2007/08/21

節目の選挙としての2008年

米国の歴史には、政策の方向性が大きく変わる「節目の選挙」がある。2008年の大統領選挙は、その一つになる可能性がある。

何が「節目の選挙」なのかという点について、興味深い分析をしているのが、Washington Timesのトニー・ブランクリーである(Blankley, Tony, "Is 2008 a change election?", Washington Times, August 8, 2007)。幾つかの全国的な争点に関する有権者の不満が表明されるだけでなく、価値観の大きなシフトやそれまでとは違ったタイプの大統領を生み出すのが、「節目の選挙」である。ブランクリーによれば、これまでの選挙で「節目の選挙」に値するのは、FDRが当選してニューディールの始まりとなった1932年と、レーガン政権が誕生し現在につながる保守の政治の幕が開いた1980年だという。これらが「節目の選挙」である証は、次に対立政党が政権を奪回した時にも、大筋での政策の方向性が変わらなかった点にある。アイゼンハワーはニューディールを否定しなかったし、クリントンは市場経済・自由貿易を尊重する政策を採用し、福祉制度の改革に踏切った。

なぜ2008年が「節目の選挙」になり得るのか。反戦気運だけでは物足りない。ニクソン政権を生んだ1968年の選挙はベトナム反戦の影響があったが、政策の方向性は変わらなかった。また、現職政党の大敗も、必ずしも政策の方向性を大きく変えるわけではない。1952年のアイゼンハワーや1976年のカーターが好例である。

ブランクリーは2つの点に注目する。第一は、国の進む方向性、特に経済的な側面に対する有権者の不安である。2001年のリセッションを抜け出して以来、米国経済はブッシュ政権下で緩やかながらも着実な成長を続けてきた。しかし、有権者がブッシュ政権の経済政策を見る視線は厳しい。保守の経済政策の基本は成長重視だが、最近の米国では、経済成長率のようなマクロの経済指標には現れない、所得格差やグローバリゼーション、高齢化に伴う老後の不安といった問題が、有権者の関心事になっている。ここにきてのサブプライム問題も、資産の安全性という点で、有権者の経済的な不安をさらにかき立てかねない。第二は、政府の機能不全に対する怒りである。カトリーナやイラク戦争に代表されるように、有権者は政府の機能不全をイヤという程見せつけられてきた。ブッシュ政権は、大統領はともかくとして、チェイニーやパウエル、ラムスフェルドといったワシントンのベテランに支えられている筈だった。それでも満足に政府を運営できないのであれば、今までとは異なった人材をホワイトハウスに送り込む必要がある。有権者がそんな判断に傾いても不思議ではない。オバマやジュリアーニといった国政の経験が浅い候補者が健闘しているのは、そんな嗜好の表れかもしれない。

こうした文脈に従えば、2008年が「節目の選挙」になる場合には、「変化」を体現する候補者に追い風が吹くと見るのが妥当だろう。他方で個別の要素に着目すると、経済的な不安という観点では成長重視路線からの切替えを主張する候補者が、また、政府の機能不全という点では行政運営能力の高い候補者が有利になりそうである。そう考えると、分配重視を訴える民主党が優位に立っており、その中で「変化」のオバマと「実力」のヒラリーが競っているというのも、なるほど頷ける構図である。

米国では、2000年の大統領選挙以来、有権者の二分化が進んでいるといわれる。このため、有権者が急に同じ方向を向くとは考え難いという見方もある。しかしブランクリーは、有権者の1~2割が動きさえすれば、「節目の選挙」は成立すると指摘する。実際に2006年の中間選挙では、普段は動かない無党派層の数ポイントの違いが、驚くべき結果をもたらした。

2008年の選挙が「節目の選挙」となれば、これに伴う政策面の変化は、次の大統領を超えて米国の方向性を形作る可能性がある。今回の選挙が注目に値する理由は、まさにこの一点にあるといっても過言ではないのである。

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