Memorial Dayに想う
週末にお休みを頂いたのに何だが、今日の更新もいつもとは違う手触りでご勘弁願いたい。
なぜなら、今日はメモリアル・デーだからである。
メモリアル・デーは戦没者を追悼する日。米国に住み始めた時には、馴染みにくかった休日の一つだった。もっとも、その起源は南北戦争にあるらしいのだが(Cohen, Adam, "What the History of Memorial Day Teaches About Honoring the War Dead", New York Times, May 28, 2007)。
メモリアル・デーといえば、米国滞在中に印象深かったのは、Rolling Thunderのパレードである。たまたまワシントンのモール周辺にでかけた時に、大量の大型バイクが轟音を上げて走り回っていて、度肝を抜かれたことがある。後から調べたら、毎年恒例の行事だった。違う年には、これもたまたま、ワシントンに向うバイクの大群と高速道路ですれ違った。なかなかの壮観だった。
なにせ、バイクもデカいが、乗っている人もデカい(失礼)。
もちろん、季節が良くなったからといって、伊達や酔狂で走っているわけではない。戦争での行方不明者や、退役軍人の問題への意識向上という狙いがある(Jenkins, Chris L., "Record Turnout Marks Rolling Thunder Ride's 20th Anniversary", Washington Post, May 28, 2007)。代表者は大統領とも面談しているようだ。
それでも、自分がアメリカに住み始めた頃(90年代後半)は、メモリアル・デーといえば、「夏の始まり」という風情が強かった。この週末が終わればプールも始まる。どういうわけかアメリカでは、季節はカレンダーどおりに変わる(?)。そして、メモリアル・デーからレーバー・デーまでが夏なのである。
同時多発テロ以降、メモリアル・デーの位置付けは変わっていく。アメリカは戦時に入った。その頃、自分はニューヨークに移っていたから、9-11の特別さは格別だったが、メモリアル・デーの手触りも年々変わっていったように思う。
今年の米国のメディアにも、いつもの政治色の強い報道だけでなく、戦争が庶民の生活に与える影響を、静かに見つめる記事が見受けられる。例えばWashington Post紙は、増派によって派兵期間が2年に達してしまった、ミネソタ州のNathional Guardを取り上げた(Slevin, Peter, "A Long Time Gone", Washington Post, May 27, 2007)。
ある妻は、夫の帰還まで100日になった時に、ビンにM&Mのチョコレートを100個入れた。毎日1つずつ食べて行けば、子どもは父親の帰りが近付いたことがわかる。しかし、チョコレートが残り少なくなった頃に、滞在期間が120日延長されたという連絡が入った。
この戦争の特徴は、極めて「アメリカだけの戦争」になってしまったことだ。今は日本に帰ってきた自分にとっても、戦争の現実味は薄い。
このページも、明日からは「ヒラリーはアイオワ・コーカスをスキップするのか?」とか、「オバマを支持しているのは誰なのか?」なんていう話に戻る。
反戦を謳いたいわけではない。ただ今日だけは、ここやここの写真を見ながら、いつもとは違った角度から、戦争を感じて見てはどうだろうか。
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