2007/03/31

お客様は神様です

候補者の「強み」はどこにあるのか。一つの手法は世論調査から探ることだ。CNN/Gallupが3月23~25日に実施した世論調査は、その辺の事情を垣間見せてくれた。

各党の予備選挙に関していえば、民主党は①ヒラリー(35%)、②オバマ(22%)、③ゴア(17%)、④エドワーズ(14%)と並びは前回(3月2~4日実施)と変わらず。特筆されるのは上位3人の数字がほとんど前回から変わっていないのに対して、エドワーズ(前回9%)が大きく伸ばしたこと。夫人の癌再発公表が効いているのだろうか。

他方の共和党は、①ジュリアーニ(31%)、②マッケイン(22%)、③トンプソン(12%)。新たに選択肢に加えられたトンプソンがいきなり3位だ。他方で数字を大きく減らしたのがジュリアーニ(前回44%)とロムニー(同8%→今回3%)。ジュリアーニについては、一時の熱狂がやや収まってきた気配がある。ロムニーに至っては上位3人だけでなく、ギングリッチ(今回8%)にまで離された。...でもビッグ3なんだよなあ。

今回の調査が面白いのは、それぞれの候補者を対峙させて、なぜその候補者を選んだかという理由を調査しているところだ。

たとえば共和党のマッケインとジュリアーニ。「両者のどちらを選ぶか」という質問に関しては、54%がジュリアーニ、39%がマッケインを選んでいる。

ではジュリアーニを選んだ理由は何か。18%が9-11・テロ対処の手腕、13%がリーダーシップ、10%がNY市長としての実績を挙げている。ジュリアーニの強みが「9-11をシンボルとしたリーダーシップへの評価」なのは歴然だ。

他方で、マッケインの最大の強みは「経験」のようだ。具体的には、「経験がある」が19%、「軍事的なバックグラウンド・国防に強い」が16%である。また、「(ジュリアーニよりも)よく知っている」が18%となっており、ジュリアーニの8%を大きく上回った。

興味深いのは「政策」に対する評価だ。ジュリアーニについては、「争点に対する態度」を支持した理由にあげたのは10%に過ぎない。他方でマッケインは、「(社会政策を除く)争点に対する態度」が16%、「社会政策」についてでも11%とジュリアーニを上回った。これだけみると、マッケインは「政策」が一つの強みになっているように見える。

ところが、ジュリアーニ支持者の回答をよく見ると、マッケインは「穏健派過ぎる/一匹狼過ぎる」という回答が10%もある。ジュリアーニだって十分「穏健」なのにこの結果だ。

この辺を捉えてWashington Post紙は、「マッケイン陣営は2000年の大統領選挙の時から、『真の保守ではない』という印象を払拭すべく奮闘してきたが、共和党支持者のある部分はマッケイン陣営の言うことを信用していないようにみえる」と指摘している(Cllizza, Chris, "Parsing the Polls: The "First Impressions" Problem", Washington Post, March 28, 2007)。

民主党はどうか。ヒラリーとオバマの二者択一の場合、ヒラリーを選ぶのが56%、オバマが37%である。

ヒラリーの強みはマッケインに似ている。選んだ理由をみていくと、「経験」が33%、「争点に対する態度」が21%を占めている。「最強のファースト・レディー」「2期目に入った上院議員」という経歴を考えれば、当然といっても良いだろう。

すごいのはオバマだ。なんと、「ヒラリーよりも好き/ヒラリーが嫌い」が18%、「ヒラリーは問題を抱えすぎている/クリントンはもう結構」が12%、「ヒラリーよりも分裂を招かない」が7%もある。さらに、「女性大統領はまだ早い」が7%、「(ヒラリーよりも)大統領に当選する可能性が高い」が8%だ。

ポジティブな理由としては、「争点に対する態度(18%)」「新鮮な顔/新しいアイディア(13%)」があるが、それにしても「アンチ・ヒラリー」がここまで多いのは、あまりといえばあまりな結果である。

オバマはまだまだ知られていない。一方で、ヒラリーに対する「態度」はずいぶん固まってしまっている。

どうやってお客様の財布を開かせるのか。双方の陣営にとって、課題と挑戦がよく見える調査結果ではある。

2007/03/30

Reagan or Not

共和党はレーガンの幻影をいつまで追い続けるのか。この問い掛けには、共和党の将来像に関わる本質的な議論が潜んでいる。

候補者の品定めが続く中で、レーガンの名前がさらに鳴り響く行事が発表された。カリフォルニアのレーガン図書館が、共和党の候補者を集めた討論会を企画したのである(Davis, Teddy, "Republicans Reach for Right to Reagan Mantle", ABC News, March 28, 2007)。

開催日は来年の1月30日。アイオワ、ニューハンプシャーなどの予備選が終わり、カリフォルニアなどの重要な州の予備選(2月5日)を直前に控えた微妙な時期だ。しかも、同図書館が今年の5月3日に予定している討論会とは違い、参加できるのは、その時点でのトップ2~3人だけ。候補者にすれば、呼ばれただけで大きな得点になる。

ロケーションがロケーションだけに、参加者は何とかレーガンの威光に預かろうとするだろう。こうして、次の候補者にもレーガンの刻印がしっかりと捺されていく。

ネオコンの重鎮William Kristolは、共和党の候補者がレーガンを利用しようとするのは当然だと指摘する(Kristol, William, "In 2008 It's Ronald Reagan vs. Bobby Kennedy", The Time, March 29, 2007)。レーガンは経済を再生させ、米国の自信を取り戻し、冷戦に勝利した。同時にレーガンは、共和党の主張を研ぎ澄まし、支持を広げた。選挙では2回大勝したのみならず、その人気で自分の副大統領を後継に当選させた。

ちなみにKristolは、レーガンの後継者にフレッド・トンプソンを挙げる。他方の民主党については、理想とされているのはロバート・ケネディであり、後継者はオバマだという。そして、実現しなかった「保守の王様とリベラルの預言者」の対決を夢見る。

何ともノスタルジックな議論である。

同じ保守の論客でも、こうしたノスタルジーを問題視するのが、(またかと思われるだろうが)David Brooksだ(Brooks, David, "No U-Turns", New York Times, March 29, 2007)。

論点はお得意の「政府の役割」である。Brooksに言わせれば、レーガン流の小さな政府は時代遅れである。パラダイムが「自由 vs. 権力(liberty vs. power)」から、「自由を可能にするための安全(security leads to freedom)」に移っているからだ。

確かにレーガンが登場した1970年代後半には、「大きな政府」が国民の自由の脅威だった。税率は高く規制も過剰。福祉政策が政府への依存を生み、世界では社会主義も健在だった。大きな政府は個人の自由の制限を意味していたのである。

しかし現在は違う。70年代後半の問題は後退し、代わって複雑で拡散した現象が国民の脅威になった。イスラム過激主義、破綻国家、国際競争、地球温暖化、核拡散、技術中心の経済、経済・社会的な分裂。こうした新しい脅威の前では、安全な基盤を持てなければリスクをとって可能性を試す自由は得られない。医療保険が万全でなければ新しい仕事に挑戦できない。テロから安全だと感じられれば、それだけ自由な生活が送れる。

こうした時代に求められる政府のあり方は、レーガンの時代とは自ずと異なる。国民は大きな政府を好きになったわけではないが、例えば分裂や格差の是正に政府がもっと積極的に取り組むべきだと考えている。政府が最大の敵であるかのように主張しているようでは、共和党は無党派層の感覚から乖離してしまう。

実はBrooksにとって、こうした視点は決して新しいものではない。Brooksは90年代後半から、「小さな政府」を論ずるだけでは共和党は立ち行かなくなると主張していた。97年にWall Street Journalに寄稿したWhat Ails the Right(September 15, 1997)、2004年にNew York Times Magazineに発表したHow to Reinvent the G.O.P.(August 29, 2004)がその代表だ。

また、今回の寄稿にもあるように、Brooksは現在のブッシュ大統領に期待していた時期があった。2000年の大統領選挙でブッシュ大統領は、「単純な小さな政府論」を否定する演説を行っている。Brooksは、「思いやりのある保守主義」や「オーナーシップ社会」の概念は、「国民を自由に導くために政府を積極的に使う」という発想が背景にあると考えていた。

興味深いことに、97年のWhat Ails the Rightは、今はレーガン礼賛を擁護しているWilliam KristolとBrooksの連名で発表されている。

二人のベクトルはなぜ離れたのか。そんなところにも、共和党の悩みが垣間見えるような気がする。

2007/03/29

Window Shoppingはお好き?

欲しい物が分からなければ、買い物には時間がかかる。良くある話だ。

大統領選挙のフィールドが、なかなか落ち着かない。有力視されていた候補がバタバタと脱落し(例えば民主党ではワーナー、バイ、共和党ではフリスト、アレン)、民主党も共和党もビッグ3に絞られたと思いきや、更なる候補の噂が絶えない。

民主党のゴアについては何度か触れたが、共和党も例外ではない。最近では、俳優で元上院議員のフレッド・トンプソンが出馬を検討していると報じられた(Shear, Michael D., "A 'Law & Order' Presidential Candidate?", Washington Post, March 29, 2007)。他にも、チャック・ヘーゲル上院議員やギングリッチ元下院議長のように、正式な出馬は先延ばしているものの、色気を隠さない「隠れ候補者」もいる。ヘーゲル議員などは、重大発表をするといって報道陣を地元(ネブラスカ)に集めておいて、「将来的に出馬の有無を決めます」と意味のない会見をやらかした(Milbank, Dana, "When No News Is Strange News", Washington Post, March 13, 2007)。そうかと思えば、ニューヨークのブルームバーグ市長が、無所属で出るかもしれないという記事まで出る始末だ(Shear, Michael D., "N.Y. Mayor Is Eyeing '08, Observers Say", Washington Post, March 26, 2007)。

結局のところ、有権者はどんな候補者を求めているのだろうか。

専門家の見方は、「いつもとは違う」という点では共通する。しかし、どう違うのかについては、必ずしも意見が一致しない。

選挙分析のプロ中のプロ、Charlie Cookは、今回の選挙では「経験」よりも「希望」が求められる度合いが、いつにもまして強いと指摘する(Cook, Charlie, "Discounting Experience", National Journal, March 17, 2007)。

Cookにいわせれば、その現れがオバマでありジュリアーニだ。オバマは国政の経験が浅い上に、首長の経験があるわけでもない。それでも民主党の予備選挙を争っている、現役の上院外交委員会委員長(バイデン)や銀行委員会委員長(ドッド)、エネルギー長官・国連大使経験者(リチャードソン)よりもずっと人気者だ。ジュリアーニにしても、国政の経験はない。これまでの経緯といえば、党内の保守派と相容れない主張など、「サムソナイトの倉庫よりも沢山のお荷物がある」状況だ。

Cookは有権者が「希望」にかけるのは、現在のリーダーへの幻滅の裏返しだという。ともすれば、幻滅は懐疑的な態度につながりがちだが、それでも大統領は大事だと考えるのが米国人。有権者は経験よりも目に見えないリーダーシップの資質を求めているというのが彼の主張だ。

自分のお気に入りのDavid Brooksはちょっと違う。策略に長けた実力派が求められるのではないかというのだ(Brooks, David, "For 2008: An American Themistocles", New York Times, March 25, 2007)。

Brooksは、通常であれば、米国の有権者は裏表がなく誠実で高潔な候補者を好むという。胸を躍らせるような候補者が望ましく、とくにウォーターゲート事件の後からは、陰謀などで腐敗していない人が求められる。アウトサイダーが好まれ、確実性より新鮮さが受ける。汚い国政で揉まれて会得した技術よりも、内面から来るリーダーシップが望ましい。

最後の部分は、「今回の特徴」としてCookが挙げているのと似通っている。しかしBrooksは、今回の選挙では、有権者はピュアで高潔な候補者を追うという夢をあきらめ、覚めた眼で投票に臨むのではないかと指摘する。

その理由は、米国の敵がずる賢くなっているから。アルカイダ等の米国の敵は、腕力の弱さを知力で補うようになったのに、米国は力にあぐらをかいてきた。次のリーダーは、過激派に対抗するには時には専制君主とすら手を組まなければならないし、力ずくではなく、他国の国益に訴えていかなければならない。そのためには、国家の能力と限界を知っている必要がある。ガンジーやマンデラではなく、ビスマルクやシャロンが求められているというのが彼の見立てなのである。

と思えばPaul Krugmanは、個人のキャラクターではなく、政策本位で候補者を選ぶべきだと主張する(Krugman, Paul, "Substance Over Image", New York Time, February 26, 2007)。

Krugmanは、「6年前には知的にも気質的にも向いていない人間が国を運営することになってしまった」と(いつものように)辛らつだ。その理由は、ブッシュが予備選挙を豊富な資金で早々に勝ち抜けてしまい、その後はメディアがまるで選挙を高校の人気者コンテストのようにしてしまったからだという。一緒にいると楽しそうだというだけで、政策のあいまいな部分は見過ごされ、失敗した候補者は洋服やら男らしさやらを理由にからかわれる。結果としてこれだけ国が苦しんでいるのに、今回の選挙もやはり本質論のない人気投票の様相を呈していると彼は憤り、医療保険、財政赤字、税制への態度、外交面の立ち位置を基準に候補者を選ぶべきだと主張する。

現在への幻滅から「違うもの」を求めるといっても、その意味するところはさまざまだ。

あっという間に終わってしまう日本の選挙と違い、大統領選挙はまだまだ長丁場。買い物というのは、物色しているときが一番楽しいものである。

2007/03/28

What It Takes...オバマ in ハワイ

大統領選挙は、全人格をかけた勝負だ。全人格をかけられる者にゴールにたどり着く権利が与えられる。それはある人にとっては覚悟だろうし、場合によっては、自然な心の動きかもしれない。

今回の選挙で、生い立ちを含めたキャラクターがもっとも注目されているのは、間違いなくオバマだろう。同じ民主党のトップランナーでも、ヒラリーのストーリーは余りに良く知られている。なにせクリントン大統領の自伝(My Life)とヒラリーの自伝(Living History)を両方読めば、裏表から知ることができてしまう。

まして、オバマは生い立ちを選挙戦のストーリーに組み込んでいる。ケニア人とアメリカ人の間に生まれ、ハワイやインドネシアで子ども時代を過ごす。様々な環境で、黒人としてのアイデンティティーを問い続けながら、シカゴで政治活動に身を投じた。だからこそ、世代や人種、党派や信条の差を乗り越えた新しい政治が出来る。政策面での実績が希薄なだけに、オバマにとっては、生い立ちを織り込んだストーリーは最大の拠り所だ。

だからこそ、そのパーソナルな自分史がメディアの精査を受けるのは、当然の展開である。そのオバマの自伝、Dreams of My Fatherを地元のChicago Tribune紙が再検証している(Scharnberg, Kirsten and Kim Barker, "The not-so-simple story of Barack Obama's youth", Chicago Tribune, March 25, 2007)。

同紙が注目したのは、オバマが黒人としての苦悩に目覚めたとされるインドネシアとハワイでの少年時代。当時を知る関係者へのインタビューなどによれば、自伝の記述には事実に怪しい部分があるという。

同紙は、「(事実の書き替えは)時にオバマを良く見せ、人種に関する葛藤を誇張し、もっとも辛い個人的な問題を隠している」と指摘する。インドネシアでオバマが衝撃を受けたという、皮膚の色を変えようとする黒人を取り上げた雑誌(Life? Ebony?)は存在が確認できない。ハワイではアウトサイダーとして苦悩していたというが、周囲からはバスケット好きなハッピーな少年という印象が残っている。人種的な疎外感も手伝い、黒人でまとまっているグループは確かにあったが、オバマはその一員ではなかったし、友人には人種に関してオバマと議論した記憶がない。

もっとも、同紙のトーンは、自伝の詐称を批判するようなものではない。むしろ、これらは子ども時代の記憶にありがちな齟齬だし、オバマは孤独を周囲から隠そうとしていたようだとも指摘する。後者については、同じくオバマのハワイ時代を取り上げたNew York Timesの記事も同様の主張だ(Steinhauer, Jennifer, "A Search for Self in Obama’s Hawaii Childhood", New York Times, March 17, 2007)。加えてNew York Times紙は、ハワイは人種が入り乱れているだけに、自らのアイデンティティーの問題に直面している人が多く、他人(オバマ)の悩みにまで気がつく余裕がないとも指摘している。

つまり、日本で良く話題になる政治家の学歴詐称とは質が違う。

もっとも、オバマにも頂けない「事実誤認」はある(Tapper, Jake, "Ah've come toooo fahhhr", ABC News, March 05, 2007)。

3月4日にオバマはアラバマ州のセルマを訪れた。公民権運動の大きな契機になった、1965年の「血の日曜日」事件を記念する行事に参加するためだ。そこでオバマは、自らの出生をセルマに結び付ける演説を行なった。「(黒人の父親と白人の母親は)それまでであれば、結婚して子どもをもうけるなんて不可能だったが、セルマの事件をきっかけに時代が変わり始めていると感じた。だから二人は一緒になり、自分が生まれた」。感動的なストーリーだ。

但し、オバマが生まれたのは、「血の日曜日」の4年前のことだ。

…いくら何でも、それはないだろう。

それはさておき、Tribune紙の着目点は、オバマの本当の葛藤(「辛い個人的な問題」)は、人種ではなく、父親と別れて暮らさなくてはならなかった「家族の離散」だったのではないかという点にある。いくら本人が隠そうとしても、容赦なく抉られてしまうのが、大統領選挙なのである。

そして、こうした事実を誰よりも理解し、場合によっては利用できる者が選挙を制する。それが計算であろうが、本能であろうが。

個人的なストーリーと選挙が切り離せなくなっているのは、夫人の癌再発を公表したエドワーズも同じだ。もちろん、そこに政治的な計算を見出だそうとするのは、余りに酷だ。一方でエドワーズは、3月25日の60 Minutesのインタビューで、「全ての候補者には、それぞれがどのような人物であるかを示唆する個人の暮らしがある。それを有権者が評価するのは公正なことだ」とも述べている(Crawford, Craig, "Edwards Gets Personal", CQ Politics.com, March 26, 2007)。

オバマの自伝に対しても、パーソナルなストーリーを求められる政治家としての自意識が働いているという指摘がある。Washington Post紙のRichard Cohenは、「(オバマは)むき出しの野望を大義のベールに隠そうとして、事実を改ざんしたのかもしれない。もはや米国の公的な世界では、単なる野望は受け入れられないからだ」と述べている(Cohen, Richard, "Obama's Back Story", Washington Post, March 27, 2007)。

特筆すべきなのは、"Dreams"は大統領選挙に向けて書かれた本ではないという事実だ。

オバマが"Dreams"を書いたのは34歳の頃である。Cohenは、その頃からオバマには、「自分を上手くパッケージする」意識があったのではないかと指摘する。

Cohenはオバマとレーガン元大統領を重ね合わせる。レーガン元大統領は、人生は映画のように語られなければならないと本当に理解していた政治家だからだ。「(レーガンは)常に自分の映画を演じていた。オバマも同じだ」。

そもそもオバマは、3年生の作文に将来の夢を「大統領」と書いていたという(Scharnberg, ibid)。

やはり大統領を目指す人物は、常人とは何かが決定的に違う。

2007/03/27

Just One Wish

23日に下院で行われたイラク戦費関連の補正予算に対する採決は、極めて党派的な結果に終わった。しかし、一皮向けば、議会民主党と共和党のイラク戦争に対する考え方は、案外近いのかも知れない。「これはあくまでもブッシュの戦争だ」という思いである。

23日の採決では、米軍の撤退期日を書き込んだ法案が、賛成218-反対212の僅差で可決された。党内反戦派の取りまとめに苦心していたペロシ議長にとっては大きな勝利だ。

民主党に関しては次の機会に譲るとして、注目したいのは共和党の雰囲気である。

23日の採決では、共和党はほぼ一致して反対票を投じた。賛成に回った共和党議員は2人しかいない。しかし、この結果は、共和党がブッシュ支持でまとまっていることを意味しない。共和党がまとまれたのは、「兵士は危険に晒せない」という大義名文があったからだ。仮に政権のイラク政策に対する信任投票というフレーミングであれば、結果は全く違っていたと指摘されている(Murray, Shailagh and Jonathan Weisman, "Republicans Soften Stance on Pullout Language", Washington Post, March 27, 2007)。むしろ、民主党と一緒になって戦費に条件をつけてしまうと、議会共和党も一歩戦争に噛み込んでしまうという計算が、共和党をまとまらせた側面があるだろう。

そう考えると、一見下院とは矛盾する上院共和党の動きも説明が付きやすい。上院共和党のマコネル院内総務は、条件付きの補正予算に対して、フィリバスターを使った抵抗をしない方針を示唆した。民主党にはフィリバスターを破る60票はない。しかし、上院共和党は、敢えて過半数での補正予算の可決を許し、大統領に拒否権でこれを葬り去らせるというのだ。

今週予定される上院での採決では、共和党は撤退期日に関する部分を補正予算から外せるかも知れない。しかし、下院との内容の相違を調整する両院協議会では、下院が撤退期日を盛り込むよう求めるだろう。そうなれば、上院は大統領に下駄を預ける。

マコネル議員は、しょせん成立する見込みのない法案(民主党は拒否権を覆せない)に時間をかけるべきではないと主張する。「法律を大統領のところに送り、拒否権の問題を終えてしまうべきだ(Zeleny, Jeff, "Republicans to Rely on President Bush’s Veto to Block Troop Withdrawal Plan", New York Times, March 27, 2007)」

しかし同時に、拒否権で葬らせるという選択には、最後の刻印はあくまでも大統領に捺させるという意味がある。

結局のところ、補正予算に条件をつけるべきではないとう共和党の主張は、「責任は大統領が負うべきだ」という思いにつながる。上院で撤退期日部分を削除する修正条項を提案している共和党のコクラン議員は、イラクは究極的にはブッシュの戦争であり、共和党も民主党も介入すればリスクを負うと指摘する。「彼(大統領)と現地の司令官たちに勝利への道をみつけさせるべきだ(Murray et al, ibid)」という主張である。

共和党議員には、「われわれは大統領のために十分にまとまってきた。けれど、何の感謝もされない。多かれ少なかれ、共和党議員は感謝の念を持たない大統領を擁護するのにうんざりしている」という思いがあるという。こうしたなかで大統領は、来週からの議会休会を前に、共和党の下院議員をホワイトハウスに招き、民主党への抵抗を続けるよう激励する予定だ(Murray et al, ibid)。

いずれにしても、大統領は何らかの形で補正予算を獲得しなければならない。民主党との関係に関していえば、固い態度を取り続けていれば、互いに降りる場所を見失う。連邦検察官人事の問題も併せて、議会民主党と大統領の関係はチキン・ゲームの様相を呈し始めた。

しかし同時に、同じ2つの問題を契機に、大統領と議会共和党の関係も微妙な段階に差し掛かっていることは見逃せない。大統領にとって、真の脅威は共和党議員の決定的な離反なのである。

「携帯からでも…」などと大口を叩きましたが、全く駄目でした。お恥ずかしい限りです。今日もまだ全速力には復帰出来ていませんが、早く体制を立て直すよう精進致します。長い目でおつきあい下さい。

2007/03/22

What It Takes…エドワーズ・ウォッチ

エドワーズの記者会見が終わった。既に報道されていると思うが、夫人の癌は再発していた。しかも、病状はかなり進行していた。

エドワーズは、選挙戦からは撤退しないと宣言。さっそく資金集めを再開した。今年第1四半期の集金額は、ビッグ3であり続けるには、極めて重要だ。

良く知られているように、エドワーズはかつて長男の事故死という悲劇も経験している。夫人の病状を考えれば、エドワーズの選挙戦の将来は、不透明と言わざるを得ない。

大統領になるには、何が必要なのか。情緒的な感想で恐縮だが、朝から文字通り鳥肌が立ち続けている。

携帯からでも更新できるようなので、出来るだけ書き続けようと思います。もっとも、入手出来る情報が限られているので、あまり期待はできませんが…ごゆるりとお立ち寄り下さい。

ざわざわと...Three Things to Watch

米国政治には、ざわざわとした落ち着かなさが漂ってきた。週後半から来週にかけて、3つの動きに注目だ。

1.エドワーズ

足元で一番気になるのは、22日の正午に急遽開かれることになった、エドワーズの記者会見である(Nagourney, Adam, "Edwards and Wife Plan News Conference", New York Times, March 21, 2007)。

事前の報道によれば、良いニュースではないらしい。

会見にはエリザベス夫人が同席する。夫人は乳癌を患った経験がある。21日にエドワーズはアイオワでの遊説をキャンセルし、夫人の経過診察に付き添った。22日の会見が発表されたのは、その日の夜である。

エリザベス夫人の癌は、2004年の大統領選挙中に検査を受け、まさにケリーが敗北宣言をした当日に医師に罹病を告げられたという経緯がある。今回の選挙でエドワーズは、医師が夫人の病状にお墨付きを与えたので、出馬に踏み切っている。

これまでのところエドワーズは、イラク戦争批判やポピュリズム的な主張で、民主党ビッグ3の「左側」に位置している。縁起でもないが、仮に一時的にでもエドワーズが選挙戦から消えれば、「左」に大きな力の空白が生まれる。

そして、力の空白は政治がもっとも嫌う現象だ。既存の候補(オバマ?)が空白に浸食するのか。それとも、新顔(オゾン・マン?)が、空白に引き寄せられるのか。そういえば、ゴアの主張は、エドワーズに近い。ゴアは2000年の選挙でPeople vs. Powerfulの議論を展開したし、民主党の有力者では、イラク戦争への反対を明確にするのも早かった。

ともあれ、こんな空想が無駄になるような会見であること祈りたい。

2.イラク

来週は4月のイースター休会を前にした最後の週。必然的に、民主党議会のイラク戦争対策は山場を迎える。

23日には、下院本会議で補正予算の採決が予定されている。条件付きの戦費承認(コンディション)と、撤退スケジュール(マイルストーン)を含む法案だ。21日の時点では、民主党は可決に必要な票を集め切れていない。22日に予定されていた採決が一日遅らされたのは、こうした事情がある。

一方の上院でも、民主党は補正予算に撤退期日を書き込む方向で動き始めた。相変わらず共和党のフィリバスターを破る60票は集まっていないが、前回の決議案に反対した民主党議員のうち、ネルソン議員は賛成に回る模様(Murray, Shailagh, "Senate Democrats Float War Bill Similar to That in House", Washington Post, March 22, 2007)。もう一人のプライヤー議員も、週末に態度を決めると含みを持たせている。

採決の行方はどうであれ、議論の結果を持って議員は地元に帰る。政権も拒否権があるとはいえ、補正予算が必要なのも事実だ。どんな地元の声を吸い上げて、議員はワシントンに帰って来るのか。勝負はそれからだ。

3.連邦検察官問題

これまであまり触れる機会がなかったが、連邦検察官の人事を巡る政争が日に日に大きくなっている。

きっかけは、ブッシュ政権関係者が政治的な理由で、検察官人事に介入したという疑惑。共和党議員では、ニューメキシコのウィルソン下院議員やドメニチ上院議員が、電話等で圧力をかけたと名指しされているが、議会民主党には、ローブ補佐官等の政権関係者を議会に召喚しようとする動きがある。政権は、大統領特権を後ろ盾に、無条件の召喚には応じない構えだ(Weisman, Jonathan and Paul Kane, "House Panel Authorizes Subpoenas Of Officials", Washington Post, March 22, 2007)。

政権が抵抗するのは、「ローブを守るため」というような単純な理由からだけではない。ここには、もっと構造的な議会と政権の緊張関係が反映されている。政権の反応は、たとえ議会を民主党に支配されても、自らの「権力」は譲らないという意思表示なのである(Stolberg, Sherly Gay, "Bush’s Big-Picture Battle: Presidential Prerogatives", New York Times, March 22, 2007)。

三権分立が厳格な米国では、議会と行政府は常に微妙な力関係にある。特にブッシュ政権は、行政府の権限を強化しようとしてきた。チェイニー副大統領が主催したエネルギー政策立案に関するタスク・フォースでは、その情報公開の度合いを巡って、議会(会計検査院)と裁判で戦ったりもしている。

こうしたなかで、議会による召還・公聴会の威力は、民主党が中間選挙で勝利した時点から、政権の最大の脅威になるとみられていた。イラク戦争の議論に典型的なように、民主党は単独で法律を通すには票が足りない。しかし、公聴会で政権を叩くのは可能だ。実際に、最近の議会では、民主党が政権の行政運営を監視するような公聴会が盛んに開かれている。

議会関係者の召還は、こうした両者の緊張関係の「本丸」である。まして、からんでいるのが「三権」のもう一つ、司法である。ゴンザレス司法長官の辞任は秒読みとの見方も根強い。両者共にどこかで落とし所を探るとは思うが、この問題が長引けば、議会民主党と政権・共和党の関係は結果的に悪化する。

政治的なインプリケーションは、ひょっとするとイラク戦争と同じくらい大きいかもしれない。

と、落ち着かなさが立ち上ってきたところで恐縮ですが、4日ほど更新できない環境に置かれます。次の更新は27日(火)以降になります。どうかご容赦いただきまして、また戻ってきていただけたら幸いです。

2007/03/21

国境を越えて行こう!

企業の論理も、個人の論理も国境を超える。「国家」の枠で政策を考えるのは難しい時代だ。

企業の論理が時に国境を超えるのは、トヨタの事例を引くまでもない。

既に書いたように、トヨタはミシシッピに新工場の建設地を決めた。しかし、トヨタは、政治的な理由で建設地を決めたのではないと主張している。北米に工場を建設するのは、「需要があるから」。ミシシッピを選んだのも、州政府による優遇税制などの誘致策が理由ではなく、労働者や教育の質の高さ、物流関連のインフラの良さなどが決め手になったという。実際のところ、全米で25の州が工場誘致に興味を示したというが、ミシシッピ州は、トヨタが思ったほど誘致策を求めなかったので、部品工場の誘致に力を入れることができたそうだ。

3月14日の下院エネルギー・商業委員会の小委員会で開かれた公聴会では、トヨタがビッグ3や全米自動車労組と共に証人として出席し、燃費規制問題で共同戦線を貼るという光景がみられた(もっとも、トヨタと米側は微妙にニュアンスが違ったが)。かつての敵どころか、今のライバルでも、組むべきところは組む。そういう時代だ。

そうかと思えば、あのハリバートンがCEOをドバイに移すというニュースもあった。ハリバートンはブッシュ政権との近さが指摘されるだけに、早くも民主党は、政府調達関連の不正に関する調査や、米国の税金から逃れようとしているのではないかといった批判を繰り広げている(Krauss, Clifford, "Halliburton Office Move Is Criticized", New York Times, March 13, 2007)。

しかしこうした批判は的を射ているのだろうか?CATO研究所は、今回の決定はCEOの移動に過ぎず、同社は米国に法人税を納め続ける筈だと指摘している。それどころかCATO研究所は、米国の法人税の重さを考えれば、同社は海外の会社に生まれ変わった(expatriation)方が良いと主張する。政治家は、同社の行動を批判するよりも、米国の法人税制を見直し、米国企業が国際的に対等に戦えるように考えるべきだというのが、CATO研究所の立場だ(Mitchell, Daniel J., "Will Halliburton Escape America's Bad Tax System?", CATO@Liberty, March 12, 2007)。

企業だけでなく、個人の論理も、国の論理を離れる。それどころか、齟齬を来たすことさえあるというのが、貯蓄率の話である。

2月28日に下院予算委員会が、バーナンキFRB議長を証人に招き、米財政の長期的な課題に関する公聴会を開いた。バーナンキ議長は、中長期的な財政事情の悪化は、国の貯蓄率を低下させ、米国の将来的な生産能力の拡大を阻害すると警告した。これからの米国は、高齢化で労働力率が低下していくと見られている分、生産能力の拡大で補えなければ、次世代の生活水準が悪影響を受ける。

この公聴会の中で、家計部門の貯蓄率の低さに関する質問を行ったのが、共和党のCampbell議員である。国の貯蓄率は政府部門(財政)と、民間部門(家計・企業)の合計。米国はどちらの部門も貯蓄率が低い。

Campbell議員:家計の貯蓄が低いのは、米国民が持ち家や株のキャピタル・ゲインを資産と考え、その分、伝統的な『貯蓄』に力を入れていないのではないか。そうした判断があるのであれば、家計の貯蓄率の低さは問題とはいえないのではないか。

バーナンキ議長:広い意味では、家計の行動は合理的だ。しかし、国の経済という観点では、キャピタル・ゲインには生産設備などの投資に廻せないという問題がある(キャピタル・ゲインは貯蓄として計算されない)。

Campbell議員:ということは、家計の視点と国の視点にはズレがある。家計にとって好ましい方策は、国にとっては害になる。どうやって両立させるのか?

なかなか鋭い。ちなみに、バーナンキ議長の回答は、「議会の役目は、政府部門=国の財政赤字を減らすこと」というものだった。答えているような、いないような。

ちなみにCampbell議員は、米国公認会計士の資格をもち、税制にも詳しい。ホームページによれば、議員になる前は、「自動車メーカーのフランチャイズを代表する」仕事をしていたという。

代表してきたメーカーがまた素晴らしい。

ニッサン、マツダ、フォード、サターン、サーブ。

うーん、確かに国境を越えている。

2007/03/20

ジュリアーニの謎…Revolutions…レーガンを探して

ジュリアーニは保守派に受け入れられるのか。その答を知るカギは、保守派が求める理想の候補者像は誰なのか、という問い掛けにある。簡単そうで、難しいもう一つの謎だ。

なぜ簡単そうに見えるのか。答は一つしかないからだ。もちろんロナルド・レーガン元大統領である。

Hands down. No question about it.

3月1~3日に開催された保守派の集まりCPACの総会では、会員を対象にした世論調査の結果が発表された。質問の一つが、「レーガンの共和党員と自称する候補者と、ブッシュの共和党員を自負する候補者のどちらを支持するか?」だった。結果は圧倒的。79%がレーガンを選び、ブッシュは3%である。

ブッシュはたったの3%だ。現職の大統領なのに。

それでは、ジュリアーニの課題は、どこまでレーガン的になれるかにかかっているのだろうか。

CPACでのジュリアーニの受けは今一つだった。同じ調査では、08年の候補に誰を選ぶかという問いもあった。もっとも支持を集めたのはロムニーの21%。ジュリアーニは17%で2番手に甘んじた。

もっとも、ロムニーの勝利は、学生の支持者を動員した結果。ジュリアーニにすれば、組織も動いていないにしては、上出来との声もある(Fund, John, "Searching for Mr. Right", Opinion Journal, March 5, 2007)。但し、最大のライバルであるマッケインは、CPACとの関係が悪く、総会に出席すらしていなかったのだが…

むしろ評判が悪かったのは、ジュリアーニの演説だ。ジュリアーニは保守派が疑念を持つ社会政策の話題を避け、ごく普通の選挙演説を行なった。いわゆるRed Meatのない内容には、「本気で大統領になりたがっているとは思えない。大統領選挙は長い付き合いのようなものだが、最初の知り合う段階を過ぎても、有権者がジュリアーニとデートしたいと思うだろうか」などと評されている(Marcus , Ruth, "Can Rudy Get Past the First Date?", Washington Post, March 7, 2007)。

レーガンの魔力は、ジュリアーニも理解している。CPACでは、ジュリアーニも犯罪、福祉、税金を減らしたという点で、レーガンを意識した演説を行ったという。一方のロムニーも、減税と小さな政府で応酬した。

さらにジュリアーニは、社会政策での保守派との意見の違いも、レーガンを引用してかわそうとした。曰く、「かつてレーガンは『80%の場合に私の味方であれば、20%は敵だというわけではない』と述べた。つまり、われわれはすべてのことで意見が完全に一致するわけではない。私とあなた方は多くの信念を共有している。一方で、異なった信念もいくらかは持っているということだ(Nagourney, Adam, "Republican Hopefuls Seek Advantage on Social Issues", New York Times, March 3, 2007)」。

しかし問題はそう単純ではない。明らかそうで明らかでない疑問があるからだ。

レーガン的とはどういうことなのか?

考えてみて欲しい。果たしてレーガンの治世は保守主義の理想の時代だっただろうか。確かにレーガンは1981年に大型の減税を行った。しかし翌82年には増税も断行している。小さな政府というが、軍備増強に走ったために、財政赤字は大きく拡大した。移民対策でも、現在保守派が反対している「恩赦」に似た対応をしたのがレーガンだった。さらに肝心の社会政策でも、穏健派のオコナーを最高裁に指名したのはレーガンではなかったか。

これに比べれば、ブッシュ政権は立派である。財政政策では、ブッシュ政権は一貫して減税重視。どんなに攻撃されても、正面から増税を取り上げたりはしない(最近では裏口からの増税は否定しないが)。財政赤字も一時は拡大したが、足元ではずいぶん落ち着いてきた。最高裁判事も、マイヤーズ問題という失点こそあれ、結局はオコナー判事の後任に保守派のアリートを据えた。

何が両者の違いなのか。

外交評議会のPeter Beinartは、冷戦の崩壊をその理由にあげる。レーガン時代には、ソ連への対抗という理念が、保守派のレーガンへの評価を甘くした。ブッシュ政権でも、9-11直後にテロとの戦いが幅広い支持を集めていた時期には、保守派もブッシュ政権を支持していた。ところが、イラク戦争の泥沼化に連れて、保守派はこうした「強気の外交」を支持していられなくなった(Beinart, Peter, "Searching for Another Reagan", The Time, March 9, 2007 )。

そうであるならば、マッケインにもジュリアーニにも良いニュースではない。どちらも「強いリーダーシップ」を拠り所にしているからだ。

自分が注目するのは、ブッシュ政権や議会共和党の政府を運営する能力への疑問である。ハリケーン・カトリーナが一つの大きなきっかっけだが、そのほかにも、マイヤーズの最高裁指名、議会スタッフに対する猥褻メール事件、リビーの裁判、さらに最近では、連邦検察官の人事への介入、陸軍病院の管理運営…イラク戦争が典型だが、「理念はともかく結果が伴っていない」ことが、保守派の幻滅を招いているのではないか。昨年の中間選挙で数々のスキャンダルが論点になったことにしても、共和党が保守的な考えを持っているかが問われたのではなく、その実践の仕方、すなわち「法と秩序」を尊重しなかった点が汚点になった(Tumulty, Karen, "How the Right Went Wrong", The Time, March 15, 2007)。

外交の問題についても、政策運営能力につながる側面がある。結局のところ、レーガンは軍隊を使わずに、冷戦を勝利に導いた。イラク戦争は、米軍の犠牲者を出しながら泥沼状態だ。

何しろ共和党は去年まで大統領と議会を完全に制覇していた。にもかかわらず、なぜ保守のアジェンダが進まなかったのか。そんな幻滅があってもおかしくはない。

もっとも、ポール・クル―グマンは、いわば逆方向から、政策運営能力に焦点を当てる。彼に言わせれば、レーガンの評価が高いのは、議会を民主党に支配されていたために、保守の政策を貫徹出来なかったからだ。金持ち・大企業・宗教右派のこと以外に興味がない保守運動の政策こそが問題であり、ブッシュはそれを最大限に実践してしまったから、失敗したのだという(Krugman, Paul, "Don’t Cry for Reagan", New York Times, March 19, 2007)。

いやはや。

アーカンソーのハッカビー前州知事は、今年のCPACの雰囲気をこう表現したという。

"Dude, Where’s My Candidate?"

果たして保守派はどういう基準で候補者を選ぶのだろうか。保守派はレーガン的な候補者を探しているというよりも、どんな候補者を探せばいいのかに困惑しているようにすら感じられる。

2007/03/19

しかしクリントン政権の出身者というのは...

かんべえさんが都知事選第5の候補者をとりあげている以上、自分も第5(だが第10だか)の候補をとりあげよう。

ニュー・メキシコ州のリチャードソン知事が、ボロ・タイ(ループ・タイ)を、同州のオフィシャルなネック・ウェアに指定する法案にサインした。

「だから何だ」という話だが、08年の大統領選挙と重ねて報じられてしまうのが、出遅れ感が強いリチャードソンの現状である。Washington Postは、リチャードソンにE-mailで、「ボロ・タイに肩入れして、サンベルトの有権者に気に入られようとしているのか?」と尋ねたという(Akers, Mary Ann, ”Richardson's Secret Weapon: The Bolo Tie”, Washington Post, March 14, 2007)。

リチャードソンの回答はこうだ。

"Absolutely. Hey, I'm at 4%, I need all the help I can get"

いい人そうじゃないか。

リチャードソンが、2008年の大統領選挙を狙う民主党側の候補者の一人なのは周知の事実だ(よね?)。履歴書は申し分ない。クリントン政権でエネルギー長官と国連大使を歴任、北朝鮮にもパイプがあるなど、外交経験は豊富。州知事として実務経験も積んだ。伝統的に、米国では大統領への近道は上院議員ではなく州知事だ。しかもリチャードソンは、人口急増で票田として注目の集まるヒスパニックである。

ところが本人も認めるように、支持率は伸びていない。現在の民主党のフィールドは、ビッグ3(ヒラリー、オバマ、エドワーズ)につきる。付け入る隙があるのはオゾン・マンくらい。リチャードソンを含めた「その他大勢」は、陽の目を浴びるチャンスを待って、ひたすら選挙戦にしがみついていくしかない。

それにしても、リチャードソンはもったいない人材のように思える。副大統領を含めて、今後どこで表舞台に登場するかわからない。地元のAlbuquerque Journalは、政治家としての生い立ちを追った長文シリーズを掲載している。一度読んでみる価値はありそうだ。

ところで、リチャードソンの弱みといわれるのが、「さわりたがり」なところだという。とくに女性に対する行動が、時に問題になるらしい(Smith, Ben, “Richardson Defense Raises Questions”, Politico.com, March 8, 2007)。

こういう候補が伸びてくると、なかなかレポートに書きにくいなあ...

2007/03/18

じりじりと状況は動いている

3月15日に、上院は民主党が提案したイラクに関する決議案(S.J.Res. 9)を否決した。2008年3月31日までに米兵を撤退させるという内容。賛成48票、反対50票だった。

一見すると過半数をとれなかったのだから、民主党指導部にとっての敗北にみえる。しかし、内実は両党ともにもっと緊迫している。

重要なのは投票自体が行われたという点だ。下院が増派反対決議を採択した際には、上院は投票にすら進めなかった。共和党が投票に応じる条件に、「軍隊に必要な戦費は削らない」というグレッグ上院議員提案の決議を同時に採択するよう求め、民主党がこれを拒否したというのが表向きの理由だった。

ところが今回は、民主党がグレッグ決議案(S.Con.Res. 20)の採決に同意したことで、民主党側の決議案も採決に持ち込まれた。

これはどちらの譲歩なのか。

たしかに民主党は、戦費の議論に駒を進めにくくなるような、グレッグ決議案の採択に同意した。同決議案は82-16の圧倒的多数で可決されている。

しかし下院と違い、上院民主党はそもそも補正予算自体に条件をつけるつもりはない。実際に、オバマ上院議員にいわせれば、いずれにしてもブッシュ大統領は増派を強行するというのが上院民主党の理解だ。そうであれば、「結局苦しむのは米兵だ」(Distaso, John, “Obama: NH won't be hurt by primary plan”, New Hampshire Union Leader, March 14, 2007)。

むしろ、民主党の狙いはとにかく投票を行い、共和党議員に圧力をかけること。上下両院が別の方向を向いており、いずれにしても大統領が増派に踏み切るのであれば、決議案が採択されようと否決されようと大きな違いはない。

ただし問題は反戦派との関係。増派を止められない民主党の現状に、かなり不満は高まってきているはずだ。

厳しいのは共和党も同様だ。ここまでは「妨害戦術」で上手くやってきた。しかし共和党も、妨害だけでは持たなくなってきている。だからこそ、今回は投票に応じたのだろう。

現時点では共和党内に分裂の兆しはみられない。民主党の決議案に賛成した共和党上院議員は、オレゴンのスミス議員だけだ。むしろ民主党側からは、ネブラスカのジョンソン議員とアーカンソーのプライヤー議員、いうまでもないがリーバーマン議員が反対に回った。

それでも、2年後に再選を控えた共和党議員の中には、「政権のイラク政策には反対だ」とする議員もいる。今回の決議に反対したのは、「民主党のタイム・テーブルが非現実的だから(メインのコリンズ議員)」(Toner, Robin and Jeff Zeleny, “Senate Rejects Measure for Iraq Pullout”, New York Times, March 15, 2007)。こうした議員にとっては、記録の残る投票が繰り返されるのは辛い。

4月のイースター休暇で議員は地元に戻る。どんな声を吸い上げてワシントンに戻ってくるのか。それが再開後の議会の風向きを左右する。

ところで、上院議員は100人。民主党の決議案に投票していない議員が2人いる。一人は長期病欠中のジョンソン議員。もう一人は、アイオワで遊説中のマッケイン議員である。

さすが一匹狼。ここまで来ると徹底している。

伊達にMarch Madnessはやっていない(しつこい)。

2007/03/17

Like soldiers in the winter's night...

「政治と音楽」のテーマはもっと大事に使うつもりだったが仕方がない。

Tom DeLayが本を出したらしい。ディレイといえば、1994年のギングリッチ革命の立役者の一人で、その後の下院の共和党支配を支えてきた大物議員。The Hammerと呼ばれ、強引な手法やロビイストの利用の仕方には、賛否両論(というかほとんどは批判...)があるが、彼なくして共和党時代はありえなかっただろう。

本の内容は結構辛辣だという。同じくギングリッチ革命を支えたギングリッチやアーミー、さらにはギングリッチ失脚後にディレイ自らが後釜の下院議長に据えたハスタートまで、ぶった切りまくっているようだ(Novak, Robert, "Time to turn Newt leaf? Ex-ally says no", Chicago Sun Times, March 15, 2007)。もちろん、最後にはブッシュ大統領批判も忘れていない。

思えば、ディレイもギングリッチもアーミーももはや議会にはいない。ハスタートも下院議長の座を奪われた。保守の混迷もむべなるかな。時代は確実に動いている。

とまあ、中身はさておき、問題はタイトルだ。

"No Retreat, No Surrender"

おいおい、スプリングスティーンかよ。

ブルース・スプリングスティーンがリベラル・反戦派の意見なのは、今ではすっかり有名だ。何せ、2004年の大統領選挙では、ケリーの遊説に同行までして、ウィスコンシンとオハイオに出かけている。パフォーマンスもした。もちろん、ケリーのテーマ曲だったNo Surrenderだ。

どうしたわけか、共和党の政治家はスプリングスティーンを使いたがる。あのジョージ・ウィルでさえ、「スプリングスティーンこそ米国の価値観」みたいなことを書いている("A Yankee Doodle Springsteen", New York Daily News, September 13, 1984)。また、レーガンが84年の選挙でスプリングスティーンを引用したのは有名な話だ。1984年9月のニュージャージーでのコメントである。

"America's future rests in a thousand dreams inside your hearts; it rests in the message of hope in songs so many young Americans admire: New Jersey's own Bruce Springsteen. And helping you make those dreams come true is what this job of mine is all about."

しかし、当のスプリングスティーンは、1980年にレーガンが当選した翌日のコンサートで、既にこう発言していたのである(1980年11月5日、Arizona State University Activities Centerにて。Cross, Charles R., "Backstreets", Harmony Books, 1989)。

"I don't know what you guys think about what happened last night, but I think it's pretty frightening."

もっとも、例外的な事件を除き、スプリングスティーンはその政治的な立場をいつも明確にしてきたわけではない。むしろ、積極的な政治活動とは対極にあったという方が正確だ。しかし、9-11やイラク戦争の頃からは、ステージでも(短いが)政治的な発言を行うようになり、一時は封印していたBorn In the U.S.A(ベトナム帰還兵の苦悩を歌った歌だと思う)もショーの定番に復帰した。

共和党の方々の行動は単なる「勘違い」だが、この辺の経緯はより深い問いかけを含んでいる。

ちょうど3月13日のNew York TimesのウェブサイトにあるBlogで、作曲家のMicahel Gordonが問いかけている("What if I Like Your Politics bud Don't Like Your Art?", 有料のTimes Selectでないとみられないかもしれません)。

If I don’t like your politics can I still like your art?

音楽家にとって、自分の政治的な立場やメッセージと、自分の作品との折り合い・距離感をどう取るかは難しい問いかけだ。ゴードンは(おそらくかつてのスプリングスティーンと同様に)、政治と作品は別物であるべきだと考えているようだ。

さらに興味深いのが、ゴードンがこうした疑問をもちながら作り上げた作品が、9-11に関するものである点である。グラウンド・ゼロの近くに住んでいたゴードンは、試行錯誤の上、個人的な意味合いを含めたメモリアルとして、"The Sad Park"という作品を作り上げたという。

スプリングスティーンにとっても転機となったのは9-11だった。ニュージャージーを地元にするスプリングスティーンは、ハドソン川の反対側から、マンハッタンから立ち上る煙を目撃した。その後に発表された"The Rising"は、9-11にインスパイアされたアルバム。そして、2004年選挙でのカミング・アウトに至る。

スプリングスティーンが政治的な立場を明確にし始めたことは、ファンの間でも大きな議論になった。自分が参加していたファンのウェブ・サイトも喧々諤々。一般的にヨーロッパのファンは好意的だったが、いわゆる米国の「保守的な地域」には相当な戸惑いがあったようだ。

レベルは全く違うが、米国の分析を仕事にする自分も、似たような「問いかけ」が常に頭の中のどこかにある。

自分の政治や立場は、オーディエンスに的確な分析を届ける妨げになっていないか?

的確な分析をするには、中立的な視点が必要だ。だからこそ、自分の意見の有り所には敏感になり、分析過程やアウトプットへの侵食には神経質にならなければならない。基本的にはこう考えている。

しかし、9-11後の世界では、そうした割り切りは時に難しい。9-11を現地で体験した自分としても、二人の音楽家の試行錯誤には大いに考えさせられる。

だから共和党の諸君、安易に次の選挙でBorn in the U.S.A.をテーマ曲にしないように!!

2007/03/16

bits and pieces...

お陰様でエントリーも30件になりました。ここまで沢山の方々にご覧頂けるとは、嬉しい驚きです。有り難うございます。これからもよろしくお願いします。

さて、この辺りでいくつかフォローアップを。

1.右翼の巨大な陰謀

...は健在だそうだ。

この有名な言葉を生み出した本人が言っているのだから間違いない(Cillizza, Chris, "The Vast Conspiracy Rides Again", Washington Post, March 14, 2007)。

ヒラリーがその証拠として取り上げたのは、2002年の選挙で、民主党の動員活動を妨害するために、共和党陣営が大量の電話をかけて通信を混乱させたというニューハンプシャーでの事件。ヒラリーの狙いは、夫の時代から「陰謀」に立ち向かってきたと強調し、タフさをアピールすることだろう。

一方で、この有名なフレーズを使い過ぎれば、クリントン時代のスキャンダルまで思い出されてしまうという警告もある。

つくづく取り扱いの難しい旦那である。

2.チェイニーは何処へ

影響力低下が言われるなかで、それでもまずないだろうと言われているのが本人の辞任だ。

理由はいろいろだ。ブッシュは、余計な雑音を避けるために政治的野心の無い人物を選んだのに、08年が近付くこのタイミングで新顔を投入すれば、自分が完全に喰われてしまう(Duffy, Michael, "Cheney In Twilight", Time, March 8, 2007)。チェイニーは国に人生を捧げてきた人間であり、国民による選挙で与えられた仕事を途中で投げ出すなんて考えられない。チェイニーは、共和党の熱心な支持者にはまだまだ人気がある。今やこうした支持者こそが、ブッシュ政権の生命線だ(DeFrank, Thomas, "Veep rumors hogwash", New York Daily News, March 13th 2007)。

こんな指摘もある。チェイニーの行動原理の中核にあるのは、ブッシュへの絶大な忠誠心。だから、意見が通らない位で辞めたりしない。辞めるのは、それがブッシュに必要な時だけ(Hoagland, Jim, "'What Has Happened to Dick Cheney?'", Washington Post, March 8, 2007)。

実は過去にチェイニーはブッシュに辞任を申し入れたことがあったらしい。時は2004年の初め。再選を目指す選挙が本格化する頃だ。健康が理由かと聞かれ、自分は大統領にとって重荷になっているから、と説明したそうだ(DeFrank, ibid)。

ダースベイダーのように見えても、チェイニーだって人間だ(それを言ったらダースベイダーだって人間か)。支える何かがなければ、続けられる仕事ではない。

3.March Madness!

もう始まっています。

議会への影響(?)については、CQ Politicsが独走状態(Greg Giroux, "Madness Continues: Which House Members’ Alma Maters Are in NCAA Hunt?", CQ Politics, March 15, 2007)。今度は、何処の大学の出身者が多いかを分析している。やはりワシントン周辺が多いようで、ジョージタウン大学が19人、バージニア大学が14人、ジョージ・ワシントン大学が13人というのがベスト3だそうだ。

ところで、マッケインのサイトへの応募は済みましたか?

bracket作りに悩んだ時には、ここに「この政治家ならこう決める」というガイド(?)がある。正直良く分からないのも多いが、取り敢えずオバマ風には笑った。

The Barack Obama method: Pick every team to win every game. When told you can't do that, smile and mention Jesus.

マッケインのbracketは、とても保守的なチョイスらしい。番狂わせは付き物なので、絶対勝てない手札だと評されている。もっとも、全米から参加した支持者を怒らせないために、わざと順当で、間違っても自分が勝ったりしない組み合わせを選んだ、なんていうフォローもされているが(Reed, Bruce, "McCain Madness", Slate, March 14, 2007)。

しかし、皆さん好きですね。何とか政治ネタにかこつけて、結局は自分の読みを披瀝しちゃうところが微笑ましいというか…

2007/03/15

March Madness !

堅い話題の連投だったので少々軽めに。

3月11日の日曜日は、いわゆるSelection Sundayだった。全米大学バスケットボール大会の出場・組み合わせの発表である。在米経験のある方はご存じだと思うが、この大会を巡る盛り上がりは尋常ではない。

何せMarch Maddnessである。この話題で盛り上がれるかどうかで、近所付き合いや職場での住み心地が変わるといっても過言ではないのだ。

そして、尋常でないものを放って置けないのが、米国の政治である。

早速議会情報の専門サイトでは、どの下院議員の地元に出場校があるかを一覧にして分析している(Giroux, Greg, "CQPolitics Study Shows Which Lawmakers Will Be Most Partisan — in NCAA Tourney", CQ Politics, March 12, 2007)。出場校は65、議員は435だから、議員によって運・不運はある。なかには地元から複数の出場校を出している議員も5人いる。デュークとノースカロライナ大チャペルヒルの両名門を持つ議員なんていうのもありなのだ。議員の間では、地元校同士の対戦をネタに、名産品をかけたりして盛り上がるらしい。

しかし、良くここまで調べたものだ。選挙区別に見ると、民主党(37)の方が共和党(23)よりも多いそうだ。理由は、大学の多くが都市部にあり、都市部はリベラルだからだと分析している。って、分析するなよ。

もちろん大統領選挙だって放ってはおかない。マッケインのホームページをご覧下さい。ここでは、自分でbrcketを作って、マッケインのそれと比較できる。bracketというのは、トーナメント表を使った勝ち負けの予想。全米の職場で盛り上がるのはまさにこれ。

まあ、何に使うかは、御想像にお任せします。

マッケインのホームページでは、的中率が高かった応募者に、2008キャンペーンのマッケイン・グッズをプレゼントしている。一等はマッケイン・フリース、二等はマッケイン・ハット。

素敵だ。

我こそはと思う方は如何だろう。bracket等の情報はここにある。選挙権がなくても参加できるかどうかは、今一つ自信がないが、マッケインの読みは是非知りたいところだ。

そういえば、最近の米国の選挙では、データ・マイニングの手法を使って、「ボルボに乗る人は民主党寄り」みたいな情報から、潜在的な支持者を割り出して選挙運動に活用している。

あなたの作ったbracketも、立派な選挙戦の情報になるのかもしれませんよ。

2007/03/14

エコノミー症候群は大丈夫?

今更なのか、今だからなのか。

ブッシュ大統領は中南米5ヵ国の歴訪を終えた。今回の歴訪も一連の「方針転換」の一つとして捉えられている。

訪問の狙いは、「米国=ブッシュ政権への幻滅」に応えることだ。ブッシュ大統領は、メキシコと国境を接するテキサス州の知事を務めていた経緯があり、「スペイン語が分かる大統領」として、中南米諸国との関係強化を謳っていた。しかし9-11後の米国には、中南米に関与する余地は小さかった(Lapper, Richard, "Why Bush’s Latin overtures may fall on deaf ears", Financial Times, March 7, 2007)。結果的に中南米諸国は、冷戦時代のように、米国の「当然の支配下」として軽視されるようになってしまった(Rohter, Larry, "Bush to Set Out Shift in Agenda on Latin Trip", New York Times, March 6, 2007)。

こうしたなかで中南米地域では、米国の存在感の低下が伝えられるようになった。二つの要素がある。第一は、ふんだんなオイルマネーを背景にした、ベネズエラのチャべス大統領の台頭。第二に、新たな市場として力をつけてきたアジア諸国、なかでも中国の存在だ(Smith, Geri, "What Can Bush Bring Latin America?", Business Week, March 7, 2007)。

今回の訪問が「転換」として位置付けられているのには、2つの理由がある。第一は、同地域への米国のコミットメントを改めて印象づけようとしたこと。3月8日からスタートした一週間に亘る歴訪は、ブッシュ大統領としては最長である。

第二は、中南米政策のメニューに、貧困対策を挙げたこと。これまでのブッシュ政権の中南米政策は、FTAを中心とした自由貿易の推進と麻薬対策、そして国境管理が全て。貧困は国際貿易が盛んになれば自然に解決されるというのが、政権の立場だった。しかし実際には、グローバリゼーションには負の側面があり、その恩恵が広く行き渡るには時間が必要である。

ブッシュ政権らしいのは、そのギャップを懸念する理由が、中南米諸国の民主主義に悪影響を与えるという点にあることだ。「市場経済やグローバリゼーションの果実が広く行き渡らなければ、(チャべスの台頭に明らかなように)貧困がポピュリズムに利用され、民主主義が損なわれる」という訳だ(McCkinnon, John D., "Bush Courts Latin America's Poor", Wall Street Journal, March 12, 2007)。

こうした方針転換は、一連の「現実主義」への傾斜の一貫に数えられる。しかし、タイミングは遅すぎたかもしれない。既にブッシュ政権や米国の力は損なわれてしまっている側面がある。

第一に、貧困対策といっても、米国は対外援助を増やせる環境にない。ブッシュ政権は財政赤字の削減を進めており、中南米地域への援助も減らされる方向にある。ブッシュ政権は、海軍の医療船を巡回させて、11ヵ国で医療サービスを提供するという。しかし、ベネズエラは地域の貧困者の医療対策にもっと熱心だ(Lapper, ibid)。

第二に、市場の力を発揮仕切れない。民主党議会の誕生によって、同地域とのFTAの推進も容易ではなくなった。貿易促進権限(TPA)の失効も秒読みだ。また、目玉の一つであるブラジルとのエタノール開発協力でも、肝心の米国市場を開けない。米国はエタノールに54%の高関税をかけている。関税の引き下げには、原料であるトウモロコシ農家の反発が強く、米国は議題にすら上げていない。

そうこうしているうちに、中南米諸国は別の市場に向い始めている。筆頭は中国を代表とするアジア市場。EUも中南米との関係強化に熱心だ。ブラジルにしても、国内のエタノール事情が逼迫しており、中南米諸国に生産技術を輸出できれば良いという判断もあるようだ(Andrews, Edmund L., and Larry Rohter, "U.S. and Brazil Seek to Promote Ethanol in West", New York Times, March 3, 2007)。

米外交の現実路線への傾斜は中南米に限らない。3月6日のNew York Times紙には、中南米政策の記事と並んで、ロシア政策の変化も取り上げられている(Shanker, Thom and Helene Cooper, "U.S. Moves to Soothe Growing Russian Resentment", New York Times, March 6, 2007)。

ロシアでは、ブッシュ政権が両国関係をおろそかにしてきたという不満がある。その現れが、2月10日のミュンヘンでのプーチン演説である。そこでブッシュ政権は、外交上の問題でロシアとの事前調整をしっ
かり行なうよう方針を転換したという。

しかし、こちらもタイミングは芳しくない。エネルギー価格の高騰で、ロシアは久し振りに自信を取り戻している。中南米と同じように、ロシアも市場としてはアジアを見ており、米国との関係改善には、さほど興味がないともいわれる。

David Brooksは、ブッシュ政権が自由な思考を取り戻せたのは、政権の力が衰えてきたからだという(Brooks, Dabid, "Yes, Those Were the Days", New York Times, March 7, 2007)。政権の統率は失われたが、会話と控えめさが戻ってきた。壮大な偉業に取り組むという意気込みや熱気が去った代わりに、政策を実行に移す前に現実的なプランニングが行われるようになった。ポールソン、ボルテン、ゲーツなど、政権内で実力者が存在感を増してきた。

もう少し前に、まだ力がある間に変わっていれば…というのは無理な相談なのかもしれない。

2007/03/13

チェイニーの黄昏

チェイニー副大統領の影響力低下が盛んに議論されている。北朝鮮との合意、イラク問題でのイラン・シリアとの直接対話など、チェイニーが主導してきた強硬路線からは考え難い展開が続いたからだ。

大統領の信頼を失ったとか、そんな次元の問題ではない。鍵は意思決定プロセスへの影響力にある。そもそもブッシュ大統領は、最終的な意思決定の段階では、必ずしもチェイニーの意見を聞かなかった(Hoagland, Jim, "What Has Happened to Dick Cheney?", Washington Post, March 8, 2007)。しかし、どのような情報とアドバイスが大統領に上がるのか。そこを押さえていたのがチェイニーだった。チェイニーは時に諜報分野の一次情報にまで目を通し、ホワイトハウスの情報の流れを把握していたという。大統領は自分で決定を下しているつもりでも、既にラインは引かれていたのである。

しかし、チェイニーのプロセスへの影響力にも、陰りが見える。外交ではライス国務長官、内政ではボルテン補佐官の存在が大きくなっている(Duffy, Michael, "Cheney's Fall From Grace", Time, March 8, 2007)。諜報の分野では、かつてCIA長官も務めたゲーツ国防長官が、ラムスフェルド前長官時代に悪化した、国防総省と諜報コミュニティーの関係改善に動いている(Shanker, Thom and Mark Mazzetti, "New Defense Chief Eases Relations Rumsfeld Bruised", New York Times, March 12, 2007)。

顕著なのは、外交分野の動きだ。ライス長官は、今年1月の時点で、大統領に最後の2年は北朝鮮、イラン、中東和平の外交的解決に重点を置くべきだと進言していたようだ(Hoagland, ibid)。特に北朝鮮問題では、ベルリンから大統領に直接電話を入れ、方針転換への合意を取り付けた(Cooper, Helene, "In U.S. Overtures to Foes, Signs of New Pragmatism", New York Times, March 1, 2007)。まさに、チェイニーが掌握していたプロセスへの介入である。一方イランについては、1年ほど前に大統領を、「核開発を中止すれば対話に応じる」という方針に転じさせていたのが大きい。イランは核開発を中断しなかったが、その後の布石になった(Heilemann, John, "Condi on Top", New Yorker, March 5, 2007)。

なぜパワーバランスが変わったのか。

単純な見方は、チェイニーの権威の低下である。先頃有罪判決が下ったリビー補佐官の裁判が、副大統領の威信を傷付けたのは確かである。Time誌は、今や副大統領は民主党にとって「最大の政治的資産」であり、その状況を変えるのは不可能に近いとまで評している(Duffy, ibid)。

同時に、「現実路線」の必要性が、政権内に徐々に浸透していったらしいことも見逃せない。ブッシュ政権では、「原則重視」が鉄則であり、路線変更はタブーだった。しかし、国内における中間選挙での敗北、海外でのイラク戦争の泥沼化によって、政権が打開策を求められる環境が内外で発生した。加えて、政権が終盤に差し掛かり、レガシーが気になり始めたのも現実直視への転換を後押しした。何か劇的な事件をきっかけにしているというよりは、時間をかけた変化のプロセスがあったようだ(Cooper, ibid)。

もっとも、現実路線への転向がどこまで本物なのかという点については、半信半疑な見方もある。実際にブッシュ大統領は、イラク戦争では「現実派」の象徴であるイラク研究グループの提言をそのまま受け入れるのではなく、増派の道を選んだ。

ただし、ライス長官は強硬な立場を戦略的に利用してきたとも言われる。北朝鮮やイランでは、交渉に応ずる直前までは、ライス長官も強硬路線に同調していた。その背景には、2つの計算があったといわれる。第一に、国内向けには、「ライス長官は弱腰だ」という批判への防波堤になる。第二に、相手国には、「米国の政策が変わったのか」という関心を抱かせられる。強硬姿勢を変化させる可能性を、交渉現場でのレバレッジに使えるというわけだ。またライス長官は、大統領を意に沿わない路線変更に追い込まないように気をつかうことも忘れていないといわれる(Cooper, ibid)。

むしろ見逃せないのは、現実路線に転じたからといって、政権が目に見える成果を得られるとは限らないという事実である(Heilemann, ibid)。事態の進展が芳しくなければ、副大統領の逆襲が始まるという見方もある(Cooper, ibid)。

いずれにしても、米国の外交政策の方向性は、政権内のパワー・ポリティクスに左右される側面が強いようだ。

多くの場合、ブッシュ政権の政策変更は、クリントン政権が最後にたどり着いた場所に回帰しているようにみえる。思えば、ブッシュ政権の外交政策は、「クリントンでなければ何でも良い(Anything But Clinton)」で始まった。

政権の残り任期もあと2年弱。果たして、2年後にも同じ「断絶」が繰り返されるのだろうか。

2007/03/12

小さなことからコツコツと

混乱していたのは自分だけではないらしい。イラク増派に関する民主党の対案だ。

Washington Times紙によれば、民主党内の賛成派も反対派も、対案の内容説明には戸惑ったらしい。実際は2008年8月の撤退期限を、1980年と言い間違えてみたり、2007年といってみたり。ブッシュ大統領と一緒に中南米を歴訪している政権スタッフに、「民主党のポジションがどんどん変わるので、毎時間ワシントンに問い合わせなければならない」と揶揄される始末だ(Bellantoni, Christina, "Party Baffled by Its Own War Plan?", Washington Times, March 9, 2007) 。

もっとも、対案の内容が最後まで流動的だったのは、少しでも可決の可能性を高めようとした、民主党指導部の努力の裏返しである。繰り返し取り上げているように、民主党の対案は、コンディションとマイルストーンの二本立て。このうちコンディションは、条件付きながら補正予算を認める余地を残して、党内の慎重派を納得させようとした。マイルストーンでは、撤退期日を明示して、党内の反戦派を引き込もうとした(Weisman, Jonathan, "Securing Iraq Votes, One at a Time", Washington Post, March 11, 2007)。それでも不満の強い反戦派を懐柔するために、最終の撤退期限は、当初の案から4ヶ月前倒されている(Rogers, David, "Pelosi Unveils Iraq Spending Bill, Seeks to Span Democratic Divide", Wall Street Journal, March 9, 2007)。

対案の発表に至るまでの党内調整や、その後の支持固めは、かなり切ないプロセスであるらしい。支持の取りまとめにあたるオビー下院歳入委員会委員長などは、反戦派の活動家を厳しく叱責する場面を報道されてしまった(Layton, Lyndsey and Michael D. Shear, "A Reality Show That Obey Would Rather Forget", Washington Post, March 10, 2007)。

"You can't end the war if you're going against the supplemental. It's time these idiot liberals understood that!"

"That bill ends the war! If that isn't good enough for you, you're smoking something illegal. You've got your facts screwed up. We can't get the votes! Do you see a magic wand in my pocket? We don't have the votes for it. We do have the votes if you guys quit screwing it up."

あわわわわ。

それでも民主党は、一票ずつ賛成票を積み上げて行くつもりのようだ。指導部は、懐疑的な議員の意向を一人ひとり聴取して、イラク撤退後の再派兵を阻止する条項や、イランへの侵攻を制限する条項を書き加えた。それぞれが一票である(Weisman, Ibid)。また、対案が盛り込まれる補正予算には、軍隊の装備を充実させるための費用が上積みされ、農村対策やハリケーンカトリーナの復興費用、さらには、最低賃金の引き上げまでもが、組み込まれた(Rogers, Ibid)。

民主党の厳しさは、簡単な計算をするだけで一目瞭然だ。下院民主党の議席数は233。過半数は218だ。共和党が一致団結して反対すると考えれば、離反者は15人までしか許されない。確実に計算できるのは180人。200人までは支持を伸ばしたとはいうが、残りの約20票を何処から調達するか(Weisman, ibid)。

仮に下院を通過出来たとしても、上院がある。そもそも下院と上院では、対案の内容が全く違う。計算も厳しい。上院民主党の議席数は独立系を含めて51。長期病欠(ジョンソン)と、明白な増派支持者(リーバーマン)を差し引くと、49がスタートである。ちなみに、上院で法案を採択にかけるには、60票が必要だ。

さらに、奇跡的に上下両院で同じ内容の対案が可決されたとしても、大統領には拒否権がある。拒否権を覆すには、上下両院で3分の2の賛成が必要。

もう計算は不要だろう。

ただし、いつまでも風向きが変わらないとは限らない。たしかに現時点では、民主党にとっては、議論と投票を繰り返して、共和党議員に圧力をかけ続ける以外に方策はない。しかし、動かすべき具体案が明確になったことで、民主党指導部もモメンタムを取り戻せるかもしれない。政権・議会共和党が対立姿勢を強めれば、反動で民主党側にも内部分裂を諌める力学が働き得る。

そして、いずれは世論の注目は民主党の対案から増派の進み具合に移るだろう。

既にブッシュ政権は、当初の提案を上回る増派の必要性を認めざるを得なくなっている。2万1,500人という当初の提案に、イラク向け4,700人、アフガン向け3,500人を追加するという内容だ。今年8月までにはある程度の結果が見え始め、兵力も減らし始められるといわれてきたが(Baker, Peter, "Additional Troop Increase Approved", Washington Post, March 11, 2007)、ここにきて、来年2月までは高いレベルの兵力が必要だという現場の声も聞こえ始めた(Cloud, David S., and Michael R. Gordon, "Buildup in Iraq Needed Into ’08, U.S. General Says", New York Times, March 8, 2007)。ペトレアス司令官も、時期は明言しないものの、今夏を超えた増派延長を否定していない(Oppel Jr., Richard A., and Alissa J. Rubin, "New U.S. Commander in Iraq Won’t Rule Out Need for Added Troops", New York Times, March 9, 2007)。

そうであるならば、政権はかなり早い段階で決断を迫られる。軍隊の派遣は一朝一夕では手配できない。ローテーションの調整が必要だ。このまま自然体で行けば、8月には駐イラク米軍の兵力は減少し始め、12月までには増派前の水準に戻る。それを避けるには、一度帰還した兵士を再び派兵するまでのインターバルを、現在の1ヶ月より短くしなければならない。その決断は、増派の成果がみえるまで待つわけには行かないかもしれない。

つくづく、戦場の現実に比べれば、ワシントンでの口論など小さなものである。

2007/03/11

7つのアドバイス

David Brooks(The New York Timesに連載中)はとても好きなコラムニストの一人だ。少し前に共和党の大統領選挙候補者への7つのアドバイスというのを書いていて、これがいつものように興味深い("So You Want to Run...", February 22, 2007)。「3のルール」については、以前にも触れたが、記録のために全体を紹介しておこう。

1.雪ダルマになれ。2月5日に予定されているカリフォルニアなどのビッグ・ステートが大事だという見方は間違っている。日程が詰まっているから、そこまで全部をカバーしたら、ギリギリになってしまう。最初の3つの州、アイオワ、ニューハンプシャー、サウスカロライナで上手くやれば、ビッグ・ステートは自然についてくる。

2.「3のルール」を忘れるな。

3.総合大学になるな。大学の学部のようにアドバイザーを分野別に分けたら、思い切りありきたりの提言が出て来る。政治のテーマ(例えば「家族の繁栄」)に合わせて学際的に専門家を組み合わせれば、驚くほど問題の本質に迫れる。何よりも、評論家が共和党を定義する役立たずなカテゴリーから逃げられる。社会保守、市場原理至上主義のリバタリアン、ネオコン。そんなレッテルを貼られたら終わりだ。

4.変化になれ。歳出削減、減税、官僚攻撃。昔ながらの主張に戻れば立て直せると考えている共和党員が多い。間違いだ。栄光の80年代から時代は変わった。ノスタルジアで取り戻せる訳ではない。80年代は自由を促進すれば良かったが、9-11後の米国はカオスを恐れている。国民が安心して夢を追えるだけの、安全と秩序、権威を提供する。新しいRepublicanismの先頭に立たなければならない。大きな政府ではない。やるべき仕事をきちんとこなす強い政府だ。強く、限定的で、元気のある政府が、いかにして個人の自由を強化できるのか。説明できる統治の哲学を見出すのが、最初の仕事だ。

5.断れない申し出を。あなたの名前が、ジュリアーニやマッケイン、ロムニーだったとしたら、社会保守派に愛されるのは無理だ。取り入ろうとせずに、取引を申し出ろ。「主義主張では相容れないかも知れないが、あなたが求める成果は獲得してみせる」。合意できる目標を4つ選び、演説の度に繰り返せ。

6.第二のフェーズに備えろ。夏の終わりには、増派の結果は出る。一人の候補者が、新しいグランド・ストラテジーを定義付けるだろう。その人になれ。

7.セオドア・ルーズベルトのように戦え。毎朝、ルーズベルトだったら誇りに思うか自問しろ。答が否だったら、リスクをとれ。違うことをしろ。

4の政府観あたりがBrooksらしいところ。たしか2000年はマッケイン寄りだったと思うが、さて今回はどうだろう。

しかし、ようやく取り上げられて良かった。実は次のコラムも出番を待っていたりするものだから...

2007/03/10

幸せなら手をたたこう

ぜひ写真を大きくしてみてください。

共和党はなぜこんなにハッピーなのか。「ネオコンの重鎮」William Kristolが、Time誌にその秘密を嬉しそうに明かしている("Why Republicans Are Smiling", March 02, 2007)。

1.「増派」。共和党支持者にとって最悪だったのは、ブッシュがラムスフェルド等の間違った助言から抜けだそうとしなかったこと。今や新しい兵力と新しい指揮官に支えられた新しい戦略が実行に移されようとしている。共和党支持者の多くは「まだ勝てる」と信じており、増派に希望を与えられた。

2.議会。中間選挙で負けたのは悪いニュースだったが、民主党が議会を仕切らなければならなくなったのはグッドニュース。イラク戦争に関して、草の根反戦派の圧力を受けながら、米軍に害を与えるように見えない対案を捻り出すのは至難の技である。民主党を苦しめるマコネル上院院内総務の手腕には久々に溜飲が下がる思いだ。

3.民主党の大統領候補。ヒラリーは脆弱だし、オバマが大統領になるなど想像できない。エドワーズは2回目でも駄目そうだし、ゴアは政治家としてなっていない。中道派や共和党支持者からも票が取れそうな候補は、脱落したか(ワーナー、ビルサック、バイ)、伸び悩み(リチャードソン)。ヒラリーが一番の中道とは笑いが止まらない。

4.共和党の大統領候補。「都会派共和党(Metro Republican)」とでもいうべき3大候補(ジュリアーニ、マッケイン、ロムニー)は、伝統的な田舎の保守には見えないかも知れないが、根本的な考え方は保守。むしろ中道派にも支持を広げられる。

5.アイディア。税制や医療など、共和党には米国民の経済的な不安感に答えたり、中道に支持を広げられる斬新なアイディアがたくさんある。外交でも、「米国の強さ」を象徴するのはやはり共和党だ。

若干無理があるとは思うが、保守系雑誌の購読状況は好調であり、保守系サイトへのアクセスも増加しているという。世論調査では、ブッシュが共和党支持者の支持を減らしているという結果が出ているが、そんなことは関係ないらしい。2月末にNew York Tims/CBSが行った世論調査では、共和党支持者の大統領支持率は、昨年10月(78%)対比で13ポイント(65%)低下しているという(Connelly, Marjorie, "Poll Shows Bush Is Losing Support of Republicans", New York Times, March 2, 2007)。

まあ、保守派の集まりであるCPACでは、参加者が次々と強烈な現状への不満を楽しそうに爆発させていたというのだから世話はない。かえって「レーガンのように『ハッピーな戦士』になろう」という前向きな発言は、受けが悪かったそうだ(Wolffe, Richard, "I'm Mad as Hell and I'm Not Going to Take It Anymore, and I'm Totally Diggin It", Newsweek, March 1, 2007)。

やれやれ。

先々を考えれば、検証する必要があるのは5のアイディアの部分だろう。引用されているSam's Club Repbulicanは、元々2005年11月に出た議論(Douthat, Ross and Reihan Salam, "The Party of Sam's Club", Weekly Standard, November 14, 2005)で、かねてから気になっていた。Putting Pearents Firstというのも要チェックだろう。

ネオコンご推奨だけに、従来の「小さな政府」とは一味違うだろうし、どこまで共和党のメインストリームの考え方なのかはよくわからない。しかし、今の共和党の有力候補者は、いずれも従来の保守派とは少し違う。だから「ネオコンの重鎮」は満足しているのかもしれない。

米国における「政府観」の振り子は、「小さな政府」から離れようとしているのだろうか。

2007/03/09

be careful what you wish for...(you just might get it.)

イラク戦争に関する民主党の対案が明らかになった。

概要は既報の通りの二本立て(コンディション&マイルストーン)。昨日は情報が錯綜していた撤退時期の部分だけ整理しておくと、政権は今年の7月と10月にマイルストーンの達成状況を報告、未達の場合には6ヶ月かけた撤退を始めることになる。達成の場合でも、今度は理屈として米軍の役割が無くなるので、来年3月からやはり6ヶ月かけた撤退がスタートする、といった内容のようだ(Weisman, Jonathan and Shailagh Murray, "Bush Threatens to Veto Democrats' Iraq Plan", Washington Post, March 9, 2007. Zeleny, Jeff and Robin Toner, "Democrats Rally Behind a Pullout From Iraq in ’08", New York Times, March 9, 2007)。

政治的には、民主党の方が厳しい状況にあることに変わりはない。依然として党内は割れており、下院での可決すら確実とはいえない。弱腰批判を恐れる中道派よりも、「この程度では手ぬるい」という反戦派をどう抱き込むかがポイントになる。

一方の共和党にしてみれば、ここまでは思い通りの展開といって良いだろう。国民の支持が弱い戦費打ち切りの議論(3月2~5日実施のWSJ調査では反対が48%)に持ち込み、民主党の内紛を際立たせた。

しかし、そろそろ一歩引いて、少々長い視点で状況を眺めた方が良い。3つの視点がある。

第一に、共和党の正念場は必ずやってくる。

米国民は、共和党を支持している訳ではない。共和党は、民主党の対案を「敗北への処方箋」だと批判する。しかし、そもそも世論調査では、「イラク戦争には勝てそうにない」という回答が多数である(同69%)。議会の出方にしても、増派阻止への圧力が弱すぎるという懸念が多い(同51%)。

結局のところ、共和党の命運は、増派の結果にかかっている。特に、民主党が増派に歯止めをかけられなければ、増派の結果に対する責任は、政権と共和党が一手に引き受けることになる。逆に言えば、民主党にすれば、実質的に増派を止められなかったとしても、「増派を推進したのは政権と共和党だ」という記録を残せれば、それだけでも価値があったという局面も訪れ得る。

第二に、共和党がイラク戦争で民主党を追い込めば、それだけその他の分野での協力が難しくなる。ブッシュ政権は、国内政策でもレガシーを残したいところだったが、その道のりは一層厳しくなった。

今は良くても、共和党にとっては、思い通りに進んだことの代償は意外に重いかもしれない。

第三に、大統領選挙の候補者も慎重な戦略が必要だ。

現時点では、イラク戦争への態度が、選挙戦最大の争点だが、民主党のラインに流れが近付けば、選挙戦と並行して、撤退が進むかも知れない。そうなれば、選挙の絵柄もガラッと変わりかねない。

本来であれば、新しい大統領を目指す者にとっては、ブッシュ政権のうちにイラク戦争に目処が立つのは望ましい展開の筈である。しかし、いざその望みがかなった時への備えがあるかどうかが、ホワイトハウスの勝者を決める要因になるかもしれない。

2007/03/08

ワーク・ライフ・バランス

今日は短く終わらせようと思う。何せ情報が固まっていないのだ。

下院民主党指導部は、遂にイラク戦争の次の手に合意した…らしい。米国時間の8日中(つまり日本では今晩)に、内容が明らかになる…らしい。

ポイントは2つ。第一は戦費の条件付き承認。既に触れたように、条件未達で米兵を送る場合には、大統領にその旨を明示させるという内容である。第二は、イラク政府の努力と抱き合わせた撤退スケジュール。要するに、ブッシュ政権が増派提案を発表した際に「イラク政府の責任」として挙げた項目について、大統領に達成の有無を報告させ、その結果に応じて早めの撤退を義務付けるらしい。コンディションとマイルストーンの二本立てで、イラク戦争を「ブッシュの戦争」にしておくのが狙いだろう。

情報が錯綜しているのは、具体的な時期に関する部分。できるだけ早めの撤退期日を明示したい反戦派の圧力が感じられる。まあ結果は朝になれば分かるので。ジタバタしてたら眠れない。主要紙の報道がみんな違うのを見ると、盛り上がっているな、とは思うが。

確かなことを2つ。第一に、少なくとも政治的には、今回の動きは民主党にとっての正念場であって、共和党の勝負はまだ先。まして政権にとっては、増派の結果がでる夏頃がポイントだろう。当面は試されるのはペロシ下院議長だ。

第二に、今回の動きに限っていえば、時期的には、3月末を目処にして、議会の審議が盛り上がっていくと考えられる。

理由は簡単。4月の第一週は議会が休会なのだ。

イースター休会には地元に帰る。常識である。帰りたいだろう?そうやって尻を叩くのである。地元に何を持って帰ろうか。この一点が議員が態度を決める大きな材料になるのである。

ところで、思わぬ贈り物をもらったのはオバマとチェイニーかもしれない。オバマは株売買に関する疑惑(Cillizza, Chris "Does Obama Have a Problem?", Washington Post, March 7, 2007)、チェイニーはリビーの有罪判決という、煙いニュースが目立たなくなるかもしれないからだ。

さて、具体案は明らかになっただろうか。今は確かめないでおこう。夜は寝る。常識である…らしい。

2007/03/07

ジュリアーニの謎...Reloaded...if you can make it here...

ジュリアーニの謎は奥が深い。謎を解く鍵にまで新たな謎が潜んでいるのだ。

ジュリアーニの社会政策でのスタンスや、私生活での不安が打ち消されている大きな理由の一つは、リーダーシップへの評価である。しかし、ジュリアーニのスタイルは、国民が求めるリーダーシップなのだろうか。それとも、忘れたいと思っている「ある人」の再現なのだろうか。

NewsweekのJonathan Alterは、これまでの多くの大統領選挙では、直前の大統領の対極が求められてきたと指摘する(Alter, Jonathan, "Wrong Time for an Urban Cowboy?", Newsweek, March 12, 2007)。その意味では、2008年に求められるのは、国際社会における米国の存在感を取り戻せる人物。タフさに柔軟性も兼ね備え、そして尊大ではないリーダーだという。橋を燃やしてしまうのではなく、新たな橋を架けられる能力が必要なのだ。

ジュリアーニはそんな評価を得ているわけではない。

同じくNewsweek誌のJonathan Darmanはこう評する(Darman, Jonathan, "Master of Disaster", Newsweek, March 12, 2007)。「危機の際のジュリアーニの強さは、頑迷さと紙一重だ。断固とした信念は、時として不作法に流れ、世界を善と悪に二分してしまいがちだ」。そのまま今のホワイトハウスの主人に当てはまりそうな形容だ。果たして米国人は、「my-way-or-the-highway Texan」を「shut-up-and-listen New Yorker」に取り換えたいのだろうか(Alter, ibid)。

もっとも米国人が気付くかどうかは別問題だ。

ジュリアーニの強さは、9-11後のイメージである。NewYorker誌のKen Aulettaは、当時を振り返ってこう語る。「ブッシュは飛行機の中。チェイニーはどこかの避難場所にいた。そこに『私が全ての米国人を代弁する』といって突如現れたのが市長だった」。そのイメージが、「テフロン加工のジュリアーニ」を作り上げている(Tapper, Jake and Avery Miller, "'Teflon' Giuliani", ABC News, March 5, 2007)。

Alterは、どこかでジュリアーニの気の短さが爆発するような事態が起きない限り、問題は表面化しないだろうと予測する。しかし、ジュリアーニのメディアなどに対する打たれ強さは折り紙つきである。何せ鍛えられ方が違う。ニューヨーク市長として長年揉まれて来ているのだ(Rothenberg, Stuart, "Is Rudy Likely to Be a Favorite or a Flop?", Roll Call, January 16, 2007)。候補者の中で彼に並ぶ経験があるのは、ヒラリー位だろう。思わず、ニューヨークで成功できれば…という言い回しを思い出してしまう。

もちろんテフロン加工にも永遠に傷がつかない訳ではない。最近も前妻との子どもとの不仲がメディアを賑せたばかりだ(Archibold, Randal C., "Questioned About Son, Giuliani Pleads for Privacy", New York Times, March 5, 2007)。選挙戦はまだまだまだまだ続く。

ところで、そもそもジュリアーニは「ニューヨークで成功した」のだろうか。やはり、全てを変えたのは9-11だった。テロへの恐怖がどこまで米国人の心に残り続けるのか。テフロンの強さは、そんなところにも左右されそうだ。

2007/03/06

smart, pro-American trade ... by ヒラリー

民主党の保護主義化が言われる中で、ヒラリーの対外経済政策は注目の的である。そのヒラリーが、先日の株価急落に反応して、2月28日の上院本会議で演説を行なった。米国の対外債務の積み上がりに警鐘を鳴らす内容は、基本的にはブッシュ政権批判だが、あまり安心して聞いていられる演説でもない。

ヒラリーの論点は、諸外国による巨額の米国債保有にある。

「昨日の株安は、海外市場での株価下落が引き金だったが、もし中国や日本が積み上がったドル資産を減らそうと決めたらどうなるだろう。通貨危機が起こり、米国は利上げを余儀なくされ、リセッションの舞台が提供されるかもしれない。われわれの債務を持つ国の軽率な決断が、昨日よりも深刻な帰結につながりかねないのだ」

ヒラリーは、巨額の債務を諸外国に持たれたがゆえに、その動向に翻弄されてしまう米国の状況を「経済主権の喪失」と捉え、ブッシュ政権に対応を迫ろうとする。

「これまで6年間の経済政策を通じて、米国の経済主権は損なわれ、他国の決定に左右されるようになった。私はブッシュ政権に財政・対外赤字への対処を義務付けるような立法措置を支持する」

「私は赤字が一定の水準を超えた場合に警鐘を鳴らす法案を支持してきた。政権に対応策を検討させ、議会に結果を報告させるのだ。われわれの経済を立て直すには、こうした対策を議論する必要がある。われわれは、余りにも簡単に、ワシントンやニューヨークのマーケットではなく、北京や上海、東京が決める経済政策の人質になってしまいがちだ」

ヒラリーの発言は、あくまでも政権批判であり、(少なくともこの演説では)中国や日本に文句をつけている訳ではない。引用されている法案(前議会に提案されたForeign Debt Ceiling Act of 2005:S.355)も、対外債務がGDP対比で25%、貿易赤字が同じく5%を超えた場合に、行政府に対策を考えさせる程度だ。

しかし、ヒラリーは通商政策に引き寄せた議論もしている。

「米国が財政赤字を積み上げている一方で、諸外国はその借金を買い上げ、われわれの銀行になってしまった。テーブルの向こうにいるのが、単なる競争相手ではなく、銀行でもあるとしたら、一体どうやって、公正でpro americanな通商合意を交渉し、守らせるのだろう」

ニヤッとした人もいるかもしれない。そう、このロジックは、2004年の民主党大会でのクリントン前大統領のスピーチにそっくりだ。

ヒラリー:How can we negotiate fair, pro-American trade agreements--and ensure foreign countries uphold these agreements--when we sit across the negotiating table, not only from our competitor, but from our banker as well.

クリントン:So then they have to go borrow money. Most of it they borrow from the Chinese and the Japanese government. Sure, these countries are competing with us for good jobs, but how can we enforce our trade laws against our bankers? I mean, come on.

しかし、どうみてもクリントンの方が上手い。I mean, come onだもの。

...それは置いといて。

さて、ヒラリーの通商政策のキーワードは、smart, pro-american tradeらしい。この言葉が曲者だ。

「私はスマートでpro americanな貿易を信じている。グローバリゼーションは、私達の生活水準を引き上げ、経済成長を生み出す。しかし、これまでの議論は単純すぎた。われわれは、経済的な国益を守りながら貿易を促進できる。国際経済におけるポジションを維持しながら、経済主権も守り通せる。貿易はゼロサムゲームではない。運命論(グローバリゼーションには抗えない、という意味だろうか)と保護主義の選択を迫られているのではない。成果が上がる政策と、上がらない政策の選択なのだ」

このsmart, pro-american tradeという言葉は、ヒラリー流のtriangulationだろう。具体的に何を意味するかについては、ヒラリーは少しずつヒントは出してはいるが、細かい所までは語られていない。

たしかに民主党内では保護主義的な機運が高まっている。クリントン=ルービンの自由貿易路線には、風当たりも強いといわれる。しかし、単なる保護主義的な政策は副作用が大きい。そのくらいのことは、ヒラリーはわかっている筈だ。党内の保護主義的な雰囲気と、リーズナブルな政策の橋渡しは、ヒラリーにとって思案のしどころである。すでにヒラリーは別のところで気になる発言をしているのだが、それは機会をあらためて。

Wall Street Journalは、ヒラリーの発言について、「グローバリゼーションや自由貿易への不安感が、いかに2008年の大統領選挙で大きな争点になるかを示唆している」と報じている(Solomon, Deborah, and John Harwood, "Clinton Brings Debt Worries to the Fore", Wall Street Journal, March 5, 2007)。イラク戦争の影に隠れ、グローバリゼーションを巡る論戦はそれほど本格化していない。しかし、イラクがなかったら、今頃中国が論戦の中心になっていたかもしれない。

実は、ヒラリーがこの演説を行っていたときに、たまたま上院の議長代行を務めていたのが、誰あろうオバマだった。この2人がグローバリゼーションを巡って論戦を戦わせる時がやってくるのだろうか。

何かを暗示しているような、不思議な成り行きだった。

2007/03/05

ジュリアーニの謎、マッケインの矛盾

「ジュリアーニの謎」をどう考えるのか。米国選挙ウォッチャーにとって目下最大の課題であり、踏み絵である。序盤戦の雲行きは、ジュリアーニが共和党の候補者に選ばれるという、「あり得ない」展開を示唆しているからだ。

世論調査では、ジュリアーニの圧勝である。共和党のトップランナーと目されていたマッケインに、どんどん差をつけている。本選を視野に入れても、ジュリアーニなら誰が民主党で勝ち上がって来ても大丈夫だ。

歴史もジュリアーニの味方である。序盤のフロントランナーが失速しやすい民主党とは対照的に、共和党は早めに候補者を絞り込む傾向にある。最近10回の予備選挙では、序盤でリードを奪った候補が逃げ切ったケースが7回もある。しかも残りの3回は、現職候補が再選された時である(Lester, Will, "Early 2008 Polls Offer Important Clues", AP, February 25, 2007)。共和党は本命をサッサと作りたい党なのだ。

人気の理由は2つ。第一に、リーダーシップへの評価。9-11への対応はもちろん、ニューヨークでの犯罪対策も伝説的だ。第二に、民主党を相手にしても、「勝てる」という期待感がある。08年に向けて、共和党の展望は決して明るくない。というか、思い切り暗い。特に、イラク戦争などを契機に無党派層の支持ががた落ちなのが痛い。しかしジュリアーニは無党派層に人気がある。大票田のニューヨークやカリフォルニアで、ヒラリーに冷や汗をかかせられるのは、ジュリアーニだけ。そういう計算が働いてもおかしくない。

それでは、なぜ玄人筋にとっては、「あり得ない」のか。端的に言って理由は2つ。第一に、社会政策での立場。中絶・銃規制・同性愛の権利に賛成する人物が、今どきの共和党の候補者に選ばれる訳がない。

実は世論調査では、共和党支持者の四分の三が、ジュリアーニの社会政策のポジションを知らず、もし知ったら、35%が他の候補に流れる可能性があるという結果が出ている(Cook, Charlie, "Hillary Rising", National Journal, February 24, 2007)。

第二は、私生活。3度結婚しているのは有名だが、ニューヨーク市警との関係や(国土安全保障長官になりそこねた人を覚えていますか?)、ビジネス関連でも叩けば埃が出てきかねない。長丁場の選挙戦に耐えられる訳がない。

だからベテランの専門家ほど、見る眼は厳しい。チャーリー・クックは、世論調査の数字にかかわらず、共和党の予備選挙は混戦だと言う(Cook, ibid)。スチュワート・ローゼンバーグにいたっては、社会政策でジュリアーニのようなポジションの人間が共和党の大統領候補に選ばれるのは、「自分が生きている間はありえない」とまで言い切っている(Rothenberg, Stuart, "Is Rudy Likely to Be a Favorite or a Flop?", Roll Call, January 16, 2007)。

当然のことながら、対立候補は「ジュリアーニの真実」に焦点を当てようとするだろう。誰が仕組んだかは知らないが、既に、「ニューヨーク市長時代にジュリアーニは保守的な判事を任命していなかった」なんていう記事が出ている(Smith, Ben, "Giuliani Judges Lean Left", Politico.com, March 3, 2007)。先週末に行われた保守派の集まりであるCPACでのジュリアーニの演説への反応も、それほど好意的ではなかったようだ(Balz, Dan, "Giuliani Has No Real Chance With GOP Voters ... or Does He?", Washington Post, March 4, 2007)。

保守派はジュリアーニを認めるのだろうか。最近の米国では、「実はジュリアーニは保守派だ」といった趣旨のオピニオン記事が驚くほど多い(たとえば、Malanga, Steven, "Giuliani the Conservative", Opinion Journal, February 28, 2007)。もっとも、何とか「勝てる候補」に集結したい保守派の、「そのためには地均しも厭わない」という涙ぐましい努力なのかも知れないが...。

それよりも見逃せないのは、「ジュリアーニの謎」のコインの裏側には、「マッケインの矛盾」があることだ。社会政策や財政政策ではジュリアーニよりも余程保守的なのに、なぜ保守派の支持を得られないのか。

TCS Dailyに掲載されたカリフォルニアのジュリアーニ人気を報じた記事は、その辺を鋭く突いている(McClellan, Michael Brandon, "Why Giuliani Is Golden", TCS Daily, February 27, 2007)。

要はイメージの問題である。

保守派にとってのマッケインのイメージは、いつまでたっても「主流派に反旗を翻す一匹狼」である。保守派の影響力を削ぐような選挙資金法改正に賛成し、最高裁判事の指名では、「Gang of 14」を率いて、保守派の意向に背いた妥協に走ろうとする。党よりも自分が大事なのがマッケイン。そんなイメージが染み付いている。

他方でジュリアーニが連想させるのは、断固としたリーダーシップ。共和党支持者にとっては、そのタフなイメージが、社会政策でのリベラルさを忘れさせるほど魅力的だ。

無責任な立場でいわせてもらえば、興味があるのはジュリアーニが候補者になった後の展開である。「ジュリアーニの共和党」は、これまでの共和党とはずいぶん違う。大統領選挙の時には、議会選挙も併せて実施される。共和党の候補者は、どうやって戦うのだろうか?

しばらく前にある共和党の議会スタッフが、08年選挙の予測をこう述べていた。「民主党はヒラリー、共和党はジュリアーニが候補に選ばれ、ジュリアーニが勝つ。そしてみんなを怒り狂わせる」。

「生きている間はありえない」といわれてしまうのは残念な気もする。

2007/03/04

「かかしと召し使い」

さすがに日曜日は一休みということで。

読まなければいけない大量の本に睨まれながら、子どもが図書館で借りてきた本を読んでしまった。いわゆる逃避という奴だ。

フィリップ・プルマンの「かかしと召し使い(The Scarecrow and His Servant・金原瑞人訳、理論社)」は、雷の直撃で命を宿したかかしと、見なし子ジャックの冒険譚。頭がかぶで出来たかかし卿(途中から椰子の実になるが…)の珍道中は、どこかドン・キホーテを思わせる。

ストーリーを書いてしまうのはルール違反なので、わき道の話だけ。

行き合った軍隊の行進に魅せられたかかし卿は、入隊のための筆記試験に臨む。結果は見事に全問不正解。がっかりするジャックは、担当の軍曹に、「少しも賢いところがないから兵卒にも軍曹にもしてやれないが、将校にしてやった」と言われる。かかし大尉の誕生だ。軍隊の指揮なんて全くわからないのだが、「大抵の将校はそんなもので、だからこそ軍曹なんてものを作った」んだそうだ。

いや、何かの比喩を語っているんじゃありませんよ。何と言っても、休日の貴重な逃避ですから。

2007/03/02

民主党の迷走:だから、それを日本では「漁夫の利」というんだって

イラク戦争を巡り、民主党の迷走が続いている。ブッシュ政権の増派路線には有権者の強い支持はないが、むしろダメージを受けているのは民主党議会のようにみえる。

状況を整理しておこう。今ある民主党のプランは2つ。下院では、マーサ議員の発案で、補正予算を認めつつも、その使用に条件をつけることが模索されている。一方の上院では、武力行使容認決議の見直しの方向で、議論が進められようとしている。

しかし、いずれのプランについても、党内の意見が割れている。

反戦派は、いずれのプランも不十分だと主張する。

下院のウーズリー議員は、条件付きの戦費容認について、「民主党が戦費を認めてしまえば、自分たちの戦争になってしまう」と述べる(Zeleny, Jeff and Robin Toner, "Divided Congress Prepares to Debate Financing and Strategy for Iraq War", New York Times, February 28, 2007)。上院のファインゴールド議員は、議会が武力行使に関する新たな決議をすれば、大統領はそれを戦闘行動の容認と解釈しかねないとする。「撤退しなければいけない時にイラクでの新しい軍事的な役割を作り出すなんて馬鹿げている。自分は最初の決議にも賛成しなかったし、今さら決議に賛成したらおしまいだ(Weisman, Jonathan and Shailagh Murray, "Iraq Bill Vexes Democrats", Washington Post, February 28, 2007)」「国民はイラクでの役割を見直してくれと頼んでいるわけじゃない。終わりにして欲しいと思っているのだ(Levey, Noam N. and Richard Simon, "War bill divides Democrats", Los Angels Times, February 28, 2007)」。

反戦派の強硬姿勢は、草の根の反戦活動に支えられている。数週間前に増派反対決議が議論されていた頃には、草の根団体の標的は共和党議員だった。ところが最近では、「弱腰な民主党議員」に圧力をかけ始めている。「彼らの後退ぶりは世界記録級のスピードだ(Leavey et al., ibid)」。

しかし党内には慎重派も残っている。ネルソン上院議員は、「現実を前にして、(議会が)細部まで口をだすのを避けながら、物事を変えていくのは難しい」と述べる(Leavey et al., ibid)。タナー下院議員はこう言う。「国民には相反する感情がある。3年半続けてきたやり方をそのままにはしたくないが、だからといって、プラグを抜いてしまいたくもない(Weisman et al, ibid)」

実のところ、慎重派も反戦派と願いは同じ。イラク戦争を「ブッシュの戦争」にとどめておきたいのだ。戦費の制限に動けば、「民主党議会のせいで、イラク戦争は失敗した」という議論が可能になる。「ブッシュの戦争」が「民主党の戦争」になっては困る。だから、下院の民主党指導部が探っている妥協点は、補正予算に条件をつけた上で、大統領に適用除外を求める余地を残すこと。そうすれば、「大統領は自分の名前を残さざるを得なくなる(エマニュエル下院議員)」という計算だ(Zeleny et al, ibid)。

しかし、仮に上下両院で民主党がそれぞれの解決策で決着できたとしても、上院と下院は、それぞれまったく違う路線に取り組んでいる。両者の調整はどうするのだろうか。

個人プレーも民主党にとって障害だ。マーサ下院議員の根回し不足にはすでに触れたが、上院で武力行使容認決議の見直しを主張しているバイデン議員も、根回し不足を攻められている。「大統領選挙の候補者が、新聞の見出しを狙った(上院議員スタッフ)」というのだ(Bresnahan, John, "Democrats Snipe at Senate Leaders Over Handling of Iraq Issue", Politico.com, February 27, 2007)。

道のりは遠い。

ほくそ笑んでいるのは共和党だ。コーニン上院議員は、「どうやら民主党は自分たちの議論を片付けなければならないようだ」と余裕(Leavey et al., ibid)。議員スタッフからは、「続かないかもしれないが、ここしばらくで最高なのは確実だ」なんて声もきかれる(Bresnahan, ibid)。

民主党のリード上院院内総務は「個人的にはどんな良い代替策もないと思う。われわれはより悪くなく、より危険でない代替案を選ぶプロセスにある」と述べている(Zeleny et al, ibid)。

まあ、こんな顔をみせられたら、同情の一つもしたくなるところではある。

持つべきものは上院議員

トヨタが北米工場の立地先をミシシッピ州に決めた。GM超えが時間の問題になるなかで、現地生産の拡充は、政治的にも効果が期待されるところだろう。

米国では、「一つの工場を出せば、2人の友人を得られる」という。各州から2人ずつ選出された上院議員は、新しい「地元企業」にとって力強い応援団になる。トヨタの場合、完成車の工場が5州、部品なども合わせれば9州に足場がある。9X2で18人の上院議員が、トヨタ経営陣のいうToyota Caucusを構成している訳だ("Why Toyota Is Afraid Of Being Number One", Business Week, March 5, 2007)。

今回も、ミシシッピ選出のロット上院議員(共)は、「あなたが私の地元企業だということは、私はあなたの戦士ということだ。あなたの利益の面倒を見ることを約束しよう」と頼もしい。UCバークレーのHarley Shaiken教授は、「ロットはトヨタ州選出の上院議員だといっているのだ」なんて評している(Freeman, Sholnn, "SUV Plants Strengthens Toyota's Foothold in U.S.", Washington Post, February 28, 2007)。

危機感を持っているのはビッグ3。彼らにとって、北米でのリストラは、ワシントンでの影響力の低下に直結する。1月にはGM副会長のルッツ氏が「今やトヨタの方が政治力がある」と発言してしまった。「悲しいことに、トヨタは利益をあげてたくさんの州に工場があるので、正直に言ってGMよりも多くの議員をかかえている」んだそうだ(Bunkley, Nick, "G.M. Officer Says Toyota is Stronger in Washington", New York Times, January 10, 2007)。

GMは完成車だけで11州に工場があるし、議員の数で負けているというのは言い過ぎだとは思う。1月31日にポールソン財務長官が、上院銀行委員会の公聴会で「日本政府の円安誘導」について詰められていたが、あれだって質問したのは、GMの工場があるデラウェアの上院議員だ。

ところで、トヨタとGMの応援団の中身を比べると、党派のバランスがだいぶ違う。トヨタの場合、今回を含めて南部寄りに出ているので、民主党3人vs.共和党7人と共和党の比率が高い。中西部に基盤があるGMは、民主党10人vs.共和党12人でもっとバランスがいい。

但しトヨタもツボは押さえている。少ないとはいえ、完成車工場がある5州の民主党上院議員には、2人の委員長がいる(もっとも両方ともカリフォルニア州だが)。数的にはGMと同じである。まして共和党では、No.1(ケンタッキーのマコネル)とNo.2(ロット)を擁している。これは強力だ。

見逃せないのは部品工場。4州の8人を足しても民主党は3人しか増えないのだが、ポイントはウェスト・バージニアにも工場があることだ。この州の上院議員といえば、上院最長老にして政府の財布をにぎる歳入委員会のバード委員長。そして、これも重鎮のロックフェラー議員だ。なんとウェスト・バージニアの日本事務所は名古屋にあるそうで、とくにロックフェラー議員はトヨタにとって大切な応援団だという(Business Week, ibid)。

ロックフェラー議員といえば、もう一つの顔として、鉄鋼産業の代弁者というのがある。日米鉄鋼摩擦の時にはかなり煙たい感じだったが、実は日本との関係は悪くないのである。

もっとも、企業が立地を決めるのはビジネス。政治的なポイントは、判断基準のひとつに過ぎない。トヨタがミシシッピを選んだのも、労組の弱い南部に出るという戦略の一環であり、近隣のアラバマに部品工場があるというロジカルな選択だった。次の進出先はメキシコともいわれるが、たしかあそこには上院議員はいなかったと思う。

日米の自動車会社もいつも角を突き合わせているわけでもない。昨年末には、日米の自動車会社が共同戦線を張って、鉄鋼に関するアンチ・ダンピング税の打ち切りを勝ち取った。ロックフェラー議員は困っただろうが、これがグローバリゼーションの現実だ。ケンタッキーやテキサス、インディアナみたいに、トヨタとGMの工場が両方ある州だってある。

それはそうとして、自動車業界の注目はクライスラーの行方。これで中国がクライスラー買っちゃったら、さて議員たちはどう反応するのだろうか( Cha, Ariana Eunjung and Tomoeh Murakami Tse, "A U.S. Car Deal With A Little Chery on Top?", Washington Post, March 2, 2007)。いくら何でもとは思うが...

*文中のGMの工場立地は、2006年5月24日付のWall Street Journal紙、トヨタは同社HPを参考にしました。

2007/03/01

どこで発表するか、それが問題だ

どんな選択にも意味がある、ように見えるのが大統領選挙の面白さだ。

マッケインが大統領選挙に出馬する意向を表明した。正式な表明は4月の予定だという。

「まだしてなかったの??」という疑問はさておき(そもそも彼の場合、手続き的には、調査委員会設置の時に出馬手続きも済ませている)、本日のテーマは発表を行なった「場所」である。

マッケインが選んだのは、有名な夜のコメディー・トークショー(でいいんですかね)、Late Show with David Lettermanだった。まあ、「笑っていいとも」で大統領選挙への出馬を宣言したと思ってください。

今回の選挙の場合、テレビを発表の場に選ぶ候補者は少なくない。調査委員会設置の際は、マッケインとハッカビーがNBCのMeet the Press with Tim Russertを選んだし、リチャードソンはABCのThis Week with George Stephanopoulosだった。変わり種では、バイデンがCommedy CentralのThe Daily Show With Jon Stewartで出馬を表明する筈だったが、同じ日に例の「オバマは“the first mainstream African-American who is articulate and bright and clean and a nice-looking guy”だ」発言をやらかし、台無しにしてしまった。

但し、マッケインの場合、Late Showを選んだところに、彼の選挙戦が置かれた厳しい状況が反映されているという見方がある。こうした番組を利用して、キャンペーンに魅力を取り戻そうという思惑があるというのだ(Balz, Dan, "McCain Says He'll Seek Presidency, Plans to Make It Official in April", Washington Post, March 1, 2007)。

マッケインはちょっとしたスランプにある。2000年の大統領選挙でマッケインは、本流に立ち向かう一匹狼として人気を集めた。ところが今回は一転して、共和党本流の指示を固める王道の戦いを目指している。そうでなければ、予備選挙に勝てないという判断だろう。ところがこの選択が、足元では裏目に出た。不人気なイラク増派にこだわっているのも手伝って、前回の選挙で彼を支持した無党派層に幻滅されているようなのだ。Late Showでの出馬宣言は、2000年選挙の時のような、「自然発生的で予測不可能な魅力」を取り戻そうという試みなのである。

マッケインの場合、肝心の共和党本流に未だに2000年のことを恨まれているようなのが辛いところだが、この辺りは稿を改めるとして、「場所」の話を続けたい。

テレビ以外の場所を選ぶ候補者も当然いる。Washington PostのDavid S. Broderは、その中でもロムニーとエドワーズに注目する。どちらも政治家としてキャリアを積んだのとは違う場所を選択したからだ("Where Candidates Start", February 15, 2007)。

ロムニーはマサチューセッツ州の知事、エドワーズはノースカロライナ選出の上院議員だった。ところが、ロムニーはミシガン、エドワーズはニューオリンズを選んだ。もちろんそこには計算がある。ロムニーにすれば、ミシガンは父親が知事を務めたところで、予備選挙での重点州だ。一方のエドワーズは貧困を選挙の重要なテーマにしており、ハリケーン・カトリーナの被災地は打って付けの場所だった。

二人には「地元」を避けたかった理由もあるとBroderは指摘する。保守派の支持が必要なロムニーにとって、リベラルな政治運営をせざるを得なかったマサチューセッツ時代は、あまりプレイ・アップしたい実績ではない。エドワーズにしても、上院議員を辞めて大統領選挙に立候補したけれど、結局浪人の身になってしまった、なんてことは忘れてもらった方がありがたい。

もっとも、これだけ計算しても「吉」とでるとは限らない。直近2人の大統領(ブッシュ、クリントン)は、いずれも自分の地元で立候補を表明している。

では今回の地元派はというと、何とオバマがいる(イリノイ)。これは、と思うところだが、実はもう一人の地元派がアイオワのビルサック。こちらは早々に予備選挙から撤退してしまった。

そういえば、ヒラリーの出馬宣言はインターネットのホームページだった。やはりインターネットが似合うのは、発明者のこの人だと思うのだが...