2007/03/17

Like soldiers in the winter's night...

「政治と音楽」のテーマはもっと大事に使うつもりだったが仕方がない。

Tom DeLayが本を出したらしい。ディレイといえば、1994年のギングリッチ革命の立役者の一人で、その後の下院の共和党支配を支えてきた大物議員。The Hammerと呼ばれ、強引な手法やロビイストの利用の仕方には、賛否両論(というかほとんどは批判...)があるが、彼なくして共和党時代はありえなかっただろう。

本の内容は結構辛辣だという。同じくギングリッチ革命を支えたギングリッチやアーミー、さらにはギングリッチ失脚後にディレイ自らが後釜の下院議長に据えたハスタートまで、ぶった切りまくっているようだ(Novak, Robert, "Time to turn Newt leaf? Ex-ally says no", Chicago Sun Times, March 15, 2007)。もちろん、最後にはブッシュ大統領批判も忘れていない。

思えば、ディレイもギングリッチもアーミーももはや議会にはいない。ハスタートも下院議長の座を奪われた。保守の混迷もむべなるかな。時代は確実に動いている。

とまあ、中身はさておき、問題はタイトルだ。

"No Retreat, No Surrender"

おいおい、スプリングスティーンかよ。

ブルース・スプリングスティーンがリベラル・反戦派の意見なのは、今ではすっかり有名だ。何せ、2004年の大統領選挙では、ケリーの遊説に同行までして、ウィスコンシンとオハイオに出かけている。パフォーマンスもした。もちろん、ケリーのテーマ曲だったNo Surrenderだ。

どうしたわけか、共和党の政治家はスプリングスティーンを使いたがる。あのジョージ・ウィルでさえ、「スプリングスティーンこそ米国の価値観」みたいなことを書いている("A Yankee Doodle Springsteen", New York Daily News, September 13, 1984)。また、レーガンが84年の選挙でスプリングスティーンを引用したのは有名な話だ。1984年9月のニュージャージーでのコメントである。

"America's future rests in a thousand dreams inside your hearts; it rests in the message of hope in songs so many young Americans admire: New Jersey's own Bruce Springsteen. And helping you make those dreams come true is what this job of mine is all about."

しかし、当のスプリングスティーンは、1980年にレーガンが当選した翌日のコンサートで、既にこう発言していたのである(1980年11月5日、Arizona State University Activities Centerにて。Cross, Charles R., "Backstreets", Harmony Books, 1989)。

"I don't know what you guys think about what happened last night, but I think it's pretty frightening."

もっとも、例外的な事件を除き、スプリングスティーンはその政治的な立場をいつも明確にしてきたわけではない。むしろ、積極的な政治活動とは対極にあったという方が正確だ。しかし、9-11やイラク戦争の頃からは、ステージでも(短いが)政治的な発言を行うようになり、一時は封印していたBorn In the U.S.A(ベトナム帰還兵の苦悩を歌った歌だと思う)もショーの定番に復帰した。

共和党の方々の行動は単なる「勘違い」だが、この辺の経緯はより深い問いかけを含んでいる。

ちょうど3月13日のNew York TimesのウェブサイトにあるBlogで、作曲家のMicahel Gordonが問いかけている("What if I Like Your Politics bud Don't Like Your Art?", 有料のTimes Selectでないとみられないかもしれません)。

If I don’t like your politics can I still like your art?

音楽家にとって、自分の政治的な立場やメッセージと、自分の作品との折り合い・距離感をどう取るかは難しい問いかけだ。ゴードンは(おそらくかつてのスプリングスティーンと同様に)、政治と作品は別物であるべきだと考えているようだ。

さらに興味深いのが、ゴードンがこうした疑問をもちながら作り上げた作品が、9-11に関するものである点である。グラウンド・ゼロの近くに住んでいたゴードンは、試行錯誤の上、個人的な意味合いを含めたメモリアルとして、"The Sad Park"という作品を作り上げたという。

スプリングスティーンにとっても転機となったのは9-11だった。ニュージャージーを地元にするスプリングスティーンは、ハドソン川の反対側から、マンハッタンから立ち上る煙を目撃した。その後に発表された"The Rising"は、9-11にインスパイアされたアルバム。そして、2004年選挙でのカミング・アウトに至る。

スプリングスティーンが政治的な立場を明確にし始めたことは、ファンの間でも大きな議論になった。自分が参加していたファンのウェブ・サイトも喧々諤々。一般的にヨーロッパのファンは好意的だったが、いわゆる米国の「保守的な地域」には相当な戸惑いがあったようだ。

レベルは全く違うが、米国の分析を仕事にする自分も、似たような「問いかけ」が常に頭の中のどこかにある。

自分の政治や立場は、オーディエンスに的確な分析を届ける妨げになっていないか?

的確な分析をするには、中立的な視点が必要だ。だからこそ、自分の意見の有り所には敏感になり、分析過程やアウトプットへの侵食には神経質にならなければならない。基本的にはこう考えている。

しかし、9-11後の世界では、そうした割り切りは時に難しい。9-11を現地で体験した自分としても、二人の音楽家の試行錯誤には大いに考えさせられる。

だから共和党の諸君、安易に次の選挙でBorn in the U.S.A.をテーマ曲にしないように!!

0 件のコメント: