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2007/10/12

トンプソンの経済政策:What Me Worry?

トンプソンの経済政策にちょっとした関心が集まっている。遅れて参戦した同候補が、少しづつ経済政策の内容を明らかにし始めたからだ。もっともその速度は極端なまでに「少しづつ」であり、民主党ほどの詳細さは望めない。それどころか、他の共和党の有力候補者も含めて、国民感覚との乖離が指摘されているのが現状である。

各紙がトンプソンの経済政策を探る素材の一つにしているのが、10月5日にAmericans for Prosperity Foundationで行われた講演である。といっても、全文を読んでもそれほどの内容があるわけではない。具体的な提案は以下の二つである。

第一は、税制について。もちろん、減税の重要性を説いている点は他の共和党候補と変わらない。ブッシュ減税の生みの親であるローレンス・リンゼーがアドバイザーであることを考えても、違和感はないところだ。むしろ目を惹くのは、法人税の引き下げが具体的に提案されている点である。トンプソンは、米国は94年以降に法人税を下げていない二つの国の一つであるとして、その最高税率を現在の35%から28%にまで下げるべきだと述べている(Shatz, Amy, "Thompson Turns to Taxes", Wall Street Journal, October 8, 2007)。第二は、公的年金改革について。トンプソンは給付額の算定基準を現在の賃金上昇率からインフレ率に変更すれば、向こう75年間の年金財政の問題は解決できるだろうと主張している(Talev, Margaret, "Thompson proposes slowing growth of Social Security benefits", McClatchy Newspapers, October 5, 2007 )。

いずれもサラッと触れられているだけだが、もう少し説明が必要だろう。まず法人税減税については、ロムニーやジュリアーニも賛同はしているが、具体的な税率までは示していないように思われる。またリンゼーは、輸出入の際の課税のあり方について、国境での調整が可能になるような方向での改革を示唆している(Schatz, ibid)。現在のWTOルールでは、EUのVATのような間接税は国境調整(輸出免税)が可能だが、米国の法人税のような直接税はこれが禁止されている。リンゼーは税の取り扱いを統一するような国際ルールの改正が望ましいとしながらも、それが無理なのであれば、米国が同じ土俵に上がる必要があるとしている。

次に公的年金だが、給付削減を正面から提案したというのは、それなりに大胆な行動だといえる。トンプソンが言うように、インフレ率調整への変更が実現すれば目下の年金問題は雲散霧消してしまう訳だが、給付額の水準は現行よりも50%以上少なくなる可能性がある(Talev, ibid)。これを補填するための民間貯蓄増進策などには言及がなく、いわば米国政治の「第三のレール」に思い切り抵触している。ちなみに、トンプソンの発言には、所得水準によってインフレ率との連動率を変えるという、ブッシュ政権も検討したProgressive Indexingを想起させるような部分もあるが、詳細は不詳である(Beaumont, Thomas, "Thompson open to changes in benefits to curb spending", Des Moines Register, October 3, 2007)。

トンプソンはもう一つの大きな義務的経費であるメディケアについても、給付水準の見直しをほのめかしている(Schatz, ibid)。まずメディケア本体については、所得水準によって給付内容に濃淡をつけるという考えがあるようだ。また、処方薬代保険には極めて批判的で、制度廃止の可能性も排除していない。

トンプソンの経済政策は、読み込んでいけばそれなりに大胆な内容である。しかし、演説を読んだ最初の印象は、何とも変わらない共和党らしい提案だということである。そこには、中間層の経済的な不安や格差の拡大、グローバリゼーションの負の側面といった問題意識は微塵も感じられない。あるのは、減税・歳出削減・小さな政府である。トンプソンの演説は、おそらく共和党の候補者ということであれば、8年前でも8年後でも通用する。ブッシュ大統領が同じ演説を行っても違和感はないだろう。むしろ年金給付金をバッサリと切り捨てる辺りは、ブッシュ政権よりも先祖帰りしている感がある。

こうした経済政策における不変性、言い換えれば「アナクロニズム」は、共和党の有力候補者にある程度共通している。10月9日に行われた、経済問題を主題にした討論会が好例である。ニューヨーク・タイムスのデビッド・レオンハートは、ミシガンという全米でも経済状況の特に悪い地域での討論会にもかかわらず、共和党候補者は米国人の経済的な不安感に触れようとせずに、減税・財政規律・規制緩和・自由貿易といった、数十年に亘って共和党が主張してきたのと何ら変わりのない経済政策を繰り返したとあきれる(Leonhards, David, "Atop G.O.P., It’s Always Sunny", New York Times, October 10, 2007)。ワシントン・ポストのスティーブン・パールスタインも「9人の候補者による2時間の討論会にはほとんど何も目新しいことはなかった」と切り捨てる(Pearlstein, Steven, "Two Hours, Nine Candidates, and Almost Nothing New", Washington Post, October 10, 2007)。さらに民主党系のメディアであるDemocratic Strategistのエド・キルゴアは、今回の討論会での議論は20年前なら当たり前だと受け止められていたような内容かもしれないと皮肉る。キルゴアは、一部の候補者による中国批判でさえ、中国を日本に置き換えれば20年前でも違和感はなかっただろうとまで指摘している(Kilgore, Ed, "Anachronisms", The Democratis Strategist, October 9, 2007)。

トンプソンも例外ではない。ニューヨークタイムスの社説は、「共和党の討論会をみていると、少なくとも有力な候補者達は別の宇宙に住んでいるかのように思われた」と指摘、それを何よりも印象付けたのが、経済を「ばら色だ」と断言したトンプソンだと書いている(editorial, "What, Me Worry?", New York Times, October 12, 2007)。同じくニューヨーク・タイムスのゲイル・コリンズも、トンプソンの討論会での発言を引用しながら、ミシガン州民の苦境にシンパシーを見せなかった点を疑問視する(Collins, Gail, "Calvin Coolidge Redux", New York Times, October 11, 2007)。コリンズは、米国民は富める者を敬う傾向にあるが、それも、どんなに恵まれていても一般国民の感情を理解していることが伝わってくるのが条件だと指摘する。これに失敗したのが2004年のケリーだが、少なくともケリーは「庶民的だから」という理由で候補に選ばれたわけではない。しかしトンプソンは、"Gucci-wearing, Lincoln-driving, Perrier-drinking, Grey Poupon-spreading millionaire Washington special interest lobbyist"という批判を封じるために、ピックアップトラックで州内を遊説するとうい仕掛けで、庶民的な魅力をアピールして上院議員になったはずだ。そんな部分がないトンプソンにどんな意味があるのだろう?

いくらメイン・ストリーム・メディアが左よりだといっても、ずいぶん強力な批判である。それでも共和党流の経済政策が選ばれるとするならば、米国の「小さな政府」志向はかなりの筋金入りと見ても良いのかもしれない。

2007/10/05

Dazed And Confused : 詳細な医療保険改革案の罪

今週末は最初の引越しである。勢い資料の整理を迫られているのだが、いやはや資料を捨てるのは辛いですね。これであれをやる筈だったとか、いろいろ考えてしまう。

というわけで(?)、しばらくは折りに触れて、取り上げた損ねた報道を備忘録的に記す機会が多くなりそうである。それはそれで、新しい発見もあり面白い。

今回は、医療保険改革の詳細を示すことの是非に関する議論である。筆者のマーク・シュミットは、2000年の大統領選挙で民主党のブラッドレー候補の陣営に属していた。その経験からのアドバイスは、「詳細な改革案は示すべきではない」というものだ(Schmitt, Mark, "Too Much Information", New York Times, July 24, 2007)。詳細な政策提案は、細部だけを取り上げた候補者批判に使われる以外は、ほとんど関心を集めることがない。2000年の選挙でブラッドレーは、対立候補のゴアに負けない詳細な改革案を提示したが、ゴア陣営による技術的な細かい批判に切り刻まれてしまった。結局のところ、ブラッドレーのためにも、国民皆保険制実現のためにもならなかったというのである。

シュミットは2つの理由をあげて、予備選期間中の提案は候補者が大統領になった後に実現できる改革とは全く関係がないと指摘する。第一に、この頃の提案は、新しい大統領が誕生する頃には忘れ去られてしまう。1992年の大統領選挙に出馬したボブ・ケリー上院議員は、予備選挙中には左よりの提案をしていた(シングル・ペイヤー)にもかかわらず、実際に当選したクリントン政権がそれよりも中道寄りの提案(もう一人の候補だったソンガス案に近い)を発表したところ、今度は右側からこの提案を批判したという。第二に、大統領は独断で政策を実現する権限がない。実際の政策を決定するに当たっては、議会での審議が必要である。さらにシュミットは、選挙期間中に若輩のアドバイザーが徹夜でピザを食べながら作ったような改革案が、連邦政府・議会が総力を挙げて検討した改革案にかなうわけがないと指摘する。

シュミットは、民主党の支持者はプラン自体ではなく、「プランという考え」に取り付かれており、プランが詳細であるほど、その候補者が本気であると思い込みがちだと指摘する。しかし、この時点での改革案に実現の可能性がない以上、支持者に必要なのは、候補者のキャラクターをしるための手がかりだけだ。したがって候補者は、改革の原則とその理由、そして基本的な目標をすめば十分だというのが、シュミットの主張である。

ヒラリーはかつて討論会で医療保険改革に触れて、「もっとも大事なのはプランではない。私達はほとんど同じようなことを提案している。大切なのは、政治的な意志があるかどうかだ」と述べている。シュミットは、このラインで十分なはずだと述べている。

もちろんこの記事が発表された後に、ヒラリーは詳細な改革案を発表した。それどころか、アイディアの無さを揶揄された共和党陣営も、それなりの改革案を発表しているのが現状である。しかし、米国の医療保険制度の実態は、多少知識がある人間でも眩暈をおこすほど複雑だ。勢い、実際の改革案の本質から離れた単純な批判の方が受け入れられやすくなる素地は十分にある。ことが「政府のあり方」のような抽象的な問題にもつながってくるからなおさらである。詳細な改革案の戦いが、本当に改革のためになるのかどうかは、選挙戦の騒乱が静まった後に初めて明らかになるのかもしれない。

2007/10/04

医療保険改革と二つの「トロイの木馬」

医療保険を巡る議論が盛んになっている。この問題は、市場原理重視の共和党と、国の役割を重視する民主党の議論が分かれる好例として取り上げられ易い。一朝一夕に片付く問題ではないが、政治的な思惑もからむだけに、少しの動きでも、将来に向けたさきがけとして神経質に取り扱われる傾向があるようだ。

2つの事例を取り上げたい。

第一は、現在議会を賑わせているSCHIPの問題である。10月3日にブッシュ大統領は、民主党議会が可決した改革案に対して、予告通り拒否権を発動した。大統領による拒否権の発動は、就任以来数えても、ようやく4回目である。

既にこのページでも取り上げたように、ブッシュ政権・共和党が議会の改革案に反対している理由の一つが、「国が運営する全国的な医療保険への第一歩である」というものである。例えばベーナー下院院内総務は、「子供のために作られたプログラムを、いまだに同制度の対象とすべき低所得の子供が残っているにもかかわらず、国が運営する医療保険制度のトライアル・バルーンに使うのは無責任だ」と述べている(Newton-Small, Jay, "Making Hay Over the Health Care Veto", Time, October 2, 2007)。

共和党がSCHIPが国営医療保険の「トロイの木馬」である根拠として指摘するのが、90年代にクリントン政権が医療保険改革を推進していた際に作成された、ある内部文書である。この文書には、国民皆保険制の導入に失敗した場合の善後策として、子どもの無保険者を無くす(Kids First)という提案が記されている。州政府を担い手とするなど、枠組み的には後のSCHIPに極めて近い。今回の民主党のSCHIP改革論も、当時の流れを汲む策略だというわけである。

当時改革を取り仕切っていたヒラリー上院議員の陣営は、この文書に基づくSCHIP批判は、二つの点で意味が無いと反論する。第一に、この文書は当時の数ある提案の一つに過ぎず、当時ヒラリーが支持していたわけでもない。第二に、そもそもヒラリーは、国が運営する全国的な医療保険制度を提案しているわけではない。むしろヒラリーの改革案は、官民の保険が共存するハイブリッドである(Kady II, Martin, "Battle of sound bites reaches health care", Politico, October 2, 2007)。

他方で、共和党型の医療保険改革のさきがけになる可能性があると指摘されているのが、先頃GMとUAWの間で合意された、退職者医療保険に関する改革である(Jenkins Jr., Holman W., "Wising Up on Health Care", Wall Street Journal, October 3, 2007)。この合意では、UAWがVEBAと呼ばれる基金を通じて退職者に医療保険を提供し、GM側はこの基金に定額の費用(350億ドル)を払い込むこととされた。この合意によって、GM側は退職者医療に関する債務を切り離し、負担額を確定できる。対するUAW側は、基金の運用や医療費の管理具合によっては、組合員に負担を求めずに制度を存続させられる可能性が出て来る。GMの退職者医療債務は510億ドル。350億ドルの元手でどこまで制度を運営するかは、UAWの腕の見せ所である。

こうした仕組みは、ブッシュ政権が個人向けに推進していたHSAに酷似している。さらに言えば、利用者にアカウントを与えて、サービスの効率的な利用へのインセンティブにしようという考え方は、「オーナーシップ社会」構想に相通じている。

もっとも、GM-UAWの取り組みがオーナーシップ構想のさきがけになるかどうかは、今後のUAWの出方にも関わってくる。例えば、GMとの合意のなかには、国民皆保険制の導入に向けて協力するという内容があるという。民主党政権の誕生も視野に入る中で、UAWにとって今回の合意は国による救済を求めるための通過点に過ぎないのかもしれない。また、基金の運営が厳しくなった場合には、GM側が追加的な費用を負担する。このようなセーフティーネットの存在は、効率化へのインセンティブを殺いでしまいかねない。

GMに先駆けてUAWがキャタピラーとの間で設立したVEBAたは、発足後6年で底を付いてしまった。GMの案件はまだ仮合意の段階だが、その行方は今後の医療保険改革論議にも少なくからぬ影響を与えそうだ。

2007/09/26

前哨戦としてのSCHIP論争

大統領選挙の大きな争点になりつつある医療保険改革。その前哨戦が米議会で山場を迎えている。

俎上に上っているのは、低所得層の子供を対象とした公的保険であるSCHIP。9月末で期限が切れるこのプログラムの延長を巡って、議会民主党とブッシュ政権が対立している。民主党側は、現行の5年間で250億ドルの予算を600億ドルにまで増額し、660万人の加入者を1000万人にまで拡大すべきだと主張する。これに対してブッシュ政権は、同300億ドルまでの増額しか認めない方針で、拒否権の発動を示唆している。25日に下院で行われた採決では、民主党案が賛成265票で可決されたものの、拒否権を覆せるだけの賛成は得られなかった(Pear, Robert, "House Passes Children’s Insurance Measure", New York Times, September 26, 2007)。

SCHIPは、ブッシュ政権が民主党との戦場に選ぶには、やや奇異なプログラムである。SCHIPは子供の無保険者を減らすという目的を達成しており、実際の運営を担当する州政府の評価も良好である。1997年に同制度はクリントン政権と共和党議会の下で成立しており、ハッチ上院議員など共和党にも支持者は少なくない(Dionne Jr., E. J., "The Right Fight for Democrats", Washington Post, September 25, 2007)。何よりも、「子供のためのプログラム」は絵になりやすく、世論の支持を集め易い(Milbank, Dana, "A Bill That Everyone Can Love -- or Else", Washington Post, September 26, 2007)。すかさず民主党は、SCHIPに加入している子供を記者会見に引っ張り出して、「この子のために」というアピールを展開した。

ブッシュ案の水準では、100万人の現受給者が賄えなくなるといわれる(Dionne Jr., Ibid)。それでなくても、法案審議が滞り、9月末に制度が期限切れになってしまえば、12の州で制度の存続が危うくなるという(Pear, Robert and Carl Hulse, "Congress Set for Veto Fight on Child Health Care", New York Times, September 25, 2007)。このためホワイトハウスは、州政府に危機対応プランを作成するよう呼び掛けているというが、来年に選挙を控える共和党議員からは、大統領に再考を求める声も聞かれる。下院の投票でも、45人の共和党議員が民主党案に賛成票を投じている。

なぜブッシュ政権は、そこまでのリスクを犯してまで、民主党案に反対するのか。それは政権がこの問題を、政府のあり方に関する根本的な哲学の問題として位置付けているからだ。ブッシュ大統領は、民主党案は「全ての米国人に公的保険を適用するというゴールに向けたステップの一つだ」と批判する(Pear et al, ibid)。歳出拡大の財源が増税(タバコ税)なのも政権の思考とは相容れない。むしろ現状でもSCHIPは加入基準が緩められすぎており、「貧しい家庭の子ども」という当初のターゲットに立ち戻るべきだというのが、ブッシュ政権の主張だ。共和党にとってこの問題は、「医療の社会化」を巡る代理戦争であり(Milbank, ibid)、金額では譲歩の余地があるにしても、「肝心なのは政策であり、哲学の問題(レビット厚生大臣)」なのである(Lee, Christopher, "Senate and House Reach Accord on Health Insurance for Children", Washington Post, September 22, 2007)。

SCHIPのような由来としては超党派の支持を得られる素地がある政策が、ここまで論争の的になってしまうというのは、医療保険制度というのが、両党の哲学を分ける象徴的な問題になっていることの表れであろう。その一方で、イデオロギー的な対立が余りに先行した場合には、「事実」に基づいた議論によって、党派対立に歯止めがかけられる余地が出て来るような気がする。例えば、ブッシュ政権はSCHIPの対象を貧困ラインの200%以下に限定すべきだと考えている。しかし、昨年増加した子どもの無保険者(71万人)のうち、その約半数が貧困ライン200~399%の家庭の子どもだったという(editorial, "Gunfight at the S-Chip Corral", New York Times, September 25, 2007)。

ところで、SCHIPに関しては、その審議プロセス自体が、昨今の党派対立の高まりを象徴している。問題の法案は、両院協議会での審議を経ていないのである(Hulse, Carl, "In Conference: Process Undone by Partisanship", New York Times, September 26, 2007)。両院協議会は、上下両院で異なった内容の法案が可決された場合に、両院・両党の有力者が集まって、法案内容の調整を行う場であり、米国の議会審議プロセスにおいて重要な役割を果たしてきた経緯がある。両院協議会の結論(Conference Report)は、本会議での修正が認められないために、法案の内容を最終的に決定する力を持っていた。また、その開催には両党指導部の合意が必要だったので、少数党にも一定の発言の機会が与えられていた。ところが、党派対立が厳しくなるに連れて、最近の議会では両院協議会が機能しなくなってきた。多数党は内輪だけで内密に法案内容の調整を行うようになり、少数党は審議妨害のために両院協議会の開催を妨げるようになってしまった。当初民主党議会は、共和党のやり方を改めて、オープンな両院協議会を開催する方針を示していたが、共和党の妨害工作が目立つようになるに連れ、両院協議会を迂回するようになったという。SCHIPでも、まずは共和党が民主党による両院協議会開催の呼びかけを断った(Wayne, Alex, "Chldren's Health Insurance Bill Dealt a Setback as Sept.30 Deadline Looms", CQ Today, September 4, 2007)。そして民主党は同調しそうな一部の共和党議員(グラスリー上院議員やハッチ上院議員)だけを招いて、最終的な法案内容を固めてしまった。SCIP以外にも、ロビイング改革法やFDA改革法、さらにはエネルギー法案などが同様の道筋をたどりそうである。

両院協議会はお飾りに過ぎないという意見もある。学費ローン法の両院協議会に参加しようとした或る議員は、開催場所を探すのに四苦八苦した上に、肝心の会合では参加者が誰も主題である法案の実物を持っていないことを発見した、なんていう話もある(George, Libby, "Why Show Up? Just Wait, and Then Complain", CQ Today September 5, 2007)。

それにしても、いつまでもこんな対立状況が続くものだろうか。有権者の問題意識が集中する医療保険の問題は、一見すると対立の構図をさらに深める要素のようだが、対立が行き詰まる分岐点になる可能性も否定できないような気がする。

2007/09/20

不可思議なロムニーのヒラリーケア批判

ヒラリーの医療保険改革案は、共和党陣営から厳しい批判を浴びている。そのこと自体には何の不思議もないが、違和感を覚えざるを得ないのは、なかでも一際厳しい批判を展開したのがロムニーだった点である。ヒラリーの改革案とロムニーが州知事時代に実現したマサチューセッツ州の医療保険改革には、類似点があるからだ。

ロムニーのヒラリー批判は念の入り用が違う。ヒラリーによる発表の当日には、具体的な提案が明らかになる前に、ニューヨークの病院側の路上からいち早く非難声明を発表(Wangsness, Lisa, "In ways, Clinton healthcare plan resembles Romney's Mass. solution", Boston Globe, September 18, 2007)。こともあろうにジュリアーニの名前を冠した施設のある病院で、「断りもなしに…」と病院に非難声明を出されてしまったというしょうもないオチがあったが、ともあれヒラリー案はa European-style socialized medicine planに過ぎず、ヒラリーケア2.0は1.0と同じように失敗策だとこき下ろして見せた(Luo, Michael, "Clinton’s Rivals Blast Health Care Plan", New York Times, September 17, 2007)。さらにマサチューセッツの改革と似ているという評価を気にしてか、20日のウォール・ストリート・ジャーナルには、「マサチューセッツの改革とヒラリーケアは全くの別物」とする一文を寄稿している(Romney, Mitt, "Where HillaryCare Goes Wrong", Wall Street Journal, September 20, 2007)。

ロムニーが指摘するヒラリーケアとマサチューセッツの改革の違いは、次のようなものだ。第一に、ヒラリーケアは増税(ブッシュ減税の一部失効)が前提だが、マサチューセッツは違う。第二に、ヒラリーケアでは無保険者用に公的保険が拡充されるが、マサチューセッツでは民間保険の選択肢を増やした。第三に、ヒラリーは全国単一のシステムを押し付けようとしており、州独自の改革とは対極だ。第四に、ヒラリーは新しい公的保険を作り出して政府の役割を著しく拡大しようとしているが、マサチューセッツは規制緩和を重視した。第五に、規制緩和による保険料引き下げが、義務付けの前提にあるべきだ。

もっともロムニーの「言い掛かり」に反論するのは、それほど難しくない。マサチューセッツでは連邦政府からの補助金を利用したわけだが、それは政府の赤字であって、ファイナンスしようと思えば、増税が必要になる。マサチューセッツでも、メディケイド(公的保険)の拡充が試みられているし、新しい保険市場は公的に管理されている(ヒラリーは新しい政府機関は作らないとしている)。州改革重視論にしても、最終的には最良の改革への収斂が想定されているわけだから、それがマサチューセッツ型だったということならば、それはそれで良いのではないか。

何よりも見逃せないのは、語られていない二つの類似点である。第一は、ヒラリーもマサチューセッツも、無保険者の解消を目的にしているという事実である。第二は、その裏返しともいえるが、いずれの改革も、個人への保険加入義務付けを盛り込んでいることだ。ロムニーが何と言おうと、ヒラリー案への全面的な反論は、自らが携わったマサチューセッツ改革からの離反に外ならない。ロムニーはヒラリー案では義務付けの前提条件が整っていないというが、自分が義務付け自体を目指すかどうかは曖昧だ。

実際のところ、既にロムニーが提案している医療保険改革案は、共和党のラインに見事に沿った内容である。2004年の大統領選挙では、民主党のケリーが、イラク戦費に関して「賛成する前に反対した」と発言して嘲笑された敢えてマサチューセッツの改革を擁護するロムニーの姿勢には、同じような不可思議な変わり身を感じてしまう。何よりも、このまま共通項を否定し続けるようであれば、ロムニー政権下で超党派の医療保険改革が進む可能性は薄くなる。両者の距離が実は近いことは、決して米国にとって不幸なことではないと思うのだが、どうだろうか。

2007/09/18

ヒラリーの医療保険改革案、いよいよ。

転居の準備が第一の山場を迎えつつあるので、暫くは備忘録のようなポスティングが増えるかも知れない。今の心境は、他人のサブプライムより自分の借家、ファンド課税強化より自分の確定申告である。何せ、前回米国に渡ったのは10年前。なかなかどうして一筋縄ではいかない。いっそのこと、顛末を記した新しいページでも立ち上げようかと思ってしまう。

9月17日にヒラリーが待望の医療保険改革案を発表した(Healy, Patrick and Robin Toner, "Wary of Past, Clinton Unveils a Health Plan", New York Times, September 18, 2007)。医療コスト削減、医療の質の向上に続く第三段は、国民皆保険制に向けた総仕上げの改革案である。詳細はココをご覧頂きたい。

このページをフォローして下さっている方には耳タコだと思うが、現行のハイブリッドな医療制度を基本に皆保険制を実現するための鍵は、「義務付け」にある。ヒラリーの提案では、個人に保険加入が義務付けられた。民主党の候補者ではエドワーズと同じ立場であり、義務付けを回避したオバマとは一線を画した。また、ヒラリーの提案では、企業側についても、大企業に関しては、従業員への医療保険提供か公的制度への費用負担を迫られる(Play or Pay)。

注目されるのは、90年代にヒラリーが主導した改革案(ヒラリーケア)との違いだ。共和党陣営は、前回の改革の記憶を呼び覚まし、「医療の社会化」に外ならないと批判しようと手ぐすねをひいている。ヒラリーは一体何を学んだのか。

ヒラリーのアドバイザーの一人であるジーン・スパーリングは、少なくとも3つの相違点があると指摘する(Kornblut, Anne E. and Perry Bacon, "Clinton Unveils Health Care Plan", Washington Post, September 17, 2007)。第一に、以前の提案では個人・企業は地域アライアンスという官製市場への参加が義務付けられた。今回は選択の余地が広く、現行のカバレッジ維持も可能である。第二に、制度全体を統括する公的な意思決定機関は創設されない。第三に、前回は企業への義務付けが特徴だったが、今回は中小企業についてはむしろ保険提供の支援策が盛り込まれた。総じていえば、「選択」を強調し、国の介入を控え目なものに止めようとしたという印象である。何しろ、改革案の名称からして、Amercan Health Choices Planである。

ところで日本では、マイケル・ムーアの新作「シッコ」を引き合いに、「米国型に近付くような改革」に警鐘を鳴らす向きが目立つ。しかし、あの映画は米国が敢えて対局にあるキューバを持ってきたところに意味がある。日本は比較でいえばキューバ寄りにあるわけで、学びとるべきことは自ずと違うはずだ。危機に瀕しているのは、何も米国型の医療保険制度だけではない。高齢化が進む中で、医療システムのファイナンスを維持する知恵が求められている点で、日米に違いはない。そして、国民的な議論が始まろうとしている米国は、少なくともその深淵を覗きこもうとしているのである。

2007/08/29

Things to Come II : ジュリアーニの医療保険改革案

一昨日はロムニーの医療保険改革案を「ジュリアーニに続く共和党有力候補による改革案」と紹介したが、よくよく見返して見ると、ジュリアーニの改革案をきちんと取り上げていなかった。遅ればせながら、その内容を整理しておきたい。

7月31日に発表されたジュリアーニの改革案は、3分野10項目で構成されている。

1.政府ではなく患者・家族の力を強める
・税制改革による選択の幅の拡大(1万5千ドルまでの医療費所得控除化)
・税額控除などによる低所得層の医療保険購入支援
・品質・価格の透明性向上
2.お役所仕事と医療のデリバリー改革
・医療訴訟改革
・ブロック・グラントによる州政府の改革促進
・州による保険規制緩和・州を跨いだ保険購入の容認
・新薬承認プロセスのスピードアップ
・官民パートナーシップによるIT化促進
3.健康促進のための保険カバレッジ改革
・HSAの基準緩和
・州の予防医療・生活習慣病対策とメディケイド補助金の関連づけ

お気付きのように、具体的な改革案の内容は、ロムニーのそれと似通っている。柱の一つが個人保険購入に関する税制改革なのも同じである。

ジュリアーニの改革案に対しては、「改革」の看板に値しないという批判もある(Klein, Ezra, “A Man With a (Non-)Plan”, American Prospect, August 2, 2007)。詳細さに欠けるのもさることながら、義務付け等もないし、所得控除はそもそも所得税を払っていない低所得層には無力である。これでは無保険者は減らないし、医療コストも下がらない。また、企業提供保険から個人保険に移れば、保険会社に対する加入者の立場が弱くなるという指摘もある(Gross, Daniel, “I Can Get It for You Retail”, Slate, August 9, 2007)。

見逃せないのは、そもそもジュリアーニの改革案は無保険者対策を謳っているわけではないという事実である。むしろジュリアーニの改革案は、民主党の提案を攻撃するための足掛かりとしての色彩が強いといえるかもしれない。ロムニーのラインにも似ているが、民主党の提案は「大きな政府」の典型であり、医療保険を取り巻く状況をかえって悪化させるというわけである。実際にジュリアーニが改革案を発表した際には、「民主党」という言葉が6回、「シングル・ペイヤー」が8回使われたのに対して、「無保険者」への言及は一度もなかったという(Klein, ibid)。「社会主義的なモデルは政府を破産させる。そこにヒラリー、オバマ、エドワーズは導こうとしている。罠に気付かなければ大変なことになる。カナダやフランス、英国型の医療保険になってしまう」などと、その批判ぶりはなかなかカラフルである(Santora, Marc, “Giuliani Seeks to Transform U.S. Health Care Coverage”, New York Times, August 1, 2007)。

既に述べたように、実際に改革案が目指す姿について、共和党と民主党にどれほどの違いがあるのかは疑問である。しかし、ジュリアーニやロムニーの態度を見る限りでは、合意出来る部分を探して超党派で改革を進めようという気配は感じられない。予備選特有の現象であるにしても、こうした論戦によって歩み寄りの「土壌」が汚染されすぎれば、改革の実現は遠のいてしまいそうである。

2007/08/27

Things to Come:ロムニーの医療保険改革案

8月24日にロムニーが医療保険改革案を発表した。共和党の有力候補者ではジュリアーニに続く本格的な改革案の発表である。医療保険という本来は民主党のテーマである問題について共和党の候補者が相次いで改革案を打ち出しているという現実には、この問題への有権者の関心の高さが反映されている。同時にロムニーの改革案には、今後共和党がどのように民主党案を攻撃していくかという方向性が示唆されている。

ロムニーの改革案には大きな驚きはない。ジュリアーニと同様に、概ね共和党のラインに沿った内容だからである。ロムニーはマサチューセッツ州知事時代に、民主党の州議会と協力して、州民皆保険を目指した改革を実現している。しかし、共和党の予備選を争うロムニーが、マサチューセッツの改革に含まれたような、保守層が嫌うような提案を行なうことはなかった。

ロムニーの改革案の特徴を上げるとすれば、「含まれなかったもの」を指摘せざるを得ない。「義務付け」である。このページでも何度か触れているように、共和党も民主党もハイブリッド型の医療保険制度を基本とする中で、義務付けは「逆選択」に絡んだ大きな論点であり、保守層にすれば医療の社会化につながる受け入れ難い提案である。マサチューセッツの改革には、企業(提供)・個人(加入)の双方に義務付けが行われていたが、今回のロムニーの改革案には、ジュリアーニの提案と同様に、一切の義務付けは含まれなかった。

ロムニーは大きく分けて6つの提案を行なっている。
1.連邦政府補助金による州の医療保険規制緩和の促進
2.連邦政府が州政府に支給している無保険者用医療費の低所得者向け医療保険購入支援への転用
3.HSAの利用基準緩和と個人保険に関わる費用の完全所得控除化
4.ブロック・グラント化による各州のメディケイド改革促進
5.医療訴訟改革
6.情報化、コスト・クオリティ情報の公開等による市場力学の強化

このうち、連邦政府が行なう無保険者対策に分類できるのは、3の税制改革くらいだろう。企業提供医療保険と個人保険の税制上の扱いを共通化していくという方向性は、ジュリアーニやブッシュ政権と同じである。この辺りには、ロムニーのアドバイザーであるグレン・ハバードの存在が感じられる。ハバードはロムニーがマサチューセッツと違うスタンスを採ったのは、「大統領は連邦税制を変更できるという点で州知事よりも大きな権限を持っているからだ」と指摘している(Jacoby, Mary and Sarah Lueck, "Romney's Federal Prescription", Wall Street Journal, August 24, 2007)。

ロムニーの改革案で興味深いのは、共和党陣営が民主党の改革案を批判していくであろう2つの方向性が浮かび上がっている点である。

第一に、ロムニーの改革案の大原則は、医療保険改革は州政府が先導すべきだというものである(Luo, Michael, "Romney to Pitch a State-by-State Health Insurance Plan", New York Times, August 24, 2007)。これは、民主党が考えるような連邦政府主導の改革では、地域のニーズを汲み取れないという議論につながる。民主党案を大掛かりでグロテスクに形容するのは、ヒラリー・ケア以来の共和党の得意技である。

第二に、ロムニーは大規模な改革を提案しない理由として、上手く機能しているシステムに対しては「悪いことをしないのが肝心」だと主張している。米国の医療制度には良いところが沢山あり、不用意な改革によってこれを損ねるべきではないというわけである。無保険者問題といっても、その数は保険加入者には遠く及ばない。そして有保険者は、改革によって自らの待遇が悪化するのを恐れている。こうした恐怖感こそが、90年代前半にクリントン政権が医療保険制度改革に失敗する素地になった。そのことは共和党も忘れてはいない。民主党にとっては、このアキレス腱をどうカバーするかが、改革実現に向けての大きなハードルになるのである。

2007/06/09

Real difference ? : ジュリアーニの医療保険改革案

またか、と思われるかもしれないが、少しお付き合い願いたい。医療保険改革は、2008年の大統領選挙や、「ブッシュ後」の米国の大きなテーマだからだ。

ジュリアーニの医療保険改革案の骨格が明らかになってきた(Meckler, Laura and John Harwood, "Giuliani Health Proposal Seeks Individual Coverage", Wall Street Journal, June 7, 2007)。これまでは、オバマを中心に民主党の議論を中心に取り上げて来たが、共和党の提案はどう違うのか。その違いは、政治家のレトリックから想像するよりも、実は微妙である。

まずは、ジュリアーニのラインで説明しよう。

今のシステムの問題は、保険の選択肢が少ない点にある。高い保険しか買うことができない。勤務先を通じて保険を買っている場合には、普通は質の良い(高い)保険しか選べない。個人で市場から買おうにも、市場の参加者が少ないし、州政府が売ることのできる保険の種類(最低限のカバレッジ等)を規制している。保険会社にすれば、採算を取るためには保険料を上げざるを得ない。

鍵になるのは、個人保険市場の活性化である。そのためには、2つの方策が必要だ。第一に、勤務先経由の保険に与えられている優遇税制を改革し、個人保険を買った場合と条件を同じにする。これで、個人保険市場への参加者が増える。第二に、供給サイドでは、州の規制権限を弱体化させる。これによって、例えば、カバーされるサービスの範囲は狭いが、保険料が安い保険も売れる(買える)ようになる。買いやすくなれば無保険者は減る。

これは、民間をベースにした改革だ。補助金で医療保険を拡大する民主党の考え方とは、根本的に違う。個人への義務付けもしない。補助金が必要になり、逆に価格が上がってしまう。

民主党の改革案は、「医療の社会化(Social Medicine)」だ。

この「医療の社会化」というのが、共和党側の殺し文句である。医療保険改革、とりわけ無保険者対策の関門は、既に保険を持っている人にどう納得してもらうかという点にある。確かに米国にはたくさんの無保険者がいるが、数でいえば、保険に加入している人の方が圧倒的に多い。こうした人達は、今より条件が悪化するのを恐れている。「社会化=国営化=悪」という連想は強力である。

それはそれとして、民主党とジュリアーニの案には、本当に天と地ほどの差があるのだろうか。

試しに完成型を想像して頂きたい。どちらの案も、既存の官民ハイブリッドの仕組みを残す。しかし、企業の負担は増やさずに、その外側の保険を広げる。シングル・ペイヤーと比較すれば、こうした構造自体は、両者は近しい関係にあるのではないだろうか?実際に、ジュリアーニが提案している税制改革には、民主党サイドにも同調する意見がある(例外は労組。企業に医療を負担させたいからだ)。

そうであれば、問題となるのは、やはり「逆選択」の問題である。安くてカバー範囲の少ない保険が普及したら、リスクの偏りがさらに進むのではないか?その部分を掬い上げる手立ては必要なのか?議論はこのような方向に進むのが筋である。そして、そこで初めて、国の役割の議論になる。


選挙は必要以上に立場の違いを強調する場になりがちである。それは、候補者の立ち居地を知る上では、大事な手掛かりになるし、キャラクターを判断する材料になるという意見もある。しかし、本来なら存在する筈の、共通する議論の土台が、弾き飛ばされてしまう可能性は見逃せない。候補者が立場を鮮明にすることが、改革の実現にとって好ましいかどうかは、全くの別問題なのである。

2007/06/07

オバマの医療保険改革案 Part II : 義務付けはなぜ必要か

昨日に続いて、オバマの医療保険改革案を取り上げる。なぜ無保険者の解消には、個人への保険加入の義務付が必要なのか。今日は政策論の視点から整理したい。

大きく分けると、理由は二つである(Nichols, Len M., "Where's Obama's Mandate?", American Prospect, June 4, 2007)。

第一に、義務付にしてこそ、公平で効率的な市場が実現する。理由は「逆選択」の存在である。保険というのは、様々な加入者のリスクをプールして、それに見合った保険料を決める仕組みである。従って、リスクの低い加入者にすれば、保険料は高いと感じがちになり、自分は医療サービスを必要としないだろうという判断から、保険に加入しなくなる。そうなると、残されたプールのリスクが上がり、保険料も引き上げられる。「逆選択」による悪循環だ。

「逆選択」は、保険会社による高リスク加入者回避の動きにもつながる。放っておけば、高リスクの加入者の比率が高くなり過ぎて、保険の運営が難しくなるからだ。

「義務付」が行われれば、低リスク者も、保険に加入せざるを得ない。そうなれば「逆選択」に伴う不公平が解消される。低リスク者とはいえ、医療サービスを受けないわけではない。無保険者の医療費は高くなりがちだし、病院が彼らに備えるだけで費用が発生する。現在の仕組みでは、その一部は他の保険加入者に付け回されている。つまりは、フリー・ライダーの問題ある。

また、「逆選択」に伴う無駄も減らせる。保険会社は、出来るだけ低リスク者の比率を高めるために、多額の宣伝費等を使っている。この部分がなくなれば、保険料も引き下げられるようになり、保険に加入しやすくなる。

第二の理由は、「逆選択」があるために、「義務付」なしでは、無保険者は解消できないということだ。いくら補助金を積んでもフリー・ライダーは発生する。既存の研究によれば、金銭面で保険を買いやすくするだけでは、無保険者の3分の1が保険に入るだけだとみられている。子供だけに義務付けた場合には、その割合は半分に上がる。オバマのアドバイザーは、加入の方法を簡略化したりすれば、3分の2まで無保険者を減らせるというが、これは楽観的な見通しであり、それでも1500万人の無保険者が残る(Cohn, Jonathan, "Wading Pool", New Republic, May 31, 2007)。

オバマはなぜ「義務付」を避けたのか。中間層の反発を恐れたという説もあるが、少なくとも表向きの理由は、「実現できない義務は課したくない」というものだったようである(Cohn, ibid)。つまりは、保険に入れといわれても、経済的に難しい場合もあるだろうという判断である。

New America FoundationのLen Nicholsに言わせれば、これは「義務付」への反論としては、真っ当な部類に入る。だからこそ、「義務付」を提案する場合には、しっかりとした補助金の枠組みを整備する必要がある。言い換えれば、この問題は、政策的な対応が可能だということになる。そこが、オバマに対する「物足りなさ」感につながっている。

ちなみに、悪い反論とは何か。Nicholsは、個人ではなく、企業に責任を負わせようとする考え方だという。企業にとって医療費負担は、国際競争上の重荷になっている。個人にとっても、保険を勤務先に依存していると、転職や失業の時に大変だ。企業をベースにした保険を主軸に据えるのは、グローバル時代の改革とは言い難い。

皆保険に向けたもう一つの進め方は、国が一つのプールを作ること(シングル・ペイヤー)である。オバマを批判する中には、「シングル・ペイヤーでなければ改革とはいえない」といわんばかりの人もいるようだが、「大きな政府」への嫌悪感が強い米国では、そこまで進むのは、政治的には難しいだろう。

いずれにしても、医療保険の議論は、一歩踏み込んだだけで、一気に複雑になることが、お分かりいただけたのではないだろうか。

つくづく医療保険は、重要だけれど、選挙ではあまり突っ込んだ議論には進みにくい分野である。

2007/06/06

Candidate of Almosts ? : 医療改革案からみたオバマ

予想されていた通り、オバマが提案した医療保険改革案は、他の民主党の主要な候補の提案と、概ね似通った内容であった(Lazewski, Robert, "Clinton, Edwards, Obama--Offering Health Care Reform Proposals More Similar Than Different", Health Care Policy and Marketplace Review, June 4, 2007)。

しかし、この「概ね」というのが曲者だ。

米国でちょっとした話題になっているのが、オバマの改革案が厳密には皆保険制ではないことである。

説明が必要だろう。民主党の改革案の主流は、医療費の引き下げと、公的保険の拡大、民間保険市場の改革等によって、官民ハイブリッドの現在のシステムを活かしながら、無保険者を減らそうというもの。こうした方向性は、ほぼ固まっている。

しかし、こうした改革は、国が運営する一つの保険(シングル・ペイヤー)ではないから、それだけで無保険者が解消されるわけではない。やり方は幾つかあるが、マサチューセッツやカリフォルニアなどの州政府による最近の改革では、個人に保険への加入義務を課すことで、皆保険制を実現しようとしている。既に発表されているエドワーズの改革案にも、こうした「個人への義務付」が含まれているが、オバマの改革案には、これに相当する提案がない。従って、オバマの改革案は、「ほとんど皆保険」にはなるかもしれないが、「皆保険」には届かない。

なぜ「義務付」が必要なのかという点については、政策的な観点からしっかりとした議論がある。これについては、近日中に触れるつもりだが、ここで注目したいのは、この問題をオバマのキャラクターに関連付ける議論である。

例えばAmerican ProspectのEzra Kleinは、「ほとんど皆保険」を提案してしまったオバマは、「あと一歩」の候補者であることを露呈してしまったと指摘する(Klein, Ezra, "A Lack of Audacity" American Prospect, May 30, 2007)。才能はあるし、レトリックも素晴らしい。しかし、約束を実現できるかというと疑問が残る。オバマの医療改革案も、「皆保険」だとは宣伝されているが、実際には皆保険の「可能性」止まりだ。

New RepublicのJonathan Cohnも、オバマの今回の判断には、大統領としての資質(Cohnの評価はmix)が垣間見えると述べる(Cohn, Jonathan, "Wading Pool", New Republic, May 31, 2007)。オバマの判断には中間層の反感を買いたくないという計算があったのかもしれない。しかし、州の改革に見られるように、「義務付」はもはやタブーではなく、むしろ「個人の責任」という要素が加わるために、保守派の賛同も得やすくなる可能性がある。それに、約束するだけでは「皆保険」には届かないかもしれない。そろりそろりとプールに入るのではなく、思い切って飛び込むべきではなかったか。

実は民主党陣営には、候補者は詳細な医療保険改革案を示すべきではないという議論があった(Schmidt, Mark, "Presidential Health Care Plans", New Republic, May 21, 2007)。医療保険改革は、内容が難解な上に、難しいトレード・オフが付き物だ。それだけに、詳細なプランを明らかにすれば、必ず敵に攻撃される。まして、大統領になれたとしても、実際の改革案は議会との交渉で決まる。選挙の時に詳細な案を示す意味はない。

さらにオバマの場合には、詳細な案を示すことの問題点がもう一つある(Klein, ibid)。既存のラベルを嫌い、大きな夢のあるテーマを語ってきたのに、詳細な政策論に降りていけば、従来型の議論に引きずり込まれてしまう。夢を夢として語れなくなってしまう。

それでも詳細な案を提示したオバマは、その点では「大胆」といえるのかもしれない。しかし、その内容については、「あと一歩」という評価が目立ってしまう。どの論者もオバマのプランに良いところがないとは言っていない。しかし、キャラクターの議論と重ね合わせると、「あと一歩」なのだ。

Paul Krugmanは、具体的な政策に関する提案こそが、候補者のキャラクターの本質を示す鏡だと指摘する(Krugman, Paul, "Obama in Second Place", New York Times, June 4, 2007)。2000年の大統領選挙でのブッシュの提案を真剣に分析すれば、どんなにいい加減な人物であるかが分かった筈だというのである。ちなみに、オバマの改革案に対するkrugmanの評価も、「あと一歩」だ。

個人的には、今回の「義務付」の問題は政策論として善し悪しを語るべき題材だとは思うが、それはそれで、一つの視点ではある。

2007/05/25

Price You Pay : ヒラリーと医療保険改革

24日にヒラリーが医療保険に関する演説を行なった。ヒラリーは、医療保険関係の提案を3回に分ける方針で、24日はその第一回。テーマは医療費の抑制策だった。この後、医療の質と無保険者問題に関する演説が続くという(Kornblut, Anne E., "Clinton Reenters the Health-Care Fray", Washington Post, May 25, 2007)。

面白いのは、演説の前日に、29日にオバマが医療に関する提案を発表するという報道があったことだ(Davis, Teddy, "Obama Ready to Get Specific on Health Care", ABC News, May 23, 2007)。どちらが仕掛けたのかは不明だが、互いを意識した神経戦を感じさせる。

そういえば、24日に上院で行われた補正予算に関する投票では、ヒラリーとオバマはいずれも反対票を投じているが、先に投票したのはオバマだったという。

いや、余談ですよ。イラクにはしばらく触れないお約束ですから。

もっとも、医療の問題については、ヒラリーに一日の長があるのは否めない。ヒラリーが医療に造詣が深いのはアメリカ人の常識。また、医療は複雑怪奇な問題であり、ヒラリーの政策オタク振りを見せつけるのには打って付けの舞台である。今回の演説にしても、ヒラリーは80以上の数字を引用し、プレス・リリースには70(!)もの脚注がついているというから恐れ入る(Meckler, Laura, "Clinton Health Care : By the Numbers", Wall Street Journal, May 24, 2007)。

というか、やりすぎ。

さらに、各候補が政策の違いを鮮明にしにくい可能性があることも見逃せない。医療は長年の課題であるだけに、様々な議論の蓄積がある。「医療費を減らし、無保険者を減らす」という目標が同じであれば、候補者の腕の見せ所は、主にメニューの組み合わせとディテールになる。これらは、なかなか有権者には伝えにくい部分である。そして、どれもが同じ提案に聞こえるのであれば、力量があると思われている候補が有利になるのではないだろうか。

今回のヒラリーの提案を見てみよう(Kornblut, ibid)。ヒラリーが提案したのは、以下の7つのステップ。これらによって、米国経済全体で年間1,200億ドルの医療費を削減できるという。

1.予防医療の強化
2.医療情報の電子化
3.生活習慣病対策の強化
4.既往症のある人への保険の提供
5.ベスト・プラクティスを探るための官民参加による取り組み
6.処方薬輸入の合法化
7.メディケアにおける薬価交渉の実現

いずれも、この問題を囓ったことのある人であれば、それほど意外感のある内容ではない。事実、既に改革案を明らかにしていたエドワーズ陣営は、「エドワーズは3ヶ月前に同じ提案をしている。ヒラリーの支援を歓迎したい」などと指摘している。

オバマはどうだろう。報道によれば、オバマの提案は、①無保険者を対象とした保険プールの新設、②予防医療の強化と情報化によるコスト削減、③高額医療向けの再保険の導入だという(Davis, ibid)。このうち、今回のヒラリーの提案にあたるのが②だが、その内容は極めて近そうだ。

それでも、これは「ヒラリーの提案」であって、エドワーズやオバマの専売特許にはなりにくい。むしろ、ヒラリー以外の候補は、「ヒラリーに近付けるのか」という視点から評価される傾向が強いだろう。

もっとも、ヒラリーにしてみれば、ファースト・レディ時代に、「自らが主導した改革の挫折」という多大な代償を払ったからこそ得られた、正当なアドバンテージ。ここで活かせなかったら…という思いはあるかもしれない。

なにごとにも代償は必要なのだ。

ところで、自分の自宅・職場のPCからは、ヒラリーのホームページのうち、プレス・リリースやスピーチの部分が全く見えない。これは自分だけなのだろうか?それとも、海外からはつなげないのだろうか?仕事上、非常に困ってしまう。2004年の選挙でブッシュ選対のHPに全くつなげず、えらく難儀したいやな記憶が蘇ってきているのだが...

解決方法をご存知の方は、ぜひ教えてください。