2007/12/27

Start of Something New...

威勢の良いエントリーから早2か月弱。すっかり休眠状態にしてしまった。予想はしていたが、一度止まったものを再起動するのは思いの外難しかった。観客が去ってしまったフィールドへ戻る恐怖もあった。しかし、予備選挙まであと数日。いつまでも眠ってはいられない。新年と共にとも思ったが、そこはヘソ曲がりで、この妙なタイミングで戻ってみようと思い立った。

というわけで、Long Island Rail Roadに揺られ、Led Zeppelinのリユニオンを聴きながら、myloを叩く自分がここにいる。通勤時間に書き込むというスタイルは変えたくないが、こちらの携帯では日本語が打てない。新しいツールで新しいフィールドを作るのも悪くないだろう。そうすれば彼らはやって来る、かも知れない。

再開にあたって、これからの選挙戦を見ていく自分なりの視点を整理しておきたい。それは、選挙の結果によって変わるものと変わらないものの見極めである。

民主党が勝つか、共和党が勝つかによって、政策の方向性に違いが出るのは当然だ。しかし、いずれの政党が勝つにしても、ブッシュ政権の8年間が終わるだけで、米国は変わらざるを得ない。勝者の如何を問わず、向かっていく方向性はないのだろうか。言い換えれば、分裂した米国の修復が始まる可能性である。

米国の分裂が言われて久しい。最近の米国では、その理由を問い、先行きを憂慮する論調が少なくない。例えば12月1日のNational Journal誌は、党派対立に焦点をあてた特集("Partisan Impulse")を掲載している。そこでは、議会関係者の多くが、クオリティの高い立法活動には超党派の協力が望ましいと考えつつも、一方で早晩には党派対立は緩和しないと考えていると報じられている。

また、最近話題を呼んでいるのが、Ronald BrownsteinのThe Second Civil War - How Extreme Partisanship has Paralyzed Washington and Polarized Americaである。2007年11月3日号のNational Journal誌に掲載された同書の抜粋(Brownstein, Ronald, "From a Uniter to Divider", National Journal, November 3, 2007)によれば、Brownsteinはブッシュ政権が党派対立の先鋭化に走った理由を4点指摘している。第一に、ブッシュ大統領がテキサス州知事時代に築いたような、民主党関係者との親密な人間関係が築けなかったこと。第二に選挙戦略。Uniterとして臨んだ2000年選挙が接線に終わった結果、ブッシュ陣営は保守層を重視するいわゆるBase Strategyに傾斜した。第三に大統領としてのビジョン。ブッシュ大統領には「正しいことを実現するのが大統領である」というビジョンがあり、超党派の声を重視するという志向がなかった。第四に政策目標。ブッシュ大統領が目指した政策は、レーガン大統領よりも一貫して保守主義の原則に従っていたとBrownsteinは指摘する。

もっとも、このうち第四の保守主義の部分については、必ずしも納得的とはいえない部分がある。確かに結果からみれば、ブッシュ政権の業績は保守主義の伝統に忠実である。しかし、ブッシュ大統領が提唱した「思いやりのある保守主義」や「オーナーシップ社会」といた概念には、伝統的な保守主義の考え方とは相容れない部分がある。レーガン政権以来の米国は「小さな政府」の方向性にあると総括できるが、その一方で政府の役割を問い直す動きも、クリントン政権からブッシュ政権にかけて続いているように思われる。選挙戦略のような政治的な思惑を別にすれば、ブッシュ政権の政策の中にも、党派対立の収束につながるヒントは隠されていると見るべきだろう。

分裂は政治に限らないという指摘もある。David Brooksは、ポピュラーミュージックの細分化を指摘する(Brooks, David, ”The Segmented Society”, New York Times, November 20, 2007)。ストーンズやスプリングスティーンのような、幅広い音楽のエッセンスを吸収し大衆に訴えかけられるようなアーティストは、U2を最後に出てこなくなった。技術の発展によって、レコード会社が聴衆を細分化し、それぞれの嗜好に合った音楽をマーケティングしやすくなったのが一因だ。ラジオ局も専門化が進んでいるから、例えば今ストーンズが売り出そうにも、取り上げてくれる番組がない。

Brooksは、政治をはじめとして、格差や移民問題など様々な分野で、分裂を憂う声を良く聞くようになったと指摘する。技術発展と商業化は、分裂を促進する要素になっている。ストーンズが黒人音楽に学んだように、かつて音楽は人や文化をまとめる役割を果たしてきた。しかし、そこですら状況は変わっている。

イラク後の外交政策や、グローバリゼーション下の経済政策といった点で、米国はその立ち位置を問い直さなければならない時期に差し掛かっている。果たしてこうした大きな節目に、米国は何らかのコンセンサスにたどり着けるのだろうか。たどり着くとすれば、そこにはどんな風景があるのだろうか。道筋はどうなるのだろう。

その曙光は見えないだろうか。

正直なところ、ニューヨークではまだ選挙の雰囲気などほとんど感じられない。確かにクリスマスに招かれた友人宅で、「えっ、あのフレッドトンプソンが大統領選挙に出ているの?」みたいな話題はあったけれど、High School Musicalや、数日後に迫ったHannah Montana / Miley Cyrusのコンサートの話題の方がよほど盛り上がる。そんな中だからこそ、見えるものもあるかもしれない。日本にいたときのような頻繁な更新は難しいかもしれないが、しばしお付き合いいただければ幸いである。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

お久しぶりです。何とあと1週間でアイオワ州党員集会ではありませんか。来年はよろしくご指導のほどを。

「分裂社会」は日本でも起きているような気がします。全部の世代が共有する「歌謡曲」なんて、たぶん中島みゆきの「地上の星」が最後なんじゃないですかねえ。