ヒラリーと朝食を
今回の選挙には、ヒラリーにとって好ましい条件がある。好感度よりも、能力が評価される可能性がある点である(Simon, Roger, "Like it or not, competence could be back", Politico, July 3, 2007)。
ヒラリーは決して好感度の高い候補ではない。むしろ計算高く冷たい女性という受け止められ方をされがちだ。通常であれば、こうした評判は大統領を目指すには致命的である。何せレーガン大統領以来の米国では、好感度の高い候補が常に大統領の座を射止めてきた。
しかし、今回は違うかもしれない。それもこれもブッシュ大統領のおかげである。2000年のブッシュこそは、好感度を最大の切り札にした候補だった。「一緒にビールを飲むならどちらの候補が良いですか?」なんていう世論調査が大真面目に行われ、焦ったゴアはアース・カラーの服を着て好感度アップを狙って墓穴を掘った。しかし、今や好感度No.1の大統領は、史上最低水準の支持率に喘いでいる。イラク戦争やカトリーナの経験は、米国民に「好感度だけでは大統領は務まらないのではないか」という疑念を呼び起こしたとしても不思議ではない。
「保険会社に足病医の通院費用を払わせるのは一仕事。彼らは足の切断手術を受けさせるためなら喜んでお金を払うのに!」ヒラリーの演説では、こんな部分がものすごく受けるという。冷淡だろうが何だろうが、「問題の在処が分かっている人」「能力のある人」に大統領になってもらいたい。そんな有権者の思いは、ヒラリーにとって追い風になるかもしれない。
なかには、「経験」と「能力」は違うなどという意見もある(Caldwell, Christopher, "Experience Can Be A Drawback", Financial Times, June 29, 2007)。例えば、オバマにだって地域のオーガナイザーや州議員としての経験がある。むしろ政治家に欠かせない政治的な組織を立ち上げていく力という点では、オバマに一日の長がありそうだ。何せヒラリーの場合には、既に用意されていた組織を使っているだけである。そもそもヒラリーのファースト・レディ時代の政治的な活動は成功だったとは言いがたい。むしろ、ヒラリーの経験が示しているのは、能力というよりも「しぶとさ」である。経験とは危機への対応能力を磨くチャンスでもあるが、ヒラリーが旦那の弾劾騒ぎで示したのは鉄のような頑迷さである。たしか米国は「頑迷」な大統領の下でよくない経験をしたばかりではなかっただろうか?
但し、こうした意見を書いているのが、保守系オピニオン誌Weekly StandardのSenior Editorだというのが、ちょっとした隠し味ではある(さてはこれも右翼の巨大な陰謀か?)。
実際のところ、ヒラリーの選挙戦における「能力」の示し方は、なかなかの評価を集めている。能力があることを自覚している候補者は、ともすれば説教臭くなったり尊大になったりしがちである。しかしヒラリーは、しっかり論点を理解しているという雰囲気を醸し出しながらも、必要以上に知識をひけらかしたりはしないという。これまでの候補者討論会でも、いつも最高の評価を得ているのは、ヒラリーである。雄弁で知られるオバマの討論会でのパフォーマンスが、「不器用でためらいがち、受け身で自信なさげな上に必要以上に説明が複雑」などと評されているのとは対照的である。「この調子だとそのうちヒラリーの好感度も上がるのではないか」なんていう指摘があるほどだ(Crook, Clive, "A Peculiar Race for the White House", Financial Times, July 4, 2007)。
もっとも、さすがにそこまでの評価は行き過ぎかもしれない。旦那の元大統領のように、「好感度も高く政策も分かる」なんていう評価を受けるのは容易ではない。
そういえば、ヒラリーと一緒にアイオワに遊説に繰り出したクリントンは、あろうことかヒラリーの演説中に思い切り退屈そうな態度を示してしまったらしい(Meadows, Susannah, "Spousal Shortcomings", Newsweek, July 3, 2007)。クリントンは好感度という点でヒラリーにとって最強の武器なのは確かだが、なかなかどうして苦労させられそうである。
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