2007/07/14

with Mr.Will : ブッシュ政権の「後遺症」を考える

記録的な低支持率に喘ぐブッシュ政権。その後世に与える影響はどのようなものになるのだろうか。ブッシュ政権が体現しようとした政策体系やイデオロギー自体が再起不能なダメージを負ったのだろうか。それとも、ブッシュ政権は実務能力に欠ける異常値だったという評価になるのだろうか。政策分野によって答えは違って来るのだろうが、ブッシュの8年間がどう総括されるかは、今後の米国の行方に無視できないインパクトを与えそうだ。

そんな中で、保守の論客であるジョージ・ウィルは、保守の立ち位置を再確認するかのようなコラムを発表している。それは、ブッシュ政権の残骸から、保守の未来を拾い上げようとする試みと言えるのかもしれない。

ウィルの出発点は極めてオーソドックスである。ウィルは、保守とリベラルの理念の違いを、自由と公平という概念で説明する(Will, George F., "The Case for Conservatism", Washington Post, May 31, 2007)。すなわち、前者を重視するのが保守であり、後者の問題意識が高いのがリベラルという分別である。まずウィルの矛先はリベラルを向く。ウィルに言わせれば、リベラルには、機会が公平であるかどうかを、結果の公平さを見て判断する傾向がある。このためリベラルは、結果の公平を確保するために市場に政府を介入させ、個人を政府に依存させるような福祉プログラム(エンタイトルメント)を拡大させる。

しかし、結果の公平を目指すのは望ましいことだろうか。ウィルはオバマの「新しいグローバル経済の重荷と恩恵は均等に分配されていない」という発言に噛み付く(Will, George F., "Democrats' Prosperity Problem", Washington Post, May 31, 2007)。果たして経済の重荷や恩恵が「均等に」分配されたことなどあっただろうか。格差が各人の努力や能力の違いによるものだったとしたら、それこそが公平だとはいえないだろうか。

格差が拡大している要因は、グローバリゼーションというよりも、技術に対するプレミアムが大きくなっている点が大きいというのは、学問の世界では半ばコンセンサスになっている。さらに最近では、成果を重視する評価体系の普及が、格差拡大の大きな要因だという研究結果も発表されている(Sherk, James, "An Upside To Inequality?", Business Week, July 9, 2007)。この研究では、1976年から93年までに間に発生した格差の24%が成果給に原因が求められるという。とくに所得上位20%に関する格差は、そのほとんどがこの要因で説明できる。成果給を導入した企業では、成果に応じて社内での給与に差がつくだけでなく、社員の勤労意欲が高まるために、未導入企業との格差も広がる。

では、保守の向うべき方向性は何か。ウィルは、自由こそが個人の尊厳を支える基盤であるという立ち位置を再確認する。しかし、だからといって福祉国家自体を否定しても勝ち目はない。むしろ論点にすべきなのは、政府によるプログラムの提供の仕方である。すなわち、個人の自由を広げるような仕組みで福祉国家を運営するのである。

ここまでくれば、勘のよい方はお分かりだと思う。こうしたWillの考え方は、ブッシュ政権が推進しようとした、「オーナーシップ構想」そのものなのである。

ブッシュ政権の時代には、折からの党派対立の高まりもあり、「オーナーシップ構想」は、福祉国家の解体によって民主党の支持基盤を切り崩すという、政治的な色彩ばかりが目立つようになった。しかし、政策論でいえば「小さな政府」を超えた「強い政府」の考え方は、民主党とも歩み寄れる部分があった。

民主党にしても、昔ながらの「大きな政府」に戻れば良いというものでもない。確かに、「オーナーシップ構想」という言葉自体は、余りに政治的な「汚染」が進んでしまったかもしれない。しかしこの潜在力がある概念自体が葬り去られてしまうのであれば、ブッシュ政権の後遺症はかなり深刻である。

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