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2007/08/29

Things to Come II : ジュリアーニの医療保険改革案

一昨日はロムニーの医療保険改革案を「ジュリアーニに続く共和党有力候補による改革案」と紹介したが、よくよく見返して見ると、ジュリアーニの改革案をきちんと取り上げていなかった。遅ればせながら、その内容を整理しておきたい。

7月31日に発表されたジュリアーニの改革案は、3分野10項目で構成されている。

1.政府ではなく患者・家族の力を強める
・税制改革による選択の幅の拡大(1万5千ドルまでの医療費所得控除化)
・税額控除などによる低所得層の医療保険購入支援
・品質・価格の透明性向上
2.お役所仕事と医療のデリバリー改革
・医療訴訟改革
・ブロック・グラントによる州政府の改革促進
・州による保険規制緩和・州を跨いだ保険購入の容認
・新薬承認プロセスのスピードアップ
・官民パートナーシップによるIT化促進
3.健康促進のための保険カバレッジ改革
・HSAの基準緩和
・州の予防医療・生活習慣病対策とメディケイド補助金の関連づけ

お気付きのように、具体的な改革案の内容は、ロムニーのそれと似通っている。柱の一つが個人保険購入に関する税制改革なのも同じである。

ジュリアーニの改革案に対しては、「改革」の看板に値しないという批判もある(Klein, Ezra, “A Man With a (Non-)Plan”, American Prospect, August 2, 2007)。詳細さに欠けるのもさることながら、義務付け等もないし、所得控除はそもそも所得税を払っていない低所得層には無力である。これでは無保険者は減らないし、医療コストも下がらない。また、企業提供保険から個人保険に移れば、保険会社に対する加入者の立場が弱くなるという指摘もある(Gross, Daniel, “I Can Get It for You Retail”, Slate, August 9, 2007)。

見逃せないのは、そもそもジュリアーニの改革案は無保険者対策を謳っているわけではないという事実である。むしろジュリアーニの改革案は、民主党の提案を攻撃するための足掛かりとしての色彩が強いといえるかもしれない。ロムニーのラインにも似ているが、民主党の提案は「大きな政府」の典型であり、医療保険を取り巻く状況をかえって悪化させるというわけである。実際にジュリアーニが改革案を発表した際には、「民主党」という言葉が6回、「シングル・ペイヤー」が8回使われたのに対して、「無保険者」への言及は一度もなかったという(Klein, ibid)。「社会主義的なモデルは政府を破産させる。そこにヒラリー、オバマ、エドワーズは導こうとしている。罠に気付かなければ大変なことになる。カナダやフランス、英国型の医療保険になってしまう」などと、その批判ぶりはなかなかカラフルである(Santora, Marc, “Giuliani Seeks to Transform U.S. Health Care Coverage”, New York Times, August 1, 2007)。

既に述べたように、実際に改革案が目指す姿について、共和党と民主党にどれほどの違いがあるのかは疑問である。しかし、ジュリアーニやロムニーの態度を見る限りでは、合意出来る部分を探して超党派で改革を進めようという気配は感じられない。予備選特有の現象であるにしても、こうした論戦によって歩み寄りの「土壌」が汚染されすぎれば、改革の実現は遠のいてしまいそうである。

2007/06/09

Real difference ? : ジュリアーニの医療保険改革案

またか、と思われるかもしれないが、少しお付き合い願いたい。医療保険改革は、2008年の大統領選挙や、「ブッシュ後」の米国の大きなテーマだからだ。

ジュリアーニの医療保険改革案の骨格が明らかになってきた(Meckler, Laura and John Harwood, "Giuliani Health Proposal Seeks Individual Coverage", Wall Street Journal, June 7, 2007)。これまでは、オバマを中心に民主党の議論を中心に取り上げて来たが、共和党の提案はどう違うのか。その違いは、政治家のレトリックから想像するよりも、実は微妙である。

まずは、ジュリアーニのラインで説明しよう。

今のシステムの問題は、保険の選択肢が少ない点にある。高い保険しか買うことができない。勤務先を通じて保険を買っている場合には、普通は質の良い(高い)保険しか選べない。個人で市場から買おうにも、市場の参加者が少ないし、州政府が売ることのできる保険の種類(最低限のカバレッジ等)を規制している。保険会社にすれば、採算を取るためには保険料を上げざるを得ない。

鍵になるのは、個人保険市場の活性化である。そのためには、2つの方策が必要だ。第一に、勤務先経由の保険に与えられている優遇税制を改革し、個人保険を買った場合と条件を同じにする。これで、個人保険市場への参加者が増える。第二に、供給サイドでは、州の規制権限を弱体化させる。これによって、例えば、カバーされるサービスの範囲は狭いが、保険料が安い保険も売れる(買える)ようになる。買いやすくなれば無保険者は減る。

これは、民間をベースにした改革だ。補助金で医療保険を拡大する民主党の考え方とは、根本的に違う。個人への義務付けもしない。補助金が必要になり、逆に価格が上がってしまう。

民主党の改革案は、「医療の社会化(Social Medicine)」だ。

この「医療の社会化」というのが、共和党側の殺し文句である。医療保険改革、とりわけ無保険者対策の関門は、既に保険を持っている人にどう納得してもらうかという点にある。確かに米国にはたくさんの無保険者がいるが、数でいえば、保険に加入している人の方が圧倒的に多い。こうした人達は、今より条件が悪化するのを恐れている。「社会化=国営化=悪」という連想は強力である。

それはそれとして、民主党とジュリアーニの案には、本当に天と地ほどの差があるのだろうか。

試しに完成型を想像して頂きたい。どちらの案も、既存の官民ハイブリッドの仕組みを残す。しかし、企業の負担は増やさずに、その外側の保険を広げる。シングル・ペイヤーと比較すれば、こうした構造自体は、両者は近しい関係にあるのではないだろうか?実際に、ジュリアーニが提案している税制改革には、民主党サイドにも同調する意見がある(例外は労組。企業に医療を負担させたいからだ)。

そうであれば、問題となるのは、やはり「逆選択」の問題である。安くてカバー範囲の少ない保険が普及したら、リスクの偏りがさらに進むのではないか?その部分を掬い上げる手立ては必要なのか?議論はこのような方向に進むのが筋である。そして、そこで初めて、国の役割の議論になる。


選挙は必要以上に立場の違いを強調する場になりがちである。それは、候補者の立ち居地を知る上では、大事な手掛かりになるし、キャラクターを判断する材料になるという意見もある。しかし、本来なら存在する筈の、共通する議論の土台が、弾き飛ばされてしまう可能性は見逃せない。候補者が立場を鮮明にすることが、改革の実現にとって好ましいかどうかは、全くの別問題なのである。

2007/04/01

To Be With You

First Ladyというのは特殊な重みのある仕事だ。今回の場合はFirst Husband (and Former President)もからんでいるわけで、いかにも米国人好みの関心の高さである。

3月30日にABCの20/20に夫婦で出演したジュリアーニは、もし大統領になったら夫人に政策上も重要な役割を果たしてもらうつもりだと発言した(PÉREZ-PEÑA, Richard, "In His White House, Giuliani Says, His Wife Might Have a Very Visible Role as Adviser", New York Times, March 30, 2007)。

夫人がキャンペーンで果たす役割については、「彼女が望むだけ」。政策の決定に携わる範囲については、「彼女が望むだけ。彼女以上のアドバイザーは得られない」。閣議への参加についても、「もし彼女が望むなら。彼女が関心のあることに関係があれば、私としては全く問題はない」。

ジュリアーニのジュディス夫人は、看護婦と医薬品の販売員の経験がある。ジュリアーニにとっては3人目の夫人で、夫人本人も3回目の結婚(最近までは2回目だといわれていた)である。ジュリアーニにとって、私生活(大揉めに揉めた前妻との離婚、子供との不仲等)はアキレス腱の一つ。その中で、「夫人の政策関与」をぶち上げるのは、なんとなく不思議な気がする。

夫人の政策関与という点では、何と言っても思い出されるのはヒラリーだ。しかし、1992年の選挙戦でのBuy One, Get One Freeといういい振りは、必ずしも好感をもって迎えられなかった。いうまでもないが、First Ladyは厳密には投票で選ばれたわけではなく、政策への関与の正統性というのは微妙な問題である。また、米国にもステレオ・タイプの「夫人像」というのがある。おそらく米国人にとってコンフォタブルなのは今のローラ夫人くらいの位置取りだと思っていたが、今回のジュリアーニが問われないのであれば、時代はずいぶん変わったものである。

そのヒラリーだが、今回はFirst Husbandがついてくる。こちらは現在の米国政治では右に並ぶものがいない「大物」。政治にも政策にも詳しいのは誰もが認める事実である。いったいどのような役割を果たすのかが注目されるわけだが、まずヒラリーが考えなければならないのは、選挙戦での距離感だ。

Gallup社が3月23~25日に実施した世論調査では、とりあえずクリントンの存在はヒラリーにプラスだという結論が導かれている。70%がクリントンはヒラリーのキャンペーンにとって「More Good than Harm」と回答しており、「More Harm than Good」の25%を大きく上回った。

なにせクリントンの好感度は60%である。現状への不満を考えれば、「あの頃は良かった」となっても不思議ではない。

しかし良くみると有権者の態度は微妙だ。68%が民主党の予備選挙で対立候補がクリントンのスキャンダルを取り上げるとみている。本選挙で共和党が取り上げるとみる割合は実に85%だ。クリントン夫妻の夫婦関係についても、76%は投票の材料にすべきでないと答えているものの、実際には58%が有権者はこれを判断材料にするだろうとみている。

で、クリントンは教訓を学んだのか。結果は「教訓を学んだ」としたのが42%、「いまだに同じ人間だ」が51%。

ヒラリーにとっては、クリントンは危うさを伴った武器であるようだ。

さて、夫妻の話題となれば避けて通れないのはエドワーズである。しかしこの話題は軽々しくは書きにくいのも事実だ。

夫人の癌再発にもかかわらず選挙戦継続を決めたエドワーズには賛否両論があると伝えられる。先日の60 Minituesでは、Katie Couricから「飽くなき野望の表れではないか」などと責め立てられていたようだ(Horrigan, Marie,"Edwards Weathers First Iowa Poll Test Since Wife’s Health Crisis", CQ Politics.com, March 28, 2007)。

しかし、癌が発見された場合に、本人や関係者が仕事を抑えたかどうかという調査では、80%がNoと答えているという。金銭等の現実的な理由からの場合もあるし、生活や精神のバランスを維持するために通常の生活を続けようとするという思いもあるといわれる。

ある癌の経験者はエドワーズについてこう語っている。「エドワーズが選挙戦を続けることは夫人のサバイバルにとって重要だ。そのために彼らは生きてきたのだし、続けることが彼女を生きさせる(Leland, John and Pam Belluck, "Like the Edwardses, Some Use Work When They Must Fight Serious Illness", New York Times, March 25, 2007)」。

実際に、60 Minituesでエドワーズを問い詰めたCouricにしても、自らの夫を癌で亡くしており、その闘病中も仕事を続けていたという経験があるという(Shapiro, Walter, "Run, Elizabeth, Run", Salon, March 27, 2007)。

言葉を失う。

エドワーズについても、夫人の強い意向を尊重しての決断だったという見方が強い。民主党のスロットを争うリチャードソンは指摘する。「個人的にはエドワーズは撤退したかっただろう。しかし彼は夫人を気遣ったのではないか。彼女が原因だと思わせたくなかったのではないか(Johnson, Kirk, "Public Takes Up Pros and Cons of Edwards Bid", New York Times, March 24, 2007)」。

実際にエリザベス夫人はこう語っている。「大統領になるべき人を選挙戦から撤退させたということを私のレガシーにはしたくない。それは私にとってフェアではない。私たちが一生の仕事と思って打ち込んできたことをあきらめてしまったら、死ぬ準備ができるだろうか(Steinhauer, Jennifer, "In the Hospital, Mrs. Edwards Set Campaign’s Fate", New York Times, March 25, 2007)」。

エドワーズは会見でこう述べている。

"Any time, any place that I need to be with Elizabeth, I will be there, period."

Good Luckというほかはない。

2007/03/20

ジュリアーニの謎…Revolutions…レーガンを探して

ジュリアーニは保守派に受け入れられるのか。その答を知るカギは、保守派が求める理想の候補者像は誰なのか、という問い掛けにある。簡単そうで、難しいもう一つの謎だ。

なぜ簡単そうに見えるのか。答は一つしかないからだ。もちろんロナルド・レーガン元大統領である。

Hands down. No question about it.

3月1~3日に開催された保守派の集まりCPACの総会では、会員を対象にした世論調査の結果が発表された。質問の一つが、「レーガンの共和党員と自称する候補者と、ブッシュの共和党員を自負する候補者のどちらを支持するか?」だった。結果は圧倒的。79%がレーガンを選び、ブッシュは3%である。

ブッシュはたったの3%だ。現職の大統領なのに。

それでは、ジュリアーニの課題は、どこまでレーガン的になれるかにかかっているのだろうか。

CPACでのジュリアーニの受けは今一つだった。同じ調査では、08年の候補に誰を選ぶかという問いもあった。もっとも支持を集めたのはロムニーの21%。ジュリアーニは17%で2番手に甘んじた。

もっとも、ロムニーの勝利は、学生の支持者を動員した結果。ジュリアーニにすれば、組織も動いていないにしては、上出来との声もある(Fund, John, "Searching for Mr. Right", Opinion Journal, March 5, 2007)。但し、最大のライバルであるマッケインは、CPACとの関係が悪く、総会に出席すらしていなかったのだが…

むしろ評判が悪かったのは、ジュリアーニの演説だ。ジュリアーニは保守派が疑念を持つ社会政策の話題を避け、ごく普通の選挙演説を行なった。いわゆるRed Meatのない内容には、「本気で大統領になりたがっているとは思えない。大統領選挙は長い付き合いのようなものだが、最初の知り合う段階を過ぎても、有権者がジュリアーニとデートしたいと思うだろうか」などと評されている(Marcus , Ruth, "Can Rudy Get Past the First Date?", Washington Post, March 7, 2007)。

レーガンの魔力は、ジュリアーニも理解している。CPACでは、ジュリアーニも犯罪、福祉、税金を減らしたという点で、レーガンを意識した演説を行ったという。一方のロムニーも、減税と小さな政府で応酬した。

さらにジュリアーニは、社会政策での保守派との意見の違いも、レーガンを引用してかわそうとした。曰く、「かつてレーガンは『80%の場合に私の味方であれば、20%は敵だというわけではない』と述べた。つまり、われわれはすべてのことで意見が完全に一致するわけではない。私とあなた方は多くの信念を共有している。一方で、異なった信念もいくらかは持っているということだ(Nagourney, Adam, "Republican Hopefuls Seek Advantage on Social Issues", New York Times, March 3, 2007)」。

しかし問題はそう単純ではない。明らかそうで明らかでない疑問があるからだ。

レーガン的とはどういうことなのか?

考えてみて欲しい。果たしてレーガンの治世は保守主義の理想の時代だっただろうか。確かにレーガンは1981年に大型の減税を行った。しかし翌82年には増税も断行している。小さな政府というが、軍備増強に走ったために、財政赤字は大きく拡大した。移民対策でも、現在保守派が反対している「恩赦」に似た対応をしたのがレーガンだった。さらに肝心の社会政策でも、穏健派のオコナーを最高裁に指名したのはレーガンではなかったか。

これに比べれば、ブッシュ政権は立派である。財政政策では、ブッシュ政権は一貫して減税重視。どんなに攻撃されても、正面から増税を取り上げたりはしない(最近では裏口からの増税は否定しないが)。財政赤字も一時は拡大したが、足元ではずいぶん落ち着いてきた。最高裁判事も、マイヤーズ問題という失点こそあれ、結局はオコナー判事の後任に保守派のアリートを据えた。

何が両者の違いなのか。

外交評議会のPeter Beinartは、冷戦の崩壊をその理由にあげる。レーガン時代には、ソ連への対抗という理念が、保守派のレーガンへの評価を甘くした。ブッシュ政権でも、9-11直後にテロとの戦いが幅広い支持を集めていた時期には、保守派もブッシュ政権を支持していた。ところが、イラク戦争の泥沼化に連れて、保守派はこうした「強気の外交」を支持していられなくなった(Beinart, Peter, "Searching for Another Reagan", The Time, March 9, 2007 )。

そうであるならば、マッケインにもジュリアーニにも良いニュースではない。どちらも「強いリーダーシップ」を拠り所にしているからだ。

自分が注目するのは、ブッシュ政権や議会共和党の政府を運営する能力への疑問である。ハリケーン・カトリーナが一つの大きなきっかっけだが、そのほかにも、マイヤーズの最高裁指名、議会スタッフに対する猥褻メール事件、リビーの裁判、さらに最近では、連邦検察官の人事への介入、陸軍病院の管理運営…イラク戦争が典型だが、「理念はともかく結果が伴っていない」ことが、保守派の幻滅を招いているのではないか。昨年の中間選挙で数々のスキャンダルが論点になったことにしても、共和党が保守的な考えを持っているかが問われたのではなく、その実践の仕方、すなわち「法と秩序」を尊重しなかった点が汚点になった(Tumulty, Karen, "How the Right Went Wrong", The Time, March 15, 2007)。

外交の問題についても、政策運営能力につながる側面がある。結局のところ、レーガンは軍隊を使わずに、冷戦を勝利に導いた。イラク戦争は、米軍の犠牲者を出しながら泥沼状態だ。

何しろ共和党は去年まで大統領と議会を完全に制覇していた。にもかかわらず、なぜ保守のアジェンダが進まなかったのか。そんな幻滅があってもおかしくはない。

もっとも、ポール・クル―グマンは、いわば逆方向から、政策運営能力に焦点を当てる。彼に言わせれば、レーガンの評価が高いのは、議会を民主党に支配されていたために、保守の政策を貫徹出来なかったからだ。金持ち・大企業・宗教右派のこと以外に興味がない保守運動の政策こそが問題であり、ブッシュはそれを最大限に実践してしまったから、失敗したのだという(Krugman, Paul, "Don’t Cry for Reagan", New York Times, March 19, 2007)。

いやはや。

アーカンソーのハッカビー前州知事は、今年のCPACの雰囲気をこう表現したという。

"Dude, Where’s My Candidate?"

果たして保守派はどういう基準で候補者を選ぶのだろうか。保守派はレーガン的な候補者を探しているというよりも、どんな候補者を探せばいいのかに困惑しているようにすら感じられる。

2007/03/07

ジュリアーニの謎...Reloaded...if you can make it here...

ジュリアーニの謎は奥が深い。謎を解く鍵にまで新たな謎が潜んでいるのだ。

ジュリアーニの社会政策でのスタンスや、私生活での不安が打ち消されている大きな理由の一つは、リーダーシップへの評価である。しかし、ジュリアーニのスタイルは、国民が求めるリーダーシップなのだろうか。それとも、忘れたいと思っている「ある人」の再現なのだろうか。

NewsweekのJonathan Alterは、これまでの多くの大統領選挙では、直前の大統領の対極が求められてきたと指摘する(Alter, Jonathan, "Wrong Time for an Urban Cowboy?", Newsweek, March 12, 2007)。その意味では、2008年に求められるのは、国際社会における米国の存在感を取り戻せる人物。タフさに柔軟性も兼ね備え、そして尊大ではないリーダーだという。橋を燃やしてしまうのではなく、新たな橋を架けられる能力が必要なのだ。

ジュリアーニはそんな評価を得ているわけではない。

同じくNewsweek誌のJonathan Darmanはこう評する(Darman, Jonathan, "Master of Disaster", Newsweek, March 12, 2007)。「危機の際のジュリアーニの強さは、頑迷さと紙一重だ。断固とした信念は、時として不作法に流れ、世界を善と悪に二分してしまいがちだ」。そのまま今のホワイトハウスの主人に当てはまりそうな形容だ。果たして米国人は、「my-way-or-the-highway Texan」を「shut-up-and-listen New Yorker」に取り換えたいのだろうか(Alter, ibid)。

もっとも米国人が気付くかどうかは別問題だ。

ジュリアーニの強さは、9-11後のイメージである。NewYorker誌のKen Aulettaは、当時を振り返ってこう語る。「ブッシュは飛行機の中。チェイニーはどこかの避難場所にいた。そこに『私が全ての米国人を代弁する』といって突如現れたのが市長だった」。そのイメージが、「テフロン加工のジュリアーニ」を作り上げている(Tapper, Jake and Avery Miller, "'Teflon' Giuliani", ABC News, March 5, 2007)。

Alterは、どこかでジュリアーニの気の短さが爆発するような事態が起きない限り、問題は表面化しないだろうと予測する。しかし、ジュリアーニのメディアなどに対する打たれ強さは折り紙つきである。何せ鍛えられ方が違う。ニューヨーク市長として長年揉まれて来ているのだ(Rothenberg, Stuart, "Is Rudy Likely to Be a Favorite or a Flop?", Roll Call, January 16, 2007)。候補者の中で彼に並ぶ経験があるのは、ヒラリー位だろう。思わず、ニューヨークで成功できれば…という言い回しを思い出してしまう。

もちろんテフロン加工にも永遠に傷がつかない訳ではない。最近も前妻との子どもとの不仲がメディアを賑せたばかりだ(Archibold, Randal C., "Questioned About Son, Giuliani Pleads for Privacy", New York Times, March 5, 2007)。選挙戦はまだまだまだまだ続く。

ところで、そもそもジュリアーニは「ニューヨークで成功した」のだろうか。やはり、全てを変えたのは9-11だった。テロへの恐怖がどこまで米国人の心に残り続けるのか。テフロンの強さは、そんなところにも左右されそうだ。

2007/03/05

ジュリアーニの謎、マッケインの矛盾

「ジュリアーニの謎」をどう考えるのか。米国選挙ウォッチャーにとって目下最大の課題であり、踏み絵である。序盤戦の雲行きは、ジュリアーニが共和党の候補者に選ばれるという、「あり得ない」展開を示唆しているからだ。

世論調査では、ジュリアーニの圧勝である。共和党のトップランナーと目されていたマッケインに、どんどん差をつけている。本選を視野に入れても、ジュリアーニなら誰が民主党で勝ち上がって来ても大丈夫だ。

歴史もジュリアーニの味方である。序盤のフロントランナーが失速しやすい民主党とは対照的に、共和党は早めに候補者を絞り込む傾向にある。最近10回の予備選挙では、序盤でリードを奪った候補が逃げ切ったケースが7回もある。しかも残りの3回は、現職候補が再選された時である(Lester, Will, "Early 2008 Polls Offer Important Clues", AP, February 25, 2007)。共和党は本命をサッサと作りたい党なのだ。

人気の理由は2つ。第一に、リーダーシップへの評価。9-11への対応はもちろん、ニューヨークでの犯罪対策も伝説的だ。第二に、民主党を相手にしても、「勝てる」という期待感がある。08年に向けて、共和党の展望は決して明るくない。というか、思い切り暗い。特に、イラク戦争などを契機に無党派層の支持ががた落ちなのが痛い。しかしジュリアーニは無党派層に人気がある。大票田のニューヨークやカリフォルニアで、ヒラリーに冷や汗をかかせられるのは、ジュリアーニだけ。そういう計算が働いてもおかしくない。

それでは、なぜ玄人筋にとっては、「あり得ない」のか。端的に言って理由は2つ。第一に、社会政策での立場。中絶・銃規制・同性愛の権利に賛成する人物が、今どきの共和党の候補者に選ばれる訳がない。

実は世論調査では、共和党支持者の四分の三が、ジュリアーニの社会政策のポジションを知らず、もし知ったら、35%が他の候補に流れる可能性があるという結果が出ている(Cook, Charlie, "Hillary Rising", National Journal, February 24, 2007)。

第二は、私生活。3度結婚しているのは有名だが、ニューヨーク市警との関係や(国土安全保障長官になりそこねた人を覚えていますか?)、ビジネス関連でも叩けば埃が出てきかねない。長丁場の選挙戦に耐えられる訳がない。

だからベテランの専門家ほど、見る眼は厳しい。チャーリー・クックは、世論調査の数字にかかわらず、共和党の予備選挙は混戦だと言う(Cook, ibid)。スチュワート・ローゼンバーグにいたっては、社会政策でジュリアーニのようなポジションの人間が共和党の大統領候補に選ばれるのは、「自分が生きている間はありえない」とまで言い切っている(Rothenberg, Stuart, "Is Rudy Likely to Be a Favorite or a Flop?", Roll Call, January 16, 2007)。

当然のことながら、対立候補は「ジュリアーニの真実」に焦点を当てようとするだろう。誰が仕組んだかは知らないが、既に、「ニューヨーク市長時代にジュリアーニは保守的な判事を任命していなかった」なんていう記事が出ている(Smith, Ben, "Giuliani Judges Lean Left", Politico.com, March 3, 2007)。先週末に行われた保守派の集まりであるCPACでのジュリアーニの演説への反応も、それほど好意的ではなかったようだ(Balz, Dan, "Giuliani Has No Real Chance With GOP Voters ... or Does He?", Washington Post, March 4, 2007)。

保守派はジュリアーニを認めるのだろうか。最近の米国では、「実はジュリアーニは保守派だ」といった趣旨のオピニオン記事が驚くほど多い(たとえば、Malanga, Steven, "Giuliani the Conservative", Opinion Journal, February 28, 2007)。もっとも、何とか「勝てる候補」に集結したい保守派の、「そのためには地均しも厭わない」という涙ぐましい努力なのかも知れないが...。

それよりも見逃せないのは、「ジュリアーニの謎」のコインの裏側には、「マッケインの矛盾」があることだ。社会政策や財政政策ではジュリアーニよりも余程保守的なのに、なぜ保守派の支持を得られないのか。

TCS Dailyに掲載されたカリフォルニアのジュリアーニ人気を報じた記事は、その辺を鋭く突いている(McClellan, Michael Brandon, "Why Giuliani Is Golden", TCS Daily, February 27, 2007)。

要はイメージの問題である。

保守派にとってのマッケインのイメージは、いつまでたっても「主流派に反旗を翻す一匹狼」である。保守派の影響力を削ぐような選挙資金法改正に賛成し、最高裁判事の指名では、「Gang of 14」を率いて、保守派の意向に背いた妥協に走ろうとする。党よりも自分が大事なのがマッケイン。そんなイメージが染み付いている。

他方でジュリアーニが連想させるのは、断固としたリーダーシップ。共和党支持者にとっては、そのタフなイメージが、社会政策でのリベラルさを忘れさせるほど魅力的だ。

無責任な立場でいわせてもらえば、興味があるのはジュリアーニが候補者になった後の展開である。「ジュリアーニの共和党」は、これまでの共和党とはずいぶん違う。大統領選挙の時には、議会選挙も併せて実施される。共和党の候補者は、どうやって戦うのだろうか?

しばらく前にある共和党の議会スタッフが、08年選挙の予測をこう述べていた。「民主党はヒラリー、共和党はジュリアーニが候補に選ばれ、ジュリアーニが勝つ。そしてみんなを怒り狂わせる」。

「生きている間はありえない」といわれてしまうのは残念な気もする。