2007/05/24

歌舞伎としての米中戦略経済対話、スケープゴートとしての中国

米中戦略経済対話が終わった。

評価については、日米のメディアで乖離があるようだが(日本の報道では「中国の譲歩にもかかわらず」、米国の報道では「中国から十分な譲歩を引き出せなかったので」)、いずれにしても、これで米議会の問題意識が消え去るわけではない。人民元や貿易不均衡という大きな「タマ」が残っているのもさることながら、米国の不満の根源は、グローバリゼーションへの不安にあるからだ。

その点で、「中国はスケープゴートだ」と喝破した、英エコノミストの論評は秀逸である("America's Fear of China", The Economist, May 19, 2007)。

「為替なんかで争わずに、議会は一歩引いて、そもそも米国人がなぜ中国に怒っているのかを考えたほうが良い。つまるところ、中国は伸び悩む賃金や拡大する所得格差、そして医療・年金給付の弱体化がもたらす幅広い経済的な不安感のスケープ・ゴートなのだ。こうした脆弱性にこそ、(中略)真正面から、それも米国内で取り組んだほうが余程良い」

実は、ポールソン財務長官も、今回の戦略対話の冒頭で同じような趣旨の発言をしている。この部分は、米国内に反中感情があると認めた点に注目が集まっているようだが、もう一度よく読んでみよう。

「両国は、国内の保護主義と通商やグローバリゼーションの利点への疑問という挑戦に直面している。両国には、互いの国の意図に対する懐疑的な見方が強まっている。残念なことに米国では、中国が国際競争の実際または想像上のダウンサイドのシンボルになるなかで、これが反中感情として現れている」

そうであれば、戦略対話に米中摩擦の解消を求めるのは、行き過ぎだ。保護主義が暴発しないように、不満をコントロールする。それ位の目線がちょうど良い。多少の成果で時間を稼ぐ。それだけで、存在価値はある。

それでも、議会のテンションは少しずつ上がっていくだろう。90年代後半のような、果実が幅広い国民に行き渡る景気拡大が期待できないのであれば、肝になるのは、「稼いだ時間」で、どこまで国内政策の議論を進められるかだ。

そういえば、就任当初のポールソンは、年金や医療保険の改革にやる気をみせていた。超党派の合意を目指しながら、チェイニーの「増税はありえない」発言で挫折させられた経緯は、ここ数日の報道でも改めて取り上げられている(Montgomery, Lori, "Lowered Expectations", Washington Post, May 23, 2007) 。

浪費した時間は意外に大きいものである。

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