2008/08/30

After the Flood : 民主党大会最終日・オバマの演説

というわけで、オバマ演説の話は飛んでしまった。その代わりといっては何だが、当日の朝(演説の前)に掲載されたコラムを紹介しておきたい。

Caro, Robert A., "Johnson's Dream, Obama's Speech", New York Times, August 27, 2008.

オバマの演説は、選挙演説としてみるならば、高得点をたたき出したことは間違いない。チェックボックスはすべてチェックする。そんな演説だった。以前にも指摘したと思うが、オバマは自らを攻撃されることには神経質だ。「これができていない」といわれると、ムキになって答える傾向がある。政策や主義をたたかれても、クールに切り返すせるのとは大きな違いだ。そんな傾向が、今回の演説にも現れたような気がする。

結果は、マケインへの痛烈な批判や、しつこいほどの具体的な政策が盛り込まれた演説だった。いわゆる「レッド・ミート」満載の演説は、民主党支持者を満足させるには十分だっただろう。

しかし、歴史的な演説という観点ではどうだろうか。オバマ自身の演説でも、2004年の党大会演説には及ばなかったのではないだろうか。マイケル・ガーソンは、オバマは演説の機会を得られた歴史的な意味合いを軽視せず、中間層向けの処方箋を示すだけでなく、もっと根深い格差の問題に言及し、「融合」のメッセージを改めて強調するべきだと指摘していた(Gerson, Michael, "Don't Underestimate the Moment", Washington Post, August 27, 2008)。そのガーソンは、オバマの演説を聴いた後に、「ゴアやケリーの演説と本質的に同じ演説だった」と辛辣な指摘を行っている(Gerson, Michael, "Obama The Orthodox", Washington Post, August 30, 2008)。

「狙い」に応じて動けることは、政治家にとって大事な資質である。その意味で、オバマはしっかりとクリントンの流れを汲んでいるように見える。今回の演説に「歴史的」な意味が与えられるならば、「黒人初の大統領が選挙を勝ち抜く布石になった演説」という格好になるのかもしれない。これは、出来の良し悪しとは違う次元の話である。

言い換えれば、オバマの「歴史的な演説」は、就任演説を待たなければならないのかもしれない。

その演説を現実にするためには、この演説は必要だった。

そうだとすれば、どことなく哀しい現実である。

2008/08/29

Star is Born ? / ペイリン旋風がやってくる!?

何だかすごいことになってきた。マケインが選んだ副大統領候補は、アラスカ州のペイリン知事だった。今年の大統領選挙には、黒人、ハワイ、女性、アラスカ、という要素が入ってくるわけだ。しかも、ペイリンの旦那さんには、エスキモーの血が流れているという。最近生まれたばかりのお子さんは、ダウン症だったりもする。長男は陸軍で、9月11日にイラクに向かうという。ほとんど無名だったペイリン知事。しばらくは"average hockey mom"のストーリーが、メディアを賑わせそうだ。

オバマ陣営にとっては、ペイリンは戦い難い相手だろう。オバマの問題の一つは、一般有権者の共感を得難いという部分にある。このため昨日の演説でも、オバマは自らの生い立ちを語りつつ、「普通の国民」のストーリーをふんだんに盛り込こんだ。ブルーカラーの出自であるバイデンを副大統領候補に選んだのも、一つには同じような理由がある。返す刀で、マケインは庶民の暮らしが理解できない、何せ「自分の家の数すらわからない」のだから、と切り返すという戦略だ。そこに出てきたのがペイリン知事だ。結婚式を上げるお金がなく、裁判所ですませてしまったという同知事は、狩猟や釣りが趣味。いかにも庶民に好かれそうな雰囲気である。

オバマ陣営のイニシャルのリアクションは、「人口9000人の町の町長で、外交経験ゼロ」というものだが、このようないい振りは利口とはいえまい。人口9000人のアラスカの町を「見下している」と言われかねないからだ。なにしろ、アラスカ、というのは米国人の好きな「フロンティア」な感じがする(?)。ペイリン知事の好物は「ムースバーガー」だ(!?)。なぜかハワイとは違う。なぜだかは、良く分からないが...(そういえば、昨日の「オバマ劇場」でも、ハワイ部分は極めて扱いが小さかった)。それに、「(オバマ候補の)経験の浅さを攻撃してきたが、そっちだって経験は浅いじゃないか」という言い方は、「経験の浅さ=望ましくない」という議論を認めることになる。必ずしもオバマ陣営にとって助けになる論法ではないだろう。

バイデンとの対比も難しい。確かに、外交経験ゼロ、政治経験もオバマより無い(!)という点では、バイデンとは雲泥の差である。しかし、これは下馬評にあった他の有力候補者でも同じこと。例外はリーバーマンだが、これは共和党内部での混乱が予想されていた。そうであれば、思い切って対照的に新鮮な顔をもってくるというのは一つの見識だ。はっきりとは言い難い部分だが、「討論会で女性を叩くのは難しい」というのは米国の常識だ。ヒラリーの例をみればおわかりだろう。

トリッキーなのは、ヒラリー票との兼ね合いである。多くのメディアは、マケインが女性を副大統領候補に選んだことで、ヒラリー票/女性票の行方が改めて焦点になってきたと指摘している。確かに、そうした側面はあるだろう。ペイリン知事も、こうした狙いを明言している。しかし、ペイリン知事の売りは、政策的にはバリバリの保守であること。だからこそ、共和党内部からも歓迎論が多い。ヒラリーとは性別は同じでも、政策は全く違う。それでも、ヒラリー票は動くだろうか?

むしろペイリン知事の強みは、マケイン候補に「変革」のイメージを与えられること。若く、ワシントンからは(地理的にも)遠い。アラスカでは政治改革・財政改革に取り組んだ。何度か触れているが、ローブ以来の選挙戦の常道は、「弱み」を強み」に変えること。昨日の演説で、オバマ候補が「司令官としての資質」を正面から取り上げたのも、その伝統に則っている。そしてマケイン候補は、「旧態依然」との攻撃を正面からひっくり返そうとしている。

オバマ陣営にとって大切なのは、照準を誤らないことだ。メディアはペイリン知事に飛びつくだろう。しかし、オバマ陣営の照準はあくまでもマケインである。昨日のオバマ演説は、マケイン批判のトーンの高さが際立った。オバマ陣営は、オバマへの信任投票から、オバマ-マケインの選択に戻そうとしている。ペイリン旋風に惑わされてはいけない。むしろ、旋風が吹き荒れるのであればこそ、激戦州での地道な組織戦略が重要になる。

知られていない知事だけに、マケイン陣営には、これからどんな爆弾が飛び出すかわからないというリスクはある(たとえば、メイドの社会保障税を払っていないとか...)。しゃべりがどうなのか、といった点も、全く自分にはわからない。それでも、この選択が選挙戦を大きく揺るがしているのは確かだ。

少なくとも、ペイリン旋風は、オバマの「歴史的な演説」を吹き飛ばしてしまった。オバマ演説が世間を騒がす中で、情報は少しずつ流れ出していった。アラスカからチャーター機がマケインが演説を予定していたオハイオに飛んだという情報が流れる。ローブがほのめかす。ポーレンティーが否定する。ロムニーが否定する...。少しずつ、少しずつ。驚きと期待感が醸成される。

見事な情報戦略だった。

フロントランナーであるオバマは、バイデンという玄人好みの安全な選択をした。アンダードックであるマケイン陣営が、安全な選択をしてもしょうがない。タイミングとあわせて、秀逸な一手というべきだろう。

それはそうとして、旋風は旋風でも、気になるのはハリケーンですね。共和党大会の開会延期や、ブッシュ大統領の演説キャンセルも検討されているとか...。

2008/08/28

Born in the USA?! / 民主党大会最終日

演説の評価は一晩おいてからにしたい。これだけのスペクタルを見せつけられると、判断も鈍ってしまう。CNN、MSNBCは絶賛、Foxは意見が割れている、というのが今のところ。それでも、Materpieceという言葉が飛び交っている。

ポイントは、「司令官の資質」で正面から勝負する姿勢を明確にしたことだろう。ここ数回の選挙の鍵は、弱みを強みにする戦略だ。マケイン陣営は、オバマ候補だけに注目が集まっていることを利用して、選挙をオバマの信任投票に仕立て上げた。今度はオバマが弱みを強みに変える番だ。

経済面での演説は評価が分かれてしかるべきだろう。最後の10分は「らしい」演説だったが、最初の方の経済部分は、エドワーズ/ヒラリー流の「アイオワの誰々が...」と、クリントン・一般教書演説風のラウンダリー・リストが入り交じっているようだった。ヒラリーの経済政策がアピールするのであれば、ということかも知れないが、これまでのオバマのスタイルというよりは、クリントンスタイルだ。さて、それでは、経済政策を一言で表す言葉は有権者の心に残っただろうか?

いずれにしても、オバマ候補が伸びるとすれば、意外に「司令官」の資質の部門かもしれない。そんな印象を受けた。

そして、黒人が初めて大統領候補に指名されたこと。その歴史的な意味合いは、決して軽視できない。

一点だけ。ペロシ下院議長が大会を終了させた後、なぜ、Born in the USAを流したのだろうか?これは安易には使えないはずの曲なのだが...

やはり民主党はわかっていないのでは?と最後の最後に不安になってしまった。

追記:と、思ったら、これには結構深い意味があったという分析が...恐れ入りました。

Separate Lives :所得、貧困、医療保険

何でこの日にこのネタを?というところかもしれない。しかし、だからこそのこのページである。

8月26日に商務省センサス局が、2007年の所得・医療保険に関するデータを発表した。ブッシュ政権下の景気拡大の特徴が読み取れる興味深い数字である。

06年対比の数字では、貧困率はほぼ前年並み(12.3%→12.5%)、実質中位所得はやや上昇(49,568ドル→50,233ドル)、所得格差はわずかに縮小(ジニ係数で0.470→0.463)、無保険者(比率では15.8%→15.3%、人数では470万人→457万人)も減少した。これだけ見れば、悪くない数字である。

しかし、一歩引いて長めの視点でみると、様相が変わってくる。CBPPが指摘するように、所得や医療保険に関する数字は、前回の景気拡大時のピークにまで戻っていないのだ。07年以降の景気の弱さを考えると、今回の景気拡大は、前回の景気後退の落ち込みを取り戻すに至らないままに、終焉を迎えた可能性が高い。

縮小しているといわれる所得格差についても、センサス局の数字には注意が必要だ。CBPPのレポートの脚注にあるように、センサス局の数字には、①キャピタルゲインが含まれていない、②999,999ドル以上の所得を勘定しない、という特性があるからだ。このため、超高所得者の数字はこの統計には十分に反映されていない可能性がある。

この他にも、今回のデータの細部には、面白い特徴がある。まず、実質中位所得における世代格差である。2007年の実質中位所得は、前回の景気の谷だった2001年対比では1.5%上昇している(前回ピークの1999年対比では-0.8%)。これを世代別に分解すると、現役世代では減り具合が多きい一方で、退職年齢にさしかかってくる世代では、むしろ実質中位所得は上昇している。具体的には、15〜24歳:-3.7%、25〜34歳:-3.4%、35〜44歳:-0.5%、45〜54歳:-3.7%。ここまでは減少である。ところが、55〜64歳:6.8%、65〜74歳:9.2%の増加を記録している。所得の内訳はこの統計からはわからないが、直感的には勤労所得は伸びず、年金等がある年齢層は堅調、と読めなくもない。CBPPのレポートでは、公的年金の支給額が現役時代の賃金上昇率にリンクしている点を取り上げ、90年代の好景気を経験した世代の年金支給額が上昇しているとみている。ちなみに、前回の景気拡大はこうではなかった。景気の谷(1991年)と山(2000年)で比較すると、実質中位所得は10.6%増。15〜24歳:21.5%、25〜34歳:15.3%、35〜44歳:6.9%、45〜54歳:4.7%、55〜64歳:8.6%、65〜74歳:10.8%といった具合で、確かに高年齢層の伸びは大きいが、若年層でもかなり伸びている。

無保険者の数字も細部をみておきたい。無保険者が減ったといっても、民間保険については加入者数はほぼ同じ(2.02億人)、比率は低下(67.9%→67.5%)している。無保険者の減少に貢献しているのは、公的保険(加入者数は8030万人→8300万人、比率では27%→27.8%)だ。その内訳では、高齢者向けのメディケア(13.6→13.8%)、低所得層向けのメディケイド(12.9→13.2%)のいずれもが、存在感を増している。

ここから政治的な示唆を引き出したくなるのはやまやまだが、ある程度は自明だろう。政治的にはビッグイベントに食傷気味の今日この頃。とりあえずは数字の紹介に止めておきたい。

さて、そろそろ演説の時間になりそうだ。それにしても、40分は長いだろ。拍手も入れたら1時間近くになりそうだ。さてさて。

2008/08/27

Who's the Boss / 民主党大会3日目(プレビュー)

民主党大会も3日目。本日の主役、であるはずのバイデン候補にとっては、晴れがましい一方で、荷の重い一日だ。

バイデン候補の副大統領指名受諾演説は、文句無く今日の目玉となるはずの行事である。東部時間の10時30分に予定されている演説には、遊説から駆けつけたオバマ候補も立ち会う予定だ。しかし、バイデン候補の前には、「クリントン」の大きな影が差し掛かる。二日目から三日目にかけて、党大会の話題の中心は「クリントン」につきる。一日目のミシェル夫人の演説は上出来だったが、二日目が始まる頃には、メディアの関心はヒラリーの演説に完全に移動してしまった。そして、三日目にはクリントン大統領の演説もある。オバマ候補が不在であるという事情も手伝って、党大会はさながら「クリントン劇場」の様相を呈している。いかにして「クリントン劇場」から、「オバマ-バイデン」に焦点を切り返すのか。バイデン候補の役割は重い。

昨日のヒラリーの演説にもかかわらず、ヒラリー支持者には割り切れない思いが残っているといわれる(Saslow, Eli, "Many Clinton Supporters Say Speech Didn't Heal Divisions", Washington Post, August 27, 2008)。さらに今日はクリントン大統領の演説もある。大統領の演説は東部時間の午後9時から。主要メディアの放送が始まる午後10時よりも前のスロットで、時間も10分までに制限されているという。昨日のヒラリーと比べても、また、明日は野外スタジアムでゴア副大統領が喋ることを考え合わせても、存在感は削られている。それでも、メディアは「クリントン劇場」を盛り上げようとするだろう。討論会でみられたように、バイデン候補もしゃべりは悪くない。しかし、いかんせん有権者にはなじみが薄い。これまで毎日党大会に出席しつづけているのも、少しでもテレビに露出して、有権者に印象付けようという狙いのように思われる。

そもそも、バイデン候補の副大統領指名は、「玄人好み」の安全策だった。外交経験やブルーカラーの出自、カトリックである点や攻撃的な言動に長けている点など、バイデン候補はオバマ候補に欠けている点を上手く補う。地理的にも、オバマ候補が苦手とするペンシルバニア出身というプラスがある。さらには、重量級の副大統領候補をオバマ候補が選んだことで、テレビ討論会での「見栄え」などを考えなければならないマケイン陣営の副大統領選びも、一層難しくなっているという見方もある(Cummings, Jeanne, "Biden is Wrench in McCain's VP Choice", Politico, August 27, 2008 )。この辺は、オバマ陣営も計算ずくだろう。

その一方で、オバマ候補が「変化」という自らの強みをさらに光らせるような選択をしなかったのも事実である。むしろ、「変化」という切り口で言えば、ワシントンの超ベテランであるバイデン候補は、マケイン候補に近いとすらいえる。投票歴をみても、バイデン候補はリベラルな部類に入る。同じく投票歴がリベラルなオバマ候補と抱き合わせても、「新しい政治」につながる要素は見出せない。ギャロップ社の世論調査をみても、バイデン候補指名による支持率押し上げ効果は全くみられていない。

オバマ陣営は、「変化」の部分はオバマ自身の力で乗り切れる、という計算だろう。しかし、折角の晴れ舞台であるバイデン候補にしてみれば、一瞬にして注目が明日のオバマ演説に映ってしまうのも切ない話である。自分なら、クリントン大統領は最終日に持っていって、ゴア副大統領と一緒にオバマ候補の紹介役にすればいいのにと思ってしまう。まあ、そうすると、3日目自体が沈んでしまいかねないから、そこもオバマ陣営の計算には入っているのかもしれないが。

それはそうと、最終日のインベスコ・フィールドにはスティービー・ワンダーが登場するらしい。実は前評判では、ブルース・スプリングスティーンという噂も流れていた。大統領選挙が進むに連れ、良い意味で「人種」の問題もオープンに議論されてくるようになった気がする。ケリーはスプリングスティーン、オバマはスティービー・ワンダーというのも、一つのあり方なのだろう。それにしても、わざわざ噂を打ち消すプレス・リリースまで出ているとは...。

音楽の話で言えば、昨日ヒラリーが演説する前に流れた煽りビデオ(?)だが、なぜレニー・クラヴィッツのAre You Gonna Go My Wayが使われていたのだろう?ヒラリーは何をしゃべろうとしているのかと、一瞬ドキドキしてしまった。

...おっと、いけないいけない。今日はバイデン候補の日だった。まずはお手並み拝見だ。

2008/08/26

Goodbye Cruel World / 民主党大会2日目

ヒラリーの演説が終わった。冷静な分析はさておき、まずはすばらしい演説だった。抑えるべきポイントはすべて抑え、キャッチーなフレーズすらちりばめた。センチメンタルさはない。敗北のかけらもない。そこには、前進するヒラリーがいた。進み続ければ、オバマ候補を支持できる。そんなメッセージが組み立てられていた。

けれども、それだけにセンチメンタルにならざるを得なかったのも事実だ。ヒラリーにとって最後の党大会の晴れ舞台になるのだろうか。大歓声を受けるヒラリーを見るのはこれが最後なのだろうか。なぜヒラリーは今ここにいなければならないのか?

演説が始まった頃、画面に映ったクリントン大統領は、明らかに涙をおさえているように見えた。I love youとつぶやいているようにも見えた。後半部分、クリントン大統領の笑顔は、本当に嬉しそうだった。

そのクリントン大統領に、明日は舞台が回ってくる。二日間もクリントン家にスロットを与えた点を捉え、オバマ陣営は相当気を遣わざるを得なくなっているという指摘がある。しかし、クリントン夫妻は「政治家」だ。その底力を侮ってはいけない。与えられた役割はきっちり果たすだろう。争乱の前評判が高ければ高いほど、この二日間はオバマ陣営にとって大きなプラスになるに違いない。

むしろこの二日間は、クリントン夫妻にとってとても残酷な二日間だ。

ヒラリーはその残酷さをはねのけてみせた。だからこそ、クリントン大統領は笑っていた。

Keep Going.

ヒラリーは繰り返した。

Keep Going.

Where the Policies Have No Names / 民主党大会初日

民主党大会初日。注目されたミシェル夫人の演説は、なかなかの出来だった。ほどよくアップビートで、だからといって押し付けがましくない。自分たちこそがアメリカンドリームを体現してきたという主張を、あくまでもさりげなく、けれどもほがらかに訴えた。「変化」といった浮ついた言葉に舞い上がることもない。なにせChangeという単語は3回しか使われていないのだ。

トランスクリプトでは読み取り難いが、このほどよい雰囲気・トーンはなかなか出せるものではない。「クールさ」が時に批判されるオバマ候補に対して、ミシェル夫人には「高圧的」というイメージがあった。しかし、この辺りは上手くコントロールされていた。前回の大統領選挙では、夫人の演説は今ひとつだったので、久しぶりに驚かされた。

夫人の演説の大きな狙いは、オバマ候補に親近感をもたせること。支持率伸び悩みの要因となっている"otherness"の問題に切り込むことだった。その点では、演説もさることながら、その後に衛星放送で画面に登場したオバマ候補が語ろうとするタイミングで、振り付けを完全に無視した娘たちが呼びかけてしまう場面は、なんともアットホームな雰囲気だった。「子供を使うのはずるい」というのはいつの選挙でも聞く議論だが、こればかりはしょうがない。オバマ候補の登場を知らなかった娘たちは、「サプライズがある」と聞かされて、Jonas Brothersなの?と聞いたらしい。 ...どう考えても可愛すぎる。

それでも、オバマ候補が抱える最大の課題は解消されていない。それは、オバマ政権が、有権者を「どこに」連れて行こうとしているのか?という疑問である。ミシェル夫人は、「世の中をありのままに受け止めるのではなく、『あるべき姿』を求めるべきだ」と繰り返し訴えた。では、「あるべき姿」とは何なのか。医療保険や教育など、具体例を語る段になると、そのイメージは一気に散漫になる。これは「変革」を訴えるオバマ自身の演説にも共通した傾向である。具体案がないわけではない。欠けているのは、具体案を貫くストーリーであり、共感できる「あるべき姿」だろう。その意味では、「メッセージに欠けている」というカーヴィルの辛口コメントも頷ける。

National JournalのRonald Brownsteinは、オバマ候補の経済政策には、全体を象徴する標語が存在しないと指摘する(Brownstein, Ronald, "Direction Makers", National Journal, August 23, 2008)。クリントンであれば、New Democrat、 Third Way、 Putting People Firstといった言葉が思い浮かぶ。ブッシュ大統領なら Compassionate Conservatismだ。しかしオバマ候補は、こうした一言で政策の内容を示すような標語を持ち合わせない。そこにあるのは"Change You Can Believe In"であって、"Change"が何かは表に出てこない。むしろ、政策の内容ではなく、党派の違いを超えた団結、特殊利益からの決別、といったプロセスの変化に重点があるようにすら読み取れる。

あるいは、オバマ候補の政策への立ち位置は、"Clear-Eyed Pragmatist"という言葉に端的に表れているのかもしれない。バイデン議員を副大統領候補に選んだ際に、オバマ候補が同議員を評して使った言葉である。本選挙最大の掘り出し物サイト(?)であるfivethirtyeightは、オバマ候補が予備選挙で謳っていた壮大な「変化」のテーマは、今の有権者の雰囲気にマッチしないと指摘する。ブッシュ政権の問題が、腐敗や壊れたシステムの必然の帰結ではなく、ブッシュ自身の間違った判断にある以上、有権者が求めているのは、ブッシュと違った思考方式で、ブッシュが作り出した苦境から米国を救える候補者だというわけだ。

一方で、オバマ候補の経済政策やその政策哲学が、基本的には「大きな政府」の方向にあるのは事実である。言ってしまえば、リベラルの哲学に沿いながらも、現実的な問題解決を図るとういことなのだろうが、オバマ候補の立ち位置をどう整理するのか、研究者やメディアの間でも今ひとつ整理がついていない。有権者に「変化」のたどり着く行き先が見え難いのも無理はないところである。そして、こうした不透明さが、とくに日々の暮らしに不満をもっている白人労働者層が、オバマ支持に踏み切れない一つの理由になっているのだろう。

分かりやすいストーリーを描くことができるのか。それとも「変化」への求心力で押し切るのか。最終日に控えるオバマ候補の演説の見所である。

と、その前に、今晩はヒラリー劇場ですね。毎晩ハイライトは夜10時からなので疲れます。日本で観劇していた方がラクかも...

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長らく中断してきたTaste of the Unionですが、思い立って復活することにしました。いろいろ思うところはありましたが、立ち止まっていても始まらないということで。備忘録の側面が強くなるとは思いますが、密やかに続けていきたいと思います。お付き合いいただければ幸いです。