ジュリアーニの謎...Reloaded...if you can make it here...
ジュリアーニの謎は奥が深い。謎を解く鍵にまで新たな謎が潜んでいるのだ。
ジュリアーニの社会政策でのスタンスや、私生活での不安が打ち消されている大きな理由の一つは、リーダーシップへの評価である。しかし、ジュリアーニのスタイルは、国民が求めるリーダーシップなのだろうか。それとも、忘れたいと思っている「ある人」の再現なのだろうか。
NewsweekのJonathan Alterは、これまでの多くの大統領選挙では、直前の大統領の対極が求められてきたと指摘する(Alter, Jonathan, "Wrong Time for an Urban Cowboy?", Newsweek, March 12, 2007)。その意味では、2008年に求められるのは、国際社会における米国の存在感を取り戻せる人物。タフさに柔軟性も兼ね備え、そして尊大ではないリーダーだという。橋を燃やしてしまうのではなく、新たな橋を架けられる能力が必要なのだ。
ジュリアーニはそんな評価を得ているわけではない。
同じくNewsweek誌のJonathan Darmanはこう評する(Darman, Jonathan, "Master of Disaster", Newsweek, March 12, 2007)。「危機の際のジュリアーニの強さは、頑迷さと紙一重だ。断固とした信念は、時として不作法に流れ、世界を善と悪に二分してしまいがちだ」。そのまま今のホワイトハウスの主人に当てはまりそうな形容だ。果たして米国人は、「my-way-or-the-highway Texan」を「shut-up-and-listen New Yorker」に取り換えたいのだろうか(Alter, ibid)。
もっとも米国人が気付くかどうかは別問題だ。
ジュリアーニの強さは、9-11後のイメージである。NewYorker誌のKen Aulettaは、当時を振り返ってこう語る。「ブッシュは飛行機の中。チェイニーはどこかの避難場所にいた。そこに『私が全ての米国人を代弁する』といって突如現れたのが市長だった」。そのイメージが、「テフロン加工のジュリアーニ」を作り上げている(Tapper, Jake and Avery Miller, "'Teflon' Giuliani", ABC News, March 5, 2007)。
Alterは、どこかでジュリアーニの気の短さが爆発するような事態が起きない限り、問題は表面化しないだろうと予測する。しかし、ジュリアーニのメディアなどに対する打たれ強さは折り紙つきである。何せ鍛えられ方が違う。ニューヨーク市長として長年揉まれて来ているのだ(Rothenberg, Stuart, "Is Rudy Likely to Be a Favorite or a Flop?", Roll Call, January 16, 2007)。候補者の中で彼に並ぶ経験があるのは、ヒラリー位だろう。思わず、ニューヨークで成功できれば…という言い回しを思い出してしまう。
もちろんテフロン加工にも永遠に傷がつかない訳ではない。最近も前妻との子どもとの不仲がメディアを賑せたばかりだ(Archibold, Randal C., "Questioned About Son, Giuliani Pleads for Privacy", New York Times, March 5, 2007)。選挙戦はまだまだまだまだ続く。
ところで、そもそもジュリアーニは「ニューヨークで成功した」のだろうか。やはり、全てを変えたのは9-11だった。テロへの恐怖がどこまで米国人の心に残り続けるのか。テフロンの強さは、そんなところにも左右されそうだ。
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