2007/05/31

テネシー・ワルツとゴアの世界

トンプソンの正式な出馬が秒読みに入ったようだ。報道によれば、6月4日に検討委員会が設立され、資金集めがスタートする。7月4日の独立記念日の辺りには出馬が宣言される見込みである(Allen, Mike, "Fred Thompson will run, advisers say", Politico, May 30, 2007)。

ま、実質的には出馬していたのも同然だったわけですが。

対照的に出馬しないだろうと見られているのが、民主党のゴア前副大統領である。新著「The Assault on Reason」の発売に併せて、ゴアがメディアに取り上げられる機会は激増している。しかし、出馬の見込みについては、否定的な報道が大半である。

Time誌はこう記す。「密かなキャンペーンなどは存在しない。どんなニュースを読んでいるかは知らないが、ゴアの配下が権力への復活の道を秘密裏に検討している会議などというのも行われていない。秘密の計画などは存在しないのである(Pooley, Eric, "The Last Temptation of Al Gore", The Time, May 16, 2007)」。

出馬しないと考えられる理由は幾つかある。一つは、敗北の傷が癒えていないこと。「忘れられたのはいつ頃か?」という質問に、ティッパー夫人は、「今何時?」と答えている(Traub, James, "Al Gore Has Big Plans", New York Times Magazine, May 20, 2007)。だいたい、2000年もさることながら、ゴアは88年にも民主党の予備選に敗れているのだ。

より説得的なのは、ゴアは現在の自分に満足しており、選挙に戻って自分らしさをもう一度失ってしまうのを恐れているという指摘である。またしても、ティッパー夫人の発言を引用しておこう(Pooley, ibid)。

「彼はあらゆる国のあらゆるリーダー、ビジネス界、あらゆる種類の政治家とアクセスがある。彼は自分自身のやり方で、世界中のどこででも好きなだけ活動ができる。これこそ自由。誰がこれをあきらめたいというの?」

もっとも、ゴアは出馬の可能性を完全には否定していない。やはり未練はあるのだろうか。新著の中にも「(2000年の討論会で)政策論争の是非よりも、自分の大きなため息が話題になったのは、テレビの悪影響の現れだ」なんて、未練がましいことを書いている。

いや、お言葉ですが、あれはひどかったですよ。見ていて、「何やってるんだ?」と思いましたもの。

出馬しないとみているからなのか、メディアによるゴアの扱いは、異様なくらいに好意的である。Time誌などは、ゴアはオバマ(草の根へのアピール、政治を超えたメッセージ、早い段階でのイラク戦争への明確な反対)とヒラリー(実行力におけるタフさ、経験と外交における信頼性)の魅力を兼ね備えた候補者になれると指摘する(Pooley, ibid)。New York Timesは、ゴアは「預言者の域に達している」とまで書いている(Taub, ibid)。新著についても、選挙の年にありがちな政治的な意図に溢れた本ではなく、米国の問題点を真摯に解き明かそうとしているという評価が多い(Michiko, Kakutani, "Al Gore Speaks of a Nation in Danger", New York Times, May 22, 2007)。

しかし、自分には拭い切れない疑問がある。

果たしてゴアは、魅力的な候補者になれるのだろうか。

正直いって、どうもゴアの議論には付いていけないところがある。時間のある方は新著の抜粋にトライしてみて欲しい。本の主題は、「なぜ米国では、事実に基づいた議論が行われなくなったか」。

何でだと思います?

テレビがいけないんだそうです。そして、期待の星は、もちろんインターネット。さらに、こうした話を、古今東西の哲学やら科学やら(脳の働きには…みたいな)の知識をちりばめながら、縦横無尽に展開している…らしい。

自分が感じた違和感に、少し鮮明な輪郭を与えてくれたのが、David Brooksの痛烈な批判である(Brooks, David, "The Vulcan Utopia", New York Times, May 29, 2007)。

Brooksは、ゴアは極端な技術決定論者だと指摘する。大抵の政治家は人間に反応するが、ゴアは機械に反応する。その新著には、機械が歴史を決めるという理論が展開されているというのだ。

Brooksによれば、新著でもっとも驚かされるのは、その冷たい世界観である。そこで展開される発展の歴史には、家族や友情、近所付き合いはおろか、人と人とのFace to Faceの触れ合いが果たす役割がほとんどない。ゴアは社会を演壇から見下ろすように観察しており、大衆の動きには、親密さや私生活が入り込む余地はない。ゴアが理想とする社会では、感情のない人間が、事実に基づいて論理的な結論にたどり着く。

そこまで過激ではないが、Washington PostのDana Milbankは、ゴアは博識振りを全開にし過ぎではないかと指摘する(Milbank, Dana, "Is It Wise to Be So Smart?", Washington Post, May 30, 2007)。この記事では、「彼の最大の問題は、自分が馬鹿だと感じさせられてしまうような人は嫌われることだ」という、ゴアの講演の聴衆による発言が紹介されている。

翻訳する気力がないので、講演からの下りをそのままどうぞ。

"Both the Agora and the Forum were foremost in the minds of our Founders. . . . Not a few of them read both Latin and Greek, as you know."

"Gibbon's 'The Decline and Fall of the Roman Empire' was first published the same year as the Declaration of Independence and Adam Smith's 'The Wealth of Nations.' "

ついでに新著の一部分も。

"The new technology called 'Functional Magnetic Resonance Imaging,' or FMRI, has revolutionized the ability of neuroscientists to look inside the operations of a living human brain and observe which regions of the brain are being used at which times and in response to which stimuli,"

"The architectural breakthrough associated with massive parallelism was to break up the power of the CPU and distribute it throughout the memory field to lots of smaller separate 'microprocessors' -- each one co-located with the portion of the memory field it was responsible for processing."

ところで、もしもトンプソンとゴアが本選挙に進んだら、テネシー州の出身者同士の戦いになる(トンプソンはゴアが上院を引退した後の議席を受け継いでいる)。思い返せば、昨年の夏ごろには、大統領選挙はバージニア州の出身者同士の争いになるのではないかといわれていた。しかし、共和党のアレン上院議員(当時)と、民主党のワーナー前州知事は、早々に戦線から消えていった。今の選挙戦では、ジュリアーニ前市長と、ヒラリー上院議員という、ニューヨークにゆかりのある候補者がそれぞれの党のトップを走っている。

どうでもいいことだが、それはそれで不思議なめぐり合わせである。

2007/05/30

ヒラリーの経済演説:What has been said, or unsaid.

29日にヒラリーが、経済政策に関する演説を行なった。同じ日にオバマが行なった医療保険に関する演説の陰に隠れがちだが(余談だが、こちらのプレスリリースにも、脚注が65もついている。なかなかどうして、ヒラリーに負けていない)、「富の配分」を論じたこの演説は、まさにルービノミクス論争に拘る内容であり、見逃す訳にはいかない。

ヒラリーは、成長の果実が中間層に配分されていないという問題意識から、以下の9つの提案を行なった。

1.大企業への優遇策を減らし、国民との公平を実現する。
2.企業に対するオフショアリングへの政策的なインセンティブを廃止する(税制改革)。
3.企業や金融セクターのガバナンスを改革する。
4.健全財政を回復する。
5.全ての若者に大学教育の機会を与え、教育が幼少期に始まり、大人になるまで続くようにする。
6.コミュニティー・カレッジなど、様々な教育の機会を支援する。
7.労働者が家族を養えるだけの収入を獲得し、将来に備えた貯蓄が出来るように、支援する。
8.全ての米国人が、質が高く、手頃な医療保険に加入出来るようにする。
9.新しい雇用を産みだすために投資を行なう。

まず感じたのは、なぜ9つの提案なのか?という疑問である。

だってキリが悪いじゃないですか。ちょっと工夫すれば、8にも10にも簡単に出来そうなのに。それとも、世論調査に裏付けられた深い計算があるのだろうか。

それはさておき。

ルービノミクス論争の観点では、演説のなかに、ポピュリスト=EPI陣営を意識したキーワードがちりばめられていることに気付く。

例えば、リリースのタイトルには、EPIのプロジェクトを思わせるSHARED PROSPERITYがあるし、ブッシュ政権の経済政策を批判する下りでは、これもEPIの十八番である"on Your own"を使っている。内容的にも、CEOの高給批判や、労組・製造業の重視等が盛り込まれた。

もっとも、「クリントン」という名前に付随する一種のハンデを考えれば、意識的に左に動くのは自然かもしれない。実際に、ルービノミクスの範疇を大きく踏み越えているかというと、そういう訳でもない。ヒラリーは均衡財政を主張したし、「最高税率をブッシュ前に戻す」というのは、ルービンも許容していた「想定内」の提案である。

何よりも印象的なのは、通商政策に対する言及の欠如だ。財政と比較すれば、通商はポピュリズム派の旗色は良い分野であり、ヒラリーの揺らぎも指摘されている。

敢えて今回は取り上げなかったのは、「配分と通商の因果関係は薄い」というメイン・ストリームの考えに従ったからだろうか。それとも、どこかで通商に関する大きな演説が予定されているのだろううか。

演説を読み終えて残ったのは、そんな疑問である。

2007/05/29

Not Running is New Running : トンプソンとゴア(は次回...)

米国の大統領選挙では、「立候補していない候補者」が、ちょっとしたブームである。共和党のギングリッチ元下院議長や、第三政党での出馬の噂があるブルームバーグNY市長もさることながら、何といってもメディアの注目度が高いのは、共和党のフレッド・トンプソン元上院議員と、民主党のゴア前副大統領(自称元次期大統領)である。

もっとも、この二人には重要な違いがある。一人は出馬すると思われており、もう一人は思われていない。

出馬すると思われているのはトンプソンである。組織を立ち上げ始め、スタッフを雇い、議会を訪ねたり、保守派の会合で演説もした。特筆すべきは、インターネットの活用で、保守系の有力ブログに投稿したり、先日はYouTube経由でマイケル・ムーアに喧嘩を売って話題を集めたり(必見。葉巻咥えて出て来るんだもんなあ。さすが役者です)。AP通信が、「...彼に近い人は、まだ最終的な決断は下されていないと警告する。基本的には彼が既に選挙運動を始めてしまっているのはさておいて」と書くのも無理はない("Many signs point to a Fred Thompson presidential candidacy", Los Angels Times, May 23, 2007)。

トンプソンにとっては、出馬を表明していないことが有利に働いている。二つの視点がある。

第一に目立つ。共和党の予備選は乱戦模様。ビッグ3の後ろでも、大量の候補者がスポットライトを奪いあっている。討論会を見てもわかるように、この中で競うのはあまり楽しくない。幸いなことに、トンプソンにはLaw &Orderで築いた知名度があるから、インターネットで自由に飛び回っていた方が快適である。

第二は、その自由度だ。トンプソンは何のコミットもしていないから、比較的自由に発言できる。それが、既成の候補に飽きたらない保守層の琴線に触れる。

「家をもっていれば銃をもつ権利があるべきじゃないか?大学が軍隊の歴史を教えないのは良くないよね。サルコジはどうだい?いいニュースだね。テネットをみたかい?あいつの本は薄っぺらそうだね」。

保守派の論客Peggy Noonanは、こうした点を評して「トンプソンは素晴らしいキャンペーンを展開している。ただ宣言していないだけだ」と述べている(Noonan, Peggy, "The Man Who Wasn't There", Opinion Journal, May 18, 2007)。

トンプソンの「出馬」がどの候補にとってダメージになるかは、意見がわかれるところだろう。世論調査を見る限り、ビッグ3から一人落ちるならロムニーだし、政策的にはマケインとダブる。

しかし、「救世主が彗星のように現れる」という役回りをとって変わられたのは、ジュリアーニではないだろうか。このページを始める随分前に、某所で「両党には出馬したら戦況を一変させかねない潜在的な候補者がいる」と指摘したことがある。想定していたのは、民主党はゴアだったが、共和党はジュリアーニだった。

常識的に考えれば、ジュリアーニが共和党の指名を勝ち取るのは容易ではない。同性愛者や中絶の権利を認め、銃規制には消極的。社会保守派にとっては、余りに厳しい選択である。しかし、このままでは本選挙に勝てないという危機感が高まれば、保守派も苦い薬を飲む気になるかもしれない。その時が、ジュリアーニのチャンスである。そんな筋書きだった。

筋書きは間違ってはいなかった。しかし、ジュリアーニにとっては、危機感の高まりは早すぎたかもしれない。今やジュリアーニは立派なトップランナー。しかし、今度は「真の保守がいない」という不満がくすぶっている。それが、右側からの「彗星」が産まれる素地になった。

もっとも、トンプソンがどこまで「右」なのか、何を主張する候補者なのかは、未だに判然としない。むしろ、政策や気質に関する曖昧な評価は、前回取り上げた時と、あまり変わりがないようにも見受けられる(Halperin, Mark, "Has Fred Thompson Found His Role?", Time, May 24, 2007)。

「レーガンに似ている(Halperin, ibid)」というだけでは物足りない。Peggy Noonanはいう。「トンプソンは次のような問いに答えなければならない。何をするために出馬するのか。これまでの間違いにもかかわらず、なぜ共和党はもう8年間(もしくは4年間)を与えられるべきなのか。保守主義や共和党主義(どう呼んでもいいが)は使い尽くされてしまったのではないのか。アメリカは何でもいいからとってかわるものを待っているのではないのか?(Noonan, ibid)」

彗星の尾が何で出来ているかはご存じの通り。トンプソンの輝きは本物なのか。見極めるには、しばし時間が必要かもしれない。

ゴアに触れる気力がなくなってしまった。オゾン・マンには申し訳ないが(?)、また別の機会に...

2007/05/28

Memorial Dayに想う

週末にお休みを頂いたのに何だが、今日の更新もいつもとは違う手触りでご勘弁願いたい。

なぜなら、今日はメモリアル・デーだからである。

メモリアル・デーは戦没者を追悼する日。米国に住み始めた時には、馴染みにくかった休日の一つだった。もっとも、その起源は南北戦争にあるらしいのだが(Cohen, Adam, "What the History of Memorial Day Teaches About Honoring the War Dead", New York Times, May 28, 2007)。

メモリアル・デーといえば、米国滞在中に印象深かったのは、Rolling Thunderパレードである。たまたまワシントンのモール周辺にでかけた時に、大量の大型バイクが轟音を上げて走り回っていて、度肝を抜かれたことがある。後から調べたら、毎年恒例の行事だった。違う年には、これもたまたま、ワシントンに向うバイクの大群と高速道路ですれ違った。なかなかの壮観だった。

なにせ、バイクもデカいが、乗っている人もデカい(失礼)。

もちろん、季節が良くなったからといって、伊達や酔狂で走っているわけではない。戦争での行方不明者や、退役軍人の問題への意識向上という狙いがある(Jenkins, Chris L., "Record Turnout Marks Rolling Thunder Ride's 20th Anniversary", Washington Post, May 28, 2007)。代表者は大統領とも面談しているようだ。

それでも、自分がアメリカに住み始めた頃(90年代後半)は、メモリアル・デーといえば、「夏の始まり」という風情が強かった。この週末が終わればプールも始まる。どういうわけかアメリカでは、季節はカレンダーどおりに変わる(?)。そして、メモリアル・デーからレーバー・デーまでが夏なのである。

同時多発テロ以降、メモリアル・デーの位置付けは変わっていく。アメリカは戦時に入った。その頃、自分はニューヨークに移っていたから、9-11の特別さは格別だったが、メモリアル・デーの手触りも年々変わっていったように思う。

今年の米国のメディアにも、いつもの政治色の強い報道だけでなく、戦争が庶民の生活に与える影響を、静かに見つめる記事が見受けられる。例えばWashington Post紙は、増派によって派兵期間が2年に達してしまった、ミネソタ州のNathional Guardを取り上げた(Slevin, Peter, "A Long Time Gone", Washington Post, May 27, 2007)。

ある妻は、夫の帰還まで100日になった時に、ビンにM&Mのチョコレートを100個入れた。毎日1つずつ食べて行けば、子どもは父親の帰りが近付いたことがわかる。しかし、チョコレートが残り少なくなった頃に、滞在期間が120日延長されたという連絡が入った。

この戦争の特徴は、極めて「アメリカだけの戦争」になってしまったことだ。今は日本に帰ってきた自分にとっても、戦争の現実味は薄い。

このページも、明日からは「ヒラリーはアイオワ・コーカスをスキップするのか?」とか、「オバマを支持しているのは誰なのか?」なんていう話に戻る。

反戦を謳いたいわけではない。ただ今日だけは、ここここの写真を見ながら、いつもとは違った角度から、戦争を感じて見てはどうだろうか。

2007/05/25

Price You Pay : ヒラリーと医療保険改革

24日にヒラリーが医療保険に関する演説を行なった。ヒラリーは、医療保険関係の提案を3回に分ける方針で、24日はその第一回。テーマは医療費の抑制策だった。この後、医療の質と無保険者問題に関する演説が続くという(Kornblut, Anne E., "Clinton Reenters the Health-Care Fray", Washington Post, May 25, 2007)。

面白いのは、演説の前日に、29日にオバマが医療に関する提案を発表するという報道があったことだ(Davis, Teddy, "Obama Ready to Get Specific on Health Care", ABC News, May 23, 2007)。どちらが仕掛けたのかは不明だが、互いを意識した神経戦を感じさせる。

そういえば、24日に上院で行われた補正予算に関する投票では、ヒラリーとオバマはいずれも反対票を投じているが、先に投票したのはオバマだったという。

いや、余談ですよ。イラクにはしばらく触れないお約束ですから。

もっとも、医療の問題については、ヒラリーに一日の長があるのは否めない。ヒラリーが医療に造詣が深いのはアメリカ人の常識。また、医療は複雑怪奇な問題であり、ヒラリーの政策オタク振りを見せつけるのには打って付けの舞台である。今回の演説にしても、ヒラリーは80以上の数字を引用し、プレス・リリースには70(!)もの脚注がついているというから恐れ入る(Meckler, Laura, "Clinton Health Care : By the Numbers", Wall Street Journal, May 24, 2007)。

というか、やりすぎ。

さらに、各候補が政策の違いを鮮明にしにくい可能性があることも見逃せない。医療は長年の課題であるだけに、様々な議論の蓄積がある。「医療費を減らし、無保険者を減らす」という目標が同じであれば、候補者の腕の見せ所は、主にメニューの組み合わせとディテールになる。これらは、なかなか有権者には伝えにくい部分である。そして、どれもが同じ提案に聞こえるのであれば、力量があると思われている候補が有利になるのではないだろうか。

今回のヒラリーの提案を見てみよう(Kornblut, ibid)。ヒラリーが提案したのは、以下の7つのステップ。これらによって、米国経済全体で年間1,200億ドルの医療費を削減できるという。

1.予防医療の強化
2.医療情報の電子化
3.生活習慣病対策の強化
4.既往症のある人への保険の提供
5.ベスト・プラクティスを探るための官民参加による取り組み
6.処方薬輸入の合法化
7.メディケアにおける薬価交渉の実現

いずれも、この問題を囓ったことのある人であれば、それほど意外感のある内容ではない。事実、既に改革案を明らかにしていたエドワーズ陣営は、「エドワーズは3ヶ月前に同じ提案をしている。ヒラリーの支援を歓迎したい」などと指摘している。

オバマはどうだろう。報道によれば、オバマの提案は、①無保険者を対象とした保険プールの新設、②予防医療の強化と情報化によるコスト削減、③高額医療向けの再保険の導入だという(Davis, ibid)。このうち、今回のヒラリーの提案にあたるのが②だが、その内容は極めて近そうだ。

それでも、これは「ヒラリーの提案」であって、エドワーズやオバマの専売特許にはなりにくい。むしろ、ヒラリー以外の候補は、「ヒラリーに近付けるのか」という視点から評価される傾向が強いだろう。

もっとも、ヒラリーにしてみれば、ファースト・レディ時代に、「自らが主導した改革の挫折」という多大な代償を払ったからこそ得られた、正当なアドバンテージ。ここで活かせなかったら…という思いはあるかもしれない。

なにごとにも代償は必要なのだ。

ところで、自分の自宅・職場のPCからは、ヒラリーのホームページのうち、プレス・リリースやスピーチの部分が全く見えない。これは自分だけなのだろうか?それとも、海外からはつなげないのだろうか?仕事上、非常に困ってしまう。2004年の選挙でブッシュ選対のHPに全くつなげず、えらく難儀したいやな記憶が蘇ってきているのだが...

解決方法をご存知の方は、ぜひ教えてください。

2007/05/24

歌舞伎としての米中戦略経済対話、スケープゴートとしての中国

米中戦略経済対話が終わった。

評価については、日米のメディアで乖離があるようだが(日本の報道では「中国の譲歩にもかかわらず」、米国の報道では「中国から十分な譲歩を引き出せなかったので」)、いずれにしても、これで米議会の問題意識が消え去るわけではない。人民元や貿易不均衡という大きな「タマ」が残っているのもさることながら、米国の不満の根源は、グローバリゼーションへの不安にあるからだ。

その点で、「中国はスケープゴートだ」と喝破した、英エコノミストの論評は秀逸である("America's Fear of China", The Economist, May 19, 2007)。

「為替なんかで争わずに、議会は一歩引いて、そもそも米国人がなぜ中国に怒っているのかを考えたほうが良い。つまるところ、中国は伸び悩む賃金や拡大する所得格差、そして医療・年金給付の弱体化がもたらす幅広い経済的な不安感のスケープ・ゴートなのだ。こうした脆弱性にこそ、(中略)真正面から、それも米国内で取り組んだほうが余程良い」

実は、ポールソン財務長官も、今回の戦略対話の冒頭で同じような趣旨の発言をしている。この部分は、米国内に反中感情があると認めた点に注目が集まっているようだが、もう一度よく読んでみよう。

「両国は、国内の保護主義と通商やグローバリゼーションの利点への疑問という挑戦に直面している。両国には、互いの国の意図に対する懐疑的な見方が強まっている。残念なことに米国では、中国が国際競争の実際または想像上のダウンサイドのシンボルになるなかで、これが反中感情として現れている」

そうであれば、戦略対話に米中摩擦の解消を求めるのは、行き過ぎだ。保護主義が暴発しないように、不満をコントロールする。それ位の目線がちょうど良い。多少の成果で時間を稼ぐ。それだけで、存在価値はある。

それでも、議会のテンションは少しずつ上がっていくだろう。90年代後半のような、果実が幅広い国民に行き渡る景気拡大が期待できないのであれば、肝になるのは、「稼いだ時間」で、どこまで国内政策の議論を進められるかだ。

そういえば、就任当初のポールソンは、年金や医療保険の改革にやる気をみせていた。超党派の合意を目指しながら、チェイニーの「増税はありえない」発言で挫折させられた経緯は、ここ数日の報道でも改めて取り上げられている(Montgomery, Lori, "Lowered Expectations", Washington Post, May 23, 2007) 。

浪費した時間は意外に大きいものである。

2007/05/23

またしてもイラク!?:where's the goal post ?

暫くはイラク以外の話題にしたかったのだが、節目なので仕方がない。もう一日だけ(?)お付き合い下さい。

22日に、議会民主党指導部とブッシュ政権が補正予算に合意した。

結果は、ほぼ全面的に民主党側の譲歩である。ベンチ・マークは含まれ、復興援助とのリンケージの可能性は残ったが、撤退期限は落とされ、戦争遂行に関する大統領の権限には、ほとんど制限がかけられなかった(Murray, Shailagh, "Democrats Relent On Pullout Timetable", Washington Post, May 23, 2007)。予算切れのタイミングが近づくなかで、拒否権を覆せない民主党にとっては、今回はこれが限界というのが指導部の判断だろう。ペロシ下院議長は、「自分も反対票を投じるかもしれない」と言っているようだが、民主党にとっては、分裂含みの厳しい投票になりそうだ。

もちろん、これで決着がついたわけではない。9月には次の山場がやってくる。票には現れなかったが、共和党の揺らぎも明らかになってきた。院内総務という要職にあるベイナー下院議員ですら、「9~10月になれば、議員は(増派が)上手く行っているかを、そして上手く行っていないのならば、プランBが何かを知りたがるだろう」と、on the recordで述べているほどだ(Barnes, Julian E., "Boehner says GOP will want results in Iraq", Los Angels Times, May 7, 2007)。

民主党指導部も、表向きは強気である。エマニュエル下院議員に言わせれば、今回の補正予算は、「大統領のイラク政策の終わりの始まり」だし(Hulse, Carl, "Democrats Pull Troop Deadline From Iraq Bill", New York Times, May 23, 2007)、ペロシ下院議長は、9月こそが「最後の審判」だという(Murray, ibid)。

もっとも、それは今のストーリー。議員達が表立って語らないのは、「9月以降」に何が起こるのか、もっと言えば、何がプランBなのか、という問い掛けへの答である。

9月の時点では、増派は上手く行っていないという評価になる可能性が高い。司令官の報告は、明白な回答を示さないとみられている。加えて、そもそも「何が成功か」という点がハッキリしていない。「測りをもたずに家を建てようとしてるようなもの(キングストン下院議員)」なのだ(Stolberg, Sheryl Gay, "See You in September, Whatever That Means
",
New York Times, May 13, 2007)。一方で、犠牲者やテロ・暴動がゼロになるわけではなく、メディアは間違いなくそうした現実をとりあげる。そうなれば、印象論としては、「上手く行っている」とはなりにくい。

果たして、その先米国はどう動くのか。過熱したレトリックの後に、国民を納得させられるプランBはあるのだろうか。

「9月以降」の戦略を巡る動きは出始めている。現地の司令官は、兵力の維持を前提に、来年末までの目標を見込んだ、新しいプランを作成中だという(Tyson, Ann Scott, "New Strategy for War Stresses Iraqi Politics", Washington Post, May 23, 2007)。また、政権周辺からは、超党派の支持を得るために、米軍の役割をイラク兵の強化に限定し、部族対立の鎮圧からは手を引くという案が、観測気球として上げられているようだ(Ignatius, David, "After the Surge", Washington Post, May 22, 2007)。

はっきりしてきたのは、ワシントンと戦場の間の、タイム・テーブルの乖離である。世論との相乗効果が起これば、戦場の現実に対応した政策運営は、ますます難しくなる。ワシントンの住人は、秋までの時間を使って、ちょっとクール・ダウンした方が良いような気がする。

というわけで、このページも(投票結果の記録等は別にして)暫くはイラクから離れようと思う。今度こそ。

先ずは隗より始めよ、というほどのことでもないですが。

2007/05/22

労組の「妙な存在感」とエドワーズの命運

民主党の議会多数党奪回もあってか、最近の米国で妙な(失礼)存在感を示しているのが労働組合である。

例えば議会では、カード・チェック法案(労組設立の手続きを、社員による秘密投票ではなく、過半数の署名で可とする)が審議されている。また、通商政策やイラク政策を巡る議論でも、労組の発言は活発である。さらに、サーベラスのクライスラー買収では、レガシー・コストに関する労組の出方が焦点になっている。

市場原理の権化という印象のある米国において、労組にこれほどの存在感があるということには、奇異な感じを受ける人も少なくないだろう。実際のところ、06年における米国の労組加入率は12%に過ぎない。83年の20%と比較しても、随分な低下である。

そんな労組も、時代に応じて変化はしているようだ。クライスラー買収へのリアクションに見られるように、ビッグ3のレガシー・コスト問題では、UAW側も、労働者擁護一辺倒という立場は取らなさそうな雲行きである。むしろ秋口にかけての労使協約改訂交渉は、会社存続の方策を探る場になるとの観測もある。「交渉のテーブルに良いオプションなどない。最悪かよりましな選択肢だけだ(Clark UniversityのGary N. Chaison教授)」というの現実を、労組もそれなりに受け止めているように見受けられる。(Maynard, Micheline and Nick Bunkley, "Auto Union Leader Finds Comfort Level", New York Times, May 16, 2007)。

かと思えば、グローバリゼーションを視野に、海外に活動を広げる動きもある。つい最近も、SEIUやチームスターの代表が中国を訪れ、現地の労組関係者等と会合を行なった。その背景には、競争相手国における労働条件の引き上げが、米国の雇用者の雇用や賃金を守ることにつながるという考えがある。「われわれは遅れている。ニクソンは71年に中国に来たが、われわれは2007年になってようやくやってきたのだ(Change to WinのExecutive Director、Greg Tarpinian)」というのは、なかなか泣かせる台詞である(Barboza, David, "Putting Aside His Past Criticisms, Teamsters' Chief Is on Mission to China", New York Times, May 19, 2007)。

実際に米国では、近年の所得格差の拡大の一因を、労組の影響力低下に求める議論がある。大統領選挙に向けて、労組を重要な支持基盤とする民主党陣営からは、こうした議論が盛んに聞かれるようになるかもしれない。

民主党の候補者のなかでも、特に労組を意識しているのがエドワーズである。エドワーズのアプローチは、キャンペーンの主要テーマである貧困問題に関連付けて、労組の復権を重視しているという点で、他の候補とはひと味違う(Easton, Nina, "John Edwards: Union man", Fortune, May 7, 2007)。3月28日に行われたAFL-CIO関連の会合でも、ありきたりの労組擁護論を展開した多くの民主党候補者(オバマを含む)を尻目に、ダントツの人気を博したという(Plumer, Bradford, "Building Code", New Republic, March 29, 2007)。

エドワーズには計算がある。エドワーズの選挙戦略は、予備選序盤で高成績を収め、その勢いでトップ争いに食い込むというものだ。そして、早めに予備選を行なう州の中には、アイオワ、ネバダといった、労組の影響力が強い州が含まれている(Przybyla, Heidi, "Edwards Bets on Union Support to Grab Momentum in Eary Races", Bloomberg, April 9, 2007)。

もっとも、エドワーズの労組重視戦略には死角もある。二点を指摘したい。

まず、労組が明確にエドワーズ支持を打ち出すとは限らない。理由は二つ。第一に、労組は勝馬に乗りたいと考えている。前回の大統領選挙では、負け馬の側に立ってしまい、その後の影響力低下につながったからだ。04年の選挙では、AFL-CIO系の労組はゲッパートびいきといわれた。他方で、SEIU等はディーンを支持した。今回の選挙では、労組は「誰でも良いから、勝てそうな候補につく(Washington University in St.LouisのJim Davis氏)」といわれる所以である(Przybyla, ibid)。

第二に、今回の民主党候補者は、いずれも労組との関係は悪くない(Rosenberg, Stuart, "The Media Shouldn’t Ignore Organized Labor in the Democratic Race", Roll Call, May 7, 2007)。特にヒラリーは、前述のAFL-CIOの会合でも、政策通なところを見せつけて(いかにも…)、エドワーズに負けない喝采を浴びたという(Plumer, ibid)。

また、04年の例を見ればわかる通り、労組に近い路線を取れば、予備選に勝てるというわけではない。選挙評論家のStuart Rothenbergは、労組・階級闘争路線に傾斜するエドワーズは、04年のゲッパートやディーンに似てきていると指摘する。ディーンを髣髴とさせる強硬な反戦の立場を含め、「怒りと対決姿勢、労組の支持があれば十分だとは限らない」というのが、彼の見立てである(Rosenberg, Stuart, "Is Edwards Following the Dean and Gephardt Models Too Closely?", Roll Call, May 14, 2007)。

ところで、エドワーズといえば、「二つのアメリカ」。労組向けの演説で、最新バージョンを見つけた(Goldfarb, Zachary A., "Democratic Candidates Praise Value of Organized Labor", Washington Post, March 27, 2007)。

"Somewhere in America, a dad will come home from working the second shift. He'll walk into the bedroom of his 6-year-old child and he'll touch her head and he'll realize for the first time that she has a fever, that she's badly sick. And he knows he needs to take her to the doctor, he knows he needs to go to the hospital, to the emergency room, but he has no idea how he's going to pay for it."

And he continued, "Today, somewhere in this country, a mother will stand in her kitchen holding a dish towel. . . . she'll go to the door, and she will find a chaplain and a man in uniform with the name of her son on their lips . . ."

こうした芸が、労組を超えて共鳴するかどうかが、エドワーズの勝負である。

それにしても。いやはや、相変わらず美しいではないですか。

2007/05/21

米中戦略経済対話とブラックストーン:It could have been worse

22~23日に米中戦略対話が行われる。昨年12月の前回会合と比べると、両国の関係は難しくなっているといわれる。それでも、米側の反中感情は、上手くコントロールされてきた方ではないだろうか。

そう、もっとひどい事にだってなっていたかもしれないのだ。

そう考えるのは、議会に極端な動きが見られないからである。民主党議会の誕生という状況に鑑みれば、いずれは何らかの対中法案が可決されるだろう。ただし、今議論されている法案の多くは、数年前からくすぶってきた古顔である。今から思えば、シューマー・グラム法案ですら、良く振りつけられたやり取りだったように思える。

議会がイラクで手一杯だというのは別にして、米中関係が過激な対立に至らないでいる理由の一つは、月並みだが、両国経済の関係が密接になったことだろう。利害関係が複雑になれば、保護主義の勢いは鈍る。

例によって中国政府は、交渉前のお土産攻勢に出ている(Cha, Ariana Eunjung, "China, U.S. Come to Trade Talks At Odds", Washington Post, May 19, 2007)。18日に発表された人民元の変動幅拡大(0.3→0.5%)や、43億ドルといわれるハイテク製品のディールといったusual suspectsはともかく、オャッと思わせられたのが、投資会社大手のブラックストーン社への資本参加である。

3月20日に中国政府は、中国が新設する外貨準備の運用会社が、ブラックストーン社に30億ドルの出資を行なうと発表した(Linebaugh, Kate, Henny Sender and Andrew Batson, "China Puts Cash to Work in Deal with Blackstone", Wall Street Journal, May 21, 2007)。出資は議決権のない株式の購入として行われる。株式保有比率が1割以下に抑えられるために、米当局の認可は不要だという。中東諸国のように、外国政府が米国の投資ファンドに参加するのは珍しくないが、今回のような投資会社本体への出資は前例がないという。

中国政府にとっては、巧みなディールということになるのだろう。第一に、米国債を偏重したポートフォリオを変更できる。第二に、外貨準備を米国に還流させるルートは残した。第三に、直接的に米国の会社を買う訳ではないので、CNOOCの時のような反発は受けにくいともいわれる。

また、投資会社と関係を結ぶことで、米国内への政治的な目配りも強くなるだろう。ブラックストーンにしても、今後の中国展開には大きなアドバンテージを得ると同時に、利害関係が深まるきっかけになる。

ちなみに、ブラックストーン社の創始者は、ピーターソン元商務長官。バーグステン所長を擁する国際経済研究所(IIE)の後ろ盾である。

ま、だから何だというわけではないが。

もちろん、利害関係が深まれば、摩擦の芽も増える。保護主義への防波堤は高くなるが、外側の波も高くなる。結局のところ、ポイントは議会だ。どうも中国政府はそこのところが理解し切れないらしく、米国の議員が地元工場の命運などという問題にこだわるのを不思議に思っているという。「たかが200人くらいの失業に過ぎないのに」「上院議員は自分が大統領のように思っているし、下院議員は少なくとも副大統領だとは思っている」なんていうコメントも引用されている(Cha, ibid)。

しかしそこに得心がいかなければ、保護主義のコントロールという、ポールソンの課題も見えにくい。

バーナンキやキッシンジャーが講演して済むくらいであれば大したことではないが、急な天候の変化には注意が必要だろう。

2007/05/20

イラク:二人のwiggle room

来週は、補正予算に関する議会とブッシュ政権の交渉が山場を迎える。民主党にとっては、撤退期限をもたない妥協案に、どこまで党がまとまれるかが課題である。

エマニュエル下院議員が指摘するように、政権と民主党の立場ははっきりしている。政権は、撤退期限は認めない。民主党は、政権に白紙委任状は与えない(Hulse, Carl and Jeff Zeleny, “Congress and Bush Striving for Compromise on War Funds”, New York Times, May 18, 2007)。

そうであれば、ありそうな落とし所は、ベンチ・マークでの妥協である。

こうした展開は、民主党の反戦派には、フラストレーションが溜まるだろう。曲がりなりにも民主党は、撤退期限を含んだ予算案を、上下両院で可決させている。場合によっては、民主党は割れてしまい、共和党議員の賛成を受けて、補正予算が成立するという展開になるかもしれない。

結局のところ、ワシントンの状況は劇的には動き難い。政権による秋口の「増派」の成果に関する報告、そして来年度予算の審議へと、イラクを巡る議論は続いていく。民主党指導部とすれば、党内の亀裂が修復不可能にならないように、慎重な手綱捌きを心掛けるしかない。

撤退に賛成票を入れた大統領候補者も、柔軟に対応できるような余地は残そうとしている。

オバマは、13日のThis Week(ABC)で、「ベンチ・マークはあるが、撤退期限のない予算に賛成するか」と聞かれ、「内容次第だ」と答えている。

通訳すれば、Yesである。

一方のヒラリーは、撤退に賛成票を投じたのは、「党の団結を示すため」だったと説明している。内容自体への立場は歯切れが悪く、「将来自分がどのような投票をするかを推測する必要はない」とまで述べている。

随分と正直な物言いだ。

反戦派との関係では、オバマやヒラリーが難しい決断を迫れるのは、票読みが緊迫した状況で、撤退に関する法案がもう一度審議された場合である。

二人にしてみれば、ベンチ・マークだけへの投票であれば、政権に圧力をかける一つのステップだという説明ができる。幸いなことに(?)、反戦派の矛先も、撤退に賛成しなかった有力議員(レビン上院議員、ホイヤー下院議員)に向っている(Hulse, et al, ibid)。

ヒラリーは、撤退に関する法案が、もう一度投票にかけられるかどうかはわからないとも述べている。

通訳すれば、「もう一度投票するのは、勘弁して欲しい」ということだ。

そう、少なくとも、秋が来るまでは。

2007/05/19

ヒラリー:求む!テーマソング

面白い企画ではある。でも、それくらいは自分で決めろと言いたい気もする。

ヒラリーは、キャンペーンのテーマ・ソングを決めるための投票をホームページで開始した。参加者は、候補に上がった9曲から選んでもいいし、それ以外の曲を提案しても良い。

候補は次の通りだ。

1.City of Blind Lights – U2
2.Suddenly I See – KT Tunstall
3.I’m a Believer – Smash Mouth
4.Get Ready – The Temptations
5.Ready to Run – Dixie Chicks
6.Rock This Country – Shania Twain
7.Beautiful Day – U2
8.Right Here, Right Now – Jesus Jones
9.I’ll Take You There – The Staple Singers

テーマ・ソングは、文字通りキャンペーンの象徴である。それ自体を支持者に委ねるというのは、開かれたキャンペーンの象徴ということなのかもしれない。「音痴なヒラリー」をフューチャーした映像と併せて、何よりも求められているヒューマンな部分をアピールしたいという狙いもあるだろう。

一方で、ヒラリーが嫌いな人は、こうしたトリッキーな動きを嫌うだろう。世論調査を気にする政治家の、計算高い動きという訳である。どれだけ票が取れるかという計算に目処が立てば、曲のメッセージは二の次だ。ついでにヒラリーのイメージがあがれば、一石二鳥じゃないか!

個人的には、「ちょっと残念」というのが正直な感想である。戦略としての是非はともかく、ヒラリーの思いを知る貴重な機会が失われたからだ。テーマ・ソングが政治的な計算なしに決められると思うほどナイーブではないが、「誰」の「どの曲」を選ぶかという決断には、候補者やキャンペーンのキャラクターがにじみ出るものである。

もちろん、候補の曲だけでも話のネタにはなる。だいたい、アメリカの選挙なのに、何でU2が二曲も候補に上がっているのだろう?Shania Twainはカナダだし、KT Tunstallはスコットランドかどこかの出身じゃなかっただろうか。やはりアメリカは懐が深いということだろうか。

個人的な提案としては、やはりFleetwood MacのDon't Stop(thinking about tomorrow)は絶品だと思う。クリントンとの距離感もあるし、党大会の彼の場面で使えば良いのかも知れないが。

盛り上がりとしては、スタジアム・ロック系だろうから、熱心な民主党支持者のボン・ジョビに作曲を依頼するのはどうだろう。スプリングスティーンは避けてもらいたいところだが、強いて言えば、Land of Hope and Dreamsだろうか。

…と盛り上がってしまうのは、きっとヒラリー陣営の思うツボなんだろうなあ…

2007/05/18

クライスラーのレガシー・コスト:How much is too much?

サーベラスによるクライスラーの買収では、同社が抱える退職者向け年金・医療保険費用(レガシー・コスト)の積立不足の処理が一つの焦点になる。

それでは、その規模はどの程度なのだろうか?

レガシー・コストといっても、特に問題となるのは、退職者向けの医療保険費用である。会計上の理由で、米国の企業は年金部分については、ある程度の積み立てを行っている。しかし、退職者向けの医療保険については、ほとんど積み立てをしていないケースが多い。クライスラーもその例外ではない。

レガシー・コストがどの程度なのかは、各社が米当局に提出している財務諸表をみれば分かる。ただし、クライスラーの場合に難しいのは、同社がダイムラーと合併しているために、クライスラー部分だけの数字が見え難いことだ。ちなみに、トヨタなどの場合も、財務諸表には全世界ベースの数字が記されており、例えば、トヨタの北米工場とビッグ3の医療保険負担を比較するのは簡単ではない。

とりあえず報道に頼ると、クライスラーの年金向け債務は290億ドル、退職者向け医療保険の債務は175億ドルである。しかし、現時点では年金向け債務は積み立て超過になっているというのが、クライスラーの説明だ(Rauwald, Christopher, Gina Chon and John D. Stoll, “Cerberus to Buy 80.1% Stake in Chrysler in $7.4 Billion Deal”, Wall Street Journal, May 14, 2007)。他方で、退職者向け医療保険については、積み立ててあるのは債務の19%程度に過ぎないといわれる(Francis, Theo, “Sticker Not Shocking for Chrysler’s Retiree Health-Care Costs”, Wall Street Journal, May 16, 2007)。

もちろん、サーベラスは買収と同時にこれらの費用を償却しなければいけないわけではない。これまでのように、その年に必要になる費用を、自転車操業で賄っていくという選択肢もあり得る。

ダイムラークライスラーが退職者向けの医療保険に支払っている費用は、足下では年間11億ドル程度。2011年までには年率5.7%で拡大していく見通しである。クライスラー部分の数字は定かではないが、関係者によれば、2003~06年は年率4.4%で伸びており、今年も4.5%程度の伸びが予想されているという。

人員削減を行った上での数字である点には注意が必要だが、米国の医療費の伸び率を考えれば、クライスラーが見込む負担増は、飛びぬけて大きいとはいえない。

むしろサーベラスにとっては、買収というタイミングが、負担軽減のきっかけになる点が重要である。買収はリストラの引き金になりやすく、労組にも危機感がある。企業破綻の上の買収とは状況が違うが、労使協約の改定には追い風になり得るからである。

全米自動車労組(UAW)は、同じくサーベラスが買収で合意していた自動車部品大手のデルファイについては、同社が提示した給与・付加給付の大幅削減を拒否している。果たして今回はどのような交渉が行われるのだろうか。

一つのモデルになる可能性があるといわれるのが、先日も触れたグッドイヤー社の事例である。同社は12億ドルの医療債務を、労組が管理する基金に引き継いだ。その際の条件は、10億ドルの現金と株を、同社が基金に提供することだった(Chon, Gina, Jason Singer, Dennis K. Berman and Jeffrey McCracken, “Buyout Firm Close to Winning Chrysler Bidding”, Wall Street Journal, May 14, 2007)。

ビッグ3は、3社合わせて950億ドルに達するレガシー・コストについても、同様な基金方式を使って、医療債務に関する負担を、6~7割に軽減しようと目論んでいるともいわれる(Murray, Alan, “Why Taxpayers should Take Note of Chrysler Deal”, Wall Street Journal, May 16, 2007)。

もっとも、Wall Street JournalのAlan Murrayは、いずれにしても、政府による救済が議論の俎上に上る可能性があると指摘する(Murray, ibid)。労組が債務を引き取ったとしても、その際の目減り分を、政府に埋め合わせてもらおうとするのではないかという視点である。

その点でMurrayは、高燃費自動車の開発と引き換えに医療費負担の一部を補助するというオバマ議員の提案には批判的だ。政府による肩代わりへの扉を開いた格好だからである。

確かに労組には、「民主党政権になれば…」という期待はあるかもしれない(といっても、新政権が稼動するのは随分先の話だが...)。他の候補者の出方が注目されるところである。

2007/05/17

イラク:ベンチ・マークって何だっけ?

通商における下院民主党指導部とブッシュ政権の合意といった動きはあるものの、ワシントンのメイン・ディッシュがイラクであることに変わりはない。大統領選挙についても同様である。

16日に上院は、来年3月までの米軍撤退と、戦費の打ち切りを内容とするリード議員らの提案を、賛成29票-反対67票で否決した(Levey, Noam N., “Votes build in Senate to rein in Bush on Iraq”, Los Angels Times, May 17, 2007)。賛成した議員は、無党派のサンダース議員以外はいずれも民主党議員。共和党からの離反はなかった。

戦費とは直接関係のない法案への修正条項として行われたこの提案への採決は、しばらく前に下院が行なった類似の採決と同様に、そもそも可決の見込みはなかった。思われていたよりも多くの賛成票が投じられた点でも、下院と同様の結果となった。

上院では、昨年夏にケリー議員などが、今年の7月までに米軍を撤退させるという法案を投票にかけたが、民主党議員は13人しか賛成しなかった。3月には、戦費の削減に反対するという拘束力のない決議案に、96人の上院議員が賛成票を投じている。

翻って16日には、イラク政府によるベンチ・マークの達成と、経済支援をリンクさせるという提案に、44人の共和党議員が賛成している。共和党のワーナー議員等によるこの提案に対しては、内容が弱すぎるとして民主党の大半が反対したため、賛成票は52票にとどまり、クローチャーに必要な60票には届かなかった。それでも、共和党上院議員の大半が、ブッシュ政権のイラク政策に条件をつけることに明示的に賛成したのは、これが始めてである。

少しずつだが、議会の状況は動いているわけである。

リード議員らの提案に戻ると、注目されるのは、ヒラリーとオバマが賛成に回ったことだろう(Zeleny, Jeff and Carl Hulse, “Obama and Clinton Back Ending Iraq Combat by March 31”, New York Times, May 16, 2007)。いずれの候補も、ブッシュ政権のイラク政策を批判しながら、戦費打ち切りの是非については、態度を明確にしてこなかった。「兵士を危険に晒す」という批判を嫌っていたからである。

しかし、反戦派の圧力や、ドッド議員などの他の候補者の動きに、二人も応じざるを得なかった。また、二人の関係だけをみれば、どちらかだけを先に行かせる訳にはいかないという力学も働いたと思われる。

候補者の思惑が議会の議論を混乱させると書いたことがあるが、候補者の立場からは、議会での議論が、自らのポジションを左右してしまうという側面もある。

今回の投票に関して言えば、鼻から成立の可能性がなかったので、気軽に投票できたという見方もあるかも知れない。しかし、投票の記録は残る。将来同じ様な投票が行われた時に、仮に態度を変えるのであれば、それなりの説明が必要になる。また、二人がどこまで、似たような投票行動を取り続けるかも、注目されるところである。

大統領候補といえば、共和党のマケイン議員は、またしても棄権した。際どくならなければ投票しないという態度は一貫している。それはそれで、見上げたものである。

さて、今回の投票は多分にシンボリックな意味合いが強いとして、補正予算の鍵を握るのはベンチ・マークの取り扱いである。落としどころはまだ見えていないが、この辺りで、そもそもベンチ・マークとは何なのかを整理しておきたい。

以下は、下院で採択された補正予算(戦費を2回に分割する内容)に含まれた、ベンチ・マークの概要である。出展は下院歳出委員会のプレス・リリースである。

ブッシュ政権は、7月13日までに、議会にイラク政府がベンチ・マークとゴールを達成したかどうかを報告しなければならない。

イラク政府による進展度合いを報告しなければならないのは、次の11項目である。

1.米軍とイラクの保安兵力にすべての過激派を追及する権限を与える

2.必要なだけのイラクの保安兵力をバクダッドに提供し、これを政治的な介入から守る

3.すべてのイラク人を平等に扱うような、バランスのとれた保安兵力を全土に展開させるための努力を強化する

4.イラク保安兵力のメンバーに対して、イラクの政治的権力がこれを貶めたり、誤った非難を行わないように保証する

5.地方の保安兵力に対する民兵の支配を排除する

6.強力な民兵の武装解除プログラムを作成する

7.公平・公正な法の実施を確保する

8.バグダッドの保安計画をサポートする、政治・メディア・経済・サービス委員会を設置する

9.(テロリストおよびその支援者への)「聖域(safe heaven)」を壊滅させる

10.イラクにおける部族間暴力のレベルを低下させる

11.イラク議会における少数派政党の権利が守られることを保証する

同時に、イラク政府が、特定のゴールを達成できたかどうかを報告しなければらない項目には、以下の5つが含まれる。

1.石油からの収入を公平に配分するための石油ガス法(hydro-carbon law)の制定

2.地方選挙を行なうための法律を制定し、その実施に向けたステップを踏み、スケジュールを制定する

3.脱バース化に関する現行法を改正し、個人の公平な取り扱いを可能にする

4.第137条(クルド人地域の自治に関する条項)に則った、イラク憲法の改正

5.復興プロジェクトのための100億ドルの収入を、公平に分配し始める

イラクの専門家ではないので項目の軽重は分からないが、随分たくさんの要求をつきつけたものである。

さて、議会の目標は、今月末までに補正予算を大統領に届けること。月末には、メモリアル・デーの休会がある。このページの読者の皆さんならばご察しの通り、締切にはちゃんと意味があるのである。

2007/05/16

ヒラリーはそんなに嫌いですか?

いくら世論がバックにあっても、イラクだけでは民主党は選挙に勝てないかもしれない。少し前に取り上げた議会民主党の事情もさることながら、大統領選挙についても、民主党には楽観できない要因がある。特に問題含みなのがヒラリーである。

その予兆は、世論調査をみれば一目瞭然である。現時点の世論調査では、ヒラリーやオバマは、必ずしもジュリアーニやマケインを大きく引き離してはいないのである。

5月15日時点のReal Clear Politicsが集計した世論調査をみると、ヒラリーの場合、足下で支持率は伸びているものの、平均ではジュリアーニにはやや負けている。マケインに対するリードも2%である。オバマについては、対ジュリアーニで3.4%、マケインで4.9%とやや広がるが、圧倒的というほどではない。

驚くのは、エドワーズがやけに強いことと(ジュリアーニを4%、マケインを8.8%リード)、ロムニーがやけに弱いこと(ヒラリーに14%、オバマに23%、エドワーズに27.3%リードされている)ことだが、それはそれとして。

現職の共和党大統領は著しく不人気である。なにせ、最近の支持率の平均は34.2%である。なかでもイラク政策への支持は低い。そのイラク政策に関しては、民主党候補はブッシュ批判、共和党候補はブッシュ支持でまとまっている。その分の「底上げ」はある筈だ。

まして具体的な候補者名を上げない世論調査では、大統領には民主党の候補になってもらいたいという意見が多い。4月26~30日のDIAGEO/Hotlineによる世論調査によれば、実名をあげない質問では、民主党の候補に投票するという回答が47%、共和党の候補者という回答が28%。両者の差は19%もある。

なぜ実名を上げると差が縮まるのか。有権者はブッシュにもイラク戦争にもうんざりしており、イメージとしては民主党になびいている。しかし、いざ実際の候補者を前にすると、二の足を踏んでしまうということなのだろうか。

イラク戦争が、「共和党の戦争」ではなく、「ブッシュの戦争」として整理されてしまった時。言い換えれば、「上げ底」がなくなった局面を、民主党の候補者はシュミレーションしておいた方が良いのかもしれない。

ここで気になるのが、ヒラリーの好感度の低さである。先のDIAGEO/Hotlineの世論調査では、ヒラリーを「極めて好ましくない」とする回答が29%を占めた。さすがにブッシュ(49%!)には及ばないが、ジュリアーニ(16%)やマケイン(14%)より遥かに高い。また、とくに目立つのは、共和党支持者の反感の強さである。共和党の支持者では、ヒラリーを「極めて好ましくない」とする割合が59%を記録している。これはペロシ(49%)よりも高い数字であり、民主党支持者のジュリアーニ(22%)、マケイン(22%)に対する拒否感とは比べ物にならない。無党派層でも、ヒラリーの数字(27%)は、ジュリアーニ(16%)、マケイン(15%)を上回っている。

ヒラリーにとって悩ましいのは、政策面での強さが、選挙の面での評価につながっていないことである。DIAGEO/Hotlineの調査では、政策分野ごとにどの候補者がもっとも頼りになるかを聞いている。ヒラリーは、経済(30%)、環境(28%)、医療(40%)で、民主党・共和党のいずれの候補をも上回る支持を集めている。イラク(19%)とテロ対策(21%)でも、前者はマケイン(20%)、後者はジュリアーニ(25%)に続く第二位だ。唯一民主党候補の後塵を拝したのは腐敗問題(16%)だが、ジュリアーニ(18%)、オバマ(17%)との差はさほどでもない。ヒラリーが政策に強いことは、有権者もわかっている。それでも好感度の低さは残っており、共和党候補者との相性も芳しくないのである。

さらに言えば、強みが弱みに変わる可能性すらある。

政策面でのヒラリーの強さは、彼女の経験に裏打ちされている。しかし、歴史は「経験者」に厳しい。Time誌のJoe Kleinが指摘する通り、JFK以降のテレビ時代の大統領選挙で、勝利政党が変わった5回の選挙のうち、実に4回は経験の浅い候補の方が勝っている(Klein, Joe, "Hillary's Quandary on the Campaign", The Time, May. 10, 2007)。残りの1回(68年のニクソン―ハンフリー)も、両者の経験は拮抗していたという。変化を求める有権者の声は、新顔への追い風になりやすいのかもしれない。

ヒラリーが勝てば、クリントン・ブッシュの大統領が四半世紀近く続くことになる。有権者に「それでも」と思わせる魅力を、ヒラリーは発揮しなければならないのである。

2007/05/15

クライスラー買収:スノーのセカンド・チャンス?

今日はPCに向う余裕がなさそうなので、携帯から簡単に。

サーベラスのクライスラー買収が発表された。一時囁かれていたように中国に買われた訳ではないので、一義的には通商政策への波及はないだろう。むしろ政策的な観点で気になるのは、同社の退職者向けの医療保険・年金の積立不足(レガシー・コスト)の処理である。

理由は3点ある。

第一は、自動車業界の力関係に与える影響。クライスラーがレガシー・コストの軽減に成功した場合、GM・フォードも必死に続こうとするだろう。そうなれば、日本企業との力関係にも影響があるだろうか。

第二は労組の対応。レガシー・コストの処理には、労組の譲歩が必要である。前々からビッグ3の復活には必須といわれていたことではあるが、労使協約の改訂が近付くなかで、どのような解決策が見出だされるのだろうか。昨日の通商政策に関するブッシュ政権と議会民主党の合意に続き、労組にとっては厳しい局面である。

ちなみに、自動車労組(UAW)の指導部は、買収を支持する方針を明らかにしている。会社側からは、労組側に交渉の様子が逐一報告されていたようで、最終的な意見を聞かれずじまいだった通商合意とは大分様子は違う。

いうまでもないが、クライスラーでの合意は、GM・フォードにとってのモデルになる。一説によれば、グッドイヤー社のように、会社側の資金援助を条件に、労組がレガシー・コストを引き取る可能性も模索されているようだ。

第三は、医療保険制度改革への影響である。ビッグ3は、レガシー・コスト負担軽減の思惑から、制度改革を支持している。仮に自助努力だけでコストを軽減してしまった場合、ビッグ3の立場はどう変わるだろうか。または、クライスラー自体が、国家的な解決策を求めるのだろうか。はたまた、クライスラーの社員が厳しい仕打ちを受けることで、国としての改革機運が高まるという展開もあるだろうか。

改めて思い知らされたのは、市場は政策の不作為をいつまでも放置はしないという現実である。オバマが提案した、燃費向上努力と引き換えにした公的支援など、牧歌的にすら感じられてしまう。

同じようにレガシー・コストを抱えていた鉄鋼業界は、企業破綻による債務処理という経路を辿った。ビッグ3の場合も、労組の譲歩による解決という方向に向っているのかもしれない。

ところで、サーベラスの会長はスノー前財務長官である。長官自体には手をつけなかったレガシー・コストの問題に、民間に立場を変えて取組むというのも、何とも米国的だ。長官時代の評判は今一つだったスノーにとっては、大きなセカンド・チャンスといえそうだ。

2007/05/14

通商合意:セーフティー・ネットは政治的にも必要だ

セーフティー・ネットと言えば、経済政策の文脈で語られるのが普通である。しかし、時には政治的な意味でのセーフティー・ネットが必要になる場合がある。

5月10日に下院民主党指導部とブッシュ政権は、通商政策での画期的な合意を発表した。具体的に合意されたのは、議会がFTAの承認を議論するための前提条件である。

主要な項目を上げれば、まず対象となるFTAは、条約の本文に、国際的に認められた労働・環境基準の遵守義務を書き込まなければならなくなった。また、通商による失業者の救済を強化するために、「戦略的労働支援・訓練イニシアティブ(SWAT)」が開始される運びになった。ここでは、職業訓練の充実や、転職の際にも企業年金や医療保険の継続を容易にすることなどが議題になるという。

今回の合意で米国の通商政策は、取り敢えずは膠着状態から抜け出せそうだ。昨年の中間選挙では、自由貿易に懐疑的な民主党の新人議員が多数当選した。勝利の立役者を自認する労働組合やネット・ルーツも、ブッシュ政権の自由貿易路線に変更を迫るよう、議会民主党に圧力をかけていた。

今回の合意によって、政権が進めてきたペルー、パナマとのFTAは、議会承認に大きく近付いた。コロンビア、韓国とのFTAについては議会内に反発が残っているが、それでも今回の合意は明るいニュースである。

もっとも重要なのは、目先のFTAもさることながら、今後の米国の通商政策の方向性への影響である。

ポイントは二つある。

第一に、今回の合意は、「自由貿易への政治的なセーフティー・ネット」である。

米国経済は自由貿易、もっと言えばグローバリゼーションの大きな恩恵を享受している。保護主義的な圧力や全般的な党派対立の厳しさにもかかわらず、民主党と政権が今回の合意にこぎ着けたという事実は、米国はグローバリゼーションに背を向ける訳にはいかないという現実を改めて明らかにした。

しかしながら、今の米国には、保護主義が高まる素地がある。有権者の経済的な不安だ。景気が拡大してきたにもかかわらず、実質平均賃金は遅れを取った。成長の果実は均等に分配されている訳ではなく、格差は縮まらない。教育や医療費の高騰も、中間層の暮らしには心配の種だ。さらにオフショアリングが、これまで成功への確かな道だと思われていた、高技術の仕事にまで広がってくる可能性がささやかれている。

経済的にいえば、こうした不安をもたらした現象の原因は、必ずしもグローバリゼーションというわけではない。しかし、グローバリゼーションは悪役としては分かりやすい。

米国が民主主義の国である以上、いくら自由貿易が経済にプラスだといっても、政治的な支持を失えば、ポピュリズム的な方向に傾斜せざるを得なくなるリスクがある。だからこそ、自由貿易の負の側面に気を配り、その利益を広範囲に行き渡らせるための方策が必要になる。その意味で、今回の合意は、「自由貿易への政治的なセーフティー・ネット」なのである。

第二に、こうした観点に立つと、今回の合意でもっとも大切なのは、「負の側面」への国内対策強化を謳ったSWATの部分である。

民主党と政権の交渉で、もっとも難航したのは、労働基準の部分である。しかしこれは長く続いてきた論争ではあるものの、その実、合意によってどのような経済効果があるのかは不透明である。むしろ労組などは、この問題を自由貿易に歯止めをかける口実に使ってきた側面があるかもしれない。

一方で、「政治的なセーフティー・ネット」として重要なのは、SWATとしてまとめられた国内政策の部分である。経済全体でみればグローバリゼーションはプラスだが、失業などの被害が発生するのも事実である。その部分の不安が低下すれば、国民がグローバリゼーションに積極的に向っていく土台になる。まして、教育や職業訓練などの点での国内対策は、グローバル経済における米国民の立場を強くし、その利益を広範囲に行き渡らせる要素になる。

今回の合意では、SWATがどのような内容になるのかは、必ずしも明確ではない。しかし、これが単なる一時凌ぎの言葉だけに終わってしまえば、米国の通商政策は、膠着状態に逆戻りする脆弱性を抱え続けることになる。

今回の合意は、終着点ではない。「自由貿易への政治的なセーフティー・ネット」作りは、ようやくその第一歩が踏み出されたところなのである。

2007/05/12

オバマ:デトロイトへのメッセージ

「オバマには政策がない」。そんな批判に答えるように、オバマ陣営は徐々に具体的な政策案を示し始めているようだ。

5月7日にオバマは、デトロイトでエネルギー問題に関する演説を行った(Hunter, Jennifer, “Even in Detroit, Obama isn't muffled”, Chicago Sun-Times, May 8, 2007)。主眼となったのは、自動車会社に対する燃費向上努力の要請である。

いい振りはなかなか厳しい。「海外の競争相手が燃費の良い車への世界的なニーズに応えている間に、ここデトロイトでは米産業界の3巨人が雇用と収益を失い続けている」「世界には二種類の自動車会社がある。燃費の良い車を大量に作っている会社と、将来的にこれを作る会社である。米国の会社は、『将来的に作る会社』に甘んじていることはできない」。

ビッグ3のお膝元に乗り込んで、燃費引き上げ努力を迫るのだから、たいしたものである。

具体的な政策には、オバマの「結びつける型」が垣間見えるのが面白い。オバマは連邦政府による燃費基準の引き上げを主張する。その一方で、退職者への医療保険負担が重いとの自動車会社の要請に答え、10年間にわたって連邦政府がその1割を補助するとした。ただし、その分の浮いた費用は、燃費改善に使うのが条件だ。

医療保険負担と燃費向上。一見すると関係ない案件を結び付けているわけである。

演説の方もレトリックは全開である。演説は第二次世界大戦の話から始まり、9-11で終わる。

でもブッシュとは違う(当たり前か)。

真珠湾攻撃後の米国は一気に戦時経済に転換しなければならなかった。国家の要請に応え、兵器の増産という難題を成し遂げたのが、ほかでもないデトロイトの自動車産業である。

今の米国も、エネルギー問題という新しい挑戦に直面している。石油への依存を減らすことは、安全保障、環境、そして経済の面で極めて重要な課題である。そして、この課題に答えられるのも、デトロイトだ。

9-11の後、米国人は大きな使命への呼びかけを待っていた。先人たちのように、われわれの多くが、国のために働き、国を守りたいと考えていた。戦場だけではなく、この本土でもだ。(エネルギー問題の解決こそが)われわれの世代が、大きな使命に応えるチャンスである。

それはそれとして(…)、具体的な政策はどう評価できるだろうか。

新味があるのは確かである(もっとも、既にオバマは、上院に燃費・医療費のスワップに関する法案を提案しているが、あまり広くは知られていなかった)。「フレッシュな候補者」であるオバマが、「フレッシュなアイディア」をもっているという絵柄は美しい。

一方で、攻めようと思えば攻められる箇所もある。3点指摘したい。

第一に、金額が見合わない。燃費向上のためにビッグ3が必要とされる経費は1140億ドルといわれる。これに対して、医療費補助で提供されるのは70億ドル。このほかに、自動車会社が燃費向上努力のための設備更新には優遇税制も提供されるが、これも総額では30億ドルだ(Hornbeck, Mark and Charlie Cain, “Obama: Go green now”, Detroit News, May 8, 2007)。

第二に、エネルギー問題は、自動車会社だけで解決できる問題ではない。自動車会社に言わせれば、SUVを作ったのは米国の消費者の声に応えただけだ。実際に日本メーカーもSUVやピックアップに展開し始めている。オバマはハイブリッド車・高燃費車の購入を支援する優遇税制も提案しているが、こうした提案の広がりは欠かせない。さらに進めば、ガソリン税・環境税といった議論も出てくるだろう。

第三に、医療費についても、自動車会社だけをケアすればよい問題ではない。程度の差はあるが、他の米企業も医療費負担の高さに苦しんでいる。同じような対応を鉄鋼会社が求めたらどうするのか。モラル・ハザードの典型である。

この最後のポイントには、オバマのちょっとしたジレンマが隠れているような気がする。自動車会社の医療費負担が高いのは、労働協約で高い水準の給付が約束されているのが一因である。自動車会社が自助努力で医療費の問題を処理するのであれば、労組の譲歩が不可欠になる。オバマの演説には、この部分への言及がみられない。巧みなロジックといえばそれまでだが、政策の視点からは踏み込み不足だ。

今回の演説は医療費が主眼ではないので、その部分でオバマの提案を評価するのはフェアではない。ただし、医療費の問題は、公的保険・民間保険にまたがったシステム的な解決策が必要な難題である。また、90年代のヒラリー・ケアの挫折以降も、政策コミュニティーでは様々な議論が続けられてきたエリアでもある。

難しい課題であればあるほど、得てして解決策は退屈なものだ。Out of the boxの新味のある政策が魅力的なのは事実だが、これまでの議論を活かした、「質実剛健」な提案も期待したいものである。

2007/05/11

イラクと通商、そしてペロシの手腕

10日の米国議会はなかなか忙しい1日だった。経済政策とイラク問題で大きな動きがあったからだ。いずれもこれで今後の動きが決まったというほどではないが、少なくとも今日のところは、ペロシ下院議長の才覚が際立った。

経済政策の面では、ついに通商政策に関して下院民主党指導部とブッシュ政権の合意が発表された(Goodman, Peter S., and Lori Montgomery, "Path Is Cleared For Trade Deals", Washington Post, May 11, 2007)。具体的には、ペルーやパナマ等とのFTAの議会承認に関する「条件」である。民主党と政権・共和党の対立がこれだけ厳しい中で、そして、民主党の「保護主義化」がいわれるなかで、どうしてこの合意ができたのか。グローバリゼーションの観点からも外せないテーマだし、本業でも取り扱っているのだが、今日はイラクにも触れたいので、とりあえずこの視点からの分析は週末に廻したい。

そのイラク問題では、下院が第二段の補正予算(H.R.2206)を可決した(Jonathan Weisman, "House Approves Revised War Bill", Washington Post, May 11, 2007)。内容は既報の通りで、戦費を2段階に分けて認めるというもの。投票結果は賛成221-反対205で、ここ最近の数字とまたしてもあまり変わらない。共和党の離反が2人というのも同様である。

ところでイラクに関しては、実は補正予算の前にも別の投票が行われていた。こちらは90日以内に米軍の撤退を開始し、180日以内に完了させるというストレートな内容(H.R.2237)。結果は171-255で否決されている。ただし、投票が行われたのは、反戦派議員に意思表示の場を設ける必要があるとのペロシ議長の判断があったからで、当初から可決の可能性はなかった。それにしては、171票の賛成というのは多いというのが評価のようである。

2つの動きを見ると、今日のところはペロシ議長が上手く立ち回ったという感が強い。

イラク問題では、とりあえず反戦派に意思表示を許し、多少のガス抜きをした上で、2段階補正予算の採決を成功させた。意思表示の部分がなかったら、とりあえずは戦費を認めてしまう2段階補正予算からは、反戦派が多数離脱しかねなかった。実際に、今回の投票に関する民主党の離反者を見ると、その数(10人)自体はここ最近と変わらないものの、内訳(反戦8-穏健2)では反戦派の割合が高くなっている。

他方で党内の論争が大きいと見られた通商での合意は、イラクの審議が佳境を迎えているタイミングで敢えて行われた。労組のつながりもあり、党内の反戦派と反グローバリゼーション派には重なりがある。ネットルーツも然りである。これらの反グローバリゼーション派にすれば、イラク問題での指導部との共闘にかかりきりになっている間に、思わぬブラインド・サイドを突かれてしまったという思いもあるかもしれない。通商問題の合意では、指導部の労組への根回しがどの程度だったのかがいまひとつ不透明だし、ネットルーツはかなり衝撃を受けているようにもみえる。

こうしたディールにはリスクがある。民主党指導部は、最大の難関であったイラク問題で党の団結を固めてきたところだった。そこに通商という火種が持ち込まれた格好である。

もっとも見方を変えれば、反グローバリゼーション派としても、イラク問題の比重が強いのであれば、通商での合意に納得がいかない部分があっても、ここで党を割るわけには行かないという判断は働き得る。さらに、一歩引いて考えると、今回のペロシの動きの背景には、グローバリゼーションという大きな流れがある通商でポピュリスト側に動くことと、世論という後ろ盾があるイラクで強い立場に出ることを天秤にかけての状況判断があったのかもしれない。

イラクの議論はこれで終わりではない。通商問題についても、民主党議員への正式な説明はまだこれからだし、その先にも、実際のFTAの審議やTPA(貿易通商権限)、さらには、合意の真の要であるグローバリゼーションの「負の側面」への対策など、本当の山場はこれからだ。

とりあえずはペロシ議長のお手並み拝見である。

2007/05/10

Wickedを見る前に

アメリカの自然の「強さ」にはしばしば驚かされる。それにしても、カンサスを襲ったトルネードの猛威にはしばし言葉を失った。Washington Postが伝える写真をご覧いただければおわかりいただけるだろう。

ブッシュ大統領は9日には現地を視察し、素早い対応を約束した。そうしなければいけない理由は、容易に想像がつく。第一に、カトリーナの悪夢を呼び起こすわけにはいかない。大統領の支持率が本格的に不味くなったのは、ハリケーン・カトリーナの救済で失敗したのがきっかけである。第二に、「イラクに州兵を送っているから救済が遅れた」という批判を封じ込める必要がある。実際にカンザス州のシベリウス知事は、そういった趣旨の発言を行っていた(Abramowitz, Michael, "President Offers 'Prayers and Concerns' to Kansas Town", Washington Post, May 10, 2007)。

もっとも、落ち着いて考えてみれば、こうしたネガティブな要因に理由が見つかってしまうこと自体に、ブッシュの立場の弱さが反映されている。バージニア工科大学の銃撃事件の時にも触れたが、米国では、国民的な悲劇が起きた時にこそ、国をまとめるシンボルとしての大統領の存在が際立つのが常だったからだ。1986年のチャレンジャー号爆発事件におけるレーガン、1992年のハリケーン・アンドリューの時のブッシュ父、1995年のオクラホマシティー連邦ビル爆破事件のクリントン、そして、2001年の米国中枢同時多発テロにおけるブッシュは、いずれも国をまとめるシンボルとしての役割を演じた。

ところが今のブッシュの場合、銃撃事件にしても今回のトルネードにしても、支持率の上昇につながる気配はほとんど感じられない。銃撃事件では、ホワイト・ハウスが補正予算での民主党との対峙をプレイ・アップしたかったので、わざと扱いを小さくしたという解説もあるが(Simendinger, Alexix, "No Consolation Prize", National Journal, April 21, 2007)、いずれにしても、低位で安定した支持率は、そう簡単には動かないだろう。むしろ、Washington Postの15枚目の写真なんかをみると、「チェーンソーが好きなのはわかるけど...」と逆に心配にすらなってしまう。

2000年の選挙でブッシュ大統領は、「クリントンが損ねた大統領の威厳を取り戻す」と主張していたが、違う意味で「大統領」というシンボルの輝きが変わってしまったような気がする。

もちろん大きな要因は、同じ日に副大統領が飛んだ先にある(Partlow, Joshua, "Cheney Pushes Iraqis for Quick Action", Washington Post, May 10, 2007)。チェイニーの目的も想像するのは難しくない。補正予算を巡るやり取りの中で、議会の批判は「イラク政府の努力不足」に向かっている。妥結の鍵となっているベンチ・マークも、イラク政府の達成度合いが目安である。政権としても、イラク政府に厳しい態度を取っていると示す必要があるわけだ。

これに先立つ8日には、穏健派を中心とした11人の共和党下院議員がホワイトハウスを訪れ、ブッシュ政権に対して、増派の成果を待ち続けることの政治的な厳しさを伝えた。政権は否定するが、"marching up to Nixon(ウォーターゲート事件で共和党議員がニクソンに最後通牒を突きつけた事件)"を髣髴とさせる出来事である(Murray, Shailagh and Jonathan Weisman, "Bush Told War Is Harming The GOP", Washington Post, May 10, 2007)。 大統領・副大統領の旅行は、いずれもリスク・ヘッジ/ダメージ・コントロールが主眼というのは言いすぎだろうか。

ところで、不謹慎を承知で言えば、「カンザスでトルネード」ときくと「やはり」と思ってしまうのは、他でもない「オズの魔法使い」のせいである。ちょうど日本でも、これを翻案したミュージカルWickedが、劇団四季によって公演されるようだ。

このミュージカルは「オズの魔法使い」が分かっていないと、面白みは半減してしまう。ネタバレするわけにいかないが(といってもここを読めばわかるんですが)、Wickedの肝は、「オズ...」では圧倒的な悪役として描かれていた西の国の魔女を主人公にして、「実はその背景には...」という物語を語る点にある。米国では「オズ...」は一般常識だから問題ないが、果たして日本ではどうなのだろう(そういえば、映画でのオマージュでは、デビッド・リンチのWild at Heartもありましたね)。

イラク戦争についていえば、「悪役にみえたけど実は...」という比喩を使えるキャラクターは考えにくい。むしろ、「全能にみえていたけど実は...」という「魔法使い」の方に、どこかの政権が重なって見えてしまう。

ちなみに、Wickedではこの魔法使いには毒と悲しみが加わっている。そこも含めてどこかの政権に重なると感じるかどうかは、ご覧になってのお楽しみである。

ともあれ、まずは「オズの魔法使い」を復習してからどうぞ。

2007/05/09

Iraq : The Only Game in Town

何でイラクの話ばかりなんだ?というご意見もおありかと思う。なぜロムニーのタグが1で、イラクは18もあるのか?

敢えてその理由をあげるならば、今の米国には、それ以外の論点が付け入る余地がほとんどないからである。好むと好まざるにかかわらず、イラクはThe Only Game in Townなのだ。

とはいえ、いずれの政党にしても、イラクの問題に没頭していさえいれば、08年の選挙に勝てるというほど話は単純ではない。折しも民主党は、補正予算を巡って、ブッシュ政権を追い詰めようとしている。それは「勝利への一手」になるのだろうか。

下院民主党は、新たな補正予算への投票を、10日にも行なう方向になった。内容を整理すると、次のようになる(Higa, Liriel and John M. Donnelly, "House to Vote on Short-Term War Bill", CQ Today, May 9, 2007)。

①956億ドルの戦費のうち、428億ドルの歳出を認める。だいたい2~3ヶ月分である。
②残りの528億ドルについては7月23~24日に改めてその是非を採決する。
③2回目の採決に先立って、528億ドルは180日以内に米軍を撤退させるためだけに使うという修正条項を審議する。
④7月13日までにブッシュ政権は、議会に対して、イラク政府が一定のベンチ・マークを満たしたかどうかを報告する。

一言でいえば、大統領に拒否権は発動されたが、あくまでも白紙委任状は渡さないという意思表示である。

下院案には、政権のみならず、上院民主党も乗り気ではないといわれる(DeYoung, Karen and Jonathan Weisman, "House Bill Ties War Funding to Iraq Benchmarks", Washington Post, May 9, 2007)。従って、このままの内容で補正予算が決着するとは限らない。

ただし、ハッキリしたのは、暫くはイラクがOnly Game in Townであり続けることだ。

イラクにかかりきりになるのは、民主党にとって必ずしも好ましい展開ではない。確かにイラク問題では、世論は民主党の側にある。しかし、議会の仕事はイラクだけではない。民主党が08年に多数党を守るには、多数党としての目に見える成果が必要である。下院勝利の立役者であるエマニュエル下院議員は、「有権者は変化のために投票した。しかし、イラク、経済、ワシントンの腐敗対策は、どれも同じ位重要だ」と指摘する(Weisman, Jonathan and Lyndsey Layton, "Democrats' Momentum Is Stalling", Washington Post, May 5, 2007)。ところが、イラクに忙殺されればされるほど、政権との対立が深まれば深まるほど、それ以外の分野で成果をあげるのは難しくなる。

意外に見逃せないのは、民主党がイラク問題で党をまとめるための票勘定である。例えば下院民主党は、中米諸国とのFTAといった通商問題の分野で、政権との合意を狙っている。そのためには、労組にある程度譲ってもらわなければならない。しかし、民主党指導部がここで労組に「貸し」を作れば、イラクでは労組に強く出られなくなる。労組といえば、AFL-CIOSEIUも反戦の立場。どちらで譲ってどちらで譲ってもらうのか。民主党指導部の計算は単純ではない。

民主党にとって、08年の選挙は決して簡単な戦いではない。何といっても、06年には追い風が吹いていた。今の民主党下院議員には、04年にブッシュが勝った選挙区の議員が61人もいる。対する共和党は、ケリーが勝った選挙区には8人しかいない。

まして、いくら民主党が「ブッシュの戦争」を批判しても、08年の選挙では共和党にはブッシュに代わる新しい顔がある。今のブッシュの支持率を考えれば、共和党サイドに、「新しい顔(大統領候補)」は、必ずブッシュよりも人気がある」との期待があるのも無理はない。共和党のプライス下院議員などは、「私たちは必ずしも何をやったかで定義されるわけではなく、何よりも、私たちの大統領候補が私たちの評価を決めるだろう」と述べている(Eilperin, Juliet and Michael Grunwald, "A New Pitchman -- and a New Pitch", Washington Post, May 9, 2007)。

もちろん08年も、イラクがOnly Gameであり続けるかもしれない。既に米軍は、3万5千人の兵士を8月に交代要員としてイラクに送る方針を決めている(Tyson, Ann Scott,"Commanders in Iraq See 'Surge' Into '08", Washington Post, May 9, 2007)。増派の水準を来年まで維持する用意は着々と進んでいる。また、民主党にしても、次の選挙も「ブッシュ政権への信任投票」にしようと狙っているのが現実である。エマニュエル下院議員は、「すべての大統領選挙の年は、現職への信任投票だ」と強気である(Eilperin et al, ibid)。

しかし、いずれイラクがOnly Gameでなくなったらどうだろう。もっと言えば、Only Game in Town(=ワシントン)ではあっても、Only Game in Americaではなくなる可能性はないだろうか?クリントン政権で首席補佐官をつとめたレオン・パネッタは、「何らかの理由で国内政策を進められなければ、民主党はその代償を支払うことになるだろう」と警告する(Weisman, ibid)。

議会だけではない。イラクが切り札になるとは限らないのは、民主党の大統領候補も同じである。その不吉な予兆は、既に世論調査に現れている。

本当はこちらが今日の本題だったのだが、少々長くなったので、日を改めることにしたい。

2007/05/08

for the record : 沈む船からは...

まずfull disclosure。普段このページは通勤時間を使って携帯に下原稿を打ち込み、それを元に帰宅後にお化粧を加えて更新しています。ところが、今日は携帯を忘れて出かけてしまったので、ゼロからの出発。と、いうわけで短めに備忘録を。

ブッシュ政権はレイム・ダック化したかしないか、なんていう問いもむなしい今日この頃だが、目に見える証として、既に政権から逃げ出す人が目立ち始めたようだ。APによれば、ここ6ヶ月の間に、大統領府・国防総省・国務省だけで、少なくとも20人の上級スタッフが辞めているというから、ちょっと驚きである("Early departures clip Bush security team", USA Today, May 7, 2007)。

大統領府からは4人が退出している。Deputy National Security AdvisorのJ.D. CrouchとMeghan O'Sullivan, Senior Director for RussiaのTom Graham、そして、北朝鮮問題で日本にもなじみの深い、Director for Asian AffairsのVictor Chaである。ロシアとの関係では、緊張の高まりも指摘され、まさにライス国務長官の訪露が近い時期。北朝鮮問題も大きな方向転換を行い、微妙なタイミングだ。

国防総省はまずラムズフェルドが辞めている。その補佐をしていたStephen Camboneも続き、assistant secretary for international security affairsのPeter Rodmanも辞めた。また、陸軍長官のFrancis Harveyは、ウォルター・リード陸軍病院の不手際の責任をとらされた。さらに、Senior policy cordinator for AsiaのRichard Lawlessも夏には離脱する見込みだという。

国務省もたいしたもの(?)である。国連大使のJohn Bolton、ambassador at large for human traffickingのJohn Miller、ライスのcounselorのPhilip Zelikow、assistant secretary for political and military affairsのJohn Hillen、counterterrorism cordinatorのHenry Crumpton、protocol chiefのDonald Ensenat、undersecretary for arms control and international securityのRobert Joseph、policy planning directorのStephen Krasner、undersecretary for economic, business and agricultural affairsのJosette Sheeran、assistant secretary for democracy, human rights and laborのBarry Lowenkron。

息切れがする。

ちなみに、APの記事に含まれた以外でも、財務省では、国際担当次官(Tim Adamsの後任)に指名されたJPMorgan ChaseのTimothy Ryanが、「個人的な理由(就任に必要な資産の処分を嫌ったという説)」で辞退してしまうという事件があったのも記憶に新しい。

政権末期になれば、人材が流出するのは普通の事態である。また、必ずしも政権に嫌気が差して辞めている人ばかりではなく、辞めさせられた人がいるのも事実だ。しかし、それにしても、1年半以上も任期を残しての「大量離脱」は普通とは言い難い。

政権にとって悩ましいのは、この時期から後任を探すのが容易ではないことだ。「乗りかかった船だから最後まで...」という力学は働くにしても、「沈むのが見えている船に今更乗り込むか?」といわれると、二の足を踏む人間は少なくないだろう。

マン・パワーが足りなくなれば、政治力や世論の支持をどうこういう余地もなく、政権は実質的に動かなくなる。ウッドワードの「ブッシュのホワイトハウス」を読んでもわかる通り、政府の運営は「適切な人材に適切に仕事を割り振る」ことにつきる。これだけ外交チームの人材が流出すると、「政権末期に外交でレガシーづくり」というわけにも行かない。

個人的には、職業柄として、米国の政治・政策が行き詰まるのはあまり楽しいことではない。とはいえ、「ブッシュ後」に備えて雌伏の時を過ごすのも悪くないだろう。

それより何より、米国の機能不全が1年超にわたって続きかねないこと自体に、何ともいえない落ち着かなさを感じてしまうのは自分だけだろうか。あいにく大統領に「権力の空白」が生じても、大統領選挙まではこれを埋める手だてはない。曲がりなりにも「大きな国」だ。あまりゆらゆらされると、周囲が目眩を起こしてしまいそうである。

...しかし、ここまで辞める人が多いと、残された人は寂しいだろうなあ...

2007/05/07

民主党を悩ます「もう一つの戦い」

といっても、イランの話ではない。「大統領予備選」というもう一つの戦いを巡る民主党候補者達の計算が、議会民主党とブッシュ政権のイラク戦費を巡る攻防をややこしくし始めた。

口火を切ったのは、ヒラリーである。ヒラリーは、イラク戦争の開戦に当たって議会が政権に与えた戦争権限を、その付与から5周年となる今年の10月11日を持って、一旦剥奪するとの提案を明らかにした(Zeleny, Jeff and Carl Hulse, "Democrats’ Proposals Complicate Deal on Iraq Bill", New York Times, May 6, 2007)。このプランでは、政権は改めて議会に戦争続行の許可を求めなくてはならず、議会はその機会に政権の行動に条件をつけられる。ヒラリーは、開戦に賛成したことを「間違っていた」と認めておらず、党内の反戦派に批判されていた。今回の動きは、こうした批判への一つの回答とみてよいだろう。

ちょっと横道にそれるが、最近の民主党では、ヒラリーのようにかつては開戦を支持した政治家が、むしろ戦争に厳しい態度をとる傾向がある。大統領候補では、今や反戦派の旗頭ともいえるエドワーズも、開戦には賛成した口だし、議員のなかでは、「この戦争にはすでに負けている」と発言して物議を醸したリード上院院内総務が典型である。一方で、オバマ上院議員やレビン上院議員のように、いぜんから戦争を批判していた政治家は、それほど態度を変えておらず、ちょっとした逆転現象が起きている。この点については、当初開戦に賛成した民主党の政治家は、自分の信念をいったん曲げてしまったにもかかわらず、あまりにその結果が重大だったために、その反動で厳しい態度にでているという解説もあるようだ(Fairbanks, Eve, "Trading Places", The New Republic, April 30, 2007)。

ヒラリーの提案を受けて、他の候補も、負けじと強気の要請を繰り出している。反戦気運は、民主党が昨年の中間選挙で勝利を納めた大きな要因である。その勢いをどう生かすかは、民主党の候補者にとって重要な課題なのである。

なかでも重大な決断を迫られるのは、オバマだという意見がある。オバマはそもそも開戦に反対していたという事実を強調している。しかし、それはオバマが上院議員になる前の話である。むしろ上院議員としてのオバマは、それほど過激な反戦論は展開していない。

Dick Morrisは、オバマが考えなければならないのは、反戦の主張を強めるエドワーズのスタンスだと指摘する(Morris, Dick, "Obama’s moment of truth", The Hill, May 2, 2007)。オバマが反戦の立場を明確にしなければ、エドワーズは党内反戦派の支持を一身に集められる。一方でオバマは、中道派の票をヒラリーと分け合わなければならなくなる。このケースでは、大統領に近付くのはエドワーズだ。しかし、ここでオバマが反戦の立場を鮮明にすれば、それ以外に「売り」のないエドワーズの選挙戦を立ち行かなくさせられるというのである。

候補者達の08年を睨んだ計算は、リアル・タイムでブッシュ政権と渡り合わなくてはならない議会民主党にとっては、いささか迷惑である。議会民主党の戦略は、民主党の団結を維持しながら、共和党の分裂を促し、大統領を孤立させることだ()。例えば、現在進行中の補正予算を巡る議論では、党内を割らずに、それでも共和党の中道派を惹きつけられるような、微妙な「譲歩」が必要とされる。

党内の反戦派も、これまではこうした大方針を支持してきた。現時点では、反戦派はAmericans Against Escalation in Iraqというグループに大同団結し、上下両院の民主党指導部と連携をとっている(Luo, Michael, "Antiwar Groups Use New Clout to Influence Democrats on Iraq", New York Times, April 6, 2007)。5月2日に下院で行われた補正予算(H.R.1591)への大統領拒否権を覆すための投票は、賛成222票-反対203票で、必要な3分の2の賛同は得られなかった。しかし、民主党からの離反議員は7人に過ぎず、その内反戦派は僅かに1議員を数えるだけであった(ちなみに共和党の離反議員は2議員)。

もっとも、党内の反戦派が現状に満足している訳ではない。反戦派も大別すれば、二つの種類に分かれる。民主党のホワイトハウス奪回を優先するグループと、戦争の早期集結を重視するグループだ。前者に比べて、後者のグループは、妥協に対する許容度が低い。大統領選挙を睨んだ候補者の動きは、こうしたグループを勢いづかせかる可能性がある。

ちょっとした皮肉は、補正予算に関する共和党との橋渡し役を、バイ上院議員が演じていることである(Murray, Shailagh and Jonathan Weisman, "Clinton Changes Tone on Iraq", Washington Post, May 4, 2007)。バイ議員は、大統領選挙から早々に離脱した経緯がある。言い換えれば、どちらの立場にもなり得た議員なのだ。果たしてバイ議員は、「こちら側」と「あちら側」の違いを、どんな思いでかみ締めているのだろうか。

民主党は、イラク戦争を巡るブッシュ政権との「対峙」を3つのステージとして捉えている。第一段階が現在の補正予算。第二段階は国防予算の歳出権限(Budget Authority)を巡る議論、そして、最終段階が、08年度の国防予算の審議である。

最終段階の審議は、夏頃に本格化し、ちょうど「増派」の一次評価とも重なってくる。様々な思惑が交錯する一つのクライマックスが、夏から秋にかけて訪れることになりそうだ。

2007/05/04

一目瞭然!

連休後半。暖かくて良い天気である。そんな日に、朝の9時からPCで共和党の討論会をみるのは、どう考えても正気の沙汰ではない。

それでも見ました。家族の冷たい視線を浴びながら。

感想は、この写真をご覧いただければ一目瞭然ではないでしょうか。

意味もなくYMOの「増殖」のジャケットを思い出してしまった。

全員男。白人。ダークなスーツ。話す内容も、「レーガン」「Faith」「Value」...

これぞ共和党。

こういう人たちがそろった討論会は、だんだんそれぞれの見分けがつかなくなってくる。それなりにバラエティーがある民主党の討論会とはずいぶん周波数が違う。思えば共和党が本格的に大統領候補を争うのは12年ぶり。ブッシュの前2回はほとんど楽勝だった。だから、「これぞ共和党」という絵柄をようやく思い出した気がする。

はっきりいって辛い。

一応勝者をあげるのならば、ロムニーだろう。動いているロムニーを久しぶりに見たが、堂々としたしゃべり方、適度なユーモアには「大統領」の雰囲気がある。嫌みなくらいだ。泡沫スレスレ組では、ブラウンバックやハッカビーも良かった。保守派の候補という感じで説得力がある。

それにしても、レーガンの引用でやたらに出てきた「optimism」は場にそぐわなかった。どうみても共和党の候補者からは、ネガティブなオーラが発散されていた。

総じて新顔が多いし、しゃべりも上手い(トンプソンだけはやけに暗かったが)。笑いだって少なくなかった。それなのにここまで停滞感を感じてしまうのは、今の共和党の置かれた状況に感情が行きすぎているからだろうか。

おそらく、共和党の候補者が輝くのは、民主党の候補者と対峙したときなのだろう。そう思いたい。

日光を浴びて自分を消毒したくなってしまった。

2007/05/03

ルービノミクス論争と「僕らの時代」

むちゃくちゃ古いが、オフ・コース(!?)に「僕らの時代」という歌がある。今やそれなりに年を重ねた小田和正氏は、いったいこの歌をどう思っているのだろう。

民主党の経済政策の先行きを巡る「ルービノミクス」論争。どうやらそこには、「世代」の視点もありそうだ。

このページではお馴染み(?)のDavid Brooksが、「消えゆくネオ・リベラル」というコラムを書いている(Brooks, David, "The Vanishing Neoliberal", New York Times, March 11, 2007)。

Brooksの定義によれば、ネオ・リベラルは、80年代に「民主党は利益団体の影響下から抜け出さなければならない」という問題意識で始まった一連の思想である。政策的には、利益団体を重視した政策を否定し、労組には懐疑的。ほどほどにリベラルで、外交面ではタカ派的。資本主義を肯定し、福祉国家の見直しを支持する。その思想を汲んだ政治家が、90年代までのゴアであり、クリントンである。経済政策の行方に関する現在の議論に則していえば、ルービノミクスもネオ・リベラルの系譜に連なっているといえるだろう。

Brooksは、ネオ・リベラルの退潮を、その中核的なオピニオン誌だったNew Republic誌の変容に見て取る。購読者の減少に直面していた同誌は、発行頻度を減らし、内容もリベラル寄りに軌道修正したらしい。同じくネオ・リベラルの中核だったWashington Monthly誌も、左に軌道修正して、購読者の減少に歯止めをかけたという。一方で、American ProspectやThe Nathionといったリベラル系のオピニオン誌は、順調に購読者数を増やしているようだ(Alder, Ben,"Neoliberalism Vanquished", American Prospect, March 11, 2007)。

Brooksは、こうした潮目の変化の理由を、主役となる世代の政治的な態度の違いに求める。ネオ・リベラルの主役は、現在40~60歳台。民主党が一党支配から没落していく過程の問題意識が原点にある。だからこそ、労働組合などに支えられた旧来の政治を離れようとした。しかし、現在のブロガー世代が政治に目覚めたのは、ギングリッチ革命が吹き荒れる90年代である。こうした新しい世代は、共和党に近づくことも辞さないネオ・リベラルには飽きたらず、共和党に負けない対決の政治を求めたというのである。

ちなみにBrooksは、新しい世代の政策的な志向はについては、ネオ・リベラル以前の旧来型のリベラル路線への回帰を指摘している。そのきっかけとなっがのは、外交面でのイラク戦争であり、経済面での賃金の伸び悩みだというのが彼の見立てである。

実際に、当のリベラル陣営であるAmerican ProspectのEzra Kleinは、ネオ・リベラルの問題点として、政治的な態度もさることながら、政策面の不備を強調する(Klein, Ezra, "Neoliberalism", American Prospect, March 12, 2007)。ネオ・リベラリズムは、労組などの利益団体から離れた政策を実現しようとしたが、彼らは利益団体が過激化していた理由となった問題を解決することはできず、それどころか、時にはそのような問題には関心すらないようにみえた。彼らは中間層に焦点をあて、何よりも教育や職業訓練を重視した。しかし、グローバル経済の残酷さに対処するという意味では、教育や職業訓練は「間違った神」だった。

こうした議論は、まさに労組=EPI系のルービノミクス批判と重なっている。

しかし、本当に若い世代は政策の面でルービノミクスに距離を置こうとするだろうか。理想を重んじる傾向があるのはわかるが、その一方で、グローバリゼーションの現実を理解しているのも、若い世代のような気がする。この辺りは、もう少し追いかけてみたいテーマである。

それはさておき、ブロガー世代が対決を求めているという指摘には同意せざるを得ない。思い起こされるのが、昨年の議会中間選挙での、リーバーマン上院議員の予備選である。同議員は、コネチカット州の民主党予備選で、ブロガー(ネット・ルーツ)の支援を受けた新人候補に敗れた。その時にネット・ルーツが盛んに主張していたのが、リーバーマンの問題は、その政策ではなく、共和党への融和的な態度だという議論だった。

やや議論が横に流れてしまった。いずれにしても、ルービノミクスを巡る論争は、かなり重層的な構造になっている。経済政策としての是非だけでは読み解けない。そんな議論なのである。

2007/05/02

チキン・ゲームとReal War

ブッシュ大統領は、予定通りイラク戦費に関する補正予算に拒否権を発動した。その一方で、共和党系の識者からは、やや長めの視点から、共和党の今後を憂う意見が聞かれ始めている。

もちろん、イラクに限らず、ブッシュ大統領は断固として民主党と対決すべきだという意見もある。William Kristolなどはその典型だろう(Kristol, William, "'Kick Me'?", Weekly Standard, April 9, 2007)。時期はやや昔になるが、今年の3月には同じくWeekly StandardのFred Barnesも、ブッシュ大統領がイラクで断固とした姿勢をとっているからこそ、ホワイトハウスの志気が維持できていると主張していた(Barnes, Fred, "Cheerleader in Chief", Weekly Standard, March 19, 2007)。

これに対して、不安を表明する論者は、たとえブッシュが補正予算に関するチキン・ゲームに勝ったとしても、実際の戦場では結果を出せないかもしれないという危機感を持っている(Dvorak, Blake, "Buckley and Will See Doom for GOP", Real Clear Politics, April 30, 2007)。

William Buckleyは、「ペトロースといえども、敵が病の本質にあるのであれば、勝つことはできない」と指摘する。その上でBuckleyは、仮にそうであるならば、「出口の見えない戦いを続ける意思をもつ大統領を抱えて、いかに共和党は多数の有権者から支持を得られるのか」と問い掛ける。

George Willのコメントはもっと刺激的だ。Willは、イラク戦争を大恐慌に喩える。Willに言わせれば、共和党はフーバー大統領が大恐慌で受けた汚名を払拭するのに30~40年かかった。イラク戦争が共和党に与えるダメージは、これに匹敵しかねないというのがWillの警告である。

Willは、増派が9月までに成果を上げられなければ、多くの共和党議員が、大統領と袂を分かつだろうと指摘する。共和党議員は、もう一度イラク戦争をテーマとした選挙は戦いたくないからだ。

こうした指摘を、共和党の支持者はどう考えるのだろうか。共和党議員が大統領を支え続けるのは、共和党のコアな支持者が、イラク戦争の勝利に期待を残しているからだ。しかし、共和党支持者がイラク戦争を見捨てないのは、チームを重視しているからだという指摘もある(Rogers, David, "How Veto Strains the Republicans", Wall Street Journal, May 2, 2007)。チーム・リーダーのブッシュ大統領を支えるのが、チーム・プレーだという発想である。しかし、イラクが「ブッシュの戦争」であり、チーム=共和党を著しく傷付けるとなったらどうだろうか。

戦費を巡る民主党と大統領のチキン・ゲームは、本質的な戦いではない。民主党には単独で大統領の方針を変える力はない。戦場におけるイラクの安定と、共和党議員の覚悟を巡る苦闘こそが、本当の戦いなのである。

2007/05/01

Vetoを待ちながら

ワシントンでのイラク戦争に関する議論で驚かされるのは、事態の変化が極めて緩やかであることだ。本当に「長い戦争」になったものである。

状況が全く変わっていない訳ではない。2つの点が指摘できる。

第一に、民主党議会は、米軍の撤退期限を盛り込んだ補正予算を、上下両院で可決した。この法案が成立すれば、イラクに駐留する米軍は、イラク政府が一定の基準(ベンチ・マーク)を満たさなかった場合には今年7月、満たした場合でも10月には撤退を開始しなければならない。いずれの場合も、半年以内の撤退完了が目標である。

第二は、議論のトーンである。補正予算の審議過程で、民主党のケネディ上院議員は、「ベトナムの間違いを繰り返す訳にはいかない」と発言した。かつては禁句だったベトナム戦争への言及も、今や当然のように行われている(Hulse, Carl, "Democrats Seek Way to Respond to Bush Veto of Iraq War Bill", New York Times, April 26, 2007)。

しかし、基本的な構図は変わっていない。民主党議会は、大統領拒否権を覆すだけの票を集められていない。ブッシュ大統領は、今回の補正予算に拒否権を発動する方針。そこから改めて、補正予算の議論が始められる。

構図がなかなか変わらない大きな理由は、共和党議員が大統領を支持し続けている点にある。

実際に、最近のイラク戦争に関する議会の投票行動には、ほとんど変化が見られない。

下院でいえば、補正予算(H.R.1591)に対する1回目の投票(3月23日)が賛成218票-反対212票。2回目(Conference Report)への投票(4月25日)が賛成218票-反対208票だった。いずれの場合も共和党で賛成に回ったのは2議員だけ。強いて言えば、4月25日には一人の議員が「Present(賛否を示さない投票)」に動いたことくらい。ちなみに、民主党で反対に回った議員の数も、1回目が14人(反戦派7人、中道派7人)、2回目が13人(反戦派6人、中道派7人)。こちらもあまり変わらない。

上院も似たようなものだ。3月15日の増派反対決議(S.J.Res.9)は、賛成48票-50票で否決してから、補正予算(H.R.1591)に舞台を移し、3月27日に撤退期限削除に関する修正条項(S.Amdt.643)を賛成48票-50票で否決した。結果は逆に出ているが、動いた票はそれほど多くない。共和党の離反議員が1人から2人に増え、民主党の離反議員が3人から2人に減っただけである。その後、補正予算の1回目(3月29日)が賛成51票-反対47票、2回目(4月26日)が賛成51票-反対46票。いずれのケースも、離反議員は共和党が2人(スミス、ヘーゲル)、民主党が1人(リーバーマン)だった。

共和党の離反者が増えない背景には、共和党のコアな支持者が、依然としてイラク戦争の成功に自信を持っているという事情がある(Weisman, Jonathan, "GOP's Base Helps Keep Unity on Iraq", Washington Post, April 30, 2007)。いくら民主党支持者・無党派層の厭戦気分が高まっても、共和党議員にとって大切なのは、あくまでもコアな支持者なのである。

問題はいつまでこのような状況が続くかである。鍵を握るのが「増派」の成否であるのは確かだが、ブッシュ政権は、その評価を今年9月まで明らかにしない方針である(Sanger, David E., "The White House Scales Back Talk of Iraq Progress", New York Times, April 28, 2007)。また、9月の報告もクリアな内容にはならないと見られ、ブッシュ政権は来年まで「増派」状態を続けようとしているともいわれる。

議会共和党にも、落ち着かなさは感じられる。拒否権後の議論では、ベンチ・マークの取り扱いが焦点になる。ブッシュ政権は、ペナルティーにつながるようなベンチ・マークは容認しない方針だが、議会共和党からは、非軍事的な資金援助や、米軍の配置に関するペナルティーならば、検討の余地があるとの意見もきかれる。一方議会民主党は、取り敢えず60日分の戦費を認め、「米軍が苦しんでいる」という議論を封じた上で、撤退に向けた圧力を高めていくことも考えているようだ(Weisman, Jonathan, "Republicans Buck Bush On Iraq Benchmarks", Washington Post, May 1, 2007)。

イラク戦争を成功に導くには、2010~13年頃まで取り組みを続ける必要があるといわれる。CSISのAnthony H. Codesmanにいわせれば、米国がすぐにたどり着ける出口は失敗だけなのである(McManus, Doyle, "Congress' vote on Iraq war is only a prelude to a longer struggle", Los Angels Times, April 30, 2007)。

ワシントンを覆う停滞感はただものではない。議会共和党にとって、緩やかにしか進まない「長い戦争」は、ことさらに息苦しい営みである。