それがオバマの生きる道
オバマの演説の魅力は、個別の出来事が結び付けられて、大きな絵柄でのストーリーが展開されていく点にある。「木を集めて森を語る力」とでもいえば良いだろうか。最近の2つの事件への対応は、その「型」が見事に現れている。
第一は、バージニア工科大学の銃撃事件への反応である。オバマは、銃撃事件を非難するだけでなく、広い意味での「暴力」の問題を提起する。それは真面目に働いて来たのに、突然中国に雇用を奪われてしまう労働者への「暴力」であり、無視されたコミュニティーの聞かれることのない子ども達への「暴力」である。そして、最近話題になった、ショック・ジョックのドン・アイマスによる黒人に対する侮蔑的な発言も、言葉による「暴力」だ。
第二は、そのアイマス発言への反応である。オバマは、もちろんアイマスの発言を批判する。しかしオバマは、ラップなどを通じて、アイマスが使ったような言葉に触れる機会が多くなっているという事実も無視すべきではないとも主張する。
銃撃事件とオフショアリング、白人DJの侮蔑発言とラップ。こうした結び付け方こそが、オバマの「型」である。大半の候補者は、個別の対策に降りていく。銃撃事件であれば、銃規制の話に行くのが普通だろう。しかしオバマは、関係のなさそうな事柄(オフショアリング)との結び付きを足掛かりに、どんどん上に上っていくのである。
こうしたオバマの「型」は、二つの点で今の米国民には魅力的だろう。第一に、米国民は「結び付き」や「大きな絵柄」に飢えている。クリントン政権以来、米国では党派対立の潮流が強まる一方だった。第二に、米国民も夢がみたい。個別の議論に降りていけば、意見の対立や対策の有効性など、現実的な問題が露になってくる。袋小路に入った感のあるイラク戦争が典型だ。その一方で、JFKが証明したように、大きな絵柄での問題提起には、かえって国民を奮い立たせる効果がある。
もちろんオバマの「型」にも脆弱性はある。第一は、いうまでもなく政策論の欠如である。実際に、「オバマは政策論に欠ける軽量級」という指摘は少なくない。第二は、「結び付け方」への批判である。殺人とオフショアリングを結び付けたことには、余りに突飛だという批判がある(Baehr, Richard, "Obama Not Ready for Prime Time?", Real Clear Politics, April 18, 2007)。余計な議論を招く可能性もある。ラップ批判には、ラップ業界の大物、Def Jam Records共同創始者のRussel Simmonsが噛みついた。ラッパー自身が侮蔑的な言葉に囲まれて育って来たのであり、そうした黒人社会の痛みにこそ注目すべきだというのだ(Tapper, Jake and Jerry Tully, "Rap Mogul Takes On Obama", ABC News, April 16, 2007)。
オバマの選挙戦略の柱は、新世代のリーダーであることを強調する点にある。オバマの「型」は、こうした戦略と綺麗にマッチする。
オバマは「新しさ」でどこまで押し切れるのか。それとも、陣営は第二弾の戦略を考えているのか。選挙戦はまだまだ序盤戦である。
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