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2007/10/12

トンプソンの経済政策:What Me Worry?

トンプソンの経済政策にちょっとした関心が集まっている。遅れて参戦した同候補が、少しづつ経済政策の内容を明らかにし始めたからだ。もっともその速度は極端なまでに「少しづつ」であり、民主党ほどの詳細さは望めない。それどころか、他の共和党の有力候補者も含めて、国民感覚との乖離が指摘されているのが現状である。

各紙がトンプソンの経済政策を探る素材の一つにしているのが、10月5日にAmericans for Prosperity Foundationで行われた講演である。といっても、全文を読んでもそれほどの内容があるわけではない。具体的な提案は以下の二つである。

第一は、税制について。もちろん、減税の重要性を説いている点は他の共和党候補と変わらない。ブッシュ減税の生みの親であるローレンス・リンゼーがアドバイザーであることを考えても、違和感はないところだ。むしろ目を惹くのは、法人税の引き下げが具体的に提案されている点である。トンプソンは、米国は94年以降に法人税を下げていない二つの国の一つであるとして、その最高税率を現在の35%から28%にまで下げるべきだと述べている(Shatz, Amy, "Thompson Turns to Taxes", Wall Street Journal, October 8, 2007)。第二は、公的年金改革について。トンプソンは給付額の算定基準を現在の賃金上昇率からインフレ率に変更すれば、向こう75年間の年金財政の問題は解決できるだろうと主張している(Talev, Margaret, "Thompson proposes slowing growth of Social Security benefits", McClatchy Newspapers, October 5, 2007 )。

いずれもサラッと触れられているだけだが、もう少し説明が必要だろう。まず法人税減税については、ロムニーやジュリアーニも賛同はしているが、具体的な税率までは示していないように思われる。またリンゼーは、輸出入の際の課税のあり方について、国境での調整が可能になるような方向での改革を示唆している(Schatz, ibid)。現在のWTOルールでは、EUのVATのような間接税は国境調整(輸出免税)が可能だが、米国の法人税のような直接税はこれが禁止されている。リンゼーは税の取り扱いを統一するような国際ルールの改正が望ましいとしながらも、それが無理なのであれば、米国が同じ土俵に上がる必要があるとしている。

次に公的年金だが、給付削減を正面から提案したというのは、それなりに大胆な行動だといえる。トンプソンが言うように、インフレ率調整への変更が実現すれば目下の年金問題は雲散霧消してしまう訳だが、給付額の水準は現行よりも50%以上少なくなる可能性がある(Talev, ibid)。これを補填するための民間貯蓄増進策などには言及がなく、いわば米国政治の「第三のレール」に思い切り抵触している。ちなみに、トンプソンの発言には、所得水準によってインフレ率との連動率を変えるという、ブッシュ政権も検討したProgressive Indexingを想起させるような部分もあるが、詳細は不詳である(Beaumont, Thomas, "Thompson open to changes in benefits to curb spending", Des Moines Register, October 3, 2007)。

トンプソンはもう一つの大きな義務的経費であるメディケアについても、給付水準の見直しをほのめかしている(Schatz, ibid)。まずメディケア本体については、所得水準によって給付内容に濃淡をつけるという考えがあるようだ。また、処方薬代保険には極めて批判的で、制度廃止の可能性も排除していない。

トンプソンの経済政策は、読み込んでいけばそれなりに大胆な内容である。しかし、演説を読んだ最初の印象は、何とも変わらない共和党らしい提案だということである。そこには、中間層の経済的な不安や格差の拡大、グローバリゼーションの負の側面といった問題意識は微塵も感じられない。あるのは、減税・歳出削減・小さな政府である。トンプソンの演説は、おそらく共和党の候補者ということであれば、8年前でも8年後でも通用する。ブッシュ大統領が同じ演説を行っても違和感はないだろう。むしろ年金給付金をバッサリと切り捨てる辺りは、ブッシュ政権よりも先祖帰りしている感がある。

こうした経済政策における不変性、言い換えれば「アナクロニズム」は、共和党の有力候補者にある程度共通している。10月9日に行われた、経済問題を主題にした討論会が好例である。ニューヨーク・タイムスのデビッド・レオンハートは、ミシガンという全米でも経済状況の特に悪い地域での討論会にもかかわらず、共和党候補者は米国人の経済的な不安感に触れようとせずに、減税・財政規律・規制緩和・自由貿易といった、数十年に亘って共和党が主張してきたのと何ら変わりのない経済政策を繰り返したとあきれる(Leonhards, David, "Atop G.O.P., It’s Always Sunny", New York Times, October 10, 2007)。ワシントン・ポストのスティーブン・パールスタインも「9人の候補者による2時間の討論会にはほとんど何も目新しいことはなかった」と切り捨てる(Pearlstein, Steven, "Two Hours, Nine Candidates, and Almost Nothing New", Washington Post, October 10, 2007)。さらに民主党系のメディアであるDemocratic Strategistのエド・キルゴアは、今回の討論会での議論は20年前なら当たり前だと受け止められていたような内容かもしれないと皮肉る。キルゴアは、一部の候補者による中国批判でさえ、中国を日本に置き換えれば20年前でも違和感はなかっただろうとまで指摘している(Kilgore, Ed, "Anachronisms", The Democratis Strategist, October 9, 2007)。

トンプソンも例外ではない。ニューヨークタイムスの社説は、「共和党の討論会をみていると、少なくとも有力な候補者達は別の宇宙に住んでいるかのように思われた」と指摘、それを何よりも印象付けたのが、経済を「ばら色だ」と断言したトンプソンだと書いている(editorial, "What, Me Worry?", New York Times, October 12, 2007)。同じくニューヨーク・タイムスのゲイル・コリンズも、トンプソンの討論会での発言を引用しながら、ミシガン州民の苦境にシンパシーを見せなかった点を疑問視する(Collins, Gail, "Calvin Coolidge Redux", New York Times, October 11, 2007)。コリンズは、米国民は富める者を敬う傾向にあるが、それも、どんなに恵まれていても一般国民の感情を理解していることが伝わってくるのが条件だと指摘する。これに失敗したのが2004年のケリーだが、少なくともケリーは「庶民的だから」という理由で候補に選ばれたわけではない。しかしトンプソンは、"Gucci-wearing, Lincoln-driving, Perrier-drinking, Grey Poupon-spreading millionaire Washington special interest lobbyist"という批判を封じるために、ピックアップトラックで州内を遊説するとうい仕掛けで、庶民的な魅力をアピールして上院議員になったはずだ。そんな部分がないトンプソンにどんな意味があるのだろう?

いくらメイン・ストリーム・メディアが左よりだといっても、ずいぶん強力な批判である。それでも共和党流の経済政策が選ばれるとするならば、米国の「小さな政府」志向はかなりの筋金入りと見ても良いのかもしれない。

2007/06/18

for the mini record : 中国と大統領選挙

記録のために、「中国」というだけで脈絡のない二つの話題を取り上げておきたい。

一つ目は、出馬宣言も秒読みというフレッド・トンプソン前上院議員の外交スタッフに関する話題である。トンプソン前議員のスタッフに関しては、以前ブッシュ・チェイニー人脈が集まっているという話をとりあげた。この時には触れられなかったが、外交政策のスタッフも人選が進んでいるようである(Hayes, F. stephen, "Hawks for Thompson", Weekly Standard, June 12, 2007)。

具体的に名前が挙がっているのは、フリスト前上院院内総務のスタッフだったMark Esper、2000年のブッシュ選対に参加していたJoel Shin、そして、チェイニー副大統領の長女にして、ブッシュ政権では国務省に在籍していたElizabeth Cheneyである。いずれもワシントンではタカ派としてしられている人材らしい。

この中でオヤッと思ったのが、Mark Esperである。90年代にはトンプソンのスタッフだった同氏(ちなみにフリストはトンプソンと同じテネシー州の出身)は、議会のU.S.-China Economic and Security Review Commission(USCC)のメンバーなのである。そして、実はトンプソン自身も、2005~06年までUSCCのメンバーを務めたことがある。

USCCといえば、労働組合の代表者が参加していたりしていたりして、中国に厳しい見方をする委員会として、その名は日本にまで鳴り響いている。同委員会でのトンプソン議員の活動はそれほど知られていないが、ホームページで見る限りは、核兵器の北朝鮮への拡散問題に興味があったように見受けられる。一体この委員会への参加は、同議員にどんな影響を与えたのだろうか?

もう一つの話題は、オバマ上院議員のスタッフに関する話題である。

オバマ議員の経済担当スタッフには、「民主党の常識に縛られない」という評価がある。もっと簡単に言えば、「リベラルの考え方にこだわらない」という意味である。その典型とでもいうべき発言が、中国との通商政策に関する、Austan Goolsbeeのコメントである(Vorobyova, Toni, "Stronger yuan won't fix US deficit -Obama advisor", Reuters News, May 18, 2007)。

Goolsbeeの発言の趣旨は、「人民元が大幅に切り上がったとしても、米国の対中貿易赤字は他の国との赤字に置き換わるだけだ」というものである。さらに同氏は、「すべてのアジア通貨との関係が調整されればインパクトはあるだろうが、それは政府ではなくて市場によって行われることになる。その場合には、インフレや金利の上昇など、あまり楽しくない状況になるだろう」とも指摘している。さらに同氏は、「賃金格差の最大の要因は(通商ではなく)技術革新である」とも述べている。

こうした見解は、エコノミストの視点からすれば、いずれも極めて真っ当な見方である。しかし、予備選挙に臨む民主党の候補者陣営としては、「勇気ある発言」ではないだろうか。

さらに、Goolsbeeの意見で面白いのは、自由貿易協定(FTA)に対する批判的な意見である。同氏は、FTAが自由貿易のコンセプトを粗悪にしてしまい、政治家がドーハ・ラウンドのような大きな改革を追及する意志と体力を奪われてしまったと指摘する。

これなども、FTA全盛の現在においては、真に「勇気のある発言」ではないだろうか。

2007/06/05

Who's Supporting Whom :「怠惰」なトンプソンとブッシュの距離感

こんなにトンプソンを取り上げるつもりではなかったのだけれど、今が旬なので仕方がない。

ブッシュ・チェイニー人脈が、トンプソン陣営に流れ始めているらしい(Allen, Mike, "Key Bush backers rally to Fred Thompson", Politico, June 4, 2007)。

大所では、チェイニーの顧問を務めたマリー・マタリンが、アドバイザー役としての活動を始めているようだ。また、経済政策については、ブッシュ政権の経済顧問だったローレンス・リンゼーが責任者になる見込みだという。リンゼーにすれば、2000年にブッシュ陣営で担当したポジションの再現である。ブッシュ政権の経済政策担当者としては、グレン・ハバードとグレッグ・マンキューがロムニー陣営にいる。鳴かず飛ばずだったマンキューはともかく、リンゼーとハバードはブッシュの減税路線の仕掛人。トンプソンとロムニーの経済政策には、ブッシュの色彩がどこまで残るのだろうか。

このほかにも、ホームページの立ち上げを担当するのが、現ブッシュ陣営の電子キャンペーンの担当者(Michael Turk)だったり、親父人脈では、国内政策担当(David M. McIntosh)、COO(Thomas Collamore)がいる。極めつけは、ジェフ・ブッシュの息子のジョージ.P.ブッシュ(!)が、トンプソンの資金集めを応援するe-mailを発信していることだ。

もっとも、トンプソンにしても、ロムニーにしても、ブッシュの路線継承を強調している訳ではない。特にトンプソンの演説には、ブッシュの名前はほとんど登場しないという(Brooks, David, "Back to Basics", New York Times, June 1, 2007)。

トンプソンがブッシュに言及しないのは、彼が反ワシントンの立場で選挙を戦おうとしている現れだという見方がある。ブッシュがどうのこうのと、ワシントンの政治にとり付かれているのが問題だというわけだ。この点についてDavid Brooksは、トンプソンは徹底的な分権主義者であり、保守主義の観点からみれば、原点回帰の性格があると指摘する(Brooks, ibid)。Brooksにいわせれば、傷心の保守主義陣営にアピールするには、「原点回帰」は利口なポジションかもしれない(もっとも、21世紀の政策課題には分権主義では対応できないというのが、Brooksの見立ではあるが)。

また、反ワシントンの立場を取れば、経験不足という批判を封じられるという見方もある。有権者の現状に対する不満は強い。そうであれば、「経験者に任せてこの有様だったら、新しいやり方を試した方が良いのではないか?」と主張できるというのである(Dickerson, John, "Lazy Fred", Slate, May 31, 2007)。

一方で、トンプソンには熱意が足りないという議論は燻り続けている。上院議員時代のトンプソンによる、「こんなところで残りの人生を終わるつもりはない」「しょうもない事柄についての『上院の意見に関する決議(sense of senate)』に投票するために、14時間も16時間も費やすのは嫌だ」といった発言は、何度もメディアに取り上げられている。

SlateのJohn Dickersonは、反ワシントンで切り返せる「経験不足」批判と違い、「怠惰」というイメージは、トンプソンにとっては致命傷になりかねないと指摘する。何といっても、有権者は国のために懸命に働く大統領を求めているからだ(Dickerson, ibid)。

Washington PostのRichard Cohenはもっと辛辣である。曰く、トンプソンは何を実現したいかが見えてこない。トンプソンはレーガンに似ているといわれるが、レーガンにはイデオロギーがあり、それを実現するために政治家になった。トンプソンは上院議員としては大した実績を残さないまま、他人が書いた台詞を読む役者に転身した。二人は同列には語れない(Cohen, Richard, "Can He Find His Motivation?", June 5, 2007)。

こうも指摘する。

大統領は誰かに頼まれるのを待っていてなれるような役職ではない。例外は大統領の子供だけであり、同じ間違いは繰り返してはいけない(!)。

そういえば、ブッシュ大統領も、休暇の長さが評判になったことがあるような…

もちろん、出馬前からここまで批判されるのは、注目(警戒?)されている証。トンプソンが正式にリングに上がれば、こうした議論は一層盛んになりそうだ。

2007/05/31

テネシー・ワルツとゴアの世界

トンプソンの正式な出馬が秒読みに入ったようだ。報道によれば、6月4日に検討委員会が設立され、資金集めがスタートする。7月4日の独立記念日の辺りには出馬が宣言される見込みである(Allen, Mike, "Fred Thompson will run, advisers say", Politico, May 30, 2007)。

ま、実質的には出馬していたのも同然だったわけですが。

対照的に出馬しないだろうと見られているのが、民主党のゴア前副大統領である。新著「The Assault on Reason」の発売に併せて、ゴアがメディアに取り上げられる機会は激増している。しかし、出馬の見込みについては、否定的な報道が大半である。

Time誌はこう記す。「密かなキャンペーンなどは存在しない。どんなニュースを読んでいるかは知らないが、ゴアの配下が権力への復活の道を秘密裏に検討している会議などというのも行われていない。秘密の計画などは存在しないのである(Pooley, Eric, "The Last Temptation of Al Gore", The Time, May 16, 2007)」。

出馬しないと考えられる理由は幾つかある。一つは、敗北の傷が癒えていないこと。「忘れられたのはいつ頃か?」という質問に、ティッパー夫人は、「今何時?」と答えている(Traub, James, "Al Gore Has Big Plans", New York Times Magazine, May 20, 2007)。だいたい、2000年もさることながら、ゴアは88年にも民主党の予備選に敗れているのだ。

より説得的なのは、ゴアは現在の自分に満足しており、選挙に戻って自分らしさをもう一度失ってしまうのを恐れているという指摘である。またしても、ティッパー夫人の発言を引用しておこう(Pooley, ibid)。

「彼はあらゆる国のあらゆるリーダー、ビジネス界、あらゆる種類の政治家とアクセスがある。彼は自分自身のやり方で、世界中のどこででも好きなだけ活動ができる。これこそ自由。誰がこれをあきらめたいというの?」

もっとも、ゴアは出馬の可能性を完全には否定していない。やはり未練はあるのだろうか。新著の中にも「(2000年の討論会で)政策論争の是非よりも、自分の大きなため息が話題になったのは、テレビの悪影響の現れだ」なんて、未練がましいことを書いている。

いや、お言葉ですが、あれはひどかったですよ。見ていて、「何やってるんだ?」と思いましたもの。

出馬しないとみているからなのか、メディアによるゴアの扱いは、異様なくらいに好意的である。Time誌などは、ゴアはオバマ(草の根へのアピール、政治を超えたメッセージ、早い段階でのイラク戦争への明確な反対)とヒラリー(実行力におけるタフさ、経験と外交における信頼性)の魅力を兼ね備えた候補者になれると指摘する(Pooley, ibid)。New York Timesは、ゴアは「預言者の域に達している」とまで書いている(Taub, ibid)。新著についても、選挙の年にありがちな政治的な意図に溢れた本ではなく、米国の問題点を真摯に解き明かそうとしているという評価が多い(Michiko, Kakutani, "Al Gore Speaks of a Nation in Danger", New York Times, May 22, 2007)。

しかし、自分には拭い切れない疑問がある。

果たしてゴアは、魅力的な候補者になれるのだろうか。

正直いって、どうもゴアの議論には付いていけないところがある。時間のある方は新著の抜粋にトライしてみて欲しい。本の主題は、「なぜ米国では、事実に基づいた議論が行われなくなったか」。

何でだと思います?

テレビがいけないんだそうです。そして、期待の星は、もちろんインターネット。さらに、こうした話を、古今東西の哲学やら科学やら(脳の働きには…みたいな)の知識をちりばめながら、縦横無尽に展開している…らしい。

自分が感じた違和感に、少し鮮明な輪郭を与えてくれたのが、David Brooksの痛烈な批判である(Brooks, David, "The Vulcan Utopia", New York Times, May 29, 2007)。

Brooksは、ゴアは極端な技術決定論者だと指摘する。大抵の政治家は人間に反応するが、ゴアは機械に反応する。その新著には、機械が歴史を決めるという理論が展開されているというのだ。

Brooksによれば、新著でもっとも驚かされるのは、その冷たい世界観である。そこで展開される発展の歴史には、家族や友情、近所付き合いはおろか、人と人とのFace to Faceの触れ合いが果たす役割がほとんどない。ゴアは社会を演壇から見下ろすように観察しており、大衆の動きには、親密さや私生活が入り込む余地はない。ゴアが理想とする社会では、感情のない人間が、事実に基づいて論理的な結論にたどり着く。

そこまで過激ではないが、Washington PostのDana Milbankは、ゴアは博識振りを全開にし過ぎではないかと指摘する(Milbank, Dana, "Is It Wise to Be So Smart?", Washington Post, May 30, 2007)。この記事では、「彼の最大の問題は、自分が馬鹿だと感じさせられてしまうような人は嫌われることだ」という、ゴアの講演の聴衆による発言が紹介されている。

翻訳する気力がないので、講演からの下りをそのままどうぞ。

"Both the Agora and the Forum were foremost in the minds of our Founders. . . . Not a few of them read both Latin and Greek, as you know."

"Gibbon's 'The Decline and Fall of the Roman Empire' was first published the same year as the Declaration of Independence and Adam Smith's 'The Wealth of Nations.' "

ついでに新著の一部分も。

"The new technology called 'Functional Magnetic Resonance Imaging,' or FMRI, has revolutionized the ability of neuroscientists to look inside the operations of a living human brain and observe which regions of the brain are being used at which times and in response to which stimuli,"

"The architectural breakthrough associated with massive parallelism was to break up the power of the CPU and distribute it throughout the memory field to lots of smaller separate 'microprocessors' -- each one co-located with the portion of the memory field it was responsible for processing."

ところで、もしもトンプソンとゴアが本選挙に進んだら、テネシー州の出身者同士の戦いになる(トンプソンはゴアが上院を引退した後の議席を受け継いでいる)。思い返せば、昨年の夏ごろには、大統領選挙はバージニア州の出身者同士の争いになるのではないかといわれていた。しかし、共和党のアレン上院議員(当時)と、民主党のワーナー前州知事は、早々に戦線から消えていった。今の選挙戦では、ジュリアーニ前市長と、ヒラリー上院議員という、ニューヨークにゆかりのある候補者がそれぞれの党のトップを走っている。

どうでもいいことだが、それはそれで不思議なめぐり合わせである。

2007/05/29

Not Running is New Running : トンプソンとゴア(は次回...)

米国の大統領選挙では、「立候補していない候補者」が、ちょっとしたブームである。共和党のギングリッチ元下院議長や、第三政党での出馬の噂があるブルームバーグNY市長もさることながら、何といってもメディアの注目度が高いのは、共和党のフレッド・トンプソン元上院議員と、民主党のゴア前副大統領(自称元次期大統領)である。

もっとも、この二人には重要な違いがある。一人は出馬すると思われており、もう一人は思われていない。

出馬すると思われているのはトンプソンである。組織を立ち上げ始め、スタッフを雇い、議会を訪ねたり、保守派の会合で演説もした。特筆すべきは、インターネットの活用で、保守系の有力ブログに投稿したり、先日はYouTube経由でマイケル・ムーアに喧嘩を売って話題を集めたり(必見。葉巻咥えて出て来るんだもんなあ。さすが役者です)。AP通信が、「...彼に近い人は、まだ最終的な決断は下されていないと警告する。基本的には彼が既に選挙運動を始めてしまっているのはさておいて」と書くのも無理はない("Many signs point to a Fred Thompson presidential candidacy", Los Angels Times, May 23, 2007)。

トンプソンにとっては、出馬を表明していないことが有利に働いている。二つの視点がある。

第一に目立つ。共和党の予備選は乱戦模様。ビッグ3の後ろでも、大量の候補者がスポットライトを奪いあっている。討論会を見てもわかるように、この中で競うのはあまり楽しくない。幸いなことに、トンプソンにはLaw &Orderで築いた知名度があるから、インターネットで自由に飛び回っていた方が快適である。

第二は、その自由度だ。トンプソンは何のコミットもしていないから、比較的自由に発言できる。それが、既成の候補に飽きたらない保守層の琴線に触れる。

「家をもっていれば銃をもつ権利があるべきじゃないか?大学が軍隊の歴史を教えないのは良くないよね。サルコジはどうだい?いいニュースだね。テネットをみたかい?あいつの本は薄っぺらそうだね」。

保守派の論客Peggy Noonanは、こうした点を評して「トンプソンは素晴らしいキャンペーンを展開している。ただ宣言していないだけだ」と述べている(Noonan, Peggy, "The Man Who Wasn't There", Opinion Journal, May 18, 2007)。

トンプソンの「出馬」がどの候補にとってダメージになるかは、意見がわかれるところだろう。世論調査を見る限り、ビッグ3から一人落ちるならロムニーだし、政策的にはマケインとダブる。

しかし、「救世主が彗星のように現れる」という役回りをとって変わられたのは、ジュリアーニではないだろうか。このページを始める随分前に、某所で「両党には出馬したら戦況を一変させかねない潜在的な候補者がいる」と指摘したことがある。想定していたのは、民主党はゴアだったが、共和党はジュリアーニだった。

常識的に考えれば、ジュリアーニが共和党の指名を勝ち取るのは容易ではない。同性愛者や中絶の権利を認め、銃規制には消極的。社会保守派にとっては、余りに厳しい選択である。しかし、このままでは本選挙に勝てないという危機感が高まれば、保守派も苦い薬を飲む気になるかもしれない。その時が、ジュリアーニのチャンスである。そんな筋書きだった。

筋書きは間違ってはいなかった。しかし、ジュリアーニにとっては、危機感の高まりは早すぎたかもしれない。今やジュリアーニは立派なトップランナー。しかし、今度は「真の保守がいない」という不満がくすぶっている。それが、右側からの「彗星」が産まれる素地になった。

もっとも、トンプソンがどこまで「右」なのか、何を主張する候補者なのかは、未だに判然としない。むしろ、政策や気質に関する曖昧な評価は、前回取り上げた時と、あまり変わりがないようにも見受けられる(Halperin, Mark, "Has Fred Thompson Found His Role?", Time, May 24, 2007)。

「レーガンに似ている(Halperin, ibid)」というだけでは物足りない。Peggy Noonanはいう。「トンプソンは次のような問いに答えなければならない。何をするために出馬するのか。これまでの間違いにもかかわらず、なぜ共和党はもう8年間(もしくは4年間)を与えられるべきなのか。保守主義や共和党主義(どう呼んでもいいが)は使い尽くされてしまったのではないのか。アメリカは何でもいいからとってかわるものを待っているのではないのか?(Noonan, ibid)」

彗星の尾が何で出来ているかはご存じの通り。トンプソンの輝きは本物なのか。見極めるには、しばし時間が必要かもしれない。

ゴアに触れる気力がなくなってしまった。オゾン・マンには申し訳ないが(?)、また別の機会に...

2007/04/22

トンプソンズ Returns

前回のトンプソンズはトミー中心だったので、今回はフレッドの主役で。

自信がなくなると、迷いも生じやすくなる。今の共和党の心境だろうか。

08年の候補者争いに関して、共和党支持者の間で、フレッド・トンプソン元上院議員への期待感が高まっているようだ。元上院議員はまだ出馬を表明したわけではない。しかし最近の世論調査では、そこそこの数字を残している。例えば、4月13~15日にUSA TodayとGallupが実施した世論調査では、ジュリアーニ(35%)、マケイン(22%)に続く、堂々の第3位(10%)の支持を集めた。

共和党議員の関心も高い。4月18日に行われた下院議員との会合には、主催者発表で50~60人(メディア発表は35人)が参加している(Milbank, Dana, "Conservative Republicans Starving for a Thompson Run", Washington Post, April 19, 2007)。

しかし、なぜトンプソンなのか。

たしかに、共和党支持者は、現在のフィールドに今ひとつ満足できていない。ABC NewsとWashington Postが4月12~15日に実施した世論調査では、現在の候補者達で満足しているという回答は65%となり、2月の調査結果(73%)から低下している。対照的に、民主党支持者の場合は80%が満足している。もっとも、民主党支持者の満足度も2月(86%)からは低下しているのだが、それはそれとして。

それにしても、上院議員時代のトンプソンには、それほど目立った実績がある訳ではない。保守的な投票記録は残っているようだが、それも議論をリードしていたというよりは、ついていった方だったようだ。むしろ、「怠惰な政治家」「情熱にかける」などという評価があるのが現実だ(Cottle, Michelle, "Lazy Boy", The New Republic, April 13, 2007)。

もちろん何もしていなかった訳ではない。自分のような「その筋(?)」の研究者からすれば、トンプソンは行政改革に熱心に取組んだ議員として印象深い。しかし「その筋」の人は少ないし、選挙の争点としては、行政改革は余りにセクシーさに欠ける。

一方で、数少ない目立った活動といえば、マケインと一緒に選挙資金規制の改正を支持したこと。保守派が好むポジションではない。実際に、トンプソンとの会合に出席した下院議員達からも、彼の政策スタンスを讃える声はほとんど聞かれなかったようだ。それでも、下院議員達は、トンプソンへの期待感を隠さない(Milbank, ibid)。曰く「滑らかな語り口が良い」「大統領らしい風格がある」…

トンプソンは人気のあるテレビ・ドラマLaw & Orderに、検事役でレギュラー出演している。

やはり、大統領は「見た目」なんですかね…

2007/04/08

トンプソンズ

仕事でもそうだが、自分はタイトルが上手くはまらないと満足の行く文章が書けない。それどころか、内容よりも先にタイトルを思いついてしまって、無理やり文章を書いてしまうときすらある。

悪い癖である。

フレッド・トンプソン元上院議員の出馬が噂される中で、ブッシュ政権で厚生長官を務めたトミー・トンプソンが共和党の予備選挙への参戦を表明した。

もっとも、米国でのトンプソンは、元厚生長官というよりも、元ウィスコンシン州知事として知られているかもしれない。90年代の米国で、トンプソンは改革派知事の代表格といわれていた。福祉政策や教育分野での先進的な取り組みは有名で、Power to the People: An American State at Work なんていう、いかにもそれっぽいタイトルの本も書いている。

米国では、州知事は大統領の登竜門。実務能力と指導力が期待できる上に、アウトサイダーとしての魅力も強みになる。最近の大統領をみても、カーター(ジョージア)、レーガン(カリフォルニア)、一人飛ばして、クリントン(アーカンソー)、ブッシュ(テキサス)と、州知事出身の大統領が大半だ。ましてトンプソンの場合、厚生長官も経験しているわけだから、国内政策では医療保険が大きな論点となるといわれる今回の選挙には、もってこいの人材にみえる。

しかし今回の選挙戦では、州知事の存在感は極めて小さい。民主党ではリチャードソン(ニュー・メキシコ)、共和党ではロムニー(マサチューセッツ)、ハッカビー(アーカンソー)がいるが、リチャードソンやハッカビーはもちろん、ビッグ3の一角といわれるロムニーですら、現時点での支持率は低い。有力候補といわれた民主党のジョン・ワーナー(バージニア)、イヴァン・バイ(インディアナ)は早々に姿を消した。

他にも大統領選挙での活躍を噂された知事はいた。共和党では、サウス・カロライナのマーク・サンフォード、ミネソタのティム・ポーレンティー、ミシシッピのハリー・バーバー、ニューヨークのジョージ・パタキなどがいる。民主党はやや手薄だが、それでも、カンサスのキャサリン・シベリウス、ルイジアナのキャサリン・ブランコ、アリゾナのジャネット・ナポリターノといった女性知事は面白い存在だった。

仕方のない人材もいる。カリフォルニアのアーノルド・シュワルツェネッガー(共和党)や、ミシガンのジェニファー・グランホルム(民主党)は、国籍の関係で大統領にはなれない。フロリダのジェフ・ブッシュは、ブッシュという名前だから大統領選挙には出たくない。

もちろん、これから副大統領として名前があがる人材はいるだろう。実際にロムニーは、ジェフ・ブッシュやサンフォードを候補にあげている(Kornreich, Lauren and Steve Brusk, ”Romney: Drop "Bush" and Jeb is the winner”, CNN, March 30, 2007)。さながら「知事連合」の趣だ。また、ポーレンティーはマッケイン陣営の重要メンバーである。

それにしても、米国の州政府が、「民主主義の実験室」としてさまざまな分野で連邦政府に先駆けた取り組みを進めている現状を鑑みると、大統領選挙での州知事の存在感の低さには、改めて違和感を感じざるを得ない。医療保険にしても温暖化対策にしても、重要課題に真っ先に取り組んでいるのは州政府なのである。

ひょっとすると、州知事の受難はブッシュ政権に原因があるのかもしれない。

実はブッシュ政権は、トンプソンだけでなく、トム・リッジ(ペンシルバニア)初代国土安全保障省長官や、クリスチャン・ウィットマン(ニュージャージー)環境庁長官という、やはり州知事として名を馳せた人材を擁していた。ブッシュ本人だって、超党派の政策運営や教育改革で知られた州知事だ。ミッチ・ダニエルズOMB長官のように、退任後に州知事(インディアナ)になった例もある。

しかしブッシュ政権を「実務に強い」と評価する声はほとんどない。むしろ、その実務能力のなさを攻撃されているのが現実だ。「州知事神話」がブッシュ政権で一旦崩れてしまったとしたら、その罪は大きい。

ところで知事といえば、今日は都知事選挙の投票日。それも知事対決である。ただし、日本では米国のように「おらが地元の知事」が国政に出て行くとういう楽しみがあまりないのが残念だ。

でもって、開票率0%で当確が出てしまうのだから世話はない。

それより何より、選挙期間がめちゃくちゃ短い。日中は会社にいてテレビもみない自分とすれば、「日本で選挙なんてやってるの?」てな感じだ。

まったくもってアイオワの州民がうらやましい。