2007/10/27

Gonna Be A Long Walk Home

福岡に来ています。ブッシュ政権下の経済についてお話させていただきました。渡米前最後の本格的なお仕事です。

会議を抜け出して、昔住んでいた街を約25年ぶりに訪れてみました。住んでいた社宅は取り壊され、跡地にはショッピングセンター。ラジオ塔だけが残っていました。

ちょうど中学に上る頃に移った街。これまでの蓄積が効かない所にほうり込まれ、子どもながらに転機でした。

帰り道。あまりの渋滞に、バスをあきらめて歩いた私鉄の駅までの道。30分ほどの道のりに、なぜか6年前の9月11日の朝に、あてもなく歩いた時を思い出しました。World Trade Centerからミッドタウンまで。とても気持ちの良い秋の日でした。

5日後には、4年半振りのニューヨーク。我が家への道程は遠そうです。

しばらくお休みしてしまっているTaste of Union。新しい街から再開します。今しばらくお待ちください。

2007/10/16

ポピュリズムと共和党

最近の民主党の方向性はポピュリズムへの傾斜と形容されることが少なくない。しかし米国の歴史においては、ポピュリズムは何も民主党の専売特許というわけではない。むしろ今の米国では、ポピュリズムの欠如が問題になっているのは共和党だというのが、外交評議会のピーター・ベイナートの意見である(Beinart, Peter, “The GOP's Fading Populism”, Washington Post, June 12, 2007)。

第二次世界大戦以来の共和党の最大の功績は、保守主義と反エリート主義を結びつけたことである。上流階級の思想と考えられていた保守主義は、ポピュリスト的な化粧を施すことで広範な支持を獲得する道を見出したのである。その発端はマーッカーシーによる共産主義批判(=エリート批判)やニクソンによる社会政策の争点化(=エリート、司法批判)であり、レーガンの大きな政府(=エリート、官僚)批判であった。

しかし、80から90年代にかけて共和党が政治的な成功を収めるに連れて、反エリート路線の標的を選びにくくなってきた。司法や官僚も右傾化し、福祉政策や犯罪対策の見直しも進んだからである。パット・ブキャナンは標的を企業エリートにすり替え、マケインはロビイスト批判を展開したが、これらはいずれも左派に対する攻撃というよりは、自らの支持基盤に矛先を向けるような議論だった。

こうしたなかでブッシュ政権は、イラク戦争を利用して保守主義にポピュリストの衣装をまとわせることに成功した。国が危険にさらされたときには、ポピュリズムは国を守る強いリーダーを求める機運につながりやすい。さらに国土安全保障の議論では、ブッシュ政権は盗聴権限の問題などを通じて、民主党を「大衆の安全よりも手続き論でテロリストの人権を尊重する知的エリート」として攻撃した。

ところがイラク戦争の泥沼化によって、こうしたブッシュ政権の路線も行き詰まる。イラク戦争の主眼がイラクの民主化に移ると、ポピュリズム的には事態の解決を担うのはイラク国民であるべきだということになる。米国内でテロが起きない以上、人権重視批判も緊迫感に欠ける。

共和党が選ぶ次のターゲットは何か。一つはブキャナン流の企業エリートである。ドバイによる港湾管理会社買収への反論が共和党サイドからも沸き起こったのがその表れだ。また、移民も新たなターゲットである。しかし移民に関しては、人権擁護派の民主党エリート批判であるだけでなく、労働力としての移民を必要とする企業も敵に廻すことになる。ブキャナンの当時と同様に、矛先は自らの足下を向いているのである。

結局のところ、共和党が新しいポピュリズムの理論武装を見出すのは難しいというのがベイナートの結論である。最近の共和党候補の議論をみていると、レーガン回帰論が盛んなように、再び攻撃の矛先が「政府」に向かっているようにも思える。もっとも理論構築の巧拙はさておき、米国民にこうした議論を受け入れる素地があるかどうかは、切り離して考えなければならない問題だろう。

2007/10/15

Lazy Obama ?

民主党の予備選挙では、ヒラリーの優位が確立されてきたとの見方が優勢である。オバマの伸び悩みの一因は、政策面での「怠惰さ」にあるのかもしれない。

ワシントン・エクザミナーのビル・サモンが最近発表した「The Evangelical President」は、ブッシュ大統領が民主党の候補者としてヒラリーが有力だと考えているという記述が大きく報道されている。しかし、個人的に興味深かったのは、オバマに関するホワイトハウスの匿名上級スタッフの評価である(Sammon, Bill, “President predicts GOP will keep control of White House after 'tough race' in 2008”, Washington Examiner, September 23, 2007)。このスタッフは、オバマが大統領になるために必要な知的な厳格さを備えているにもかかわらず、安易に自分の魅力に頼っていると指摘する。オバマの有権者への態度には横柄さが感じられるが、それは「これくらいのことを言っておけば大丈夫だろう」という意識の表れであり、知的な怠惰さを象徴しているというのである。例えばオバマは、著書Audacity of Hopeのなかで、「政府のプログラムは宣伝どおりに機能しているわけではない」と書いているが、あるテレビの番組でたずねられた時には、なかなかその具体例を示せなかったという。ようやくメディケアや眼ディケイドの請求が電子的に行われていないと答えてはみたものの、実際にはこれらは既にほとんど電子化されていた。同スタッフは、「オバマは大統領になるために必要な厳しい下準備を怠っている。もう手遅れだ」と手厳しい。

このページでも、オバマが安易に「新しい政治」「ワシントンのロビイストとの決別」「党派対立の克服」といった議論に頼りがちだという印象を何度か指摘してきた。オバマ陣営にとっては、これも大事な戦力なのだろうとは思うが、気になり始めたら目に付くものである。例えば最近では、オバマは民主党の医療保険改革案について、ヒラリーとエドワーズ、そして自分の改革案の内容は、95%が共通していると発言している(Davis, Teddy, “Obama Says Health Plan is '95% the Same' as Dem Rivals”, ABC News, October 9, 2007)。だからこそ重要なのは、「保険会社や製薬会社を乗り越えられるのは誰か」だというのが、オバマの主張である。しかし、既に触れたように、3人の改革案の中では、オバマ案だけが「義務付け」を含んでおらず、皆保険制が担保されていない。その違いが5%か20%かはともかく、自分だけが明らかに違う提案をしているにもかかわらず、そこを素通りして「反ワシントン・ロビイスト」に議論を持ち込むのは不親切である。

ワシントン・ポストのルース・マーカスも、オバマの政策面での実力に疑問を呈している(Marcus, Ruth, “The Two Obamas”, Washington Post, September 26, 2007)。マーカスは、オバマは労働組合を前に行った演説ではお決まりのポイントをきれいにそろえて大変な盛り上がりを演出できたが、ブルッキングス研究所で行った税制改革に関する演説は全く盛り上がらなかったと指摘する。オバマの提案は伝統的な民主党の手法に則って、既に低い中間層の税負担をさらに引き下げたり、財政上厚遇されている高齢者にさらに減税を行うといった内容に過ぎず、本当に必要なAMT改革や医療保険に関する抜本的な税制改革には一切言及が無かった。著書の中でオバマは、財政再建のためには投資の先送りや困窮する米国民に対する救済策の湯銭順位を再考する必要があると指摘しているが、2004年のケリー案の10年分の減税を1年で行うという今回の提案の中には、優先順位が熟考された形跡は無い。高齢者が多いアイオワ州の現状を意識したのかもしれないが、税制改革案の中にはお得意の「Audacity(大胆さ)」はどこにもないというのが、ルーカスのオバマ評である。

オバマの税制改革案に関しては、ワシントン・ポストの社説も厳しい(editorial, “Mr. Obama's Cookie Jar”, Washington Post, September 25, 2007)。この提案は「クッキーをどうぞ」と差し出すようなもの。民主党の予備選挙関係者には心地よく聞こえるだろうから、利口な政治的提案とはいえるのかもしれないが、利口な政策とは言いがたい。むしろエドワーズの税制改革案の方が、低コストでありながら必要な国民にターゲットが絞り込まれている。

アドバイザーという点では、オバマは十分すぎるほどの政策面でのインプットを受けられるはずである。オバマのもとには、民主党のエスタブリッシュメントとも考え方の近い有力な識者が集結している。外交政策だけで200人、国内政策では500人以上の指揮者がオバマ陣営と何らかのかかわりをもっているといわれる。予備選挙段階とは思えないその充実振りは、ほとんど本選挙に臨む候補者のそれである(Dorning, Mike, “Obama's policy team loaded with all-stars”, Chicago Tribune, September 17, 2007)。

ボストン・フェニックスのスティーブン・スタークは、オバマは自分が「変化」を実現できる人間だと繰り返すばかりで、その「変化」が国をどこに導くかというビジョンを提示できていないと指摘する(Stark, Steven, “Obama Needs to Get Over Himself”, Real Clear Politics, October 11, 2007)。大統領にはさまざまな提案や議論の中から、国が進むべき方向性を見据えて、適切な政策を選び出していく能力が要求される。現時点での政策提案のあり方を通じて、こうした意味でのオバマの実力が問われているのかもしれない。

2007/10/13

共和党の経済政策:Attack of the Second Tire

共和党有力候補の経済政策に「アナクロニズム」が指摘される中で、やや違った趣向の攻め方をしているのが、二番低下の候補者達である。実際に、ニューヨーク・タイムスのデビッド・レオンハートなどは、10月9日の経済問題をテーマにした討論会を題材に、米国民の経済的な不安感に触れるか否かが、有力候補とそれ以外の候補者を分ける明確なラインになっていると指摘する(Leonhards, David, "Atop G.O.P., It’s Always Sunny", New York Times, October 10, 2007)。

レオンハートは、ロン・ポールの「多くの米国民はリセッションの只中にいる」との発言や、ハッカビーが次世代の暮らし向きに不安を持つ米国民が多いと指摘した点をとりあげる。これに対して有力候補者は総じて「ばら色」の経済認識を披瀝した。トンプソンが「リセッションに向かっているとする理由は見当たらない」と述べたかと思えば、ロムニーは討論会が行われたミシガンの窮状を「一つの州だけのリセッション」と呼び、ジュリアーニはファンドの隆盛について「市場というのはすばらしい」と分析して見せた。ヒラリーのバス・ツアーに象徴されるように、民主党が国民の経済的不安感に焦点を当てているのとは対照的である。

こうした中で、経済政策の中身という点で識者の評価を集めているのが、ハッカビーである。民主党系のメディアであるDemocratic Strategistのエド・キルゴアは、討論会を違った方向性に導く可能性があったのは、格差についても語ろうとしたハッカビーだったと指摘する(Kilgore, Ed, "Anachronisms", The Democratis Strategist, October 9, 2007)。実際にハッカビーは、現在米議会をにぎわせているSCHIPについても、ブッシュ大統領による拒否権発動を明確に支持しなかった唯一の候補だった(Marcus, Ruth, “Between a Veto and the Base”, Washington Post, October 10, 2007)。ワシントン・ポストのスティーブン・パールスタインは、ハッカビーを確かな保守の信念に支えられながら、知性と正直さ、論点に関する知識と現実的な対応策を兼ね備えていると評する(Pearlstein, Steven, "Two Hours, Nine Candidates, and Almost Nothing New", Washington Post, October 10, 2007)。知名度よりも政策が重要なのであれば、共和党の予備選挙を盛り上げるのはトンプソンではなくハッカビーだというのが彼の見立てである。

レオンハートが注目するのは、かつては有力候補だったマケインである。マケインは討論会に先立つ講演会で、「中間層の不安」に対する共和党からの対応策を提示したという。そこでマケインは、「グローバリゼーションはチャンスだが、自動的に全ての米国民の利益になるわけではない」との認識を示し、失業保険の改革などを通じた長期失業者対策の必要性を指摘した。また、公教育への競争原理の導入や医療保険制度改革案の提示も約束した。こうしたマケインの方向性についてレオンハートは、減税一辺倒の従来の共和党の政策と、「大きな政府」に傾斜する民主党の政策の中間点を探していると指摘する。

印象的なのは、マケインのアドバイザーであるホルツィーキン前CBO局長のコメントである。ホルツィーキンは、「われわれはもはや政府を消滅させようとする政党として戦っているわけではない。ただ、政府をどのように使うかという点で一致していないだけだ」と指摘する。レオンハートは、こうしたマケイン陣営の議論が注目を浴びるようになれば、例えばロムニーなども持論の貯蓄優遇策などをもっと前面に押し出すようになるのではないかと指摘する。

現時点では、こうした提案を行っている候補者は、必ずしも有力候補とは言いがたい。もちろん、保守層にアピールしなければならない予備選挙が終われば、共和党の有力候補者もトーンを修正してくる可能性はある。そうでなければ、本選挙での経済政策を巡る両党の議論は、なかなかかみ合いそうにない。

ゴア降臨? : Don't Worry Hillary, None of This is Happend Yet.

ゴアが本当にノーベル賞をとってしまった。「ゴア出馬待望論」がしばらくは盛んに報じられるに違いない。民主党ではヒラリーが独走態勢を固めつつあるとの見方も強くなっているだけに、「ヒラリーが恐れるのはゴアの出馬だけ」といったトーンの報道も出てきやすいだろう。

しかし、常識的に考えればここでゴアが出馬する可能性はそれほど高くない。選挙戦はかなり進んでしまっているし、ゴアにはまだ組織も戦略も無い。急造でも戦えるといっても、やや時間が立ち過ぎだろう。だいたい、折角の復活を選挙への逆戻りで汚すリスクを犯す必要があるだろうか。

それよりも、ヒラリーが恐れるべきは、ゴアがキング・メーカーになることではないだろうか。待望論が高まる中で、ゴアは政策面での主張を鮮明にし、民主党の方向性に影響を与えようとするだろう。その延長線上に、誰がゴアの支持を取り付けるのかという議論が出てくる。予備選投票日が近づいたところで、ヒラリーの対立候補を支持するとゴアが宣言する。そのインパクトは小さくないかも知れない。

ヒラリーとゴアの関係は果たしてどうなのか。ゴアはクリントン時代と距離を置く選挙戦を展開して、クリントン前大統領の逆鱗に触れた。ヒラリーはクリントン時代の栄光をそのまま飲み込んだ選挙戦を展開している。受賞発表当日のヒラリー選対のホームページには、ゴアを祝福するメッセージが踊っていた。

もちろん民主党を割るのは本位ではないとして、ゴアが予備選挙での支持者表明を行わない可能性もあるだろう。他方で、ゴアの政治センスには不可解な部分も少なくない。前回の予備選挙では、ゴアは押し詰まってきてからディーン支持を表明した。その辺りからディーンの調子がおかしくなったような気がするのだが、記憶違いだろうか。

それはさておき、ついにゴアに先を越されてしまったクリントン前大統領の思いはいかばかりだろうか...

2007/10/12

トンプソンの経済政策:What Me Worry?

トンプソンの経済政策にちょっとした関心が集まっている。遅れて参戦した同候補が、少しづつ経済政策の内容を明らかにし始めたからだ。もっともその速度は極端なまでに「少しづつ」であり、民主党ほどの詳細さは望めない。それどころか、他の共和党の有力候補者も含めて、国民感覚との乖離が指摘されているのが現状である。

各紙がトンプソンの経済政策を探る素材の一つにしているのが、10月5日にAmericans for Prosperity Foundationで行われた講演である。といっても、全文を読んでもそれほどの内容があるわけではない。具体的な提案は以下の二つである。

第一は、税制について。もちろん、減税の重要性を説いている点は他の共和党候補と変わらない。ブッシュ減税の生みの親であるローレンス・リンゼーがアドバイザーであることを考えても、違和感はないところだ。むしろ目を惹くのは、法人税の引き下げが具体的に提案されている点である。トンプソンは、米国は94年以降に法人税を下げていない二つの国の一つであるとして、その最高税率を現在の35%から28%にまで下げるべきだと述べている(Shatz, Amy, "Thompson Turns to Taxes", Wall Street Journal, October 8, 2007)。第二は、公的年金改革について。トンプソンは給付額の算定基準を現在の賃金上昇率からインフレ率に変更すれば、向こう75年間の年金財政の問題は解決できるだろうと主張している(Talev, Margaret, "Thompson proposes slowing growth of Social Security benefits", McClatchy Newspapers, October 5, 2007 )。

いずれもサラッと触れられているだけだが、もう少し説明が必要だろう。まず法人税減税については、ロムニーやジュリアーニも賛同はしているが、具体的な税率までは示していないように思われる。またリンゼーは、輸出入の際の課税のあり方について、国境での調整が可能になるような方向での改革を示唆している(Schatz, ibid)。現在のWTOルールでは、EUのVATのような間接税は国境調整(輸出免税)が可能だが、米国の法人税のような直接税はこれが禁止されている。リンゼーは税の取り扱いを統一するような国際ルールの改正が望ましいとしながらも、それが無理なのであれば、米国が同じ土俵に上がる必要があるとしている。

次に公的年金だが、給付削減を正面から提案したというのは、それなりに大胆な行動だといえる。トンプソンが言うように、インフレ率調整への変更が実現すれば目下の年金問題は雲散霧消してしまう訳だが、給付額の水準は現行よりも50%以上少なくなる可能性がある(Talev, ibid)。これを補填するための民間貯蓄増進策などには言及がなく、いわば米国政治の「第三のレール」に思い切り抵触している。ちなみに、トンプソンの発言には、所得水準によってインフレ率との連動率を変えるという、ブッシュ政権も検討したProgressive Indexingを想起させるような部分もあるが、詳細は不詳である(Beaumont, Thomas, "Thompson open to changes in benefits to curb spending", Des Moines Register, October 3, 2007)。

トンプソンはもう一つの大きな義務的経費であるメディケアについても、給付水準の見直しをほのめかしている(Schatz, ibid)。まずメディケア本体については、所得水準によって給付内容に濃淡をつけるという考えがあるようだ。また、処方薬代保険には極めて批判的で、制度廃止の可能性も排除していない。

トンプソンの経済政策は、読み込んでいけばそれなりに大胆な内容である。しかし、演説を読んだ最初の印象は、何とも変わらない共和党らしい提案だということである。そこには、中間層の経済的な不安や格差の拡大、グローバリゼーションの負の側面といった問題意識は微塵も感じられない。あるのは、減税・歳出削減・小さな政府である。トンプソンの演説は、おそらく共和党の候補者ということであれば、8年前でも8年後でも通用する。ブッシュ大統領が同じ演説を行っても違和感はないだろう。むしろ年金給付金をバッサリと切り捨てる辺りは、ブッシュ政権よりも先祖帰りしている感がある。

こうした経済政策における不変性、言い換えれば「アナクロニズム」は、共和党の有力候補者にある程度共通している。10月9日に行われた、経済問題を主題にした討論会が好例である。ニューヨーク・タイムスのデビッド・レオンハートは、ミシガンという全米でも経済状況の特に悪い地域での討論会にもかかわらず、共和党候補者は米国人の経済的な不安感に触れようとせずに、減税・財政規律・規制緩和・自由貿易といった、数十年に亘って共和党が主張してきたのと何ら変わりのない経済政策を繰り返したとあきれる(Leonhards, David, "Atop G.O.P., It’s Always Sunny", New York Times, October 10, 2007)。ワシントン・ポストのスティーブン・パールスタインも「9人の候補者による2時間の討論会にはほとんど何も目新しいことはなかった」と切り捨てる(Pearlstein, Steven, "Two Hours, Nine Candidates, and Almost Nothing New", Washington Post, October 10, 2007)。さらに民主党系のメディアであるDemocratic Strategistのエド・キルゴアは、今回の討論会での議論は20年前なら当たり前だと受け止められていたような内容かもしれないと皮肉る。キルゴアは、一部の候補者による中国批判でさえ、中国を日本に置き換えれば20年前でも違和感はなかっただろうとまで指摘している(Kilgore, Ed, "Anachronisms", The Democratis Strategist, October 9, 2007)。

トンプソンも例外ではない。ニューヨークタイムスの社説は、「共和党の討論会をみていると、少なくとも有力な候補者達は別の宇宙に住んでいるかのように思われた」と指摘、それを何よりも印象付けたのが、経済を「ばら色だ」と断言したトンプソンだと書いている(editorial, "What, Me Worry?", New York Times, October 12, 2007)。同じくニューヨーク・タイムスのゲイル・コリンズも、トンプソンの討論会での発言を引用しながら、ミシガン州民の苦境にシンパシーを見せなかった点を疑問視する(Collins, Gail, "Calvin Coolidge Redux", New York Times, October 11, 2007)。コリンズは、米国民は富める者を敬う傾向にあるが、それも、どんなに恵まれていても一般国民の感情を理解していることが伝わってくるのが条件だと指摘する。これに失敗したのが2004年のケリーだが、少なくともケリーは「庶民的だから」という理由で候補に選ばれたわけではない。しかしトンプソンは、"Gucci-wearing, Lincoln-driving, Perrier-drinking, Grey Poupon-spreading millionaire Washington special interest lobbyist"という批判を封じるために、ピックアップトラックで州内を遊説するとうい仕掛けで、庶民的な魅力をアピールして上院議員になったはずだ。そんな部分がないトンプソンにどんな意味があるのだろう?

いくらメイン・ストリーム・メディアが左よりだといっても、ずいぶん強力な批判である。それでも共和党流の経済政策が選ばれるとするならば、米国の「小さな政府」志向はかなりの筋金入りと見ても良いのかもしれない。

ヒラリーのミス・ステップとKIDS accountの不運

ヒラリーによる貯蓄増進策発表の裏側で、ひっそりと消えていった提案がある。「赤ちゃん債(baby bonds)」と呼ばれる構想である。

ことの発端は、9月後半の議会ブラック・コーカス会合でのヒラリーの発言にある。ここでヒラリーは、生まれてきた子どもに5000ドル相当の債券を発行するというアイディアを提示した。成長に連れて元手となる資金が増えていけば、将来的に大学関連の学費にしたり、住宅購入の頭金にしたりできる。黒人の大きな問題は金融資産へのアクセスであり、「赤ちゃん債」は生涯に亘る貯蓄や富の増進の足掛かりになるというのが、ヒラリーの主張だった。

ところがヒラリーは、間もなくこの提案から距離を置き始める。まずヒラリーは、「単なるアイディアを提示しただけ。議論を期待している」と発言。10月8日のインタビューでは、「他にも優先順位の高い課題があるので、この構想は選挙期間中には提案しないだろう。恐らくは後回しだ」と明言してしまった(Memmott, Mark, "In her own words: Clinton calls 'baby bonds' a 'back-burner' idea", USA Today, October 9, 2007)。

ヒラリーが躊躇した背景には、共和党陣営が典型的な「ばらまき」だとして、即座に攻撃を開始したという事情がある。例えばジュリアーニは、「社会主義者の提案だ」と噛みついた。世論調査でも6割が反対を表明したという。ヒラリー陣営にとっての初めての大失敗であり、中道派としての彼女のイメージは傷付き、本選挙に致命的な影響が及ぶという意見もあったほどだ(Hallow, Ralph Z., "GOP hits Hillary's 'baby bonds'", Washington Times, October 9, 2007)。

有り難くない余波を被ってしまったのが、出生時からの資産構築の重要性を訴え続けてきたグループである。実は欧米では、現代社会での成功には基盤となる資産の構築が重要であり、幼少期からの資産構築を公的に支援する必要があるという議論が綿々と続いてきた。現在の米議会にも、KIDS accountという名称のアカウントを新設し、出生時の一人当たり500ドルの補助金と、中位所得以下の家庭に対する自己拠出額に応じた補助金の追加的な支給を行なうという法案(ASPIRE act)が、超党派の議員によって提案されている。上院ではヒラリーと同じくニューヨーク選出のシューマー議員が賛同しており、かつてはあの(?)デビッド・ブルックスが、「オーナーシップ社会構想の要素を兼ね備えながらも広範な支持を得られる提案」だと推奨したこともある(Brooks, David, "Mr. President, Let's Share the Wealth", New York Times, February 8, 2005)。因みに英国にも似たような制度(Child Trust Fund Account)があるが、もともとは米国の研究者からもらったアイディアを、英国が先行して実現してしまったものである。

「赤ちゃん債」への支持をトーンダウンする過程で、ヒラリー陣営はそもそも念頭に置いていたのはKIDS accountだったかのような発言を行なっている(Calmes, Jackie, "Clinton Has a New Bus, but No 'Baby Bonds'", Wall Street Journal, October 5, 2007)。結果的には「赤ちゃん債」騒動に巻き込まれて、KIDS accountさえもが後回しにされてしまったような格好である。

世界的に格差問題がいわれるなかで、選挙戦の余波でこうした有望な提案が葬り去られてしまうとすれば、極めて不幸な成り行きだと言わざるを得ない。自分としても、本業での調査を含めて、サポートしてみようかと考えているところである。