ヒラリーの貯蓄増進策と公的年金改革の今後
10月9日にヒラリーが、老後に向けた貯蓄の促進案を発表した。401(k)タイプの確定拠出型年金を全国民に普及させるべく、年間250億ドル規模の優遇税制を導入するというのが骨子である。米国では21~64歳の勤労者の40%超が401(k)に加入している。96年の34%よりは増加しているが、近年ではそのペースは鈍化しているという(Calmes, Jackie, "Clinton Outlines Retirement Proposals", Wall Street Journal, October 9, 2007)。
ヒラリーの提案には、二つの柱がある。第一は、勤労者の貯蓄に対する優遇税制である。具体的には、ヒラリー案の下では、401(k)型の年金貯蓄に対して連邦政府が貯蓄額に応じた税額控除を提供する。その上限は、年収6万ドルまでの家庭については最初の1000ドルについて同額、6~10万ドルについては半額とされ、それ以上の家庭については段階的に補助の比率が低下する。共和党陣営からは、「増税につながる浪費だ」との批判が聞かれるが、ヒラリーの提案は(他の税目の増税でファイナンスされるとはいえ)、租税特別措置を利用した減税である。租税特別措置は共和党も利用している手段であり、これを「歳出」だと定義してしまえば、共和党の減税路線にも論旨が通らない部分がでてきかねない。
第二は、American Retirement Accountの導入である。この口座は、現在401(k)プランを提供されていない勤労者などを念頭に置いた新しい制度であり、年間5000ドルまでを課税繰り延べベースで積み立てられる。当然のことながら、最初の1000ドルは前述の税額控除の対象となる。勤労者が新設の税額控除を受けるには、既存の401(k)プランを維持しても良いし、American Retirement Accountを開設しても良いことになる。口座の運用は民間企業が行なうため、公的部門の拡大にはつながらないと主張されている。
この他にも同アカウントには、長期間の失業に直面した場合には、残高の10~15%を罰則無しで引き出せるという特徴がある。住宅の購入や高等教育などの「生活上の重大な投資」のためであれば、やはり罰則無しで引き出せるというのは、現行のIRAと同様である。また、低所得層の参加を促すために、フードスタンプなどの公的給付の受給資格を審査する際に、退職後向けの貯蓄を「資産評価」の対象から外すという提案もある。これまで低所得層には、貯蓄すると公的給付を受けられなくなるというジレンマがあったからだ。
気になる財源については、ヒラリーはブッシュ減税のうち相続税に関する部分を、09年の水準で凍結するよう提案している。優遇税制の規模は参加者数に左右されるが、ヒラリー陣営は年間200~250億ドルを見込んでいる。これに対して相続税の凍結は、予定通りに相続税を廃止した場合と比較して、10年間で4000億ドル規模の増収になる。
実はヒラリーの提案に先立って、民主党のエマニュエル下院議員も、似たような提案を行なっている(Emanuel, Rahm, "Supplementing Social Security", Wall Street Journal, Septmber 13, 2007)。具体的には、労使が給与の1%を非課税扱いで拠出するUniversal Savings Accountを設置するという提案である。ヒラリー案と同様に、口座の運用は民間企業が担当する。また、加入者を増やすために、原則として企業は従業員を自動的に同口座に参加させる。こうした自動加入のシステムは、近年401(k)プランに普及し始めており、貯蓄増進の効果が認められている。因みにヒラリー案にも、似たような内容が含まれている。
細部の違いはさておき、ヒラリー案とエマニュエル案の違いで見逃せないのは、公的年金改革との結び付け方である。具体的には、エマニュエルは、個人の貯蓄を増進し、老後に対する不安を和らげることが、公的年金改革の前提になると位置づけている。公的年金改革自体については、両者共に安全な老後のための「聖域」と位置付けており、その強化を主張しているが、エマニュエルの方が「強化」の内容には含みがある印象だ。そもそもこうした形式での個人貯蓄の増進は、クリントン政権が公的年金改革を念頭に置いていた時期に、これを補完するパーツとして検討されていた経緯がある(Calmes, ibid)。その点では、エマニュエルによる提示の仕方の方が、オリジナルのクリントン政権の論理に近い。
公的年金改革との関連では、民主党サイドからの一連の提案は、公的年金の外側に「個人勘定(マーケットなどで運用される個人管理の積立口座)」を設けるのとほぼ同じ意味合いがある。ブッシュ政権が提唱していた「個人勘定」は、公的年金の一部を置き換えて設置すべきだとされていた(carve out)。しかし、公的年金の外側に個人勘定を設けるという対案(add on)は、当時から超党派の賛同を得られる可能性が指摘されていた。実際に、個人勘定の産みの親とでもいうべき存在であるフェルドシュタイン・ハーバード大教授は、税でファイナンスする公的年金をマーケットで運用する個人勘定でサポートするという点で、ブッシュ大統領の提案とエマニュエル案の距離は近いとして、民主党と共和党の間で妥協が可能になるかもしれないと指摘している(Feldstein, Martin, "Social Secuirty Compromise", Wall Street Journal, October 8, 2007)。
もちろん、個人勘定が公的年金をサポートするといっても、それが公的年金の給付削減容認を意味するかどうかという点については、民主党と共和党の意見は食い違う可能性が高い。また、医療保険の問題と同様に、公的年金を巡る議論には、双方の支持基盤との関係に関わってくるという難しさがある。しかし、民主党政権が誕生した場合には、取り敢えずの入口として、公的年金の議論とは一旦切り離した形で、add on型の個人勘定に進むという方向性は、十分に考えられるのではないだろうか。
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