2007/04/16

偏在するオフショアリングの脅威

米国で保護主義的な雰囲気の高まりを呼んでいる一つの理由として、オフショアリング(雇用の海外へのアウトソーシング)への警戒感が指摘される。そうであるならば、今後の保護主義の行方を考える際には、誰がオフショアリングの脅威を感じているかを見ていく必要がある。誰が問題意識を持つかによって、政治的な対応の経路やあり方が変わって来るからだ。

オフショアリングに関するデータは、必ずしも整備されているとは言い難いが、少なくとも3つの視点が指摘できるだろう。

第一は、企業(資本)と労働者の乖離である。かつての米国では、ある産業が政府に保護を求める際には、企業と労働者の利害は一致していた。しかし、トーマス・フリードマンがいうところの「グローバリゼーション3.0」の時代では、個人が国境を超えた競争の主役である。ITが発展したおかげで、企業は世界のどこからでも労働力を調達できるようになったからであり、それこそがオフショアリングの本質である。これを「一国の政策」という観点に引き直せば、企業と労働者の要望には違いが生まれ易くなるということになる。

第二に、地域的な違いである。オフショアリングの対象になる雇用が、全米に均等に散らばっているとは限らない。ブルッキングス研究所は、オフショアリングの対象になりやすい雇用はある程度集中していると指摘する。同研究所が調査対象とした246の大都市圏では、2004~15年の合計で雇用の2.2%がオフショアリングの対象になる可能性がある。ただし、このうち28の大都市圏では2.6~4.3%の雇用がオフショアリングの対象になると予想されるのに対し、158の大都市圏では対象になる可能性があるのは2%に満たない。地域で言えば、北東部と太平洋岸の大都市圏は影響を受けやすいが、中西部や南部の大都市圏はそれほどでもないという(Atkinson, Robert and Howard Wial, The Implications of Service Offshoring for Metropolitan Economies, Brookings Institution, February 2007)。

全米ではオフショアリングの影響は少ないにしても、特定の地域に被害が集中するのであれば、政治的な反響の出方は変わってくる。通商でもそうだが、グローバリゼーションが政治的に維持しにくいのは、メリットが広範囲に広がる一方で、デメリットが少数者に集中する点にある。

第三に、職種である。米国でオフショアリングが「脅威」と感じられる大きな理由は、これまで競争にさらされてこなかった職業が、海外との競争にさらされる可能性があるからである。対象が製造業からサービス業に移るというだけではない。製造業の「空洞化」の場合とは異なり、サービス業のオフショアリングでは、「ハイ・エンド/ロー・エンド」「高技術職/低技術職」という区分けでは、オフショアリングへの脆弱性は図れなさそうだ。

プリンストン大学のアラン・ブラインダー教授は、オフショアリングへの脆弱性を分けるラインは、そのサービスが「質の劣化を伴わずに、電子的に提供できるかどうか」だという。たしかに、脳外科医の手術はオフショアリングされないが、タイピストの仕事は危ない。しかし、ウェイターはオフショアリングできないけれど、証券アナリストの仕事はインドからでもできるのである。

ブラインダーは、オフショアリングされやすい職業をランク付けしている(Wesel, David and Bob Davis “Pain from Free Trade Spurs Second Thoughts”, Wall Street Journal, March 28, 2007)。最上位はコンピューター・プログラマー、第二位がデータ入力。そして第三位に会計士が入っている。さらに、映画・ビデオ編集者、数学者、医療筆記者、通訳・翻訳業と続く。

そして、その次にランクされているのが、「エコノミスト」だ。

なんと。

ブラインダーは、オフショアリングの問題を、「足下の影響は過大視され、将来的な対応の必要性は過少評価されている」問題だと指摘する。もしかすると、評論する方も浮き足立っているのかもしれない。

「日本語」という壁に守られているからか、日本ではそれほどオフショアリングへの警戒感はそれほどでもないように思われる。しかし米国では、グローバリゼーションへの対応はイラクに続くNext Big Thingだ。このページでも、論文等の紹介を含めて、しばらくはこの辺の議論に焦点をあてていきたいと思っている。

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