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2008/01/31

For the Record FL: How McCain could Win

フロリダの予備選挙は、共和党のフィールドを一気に狭めた。トップランナーといわれたジュリアーニは、結局のところ一度も浮上する機会がないままに、戦線から離脱していった。スーパーチューズデーは、事実上マケインとロムニーの一騎打ちの様相を呈してきたが、実際にはマケインがここで勝負を決める可能性が高いという見方も可能である。この点については、後ほど詳しく紹介する。

民主党については、フロリダの結果もさることながら、アップした数時間後にエドワーズが戦線から離脱してしまった。側近ですら驚いたというのだから仕方がないが(Chozick, Amy, Christopher Cooper and Nathan Koppel, “Edwards’s Exit Weighs on Outcome”, Wall Street Journal, January 31, 2008)、エドワーズの票と資金の行方が注目されるという事実に違いは無い。資金については、エドワーズの集金力はヒラリーやオバマには劣る。それでも07年第3四半期の献金額は3000万ドル。同時期に共和党のトップランナーであるマケインが集めた金額とほぼ同レベルである。票という観点では、全国レベルでみればほぼイーブンではないかと思われる。ただし、予備選挙は地域ごとなので影響も微妙になる。民主党の30%ルールを考えると、ヒラリーに白人票が流れる分、南部の代議員数で差がつきにくくなったかもしれない。

ニューヨークタイムスのロン・クラインは、ポイントになるのは、エドワーズ支持者は「変化」を求めるのになぜオバマに投票しなかったのか。そして、黒人に抵抗感があるのになぜヒラリーに投票しなかったのかという問いかけだと指摘する(Klain, Ron, “Plotting the Post-Edwards Strategy”, New York Times, January 30, 2008)。オバマはエドワーズ支持層が求める「戦う姿勢」を見せる必要がある。ヒラリーはエドワーズが「自分のことを気にかけている候補者」としてエドワーズに集まった票を、政策ではなく感情に訴えかけることで引き寄せる必要があるというわけだ。


まずは結果。

①共和党
マケイン:36%
ロムニー:31%
ジュリアーニ:15%
ハッカビー:13%

②民主党
ヒラリー:50%
オバマ:38%
エドワーズ:14%

民主党は民主党本部がフロリダにペナルティーを課したこともあり、選挙活動が行われないというイレギュラーな予備選挙になった。ヒラリーの勝利がスーパーチューズデーに向けたモメンタムになったかどうかは議論がわかれる。

共和党については、なんといってもマケインの勝利が大きい。これまでの予備選挙では、マケインは無党派層に支えられた部分が少なくなかったが、フロリダは共和党支持者として登録しなければ投票できない。マケインは、「共和党でも勝てる」ことを示した格好だ。

もっとも、内情はそれほど簡単ではない。出口調査に明らかなように、マケインの支持層はやはり中道よりである。

まず支持政党でみると、共和党支持者(投票者の80%)ではマケインとロムニーは33%で並んでいる。17%を占めた「無党派など」で、マケイン(44%)はロムニー(23%)を大きく引き離している。主義の観点では、保守(61%)ではロムニー(37%)がマケイン(29%)を上回っているが、穏健(28%)・リベラル(11%)ではマケインがそれぞれ43-21、49-24でロムニーを上回った。さらに特筆されるのは、反ブッシュ票がマケインに流れている点である。ブッシュ政権にネガティブな感情を持つ層(32%)ではマケイン(45%)がロムニー(23%)を大きく上回る一方、ポジティブな感情を持つ投票者(68%)はマケイン(33%)よりもロムニー(35%)に流れた。いずれのケースでも、投票者の多数を占める層ではロムニーがリードしたものの、少数層でマケインに引き離された故の敗北となっている。2000年のフロリダでは、マケインは「非常に保守」といわれる層でブッシュに7対1の差をつけられた。今回の差は2対1なので、主流派への歩みよりはある程度進んでいる。それでもマケインの「反主流派」振りが消えたわけではない。

もっとも、こうした留保点は残しつつも、マケインにはスーパーチューズデーで共和党候補の指名獲得を手中にする可能性がある(Martin, Jonathan and David Paul Kuhn, “McCain Takes Charge with Florida Win”, Politico, January 30, 2008)。大きな理由は、マケイン・ロムニー以外の候補にある。第一はジュリアーニである。ジュリアーニの撤退は、中道層の多い北東部でマケインに有利に働く。ニューヨーク、ニュージャージー、コネチカット、デラウェアに加え、地元であるアリゾナで勝てば、カリフォルニアを別にすれば、マケインは獲得代議員数でロムニーに大差をつけられる。他方、カリフォルニアは下院選挙区ごとに代議員が割り当てられているので、勝者総取りの場合のような大差はつきにくい。第二はハッカビーである。ハッカビーの継続参戦は、ロムニーとの間での保守票の分裂要因になる。とくに南部のアラバマ、ジョージア、オクラホマ、テネシー、アーカンソーといった州では、宗教保守派の票がハッカビーに流れかねない。計算上は、スーパーチューズデー後にもロムニーに逆転の道筋は残るかもしれないが、ロムニーは自らの資産を選挙戦につぎこんでいる現状だ。対照的にマケインは、資金不足といってもメディアの好意的な扱いに助けられている。

ところで、マケインの反主流的なアピールは、本選挙ではプラスに働くと考える向きが多い(Balz, Dan, “For McCain, Momentum That May Be Hard to Stop”, Washington Post, January 30, 2008)。共和党が大統領選挙に勝つためには、無党派層をいかに取り込むかが重要な課題になる。2006年の議会選挙での敗北が、無党派層の取りこぼしが最大の要因だった。加えて、他の有力候補と異なり、移民の受け入れに寛容な姿勢を示していたことから、ヒスパニック層への食い込みも期待できる。実際にフロリダでは、ヒスパニック(12%)の54%がマケインに投票している。民主党では党派を超えた支持を集めるオバマが健闘している。共和党で対抗できるのはマケインだというわけである。このため、政策の面では異論のある保守層も、大統領選挙での勝利という大目標の下に、マケイン支持で固まっていく可能性がある。

フロリダは、共和党の置かれた厳しい状況がよく反映された州である(Dade, Corey, “Are Republicans Losing Panhandle Grip?”, Wall Street Journal, January 31, 2008)。有権者登録数をみると、2006年秋から昨年末までに、民主党は有権者を1万7千人増やしており、共和党はほぼ同じ程度の有権者を失っている。また、ヒスパニック層の民主党シフトも進んでいるといわれる。住宅バブル崩壊の影響も厳しく、中間層の現政権に対する不満は高まっている。2000年の大統領選挙を決したフロリダを落とせば、共和党のホワイトハウス維持は難しくなる。こうした中で、共和党の地盤維持を指揮するクリスト州知事は、予備選挙直前にマケイン支持を表明した。

予備選挙の初期段階(といってもつい最近のことだが)では、「民主党はまとまっており有力候補も絞られている、共和党は分裂しており混戦」といわれていた。しかしスーパーチューズデーが終わってみると、「民主党は分裂、共和党は団結」という構図が生まれるかもしれない。

2008/01/29

For the Record SC : He is Still Standing

フロリダでジュリアーニが去るかどうかという瀬戸際なのに、昔を振り返るのも心苦しいが、サウスカロライナの結果をまとめておきたい。

結果はご存知のとおり、オバマの圧勝である。その後のケネディ家によるオバマ支持の発表もあり、風向きはまたオバマの方向に吹きつつあるようにも感じられる。

数字は次のとおりである。

オバマ:56%
ヒラリー:27%
エドワーズ:18%

出口調査についていえば、これも既に大きく報道されているように、黒人票が圧倒的にオバマに集まったことで選挙は決まった(オバマ78%、ヒラリー19%、エドワーズ2%)。背景には、①黒人層が、オバマのアイオワでの勝利によって「黒人初の大統領」の実現を信じられるようになってきた、②クリントン陣営(とくに前大統領)によるオバマ攻撃が逆効果になった、という二つの点が指摘されている。既に取り上げたように、ヒラリーはミシガンでも黒人票を30%しか取れていなかった。その流れは続いているようである。

隠れたストーリーは、白人票である。事前のストーリーでは、地元のエドワーズがヒラリーと白人票を分け合い、結果的にヒラリーはオバマに届かないという筋書きがいわれていた。結果的には、黒人票の差が大きすぎたので、そうしたストーリーは前面には出てこなかった。しかし実際に、白人票はエドワーズとヒラリーで割れた(エドワーズ:40%、ヒラリー:36%、オバマ:24%)。白人層からのエドワーズの得票は、それまでの3州(アイオワ、ニューハンプシャー、ネバダ)の平均(17%)から23ポイント上昇している。これに対して、ヒラリーは3ポイント、オバマは10ポイントの減少となった。

とくに注目されるのは、投票日が近くなってきてから、白人票がヒラリーからエドワーズに流れた可能性がある点だ。ジョージ・ウィルによれば、1週間以内に投票先を決めた白人層の半数がエドワーズに入れている。ウィルは、クリントン夫妻のネガティブな選挙運動への反感から、白人層がエドワーズに流れたと指摘している(Well, George F., “Staying the Coarse”, Washington Post, January 29, 2008)。

度重なる敗北にもかかわらず、エドワーズ陣営は予備選挙から撤退しない方針を明らかにしている。その背景として囁かれているのが、民主党のキングメーカーを狙った思惑である(Bolton, Alexander, “Edwards Eyes a Brokered Convention”, The Hill, January 29, 2008)。いずれの候補者も過半数の代議員を確保できなかった場合、決着は党大会に持ち込まれる。そこでエドワーズが獲得した代議員が勝負を決めるというわけである。勝者総取り形式の多い共和党と違い、民主党の予備選挙は比例配分の色合いが濃く、各小選挙区で30%以上の票を獲得した候補には同数の代議士が配分されるケースが多い。オバマとヒラリーが競っている状況では、最後まで代議士数に大きな差がつかない可能性があるからだ。それどころかエドワーズ陣営は、「最も当選可能性がある候補」という視点から、代議員が党大会の場でエドワーズを指名する可能性すらあると指摘する。

本当にエドワーズがキングメーカーになる局面があるかどうかは別にして、エドワーズの参戦継続は、スーパーチューズデーの結果にも微妙な影響を与える(Cillizza, Chris, "The Edwards Factor", Washington Post, January 29, 2008)。二つの視点が指摘されている。第一に、エドワーズ陣営が狙っている州(ジョージア、アラバマ、テネシー、ミズーリ、ミネソタ、ノースダコタなど)に、オバマとの重なりがみられる点である。これらの州は共和党が比較的強い州であり、中道寄りにアピールできるオバマ陣営が重点とする州である。同時に、南部・農村地域はエドワーズが頼みにする地域だというわけだ。

もっとも、ワシントンポストのクリス・シリザは、ジョージアやアラバマといった南部の州では黒人票がオバマに集まるため、エドワーズの参戦継続によってもオバマの優位は変わらないと指摘する。むしろ第二の視点として見逃せないのは、ヒラリーとオバマがいずれも重視しているテネシーやミズーリでの、白人票の動きである。サウスカロライナと同様に、白人票がヒラリーとエドワーズに割れた場合、オバマが漁夫の利を得る可能性が指摘できる。

それにしても民主党の予備選挙は、トップランナーの争いが過熱する中で、党内の様々な緊張関係が焙り出される展開になっている。人種の問題、クリントンに対する複雑な感情、中道路線の是非、そして世代交代論。複雑化する各候補の選挙戦略は、少しのひずみも見逃さずに、そこを利用しようとする。多用な支持者を統合しているのが民主党の特質だといえばそれまでだが、このままでは本選挙への後遺症を心配しなければならなくなるかもしれない。

2007/09/04

Electabilityという魔物

「当選可能性(Electability)」というのは面妖な言葉である。2004年の民主党予備選挙では、本選挙で勝てる候補を選びたいという有権者の思いがケリー勝利の原動力になった。2008年の予備選挙では、同じ「当選可能性」という言葉が、支持率ではトップをひた走るヒラリーにとっての障害になっている。

9月3日にエドワーズが2つの大きな労働組合の推薦を獲得した(Allen, Mike, "Edwards gets two big union labels", Politico, September 3, 2007)。United SteelworkersとUnited Mine Workersである。対するヒラリーもUnited Transportation UnionとInternational Association of Machinists and Aerospace Workersの支持は取り付けたものの、8日に推薦を正式発表する予定のUnited Brothers of Carpenters and Jointers of Americaと併せて、現時点ではエドワーズがもっとも多くの労働組合からの支持を得た民主党候補者となっている。AFL-CIOは8月8日に特定の推薦者決定を回避しており、傘下の55の労組は独自の推薦者表明が可能になっていた(Greenhouse, Steven, "A.F.L.-C.I.O. Decides Not to Endorse for Now, Freeing Unions to Do So", New York Times, August 9, 2007)。

注目されるのは、労組がエドワーズの推薦を決めた理由に、「当選可能性」を挙げていることである。United Steelworkersは、「全ての民主党候補はわれわれと価値観を共有しており、誰が当選しても今の政権と比べれば画期的に状況は改善する」としつつ、「いくつもの世論調査が、エドワーズこそが本選挙に勝てる可能性がもっとも高い候補であることを示している」と指摘している。

実は同じようなロジックは、8月28日に発表されたInternational Association of Fire Fightersによるドッド上院議員の推薦の時にもみられていた。ドッド上院議員は民主党候補の中では出遅れているが、IAFFは選挙の焦点となる中間層の票を取れる候補であるという理由で、その推薦を決めている(Holland, Jesse J., "Dodd, Clinton earn backing of unions", Miami Herald, August 28, 2007)。ちなみにIAFFは04年の選挙でいち早くケリー推薦を決め、低迷していた同候補が浮上するきっかけを作った労組である。

こうした労組の動きの背景にあるのは、反対者の多いヒラリーでは本選挙には勝てないという危惧である。このページでもかつて触れたことがあるように、確かにヒラリーに対する有権者の好みは分かれる。ギャロップ社が8月13~16日に実施した世論調査では、ヒラリーの印象を「好ましくない」とした割合が48%に達し、「好ましい(47%)」という回答を上回った。「好ましくない」とした割合は、エドワーズ(36%)、オバマ(29%)よりも断然高い。先ごろ辞任したカール・ローブ前大統領次席補佐官は、こうした有権者に嫌われる度合いの高さを引き合いに、ヒラリーは「重大な欠陥のある候補者」であると指摘する。また、このようにブッシュ政権や共和党関係者がことさらにヒラリーを攻撃するのも、ヒラリーであれば共和党支持者の反対運動が盛り上がるという思惑があってのことだともいわれる。そして、こうした有権者の意見の分裂が、ヒラリーでは本選挙に勝てないという見方を生む。大統領選挙の結果は、州ごとの勝負にかかってくる。ヒラリーには太平洋・大西洋岸に集中する民主党の地盤は固められても、それ以上には勝てる州を広げられないのではないか。

こうしたなかで、「本当のアメリカ」で勝てるという主張で、当選可能性をアピールしているのがエドワーズである(Kornblut, Anne E., "Pinning Hopes On Rural Voters", Washington Post, August 27, 2007)。エドワーズは、必ずしも恵まれない環境から成り上がってきたという実体験を武器に、田舎の米国人(rural American)・労働者階級から支持される候補者は自分だけだと主張する。実際に、民主党の憂慮候補の中で、南部出身で社会的に保守的な立場をとる白人・男性候補はエドワーズだけである。「田舎」は伝統的に共和党が強い地域だが、ブッシュ政権の不人気で共和党離れがいわれており、今回は民主党にもチャンスがある。他の候補者との兼ね合いから、「白人・男性」と明言しにくいのが悩ましいところだが、エドワーズには、オハイオ、バージニア、ネバダ、ミシガンといった地域で白人労働者の支持を集められるのは自分だという自負がある。また、エドワーズのアドバイザーであるデビッド・サンダースは、南部の田舎に住む白人男性票(Bubba)を取れるのがエドワーズの強みであり、彼であれば南部の3~5州を獲得できると主張している(Hagan, Joe, "q&a: david 'mudcat' saunders", Men's Vogue, June 2007)。

ニューヨーク・タイムスのデビッド・ブルックスの観察によれば、「本当のアメリカの代弁者」というセールス・ポイントを重視するエドワーズの戦略は、前回出馬した2004年の大統領選挙と変わらない。今から思うと隔世の感があるが、共和党の凋落がいわれる今日とは違い、当時は民主党の全般的な支持率の低下が指摘されていた。こうしたなかでエドワーズは、一般国民を見下ろすような民主党エスタブリッシュメントの態度こそが問題であり、民主党には米国のど真ん中から生まれた候補者が必要だと指摘していた。当時のブルックスは、計算ではなく「心」で有権者を捕らえようとするエドワーズに、かつてのクリントン大統領を重ね合わせていた(Brooks, David, "Rescuing the Democrats", New York Times, October 21, 2003)。時は移って2007年。今回の選挙でエドワーズは「左旋回」によってヒラリーやオバマに対峙しているといわれるが、ブルックスにいわせれば、具体的な政策面での発言こそ厚くなっているものの、エドワーズの基本的なラインは変わらない。それは、「庶民や労働者の気持ちが分かるのは自分だけ」という自負であり、その根底には「恵まれた者たち」への憤りが存在するという(Brooks, David, "The Ascent of a Common Man", New York Times, August 17, 2007)。

もっとも、「当選可能性」という議論がどこまで的を得ているのかは判断が難しいところもある。興味深いのは、最近明らかになった州別世論調査の結果である(Kilgore, Ed, "Red States Turning Purple?", Democratic Strategist, August 27, 2007)。サーベイUSAの調査によれば、アラバマ、ケンタッキー、バージニア、オハイオ、ミズーリ、ニューメキシコといった2004年にブッシュが勝った州のうちで、ヒラリーがジュリアーニに負けているのはミズーリとアラバマ、トンプソンに負けているのはアラバマだけであり、ロムニーならばどこでもヒラりーの方が支持されているという。他の民主党候補についての同様の調査結果がないので比較のしようがないし、全米規模の調査から類推すればエドワーズやオバマの方が共和党候補者に分が良いとは予想されるものの、少なくともこの結果を見る限りでは、ヒラリーでは「勝てない」という結論は導き出せない。

「当選可能性」が切り札だったケリーは、実際には本選挙でブッシュに勝てなかった。しかも、強みになると見込んでいたベトナム従軍歴を攻め込まれた結果である。「当選可能性」という捉えどころのない論点は、ホワイトハウス奪回を目指す民主党にとって頭の痛い視点になりそうだ。

2007/07/19

エドワーズが行く:Magical Poverty Tour

エドワーズは、南部諸州を回る「貧困ツアー(正式名称はRoad to One America Tour)」を終えた。票にならないイシューに焦点を当てる戦略は、エドワーズ浮上の切り札になるのだろうか。

今回のツアーは、エドワーズが今回の選挙の中心的なテーマにしている、貧困問題に焦点を当てるのが狙いだという。従ってエドワーズは、通常の選挙活動は一時的に中止して、今回のツアーに臨んでいるとまで主張している。確かに序盤に予備選が行われる州を訪れるわけでもなく、資金集めパーティーも開かれなければ、目立った演説もない(Pooley, Eric, "Can Poverty Define John Edwards?", Time, July 18, 2007)。

それよりも普通でないのは、貧困問題という「票にならない」争点に焦点を当てている点である。貧困層は米国の人口の13%を占める。先進国にしては高い割合だが、中間層の75%とは比較にならない(Simon, Roger, "Edwards risks backing the poor", Politico, July 18, 2007)。しかも貧困層は投票率が低く、政治献金をする余裕もない。エドワーズの戦略が、「勇敢にして大胆なのか、勇敢にして無謀なのかどちらかだ」と評されるのも無理はない(Bacon Jr., Perry, "On Tour to Highlight Poverty, Edwards Tries to Shift Race's Focus", Washington Post, July 17, 2007)。

もちろんエドワーズにも計算はあるだろう。それは、有権者が、選挙の打算よりも信念を持つ問題の解決を優先させる候補者を支持するだろうという思いである。言い換えれば、エドワーズが目指している候補者像こそが、ムーブメント・キャンディデートなのである。2004年の選挙ではコンサルタントに振り回されすぎたと感じたエドワーズは、コンサルタントからのアドバイスを断った上で、自分が信じる貧困問題を今回の選挙のテーマに据えたという(Bai, Matt, "The Poverty Platform", New York Times, June 10, 2007)。ちなみに、エドワーズが不満を持ったコンサルタントというのは、今回もっとも注目されているアドバイザーといわれる、オバマ陣営のデビッド・アクセルロード。そして、エドワーズ陣営で影響力を持ち始めているのが、ディーン陣営を仕切っていたジョー・トリッピである。

エドワーズの戦略の政治的な効果に疑問を呈する向きは少なくない。「400ドルの散髪」「ノースカロライナの豪邸」「ヘッジ・ファンドのアドバイザー」など、エドワーズには貧困とは相容れないイメージが多すぎる。また、今回の選挙に求められているのは、「貧困との戦い」的なポピュリズムではなく、バージニアのウェブ上院議員が主張するような「中間層を救え」というメッセージだという指摘もある。その意味では、2004年のエドワーズのテーマの方が適切だったのかもしれない(Douthat, Ross, "What's The Matter With John Edwards?", Atlantic, July 17, 2007)。

それでも、エドワーズの提起した問題が、単なる戦略ミスで片付けられてしまうのは寂しい気もする。貧困問題に限らず、エドワーズの提案には見るべきものが少なくない。有力候補者の中ではもっともポピュリスト的といわれるエドワーズだが、実際のところはそんなに単純な話でもない。エドワーズは「金持ちを批判したいわけではない」という立場だし、自由貿易にしても、途上国の貧困問題の解決に役立つと評価している。ロバート・ライシュなどは、「エドワーズは貧困問題を重視しているという点では経済的なポピュリストだが、金持ちや企業を全く非難しない」と残念がっているほどだ(Bai, ibid)。

エドワーズが貧困問題をキャンペーンの中心に据えたのは、エリザベス夫人の助言が大きいという。何やらティッパー夫人のアドバイスを受けたゴアが、環境問題に打ち込んで、敗北の失意から立ち直った話が思い起こされる。もっとも、候補者としては、ゴアに喩えられるというのも、あまり楽しい話ではないかもしれないが…

2007/07/06

Tax Tax Everywhere:累進性強化に動く民主党とその限界

今回の大統領選挙で、民主党と共和党の候補者の立場が少なくとも表面的には大きく分かれるのが、税制に対する態度である。共和党の候補者達はブッシュ減税の延長を旗頭に、おしなべて減税路線の維持を主張する。これに対して民主党陣営は、税制の累進性強化を提案し始めている。

6月28日に行われた民主党の候補者討論会で話題になったのが、前日に開催されたヒラリーの資金集めパーティーでの、ウォーレン・バフェットの発言である。この会合でバフェットは、「自分のような金持ちよりも自分の秘書の方が税率が高いのはどうしたことか」と述べた(Fouhy, Beth, "Buffett Helps Put on Clinton Fundraiser", Washington Post, June 27, 2007)。討論会でこの件について意見を求められた各候補者は、異口同音に「恵まれた人が相応の税金を払う仕組みが必要だ」と主張した。

バフェットの発言自体は、同氏のかねてからの持論であり、聞き覚えがある方も少なくないかもしれない。例えば、オバマのAudacity of Hopeには、オバマがバフェットに面会しに行って、同じ話を聞かされる場面が出て来る。クリントン人脈では、ジーン・スパーリングのThe Pro-Growth Progressiveにも同じ話が引用されているし、エドワーズも討論会では、直接バフェットからその話を聞いたことがあると発言している。

面白いのは、同じバフェットの話を題材にしながらも、有力候補者の答え方には、それぞれの色があった点である。

まず各候補者の回答を紹介する前に、米国の所得税は累進税なのに、なぜバフェットのような現象が起きるのかを謎解いておこう。最大のトリックはキャピタルゲイン・配当課税にある。バフェットの収入の多くの部分は、キャピタルゲインや配当が占めている。ブッシュ減税のおかげでこの部分の税率が低いので、全体的な所得税率も下がってしまうのである。また、社会保障税も曲者だ。社会保障税は所得の高低とは関係のない単一税率。しかも、税の対象になる所得には上限もある。

前述のように、累進性の強化という点では、各候補者の回答の趣旨は共通している。しかし、有力候補の中でも、もっとも完成度の高い回答をしたのは、最初に答える機会が回ってきたエドワーズだろう。エドワーズは、「成功している人たちは国や周りのコミュニティーにお返しをする責任を負うべきである」とした上で、第一にブッシュ減税の高額所得層向け部分を廃止すべきだと主張する。その上で第二に、バフェットのケースはキャピタルゲイン・配当課税が優遇されているから発生したことを忘れてはならないとして、「(キャピタルゲイン・配当課税の対象となる)富だけではなく(所得税の対象となる)労働を評価すべきだ」と締めくくった。過不足のない、美しい回答である。

これにたいしてオバマの回答は、税制に関しては累進性の強化が全てだと言って良い。実際にオバマは、ブッシュ減税の高額所得層向けの部分をスケジュール通りに廃止するべきだと主張した。もっともオバマの力点は、税制が云々というよりは、富める者も貧しい者も、みんなが一緒になって成長していくという意識が大切だという点にある。だからこそオバマは、余裕のある人が多めに税金を負担し、これを公平な機会が提供されるように使うべきだと指摘する。相変わらずの美しい議論ではあるが、税制の提案としては、正直食い足りない。これがAudacity of Hopeになると、一体感の大切さから、さらに話はワシントンと庶民の意識の乖離へと進んでしまい、ちっとも税制の話ではなくなってしまう。

ヒラリーの回答も面白い。ヒラリーは、バフェットの発言を説明する際に、社会保障税要因を紹介している。キャピタルゲイン・配当課税要因は既にエドワーズが取り上げていたので、ヒラリーとしては、もう一つの視点を指摘したかっただけなのかもしれない。しかし、この回答には、「さすが政策通」では済まされない落とし穴がある。ヒラリーは社会保障税の累進性を強化したいのかという疑念を招いてしまう点だ。所得税率やキャピタルゲイン・配当課税については、ブッシュ減税の見直しで、累進性の強化が実現できる。しかし社会保障税は、ブッシュ減税とは無関係である。それではヒラリーは、ブッシュ減税の見直しを超えた増税を目指しているのだろうか?さらに言えば、社会保障税の問題は年金改革と切り離せない。現にブッシュ政権は、年金改革の一環として、社会保障税の課税上限引き上げを検討していた時期があった。同じようにヒラリーも、高額所得層への課税強化で年金改革を実現しようとしているのだろうか?いずれの問いも、仮に答えがYESであれば、かなり大きなステートメントである。

実際には、累進性の強化といっても、ブッシュ減税の見直し以上の提案がされるのは稀である。有力候補者では、エドワーズがその可能性を否定していない程度である。今回のヒラリー発言についても、陣営は「特定の政策への支持ではない」と火消しに回った(Davis, Teddy and Tahman Bradley, "Democrats rip court ruling, show unity at debate", ABC News, June 29, 2007)。

減税一辺倒だったブッシュの時代からは、累進性の強化が表立って議論されるようになっただけでも、税制を巡る環境は大きく変わった。しかし、民主党の候補者にとって、"Tax and Spend"はいまだに嬉しいレッテルではないのも事実である。民主党の候補者がたどり着けるところは、それほど遠くはないのかもしれない。

2007/05/22

労組の「妙な存在感」とエドワーズの命運

民主党の議会多数党奪回もあってか、最近の米国で妙な(失礼)存在感を示しているのが労働組合である。

例えば議会では、カード・チェック法案(労組設立の手続きを、社員による秘密投票ではなく、過半数の署名で可とする)が審議されている。また、通商政策やイラク政策を巡る議論でも、労組の発言は活発である。さらに、サーベラスのクライスラー買収では、レガシー・コストに関する労組の出方が焦点になっている。

市場原理の権化という印象のある米国において、労組にこれほどの存在感があるということには、奇異な感じを受ける人も少なくないだろう。実際のところ、06年における米国の労組加入率は12%に過ぎない。83年の20%と比較しても、随分な低下である。

そんな労組も、時代に応じて変化はしているようだ。クライスラー買収へのリアクションに見られるように、ビッグ3のレガシー・コスト問題では、UAW側も、労働者擁護一辺倒という立場は取らなさそうな雲行きである。むしろ秋口にかけての労使協約改訂交渉は、会社存続の方策を探る場になるとの観測もある。「交渉のテーブルに良いオプションなどない。最悪かよりましな選択肢だけだ(Clark UniversityのGary N. Chaison教授)」というの現実を、労組もそれなりに受け止めているように見受けられる。(Maynard, Micheline and Nick Bunkley, "Auto Union Leader Finds Comfort Level", New York Times, May 16, 2007)。

かと思えば、グローバリゼーションを視野に、海外に活動を広げる動きもある。つい最近も、SEIUやチームスターの代表が中国を訪れ、現地の労組関係者等と会合を行なった。その背景には、競争相手国における労働条件の引き上げが、米国の雇用者の雇用や賃金を守ることにつながるという考えがある。「われわれは遅れている。ニクソンは71年に中国に来たが、われわれは2007年になってようやくやってきたのだ(Change to WinのExecutive Director、Greg Tarpinian)」というのは、なかなか泣かせる台詞である(Barboza, David, "Putting Aside His Past Criticisms, Teamsters' Chief Is on Mission to China", New York Times, May 19, 2007)。

実際に米国では、近年の所得格差の拡大の一因を、労組の影響力低下に求める議論がある。大統領選挙に向けて、労組を重要な支持基盤とする民主党陣営からは、こうした議論が盛んに聞かれるようになるかもしれない。

民主党の候補者のなかでも、特に労組を意識しているのがエドワーズである。エドワーズのアプローチは、キャンペーンの主要テーマである貧困問題に関連付けて、労組の復権を重視しているという点で、他の候補とはひと味違う(Easton, Nina, "John Edwards: Union man", Fortune, May 7, 2007)。3月28日に行われたAFL-CIO関連の会合でも、ありきたりの労組擁護論を展開した多くの民主党候補者(オバマを含む)を尻目に、ダントツの人気を博したという(Plumer, Bradford, "Building Code", New Republic, March 29, 2007)。

エドワーズには計算がある。エドワーズの選挙戦略は、予備選序盤で高成績を収め、その勢いでトップ争いに食い込むというものだ。そして、早めに予備選を行なう州の中には、アイオワ、ネバダといった、労組の影響力が強い州が含まれている(Przybyla, Heidi, "Edwards Bets on Union Support to Grab Momentum in Eary Races", Bloomberg, April 9, 2007)。

もっとも、エドワーズの労組重視戦略には死角もある。二点を指摘したい。

まず、労組が明確にエドワーズ支持を打ち出すとは限らない。理由は二つ。第一に、労組は勝馬に乗りたいと考えている。前回の大統領選挙では、負け馬の側に立ってしまい、その後の影響力低下につながったからだ。04年の選挙では、AFL-CIO系の労組はゲッパートびいきといわれた。他方で、SEIU等はディーンを支持した。今回の選挙では、労組は「誰でも良いから、勝てそうな候補につく(Washington University in St.LouisのJim Davis氏)」といわれる所以である(Przybyla, ibid)。

第二に、今回の民主党候補者は、いずれも労組との関係は悪くない(Rosenberg, Stuart, "The Media Shouldn’t Ignore Organized Labor in the Democratic Race", Roll Call, May 7, 2007)。特にヒラリーは、前述のAFL-CIOの会合でも、政策通なところを見せつけて(いかにも…)、エドワーズに負けない喝采を浴びたという(Plumer, ibid)。

また、04年の例を見ればわかる通り、労組に近い路線を取れば、予備選に勝てるというわけではない。選挙評論家のStuart Rothenbergは、労組・階級闘争路線に傾斜するエドワーズは、04年のゲッパートやディーンに似てきていると指摘する。ディーンを髣髴とさせる強硬な反戦の立場を含め、「怒りと対決姿勢、労組の支持があれば十分だとは限らない」というのが、彼の見立てである(Rosenberg, Stuart, "Is Edwards Following the Dean and Gephardt Models Too Closely?", Roll Call, May 14, 2007)。

ところで、エドワーズといえば、「二つのアメリカ」。労組向けの演説で、最新バージョンを見つけた(Goldfarb, Zachary A., "Democratic Candidates Praise Value of Organized Labor", Washington Post, March 27, 2007)。

"Somewhere in America, a dad will come home from working the second shift. He'll walk into the bedroom of his 6-year-old child and he'll touch her head and he'll realize for the first time that she has a fever, that she's badly sick. And he knows he needs to take her to the doctor, he knows he needs to go to the hospital, to the emergency room, but he has no idea how he's going to pay for it."

And he continued, "Today, somewhere in this country, a mother will stand in her kitchen holding a dish towel. . . . she'll go to the door, and she will find a chaplain and a man in uniform with the name of her son on their lips . . ."

こうした芸が、労組を超えて共鳴するかどうかが、エドワーズの勝負である。

それにしても。いやはや、相変わらず美しいではないですか。

2007/04/28

エドワーズ、散髪、ヘッジ・ファンド

約束していた割に、エドワーズの「二つのアメリカ」演説の脆弱性に触れるのが遅くなってしまった。26日の討論会で、2つの象徴的なやり取りがあったので、取り上げておきたい。

結論から先にいうと、「二つのアメリカ」演説の脆弱性は、「あなたはどちらのアメリカに属しているのか」という問い掛けを誘発する点にある。

その典型が、今回取り上げたい一つ目の質問である。それは、「散髪に400ドルかけたことをどう思いますか?」というモデレーターの問いだ。

第1四半期の政治献金報告のなかで、エドワーズは有名なスタイリストの出張散髪を2回利用していたことが明らかになっている。その1回のお値段が、400ドルだった。

エドワーズは成功した弁護士である。「持つ者」「持たざる者」の二つの世界があるとすれば、エドワーズが属するのは、間違いなく前者のアメリカだ。「二つのアメリカ」演説が綺麗であるほどに、「400ドルの散髪」だとか、豪邸を保有していて隣人と揉めているとか、その手の攻撃は受けやすくなる。

もちろん、「持つ者」が「持たざる者」を擁護して悪い訳ではない。そもそも欧米には、ノブレス・オブリージュの伝統がある。

エドワーズも、こうした問い掛けには答を用意している。今の自分は確かに持つ者だ。しかし、元はといえば工場労働者の息子であり、そのルーツを忘れてはいない。むしろ、自分のように成功するチャンスを、多くの人に与えたい。

美しい。

エドワーズは、今回の選挙戦では、ポピュリスト的な主張を強めている。それだけに、こうしたストーリーを上手く伝えることが重要だ。

討論会で目を引かれたのは、変化球ともいえる、もう一つの質問だ。それは、「ヘッジ・ファンドをどう思うか?」という問い掛けである。

ヘッジ・ファンドといえば、「持たざる者」にとっては、別世界の存在。ところがエドワーズは、前回の選挙で落選した後に、ヘッジ・ファンドで有名な、Fortress Invest Groupのアドバイザーに就任している。第1四半期の政治献金でも、同社関連の献金が17万ドルあるという。

この質問が気になったのは、民主党の経済政策に関する路線論争に、微妙に関わって来るからだ。

ルービノミクス批判の一つの典型は、「ウォール街の代弁者」というものだ。ところが、有力候補者のなかでは、もっともルービノミクスから遠いと目されているエドワーズですら、ヘッジ・ファンドと関係がある。

ことほど左様に、ルービノミクス論争は、奥が深いのである。

*日本は全国的にGWに入りました。残念ながら仕事があったりもするのですが、このページは、出来るだけ更新するつもりです。ただし、今回のように携帯から直にアップした場合、本文中のリンクやラベルは後から付け加えるので、RSSなどでは掲載順が乱れるかもしれません。ご容赦下さい。

2007/04/24

for the record : 「二つのアメリカ」とエドワーズの「型」

2008年選挙最強の飛び道具(?)、オバマの演説の魅力を取り上げたからには、2004年選挙で発揮された、エドワーズの演説の魅力にも触れたくなるのが人情である。実際に、2004年の選挙でエドワーズが使った「二つのアメリカ(Two America)」演説は、未だにエドワーズの代名詞といわれるほど印象的だった。その一方で、その印象が強かっただけに、エドワーズは「どちらのアメリカに属しているのか」という批判に晒さられる危険を抱えているのも事実である。

と、ここまで書くつもりだったのだが、肝心の「二つのアメリカ」演説のトランスクリプトを探すのに手間取ってしまったので、今日のところは、「名作」を紹介しながら、エドワーズの「型」について触れておきたい。

以前取り上げたように、オバマの「型」は、いろいろな出来事を結び付けて、大きな議論を作り上げることだ。これに対して、エドワーズの「型」は、架空の個人が登場するストーリー(寓話)を使って、メッセージを伝えることである。

「(今夜)アメリカのどこかで(somewhere in america…)」で始まることの多いこのストーリーには、幾つかのパターンがある。自分が一番好きだったのは、レイオフされた父親の寓話だ(これを探すのに手間取ってしまった)。例えば、この2004年2月10日の演説。記録に残す価値はあると思うので、長めに引用しておこう。

  And the reason it's important is because tonight a father will come home from work, something he's done many times year after year after year, coming home from his job at the factory where he's worked for many years -- work he's proud of. He's proud of what he does, proud of the work he does, proud of what he makes. He makes something, his factory makes something that the American people need, that the American people buy.

But the difference is when he comes home tonight, he'll have something different to say to his family. He'll come home to see his little girl, who he has seen every night. In fact, she's the end of his night every night. He knows his night is over when he gives her a hug. But tonight, when he comes home, he'll be coming home to tell her that his factory is closing, that he's about to lose his job, that, in fact, his life and his family's life is about to change.

And it's not because he's done anything wrong. He's done what he's supposed to do. He's been responsible. He's worked hard. He's raised his family.

It's not because the product that his company makes is no longer going to be made. They're going to continue to make it.

The problem is, they're going to make it somewhere else. They're going to make it somewhere outside of his community, outside of his country.

His life will change forever when he looks into the eyes of his little girl tonight. His family's life will change forever.

この話とつながっているかのように、娘の立場からの寓話もある。2004年2月3日の演説からどうぞ。

   Tonight -- tonight -- somewhere in America a 10-year- old little girl will go to bed hungry, hoping and praying that tomorrow will not be as cold as today because she doesn't have the coat to keep her warm; hoping and praying that she doesn't get sick as she did last year, because it means 24 hours waiting in an emergency room to try to get medical care; hoping...

... hoping that her father, who lost his job when the factory closed and has not been able to find steady work, will actually get a job that allows him to provide for his family.

She's one of 35 million Americans who live in poverty every single day, unnoticed, unheard. Well, tonight we see her, we hear her, we embrace her, she is part of our family and we will lift her up.

And she is, and her family is, like millions of Americans that work hard every day, struggle to get by. These are the Americans no one pays attention to, they're unheralded, they're unnoticed.

The truth of the matter is this: They are heroes in our America. They are the reason I'm running for president of the United States.

And the message I want you and I to send loud and clear to all those millions of Americans: Tonight we see them, tonight we hear them, we believe in them. We will lift them up. We will give them hope and we will give them back the White House.


「二つのアメリカ」とは関係ないが、04年の民主党大会では、エドワーズはイラク戦争の問題を寓話の手法で語っている。

  Tonight, as we celebrate in this hall, somewhere in America, a mother sits at the kitchen table. She can't sleep because she's worried she can't pay her bills. She's working hard trying to pay her rent, trying to feed her kids, but she just can't catch up.

  It didn't use to be that way in her house. Her husband was called up in the Guard. Now he's been in Iraq for over a year. They thought he was going to come home last month, but now he's got to stay longer.

  She thinks she's alone. But tonight in this hall and in your homes, you know what? She's got a lot of friends.

寓話の手法は、伝統的なフォーク歌手の手法である。かつて尾崎豊が、ジャクソン・ブラウンのようにメッセージを伝えたいといったのも、まさにこのやり方を意識していた(..知らないですかね)。初期のブルース・スプリングスティーンの作品なども、その伝統を受け継いでいる。同一(と思われる)人物が繰り返し違うストーリーにでてくるのも、エドワーズの語り口と同じだ。

「寓話」のミソは、誰もが感情移入できるような、ありそうだけれど、架空の物語である点だ。それでこそ、大上段に振りかぶるよりも、メッセージが伝わりやすくなる。だからといって、中途半端に実話を使うと、その信憑性を突かれてしまう危険がある。

ここで、ゴアの「犬の薬の値段(だったかな?)」の話を持って来たかったのだが、これも捜索に時間がかかりそうである。しつこくなって申し訳ないが、「二つのアメリカ」の落とし穴と併せて、明日以後に持ち越させて頂きたい。

2007/04/01

To Be With You

First Ladyというのは特殊な重みのある仕事だ。今回の場合はFirst Husband (and Former President)もからんでいるわけで、いかにも米国人好みの関心の高さである。

3月30日にABCの20/20に夫婦で出演したジュリアーニは、もし大統領になったら夫人に政策上も重要な役割を果たしてもらうつもりだと発言した(PÉREZ-PEÑA, Richard, "In His White House, Giuliani Says, His Wife Might Have a Very Visible Role as Adviser", New York Times, March 30, 2007)。

夫人がキャンペーンで果たす役割については、「彼女が望むだけ」。政策の決定に携わる範囲については、「彼女が望むだけ。彼女以上のアドバイザーは得られない」。閣議への参加についても、「もし彼女が望むなら。彼女が関心のあることに関係があれば、私としては全く問題はない」。

ジュリアーニのジュディス夫人は、看護婦と医薬品の販売員の経験がある。ジュリアーニにとっては3人目の夫人で、夫人本人も3回目の結婚(最近までは2回目だといわれていた)である。ジュリアーニにとって、私生活(大揉めに揉めた前妻との離婚、子供との不仲等)はアキレス腱の一つ。その中で、「夫人の政策関与」をぶち上げるのは、なんとなく不思議な気がする。

夫人の政策関与という点では、何と言っても思い出されるのはヒラリーだ。しかし、1992年の選挙戦でのBuy One, Get One Freeといういい振りは、必ずしも好感をもって迎えられなかった。いうまでもないが、First Ladyは厳密には投票で選ばれたわけではなく、政策への関与の正統性というのは微妙な問題である。また、米国にもステレオ・タイプの「夫人像」というのがある。おそらく米国人にとってコンフォタブルなのは今のローラ夫人くらいの位置取りだと思っていたが、今回のジュリアーニが問われないのであれば、時代はずいぶん変わったものである。

そのヒラリーだが、今回はFirst Husbandがついてくる。こちらは現在の米国政治では右に並ぶものがいない「大物」。政治にも政策にも詳しいのは誰もが認める事実である。いったいどのような役割を果たすのかが注目されるわけだが、まずヒラリーが考えなければならないのは、選挙戦での距離感だ。

Gallup社が3月23~25日に実施した世論調査では、とりあえずクリントンの存在はヒラリーにプラスだという結論が導かれている。70%がクリントンはヒラリーのキャンペーンにとって「More Good than Harm」と回答しており、「More Harm than Good」の25%を大きく上回った。

なにせクリントンの好感度は60%である。現状への不満を考えれば、「あの頃は良かった」となっても不思議ではない。

しかし良くみると有権者の態度は微妙だ。68%が民主党の予備選挙で対立候補がクリントンのスキャンダルを取り上げるとみている。本選挙で共和党が取り上げるとみる割合は実に85%だ。クリントン夫妻の夫婦関係についても、76%は投票の材料にすべきでないと答えているものの、実際には58%が有権者はこれを判断材料にするだろうとみている。

で、クリントンは教訓を学んだのか。結果は「教訓を学んだ」としたのが42%、「いまだに同じ人間だ」が51%。

ヒラリーにとっては、クリントンは危うさを伴った武器であるようだ。

さて、夫妻の話題となれば避けて通れないのはエドワーズである。しかしこの話題は軽々しくは書きにくいのも事実だ。

夫人の癌再発にもかかわらず選挙戦継続を決めたエドワーズには賛否両論があると伝えられる。先日の60 Minituesでは、Katie Couricから「飽くなき野望の表れではないか」などと責め立てられていたようだ(Horrigan, Marie,"Edwards Weathers First Iowa Poll Test Since Wife’s Health Crisis", CQ Politics.com, March 28, 2007)。

しかし、癌が発見された場合に、本人や関係者が仕事を抑えたかどうかという調査では、80%がNoと答えているという。金銭等の現実的な理由からの場合もあるし、生活や精神のバランスを維持するために通常の生活を続けようとするという思いもあるといわれる。

ある癌の経験者はエドワーズについてこう語っている。「エドワーズが選挙戦を続けることは夫人のサバイバルにとって重要だ。そのために彼らは生きてきたのだし、続けることが彼女を生きさせる(Leland, John and Pam Belluck, "Like the Edwardses, Some Use Work When They Must Fight Serious Illness", New York Times, March 25, 2007)」。

実際に、60 Minituesでエドワーズを問い詰めたCouricにしても、自らの夫を癌で亡くしており、その闘病中も仕事を続けていたという経験があるという(Shapiro, Walter, "Run, Elizabeth, Run", Salon, March 27, 2007)。

言葉を失う。

エドワーズについても、夫人の強い意向を尊重しての決断だったという見方が強い。民主党のスロットを争うリチャードソンは指摘する。「個人的にはエドワーズは撤退したかっただろう。しかし彼は夫人を気遣ったのではないか。彼女が原因だと思わせたくなかったのではないか(Johnson, Kirk, "Public Takes Up Pros and Cons of Edwards Bid", New York Times, March 24, 2007)」。

実際にエリザベス夫人はこう語っている。「大統領になるべき人を選挙戦から撤退させたということを私のレガシーにはしたくない。それは私にとってフェアではない。私たちが一生の仕事と思って打ち込んできたことをあきらめてしまったら、死ぬ準備ができるだろうか(Steinhauer, Jennifer, "In the Hospital, Mrs. Edwards Set Campaign’s Fate", New York Times, March 25, 2007)」。

エドワーズは会見でこう述べている。

"Any time, any place that I need to be with Elizabeth, I will be there, period."

Good Luckというほかはない。

2007/03/28

What It Takes...オバマ in ハワイ

大統領選挙は、全人格をかけた勝負だ。全人格をかけられる者にゴールにたどり着く権利が与えられる。それはある人にとっては覚悟だろうし、場合によっては、自然な心の動きかもしれない。

今回の選挙で、生い立ちを含めたキャラクターがもっとも注目されているのは、間違いなくオバマだろう。同じ民主党のトップランナーでも、ヒラリーのストーリーは余りに良く知られている。なにせクリントン大統領の自伝(My Life)とヒラリーの自伝(Living History)を両方読めば、裏表から知ることができてしまう。

まして、オバマは生い立ちを選挙戦のストーリーに組み込んでいる。ケニア人とアメリカ人の間に生まれ、ハワイやインドネシアで子ども時代を過ごす。様々な環境で、黒人としてのアイデンティティーを問い続けながら、シカゴで政治活動に身を投じた。だからこそ、世代や人種、党派や信条の差を乗り越えた新しい政治が出来る。政策面での実績が希薄なだけに、オバマにとっては、生い立ちを織り込んだストーリーは最大の拠り所だ。

だからこそ、そのパーソナルな自分史がメディアの精査を受けるのは、当然の展開である。そのオバマの自伝、Dreams of My Fatherを地元のChicago Tribune紙が再検証している(Scharnberg, Kirsten and Kim Barker, "The not-so-simple story of Barack Obama's youth", Chicago Tribune, March 25, 2007)。

同紙が注目したのは、オバマが黒人としての苦悩に目覚めたとされるインドネシアとハワイでの少年時代。当時を知る関係者へのインタビューなどによれば、自伝の記述には事実に怪しい部分があるという。

同紙は、「(事実の書き替えは)時にオバマを良く見せ、人種に関する葛藤を誇張し、もっとも辛い個人的な問題を隠している」と指摘する。インドネシアでオバマが衝撃を受けたという、皮膚の色を変えようとする黒人を取り上げた雑誌(Life? Ebony?)は存在が確認できない。ハワイではアウトサイダーとして苦悩していたというが、周囲からはバスケット好きなハッピーな少年という印象が残っている。人種的な疎外感も手伝い、黒人でまとまっているグループは確かにあったが、オバマはその一員ではなかったし、友人には人種に関してオバマと議論した記憶がない。

もっとも、同紙のトーンは、自伝の詐称を批判するようなものではない。むしろ、これらは子ども時代の記憶にありがちな齟齬だし、オバマは孤独を周囲から隠そうとしていたようだとも指摘する。後者については、同じくオバマのハワイ時代を取り上げたNew York Timesの記事も同様の主張だ(Steinhauer, Jennifer, "A Search for Self in Obama’s Hawaii Childhood", New York Times, March 17, 2007)。加えてNew York Times紙は、ハワイは人種が入り乱れているだけに、自らのアイデンティティーの問題に直面している人が多く、他人(オバマ)の悩みにまで気がつく余裕がないとも指摘している。

つまり、日本で良く話題になる政治家の学歴詐称とは質が違う。

もっとも、オバマにも頂けない「事実誤認」はある(Tapper, Jake, "Ah've come toooo fahhhr", ABC News, March 05, 2007)。

3月4日にオバマはアラバマ州のセルマを訪れた。公民権運動の大きな契機になった、1965年の「血の日曜日」事件を記念する行事に参加するためだ。そこでオバマは、自らの出生をセルマに結び付ける演説を行なった。「(黒人の父親と白人の母親は)それまでであれば、結婚して子どもをもうけるなんて不可能だったが、セルマの事件をきっかけに時代が変わり始めていると感じた。だから二人は一緒になり、自分が生まれた」。感動的なストーリーだ。

但し、オバマが生まれたのは、「血の日曜日」の4年前のことだ。

…いくら何でも、それはないだろう。

それはさておき、Tribune紙の着目点は、オバマの本当の葛藤(「辛い個人的な問題」)は、人種ではなく、父親と別れて暮らさなくてはならなかった「家族の離散」だったのではないかという点にある。いくら本人が隠そうとしても、容赦なく抉られてしまうのが、大統領選挙なのである。

そして、こうした事実を誰よりも理解し、場合によっては利用できる者が選挙を制する。それが計算であろうが、本能であろうが。

個人的なストーリーと選挙が切り離せなくなっているのは、夫人の癌再発を公表したエドワーズも同じだ。もちろん、そこに政治的な計算を見出だそうとするのは、余りに酷だ。一方でエドワーズは、3月25日の60 Minutesのインタビューで、「全ての候補者には、それぞれがどのような人物であるかを示唆する個人の暮らしがある。それを有権者が評価するのは公正なことだ」とも述べている(Crawford, Craig, "Edwards Gets Personal", CQ Politics.com, March 26, 2007)。

オバマの自伝に対しても、パーソナルなストーリーを求められる政治家としての自意識が働いているという指摘がある。Washington Post紙のRichard Cohenは、「(オバマは)むき出しの野望を大義のベールに隠そうとして、事実を改ざんしたのかもしれない。もはや米国の公的な世界では、単なる野望は受け入れられないからだ」と述べている(Cohen, Richard, "Obama's Back Story", Washington Post, March 27, 2007)。

特筆すべきなのは、"Dreams"は大統領選挙に向けて書かれた本ではないという事実だ。

オバマが"Dreams"を書いたのは34歳の頃である。Cohenは、その頃からオバマには、「自分を上手くパッケージする」意識があったのではないかと指摘する。

Cohenはオバマとレーガン元大統領を重ね合わせる。レーガン元大統領は、人生は映画のように語られなければならないと本当に理解していた政治家だからだ。「(レーガンは)常に自分の映画を演じていた。オバマも同じだ」。

そもそもオバマは、3年生の作文に将来の夢を「大統領」と書いていたという(Scharnberg, ibid)。

やはり大統領を目指す人物は、常人とは何かが決定的に違う。

2007/03/22

What It Takes…エドワーズ・ウォッチ

エドワーズの記者会見が終わった。既に報道されていると思うが、夫人の癌は再発していた。しかも、病状はかなり進行していた。

エドワーズは、選挙戦からは撤退しないと宣言。さっそく資金集めを再開した。今年第1四半期の集金額は、ビッグ3であり続けるには、極めて重要だ。

良く知られているように、エドワーズはかつて長男の事故死という悲劇も経験している。夫人の病状を考えれば、エドワーズの選挙戦の将来は、不透明と言わざるを得ない。

大統領になるには、何が必要なのか。情緒的な感想で恐縮だが、朝から文字通り鳥肌が立ち続けている。

携帯からでも更新できるようなので、出来るだけ書き続けようと思います。もっとも、入手出来る情報が限られているので、あまり期待はできませんが…ごゆるりとお立ち寄り下さい。

ざわざわと...Three Things to Watch

米国政治には、ざわざわとした落ち着かなさが漂ってきた。週後半から来週にかけて、3つの動きに注目だ。

1.エドワーズ

足元で一番気になるのは、22日の正午に急遽開かれることになった、エドワーズの記者会見である(Nagourney, Adam, "Edwards and Wife Plan News Conference", New York Times, March 21, 2007)。

事前の報道によれば、良いニュースではないらしい。

会見にはエリザベス夫人が同席する。夫人は乳癌を患った経験がある。21日にエドワーズはアイオワでの遊説をキャンセルし、夫人の経過診察に付き添った。22日の会見が発表されたのは、その日の夜である。

エリザベス夫人の癌は、2004年の大統領選挙中に検査を受け、まさにケリーが敗北宣言をした当日に医師に罹病を告げられたという経緯がある。今回の選挙でエドワーズは、医師が夫人の病状にお墨付きを与えたので、出馬に踏み切っている。

これまでのところエドワーズは、イラク戦争批判やポピュリズム的な主張で、民主党ビッグ3の「左側」に位置している。縁起でもないが、仮に一時的にでもエドワーズが選挙戦から消えれば、「左」に大きな力の空白が生まれる。

そして、力の空白は政治がもっとも嫌う現象だ。既存の候補(オバマ?)が空白に浸食するのか。それとも、新顔(オゾン・マン?)が、空白に引き寄せられるのか。そういえば、ゴアの主張は、エドワーズに近い。ゴアは2000年の選挙でPeople vs. Powerfulの議論を展開したし、民主党の有力者では、イラク戦争への反対を明確にするのも早かった。

ともあれ、こんな空想が無駄になるような会見であること祈りたい。

2.イラク

来週は4月のイースター休会を前にした最後の週。必然的に、民主党議会のイラク戦争対策は山場を迎える。

23日には、下院本会議で補正予算の採決が予定されている。条件付きの戦費承認(コンディション)と、撤退スケジュール(マイルストーン)を含む法案だ。21日の時点では、民主党は可決に必要な票を集め切れていない。22日に予定されていた採決が一日遅らされたのは、こうした事情がある。

一方の上院でも、民主党は補正予算に撤退期日を書き込む方向で動き始めた。相変わらず共和党のフィリバスターを破る60票は集まっていないが、前回の決議案に反対した民主党議員のうち、ネルソン議員は賛成に回る模様(Murray, Shailagh, "Senate Democrats Float War Bill Similar to That in House", Washington Post, March 22, 2007)。もう一人のプライヤー議員も、週末に態度を決めると含みを持たせている。

採決の行方はどうであれ、議論の結果を持って議員は地元に帰る。政権も拒否権があるとはいえ、補正予算が必要なのも事実だ。どんな地元の声を吸い上げて、議員はワシントンに帰って来るのか。勝負はそれからだ。

3.連邦検察官問題

これまであまり触れる機会がなかったが、連邦検察官の人事を巡る政争が日に日に大きくなっている。

きっかけは、ブッシュ政権関係者が政治的な理由で、検察官人事に介入したという疑惑。共和党議員では、ニューメキシコのウィルソン下院議員やドメニチ上院議員が、電話等で圧力をかけたと名指しされているが、議会民主党には、ローブ補佐官等の政権関係者を議会に召喚しようとする動きがある。政権は、大統領特権を後ろ盾に、無条件の召喚には応じない構えだ(Weisman, Jonathan and Paul Kane, "House Panel Authorizes Subpoenas Of Officials", Washington Post, March 22, 2007)。

政権が抵抗するのは、「ローブを守るため」というような単純な理由からだけではない。ここには、もっと構造的な議会と政権の緊張関係が反映されている。政権の反応は、たとえ議会を民主党に支配されても、自らの「権力」は譲らないという意思表示なのである(Stolberg, Sherly Gay, "Bush’s Big-Picture Battle: Presidential Prerogatives", New York Times, March 22, 2007)。

三権分立が厳格な米国では、議会と行政府は常に微妙な力関係にある。特にブッシュ政権は、行政府の権限を強化しようとしてきた。チェイニー副大統領が主催したエネルギー政策立案に関するタスク・フォースでは、その情報公開の度合いを巡って、議会(会計検査院)と裁判で戦ったりもしている。

こうしたなかで、議会による召還・公聴会の威力は、民主党が中間選挙で勝利した時点から、政権の最大の脅威になるとみられていた。イラク戦争の議論に典型的なように、民主党は単独で法律を通すには票が足りない。しかし、公聴会で政権を叩くのは可能だ。実際に、最近の議会では、民主党が政権の行政運営を監視するような公聴会が盛んに開かれている。

議会関係者の召還は、こうした両者の緊張関係の「本丸」である。まして、からんでいるのが「三権」のもう一つ、司法である。ゴンザレス司法長官の辞任は秒読みとの見方も根強い。両者共にどこかで落とし所を探るとは思うが、この問題が長引けば、議会民主党と政権・共和党の関係は結果的に悪化する。

政治的なインプリケーションは、ひょっとするとイラク戦争と同じくらい大きいかもしれない。

と、落ち着かなさが立ち上ってきたところで恐縮ですが、4日ほど更新できない環境に置かれます。次の更新は27日(火)以降になります。どうかご容赦いただきまして、また戻ってきていただけたら幸いです。