レーガンの罠-Revisited-
今週の米議会はイースター休会である。かつて仕事で議会を今よりもしつこく追いかけていた時には、休会ほど嬉しいものはなかった。何せゆっくり出来る。このページも、例えばイラク補正予算の顛末に触れなければ、と気にはかかるものの、まあいいではないか、暫く議員は帰ってこないのだからと思ってしまう。週末までに触れられれば大勢に影響はない。
そこで、またしてものレーガン論である。
レーガンへの固執に対する保守陣営からの疑問については、David Brooksの議論を紹介した。今度はリベラルの立場からPaulKrugmanが、レーガン的な政策が今の共和党が直面する問題の現況だとする議論を展開している(Krugman, Paul, "Distract and Disenfranchise", New York Times, April 2, 2007)。
Krugmanの議論の着目点は「格差」である。レーガンが登場した1980年頃は、今ほど格差が大きくなかった。多くの米国民に中間層としての意識があったからこそ、共和党は「大きな政府」を敵に仕立てられた。国民=中間層にすれば、税金は福祉を通じて自分ではない「貧者」に回っていってしまうものだったからだ。
共和党の問題は、その後の格差の拡大で、こうした論法が利かなくなった点にある。少なからぬ有権者が20~30年前よりも生計を立てにくくなったと感じるなかで、格差の問題は政治的に無視出来なくなった。しかし、レーガンに取り憑かれた共和党には打つ手がない。保守派の支持層は、「減税と民営化」路線からの逸脱を許さない。
ここまでは、読みようによってはBrooksの議論からそれほど遠くない。
Krugmanに言わせれば、そこで共和党が取ったのが、「論点のすり替え」と「権利の剥奪」だ。前者はいうまでもなく、「テロとの戦い」。民主党がシリアスな政策を打ち出そうものなら、「テロ対策に甘い」と批判を浴びせるという手法だ。さらにそれだけでは不十分ということで、共和党は格差の縮小に熱心な候補者から投票の権利を奪うという手段に出た。2000年大統領選挙ではフロリダで有権者が投票を阻止され、ブッシュの当選につながった。最近の連邦検察官の人事問題も、投票関連の不正を捜査しようとしたことに関係がある。
ここまで行くとなんだかなあと思わないでもないが...
Krugmanの議論で面白いのは、民主党に対しても「毒」があることだろう。曰く、2008年の選挙は共和党にとって厳しい。なぜならば「クリントン時代には金持ちや企業に『ポピュリストではない』と証明しようとしてきた民主党も、時代が変わったことに気がついた」からだ。
Krugmanは暗にクリントン流の中道路線からの離脱を主張しているのである。
こうした路線論争が格別な意味をもつのは、何といってもヒラリーの選挙戦略である。クリントンをどう使うかという選択が難しいのは、スキャンダルがらみの悩みがあるからというだけではない。
なかでも足下で注目されるのは、通商政策周りの微妙な動きだ。Fisrt Ladyからニューヨークの上院議員、そして、大統領選挙の候補者へという変遷がヒラリーをどう変えようとしているのか。
もったいぶるようだが、この点については、明日改めて触れることにしたい。
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