Revenge of Bill
政治の世界では、一つの流れが最高潮に達した時にこそ、次の流れが始まる隙が生まれる。果たしてヒラリーは、オバマの好調さを局面打開のきっかけにできるだろうか。
第1四半期の献金額発表で、オバマ陣営の上手さが際立ったのが、その広報戦略である。今の選挙戦には「組織に頼るヒラリーに、新顔オバマが徒手空拳で挑む」というストーリーがある。これを最大限に利用するだけでなく、さらに増幅することに成功したからだ。
二つのポイントがある。
第一はタイミングだ。
ヒラリーが献金額を発表したのは4月1日。他の候補も一斉に続いた。金額は確かに大きかったが、ヒラリーの集金力は折り込み済みだから、不意をつかれた者はいない。まして、最大のライバルであるオバマ陣営が数字を出していない。「大きな数字だから隠しているんじゃないか?」。むしろ、そんな憶測が飛び交う。
この辺はオバマ陣営も計算済み。当日は「オバマ陣営がたくさんの支持を得ていることを感謝する」という程度のコメント。さらに翌日も「2000万ドル以上は集めた」という情報だけを流し、周囲の期待とクリントン陣営の不安をあおる(Drew, Christopher and Mike McIntire, "Obama Built Donor Network From Roots Up", New York Times, April 3, 2007)。
そして翌々日の4月3日に、オバマ陣営はようやくヒラリーに匹敵する献金額であることを発表。そうなると、メディアの報道は、「オバマ健闘、ヒラリー苦境」の一色だ。
完全に嵌っている。
第二は発表に伴う語り方である。
発表当日、オバマは献金額に関するメディアからのインタビューを断る。広報担当のコメントも、「一般市民は(献金額など)まったく興味がないはずだ」(Zeleny, Jeff and Patrick Healy, "Obama Shows His Strength in a Fund-Raising Feat on Par With Clinton", New York Times, April 5, 2007)。
ヒラリーは資金力でつぶしにくる。だけど、選挙はお金では買えない。オバマの選挙は金ではない。
見事なストーリー・テリングという他はない。
もちろん、調子が悪いのはヒラリーだ。
念のため確認しておくが、ヒラリーの集金力はたいしたものである。06年上院選挙からの繰越(1000万ドル)を加えた3600万ドルという金額は、この時期としては民主・共和党を通じて過去最高だし、選挙の前年の集金額でみても、ブッシュの第3四半期(5000万ドル)、第4四半期(4800万ドル)に続いて史上3番目である。
しかしヒラリーは、せっかく大金を集めたのに、目論んだように他の候補をひるませられなかった。400万ドル近くしか集められなかったバイデンにすら、「アイオワの予備選を乗り切れるだけのお金があれば十分。お金で決まる選挙じゃない」といわれる始末だ(Kornblut, Anne E., "Clinton Shatters Record for Fundraising", Washington Post, April 2, 2007)。
それどころかヒラリー陣営には、オバマ陣営に肉薄されているという印象が色濃く残ってしまった。本来強いはずの組織力ですら、オバマの「人気」にはかなわないという絵柄である。
実際ヒラリー陣営は、ここでオバマに決定的な差をつけようと必死だった。その表れが、最終兵器ともいうべきクリントンの早期投入だ(Healy, Patrick, "Clinton Camp Turns to a Star in Money Race", New York Times, March 31, 2007)。
クリントンは最後の6週間で16回の資金集めパーティーに出席、献金者との電話会議や、インターネットでの呼びかけまで行った。ヒラリーの支持者が「2ヶ月前までは考えられなかった」というほどのクリントンの活動振りは、オバマ陣営への危機感の表れに他ならない。実際にクリントンは、「(第1四半期が終わる)3月31日は最初の予備選挙だ」とすら述べていたという。
ところが結果はご覧のとおり。必死振りが報道されていただけに、ヒラリー陣営の苦境が際立ってしまった。広報戦略としては明らかに負けである。
しかし、政治の世界では、頂点にたどり着いた者は落ちるしかない。ヒラリーにとっては、オバマの好調さこそが、局面打開のきっかけになるかもしれない。
しつこいようだが、ヒラリーの調子が悪いのは、「体制側の巨人」対「草の根に支持された新星」という構図ができあがっているからである。「弱いもの」が好まれるのは日本も米国も同じ。このままでは、ヒラリーの組織力の強さは裏目に出るばかり。オバマ陣営が献金額を「たいしたことはない」と言い放てたのも、こうしたストーリーのおかげである。
実際のところ、献金額の多少の差などは問題ではない。現実問題として考えれば、ヒラリー陣営もオバマ陣営も、選挙運動に必要な資金は十分に集められる。要は受け止められ方の問題に過ぎない。たとえ献金額でオバマを引き離しても、「選挙はお金じゃない」といわれればそれまでなのだ。
ヒラリーが局面を打開できるとすれば、オバマの人気が早い段階で高まり、両者がイコール・フッティングになったときである。「お互いの力は互角。政策で勝負しましょう。実績を評価してもらいましょう」。こうしたストーリーに持ち込めるのか。
クリントン陣営の責任者であるTerry McAuliffeは、「お金は問題じゃない。とらなければいけないのは票だ」としながらも、「現時点では(票で)勝っているのはヒラリーだ。あらゆる世論調査でリードしている」と述べている(Tapper, Jake, "Obama Bests Clinton in Primary Fundraising", ABC News, April 4, 2007)。
こうしたストーリー・テリングでは、ヒラリー陣営はもう一度(支持率で抜かれたときに)足をすくわれる。
おそらくどこかの段階で、オバマが献金額や支持率でヒラリーを抜く局面が訪れる。ヒラリー陣営の真価が問われるのは、その時の対応だ。
さて、ヒラリー陣営の最大のアドバイザーであるクリントンはどう考えているのか。資金力だけでは足りない。ヒラリーがクリントンに頼らなければいけないのは、唯一無二の「政治的嗅覚」なのかもしれない。
実際にクリントンは、「近年まれに見るほど」選挙に没頭しているという。
90年代からの米国ウォッチャーには、何ともこたえられない展開になってきた。
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