2007/05/31

テネシー・ワルツとゴアの世界

トンプソンの正式な出馬が秒読みに入ったようだ。報道によれば、6月4日に検討委員会が設立され、資金集めがスタートする。7月4日の独立記念日の辺りには出馬が宣言される見込みである(Allen, Mike, "Fred Thompson will run, advisers say", Politico, May 30, 2007)。

ま、実質的には出馬していたのも同然だったわけですが。

対照的に出馬しないだろうと見られているのが、民主党のゴア前副大統領である。新著「The Assault on Reason」の発売に併せて、ゴアがメディアに取り上げられる機会は激増している。しかし、出馬の見込みについては、否定的な報道が大半である。

Time誌はこう記す。「密かなキャンペーンなどは存在しない。どんなニュースを読んでいるかは知らないが、ゴアの配下が権力への復活の道を秘密裏に検討している会議などというのも行われていない。秘密の計画などは存在しないのである(Pooley, Eric, "The Last Temptation of Al Gore", The Time, May 16, 2007)」。

出馬しないと考えられる理由は幾つかある。一つは、敗北の傷が癒えていないこと。「忘れられたのはいつ頃か?」という質問に、ティッパー夫人は、「今何時?」と答えている(Traub, James, "Al Gore Has Big Plans", New York Times Magazine, May 20, 2007)。だいたい、2000年もさることながら、ゴアは88年にも民主党の予備選に敗れているのだ。

より説得的なのは、ゴアは現在の自分に満足しており、選挙に戻って自分らしさをもう一度失ってしまうのを恐れているという指摘である。またしても、ティッパー夫人の発言を引用しておこう(Pooley, ibid)。

「彼はあらゆる国のあらゆるリーダー、ビジネス界、あらゆる種類の政治家とアクセスがある。彼は自分自身のやり方で、世界中のどこででも好きなだけ活動ができる。これこそ自由。誰がこれをあきらめたいというの?」

もっとも、ゴアは出馬の可能性を完全には否定していない。やはり未練はあるのだろうか。新著の中にも「(2000年の討論会で)政策論争の是非よりも、自分の大きなため息が話題になったのは、テレビの悪影響の現れだ」なんて、未練がましいことを書いている。

いや、お言葉ですが、あれはひどかったですよ。見ていて、「何やってるんだ?」と思いましたもの。

出馬しないとみているからなのか、メディアによるゴアの扱いは、異様なくらいに好意的である。Time誌などは、ゴアはオバマ(草の根へのアピール、政治を超えたメッセージ、早い段階でのイラク戦争への明確な反対)とヒラリー(実行力におけるタフさ、経験と外交における信頼性)の魅力を兼ね備えた候補者になれると指摘する(Pooley, ibid)。New York Timesは、ゴアは「預言者の域に達している」とまで書いている(Taub, ibid)。新著についても、選挙の年にありがちな政治的な意図に溢れた本ではなく、米国の問題点を真摯に解き明かそうとしているという評価が多い(Michiko, Kakutani, "Al Gore Speaks of a Nation in Danger", New York Times, May 22, 2007)。

しかし、自分には拭い切れない疑問がある。

果たしてゴアは、魅力的な候補者になれるのだろうか。

正直いって、どうもゴアの議論には付いていけないところがある。時間のある方は新著の抜粋にトライしてみて欲しい。本の主題は、「なぜ米国では、事実に基づいた議論が行われなくなったか」。

何でだと思います?

テレビがいけないんだそうです。そして、期待の星は、もちろんインターネット。さらに、こうした話を、古今東西の哲学やら科学やら(脳の働きには…みたいな)の知識をちりばめながら、縦横無尽に展開している…らしい。

自分が感じた違和感に、少し鮮明な輪郭を与えてくれたのが、David Brooksの痛烈な批判である(Brooks, David, "The Vulcan Utopia", New York Times, May 29, 2007)。

Brooksは、ゴアは極端な技術決定論者だと指摘する。大抵の政治家は人間に反応するが、ゴアは機械に反応する。その新著には、機械が歴史を決めるという理論が展開されているというのだ。

Brooksによれば、新著でもっとも驚かされるのは、その冷たい世界観である。そこで展開される発展の歴史には、家族や友情、近所付き合いはおろか、人と人とのFace to Faceの触れ合いが果たす役割がほとんどない。ゴアは社会を演壇から見下ろすように観察しており、大衆の動きには、親密さや私生活が入り込む余地はない。ゴアが理想とする社会では、感情のない人間が、事実に基づいて論理的な結論にたどり着く。

そこまで過激ではないが、Washington PostのDana Milbankは、ゴアは博識振りを全開にし過ぎではないかと指摘する(Milbank, Dana, "Is It Wise to Be So Smart?", Washington Post, May 30, 2007)。この記事では、「彼の最大の問題は、自分が馬鹿だと感じさせられてしまうような人は嫌われることだ」という、ゴアの講演の聴衆による発言が紹介されている。

翻訳する気力がないので、講演からの下りをそのままどうぞ。

"Both the Agora and the Forum were foremost in the minds of our Founders. . . . Not a few of them read both Latin and Greek, as you know."

"Gibbon's 'The Decline and Fall of the Roman Empire' was first published the same year as the Declaration of Independence and Adam Smith's 'The Wealth of Nations.' "

ついでに新著の一部分も。

"The new technology called 'Functional Magnetic Resonance Imaging,' or FMRI, has revolutionized the ability of neuroscientists to look inside the operations of a living human brain and observe which regions of the brain are being used at which times and in response to which stimuli,"

"The architectural breakthrough associated with massive parallelism was to break up the power of the CPU and distribute it throughout the memory field to lots of smaller separate 'microprocessors' -- each one co-located with the portion of the memory field it was responsible for processing."

ところで、もしもトンプソンとゴアが本選挙に進んだら、テネシー州の出身者同士の戦いになる(トンプソンはゴアが上院を引退した後の議席を受け継いでいる)。思い返せば、昨年の夏ごろには、大統領選挙はバージニア州の出身者同士の争いになるのではないかといわれていた。しかし、共和党のアレン上院議員(当時)と、民主党のワーナー前州知事は、早々に戦線から消えていった。今の選挙戦では、ジュリアーニ前市長と、ヒラリー上院議員という、ニューヨークにゆかりのある候補者がそれぞれの党のトップを走っている。

どうでもいいことだが、それはそれで不思議なめぐり合わせである。

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