2007/04/05

Alone Again...Naturally?

昨今、保守系識者のブッシュ政権批判は決して珍しくない。しかし、「側近」の転向となれば話は別だ。

問題の人物はMatthew Dowd。2000年の選挙からブッシュの選挙に携わり、2004年には選挙戦略の責任者だった大物である。そのDowdがブッシュとの決別を公言して話題を呼んでいる。

Dowdは4月1日のNew York Times紙に掲載された記事の中で、ブッシュが2000年の公約(A Uniter, Not A Divider)に反して、ワシントンの党派対立に拍車をかけたことに幻滅したと述べている(Rutenberg, Jim, "Ex-Aide Says He’s Lost Faith in Bush", New York Times, April 1, 2007)。ブッシュは戦時においても犠牲の共有を求めず、党派を超えたコンセンサスを作ろうともしなかった。イラク戦争では国民の声を聞かなかった。Dowdは、ブッシュは少なくなった取り巻きに支えられ、話し合いに応じない独善的なアプローチ(My Way or The High Way)を続けていると嘆く。

Dowdの告白はNew York Timesが初めてではない。今年3月に発表されたTexas Monthlyという雑誌にも、短いエッセイが載っている。この中でDowdは、「ブッシュと国民との直感的な絆は著しく損なわれたか、もしかしたら失われてしまったかもしれない」と書いている。実はこの記事は発売に先立って、2月にウェブ上で一時的に公開されたことがあり、その時にも軽く話題にはなっていた。

こうした「大物」の告白は、共和党の有力者がブッシュ離れをカミング・アウトし始めるきっかけになるかもしれないという指摘がある。

共和党内にブッシュ批判がくすぶっているのは周知の事実だ。保守派の有力コラムニストのRobert Novakは、「一人ぼっちの大統領」というコラムのなかで、ここまで自分の政党から孤立している大統領は見たことがないと指摘している(Novak, Robert D., "A President All Alone", Washington Post, March 26, 2007)。弾劾に直面していたニクソンよりも深刻だというのだから尋常ではない。

依然として共和党の有力者はブッシュを公然とは批判しない。議員だけでなく大統領選挙の有力候補者も同様だ。しかし、リーバーマン議員のスタッフを勤めたことのあるDan Gersteinは、「側近」の告白によって、これまで表面化してこなかったブッシュへの疑問が口にされやすくなるかもしれないと指摘する(Gerstein, Dan, "The Accidental Strategist", Politico.com, April 4, 2007)。とくに大統領選挙の候補者にとっては、「ブッシュ離れ」を明確にしなければ、勝利はおぼつかないことが明らかになってきたという。

もっとも、New York Timesの記事は、不思議とこうした生臭さを感じさせない。Dowdの語り口が、極めてパーソナルだからだ。

Dowdはブッシュとの経緯を恋愛に喩える。もともとDowdはテキサスの民主党支持者だった。ところが、クリントン政権が党派対立を克服できず、何も実績をあげられないのに幻滅していたところに、時の州知事だったブッシュが、地元の民主党議会と協力して政治運営を行っているのを目の当たりにした。

それは「まるで恋に落ちたようだった」。

そしてDowdはブッシュ選対に参加する。

しかし、次第にDowdは疑問を抱き始める。9-11後に国民を団結させようとしなかったこと、アブ・グレイブの事件にもかかわらず、ラムズフェルドを守ったこと。しかし、「恋に落ちているときに、思ったようにことが運ばなくったらどうするだろう。そんなはずはない、そのうち変わる、と思うものだ」。

Dowdは、2004年の再選でブッシュがテキサス・スタイルに戻るという期待にすがりついた。しかし、2005年のハリケーン・カトリーナ、そしてブッシュが、テキサスの別荘でイラク戦争で息子を失ったシンディ・シーハンに会わず、ランス・アームストロングとサイクリングに興じたことで、彼の疑問は確信に変わる。

「彼は私が思ったような人ではなかった」。

さらに個人的な出来事もオーバーラップする。未熟児で生まれた双子の一人をなくし、妻と離婚。一番年上の息子は、イラクへの出兵を控えている。

いうなれば、「恋と人生に疲れた男」のストーリーなのだ。

と、きれいに終わるつもりだったのだが、「騙されてはいけない」という記事をみつけてしまった。

クリントン政権のシニア・アドバイザーだったSidney Blumentalは、Dowdはブッシュの選挙戦略に携わっていただけに、議論の枠組みをつくりあげる(framing)ことに長けており、今回のストーリーも、大事な部分を取り上げずに、政権からの離脱をパーソナルなストーリーに仕立て上げるのが狙いだったと指摘する(Blumental, Sidney, "Matthew Dowd's not-so-miraculous Conversion", Salon.com, April 5, 2007)。

何が落ちているのか。それは、「なぜブッシュがテキサス流を捨てたか」という理由だという。

Blumentalは、ブッシュが中道をあきらめたのはDowdの助言が発端だと指摘する。2000年の大統領選挙でブッシュは総得票数でゴアに負けた。Dowdはカール・ローブに世論調査の数字を示し、米国には大きな「浮動票」は存在しないと説明する。これが「右寄りの政策で潜在的な支持者を掘り起こす」ブッシュ政権の基本戦略の始まりだったという。

その後もDowdは、妊娠中絶などの論争的な問題で保守派を動員する一方で、テロとの戦いを使って民主党を貶める戦略を支える役回りを演じた。世論調査を駆使し、有権者を細分化してメッセージを送る。「新しい共和党のブランド」を作るのが、Dowdの狙いだったという。

Blumentalは、Dowdが本当に転向したのであれば、ブッシュ政権の闇の部分を明らかにできる筈だと指摘する。しかし一連のDowdの告白にはそのような内容は全くない。Blumentalは、そもそもDowdがテキサスで民主党を見限ったのも、このままでは浮かばれないからと思ったからで、結局はオポチュニストに過ぎないのだと断罪する。

ここまで来ると、もはや議論の優劣などはどうでもよくなってくる。むしろこれらの論争は、「ブッシュの時代」が米国に作り出した底知れぬ溝の深さを浮き彫りにしているようで、なんともいえず寒々しい。

なるほど、米国の有権者が「新しい政治」を求めるわけである。

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