である。しかし、既に触れたように、3人の改革案の中では、オバマ案だけが「義務付け」を含んでおらず、皆保険制が担保されていない。その違いが5%か20%かはともかく、自分だけが明らかに違う提案をしているにもかかわらず、そこを素通りして「反ワシントン・ロビイスト」に議論を持ち込むのは不親切である。

ワシントン・ポストのルース・マーカスも、オバマの政策面での実力に疑問を呈している(Marcus, Ruth, “The Two Obamas”, Washington Post, September 26, 2007)。マーカスは、オバマは労働組合を前に行った演説ではお決まりのポイントをきれいにそろえて大変な盛り上がりを演出できたが、ブルッキングス研究所で行った税制改革に関する演説は全く盛り上がらなかったと指摘する。オバマの提案は伝統的な民主党の手法に則って、既に低い中間層の税負担をさらに引き下げたり、財政上厚遇されている高齢者にさらに減税を行うといった内容に過ぎず、本当に必要なAMT改革や医療保険に関する抜本的な税制改革には一切言及が無かった。著書の中でオバマは、財政再建のためには投資の先送りや困窮する米国民に対する救済策の湯銭順位を再考する必要があると指摘しているが、2004年のケリー案の10年分の減税を1年で行うという今回の提案の中には、優先順位が熟考された形跡は無い。高齢者が多いアイオワ州の現状を意識したのかもしれないが、税制改革案の中にはお得意の「Audacity(大胆さ)」はどこにもないというのが、ルーカスのオバマ評である。

オバマの税制改革案に関しては、ワシントン・ポストの社説も厳しい(editorial, “Mr. Obama's Cookie Jar”, Washington Post, September 25, 2007)。この提案は「クッキーをどうぞ」と差し出すようなもの。民主党の予備選挙関係者には心地よく聞こえるだろうから、利口な政治的提案とはいえるのかもしれないが、利口な政策とは言いがたい。むしろエドワーズの税制改革案の方が、低コストでありながら必要な国民にターゲットが絞り込まれている。

アドバイザーという点では、オバマは十分すぎるほどの政策面でのインプットを受けられるはずである。オバマのもとには、民主党のエスタブリッシュメントとも考え方の近い有力な識者が集結している。外交政策だけで200人、国内政策では500人以上の指揮者がオバマ陣営と何らかのかかわりをもっているといわれる。予備選挙段階とは思えないその充実振りは、ほとんど本選挙に臨む候補者のそれである(Dorning, Mike, “Obama's policy team loaded with all-stars”, Chicago Tribune, September 17, 2007)。

ボストン・フェニックスのスティーブン・スタークは、オバマは自分が「変化」を実現できる人間だと繰り返すばかりで、その「変化」が国をどこに導くかというビジョンを提示できていないと指摘する(Stark, Steven, “Obama Needs to Get Over Himself”, Real Clear Politics, October 11, 2007)。大統領にはさまざまな提案や議論の中から、国が進むべき方向性を見据えて、適切な政策を選び出していく能力が要求される。現時点での政策提案のあり方を通じて、こうした意味でのオバマの実力が問われているのかもしれない。

2007/10/13

共和党の経済政策:Attack of the Second Tire

共和党有力候補の経済政策に「アナクロニズム」が指摘される中で、やや違った趣向の攻め方をしているのが、二番低下の候補者達である。実際に、ニューヨーク・タイムスのデビッド・レオンハートなどは、10月9日の経済問題をテーマにした討論会を題材に、米国民の経済的な不安感に触れるか否かが、有力候補とそれ以外の候補者を分ける明確なラインになっていると指摘する(Leonhards, David, "Atop G.O.P., It’s Always Sunny", New York Times, October 10, 2007)。

レオンハートは、ロン・ポールの「多くの米国民はリセッションの只中にいる」との発言や、ハッカビーが次世代の暮らし向きに不安を持つ米国民が多いと指摘した点をとりあげる。これに対して有力候補者は総じて「ばら色」の経済認識を披瀝した。トンプソンが「リセッションに向かっているとする理由は見当たらない」と述べたかと思えば、ロムニーは討論会が行われたミシガンの窮状を「一つの州だけのリセッション」と呼び、ジュリアーニはファンドの隆盛について「市場というのはすばらしい」と分析して見せた。ヒラリーのバス・ツアーに象徴されるように、民主党が国民の経済的不安感に焦点を当てているのとは対照的である。

こうした中で、経済政策の中身という点で識者の評価を集めているのが、ハッカビーである。民主党系のメディアであるDemocratic Strategistのエド・キルゴアは、討論会を違った方向性に導く可能性があったのは、格差についても語ろうとしたハッカビーだったと指摘する(Kilgore, Ed, "Anachronisms", The Democratis Strategist, October 9, 2007)。実際にハッカビーは、現在米議会をにぎわせているSCHIPについても、ブッシュ大統領による拒否権発動を明確に支持しなかった唯一の候補だった(Marcus, Ruth, “Between a Veto and the Base”, Washington Post, October 10, 2007)。ワシントン・ポストのスティーブン・パールスタインは、ハッカビーを確かな保守の信念に支えられながら、知性と正直さ、論点に関する知識と現実的な対応策を兼ね備えていると評する(Pearlstein, Steven, "Two Hours, Nine Candidates, and Almost Nothing New", Washington Post, October 10, 2007)。知名度よりも政策が重要なのであれば、共和党の予備選挙を盛り上げるのはトンプソンではなくハッカビーだというのが彼の見立てである。

レオンハートが注目するのは、かつては有力候補だったマケインである。マケインは討論会に先立つ講演会で、「中間層の不安」に対する共和党からの対応策を提示したという。そこでマケインは、「グローバリゼーションはチャンスだが、自動的に全ての米国民の利益になるわけではない」との認識を示し、失業保険の改革などを通じた長期失業者対策の必要性を指摘した。また、公教育への競争原理の導入や医療保険制度改革案の提示も約束した。こうしたマケインの方向性についてレオンハートは、減税一辺倒の従来の共和党の政策と、「大きな政府」に傾斜する民主党の政策の中間点を探していると指摘する。

印象的なのは、マケインのアドバイザーであるホルツィーキン前CBO局長のコメントである。ホルツィーキンは、「われわれはもはや政府を消滅させようとする政党として戦っているわけではない。ただ、政府をどのように使うかという点で一致していないだけだ」と指摘する。レオンハートは、こうしたマケイン陣営の議論が注目を浴びるようになれば、例えばロムニーなども持論の貯蓄優遇策などをもっと前面に押し出すようになるのではないかと指摘する。

現時点では、こうした提案を行っている候補者は、必ずしも有力候補とは言いがたい。もちろん、保守層にアピールしなければならない予備選挙が終われば、共和党の有力候補者もトーンを修正してくる可能性はある。そうでなければ、本選挙での経済政策を巡る両党の議論は、なかなかかみ合いそうにない。

ゴア降臨? : Don't Worry Hillary, None of This is Happend Yet.

ゴアが本当にノーベル賞をとってしまった。「ゴア出馬待望論」がしばらくは盛んに報じられるに違いない。民主党ではヒラリーが独走態勢を固めつつあるとの見方も強くなっているだけに、「ヒラリーが恐れるのはゴアの出馬だけ」といったトーンの報道も出てきやすいだろう。

しかし、常識的に考えればここでゴアが出馬する可能性はそれほど高くない。選挙戦はかなり進んでしまっているし、ゴアにはまだ組織も戦略も無い。急造でも戦えるといっても、やや時間が立ち過ぎだろう。だいたい、折角の復活を選挙への逆戻りで汚すリスクを犯す必要があるだろうか。

それよりも、ヒラリーが恐れるべきは、ゴアがキング・メーカーになることではないだろうか。待望論が高まる中で、ゴアは政策面での主張を鮮明にし、民主党の方向性に影響を与えようとするだろう。その延長線上に、誰がゴアの支持を取り付けるのかという議論が出てくる。予備選投票日が近づいたところで、ヒラリーの対立候補を支持するとゴアが宣言する。そのインパクトは小さくないかも知れない。

ヒラリーとゴアの関係は果たしてどうなのか。ゴアはクリントン時代と距離を置く選挙戦を展開して、クリントン前大統領の逆鱗に触れた。ヒラリーはクリントン時代の栄光をそのまま飲み込んだ選挙戦を展開している。受賞発表当日のヒラリー選対のホームページには、ゴアを祝福するメッセージが踊っていた。

もちろん民主党を割るのは本位ではないとして、ゴアが予備選挙での支持者表明を行わない可能性もあるだろう。他方で、ゴアの政治センスには不可解な部分も少なくない。前回の予備選挙では、ゴアは押し詰まってきてからディーン支持を表明した。その辺りからディーンの調子がおかしくなったような気がするのだが、記憶違いだろうか。

それはさておき、ついにゴアに先を越されてしまったクリントン前大統領の思いはいかばかりだろうか...

2007/10/12

トンプソンの経済政策:What Me Worry?

トンプソンの経済政策にちょっとした関心が集まっている。遅れて参戦した同候補が、少しづつ経済政策の内容を明らかにし始めたからだ。もっともその速度は極端なまでに「少しづつ」であり、民主党ほどの詳細さは望めない。それどころか、他の共和党の有力候補者も含めて、国民感覚との乖離が指摘されているのが現状である。

各紙がトンプソンの経済政策を探る素材の一つにしているのが、10月5日にAmericans for Prosperity Foundationで行われた講演である。といっても、全文を読んでもそれほどの内容があるわけではない。具体的な提案は以下の二つである。

第一は、税制について。もちろん、減税の重要性を説いている点は他の共和党候補と変わらない。ブッシュ減税の生みの親であるローレンス・リンゼーがアドバイザーであることを考えても、違和感はないところだ。むしろ目を惹くのは、法人税の引き下げが具体的に提案されている点である。トンプソンは、米国は94年以降に法人税を下げていない二つの国の一つであるとして、その最高税率を現在の35%から28%にまで下げるべきだと述べている(Shatz, Amy, "Thompson Turns to Taxes", Wall Street Journal, October 8, 2007)。第二は、公的年金改革について。トンプソンは給付額の算定基準を現在の賃金上昇率からインフレ率に変更すれば、向こう75年間の年金財政の問題は解決できるだろうと主張している(Talev, Margaret, "Thompson proposes slowing growth of Social Security benefits", McClatchy Newspapers, October 5, 2007 )。

いずれもサラッと触れられているだけだが、もう少し説明が必要だろう。まず法人税減税については、ロムニーやジュリアーニも賛同はしているが、具体的な税率までは示していないように思われる。またリンゼーは、輸出入の際の課税のあり方について、国境での調整が可能になるような方向での改革を示唆している(Schatz, ibid)。現在のWTOルールでは、EUのVATのような間接税は国境調整(輸出免税)が可能だが、米国の法人税のような直接税はこれが禁止されている。リンゼーは税の取り扱いを統一するような国際ルールの改正が望ましいとしながらも、それが無理なのであれば、米国が同じ土俵に上がる必要があるとしている。

次に公的年金だが、給付削減を正面から提案したというのは、それなりに大胆な行動だといえる。トンプソンが言うように、インフレ率調整への変更が実現すれば目下の年金問題は雲散霧消してしまう訳だが、給付額の水準は現行よりも50%以上少なくなる可能性がある(Talev, ibid)。これを補填するための民間貯蓄増進策などには言及がなく、いわば米国政治の「第三のレール」に思い切り抵触している。ちなみに、トンプソンの発言には、所得水準によってインフレ率との連動率を変えるという、ブッシュ政権も検討したProgressive Indexingを想起させるような部分もあるが、詳細は不詳である(Beaumont, Thomas, "Thompson open to changes in benefits to curb spending", Des Moines Register, October 3, 2007)。

トンプソンはもう一つの大きな義務的経費であるメディケアについても、給付水準の見直しをほのめかしている(Schatz, ibid)。まずメディケア本体については、所得水準によって給付内容に濃淡をつけるという考えがあるようだ。また、処方薬代保険には極めて批判的で、制度廃止の可能性も排除していない。

トンプソンの経済政策は、読み込んでいけばそれなりに大胆な内容である。しかし、演説を読んだ最初の印象は、何とも変わらない共和党らしい提案だということである。そこには、中間層の経済的な不安や格差の拡大、グローバリゼーションの負の側面といった問題意識は微塵も感じられない。あるのは、減税・歳出削減・小さな政府である。トンプソンの演説は、おそらく共和党の候補者ということであれば、8年前でも8年後でも通用する。ブッシュ大統領が同じ演説を行っても違和感はないだろう。むしろ年金給付金をバッサリと切り捨てる辺りは、ブッシュ政権よりも先祖帰りしている感がある。

こうした経済政策における不変性、言い換えれば「アナクロニズム」は、共和党の有力候補者にある程度共通している。10月9日に行われた、経済問題を主題にした討論会が好例である。ニューヨーク・タイムスのデビッド・レオンハートは、ミシガンという全米でも経済状況の特に悪い地域での討論会にもかかわらず、共和党候補者は米国人の経済的な不安感に触れようとせずに、減税・財政規律・規制緩和・自由貿易といった、数十年に亘って共和党が主張してきたのと何ら変わりのない経済政策を繰り返したとあきれる(Leonhards, David, "Atop G.O.P., It’s Always Sunny", New York Times, October 10, 2007)。ワシントン・ポストのスティーブン・パールスタインも「9人の候補者による2時間の討論会にはほとんど何も目新しいことはなかった」と切り捨てる(Pearlstein, Steven, "Two Hours, Nine Candidates, and Almost Nothing New", Washington Post, October 10, 2007)。さらに民主党系のメディアであるDemocratic Strategistのエド・キルゴアは、今回の討論会での議論は20年前なら当たり前だと受け止められていたような内容かもしれないと皮肉る。キルゴアは、一部の候補者による中国批判でさえ、中国を日本に置き換えれば20年前でも違和感はなかっただろうとまで指摘している(Kilgore, Ed, "Anachronisms", The Democratis Strategist, October 9, 2007)。

トンプソンも例外ではない。ニューヨークタイムスの社説は、「共和党の討論会をみていると、少なくとも有力な候補者達は別の宇宙に住んでいるかのように思われた」と指摘、それを何よりも印象付けたのが、経済を「ばら色だ」と断言したトンプソンだと書いている(editorial, "What, Me Worry?", New York Times, October 12, 2007)。同じくニューヨーク・タイムスのゲイル・コリンズも、トンプソンの討論会での発言を引用しながら、ミシガン州民の苦境にシンパシーを見せなかった点を疑問視する(Collins, Gail, "Calvin Coolidge Redux", New York Times, October 11, 2007)。コリンズは、米国民は富める者を敬う傾向にあるが、それも、どんなに恵まれていても一般国民の感情を理解していることが伝わってくるのが条件だと指摘する。これに失敗したのが2004年のケリーだが、少なくともケリーは「庶民的だから」という理由で候補に選ばれたわけではない。しかしトンプソンは、"Gucci-wearing, Lincoln-driving, Perrier-drinking, Grey Poupon-spreading millionaire Washington special interest lobbyist"という批判を封じるために、ピックアップトラックで州内を遊説するとうい仕掛けで、庶民的な魅力をアピールして上院議員になったはずだ。そんな部分がないトンプソンにどんな意味があるのだろう?

いくらメイン・ストリーム・メディアが左よりだといっても、ずいぶん強力な批判である。それでも共和党流の経済政策が選ばれるとするならば、米国の「小さな政府」志向はかなりの筋金入りと見ても良いのかもしれない。

ヒラリーのミス・ステップとKIDS accountの不運

ヒラリーによる貯蓄増進策発表の裏側で、ひっそりと消えていった提案がある。「赤ちゃん債(baby bonds)」と呼ばれる構想である。

ことの発端は、9月後半の議会ブラック・コーカス会合でのヒラリーの発言にある。ここでヒラリーは、生まれてきた子どもに5000ドル相当の債券を発行するというアイディアを提示した。成長に連れて元手となる資金が増えていけば、将来的に大学関連の学費にしたり、住宅購入の頭金にしたりできる。黒人の大きな問題は金融資産へのアクセスであり、「赤ちゃん債」は生涯に亘る貯蓄や富の増進の足掛かりになるというのが、ヒラリーの主張だった。

ところがヒラリーは、間もなくこの提案から距離を置き始める。まずヒラリーは、「単なるアイディアを提示しただけ。議論を期待している」と発言。10月8日のインタビューでは、「他にも優先順位の高い課題があるので、この構想は選挙期間中には提案しないだろう。恐らくは後回しだ」と明言してしまった(Memmott, Mark, "In her own words: Clinton calls 'baby bonds' a 'back-burner' idea", USA Today, October 9, 2007)。

ヒラリーが躊躇した背景には、共和党陣営が典型的な「ばらまき」だとして、即座に攻撃を開始したという事情がある。例えばジュリアーニは、「社会主義者の提案だ」と噛みついた。世論調査でも6割が反対を表明したという。ヒラリー陣営にとっての初めての大失敗であり、中道派としての彼女のイメージは傷付き、本選挙に致命的な影響が及ぶという意見もあったほどだ(Hallow, Ralph Z., "GOP hits Hillary's 'baby bonds'", Washington Times, October 9, 2007)。

有り難くない余波を被ってしまったのが、出生時からの資産構築の重要性を訴え続けてきたグループである。実は欧米では、現代社会での成功には基盤となる資産の構築が重要であり、幼少期からの資産構築を公的に支援する必要があるという議論が綿々と続いてきた。現在の米議会にも、KIDS accountという名称のアカウントを新設し、出生時の一人当たり500ドルの補助金と、中位所得以下の家庭に対する自己拠出額に応じた補助金の追加的な支給を行なうという法案(ASPIRE act)が、超党派の議員によって提案されている。上院ではヒラリーと同じくニューヨーク選出のシューマー議員が賛同しており、かつてはあの(?)デビッド・ブルックスが、「オーナーシップ社会構想の要素を兼ね備えながらも広範な支持を得られる提案」だと推奨したこともある(Brooks, David, "Mr. President, Let's Share the Wealth", New York Times, February 8, 2005)。因みに英国にも似たような制度(Child Trust Fund Account)があるが、もともとは米国の研究者からもらったアイディアを、英国が先行して実現してしまったものである。

「赤ちゃん債」への支持をトーンダウンする過程で、ヒラリー陣営はそもそも念頭に置いていたのはKIDS accountだったかのような発言を行なっている(Calmes, Jackie, "Clinton Has a New Bus, but No 'Baby Bonds'", Wall Street Journal, October 5, 2007)。結果的には「赤ちゃん債」騒動に巻き込まれて、KIDS accountさえもが後回しにされてしまったような格好である。

世界的に格差問題がいわれるなかで、選挙戦の余波でこうした有望な提案が葬り去られてしまうとすれば、極めて不幸な成り行きだと言わざるを得ない。自分としても、本業での調査を含めて、サポートしてみようかと考えているところである。

2007/10/11

ヒラリーの中間層対策:Yesterday’s News was Pretty Good

今週ヒラリーは、アイオワとニューハンプシャーを舞台にしたバス・ツアーを敢行し、「中間層の再興」をテーマに、一連の経済政策を「21世紀の経済への青写真」として発表した。パッケージの中身は既に発表されていたものが多く、新しいのは学費支援、サブプライム関連の追加策、そして昨日取り上げた貯蓄増進策程度だが、取り敢えずそのラインナップを紹介しておこう。

1.イノベーションの力で高賃金雇用を生み出す

研究のために500億ドル規模のStrategic Energy Fundを新設。石油業界は自前で代替エネルギーの開発を進めるか、同ファンドに資金援助を行なうかを選択する。ファンドは研究支援だけでなく、オフィス・住居の省エネ化や、ガソリン・スタンドのE85対応工事に対する優遇税制や、バイオ燃料の商用化に関する債務保証などを行なう。

2.労働者の力を強化して、全ての米国人が公平な貢献を行うようにする

労組結成手続きを簡素化する。

通商協定の着実な実施を確保するために、USTRに通商執行官を設け、関連スタッフを倍増させる。

通商による失業者の救済策であるTAAを改革する。具体的には、サービス業や移転先との自由貿易協定などの有無にかかわらず海外移転した企業の労働者を対象に加え、職業訓練用の予算を4.4億ドルに倍増。失業期間中の医療保険費用を補助するHCTCについても、税額控除の水準を保険料の65%から90%に引き上げるなどの改革を行なう。

税制に公正さを取り戻す。高所得層の所得税率を90年代の水準に戻す。ファンド・マネージャーに対する不当な優遇措置を廃止する。中間層向けの減税は延長し、AMTを改革する。

3.一生懸命働いて責任を果たした国民には、先に進むためのツールを国が提供するという、基本的な契約を再建する

奨学金や優遇税制の改革によって、資金面で大学に通い易くする。

全ての国民に安価で質の高い医療保険を保証する(詳細は別に譲る)。

住宅問題に正面から取り組む。まず、立ち退き対策として、GSEなどを使った"Save Our Homes"プログラムを2年間の期限付きで実施する。具体的にはGSEのポートフォリオ上の規制を緩和し、700億ドル規模のモーゲージ購入能力を生み出す。また、州によるモーゲージ歳入債の起債基準を緩和し、リファイナンス用モーゲージの財源として利用できるようにすると同時に、起債上限を約25%(25億ドル相当)引き上げる。そして、責任感のある借り手がモーゲージにアクセスできるようにするために、"Realizing the Dream"プログラムを実施する。具体的には地域の住宅コストに応じてGSEが購入できるローンの上限を一時的に引き上げ、即座に流動性を供給させる。さらに、立ち退き救済法を制定し、立ち退きに関するコンサルタントのスタンダードを定めると同時に、不正摘発のための補助金を州政府に提供する。

退職後の保障を改善するために貯蓄増進策を講じる。

4.財政規律を回復する

90年代の財政ルール(PAYGO原則)を復活させ、均衡財政・財政黒字を目指す。

一読して気がつくのは「回復する」「取り戻す」といった表現が目立つことだ。米国の選挙では将来指向のメッセージが求められるというのが通説だが、「昨日のニュースは良いニュースだ」というクリントン前大統領の発言に、ヒラリー陣営の開き直りを感じさせる。

もっとも「取り戻す」ことが、すなわちクリントン政権への全面回帰を意味しているわけではない。例えばヒラリーは、NAFTAの「再評価と調整」の必要性や、通商交渉の「一時停止」論を再び持ち出している(Page, Susan, "Clinton seeks to re-evaluate NAFTA", USA Today, October 8, 2007)。この問題には改めて触れる機会があると思うが、レトリックと実際の乖離には、くれぐれも注意する必要があるだろう。

2007/10/10

ヒラリーの貯蓄増進策と公的年金改革の今後

10月9日にヒラリーが、老後に向けた貯蓄の促進案を発表した。401(k)タイプの確定拠出型年金を全国民に普及させるべく、年間250億ドル規模の優遇税制を導入するというのが骨子である。米国では21~64歳の勤労者の40%超が401(k)に加入している。96年の34%よりは増加しているが、近年ではそのペースは鈍化しているという(Calmes, Jackie, "Clinton Outlines Retirement Proposals", Wall Street Journal, October 9, 2007)。

ヒラリーの提案には、二つの柱がある。第一は、勤労者の貯蓄に対する優遇税制である。具体的には、ヒラリー案の下では、401(k)型の年金貯蓄に対して連邦政府が貯蓄額に応じた税額控除を提供する。その上限は、年収6万ドルまでの家庭については最初の1000ドルについて同額、6~10万ドルについては半額とされ、それ以上の家庭については段階的に補助の比率が低下する。共和党陣営からは、「増税につながる浪費だ」との批判が聞かれるが、ヒラリーの提案は(他の税目の増税でファイナンスされるとはいえ)、租税特別措置を利用した減税である。租税特別措置は共和党も利用している手段であり、これを「歳出」だと定義してしまえば、共和党の減税路線にも論旨が通らない部分がでてきかねない。

第二は、American Retirement Accountの導入である。この口座は、現在401(k)プランを提供されていない勤労者などを念頭に置いた新しい制度であり、年間5000ドルまでを課税繰り延べベースで積み立てられる。当然のことながら、最初の1000ドルは前述の税額控除の対象となる。勤労者が新設の税額控除を受けるには、既存の401(k)プランを維持しても良いし、American Retirement Accountを開設しても良いことになる。口座の運用は民間企業が行なうため、公的部門の拡大にはつながらないと主張されている。

この他にも同アカウントには、長期間の失業に直面した場合には、残高の10~15%を罰則無しで引き出せるという特徴がある。住宅の購入や高等教育などの「生活上の重大な投資」のためであれば、やはり罰則無しで引き出せるというのは、現行のIRAと同様である。また、低所得層の参加を促すために、フードスタンプなどの公的給付の受給資格を審査する際に、退職後向けの貯蓄を「資産評価」の対象から外すという提案もある。これまで低所得層には、貯蓄すると公的給付を受けられなくなるというジレンマがあったからだ。

気になる財源については、ヒラリーはブッシュ減税のうち相続税に関する部分を、09年の水準で凍結するよう提案している。優遇税制の規模は参加者数に左右されるが、ヒラリー陣営は年間200~250億ドルを見込んでいる。これに対して相続税の凍結は、予定通りに相続税を廃止した場合と比較して、10年間で4000億ドル規模の増収になる。

実はヒラリーの提案に先立って、民主党のエマニュエル下院議員も、似たような提案を行なっている(Emanuel, Rahm, "Supplementing Social Security", Wall Street Journal, Septmber 13, 2007)。具体的には、労使が給与の1%を非課税扱いで拠出するUniversal Savings Accountを設置するという提案である。ヒラリー案と同様に、口座の運用は民間企業が担当する。また、加入者を増やすために、原則として企業は従業員を自動的に同口座に参加させる。こうした自動加入のシステムは、近年401(k)プランに普及し始めており、貯蓄増進の効果が認められている。因みにヒラリー案にも、似たような内容が含まれている。

細部の違いはさておき、ヒラリー案とエマニュエル案の違いで見逃せないのは、公的年金改革との結び付け方である。具体的には、エマニュエルは、個人の貯蓄を増進し、老後に対する不安を和らげることが、公的年金改革の前提になると位置づけている。公的年金改革自体については、両者共に安全な老後のための「聖域」と位置付けており、その強化を主張しているが、エマニュエルの方が「強化」の内容には含みがある印象だ。そもそもこうした形式での個人貯蓄の増進は、クリントン政権が公的年金改革を念頭に置いていた時期に、これを補完するパーツとして検討されていた経緯がある(Calmes, ibid)。その点では、エマニュエルによる提示の仕方の方が、オリジナルのクリントン政権の論理に近い。

公的年金改革との関連では、民主党サイドからの一連の提案は、公的年金の外側に「個人勘定(マーケットなどで運用される個人管理の積立口座)」を設けるのとほぼ同じ意味合いがある。ブッシュ政権が提唱していた「個人勘定」は、公的年金の一部を置き換えて設置すべきだとされていた(carve out)。しかし、公的年金の外側に個人勘定を設けるという対案(add on)は、当時から超党派の賛同を得られる可能性が指摘されていた。実際に、個人勘定の産みの親とでもいうべき存在であるフェルドシュタイン・ハーバード大教授は、税でファイナンスする公的年金をマーケットで運用する個人勘定でサポートするという点で、ブッシュ大統領の提案とエマニュエル案の距離は近いとして、民主党と共和党の間で妥協が可能になるかもしれないと指摘している(Feldstein, Martin, "Social Secuirty Compromise", Wall Street Journal, October 8, 2007)。

もちろん、個人勘定が公的年金をサポートするといっても、それが公的年金の給付削減容認を意味するかどうかという点については、民主党と共和党の意見は食い違う可能性が高い。また、医療保険の問題と同様に、公的年金を巡る議論には、双方の支持基盤との関係に関わってくるという難しさがある。しかし、民主党政権が誕生した場合には、取り敢えずの入口として、公的年金の議論とは一旦切り離した形で、add on型の個人勘定に進むという方向性は、十分に考えられるのではないだろうか。

2007/10/09

オバマ経験不足論はブーマー世代の仕業?

経験の浅さという点では、候補者の間にそれほどの違いが見られないのに、なぜオバマの未熟さが争点になるのか。一つの鍵は、ベビーブーマーにあるのかもしれない。ボストン・グローブのエレン・グッドマンの指摘である(Goodman, Ellen, "Junior envy", Boston Globe, January 26, 2007)。

確かにオバマは相対的には若いが、一般的な社会常識でいえば、46歳は若者とは言い難い。むしろ、自分は若くないということを感じさせられる年頃である。モーツァルトは30台で死んでしまったし、アインシュタインは36歳で相対性理論を発表した。政治の世界においても、ルーズベルトは42歳で大統領になっており、オバマは史上最年少の大統領にはなり得ない。

むしろオバマの「若さ」がクローズアップされるのは、有権者が高齢化しているのではないか。なかでもブーマー世代の高齢化が、オバマにとっては逆風になっている可能性がある。1960年には米国の平均年齢は29歳だったが、現在は36歳である。そして発言力の大きいベビーブーマー世代は、60代に差し掛かっている。20歳代の頃は「30代以上は信用できない」としていたブーマー世代が、今や50代以下は信用できないと言い始めているのではないか。

ブーマー世代は、いつまでも若さを失わない世代といわれる。その副作用は、次の世代をいつまでも若輩もの扱いしがちで、「世代交代に後ろ向きなことにある。言い換えれば、物事を仕切るのは自分たちの世代だという自負がいまだに強いのが、ブーマー世代なのである。

クリントン以来、米国ではブーマー世代の大統領が16年続いている。ブーマー世代に属するのが18年であるから、そろそろ世代交代となってもおかしくはない。ブーマー世代の最後尾(もしくはジョーンズ世代)のオバマであれば、タイミング的には違和感がないという議論も可能だろう。しかし現実の選挙戦は、そのようには展開していない。いかに世代が松明を受け継いでいくかは、今後の米国政治の隠された論点なのかもしれない。

2007/10/07

経験不足の候補者たちが多い不思議

ヒラリーとオバマの戦いは、「経験」と「変化」の勝負だといわれている。正確に言えば、少なくともオバマ陣営はそのような構図に持ち込もうとしている。しかし歴史的な水準に照らし合わせれば、今回の予備選挙における「有力候補者」は、いずれも「経験不足」だというい方も可能である。2007年7月に、ニューヨークタイムス・マガジンにマット・バイが寄稿した小文は次のように指摘している(Bai, Matt, "What Does It Take?", New York Times, July 15, 2007)。

ヒラリー、オバマ、エドワーズ、ジュリアーニ、ロムニー、トンプソンといった有力候補者を合わせても、州政府レベルでの選挙で勝った回数は6回に過ぎず、通算した任期も28年にしかならない。トップレベルの公職期間が最も長いのはジュリアーニだが、それも市長どまり。これまでに市長から大統領になった例は無い。これに比較して、バイデンやリチャードソン、マケインといった公職経験の長い候補者は、予備選挙で苦戦を強いられているのが現実である。

こうした選挙戦の展開は、米国の歴史では例外的だ。俳優出身であることがクローズアップされがちなレーガンでも、州知事を2期務めてから、69歳でようやく大統領にたどり着いた。ブッシュの父親は、外交官、CIA長官を経て、副大統領を2期務めた。若くして大統領になったクリントンでも、その前にはアーカンソー州知事を実に5期も経験している。例外はカーターくらだった。ところが、現在のブッシュ大統領辺りから、経験の浅い大統領というトレンドが始まったようにみえる。州知事を一期経験しただけのブッシュ大統領は、最近24年間でもっとも経験の浅い大統領である。

バイは、その背景として3つの理由をあげる。第一に、インターネットの発展によって、社会全体として「専門家」の優位性が低下いてきた。誰でもさまざまな情報が容易に入手できるようになり、一般大衆が政治評論の世界にも参入できるようになった。むしろ「経験」という言葉は、いわゆる「専門家」が自らの領域を一般大衆から守るために使う都合の良い言い回しになってきた。第二に、政治的な経験の豊富さは、必ずしも現状打破につながらない。オバマの議論にも共通するが、イデオロギー対立の中で育ってきた政治家は、妥協の術を知らない。第三に、一般の労働者も一生のあいだに何度も職業を変えるようになっており、政治家だけを続けている人間はかえって怪しい。

もっともバイは、政治的な経験の浅さが必ずしもプラスになるとは考えていない。政治というのは企業経営のように簡単に割り切れるものではない。MBAをもつ初の大統領であるブッシュの失敗をみれば、一目瞭然だろう。どこで妥協して、どこで信念を貫くのか。そいった勘所は、経験を積んで初めて身につくものだとバイは指摘する。

この「妥協するポイント」という点については、再び医療保険改革に臨むヒラリーが、前回の失敗を学んでいるかどうかという観点でも指摘されている論点である。これについては、また改めて触れることにしたい。

マット・バイは、ニューヨークタイムスマガジンを中心に活動しているお気に入りの記者である。近著のThe Argumentも、民主党の近況を描いて興味深い。名前を覚えておいて損はないと思いますよ。

2007/10/05

Dazed And Confused : 詳細な医療保険改革案の罪

今週末は最初の引越しである。勢い資料の整理を迫られているのだが、いやはや資料を捨てるのは辛いですね。これであれをやる筈だったとか、いろいろ考えてしまう。

というわけで(?)、しばらくは折りに触れて、取り上げた損ねた報道を備忘録的に記す機会が多くなりそうである。それはそれで、新しい発見もあり面白い。

今回は、医療保険改革の詳細を示すことの是非に関する議論である。筆者のマーク・シュミットは、2000年の大統領選挙で民主党のブラッドレー候補の陣営に属していた。その経験からのアドバイスは、「詳細な改革案は示すべきではない」というものだ(Schmitt, Mark, "Too Much Information", New York Times, July 24, 2007)。詳細な政策提案は、細部だけを取り上げた候補者批判に使われる以外は、ほとんど関心を集めることがない。2000年の選挙でブラッドレーは、対立候補のゴアに負けない詳細な改革案を提示したが、ゴア陣営による技術的な細かい批判に切り刻まれてしまった。結局のところ、ブラッドレーのためにも、国民皆保険制実現のためにもならなかったというのである。

シュミットは2つの理由をあげて、予備選期間中の提案は候補者が大統領になった後に実現できる改革とは全く関係がないと指摘する。第一に、この頃の提案は、新しい大統領が誕生する頃には忘れ去られてしまう。1992年の大統領選挙に出馬したボブ・ケリー上院議員は、予備選挙中には左よりの提案をしていた(シングル・ペイヤー)にもかかわらず、実際に当選したクリントン政権がそれよりも中道寄りの提案(もう一人の候補だったソンガス案に近い)を発表したところ、今度は右側からこの提案を批判したという。第二に、大統領は独断で政策を実現する権限がない。実際の政策を決定するに当たっては、議会での審議が必要である。さらにシュミットは、選挙期間中に若輩のアドバイザーが徹夜でピザを食べながら作ったような改革案が、連邦政府・議会が総力を挙げて検討した改革案にかなうわけがないと指摘する。

シュミットは、民主党の支持者はプラン自体ではなく、「プランという考え」に取り付かれており、プランが詳細であるほど、その候補者が本気であると思い込みがちだと指摘する。しかし、この時点での改革案に実現の可能性がない以上、支持者に必要なのは、候補者のキャラクターをしるための手がかりだけだ。したがって候補者は、改革の原則とその理由、そして基本的な目標をすめば十分だというのが、シュミットの主張である。

ヒラリーはかつて討論会で医療保険改革に触れて、「もっとも大事なのはプランではない。私達はほとんど同じようなことを提案している。大切なのは、政治的な意志があるかどうかだ」と述べている。シュミットは、このラインで十分なはずだと述べている。

もちろんこの記事が発表された後に、ヒラリーは詳細な改革案を発表した。それどころか、アイディアの無さを揶揄された共和党陣営も、それなりの改革案を発表しているのが現状である。しかし、米国の医療保険制度の実態は、多少知識がある人間でも眩暈をおこすほど複雑だ。勢い、実際の改革案の本質から離れた単純な批判の方が受け入れられやすくなる素地は十分にある。ことが「政府のあり方」のような抽象的な問題にもつながってくるからなおさらである。詳細な改革案の戦いが、本当に改革のためになるのかどうかは、選挙戦の騒乱が静まった後に初めて明らかになるのかもしれない。

2007/10/04

医療保険改革と二つの「トロイの木馬」

医療保険を巡る議論が盛んになっている。この問題は、市場原理重視の共和党と、国の役割を重視する民主党の議論が分かれる好例として取り上げられ易い。一朝一夕に片付く問題ではないが、政治的な思惑もからむだけに、少しの動きでも、将来に向けたさきがけとして神経質に取り扱われる傾向があるようだ。

2つの事例を取り上げたい。

第一は、現在議会を賑わせているSCHIPの問題である。10月3日にブッシュ大統領は、民主党議会が可決した改革案に対して、予告通り拒否権を発動した。大統領による拒否権の発動は、就任以来数えても、ようやく4回目である。

既にこのページでも取り上げたように、ブッシュ政権・共和党が議会の改革案に反対している理由の一つが、「国が運営する全国的な医療保険への第一歩である」というものである。例えばベーナー下院院内総務は、「子供のために作られたプログラムを、いまだに同制度の対象とすべき低所得の子供が残っているにもかかわらず、国が運営する医療保険制度のトライアル・バルーンに使うのは無責任だ」と述べている(Newton-Small, Jay, "Making Hay Over the Health Care Veto", Time, October 2, 2007)。

共和党がSCHIPが国営医療保険の「トロイの木馬」である根拠として指摘するのが、90年代にクリントン政権が医療保険改革を推進していた際に作成された、ある内部文書である。この文書には、国民皆保険制の導入に失敗した場合の善後策として、子どもの無保険者を無くす(Kids First)という提案が記されている。州政府を担い手とするなど、枠組み的には後のSCHIPに極めて近い。今回の民主党のSCHIP改革論も、当時の流れを汲む策略だというわけである。

当時改革を取り仕切っていたヒラリー上院議員の陣営は、この文書に基づくSCHIP批判は、二つの点で意味が無いと反論する。第一に、この文書は当時の数ある提案の一つに過ぎず、当時ヒラリーが支持していたわけでもない。第二に、そもそもヒラリーは、国が運営する全国的な医療保険制度を提案しているわけではない。むしろヒラリーの改革案は、官民の保険が共存するハイブリッドである(Kady II, Martin, "Battle of sound bites reaches health care", Politico, October 2, 2007)。

他方で、共和党型の医療保険改革のさきがけになる可能性があると指摘されているのが、先頃GMとUAWの間で合意された、退職者医療保険に関する改革である(Jenkins Jr., Holman W., "Wising Up on Health Care", Wall Street Journal, October 3, 2007)。この合意では、UAWがVEBAと呼ばれる基金を通じて退職者に医療保険を提供し、GM側はこの基金に定額の費用(350億ドル)を払い込むこととされた。この合意によって、GM側は退職者医療に関する債務を切り離し、負担額を確定できる。対するUAW側は、基金の運用や医療費の管理具合によっては、組合員に負担を求めずに制度を存続させられる可能性が出て来る。GMの退職者医療債務は510億ドル。350億ドルの元手でどこまで制度を運営するかは、UAWの腕の見せ所である。

こうした仕組みは、ブッシュ政権が個人向けに推進していたHSAに酷似している。さらに言えば、利用者にアカウントを与えて、サービスの効率的な利用へのインセンティブにしようという考え方は、「オーナーシップ社会」構想に相通じている。

もっとも、GM-UAWの取り組みがオーナーシップ構想のさきがけになるかどうかは、今後のUAWの出方にも関わってくる。例えば、GMとの合意のなかには、国民皆保険制の導入に向けて協力するという内容があるという。民主党政権の誕生も視野に入る中で、UAWにとって今回の合意は国による救済を求めるための通過点に過ぎないのかもしれない。また、基金の運営が厳しくなった場合には、GM側が追加的な費用を負担する。このようなセーフティーネットの存在は、効率化へのインセンティブを殺いでしまいかねない。

GMに先駆けてUAWがキャタピラーとの間で設立したVEBAたは、発足後6年で底を付いてしまった。GMの案件はまだ仮合意の段階だが、その行方は今後の医療保険改革論議にも少なくからぬ影響を与えそうだ。

2007/10/01

波紋を呼ぶオバマの年金改革案

第二期ブッシュ政権が大きな挫折を経験した公的年金改革だが、ここに来て民主党の各候補者の提案が明らかになってきた。日本ほどではないが、米国も高齢化が進もうとしている。最大の課題は医療保険だが、将来的には公的年金も財政バランスが崩れてくる。年金財政の健全性をいかに確保するかが問われているわけである。

焦点は財源としての社会保障税の扱い。なかでも注目を集めているのは、オバマの提案である。オバマは9月21日のQuad-City Timesへの投稿で、年金所得の課税上限を見直すべきだと主張した(Obama, Barack, "Fixed-income seniors can expect a tax cut", Quad-City Times, September 21, 2007)。同26日にニューハンプシャーで行われた民主党の討論会でも、オバマはこの提案を強調している。課税上限の見直しは、ブッシュ政権も検討したことがあるが、オバマは現在年間9万7500ドルに設定されている上限の廃止を例示しており、そうなれば実に10年間で1兆ドルの増税となる大掛かりな改革になる(Davis, Teddy, "Obama Floats Social Security Tax Hike", ABC News, Septmber 22, 2007)。エドワーズも課税上限の見直しを提案しているが、現在の上限から20万ドルまでは除外されるので、オバマ案よりは増税規模は小さい。

当然のように、オバマの提案には共和党陣営から「大増税」との批判が集まっている。医療保険改革と並んで、共和党にとって税制の問題は、「政府のあり方」を軸に民主党との違いを強調しやすいテーマである。それでなくても、年金改革は米国政治の「第三のレール」といわれ、下手に手を出すと致命的な打撃を受けるといわれる。中には、民主党が社会保障税増税を持ち出したことで、税の分野で共和党が盛り返す芽が出て来たという意見もあるほどだ(Pethokoukis, James, "Forget Clintonomics--This Is Mondalenomics", U.S. News & World Report, September 27, 2007)。

もっとも見逃せないのは、課税上限の見直しには、年金制度を擁護するリベラルな勢力からも慎重な意見が聞かれることである。公的年金が政治的に高い支持を得られているのは、誰もが負担に応じた恩恵を受けているというイメージがあるからだ。しかし、高所得層から低所得層への所得移転の性格が強くなりすぎれば、こうした幅広い支持は得られなくなりかねない。むしろ、かつての福祉制度のように、制度の縮小を求める気運が高まりかねないというわけである。オバマは税制改革案のなかで、低所得層の所得税をゼロにするとしているから、高齢者の間では二重の意味で所得移転の度合いが強くなる。

オバマの提案は、ヒラリーからの批判に応えたものだという見方がある。以前オバマは、年金改革について、「あらゆる選択肢を排除すべきではない」と発言したことがある。これに対してヒラリーは、給付削減や支給開始年齢の引き上げは解決策にはならないとして、何でも検討すべきだというオバマの立場を批判した(Calmes, Jackie, "Clinton Rules out Cuts in Social Securiy Benefit", Wall Street Journal, September 8, 2007)。何やら、独裁者と会談すべきか否かという両者の議論を彷彿とさせる。

それでは、そのヒラリーは年金改革をどう考えているのか。かつては社会保障税の累進化に与するような発言をしていたヒラリーだが、26日の討論会での発言は、「どのような選択肢も検討しない」というものだった。年金改革の具体案をどうこうする前に、一般財政の健全化を進めるのが先決だというのが、ヒラリーの立場なのである。実は米国の公的年金は現時点では黒字を計上している。その黒字を一般財政の赤字が食いつぶしているのが現状である。この一般財政による流用を止めれば、公的年金の財政事情は改善するというわけだ(Calmes, ibid)。

実はオバマも、前述の提案では一般財政の立て直しが先決だと主張している。それでも駄目な場合には、「全ての提案を議論」するべきであり、そのなかでも課税上限の見直しが有望だという論理展開である。そこまで言ってしまって、批判される危険性を犯すのか(意図しているかどうかも問題だが)、それとも、堅実な言い回しを使うのか。両候補の特色が良く現れている。

可哀相なのはリチャードソンだ。26日の討論会でリチャードソンは、本質的にはヒラリーとほぼ同じ議論を展開しているにもかかわらず、司会役に「そんな計算は成立たない」と突っ込まれまくっていた。なぜヒラリーはそのような目に会わなかったのか(少なくとも会っていないように見えるのか)。厳しいようだが、これがトップランナーと第二グループの違いなのかもしれない。

2007/09/26

前哨戦としてのSCHIP論争

大統領選挙の大きな争点になりつつある医療保険改革。その前哨戦が米議会で山場を迎えている。

俎上に上っているのは、低所得層の子供を対象とした公的保険であるSCHIP。9月末で期限が切れるこのプログラムの延長を巡って、議会民主党とブッシュ政権が対立している。民主党側は、現行の5年間で250億ドルの予算を600億ドルにまで増額し、660万人の加入者を1000万人にまで拡大すべきだと主張する。これに対してブッシュ政権は、同300億ドルまでの増額しか認めない方針で、拒否権の発動を示唆している。25日に下院で行われた採決では、民主党案が賛成265票で可決されたものの、拒否権を覆せるだけの賛成は得られなかった(Pear, Robert, "House Passes Children’s Insurance Measure", New York Times, September 26, 2007)。

SCHIPは、ブッシュ政権が民主党との戦場に選ぶには、やや奇異なプログラムである。SCHIPは子供の無保険者を減らすという目的を達成しており、実際の運営を担当する州政府の評価も良好である。1997年に同制度はクリントン政権と共和党議会の下で成立しており、ハッチ上院議員など共和党にも支持者は少なくない(Dionne Jr., E. J., "The Right Fight for Democrats", Washington Post, September 25, 2007)。何よりも、「子供のためのプログラム」は絵になりやすく、世論の支持を集め易い(Milbank, Dana, "A Bill That Everyone Can Love -- or Else", Washington Post, September 26, 2007)。すかさず民主党は、SCHIPに加入している子供を記者会見に引っ張り出して、「この子のために」というアピールを展開した。

ブッシュ案の水準では、100万人の現受給者が賄えなくなるといわれる(Dionne Jr., Ibid)。それでなくても、法案審議が滞り、9月末に制度が期限切れになってしまえば、12の州で制度の存続が危うくなるという(Pear, Robert and Carl Hulse, "Congress Set for Veto Fight on Child Health Care", New York Times, September 25, 2007)。このためホワイトハウスは、州政府に危機対応プランを作成するよう呼び掛けているというが、来年に選挙を控える共和党議員からは、大統領に再考を求める声も聞かれる。下院の投票でも、45人の共和党議員が民主党案に賛成票を投じている。

なぜブッシュ政権は、そこまでのリスクを犯してまで、民主党案に反対するのか。それは政権がこの問題を、政府のあり方に関する根本的な哲学の問題として位置付けているからだ。ブッシュ大統領は、民主党案は「全ての米国人に公的保険を適用するというゴールに向けたステップの一つだ」と批判する(Pear et al, ibid)。歳出拡大の財源が増税(タバコ税)なのも政権の思考とは相容れない。むしろ現状でもSCHIPは加入基準が緩められすぎており、「貧しい家庭の子ども」という当初のターゲットに立ち戻るべきだというのが、ブッシュ政権の主張だ。共和党にとってこの問題は、「医療の社会化」を巡る代理戦争であり(Milbank, ibid)、金額では譲歩の余地があるにしても、「肝心なのは政策であり、哲学の問題(レビット厚生大臣)」なのである(Lee, Christopher, "Senate and House Reach Accord on Health Insurance for Children", Washington Post, September 22, 2007)。

SCHIPのような由来としては超党派の支持を得られる素地がある政策が、ここまで論争の的になってしまうというのは、医療保険制度というのが、両党の哲学を分ける象徴的な問題になっていることの表れであろう。その一方で、イデオロギー的な対立が余りに先行した場合には、「事実」に基づいた議論によって、党派対立に歯止めがかけられる余地が出て来るような気がする。例えば、ブッシュ政権はSCHIPの対象を貧困ラインの200%以下に限定すべきだと考えている。しかし、昨年増加した子どもの無保険者(71万人)のうち、その約半数が貧困ライン200~399%の家庭の子どもだったという(editorial, "Gunfight at the S-Chip Corral", New York Times, September 25, 2007)。

ところで、SCHIPに関しては、その審議プロセス自体が、昨今の党派対立の高まりを象徴している。問題の法案は、両院協議会での審議を経ていないのである(Hulse, Carl, "In Conference: Process Undone by Partisanship", New York Times, September 26, 2007)。両院協議会は、上下両院で異なった内容の法案が可決された場合に、両院・両党の有力者が集まって、法案内容の調整を行う場であり、米国の議会審議プロセスにおいて重要な役割を果たしてきた経緯がある。両院協議会の結論(Conference Report)は、本会議での修正が認められないために、法案の内容を最終的に決定する力を持っていた。また、その開催には両党指導部の合意が必要だったので、少数党にも一定の発言の機会が与えられていた。ところが、党派対立が厳しくなるに連れて、最近の議会では両院協議会が機能しなくなってきた。多数党は内輪だけで内密に法案内容の調整を行うようになり、少数党は審議妨害のために両院協議会の開催を妨げるようになってしまった。当初民主党議会は、共和党のやり方を改めて、オープンな両院協議会を開催する方針を示していたが、共和党の妨害工作が目立つようになるに連れ、両院協議会を迂回するようになったという。SCHIPでも、まずは共和党が民主党による両院協議会開催の呼びかけを断った(Wayne, Alex, "Chldren's Health Insurance Bill Dealt a Setback as Sept.30 Deadline Looms", CQ Today, September 4, 2007)。そして民主党は同調しそうな一部の共和党議員(グラスリー上院議員やハッチ上院議員)だけを招いて、最終的な法案内容を固めてしまった。SCIP以外にも、ロビイング改革法やFDA改革法、さらにはエネルギー法案などが同様の道筋をたどりそうである。

両院協議会はお飾りに過ぎないという意見もある。学費ローン法の両院協議会に参加しようとした或る議員は、開催場所を探すのに四苦八苦した上に、肝心の会合では参加者が誰も主題である法案の実物を持っていないことを発見した、なんていう話もある(George, Libby, "Why Show Up? Just Wait, and Then Complain", CQ Today September 5, 2007)。

それにしても、いつまでもこんな対立状況が続くものだろうか。有権者の問題意識が集中する医療保険の問題は、一見すると対立の構図をさらに深める要素のようだが、対立が行き詰まる分岐点になる可能性も否定できないような気がする。

2007/09/25

オバマの税制改革案(補足)

更新できない日が続いて申し訳ありません。そうこうしているうちに、議会民主党はイラク戦争に関する投票にまたしても失敗し、GMはストに入ってしまいました。米国への赴任を挟んだ向こう1~2ヶ月は、イレギュラーな更新にならざるを得なさそうです。ご了承下さい。

本日は、純然たる備忘録。オバマの税制改革案の中で批判されている、クリントン政権の年金税制改革についてである。米国は、一定の課税所得以上の世帯に対して、公的年金給付金の一部を課税所得に加えるよう求めている。93年の改革以前の仕組みでは、課税所得が単身世帯で25000ドル、既婚世帯で32000ドルを超える場合に、年金給付金の50%か所得上限超過分の50%の低い方を課税所得に加えなければならなかった。93年の改革では、これに上乗せする形で、課税所得が単身世帯で34000ドル、既婚世帯で44000ドルを超える場合に、年金給付金の80%を課税所得に加えることとされた。この改革による税収増は5年間で250億ドル弱で、メディケアの財源に割り当てられている。

当時の増税は、一般に高額所得層増税だと論じられていた。しかし、いわれて見れば、年収3~4万ドルを高額所得層というのには無理があるかも知れない。その一方で、高齢化による財政事情の悪化が予想される中で、敢えてこの税目を持って来るオバマの考えも、今一つ理解しにくい。年金や医療保険財政に関する提案が目立たないだけに、なおさら「高齢者の味方」と「クリントン批判」を相乗りさせただけの、安易な提案にすら思えてしまう。

なお、以上の情報は議会税制合同委員会の当時の立法資料を参考にした。議会予算局と併せて、最近では随分昔の資料までもがネット上に公開されている。何とも便利な世の中になったものである。

2007/09/20

不可思議なロムニーのヒラリーケア批判

ヒラリーの医療保険改革案は、共和党陣営から厳しい批判を浴びている。そのこと自体には何の不思議もないが、違和感を覚えざるを得ないのは、なかでも一際厳しい批判を展開したのがロムニーだった点である。ヒラリーの改革案とロムニーが州知事時代に実現したマサチューセッツ州の医療保険改革には、類似点があるからだ。

ロムニーのヒラリー批判は念の入り用が違う。ヒラリーによる発表の当日には、具体的な提案が明らかになる前に、ニューヨークの病院側の路上からいち早く非難声明を発表(Wangsness, Lisa, "In ways, Clinton healthcare plan resembles Romney's Mass. solution", Boston Globe, September 18, 2007)。こともあろうにジュリアーニの名前を冠した施設のある病院で、「断りもなしに…」と病院に非難声明を出されてしまったというしょうもないオチがあったが、ともあれヒラリー案はa European-style socialized medicine planに過ぎず、ヒラリーケア2.0は1.0と同じように失敗策だとこき下ろして見せた(Luo, Michael, "Clinton’s Rivals Blast Health Care Plan", New York Times, September 17, 2007)。さらにマサチューセッツの改革と似ているという評価を気にしてか、20日のウォール・ストリート・ジャーナルには、「マサチューセッツの改革とヒラリーケアは全くの別物」とする一文を寄稿している(Romney, Mitt, "Where HillaryCare Goes Wrong", Wall Street Journal, September 20, 2007)。

ロムニーが指摘するヒラリーケアとマサチューセッツの改革の違いは、次のようなものだ。第一に、ヒラリーケアは増税(ブッシュ減税の一部失効)が前提だが、マサチューセッツは違う。第二に、ヒラリーケアでは無保険者用に公的保険が拡充されるが、マサチューセッツでは民間保険の選択肢を増やした。第三に、ヒラリーは全国単一のシステムを押し付けようとしており、州独自の改革とは対極だ。第四に、ヒラリーは新しい公的保険を作り出して政府の役割を著しく拡大しようとしているが、マサチューセッツは規制緩和を重視した。第五に、規制緩和による保険料引き下げが、義務付けの前提にあるべきだ。

もっともロムニーの「言い掛かり」に反論するのは、それほど難しくない。マサチューセッツでは連邦政府からの補助金を利用したわけだが、それは政府の赤字であって、ファイナンスしようと思えば、増税が必要になる。マサチューセッツでも、メディケイド(公的保険)の拡充が試みられているし、新しい保険市場は公的に管理されている(ヒラリーは新しい政府機関は作らないとしている)。州改革重視論にしても、最終的には最良の改革への収斂が想定されているわけだから、それがマサチューセッツ型だったということならば、それはそれで良いのではないか。

何よりも見逃せないのは、語られていない二つの類似点である。第一は、ヒラリーもマサチューセッツも、無保険者の解消を目的にしているという事実である。第二は、その裏返しともいえるが、いずれの改革も、個人への保険加入義務付けを盛り込んでいることだ。ロムニーが何と言おうと、ヒラリー案への全面的な反論は、自らが携わったマサチューセッツ改革からの離反に外ならない。ロムニーはヒラリー案では義務付けの前提条件が整っていないというが、自分が義務付け自体を目指すかどうかは曖昧だ。

実際のところ、既にロムニーが提案している医療保険改革案は、共和党のラインに見事に沿った内容である。2004年の大統領選挙では、民主党のケリーが、イラク戦費に関して「賛成する前に反対した」と発言して嘲笑された敢えてマサチューセッツの改革を擁護するロムニーの姿勢には、同じような不可思議な変わり身を感じてしまう。何よりも、このまま共通項を否定し続けるようであれば、ロムニー政権下で超党派の医療保険改革が進む可能性は薄くなる。両者の距離が実は近いことは、決して米国にとって不幸なことではないと思うのだが、どうだろうか。

2007/09/19

続く政策提案:オバマの税制改革案

今週は大型の政策提案が集中している。ヒラリーの医療保険改革案に続いて、18日にオバマが税制改革案を発表した(Zeleny, Jeff, "Obama Proposes Tax Cuts for Middle Class and Elderly", New York Times, September 19, 2007)。中間層以下を主眼とした、年間800~850億ドル規模の減税という触れ込みだから、それなりの大きさである。

詳細はココをご覧頂くとして、主要な減税項目は3つである。第一は勤労家族を対象とした還付可能な税額控除の新設。家族当たり1000ドルまでの控除によって、8100ドルまでの所得に対する所得税が相殺されるという。第二は、モーゲージを対象にした税額控除の拡充。アイテマイズしなくても(簡易申告でも)、利子に対する10%の還付可能な控除を受けられるようにする。第三は、年収5万ドル未満の高齢者に対する所得税(公的年金の課税分を含む)を廃止する。この他にも、納税手続きの簡素化といった提案も盛り込まれた。

もっとも、厳密にいえばオバマの税制改革案は「減税」ではない。他の税目による財源確保が見込まれているからだ。赤字減税を排除したことで、リベラル派の積極財政とは一線を画した格好である。むしろ、税負担の変更というのが正しい形容だろう。

具体的な増税策としては、まず法人税の抜け穴塞ぎと、タックス・ヘブン対策という、いわばお決まりの提案がある。また、ファンド課税の強化策として議論されている、キャリード・インタレスト課税も盛り込まれた。当初はオバマは後ろ向きだった提案である。さらに、ブッシュ減税の関連では、配当課税とキャピタル・ゲイン税の最高税率引き上げ(20~28%)が謳われている。取り敢えず、税制としての評価は保留するとして、政治的には、企業・金持ちの負担で一般国民の税負担を軽減する(しかも住宅や高齢者にも配慮して)という、メッセージとしては分かりやすい提案である。これが民主党の雰囲気だというのも納得的だろう。

おやっと思ったのは、高齢者減税のくだりで、「93年の税制改革が高齢者の年金収入に対する税負担を増した」という批判が出て来ることだ。この改革は、クリントン大統領が財政再建への足掛かりを作ったOBRA93の一部である。民主党系の識者では、OBRA93は勇気ある財政再建策として評価されやすい。敢えてその一部を批判するオバマの真意はどこにあるのだろうか。変なライバル意識だとしたら幻滅ではあるが、興味深いところである。

2007/09/18

ヒラリーの医療保険改革案、いよいよ。

転居の準備が第一の山場を迎えつつあるので、暫くは備忘録のようなポスティングが増えるかも知れない。今の心境は、他人のサブプライムより自分の借家、ファンド課税強化より自分の確定申告である。何せ、前回米国に渡ったのは10年前。なかなかどうして一筋縄ではいかない。いっそのこと、顛末を記した新しいページでも立ち上げようかと思ってしまう。

9月17日にヒラリーが待望の医療保険改革案を発表した(Healy, Patrick and Robin Toner, "Wary of Past, Clinton Unveils a Health Plan", New York Times, September 18, 2007)。医療コスト削減、医療の質の向上に続く第三段は、国民皆保険制に向けた総仕上げの改革案である。詳細はココをご覧頂きたい。

このページをフォローして下さっている方には耳タコだと思うが、現行のハイブリッドな医療制度を基本に皆保険制を実現するための鍵は、「義務付け」にある。ヒラリーの提案では、個人に保険加入が義務付けられた。民主党の候補者ではエドワーズと同じ立場であり、義務付けを回避したオバマとは一線を画した。また、ヒラリーの提案では、企業側についても、大企業に関しては、従業員への医療保険提供か公的制度への費用負担を迫られる(Play or Pay)。

注目されるのは、90年代にヒラリーが主導した改革案(ヒラリーケア)との違いだ。共和党陣営は、前回の改革の記憶を呼び覚まし、「医療の社会化」に外ならないと批判しようと手ぐすねをひいている。ヒラリーは一体何を学んだのか。

ヒラリーのアドバイザーの一人であるジーン・スパーリングは、少なくとも3つの相違点があると指摘する(Kornblut, Anne E. and Perry Bacon, "Clinton Unveils Health Care Plan", Washington Post, September 17, 2007)。第一に、以前の提案では個人・企業は地域アライアンスという官製市場への参加が義務付けられた。今回は選択の余地が広く、現行のカバレッジ維持も可能である。第二に、制度全体を統括する公的な意思決定機関は創設されない。第三に、前回は企業への義務付けが特徴だったが、今回は中小企業についてはむしろ保険提供の支援策が盛り込まれた。総じていえば、「選択」を強調し、国の介入を控え目なものに止めようとしたという印象である。何しろ、改革案の名称からして、Amercan Health Choices Planである。

ところで日本では、マイケル・ムーアの新作「シッコ」を引き合いに、「米国型に近付くような改革」に警鐘を鳴らす向きが目立つ。しかし、あの映画は米国が敢えて対局にあるキューバを持ってきたところに意味がある。日本は比較でいえばキューバ寄りにあるわけで、学びとるべきことは自ずと違うはずだ。危機に瀕しているのは、何も米国型の医療保険制度だけではない。高齢化が進む中で、医療システムのファイナンスを維持する知恵が求められている点で、日米に違いはない。そして、国民的な議論が始まろうとしている米国は、少なくともその深淵を覗きこもうとしているのである。

2007/09/14

Sentimental Street:イラク部分撤退とオバマの焦躁

安倍首相辞任ですっかり霞んでしまったが、今週の米国では大きな行事があった。ブッシュ政権によるイラク増派の報告である。一か月近くに亘った事前広報、ブッシュ大統領のイラク電撃訪問、10~11日のペトロース司令官・クロッカー大使の議会証言に続いて、13日には大統領自らがテレビ演説を行なった。

明確になってきたのは、関係者の思惑はともかく、いよいよ部分撤退が開始されそうになってきたという事実である。ブッシュ大統領は、ペトロース司令官の進言通り、来年夏までに増派分の兵力を撤退させる方針を発表した。シナリオどおりに進めば、今月の海兵隊を皮切りに、今年のクリスマスまでにまずは5,700人の兵力削減が実現する(McKinnon, John D., "Bush Sees 'Enduring' Iraq Role", Wall Street Journal, September 13, 2007)。

表向きは完全撤退までのスケジュール作成を主張する民主党も、現実には部分的撤退を認めざるを得ない状況にある。議会民主党は共和党のフィリバスターや大統領拒否権を覆すだけの票がない。撤退スケジュールの加速や、攻撃からサポートへの役割転換で、共和党議員の切り崩しを狙うのが関の山だ。さらにいえば、こうした内容はブッシュ政権に先取りされる可能性もある。政権は来年3月にペトロース司令官等を再度召集して、一層の兵力削減が可能かを検討するとしている。

自分が大統領になった時のことを考えれば、民主党の大統領候補も過大な約束はしたくない。ギャロップ社が9月に行った世論調査では、6割が米軍撤退を支持しているものの、7割近くは「米国は完全撤退の前にイラクに一定の安定と安全を確保する義務がある」とも答えている。何でも良いから退けば良いというわけではないのである。だからこそ、オバマやヒラリーは、大統領案は「形だけの撤退」だと批判はしても、完全撤退を要求しているわけではない(Issenberg, Sasha and Marcella Bombardieri, "In senatorial role, a chance to take spotlight on war", Boston Globe, September 12, 2007)。

例えばオバマは9月12日にアイオワで演説を行ない、2008年末までの「攻撃部隊の撤退」を主張した。一見すると大胆な提案だが、反戦派には攻撃部隊以外がイラクに残るという点を捉えられて、完全撤退をあきらめたという厳しい批判を浴びた(Zeleny, Jeff and Michael R. Gordon, "Obama Offers Most Extensive Plan Yet for Winding Down War", New York Times, September 13, 2007)。また、オバマは撤退期限を定めない予算にも、断固反対という立場も示していない(Greenberger, Jonathan, "Obama: Will he or won’t he support compromise?", ABC News, September 13, 2007)。エドワーズなどは、オバマの提案はブッシュ案に類似していると指摘する(Greenberger, Jonathan, "Obama Slams Clinton on Iraq", ABC News, September 12, 2007)。前提次第だが、「毎月1~2部隊の撤退を即座に始める」という提案も、10月から4000人規模の部隊を1つずつ撤退させるのであれば、来年7月時点での削減数は4万人となり、大統領案(3万人)と大差はない。

オバマの視線は、イラクでの戦争というよりも、選挙での戦いに向いているのかもしれない。オバマはペトロース司令官等の公聴会で、スタッフがイラク政策に関するヒラリーとの立場の違いをまとめた資料を読み耽っているところを目撃されている(Milbank, Dana, "Enough About Iraq -- Let's Talk About Me", Washington Post, September 12, 2007)。アイオワでの演説も、名指しこそしなかったものの、開戦を許した「ワシントンの常識」を殊更に批判し、当初から戦争に反対してきた自らの立場を強調している。

しかし、こうしたオバマの戦略が功を奏すとは限らない。ロサンゼルス・タイムスとブルームバーグがアイオワ、ニューハンプシャー、サウスカロライナという予備選の序盤州で行なった世論調査によれば、イラク問題はかえってヒラリーの強みになっている節がある。例えばニューハンプシャーでは、「米軍撤退をできるだけ早く始めるべきだ」と考える民主党支持者の36%がヒラリーを支持している。オバマ支持は14%、エドワーズ支持は12%だ。撤退指向の民主党支持者が、もっともタカ派のヒラリーを推すというパラドックスが生じているのである(Wallsten, Peter, "Clinton appeals to antiwar Democrats", Los Angels Times, September 13, 2007)。

理由はイラク戦争に変化をもたらせる能力への期待にある。アイオワでは33%、ニューハンプシャーでは32%、サウスカロライナでは36%が、「イラク戦争を終わらせるのに最適な候補」にヒラリーを上げている。民主党支持者にしてみれば、米軍撤退を目指すという点で、いずれの民主党候補者の提案も許容範囲内にある。「実力が伴わなければ、変化を主張しても仕方がない」というヒラリーの論法が受け入れられた格好だ。オバマなどは開戦に賛成したヒラリーの経歴を批判するが、有権者にとって大切なのは過去ではなく将来なのである。

オバマはサブプライム問題でも、わざわざロビイストの影響力と絡ませて、ヒラリー批判につなげようとしている。ヒラリーの優位が揺らがないなかで、オバマ陣営には焦りもあるだろう。

前述のオバマのアイオワでの演説は、クリントンという街で行われた。どのような狙いがあったのかは分からないが、オバマの選挙戦に落とすヒラリーの濃厚な影を感じてしまった。

2007/09/12

Lonely at the Top

いくら米国オタクのサイトだと言っても、さすがに自分の国の総理大臣が突如辞任するとなると、「彼の国」の選挙を語るのは辛くなる。週刊誌に出しておいた原稿も飛んでしまったしなあ…徹夜で紙面を組みなおしている編集の皆様、ご苦労様です。このページも用意していた今日のネタはとりあえず飛ばしておこう。

米国ウォッチャーの切り口で今回の事態を解説するのは少々難儀する。何となれば、総理が追い込まれた状況は、参院選敗北の時点と大筋では変わらないからだ。イデオロギー優先と経済実感・運営能力の乖離という両国リーダーの類似点は、既に提示済みである。

敢えていえば、変わったのは唐突な身の引き方の一点だろう。その点では、レイム・ダックという状況が成り立ち難い日本と、ぼろぼろになっても大統領が独り立ち続ける米国という対比は鮮明だ。クリントンにしてもブッシュにしても、就任当初と末期を見比べると、一目で疲労が見て取れるほど外見が変わってしまっている。「年を取った」というだけではない、明らかな変化だ。

観客が立ち去っても、大統領は演じ続ける。だからこそ米国民は、4年に1度の選択の機会に真剣に向き合わなければならない。気持ちを入れ替えて、その覚悟を見届けたい。

ところで安倍首相は1954年9月21日生まれ。米国ならばぎりぎりジョーンズ世代ですね。国が違えば世代の特質も違うのでしょうが...

2007/09/11

When you come to a fork in the road, Take It !

気がつけば9月11日です。6年前の今日、当時働いていたニューヨークであの事件に巻き込まれなかったのは、今でも上手く説明できない本当の偶然でした。

そして、もう数ヶ月すると、何の因果かもう一度あの街に戻ることになります。仕事は変わりませんし、このページからの情報発信は続けていくつもりです。引越し等もあるので、しばらくは更新が乱れがちになるかもしれませんが。。。

本当は何の告知もせずに、いきなりNYから更新するのが格好良いかなあとも思っていたのですが、そうこうするうちに9-11が巡ってきたのも何かの縁のような気がします。

タイトルに掲げた敬愛するヨギ・ベラの名言に従って、とにもかくにも挑戦です。

デミ・ムーアとオバマ、ケルアックとマケイン

オバマがなぜこのタイミングでの出馬を選んだのか。以前は政治的なタイミングにかけた大胆な決断という見方を紹介したが、オバマが属する世代の特性という解釈もできそうだ。

以前に触れたように、ヒラリーに対するオバマのセールスポイントの一つは世代の違いである。現在の党派対立の根源は60年代にあり、これを超えられるのはこの時代にはまだ幼かったオバマだけだという主張である。このサイトの論法が典型的だが、こうした議論はそれなりに魅力的である。

もっとも、こうした議論を取り上げる際に悩ましいのが世代の呼称である。米国では一般的に1946~64年生まれをベビーブーマーと呼ぶ。この定義に従うと、47年生まれのヒラリーも61年生まれのオバマも同じ世代になってしまう。最前列と最後尾という言い方はできるが、何となくパッとしない。

と思っていたら、ベビーブーマーの後ろの方だけを取り出した呼称があるらしい。同じ様な時代経験と特徴を持つというには、20年近くを一纏めにするのは行き過ぎというわけだ。ジョーンズ世代(Generation Jones)は、1954~65年生まれの世代を指す呼称。オバマは立派な一員である。

「ジョーンズ?」というのが多くの方の反応だろう。それらしい解説を紹介しよう(Pontell, Jonathan and J. Brad Coker, "Who elected Bush? 'Generation Jones'", Pittsburgh Post-Gazette, December 05, 2004)。ジョーンズというのは「欲しくてたまらない」という意味のスラングが語源だといわれる。60年代に幼少期を過ごしたこの世代は、戦後のアメリカの自信と豊かさに囲まれて、将来への大きな期待を育んだ。しかし、実際に社会に出た70年代から80年代前半は、必ずしも恵まれた世代ではなく、この世代は満たされず報われない喝防を抱えこんだ。だからこそ「欲しがりの世代」なのである。新しいガジェットに飛び付きやすいという特徴があり、ジョーンズ世代を狙った販売戦略は珍しくない。YouTubeやi-Tunesのユーザーも、3分の1がGeneration Jonesだという(Maciulis, Tony, "Keeping up with the Joneses", MSNBC, November 6, 2006)。

オバマとの関係で興味深いのは、ジョーンズ世代が置かれた現状に関する指摘である。この世代は、これまでの生き方を変える様な思い切った決断を下したくなっている。中年を迎えて、「今を逃せば後がない」という焦りが、「欲しがりの世代」を駆り立てているというのである。その一端は、経験不足がいわれるオバマだが、「欲しがり世代」の一員としては、いてもたってもいられなかったのかも知れない。

ちなみに、ジョーンズ世代の有名人といえば、80年代にBreakfast ClubやSt.Elmo's Fireなどで一世を風靡したBrat Packという俳優の一群がいる(Glenn, Joshua, "Generation Obama vs. the Boomers", Boston Globe, February 20, 2007)。要するに(?)、オバマはデミ・ムーア(62年)と同じ世代なのである。その他にも、例えばFast Times at Ridgemont Highに出ていた、ショーン・ペン(60年)やフィービー・ケイツ(63年)、フォレスト・ウィテカー(61年)もGeneration Jonesである。なんとなく雰囲気はお分かりだろうか?

ついでに有力候補の世代を整理しておこう。

○サイレント・ジェネレーション(1925~45年生まれ)
ジョン・マケイン(36年8月29日生まれ=ビート世代・25~41年生まれ)
フレッド・トンプソン(42年8月19日生まれ)
ルディ・ジュリアーニ(44年5月28日生まれ)

○ベビー・ブーマー(1946~64年生まれ)
ミット・ロムニー(47年3月12日生まれ)
ヒラリー・クリントン(47年10月26日生まれ)
ジョン・エドワーズ(53年6月10日生まれ)
バラク・オバマ(61年8月4日生まれ=ジョーンズ世代:54~65年生まれ)

全般的に共和党世代の古さが目立つが、発見だったのがマケインである。サイレント・ジェネレーションの一員に数えられるマケインだが、実は彼の世代には、ビート・ジェネレーション(Beat Generation)という呼称もあるのだ。ケルアックやギンズバーグとマケインというのは、不思議としっくりくるような気がするのは自分だけだろうか(だろうな...)。この期に及んでマケインに魅力を感じてしまう理由が分かった気がする。

2007/09/10

上院議員選挙に吹く民主党への追い風

2008年といえば、専ら大統領選挙に焦点が当たりがちだが、忘れてはならないのが同日に行われる議会選挙の行方である。このうち上院では、民主党に有利な状況が出来上がりつつあるようである。

ポイントは改選議席数と引退議員の数にある。任期6年・議席総数100人の上院は、2年毎の選挙で3分の1ずつが改選になる。現在の議席数は民主党51・共和党49と拮抗しているが、個別の選挙における改選議席数には偏りが生じる。そして2008年は、共和党の方が圧倒的に改選議席が多い選挙なのである。具体的には、民主党の改選議席が12であるのに対して、共和党は22議席が改選対象。22議席のうち17議席は2004年にブッシュが勝った州だが、昨今の共和党の不調の前では、こうしたアドバンテージも影が薄い。

さらに共和党にとって頭が痛いのは、現職議員の引退である。米国の選挙は圧倒的に現職が有利であり、現職が自ら議席を守ろうとするのと、新人に議席を引き継がせようとするのでは、議席維持の難易度に雲泥の差がある。しかし、共和党への向かい風を嫌気してか、今回のサイクルでは、再選見送りを決める共和党議員が目立つ。最近では、9月8日に共和党のヘーゲル上院議員(ネブラスカ)のスタッフが、同議員が2008年の選挙で再選を目指さない意向を明らかにした(Herszenorn, David M., and Jeff Zeleny, "Hagel Will Retire From the Senate in 2009", New York Times, September 9, 2007)。この他にも共和党の現職上院議員では、バージニアのワーナー議員と、コロラドのアラード議員が既に引退の意向を明らかにしている。スキャンダルで辞職しそうなアイダホのクレイグ議員の議席はともかく、バージニアとコロラドは現職引退で民主党のチャンスが広がった。

民主党サイドの自信を示すように、リベラル系のニュー・リパブリック誌は、上院の見通しを次のように分析している(Judis, John B., "Red Dawn", New Republic, August 31, 2007)。まず民主党が議席を奪いそうなのが、コロラドとニューハンプシャー。コロラドは名門のウダル下院議員が出馬するし、ニューハンプシャーでは知名度の高いシャヒーン前州知事の動向が注目されている。ミネソタ、メイン、オレゴンにも可能性がある。前述のように、バージニアとネブラスカにも現職引退で芽が出てきた。バージニアでは大統領選挙への出馬を一時模索したマーク・ワーナー前知事(Craig, Tim, "Mark Warner Weighs His Options", Washington Post, September 9, 2007)、ネブラスカではボブ・ケリー元上院議員が出馬すれば、民主党にとって強力な候補者になる。サウスカロライナ、テキサス、アラスカは共和党の現職が問題含みなので、良い候補者が揃えられれば民主党にも望みがある。これに対して民主党の現有議席で真剣に危ないのはルイジアナだけで、これにサウスダコタ、ニュージャージーが続く程度。民主党の現有議席維持はほぼ確実で、59議席までの上積みもあるという。

贔屓目に過ぎるかもしれないが、議会選挙の重要性が見逃せないのは事実である。特に国内政策においては、米国の議会は非常に強い権限がある。議会多数党の行方は、新政権の政策運営にも大きな影響を与える。2008年に改選となる上院議員は、2002年に選ばれた議員達である。民主党が上院の多数党を失い、共和党による大統領・議会の完全制覇を許した選挙である。代わって2008年の選挙で完全制覇を狙うのは、民主党ということになるのだろうか。

2007/09/07

Bobos in the Buy American Mood

バイ・アメリカン運動といえば、かつての日米摩擦を彷彿とさせる言葉だが、最近では随分とその性格が変わっているようである。

ニューヨークタイムスが伝えるところによると、かつては工場労働者や保守的な愛国者の専売特許だったバイ・アメリカン運動が、最近では比較的裕福な都市部のインテリ層(デビッド・ブルックスのいうところのbobos:bourgeois bohemians)の間で流行しているようだ(Williams, Alex, "Love It? Check the Label", New York Times, September 6, 2007)。背景にあるのは、「罪を感じないで豊かな暮らしを送りたい」という思いだという。大量のエネルギーを使う輸入品の輸送は、地球温暖化に拍車をかける。中国の玩具に代表される輸入品の安全性も気掛かり。労働・環境基準の低い海外の工場を支援するのも気が進まない。そんな発想が、割高なプレミアムを払っても、メイド・イン・アメリカを買おうというインテリ層の動きにつながっている。これに呼応したビジネス界にも、敢えて高級ブランドのラインだけを米国内に残す動きがあるという。

興味深いのは、主に民主党支持者である「新バイ・アメリカ運動」の担い手が、かつては自由貿易を支持していたという事実だ。換言すれば、こうした人達こそが、クリントン政権の中道路線を支えていたのである。サーブを乗り回し、クライスラーのディーラーがどこにあるかも分からない。泊まるホテルはフォーシーズンズで、モーテル6なんて見たこともない。そんな人達がバイ・アメリカンに走っている。他方で、ウォルマートを愛用する「旧バイ・アメリカン」の支持者には、メイド・イン・アメリカは高嶺の花になろうとしている。

中国からの玩具の安全性に関する問題は、米国の大手玩具業者が連邦政府に安全性検査の統一基準を求める事態に発展している(Lipton, Eric and Louise Story, "Toy Makers Seek Standards for U.S. Safety", New York Times, September 7, 2007)。消費者の信頼を取り戻すためとはいえ、業界自ら規制強化を求めるというのはよほどのことである。

グローバリゼーションを支える米国の力学は、微妙な変化を遂げつつあるのかもしれない。

2007/09/05

Waiting for Petraus:強まる部分撤退の見通しとその意味合い

議会が再開された米国では、イラク政策を巡る論戦に向けた熱気が高まってきた。来週には、ペトロース司令官とクロッカー駐イラク大使による議会公聴会での証言や、待望(?)のブッシュ政権による現状報告の発表が予定されている。また、ブッシュ政権は2008年度のイラク戦費として、約500億ドルの補正予算を議会に要請する見込み。既に予算教書で申請されていた約1,500億ドルとあわせると、年間の戦費は約2,000億ドルに達する。これから10月8日のコロンバス・デー休会入りを一つの目安として、議会での論戦が盛り上がっていくとみられる。

苛烈な党派対立が噂される一方で、米国では一つのコンセンサスのようなものが出来上がってきているのも見逃せない。いずれにしても、来年春ごろにはある程度の駐イラク米軍の兵力削減が実現するだろうというのである。

鍵は米軍の体力にある。陸軍の海外派兵期間は、今年の4月11日に従来の12ヶ月から15ヶ月に延長されている(Bender, Bryan, "Army lengthens tours by 3 months", Boston Globe, April 12, 2007)。こうした措置は、現実には16ヶ月程度までの派兵期間の延長が行われていたり、これも定められている次の派兵までの1年間のインターバルを守れなくなっていたりしたことへの対応である。それでも、増派が今年の1月に始まっている(Karl, Jonathan, "Troop Surge Already Under Way", ABC News, January 10, 2007)ことを考えれば、ブッシュ政権は来年の春にはその先陣を帰国させなければならない。ケイシー陸軍参謀総長が指摘するように、増派の水準に兵力を維持できるのは来春までであり、自然体でいればその後は部分的な撤退は避けられない(Pessin, Al, "Army Chief Says US Can Sustain Surge in Iraq Until Spring", VOA News, August 14, 2007)。引き続き増派の水準維持は可能だという指摘もあるが、その場合には海兵隊などの派兵期間を延長する(海兵隊の派兵期間は7ヶ月、予備役・ナショナルガードは1年)等の対応が必要である(Schmitt, Gary J., and Thomas Donnelly, "Sustaining the Surge", Weekly Standard, September 10, 2007)。

この局面でブッシュ政権が最も避けたいのは、民主党に追い込まれた形での急速な兵力削減である。そうであれば、この自然体でも実現する「部分撤退」を上手く演出するのが得策といえる。すなわち、増派の成功によって部分的な撤退が可能になったと説明した上で、急速な兵力削減は事態の暗転を招くとして、民主党の攻勢を乗り切るという考え方である。実際に、こうしたラインの萌芽は既に見え始めている。ブッシュ大統領は、9月3日のイラク電撃訪問の際に、「(増派の)成功が続けば、現状よりも少ない米兵で同水準の治安を確保できるようになる」と延べ、駐イラク米軍削減の可能性を認めている。ただし、そのタイミングや規模についての言及はなく、自然体での増派終了以上のことは示唆していないとの見方も燻っている(Cloud, David S., and Steven Lee Myers, "Bush, in Iraq, Says Troop Reduction Is Possible", New York Times, September 4, 2007)。また、ケイシー陸軍参謀総長は、現行の16万2千人から2008年中に14万人程度までの削減であれば、現在の派兵期間を変える必要は生じず、また、相応の戦力を現地に残したいというブッシュ政権やペトロース司令官の要望にも合致すると述べている。そして同参謀総長は、向こう数年のうちには2万5千人程度までの削減も視野に入ってくるという立場をとる(Dreazen, Yochi J., "Discarded Troop Plan Gets a Second Look", Wall Street Journal, August 23, 2007)。さらに米議会には、ペトロース司令官自身が、向こう1~1年半で駐イラク米兵を半減させると提案するのではないかという見方すらある(Kiely, Kathy, "Lawmakers' Iraq visits reinforce opinions", USA Today, September 3, 2007)。

増派の成功が撤退につながるという説明は、来年に選挙を控える共和党の大統領候補者や議員にとっても好都合である。共和党の悩みは、無党派層が撤退に傾いている一方で、共和党支持者は相変わらずブッシュ政権のイラク政策を支持している点にある。しかし、増派と撤退を上手く結び付けられれば、こうしたジレンマからは開放される。実際に、既にそうした方向に舵を切っている候補者もいる。9月3日にロムニーは、増派の軍事的な成功によって、08年中に現地の安全を損ねずに米兵の撤退を進められる環境が整う可能性があると述べている(Stuart, Matt, "Romney sees '08 move to Iraq support role", ABC News, September 3, 2007)。

増派については、少なくとも軍事的な側面では、一定の治安の安定という成果をもたらしたという評価が少なくない。サブプライムや医療保険への関心の高まりもあり、戦争だけが有権者の関心事項というわけでもなくなっているともいわれ、急速な兵力削減を求める声がどこまで大きな流れになるかも読みにくい(Herszenhorn, David M., "Democrat Focuses on the Financial Toll", New York Times, September 3, 2007)。一方で、イラクの安定化には軍事・政治・経済の3本柱がそろう必要があるといわれる中で、政治・経済部分の立ち遅れは明白であり、イラク情勢の先行きが眼に見えて好転しているわけでもない。

兵力が緩やかに削減され始める見通しが強まってきた一方で、むしろ米軍の関与自体はずるずると続いてく可能性も高まっているのかもしれない。

2007/09/04

Electabilityという魔物

「当選可能性(Electability)」というのは面妖な言葉である。2004年の民主党予備選挙では、本選挙で勝てる候補を選びたいという有権者の思いがケリー勝利の原動力になった。2008年の予備選挙では、同じ「当選可能性」という言葉が、支持率ではトップをひた走るヒラリーにとっての障害になっている。

9月3日にエドワーズが2つの大きな労働組合の推薦を獲得した(Allen, Mike, "Edwards gets two big union labels", Politico, September 3, 2007)。United SteelworkersとUnited Mine Workersである。対するヒラリーもUnited Transportation UnionとInternational Association of Machinists and Aerospace Workersの支持は取り付けたものの、8日に推薦を正式発表する予定のUnited Brothers of Carpenters and Jointers of Americaと併せて、現時点ではエドワーズがもっとも多くの労働組合からの支持を得た民主党候補者となっている。AFL-CIOは8月8日に特定の推薦者決定を回避しており、傘下の55の労組は独自の推薦者表明が可能になっていた(Greenhouse, Steven, "A.F.L.-C.I.O. Decides Not to Endorse for Now, Freeing Unions to Do So", New York Times, August 9, 2007)。

注目されるのは、労組がエドワーズの推薦を決めた理由に、「当選可能性」を挙げていることである。United Steelworkersは、「全ての民主党候補はわれわれと価値観を共有しており、誰が当選しても今の政権と比べれば画期的に状況は改善する」としつつ、「いくつもの世論調査が、エドワーズこそが本選挙に勝てる可能性がもっとも高い候補であることを示している」と指摘している。

実は同じようなロジックは、8月28日に発表されたInternational Association of Fire Fightersによるドッド上院議員の推薦の時にもみられていた。ドッド上院議員は民主党候補の中では出遅れているが、IAFFは選挙の焦点となる中間層の票を取れる候補であるという理由で、その推薦を決めている(Holland, Jesse J., "Dodd, Clinton earn backing of unions", Miami Herald, August 28, 2007)。ちなみにIAFFは04年の選挙でいち早くケリー推薦を決め、低迷していた同候補が浮上するきっかけを作った労組である。

こうした労組の動きの背景にあるのは、反対者の多いヒラリーでは本選挙には勝てないという危惧である。このページでもかつて触れたことがあるように、確かにヒラリーに対する有権者の好みは分かれる。ギャロップ社が8月13~16日に実施した世論調査では、ヒラリーの印象を「好ましくない」とした割合が48%に達し、「好ましい(47%)」という回答を上回った。「好ましくない」とした割合は、エドワーズ(36%)、オバマ(29%)よりも断然高い。先ごろ辞任したカール・ローブ前大統領次席補佐官は、こうした有権者に嫌われる度合いの高さを引き合いに、ヒラリーは「重大な欠陥のある候補者」であると指摘する。また、このようにブッシュ政権や共和党関係者がことさらにヒラリーを攻撃するのも、ヒラリーであれば共和党支持者の反対運動が盛り上がるという思惑があってのことだともいわれる。そして、こうした有権者の意見の分裂が、ヒラリーでは本選挙に勝てないという見方を生む。大統領選挙の結果は、州ごとの勝負にかかってくる。ヒラリーには太平洋・大西洋岸に集中する民主党の地盤は固められても、それ以上には勝てる州を広げられないのではないか。

こうしたなかで、「本当のアメリカ」で勝てるという主張で、当選可能性をアピールしているのがエドワーズである(Kornblut, Anne E., "Pinning Hopes On Rural Voters", Washington Post, August 27, 2007)。エドワーズは、必ずしも恵まれない環境から成り上がってきたという実体験を武器に、田舎の米国人(rural American)・労働者階級から支持される候補者は自分だけだと主張する。実際に、民主党の憂慮候補の中で、南部出身で社会的に保守的な立場をとる白人・男性候補はエドワーズだけである。「田舎」は伝統的に共和党が強い地域だが、ブッシュ政権の不人気で共和党離れがいわれており、今回は民主党にもチャンスがある。他の候補者との兼ね合いから、「白人・男性」と明言しにくいのが悩ましいところだが、エドワーズには、オハイオ、バージニア、ネバダ、ミシガンといった地域で白人労働者の支持を集められるのは自分だという自負がある。また、エドワーズのアドバイザーであるデビッド・サンダースは、南部の田舎に住む白人男性票(Bubba)を取れるのがエドワーズの強みであり、彼であれば南部の3~5州を獲得できると主張している(Hagan, Joe, "q&a: david 'mudcat' saunders", Men's Vogue, June 2007)。

ニューヨーク・タイムスのデビッド・ブルックスの観察によれば、「本当のアメリカの代弁者」というセールス・ポイントを重視するエドワーズの戦略は、前回出馬した2004年の大統領選挙と変わらない。今から思うと隔世の感があるが、共和党の凋落がいわれる今日とは違い、当時は民主党の全般的な支持率の低下が指摘されていた。こうしたなかでエドワーズは、一般国民を見下ろすような民主党エスタブリッシュメントの態度こそが問題であり、民主党には米国のど真ん中から生まれた候補者が必要だと指摘していた。当時のブルックスは、計算ではなく「心」で有権者を捕らえようとするエドワーズに、かつてのクリントン大統領を重ね合わせていた(Brooks, David, "Rescuing the Democrats", New York Times, October 21, 2003)。時は移って2007年。今回の選挙でエドワーズは「左旋回」によってヒラリーやオバマに対峙しているといわれるが、ブルックスにいわせれば、具体的な政策面での発言こそ厚くなっているものの、エドワーズの基本的なラインは変わらない。それは、「庶民や労働者の気持ちが分かるのは自分だけ」という自負であり、その根底には「恵まれた者たち」への憤りが存在するという(Brooks, David, "The Ascent of a Common Man", New York Times, August 17, 2007)。

もっとも、「当選可能性」という議論がどこまで的を得ているのかは判断が難しいところもある。興味深いのは、最近明らかになった州別世論調査の結果である(Kilgore, Ed, "Red States Turning Purple?", Democratic Strategist, August 27, 2007)。サーベイUSAの調査によれば、アラバマ、ケンタッキー、バージニア、オハイオ、ミズーリ、ニューメキシコといった2004年にブッシュが勝った州のうちで、ヒラリーがジュリアーニに負けているのはミズーリとアラバマ、トンプソンに負けているのはアラバマだけであり、ロムニーならばどこでもヒラりーの方が支持されているという。他の民主党候補についての同様の調査結果がないので比較のしようがないし、全米規模の調査から類推すればエドワーズやオバマの方が共和党候補者に分が良いとは予想されるものの、少なくともこの結果を見る限りでは、ヒラリーでは「勝てない」という結論は導き出せない。

「当選可能性」が切り札だったケリーは、実際には本選挙でブッシュに勝てなかった。しかも、強みになると見込んでいたベトナム従軍歴を攻め込まれた結果である。「当選可能性」という捉えどころのない論点は、ホワイトハウス奪回を目指す民主党にとって頭の痛い視点になりそうだ。

2007/09/03

Slippery When Wet : ブッシュのサブプライム対策

久しぶりに携帯を持って出るのを忘れてしまい、今日はゼロスタート。そこで、31日に正式に発表になったブッシュ政権のサブプライム対策をざっくりとまとめておきたい。

主要な提案は4つ。ホワイトハウスHUD(FHA部分)のプレスリリースを参考にとりまとめると以下のようになる。

1.FHA(Federal Housing Administration:連邦住宅局)の役割拡大
(1)行政府権限で実施する部分
<FHASecureの開始(即日)>
・サブプライムARMs(Adjustable Rate Mortgages:変動金利住宅ローン)の利用者のうち、リセットによる利子負担増が理由で延滞してしまった債務者のリファイナンスに対するローン保証を開始。従来は延滞者は対象外だった。
・利用条件は、①リセットまで遅滞なくローンを支払っている、②リセットが05年6月~09年12月までに実施される、③3%の頭金、④継続的な雇用暦、⑤ローンを支払うに十分な収入。
・比較的保守的な利用条件が課されており、「(ARMsの)優遇金利ゆえに高コストのローンに誘導されてしまった良好な借り手が」への限定的な救済措置の色彩が強い。
<リスクベースの保険料適用(08年1月~)>
・借り手のリスクに応じて高額の保険料を適用できるようにする。これまでよりも高リスクの借り手に保証を提供できるようにするのが狙い。
・具体的には、現行の初回1.55%・年間0.5%の一律保険料から、初回2.25%・年間0.55%までの幅を容認(Cowden, Richard, "Administration Introduces Plan to Allow FHA to Ease Refininancing Subprime Loans", Daily Report for Executives, September 4, 2007)。
(2)議会に立法化を要請
・頭金の引き下げ(現在3%)、保証対象ローンの上限引き上げ、保険金設定の柔軟性拡大

2.住宅税制の一時的変更
・差し押さえ・リファイナンスに伴うローン解除に関する所得税の賦課を一時的に休止(従来はローン減額分を税制上の所得として認識)。

3.差し押さえ回避イニシアティブ
・関連機関・団体と協力し、差し押さえの可能性がある債務者の特定、リファイナンス関連情報の提供などを実施

4.持ち家所有者保護・再発防止対策の支援
・金融当局による情報開示・貸し出し基準見直し、消費者による最適なローン選択を支援する規制措置、週によるブローカー登録制度の支援、詐欺・不正の摘発、金融教育・差し押さえカウンセリングの支援、格付け機関・証券化の役割を検討する作業部会の設置

今回の提案は、「借り手救済」という方向性にしても、個別の内容にしても、民主党の提案と重なる部分が目立つ。「イデオロギー的な乖離が少なくなった(フランク下院議員)」「まれにみる超党派的な展開(EPIのジャレッド・バーンステイン)(ElBoghdady, Dina, "Bush's Plan Brings FHA To Mortgage Front Line", Washingon Post, September 1, 2007)」「大統領はイデオロギー的な拘束衣を脱ぎ捨てた(シューマー上院議員)(Weisman, Steven R., "Bush Plans a Limited Intervention on Mortgages", New York Times, September 1, 2007)」などと、民主党筋からも異例とも言うべき好意的な評価が聞かれるほどである。

しかし、政権と民主党との差がなくなったわけではい。むしろ、政権が民主党の提案に乗ってこなかった部分も少なくない。GSEのポートフォリオ拡大には相変わらず反対だし、ヒラリーなどが提案するように連邦政府が新しい資金を拠出するわけでもない。個別の提案をみても、例えば住宅税制の変更に関しては、すでに議会に提案されている法案には、①投資目的の住宅・セカンドホームにも適用される余地がある、②恒久減税であるといった違いがある(Ferguson, Brett, "Bush's Says Canceled Mortgage Debt Should Not Be Counted as Income by IRS", Daily Report for Executives, September 4, 2007)。

そもそもブッシュ政権は、政策的な対応には後ろ向きであり、今回の提案にしても、事務方からは6ヶ月前に原案が提示されていたにもかかわらず、今まで店晒しになっていたという説もある。積極的な対応というよりは追い込まれての提案であり、「政策総動員」などというメディアの見出しは、やや言い過ぎのような気がしないでもない。    

もっとも、一度始めてしまった救済策は、次第に拡大していきがちなもの。それでなくても政権の対応策の政策的な効果は未知数である。FHA改革について言えば、これによる利用者の増加は、FHASecureが6万人、リスクベースの保険金で2万人の合計8万人。これによって2008年度のFHA利用者は24万人。これに対して、リセット対象者は200万人、潜在的な差し押さえ対象者は50万人ともいわれる(ElBoghdady, ibid)。4日から再開される米議会では、民主党が支援策の拡大を求めるのは必至の情勢。そもそも「政府にできることは少ない」とはいわれるものの、ブッシュ政権の防御ラインがずるずると後退する可能性は少なくないだろう。

気になったのは、ブッシュの提案に対するオバマの反応。「ロビイストの影響力を許してきたのがそもそもの原因」と始めているのは、明らかにヒラリーへの当て擦り。一体どこをみてのリアクションなのか。いくら当面の敵がヒラリーだとはいえ、いかにも度量の狭いリアクションではないだろうか。

2007/08/31

ブッシュのサブプライム対策とオーナーシップ社会:What Comes Around Goes Around

「大統領候補者のスタンスもそのうち」なんて悠長なことを言っていたら、先に現職大統領に動かれてしまった。サブプライム対策の話である。

ブッシュ政権は、31日に借り手救済に重点を置いたサブプライム対策を発表する方針を明らかにした。あと数時間後に正式発表なんだから確認してからにしろよ、という声もあるかと思うが、取り敢えず30日の事前ブリーフィングに関する報道によれば、概ね次のような提案が行われるようである。

1.FHA(モーゲージへのローン保証を提供)によるリファイナンス支援
・保証対象者の基準緩和、リスクに応じた金利設定の容認
・保証対象ローンの上限引き上げ
2.リファイナンスに関する税負担緩和
3.その他のリファイナンス支援(GSEの利用を含む)・悪質な貸し出し慣行対策・格付け機関問題の検討

このタイミングでの発表は、やはり31日予定のバーナンキの演説とのからみもあるだろうし、来週からの議会再開も多分に意識されているだろう。民主党に攻め込まれる前に先手を打っておこうという計算である。そもそもブッシュ政権は、政府としての介入には消極的だった。借り手救済に関しても、借り手は契約書の細部を読んでおくべきだったとして、むしろ金融教育の必要性を説いていたほどだった(Weisman, Steven R., "Bush Faults Easy Money For Volatility", New York Times, August 9, 2007)。しかし、金利リセットによる差し押さえが今後も増えて行くと予想される中で、共和党の中には、余りに冷淡な態度を続けていては、カトリーナの二の舞になるという懸念もあったという(Weisman, Steven R, "Bush Will Offer Relief for Some on Home Loans", New York Times, August 31, 2007)。

サブプライムの問題は、民主党がブッシュ政権・共和党の経済政策を攻撃する格好の題材になり得る。そもそもサブプライムが流行したのは、成長の果実が中低所得層に分配されず、賃金が伸び悩んだからだ。オーナーシップ社会といっても、まさに国民が家のオーナーシップを失っているというのが現実であり、国によるセーフティーネットこそが重要なのではないか。分配と保障への経済政策の重点移動を主張する民主党にとっては、訴えやすい議論である。

皮肉なのは、ブッシュ政権がFHAを持ち出してきたという事実である。もとを辿れば、FHAというのはニューディール政策の一環として設立された機関である。しかし、オーナーシップ社会構想の狙いは、ニューディール体制を突き崩す点にあった。ニューディールの流れをくむ政策スキームを弱体化させれば、その恩恵を享受している人々を民主党支持から引き剥がせるという思惑である。モラルハザードや政府の肥大化を懸念するブッシュ政権としては、取り敢えずはFHAによる限定的な関与で様子をみたいというところなのだろう。それでも、こうした経緯を考えれば、保守派の中には忸怩たる思いがあってもおかしくはない。他方で、「持ち家の促進」がオーナーシップ社会構想のオリジナル・ラインナップに含まれていたのも事実である。そうなると、むしろ注目すべきなのは、政府の役割に関する「小さな政府」とは一線を画したオーナーシップ社会構想の立ち位置なのかもしれない。

これからリセットを迎えるサブプライムローンは5,000~6,000億ドルといわれる。これに対して利用者が支払うプレミアムからなるFHAのファンドは220億ドルに過ぎない(Irwin, Neil and Dina ElBoghdady, "Bush to Offer Proposals To Ease Mortgage Crisis", Washington Post, August 31, 2007)。一歩踏み出したブッシュ政権が、どこまで歩みを進めなければならないのかは、サブプライムを巡る今後の状況に左右される。何やら、戦場の現実に引きずられざるを得ないもう一つの悩みの種を彷彿とさせる構図である。

2007/08/30

Does Sun Also Rise ?:忠臣の退場とブッシュ政権

8月27日に発表されたゴンザレス司法長官の辞任は、ブッシュ政権にとって一つの大きな区切りとなった。就任以来重用してきた忠臣軍団は去った。ブッシュ政権にとっては、民主党議会との協力関係を築く最後のチャンスだが、大統領がそのように動くとは限らない。

ゴンザレス長官の辞任は、カール・ローブ次席補佐官の辞任とセットで考える必要がある。これによって、2001年の政権発足以来大統領を支えてきた忠臣たちが、ほとんどいなくなってしまったからである。これだけ個人的な友人や長年の部下を大量に政権に登用したのは、カーター政権以来だといわれる。政権発足時の採用面接では、「単にホワイトハウスで働きたいのか、それともブッシュのホワイトハウスで働きたいのか」と聞かれたというから、ブッシュ大統領の忠誠心へのこだわりは筋金入りである。しかし、政権末期が近くに連れて、テキサス人脈は次々と政権を去っていった。今でも残るのは、スペリング教育長官、ジョンソンHUD長官、そしてOMBのジョンソン副長官ぐらいである(Romano, Lois, "Lonely at The Top", Washington Post, August 28, 2007)。

一枚岩の政権はメッセージのコントロールに強く、予想外の内乱にも足を掬われ難い。その意味で選挙に臨むには適している。しかし、行政運営という観点ではマイナスの要素もある。第一に、ともすれば「悪い情報」が上に上がりにくくなり、グループ思考の罠に陥りやすい。第二に、能力よりも忠誠が重視されると、適材適所の人材配置が難しくなる。第三に、特にブッシュ政権では、忠誠心が共和党の政治的な勝利を目指す方向に向いており、これが党派対立を激化させる要因になった。

「忠臣軍団」の退任から浮かび上がるのは、レイム・ダック化の現実にようやく対応しようとする、ブッシュ政権の姿である。ブッシュ政権が残りの任期で体制を立て直し、少しでも自らの政策を実現していくには、民主党主導の議会と渡り合っていかなければならない。その意味で「忠臣軍団」の退場には2つの意味合いがある。第一に、民主党議会による攻撃対象を減らすことである。ローブ次席補佐官やゴンザレス司法長官は、民主党による執拗な調査活動の標的になってきた。両者の退陣によって民主党は、絶好の「パンチング・バック」を失った。ブッシュ政権にすれば、自らの弱みを切り離すことで、民主党議会に対するポジションを少しでも改善できるという思いがあるだろう。一連の辞任はブッシュ政権にとって大きな打撃になるという報道は少なくないが、2人は既に政権の大きなお荷物だったわけであり、そうした見方は当たらない。第二に、議会との関係改善である。前述のように、政治的な目的を共有する「忠臣軍団」は、党派対立を激化させる役回りにあった。ボルテン主席補佐官を中心とする実務家集団には、ブッシュ政権を中道寄りにシフトさせ、民主党との協力を進めやすくする要素がある(Stolberg, Sheryl Gay, "Departures Offer Chance for a Fresh Start as Term Ebbs", New York Times, August 28, 2007)。また、ローブやゴンザレスには、民主党のみならず議会共和党からも不満があった。ローブには議会共和党を軽視するような振る舞いが目立ったし(Green, Joshua, "The Rove Presidency", The Atlantic, September 2007)、ゴンザレスは政権を守ろうとする余り議会共和党の信頼までも失っていた。それでなくても改選を控える議会共和党には、不人気な政権から距離を置こうという力学が働く。議会共和党との関係改善は、政権が民主党の攻勢を食い止めるためには、最低限の必要事項である。

もっとも、ブッシュ大統領が今さら民主党との協調路線に転ずるというのは、なかなか考え難い展開である。何よりも、大統領の意図が問題である。ゴンザレス辞任の会見を見ても、これを新たな転機にするというよりは、忠臣が辞任に追い込まれたことへの怒りが勝っているように見える。せっかく無党派層を取り返すチャンスになるSCHIPでも、ブッシュ政権は敢えて民主党を正面から批判する立場をとっている。これには民主党のエマニュエル下院議員も、「何が大統領をそうさせているのか理解できない」と困惑気味だ( Toner, Robin, "A Polarizing Bush Despite a New Cast", New York Times, August 30, 2007)。国内政治という観点では、イラク戦争や来年度予算で民主党の主張を食い止め、規制行政を通じて少しでも自らの政策実現に近付けるというのが、政策に残された唯一の選択肢なのかもしれない。そもそも税制改革や年金改革といった大きなテーマは、さっぱり議論の俎上に上らなくなっている。両者が協調するといっても、農業法やサブプライム関連などの比較的小粒な案件に止まりそうだ(Seib, Gerald F., and John D. McKinnon, "Lame-Duck President Has Fewer Tools to Advance His Shrinking Agenda", Wall Street Journal, August 28, 2007)。

思えば、ブッシュ政策にレイム・ダックという形容詞が使われるようになってから随分たつ。かくいう自分も、昨年3月の時点で、「黄昏を迎えるブッシュ政権」なんていう言い回しを使ってしまっている。「それから一晩を過ごして、そしてまた朝がやって来る」などというのは、比喩の世界はともかくとして、現実にはそうそうあり得る展開ではなさそうである。

2007/08/29

Things to Come II : ジュリアーニの医療保険改革案

一昨日はロムニーの医療保険改革案を「ジュリアーニに続く共和党有力候補による改革案」と紹介したが、よくよく見返して見ると、ジュリアーニの改革案をきちんと取り上げていなかった。遅ればせながら、その内容を整理しておきたい。

7月31日に発表されたジュリアーニの改革案は、3分野10項目で構成されている。

1.政府ではなく患者・家族の力を強める
・税制改革による選択の幅の拡大(1万5千ドルまでの医療費所得控除化)
・税額控除などによる低所得層の医療保険購入支援
・品質・価格の透明性向上
2.お役所仕事と医療のデリバリー改革
・医療訴訟改革
・ブロック・グラントによる州政府の改革促進
・州による保険規制緩和・州を跨いだ保険購入の容認
・新薬承認プロセスのスピードアップ
・官民パートナーシップによるIT化促進
3.健康促進のための保険カバレッジ改革
・HSAの基準緩和
・州の予防医療・生活習慣病対策とメディケイド補助金の関連づけ

お気付きのように、具体的な改革案の内容は、ロムニーのそれと似通っている。柱の一つが個人保険購入に関する税制改革なのも同じである。

ジュリアーニの改革案に対しては、「改革」の看板に値しないという批判もある(Klein, Ezra, “A Man With a (Non-)Plan”, American Prospect, August 2, 2007)。詳細さに欠けるのもさることながら、義務付け等もないし、所得控除はそもそも所得税を払っていない低所得層には無力である。これでは無保険者は減らないし、医療コストも下がらない。また、企業提供保険から個人保険に移れば、保険会社に対する加入者の立場が弱くなるという指摘もある(Gross, Daniel, “I Can Get It for You Retail”, Slate, August 9, 2007)。

見逃せないのは、そもそもジュリアーニの改革案は無保険者対策を謳っているわけではないという事実である。むしろジュリアーニの改革案は、民主党の提案を攻撃するための足掛かりとしての色彩が強いといえるかもしれない。ロムニーのラインにも似ているが、民主党の提案は「大きな政府」の典型であり、医療保険を取り巻く状況をかえって悪化させるというわけである。実際にジュリアーニが改革案を発表した際には、「民主党」という言葉が6回、「シングル・ペイヤー」が8回使われたのに対して、「無保険者」への言及は一度もなかったという(Klein, ibid)。「社会主義的なモデルは政府を破産させる。そこにヒラリー、オバマ、エドワーズは導こうとしている。罠に気付かなければ大変なことになる。カナダやフランス、英国型の医療保険になってしまう」などと、その批判ぶりはなかなかカラフルである(Santora, Marc, “Giuliani Seeks to Transform U.S. Health Care Coverage”, New York Times, August 1, 2007)。

既に述べたように、実際に改革案が目指す姿について、共和党と民主党にどれほどの違いがあるのかは疑問である。しかし、ジュリアーニやロムニーの態度を見る限りでは、合意出来る部分を探して超党派で改革を進めようという気配は感じられない。予備選特有の現象であるにしても、こうした論戦によって歩み寄りの「土壌」が汚染されすぎれば、改革の実現は遠のいてしまいそうである。

2007/08/28

Don't Worry Be...:サブプライムは難しい

やや落ち着きを見せている感のあるサブプライム関連の市場の混乱だが、リスクの総体が見えにくいことが、市場関係者の懸念につながっているようだ。何しろ自分のような素人には、お恥ずかしい話、出て来る単語自体に馴染みがない。ABCP、MBS、CLO…いわゆるアルファベット・スープという奴だが、何度も何度も調べてしまう。

我ながら何ともレベルの低い不透明感だと思っていたら、何のことはない。米国の企業エコノミストも似たり寄ったりであるらしい。米国の企業エコノミストの集まりであるNABEは、7月末から8月初めにかけて会員を対象に行なった世論調査の結果を発表している。これによれば、新しい金融用語について、「あまり知識がない」という回答が、ヘッジ・ファンドについては45%、ABSが48%、CDOが51%、CDSに至っては68%に達していた。サブプライム問題が爆発する前の調査なので、今頃は会員エコノミストも自分と同様に学習しているとは思うが、それにしても高い割合である。

これから利率のリセットを迎えるローンも多く、サブプライムを巡る状況は決して楽観できない。本業としては市場ウォッチよりは選挙ウォッチが近い自分だが、実体経済に影響が及べば、選挙の行方にも関わってくる。「みんなも知らないないんだから、まあいいや」とも言ってはいられない。

子どもの夏休みの宿題をそろそろ気にしながら、自分もお勉強の今日この頃。大統領候補のスタンスもそのうちアップする予定である。

2007/08/27

Things to Come:ロムニーの医療保険改革案

8月24日にロムニーが医療保険改革案を発表した。共和党の有力候補者ではジュリアーニに続く本格的な改革案の発表である。医療保険という本来は民主党のテーマである問題について共和党の候補者が相次いで改革案を打ち出しているという現実には、この問題への有権者の関心の高さが反映されている。同時にロムニーの改革案には、今後共和党がどのように民主党案を攻撃していくかという方向性が示唆されている。

ロムニーの改革案には大きな驚きはない。ジュリアーニと同様に、概ね共和党のラインに沿った内容だからである。ロムニーはマサチューセッツ州知事時代に、民主党の州議会と協力して、州民皆保険を目指した改革を実現している。しかし、共和党の予備選を争うロムニーが、マサチューセッツの改革に含まれたような、保守層が嫌うような提案を行なうことはなかった。

ロムニーの改革案の特徴を上げるとすれば、「含まれなかったもの」を指摘せざるを得ない。「義務付け」である。このページでも何度か触れているように、共和党も民主党もハイブリッド型の医療保険制度を基本とする中で、義務付けは「逆選択」に絡んだ大きな論点であり、保守層にすれば医療の社会化につながる受け入れ難い提案である。マサチューセッツの改革には、企業(提供)・個人(加入)の双方に義務付けが行われていたが、今回のロムニーの改革案には、ジュリアーニの提案と同様に、一切の義務付けは含まれなかった。

ロムニーは大きく分けて6つの提案を行なっている。
1.連邦政府補助金による州の医療保険規制緩和の促進
2.連邦政府が州政府に支給している無保険者用医療費の低所得者向け医療保険購入支援への転用
3.HSAの利用基準緩和と個人保険に関わる費用の完全所得控除化
4.ブロック・グラント化による各州のメディケイド改革促進
5.医療訴訟改革
6.情報化、コスト・クオリティ情報の公開等による市場力学の強化

このうち、連邦政府が行なう無保険者対策に分類できるのは、3の税制改革くらいだろう。企業提供医療保険と個人保険の税制上の扱いを共通化していくという方向性は、ジュリアーニやブッシュ政権と同じである。この辺りには、ロムニーのアドバイザーであるグレン・ハバードの存在が感じられる。ハバードはロムニーがマサチューセッツと違うスタンスを採ったのは、「大統領は連邦税制を変更できるという点で州知事よりも大きな権限を持っているからだ」と指摘している(Jacoby, Mary and Sarah Lueck, "Romney's Federal Prescription", Wall Street Journal, August 24, 2007)。

ロムニーの改革案で興味深いのは、共和党陣営が民主党の改革案を批判していくであろう2つの方向性が浮かび上がっている点である。

第一に、ロムニーの改革案の大原則は、医療保険改革は州政府が先導すべきだというものである(Luo, Michael, "Romney to Pitch a State-by-State Health Insurance Plan", New York Times, August 24, 2007)。これは、民主党が考えるような連邦政府主導の改革では、地域のニーズを汲み取れないという議論につながる。民主党案を大掛かりでグロテスクに形容するのは、ヒラリー・ケア以来の共和党の得意技である。

第二に、ロムニーは大規模な改革を提案しない理由として、上手く機能しているシステムに対しては「悪いことをしないのが肝心」だと主張している。米国の医療制度には良いところが沢山あり、不用意な改革によってこれを損ねるべきではないというわけである。無保険者問題といっても、その数は保険加入者には遠く及ばない。そして有保険者は、改革によって自らの待遇が悪化するのを恐れている。こうした恐怖感こそが、90年代前半にクリントン政権が医療保険制度改革に失敗する素地になった。そのことは共和党も忘れてはいない。民主党にとっては、このアキレス腱をどうカバーするかが、改革実現に向けての大きなハードルになるのである。

2007/08/24

Marking Earmarks:「紐付き予算」を巡る攻防

8月も次第に終わりが近付いてきた。9月になれば議会も再開される。ブッシュ政権と議会民主党の対立の構図は継続される可能性が高いが、イラク戦争と並んで大きな論点になると見られるのが、来年度予算の審議である。8月23日に発表されたCBOの見通しにもあるように、米国の足元の財政事情は必ずしも厳しいというわけではない。しかしブッシュ政権は、民主党を「浪費と増税の党」と攻撃する腹積もりで、大統領案を上回る歳出法案にはすべて拒否権を発動するという強硬な姿勢を示している。

一つの論点になっているのが、「紐付き予算」の取り扱いである。特定のプロジェクトへの利用を歳出法の中に書き込んでしまう紐付き予算は、地元への利益優遇措置であり、利益団体との癒着の温床になっていると批判されることが多い。昨年の議会では、人口の極端に少ない島に橋("Bridge to Nowhere")を作ろうとしたアラスカ州の共和党議員が厳しい批判の対象になった。批判の急先鋒だったのは、共和党内の「小さな政府」論者だったのだが、今年は民主党が多数党になったために、こうした共和党議員の舌鋒はさらに鋭くなっている。

民主党に都合が悪いのは、鳴り物入りで始めた予算制度の改革が意外な結果をもたらしていることだ。昨年の議会選挙では、民主党も共和党の放漫財政を攻撃しており、紐付き予算対策も公約の一部だった。その具体策として民主党議会は、予算過程の透明化を進めてきた。これによって、例えば予算の審議過程で紐付き予算の一覧表が作成され、どの議員が個別の紐付き予算を要請したのかが公表されるようになった。

直感的には、こそこそ出来なくなれば、余りに利益誘導が明白な紐付き予算は推進されなくなるだろうという気がする。しかし現実は違った。むしろ議員は積極的に紐付き予算を使っているというのである(Andrews, Edmund L., and Robert Pear, "With New Rules, Congress Boasts Of Pet Projects", New York Times, August 5, 2007)。自らの戦果を地元に示しやすくなったのが一因である。また、他の議員の戦果が見えやすくなったために、「それなら自分も」という動きを見せる議員もいるようだ。

これに対して議会民主党の指導部は、New York Times紙にエマニュエル議員が投稿し、「紐付き予算自体が悪いのではなく、問題はその中身。プロセスの透明化だけでも十分な改革だ」とする論陣を張っている(Emanuel, Rahm, "Don’t Get Rid of Earmarks", New York Times, August 24, 2007)。確かに、議会が紐付き予算にしなければ、具体的な用途は行政府が決めるだけ。どちらの方が適切に使われるかは一概には言えない。「イラク・スタディー・グループだって元はといえば紐付き予算で始まったものだ」というのは、それなりに納得の行く主張ではある。この他にもエマニュエル議員は、自分がどんな予算を地元に持って帰ったかを堂々と主張している。その中には、崩落の危険が指摘されていた橋(しかもテロの際の主要な避難ルート)の修復費用などというタイムリーなものも含まれている。

英語では紐付き予算のことをearmarkという。もともとは家畜を識別するために耳につけるマークが語源らしい。そういえば何となく可愛らしい感じがしないでもないが、これがなかなかどうして曲者なのである。

2007/08/23

How Many Ways to Leave the Congress ?:規制行政に活路を見出すブッシュ政権

レイム・ダック化が進むブッシュ政権にとって、民主党が多数を占める議会を相手に新たな政策を実現するのは至難の業である。しかしあくまでも妥協を嫌うブッシュ政権は、ある逃げ道を頻繁に使うようになってきた。規制などの行政府の権限で実施できる政策変更である(Riechmann, Deb, "Bush Pushes Agenda _ Without Congress", Wasington Post, August 16, 2007)。実際にブッシュ政権は、8月10日を皮切りにして、行政権限による政策変更を金曜日毎に発表している。

口火を切ったのは、移民政策に関する10日の新政策である(Allen, Mike, "Bush orders new crackdown on U.S. border", Politico, August 9, 2007)。ブッシュ政権は移民法改革の立法化に失敗したが、今回の新政策はそのなかでも行政府の権限だけで実施できる部分を取り出して進めていくのが狙いである。具体的には、国境警備の強化や不法移民を雇用した企業への罰則強化など、総じて不法移民に厳しい内容になっている。

翌週の17日には、医療保険に関する通達が発表された(Pear, Robert, "Rules May Limit Health Program Aiding Children", New York Times, August 21, 2007)。これは、貧しい家庭の子どもを対象とした公的な医療保険であるSCHIPについて、その対象者の拡大を難しくする内容である。SCHIPは無保険者対策の切り札として議会民主党がその拡充を目指している施策である。しかしブッシュ政権は、SCHIPが民間の医療保険を代替してしまうのは制度の趣旨に反するとして、議会と対立してきた。今回の通達は、実質的に貧困ラインの250%を加入資格の上限に定めたものだと見られている。例えば新しい通達では、州政府が貧困ラインの250%を超える子どもに対象を広げるためには、まず貧困ライン200%以下の子どもの90%をSCHIPに加入させる必要があるとされている。しかし、現時点でこうした基準を満たしている州はないし、そもそもSCHIPにはそれだけの予算が配分されていない。この他にも州政府には、民間医療保険からSCHIPに加入者が直接移動しないように、1年間の無保険期間をSCHIPの受給資格に加えたり、民間保険に準ずる自己負担を課すことが求められている。

続く24日に発表される見込みになっているのが、かねてからブッシュ政権と議会民主党の争いの種になってきた、環境・エネルギーに関する新しい規則である(Broder, John M., "Rule to Expand Mountaintop Coal Mining", New York Times, August 23, 2007)。石炭採掘企業に、マウンテン・トップ・マイニングと呼ばれる採掘手法を利用しやすくするのが狙いである。この手法は、石炭が埋蔵されている山の上部を爆薬などで吹き飛ばし、その残骸で近隣の河川や渓谷を埋め立てるという、いささか乱暴なやり方である。このため、かねてから環境保護団体などから問題視されており、訴訟の対象にもなってきた。新しい規制は、残骸の廃棄に関する基準を緩和して、こうした訴訟の可能性を排除しようとしているという。

政権末期の大統領が通達行政に頼るのは珍しいことではない。カーター、ブッシュ父、クリントンは最後の2年間にかけて新規規制の数を増やしている。またブッシュ政権の場合は、既に昨年の10月の段階で、閣僚に対して議会を経由しない政策遂行の方法を検討するよう指示を出していたという経緯もある(Adams, Rebecca, "Lame Duck or Leapfrog", CQ Weekly, February 12, 2007)。中間選挙での敗北を懸念した側面はあるが、仮に共和党が多数党を維持したとしても、自らの求心力低下は避けられないと感じていた節もある。実際に、最近の新規制のなかでも移民に関する部分は、民主党というよりは共和党の反対で立法化できなかったものである。

今後もブッシュ政権は、エネルギーや環境、さらには教育問題などで、規制を使った政策運営を展開する可能性を示唆している。しかし、8月といえば議会は休会中。さらに週末に入る直前の金曜日ごとに新しい規制を発表するとは、それだけで怪しさの漂う行動である。9月になれば、一連の規制行政を民主党が厳しく批判するのは必至の情勢であり、大統領と議会民主党の対立の構図は、政権の最後まで続いてきそうな気配である。

2007/08/22

大統領選挙人とLaboratory of Democracyの暴走

米国は連邦制の国。大統領選挙のような国の根幹を決める制度にまで、各州の裁量が働く。予備選の前倒しもさることながら、今度は本選挙における大統領選挙人の決め方を変えようという動きまで浮上してきた。いつまでも定まらない選挙の構図には、各候補者も頭を悩ませそうだ。

米国の大統領選挙は各州に人口に応じて配分された大統領選挙人の獲得数を競う選挙である。現時点では、メインとネブラスカ以外では、それぞれの州で最も多い得票者がその州に割り当てられた選挙人をすべて独占する方式(勝者総取り方式)が採用されている。州全体では勝負の行方が見えている州では候補者が選挙運動を行わなかったり、全国での得票総数の少ない候補者が当選したりするのは、こうした制度に一因がある。2004年の大統領選挙では、どちらに転ぶか分からなかった州は13州(選挙人にして159人)に過ぎなかったという。言ってみれば、これ以外の州では実質的には選挙が行われなかったも同然なのである(Steihauer, Jennifer, "States Try to Alter How Presidents Are Elected", New York Times, August 11, 2007)。

こうした中で話題になっているのが、カリフォルニア州の共和党関係者が住民投票への提案を検討している、大統領選挙人を州内の議会選挙区毎に分配する方式に変更しようという改革である。メインとネブラスカが採用しているこの方式では、まず下院の各選挙区に一人ずつの選挙人が割り当てられ、これらはそれぞれの選挙区での最多得票者に与えられる。上院の二人分は、現在と同様に州全体での最多得票者のものになる。

「議席配分方式」の各州にとってのメリットは、候補者による選挙運動の対象になる可能性が高まる点にある。しかし、選挙人の配分方法の変更は、選挙結果にも多大な影響を与える可能性がある。例えば、全米規模で「議席配分方式」が採用された場合には、共和党に有利になるといわれている。民主党の支持者が都市部などに固まっているのに対して、共和党の支持者はもっと広範に広がっているからである。2000年の大統領選挙では、ブッシュは47.87%の得票率で選挙人の50.37%を獲得しているが、これが「議席配分方式」だったら、選挙人の獲得率は53.53%になっていた(Talukdar, Monideepa, Robert Richie and Ryan O'Donnell, "Wrong-Way Reforms for Allocating Electoral College Votes", FairVote, August 8, 2007)。

もっと厄介なのは、個別の州が独自に改革に踏切った場合である。カリフォルニアの場合には、勝者総取りならば民主党が圧倒的に有利だが、議席配分方式であれば共和党にも望みがある。2004年の大統領選挙ではブッシュが22の選挙区で勝っているし、2006年の議会選挙でも19議席は共和党である。仮にカリフォルニアだけがこうした変更を行えば、民主党が大統領選挙に勝つのは難しくなるほどのインパクトがある。カリフォルニアの民主党陣営は反対運動を準備しており、ノースカロライナのように民主党に有利になりそうな州での改革を進めようとする動きもある(Marois, Michael B., "California Democrats Gird for Fight Over Electoral Vote Measure", Bloomberg, August 16, 2007)。

選挙人の配分に関しては、各州での得票率に比例した配分に変えるという考え方もある。この方式だと、2000年の大統領選挙はブッシュとゴアの同数になっていた。さらに、全国での最多得票者に、州の選挙人を全て与えるという提案もある。メリーランドは、大統領選挙人の過半数にあたる州が同調するのを条件に、こうした改革を立法化している。

選挙人の配分に関する騒動は、各州がより良い制度を模索しているといえば聞こえは良いが、実際にはかなり生臭い政治的な計算の産物である。いずれにしても、候補者にとっては、標的の定まらない難しい選挙になりそうだ。

:::another public announcement:::
これがカバーのデザインです。

2007/08/21

節目の選挙としての2008年

米国の歴史には、政策の方向性が大きく変わる「節目の選挙」がある。2008年の大統領選挙は、その一つになる可能性がある。

何が「節目の選挙」なのかという点について、興味深い分析をしているのが、Washington Timesのトニー・ブランクリーである(Blankley, Tony, "Is 2008 a change election?", Washington Times, August 8, 2007)。幾つかの全国的な争点に関する有権者の不満が表明されるだけでなく、価値観の大きなシフトやそれまでとは違ったタイプの大統領を生み出すのが、「節目の選挙」である。ブランクリーによれば、これまでの選挙で「節目の選挙」に値するのは、FDRが当選してニューディールの始まりとなった1932年と、レーガン政権が誕生し現在につながる保守の政治の幕が開いた1980年だという。これらが「節目の選挙」である証は、次に対立政党が政権を奪回した時にも、大筋での政策の方向性が変わらなかった点にある。アイゼンハワーはニューディールを否定しなかったし、クリントンは市場経済・自由貿易を尊重する政策を採用し、福祉制度の改革に踏切った。

なぜ2008年が「節目の選挙」になり得るのか。反戦気運だけでは物足りない。ニクソン政権を生んだ1968年の選挙はベトナム反戦の影響があったが、政策の方向性は変わらなかった。また、現職政党の大敗も、必ずしも政策の方向性を大きく変えるわけではない。1952年のアイゼンハワーや1976年のカーターが好例である。

ブランクリーは2つの点に注目する。第一は、国の進む方向性、特に経済的な側面に対する有権者の不安である。2001年のリセッションを抜け出して以来、米国経済はブッシュ政権下で緩やかながらも着実な成長を続けてきた。しかし、有権者がブッシュ政権の経済政策を見る視線は厳しい。保守の経済政策の基本は成長重視だが、最近の米国では、経済成長率のようなマクロの経済指標には現れない、所得格差やグローバリゼーション、高齢化に伴う老後の不安といった問題が、有権者の関心事になっている。ここにきてのサブプライム問題も、資産の安全性という点で、有権者の経済的な不安をさらにかき立てかねない。第二は、政府の機能不全に対する怒りである。カトリーナやイラク戦争に代表されるように、有権者は政府の機能不全をイヤという程見せつけられてきた。ブッシュ政権は、大統領はともかくとして、チェイニーやパウエル、ラムスフェルドといったワシントンのベテランに支えられている筈だった。それでも満足に政府を運営できないのであれば、今までとは異なった人材をホワイトハウスに送り込む必要がある。有権者がそんな判断に傾いても不思議ではない。オバマやジュリアーニといった国政の経験が浅い候補者が健闘しているのは、そんな嗜好の表れかもしれない。

こうした文脈に従えば、2008年が「節目の選挙」になる場合には、「変化」を体現する候補者に追い風が吹くと見るのが妥当だろう。他方で個別の要素に着目すると、経済的な不安という観点では成長重視路線からの切替えを主張する候補者が、また、政府の機能不全という点では行政運営能力の高い候補者が有利になりそうである。そう考えると、分配重視を訴える民主党が優位に立っており、その中で「変化」のオバマと「実力」のヒラリーが競っているというのも、なるほど頷ける構図である。

米国では、2000年の大統領選挙以来、有権者の二分化が進んでいるといわれる。このため、有権者が急に同じ方向を向くとは考え難いという見方もある。しかしブランクリーは、有権者の1~2割が動きさえすれば、「節目の選挙」は成立すると指摘する。実際に2006年の中間選挙では、普段は動かない無党派層の数ポイントの違いが、驚くべき結果をもたらした。

2008年の選挙が「節目の選挙」となれば、これに伴う政策面の変化は、次の大統領を超えて米国の方向性を形作る可能性がある。今回の選挙が注目に値する理由は、まさにこの一点にあるといっても過言ではないのである。

2007/08/20

久しぶりにイラク...

昨年の議会選挙以来、民主党はイラクからの早期撤退を主張して、ブッシュ政権や議会共和党を一方的に攻め立ててきた。その構図は大統領選挙にも引き継がれている。しかし、ここに来て米国では、米軍削減の可能性が現実味を高めてくると同時に、撤退の速度自体は緩やかなものに止まるという方向で、両陣営の間に収束点が見えて来ているような気配がある。

ブッシュ政権は、9月に予定されているイラク戦争の現状報告において、駐留米軍の削減に関する提案を行うといわれている(Myers, Steven Lee and Thom Shanker, "White House to Offer Iraq Plan of Gradual Cuts", New York Times, August 18, 2007)。取り敢えずは来年の前半に増派の区切りをつけ、8月までに増派前の水準に兵力を減らして行くというのが、今のところの基本方針のようである。民主党が主張するような「撤退」の色彩が強い内容ではなく、むしろ少なくともブッシュ政権が終わるまでは十分な兵力を展開できるように有権者を納得させるのが狙いだが、それでも議論のベクトルが米軍削減に動き始めている気配は漂っている。

とはいえ、兵力の急速な削減への機運が高まっているというわけでもない。むしろ民主党の候補者は、イラクからの米軍撤退はそんなに容易ではないという慎重な発言に傾いている。具体的には、現地の混乱を避けるためには、米軍の撤退は段階的に行う必要があり、完全撤退というよりは、一定の兵力を現地に残さなければならないというスタンスである。実際に大統領になった時を考えて、有権者に過大な期待感を抱かせないようにすると同時に、政策上の柔軟性を確保するのが狙いである。既に昨年の中間選挙で反戦を掲げて当選した民主党議員のなかには、公約通りに戦争を終わらせられなかった点について、地元からの突き上げを受けている例もある(Romano, Lois and Mary Ann Akers, "An Antiwar Freshman Leader Faces His Constituents", Wshington Post, August 9, 2007)。有権者の期待感を煽り過ぎるのは禁物なのである。8月19日にアイオワで行われた討論会では、民主党の有力候補がいずれも米軍撤退の難しさに言及しており、ヒラリーなどは「(撤退については)過大な宣伝をしないことが極めて重要だ」と述べている(Przybyla, Heidi, "Clinton, Obama Warn in Debate Iraq Withdrawal Will Take Time", Bloomberg, August 19, 2007)。唯一リチャードソンだけが6~8ヶ月での完全撤退を主張したが、反戦派で売っている筈のエドワーズですら、9~10ヶ月というタイム・テーブルの方が現実的だと反論している。撤退の度合いについても、ヒラリーはテロ対策やクルド地域の安定のために、オバマは米人保護やテロ対策、そしてイラク兵の訓練のために、さらにエドワーズはイラク政府による虐殺や他国への暴力の伝播に備えて、一定の兵力を残す必要があると主張している(Zeleny, Jeff and Marc Santora, "Democrats Say Leaving Iraq May Take Years", New York Times, August 12, 2007)。

また、ブッシュ政権との距離をジリジリと広げようとしていると思われた共和党の候補者も、イラク戦争に関しては政権擁護の立場を崩していない。8月5日にやはりアイオワで行われた討論会では、共和党の有力候補者が口を揃えてイラク戦争での勝利の必要性を強調し、撤退に傾く民主党を弱腰だと批判した(Nagourney, Adam and Michael Cooper, "In Debate, Republicans Make the Case for Staying in Iraq", New York Times, August 6, 2007)。民主党サイドでオバマの外交政策における経験不足が論争になっているだけに、共和党としては外交・安全保障での強さを改めてアピールするのが得策という判断もあったのかもしれない。

有権者の見方も冷静になって来ている。8月にギャロップ社が行なった世論調査では、増派がイラク状勢を改善させているという回答が、7月よりも9ポイント多い30%を記録した。イラク戦争は間違いだったという意見も、7月よりも5ポイント少ない57%である(Tsikitas, Irene, "Warming Up to the Surge", National Journal, August 8, 2007)。有権者の見方が明るくなっていると言える程ではないが、目立った世論の動きである。

世論や候補者の立場が極端に動かないのは、イラク戦争の先行きが不透明だからである。米国では、イラクの現状に関する評価が割れている。7月の終わりには、民主党系シンクタンクの研究者が、増派によってイラクにある程度の安定がもたらされる可能性が出てきたとする現地報告を発表し、話題になった(O’Hanlon, Michael E., and Kenneth M. Pollack, "A War We Just Might Win", New York Times, July 30, 2007)。そうかと思えば、8月19日のNew York Timesには、イラクの状況が改善しているかのような最近の報道には違和感を覚えざるを得ないという、米兵の署名記事が掲載されている(Jayamaha, Buddhika, Wesley D. Smith, Jereny Roebuck, Omar Mora Edward Sandmeier, Yance T. Gray and Jeremy A. Murphy, "The War as We Saw It", New York Times, August 19, 2007)。米軍はイラク人の安全を確保できておらず、経済復興も進んでいないというのがその趣旨である。いずれの記事も、「現地の視点からすれば、米国(ワシントン)の議論は現実離れしている」と書きながら、その内容は正反対である。

先行きの不透明さは、候補者に断固としたスタンスを取ることをためらわせる。長い選挙のリスクは、特定の政策へのスタンスを早く固め過ぎて、状況の変化に対応できなくなることだ。投票日までに時間がある以上、いずれの党の候補者も、慎重に状勢を見極めたいところだろう。そう考えると、「米軍削減は時間の問題だが、撤退までの速度は緩やかに」というのは、現時点での自然な落とし所なのかもしれない。

2007/08/17

Sub-Prime Bluesと民主党の落とし穴

サブプライム発の市場の動揺が続いている。大統領選挙の観点では、この問題は民主党候補者がブッシュ政権の経済政策を批判する格好の題材となっていると同時に、その行き過ぎの危険を感じさせる典型的な案件である。

市場の関心はクレジットの縮小にあるが、民主党候補者の関心はローンの焦げ付きによる立ち退きを迫られている借り手の保護だ。その文脈は、大衆の側に立つという民主党のポピュリスト的な経済政策にピッタリである。実際にヒラリーなどは、現在の借り手の窮状を、個人にリスクを押し付けるブッシュ政権のYOYO経済政策の犠牲者だと形容している(Bombardieri, Marcella, "Democrats offer fixes to foreclosure crisis", Boston Globe, August 8, 2007)。借り手救済と地方政府による貸家等の住宅政策にそれぞれ10億ドルを用意すると同時に、繰り上げ返済へのペナルティー禁止といった業界規制・借りて保護策の強化を実施すべきだというのがヒラリーの主張である。この政策が発表されたイベントでヒラリーを紹介した人物は、コンピュータ・セキュリティ・コンサルタントの仕事をアウトソーシングで失い、子どもの習い事を止めさせ、退職金を取り崩しまでしながら、住宅ローンの金利上昇に耐えられなかったという。これから金利変更時期を迎えるサブプライムローンはまだまだ多い。市場の不透明感が続けば、有権者の不安も強まり、これに呼応するように、民主党候補者のトーンも高まるだろう。

共和党系の識者は、ヒラリー達の提案が必ずしも適切な対応であるとは限らないと指摘する。例えば、かつて下院院内総務を務めたディック・アーミーは、今回の問題は市場の自然な調整過程に過ぎず、政府による対応は副作用が大きいと指摘する(Armey, Dick, "Let Market, Not Government, Deal With Subprime Mortgage Problem", Investor's Business Daily, August 15, 2007)。二つの要素がある。第一にモラル・ハザードの問題である。サブプライムには貸し手・借り手の双方に問題がある。安易な救済は、モラル・ハザードの発生を招き、同じ様な問題の再発を招きかねない。同じく保守派の論客であるジョージ・ウィルは、「借り手への思いやり」を掲げる民主党候補者は、できるならば金利の引き下げにまで進みかねない勢いだとしながら、金融政策が政治から分離されているのは幸運だと指摘している(Will, George, "Folly and the Fed", Washington Post, August 16, 2007)。第二の問題は、住宅市場の調整が終わった後も、規制強化などの対策は残ってしまう点だ。SOX法の見直し論を引くまでもなく、危機への対応は時に行き過ぎた規制につながる。市場の効率性が損なわれれば、かえって庶民の住宅購入が難しくなる可能性も否定できない。

英エコノミスト誌は、ブッシュ政権が保守の政策を真正面から追求しながら満足の行く結果を残せなかったたことを理由に、2008年の大統領選挙を契機に米国の政策は左旋回するだろうと予測する("Is America Turning Left?", The Ecoomist, August 11, 2007)。その上で、こうした変化が諸外国にとって好ましいとは限らないとも警告する。「分配」や「保障」への重点の移動は、時代の要請である。しかし、民主党が市場の力を損ねないための知恵を出せるかどうかは、今後の世界経済の行方にも、少なからぬ影響を与えそうだ。

:::Public Announcement:::



ブルースといえば...(それでこんなタイトルになったというわけじゃ...)。

2007/08/16

High School Musicalと民主党!?

今日もしつこくローブ・ネタと行きたいところだが、余りに暑いので、今日は軽めに失礼させて頂きたい。一応は「民主党はどこまで行けるのか」という話(?)である。

今週末の米国には一大イベントがある。High School Musicalのパート2が放送されるのである。「それって何?」といわれると辛いのだが、ローティーンの女の子が熱狂的に支持するディズニーのテレビ映画で、グリースを現代風に焼き直したような内容だといえば、イメージが沸くだろうか。あまり触手が動かないかもしれないが、米国ではミュージカルになるほどの大人気(Isherwood, Charles, "A Prayerful Three-Pointer From the Orchestra Pit", New York Times, August 11, 2007)。放映日の金曜には、女の子友達が集まって一緒にテレビを見て、そのまま泊まりがけで遊ぶという光景が、全米各地で繰り広げられる(Steinberg, Jacques, "In-Demand Surprise From Disney", New York Times, August 15, 2007)。

そのクライマックスで使われている楽曲が、We're All in This Together。このタイトル、あろうことか最近の民主党の経済政策のスローガンにそっくりなのである。リベラル寄りのシンクタンクであるESIのJared Bernsteinは自著All Together Nowの中で、ブッシュ政権の経済政策を、個人にリスクを押し付けるYou're On Your Own(YOYO)だと批判する。ここで批判されている経済政策こそが、ローブが共和党支配の時代を導く政策として考えていたオーナーシップ社会構想である。そうではなく、民主党は繁栄をみんなで分け合うことを目指すべきだというのが彼の主張であり、そこで提唱されているスローガンが、We're In This Together(WITT)だ。民主党陣営のなかでも、ESIは中道系のハミルトン・プロジェクトと競争関係にあるが、We're In This Togetherというスローガン自体は、ヒラリーを始めとする多くの候補者に借用されている。

お気付きのように、High School Musicalと民主党のスローガンには、微妙な違い(Allの有無)がある。自らのスローガンが、大人気のテレビ映画にダブるとは、それだけ民主党が時代の風にあっているということなのか。それとも両者の微妙な違いは、民主党が今一歩で時代を掴み切れないという展開を暗示しているのか。

いずれにしても明らかなのは、こんなことまで選挙につなげて考えてしまう自分は、よほど暑さにやられているということである。

2007/08/15

ローブの松明を受け継ぐのはヒラリー?

余りに暑い日が続くので、こちらも暑苦しくカール・ローブ論を続けたい。ローブの後世への影響力を測る一つのメルクマールは、2008年選挙への影響力である。その点では、ローブにもっとも近い選挙戦を展開しているのは、意外にも民主党の候補者であるようだ。

ほんの数年前までは、共和党の候補者はブッシュの御墨付きやローブの支援を喉から手が出るほど欲しがるだろうといわれていた。今回の辞任は、各陣営にとって千載一遇のチャンスともいえる。しかし現時点では、このチャンスを活かそうとする候補者は見当たらない。もちろん識者の中には、ローブの保守層へのアピールを引き合いに、早く手に入れた方が良いと指摘する向きもある(Crawford, Craig, "Rove Resignation Just in Time for GOP 2008 Hopefuls", CQ Politics.com, August 13, 2007)。しかし、ブッシュ大統領の不人気を考えれば、その象徴ともいえるローブから距離を置こうとするのは、決して不思議な動きではない。

但し、ローブの選挙戦略自身が否定されるべきものなのかどうかは議論の余地がある。たしかに浮動票よりも基本的な支持者の動員を重視する戦略は、2006年の選挙では役に立たなかった。ブッシュ政権の2期目には、肝心の「基本的な支持者」が減っているという事実もある(Nagourney, Adam, "Rove Legacy Laden With Protégés", New York Times, August 14, 2007)。しかし、無党派層が大きく動いたのは1994年以来であり、10年に一度起きるかどうかの稀な事態だというのも、これまた事実である。

むしろ保守派重視路線の問題は、政策実現能力を著しく損ねた点にある(Green, Joshua, "The Rove Presidency", The Atlantic, September 2007)。党派対立の色彩を強めるのは、選挙戦略としては有効だが、議会で物事を進めるのには向いていない。政策論では歩み寄れる余地がある論点でも、政治的な気運が整わなければ、妥協は実現しない。ローブの世界では、政策運営さえも、次の選挙で勝つための道具に過ぎない。それが透けて見えているのに、どうして民主党が歩み寄って来るだろうか。年金改革が好例である。結果的にブッシュ政権は、選挙での勝利を政策の変更という結果につなげられなかった。このことは、ブッシュ政権の本質的な欠陥である。ローブ無き後のブッシュ政権で、ワシントンでの経験を積んだ実務家が主役になっていきそうなのは、遅きに失したやむを得ない流れなのかもしれない(Rutenberg, Jim and Steven Lee Myers, "With Rove’s Departure, a New Era", New York Times, August 15, 2007)。

一方で、選挙の進め方という点では、ローブと見紛うような戦い方をしている候補者がいる。誰あろう、ヒラリー・クリントンである。Washington Post(Baker, Peter, "The Rove Legacy", Washington Post, August 15, 2007)、New York Times(Nagourney, ibid)の二大紙は、ローブの辞任を伝える記事のなかで、その遺産はヒラリー陣営に引き継がれたという見方を紹介している。またPolitico紙も、ローブの辞任に先立って、両者の類似点を取り上げている(Wilner, Elizabeth, "Clinton emulates Bush campaign tactics", Politico, August 10, 2007)。

具体的には何が似ているのか。例えば、女性であるにもかかわらず、軍事での強さを重視するのは、弱さを強さに変えるブッシュ流の戦法だ。また、あらゆる機会を捉えて相手候補を徹底的に攻撃するのも、選挙戦での「パウエル・ドクトリン(Mark McKinnon)」とでも呼ぶべきブッシュ=ローブの戦い方である。さらに、予備選挙の早い段階から「圧倒的な勝者」というイメージを作り出そうとする点も、2000年のブッシュ陣営にダブってくる。

なかでも両者に特徴的なのは、病的なまでのメッセージの統一性へのこだわり(Nicole Wallace)であり、スタッフの忠誠を重視して、決してリークを許さない鉄の規律である。Hilarylandと呼ばれる、主に女性スタッフで構成されたヒラリーのインナーサークルの結束の固さは、しばしばメディアでも話題になっている(Cottle, Michelle, "Hillary Control", New York Magazine, August 13, 2007)。このように忠誠心の高いスタッフ集団には、選挙活動の不必要な混乱を避けられるという利点がある。民主党の過去の候補者が、ともすれば内紛に襲われがちだったのとは対照的だ。偏った意見しか聞かれなくなるという批判もあるが、2000年のゴア陣営で戦略を担っていたCarter Eskewは、たいていの場合には選挙戦の問題は船頭が多すぎる点にあると主張する。

むしろ「ブッシュ型」のチームが問題になるのは、当選した後の「統治」の段階にある。リークを許さない政権は、得てして秘密主義に陥りがちであり、政策過程がみえ難くなりやすい。そして、グループ思考の弊害、「裸の王様」、「バブルに覆われた政権」といった危険性が高まるのも、実際の政権運営に移ってからである。ローブの本当の罪が政策実現能力の毀損にあるように、Hilarylandの功罪が問われるのも、大統領選挙での勝利という第一の関門を抜けた後なのかもしれない。

2007/08/14

ローブの退場に民主党への教訓はあるか

米国のメディアでは、カールローブ退場に関する論評が花盛りである。いずれにしても、ブッシュ政権の退潮振りが一層はっきりしてきたわけだが、一方で注目されるのは、上り調子の筈の民主党が、どこまで「左」に回帰していくかである。

民主党支持者の間には、今こそ民主党は、「大きな政府」のレッテルを恐れずに、政府の役割を積極的に支援する方向性を明確に示すべきだという意見がある。そのシンボルとなっている出来事が2つある。第一は、このページがお休みを頂いていた8月1日に発生した、ミネアポリスのI-35Wブリッジの崩壊である。The Nation誌等は、インフラ整備には5年間で1.6兆ドルの費用が必要だという研究を引用しながら、イラク戦争の終結までに1兆ドルが必要になることを考えれば、政治的な意思さえあれば十分に対応できる金額だと主張する(Heuvel, Katrina vanden, "A New New Deal", The Nation, August 8, 2007)。さらに同誌は、医療やエネルギー分野など、これまで見過ごされていた分野にも積極的に公共投資を行ない、幅広い中間層に向けた良質な雇用を生み出す必要があると主張する。

もう一つの出来事は、春先から議会で論点になっている、SCHIP(低所得家庭の児童に対する公的医療保険)の拡充問題である。民主党はその大幅な拡充を主張するが、ブッシュ政権は政府の規模拡大に外ならないとして、拒否権の発動を示唆している。American ProspectのPaul Waldmanは、SCHIPの問題こそは、民主党が政府は「問題」ではなく「解決策」になり得ると主張する好機だと主張する(Waldman, Paul, "The Failure of Antigovernment Conservatism", The American Prospect, August 8, 2007)。世論は明らかに民主党の側にあり、共和党の理論武装も弱く、前述のインフラ投資の問題とも絡めて、政府の重要性を主張しやすいからだ。Weldmanに言わせれば、最近の民主党は、保守主義の強さにショックを受け、中道に寄らなければいけないという脅迫観念に取り付かれた、政治的なPTSD患者のようなものだった。しかし、今こそ「保守主義」に「政府の敵」というレッテルを貼る好機だというのが、彼の主張である。

こうした民主党系の識者による論調には、「驕り」の気配が漂っているような気がしてならない。確かに、政府の役割に対する米国民の意識は高まっている。しかしそれは、いかに政府をきちんと機能させられるかという問題意識であって、必ずしも政府の「大きさ」に関する意識の変化とは言い切れないのではないだろうか。大統領選挙の論点として、候補者の「能力」が脚光を浴びているのも、こうした流れの一環だろう。高速道路の補修にしても、8月6~7日にCNNが行った世論調査では、そのための増税には反対するという回答が65%を占めている(Tsikitas, Irene, "No New Taxes (for Bridge Repair)", National Journal, August 13, 2007)。そうであれば、「新たな支出を考える前に、優先順位を再考すべきだ」という8月9日の記者会見におけるブッシュ大統領の発言の方が、有権者の意識には近いのかもしれない。実際のところ議会には、地道な補修工事よりも絵になり易い新規建設に重点的に予算を配分してきたという経緯もある(Saulny, Susan and Jennifer Steinhauer, "Bridge Collapse Revives Issue of Road Spending", New York Times, August 7, 2007)。

カール・ローブは、2004年の大統領選挙で勝利を納めた時点では、「永続的に続く共和党支配の始まり」を夢見ていた。しかし振り返ってみれば、その時こそがローブの頂点であったといっても過言ではない。上り調子に見える時にこそ、足元を見据えなければならない。民主党は、そんな教訓を学べるだろうか。

2007/08/13

The Show Must Go On:夏の日の選挙戦の無常

夏の停滞感も何のその。それでも選挙は続いていく。それが一体何につながるのか。時には物哀しさすら感じさせながら。

8月11日にアイオワ州で、共和党の模擬投票が実施された(Balz, Dan and Michael D. Shear, "Romney Wins Iowa's GOP Poll", Washington Post, August 12, 2007)。結果は32%の得票を集めたロムニーの圧勝。序盤州での戦いを重視する戦略が、先ずは実を結んだ格好である。しかし、幾つかの注意点はある。まず、模擬投票での勝利は、予備選勝利に必ずつながるわけではない。1987年のロバートソンのように、模擬投票では34%の得票を得ながら、アイオワの党員集会すら勝ち抜けなかった例もある。まして今回の模擬投票には、ジュリアーニ、トンプソン、マケインといった大所が参加していない。さらには投票総数も、1999年にブッシュが勝った時(2万3千)の6割程度(1万4千)に過ぎなかった。

一方の民主党は、利益団体のご機嫌をとるために、頻繁に行われる討論会に忙しい(Nagourney, Adam, "Appearing Now on a TV Near You? Surely a Presidential Debate", New York Times, August 11, 2007)。8月だけでも、4日がネットルーツを対象にしたYearlyKosの大会、7日がAFL-CIO、9日が同性愛者支援団体の討論会だった。この後も、各地で労組を対象にしたワークショップが開催される予定である。民主党がここまで忙しいのは、多様な利益団体に支えられているからこそ。それだけに、特定の団体におもねった発言は、本選挙で共和党の候補者に攻撃される材料になりかねない。

もちろん候補者もその辺りは心得ている。どこまで致命的なコミットメントをせずに済ませられるかが、腕の見せ所である。その典型が、最近のネットルーツとの距離感だろう(Smith, Ben, "Candidates court bloggers, avoid commitment", Politico, August 4, 2007)。各候補者は、ネットルーツの重要性を強調し、彼ら個別のアジェンダには賛同の意を示す。しかし、2004年のディーンや06年のリーバーマン予備選に見られたように、「反戦」といった大きな方向性で、民主党がネットルーツに引きずられているわけではない。いわば各候補者は、ネットルーツを「数ある利益団体の一つ」として扱い始めているという指摘もある。結局のところ、ネットルーツといっても、まだまだ中年の白人男性に偏った集団なのである(Vargas, Jose Antonio, "A Diversity of Opinion, if Not Opinionators", Washington Post, August 6, 2007)。

そんな無常感を感じていたら、驚きのニュースが飛び込んで来た。8月末をもって、カール・ローブが辞職するというのである(Gigot, Paul A., "The Mark of Karl Rove", Wall Street Journal, August 13, 2007)。大物の離脱が続いたブッシュ政権だが、遂に来るべき時が来たということだろうか。

ローブはブッシュ政権や共和党の先行きには楽観的である。イラク状勢は増派のおかげで改善に向い、盗聴認可や財政問題では民主党がつまづく。大統領の支持率はいずれ回復するし、何かと批判の多い外交政策でも、テロリストを匿う国はテロ国家と見做されることや先制攻撃の容認は、今後の政権にも引き継がれる。08年の大統領選挙にしても、こらえて大きな論点を主張し続ければ、共和党は勝てる筈だ。

こうしてまた、暑い夏の一日が過ぎて行く。投票日は依然として遥か蜃気楼の彼方である。