Change Who Can Believe In : 共和党大会最終日
繰り返しになってしまうが、マケイン候補の課題は共和党の枠を超えた支持の広がりをどのようにして実現するかという点にある。昨日の演説で浮き彫りにされたのも、やはりこうした課題だった。
まず言うべきことは言っておくと、やはりマケイン候補は演説が上手くない。前評判があまりに低いと、「実は意外に良かった」となるケースも少なくないが、今回は「やっぱり」だった。後半のベトナム戦争での経験から、最後の「一緒に戦おう」と畳み掛けるところは素晴らしかった。マケイン候補にしかできない演説であり、まさに圧巻といって良い。しかし、それ以外の部分は、やや辛いものがあった。保守派の論客であるペギー・ヌーナンは、長々とペイリン演説の評価を繰り広げた後、マケイン演説については、一言「John McCain also made a speech. It was flat」で片付けている(Noonan, Peggy, "A Servant's Heart", Wall Street Journal, September 5, 2008) 。実際に、テレビでは、あくびをしている観客の顔が何度も映し出されていた。
もっとも、会場の盛り上がりが今ひとつだったのには理由がある。マケイン候補は、会場の外に向けても話そうとしていたからである。それまでの共和党大会の演説は、ほとんどが党の結束を固めようとする内容だった。ペイリン知事の演説も例外ではない。しかし、マケイン演説の主眼は、「ワシントンを変えなければならない」という点にあった。オバマ批判も極めて中途半端。党派の違いではなく、「国を第一に考えることが必要だ」というのが、マケイン候補が伝えたかったメッセージなのだろう。
ところが、当然そのためには、共和党も変わらなければならない。マケイン候補も、それに近い言葉を盛り込んだ。しかし、会場に集まった共和党支持者は、必ずしもそう思っているわけではない。低下しているとはいえ、ブッシュ大統領に対する支持率ですら、無党派層や民主党支持者よりも高いのが現実だ。こうした目線の違いが、マケイン演説に対する会場の冷めた反応につながった。
マケイン陣営は、ペイリン知事の選出にみられるように、「経験」から「変革」へと戦線を拡大しようとしている。共和党支持者をまとめるだけでは勝てない以上、無党派層・民主党支持者の不満を取りこまなければならないからだ。だからこそマケイン候補は、会場の外に向けて話さなければならなかった。会場の共和党支持者は、動き始めた列車から取り残されたような感覚に襲われたのではないだろうか。
また、観衆の反応という点では、とくに中段の経済政策に関する部分で、盛り上がりの欠如が目立った。マケイン候補は、経済的な苦境を抱える個人の例をあげるなど、エドワーズ的(!)な語り口で、「経済がわかっていない」というオバマ陣営からの批判に答えようとした。民主党の大会であれば、会場が一気に親近感に溢れる場面だが、共和党大会ではそうはいかなかった。共和党支持者の経済を見る目は、民主党支持者や無党派層ほど厳しくないからだ。ここにも、会場・共和党支持者と、マケイン候補が狙わなくてはならない無党派層・民主党支持者のギャップが立ち現れていた。
マケイン陣営には、決定的な弱みが残されていることも見逃せない。「変革」の重要性を強調する一方で、その裏付けとなる政策的な提案に新味が見られないという点だ。例えば経済政策については、賃金保険の部分を除いて、減税・小さな政府・エネルギー開発、といったお馴染みの政策が繰り返されただけだった。「変革」の実現を保証するのは、マケイン候補の「私欲ではなく国益を第一に考える」という、モラルの高さだけである。選挙戦ももう終盤。果たしてそのギャップを埋める時間はあるだろうか。
話はがらりと変わるが、ネット上で話題になったのが、マケイン候補の演説の背景にまたしても「緑」が使われたことだ。かつてその彩りの悪さが、マケイン陣営の手際の悪さを象徴するとして散々取り上げられただけに、再び「緑」が現れたことには、驚きの声があがっている。
話はそこでは終わらない。この「緑」は背景に映し出された建物の前にある芝生だったのだが、今度は「この建物は何か?」というのが話題になっている。どうやらこれは、カリフォルニアにあるWalter Reed Middle Schoolという学校らしいのだが、これはもしかすると Walter Reed Army Medical Center(イラク戦争などの負傷兵を収容している病院)と取り違えたのではないか、という噂があるのだ。
嘘みたいな話ではあるが、「もしかしたら」と思わせてしまうところが、マケイン陣営の怖さ(?)である。