2007/10/07

経験不足の候補者たちが多い不思議

ヒラリーとオバマの戦いは、「経験」と「変化」の勝負だといわれている。正確に言えば、少なくともオバマ陣営はそのような構図に持ち込もうとしている。しかし歴史的な水準に照らし合わせれば、今回の予備選挙における「有力候補者」は、いずれも「経験不足」だというい方も可能である。2007年7月に、ニューヨークタイムス・マガジンにマット・バイが寄稿した小文は次のように指摘している(Bai, Matt, "What Does It Take?", New York Times, July 15, 2007)。

ヒラリー、オバマ、エドワーズ、ジュリアーニ、ロムニー、トンプソンといった有力候補者を合わせても、州政府レベルでの選挙で勝った回数は6回に過ぎず、通算した任期も28年にしかならない。トップレベルの公職期間が最も長いのはジュリアーニだが、それも市長どまり。これまでに市長から大統領になった例は無い。これに比較して、バイデンやリチャードソン、マケインといった公職経験の長い候補者は、予備選挙で苦戦を強いられているのが現実である。

こうした選挙戦の展開は、米国の歴史では例外的だ。俳優出身であることがクローズアップされがちなレーガンでも、州知事を2期務めてから、69歳でようやく大統領にたどり着いた。ブッシュの父親は、外交官、CIA長官を経て、副大統領を2期務めた。若くして大統領になったクリントンでも、その前にはアーカンソー州知事を実に5期も経験している。例外はカーターくらだった。ところが、現在のブッシュ大統領辺りから、経験の浅い大統領というトレンドが始まったようにみえる。州知事を一期経験しただけのブッシュ大統領は、最近24年間でもっとも経験の浅い大統領である。

バイは、その背景として3つの理由をあげる。第一に、インターネットの発展によって、社会全体として「専門家」の優位性が低下いてきた。誰でもさまざまな情報が容易に入手できるようになり、一般大衆が政治評論の世界にも参入できるようになった。むしろ「経験」という言葉は、いわゆる「専門家」が自らの領域を一般大衆から守るために使う都合の良い言い回しになってきた。第二に、政治的な経験の豊富さは、必ずしも現状打破につながらない。オバマの議論にも共通するが、イデオロギー対立の中で育ってきた政治家は、妥協の術を知らない。第三に、一般の労働者も一生のあいだに何度も職業を変えるようになっており、政治家だけを続けている人間はかえって怪しい。

もっともバイは、政治的な経験の浅さが必ずしもプラスになるとは考えていない。政治というのは企業経営のように簡単に割り切れるものではない。MBAをもつ初の大統領であるブッシュの失敗をみれば、一目瞭然だろう。どこで妥協して、どこで信念を貫くのか。そいった勘所は、経験を積んで初めて身につくものだとバイは指摘する。

この「妥協するポイント」という点については、再び医療保険改革に臨むヒラリーが、前回の失敗を学んでいるかどうかという観点でも指摘されている論点である。これについては、また改めて触れることにしたい。

マット・バイは、ニューヨークタイムスマガジンを中心に活動しているお気に入りの記者である。近著のThe Argumentも、民主党の近況を描いて興味深い。名前を覚えておいて損はないと思いますよ。

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