2008/02/02

Love and Hate : Update

自宅に届けられた朝刊(ローカルですが)に、例のオバマの医療保険関係広告の記事が載っていた。

しかし、そのタイトルは広告に抗議をしたクリントンのアドバイザーが、行き過ぎた批判を謝罪したというものである(Thrush, Glenn, "Clinton adviser apologizes for remarks on Obama ad", Newsday, February 2, 2008)。記事の内容も、積極的に攻めに出たオバマをあくまでも淡々と記し、それをMuveOnやオプラ・ウィンフリーがオバマ支持で動き出したという記述が続く。

断っておくが、これがヒラリー地元のニューヨーク・ローカル紙である。

ことほど左様に、メディアの流れはオバマにある。クリントン家は前評判を覆し続けてきたが、果たして今度はどうだろうか。

2008/02/01

成り上がりの悲嘆:エスタブリッシュメントとクリントン

民主党の予備選挙では、オバマ支持表明の流れが止まらない。2月1日には、ネットルーツの雄として知られるMoveOn(Zeleny, Jeff, “MoveOn Endorses Obama”, New York Times, February 1, 2008)、カリフォルニア最大の労働組合であるSEIU(Greenhouse, Steven, “Calif. Service Union Backs Obama”, New York Times, February 1, 2008)がオバマ支持を明らかにした。ヒラリーにとってはダブルパンチである。

目立つのは、女性の動きである。キャロライン・ケネディ女史もさることながら、最近では30日にカンサス州のキャサリン・シベリウス知事がオバマ支持を表明。他にも、アリゾナ州のジャネット・ナポリターノ知事、ルイジアナ州のキャサリン・ブランコ前知事、ミズーリ州のクレア・マッカスキル上院議員といった女性政治家が、オバマ支持を打ち出している(Seelye, Katharine Q., “Endorsement Scorecard”, New York Times, January 30, 2008)。変わったところでは、ヒラリー支持で知られるランゲル下院議員の奥さんもオバマ支持を宣言している(Chan, Sewell, “It’s Official: Alma Rangel Backs Obama”, New York Times, February 1, 2008)。下馬評ではシベリウス知事やマッカスキル議員は、オバマが勝った場合の副大統領候補にあげられている。お気づきの方もいると思うが、シベリウス知事が行った今年の一般教書演説への民主党からの反論演説は、「民主党だろうが共和党だろういが、何よりもアメリカ人であることが大切」と述べるなど、オバマの論調にそっくりだった。昨日の討論会の回答はともかく、ヒラリーが副大統領になる芽は薄いと思うが、黒人-女性のチケットが生まれる可能性はありそうだ(Cillizza, Chris, “The Line on Running Mates”, Washington Post, February 1, 2008)。

オバマ支持の広がりは、毛色の違う二つの方向から広がっている。ベテラン世代・エスタブリッシュメントと若者である。

エスタブリッシュメントという点では、大きな流れを印象付けたのは、1月28日のケネディ上院議員による支持表明だろう。民主党のシンボル的存在であるケネディ家によるお墨付きは、民主党支持者にとっては、クリントン陣営からの離反を妨げてきた精神的なバリアーを解く作用があったようだ。確かにクリントン家の民主党における存在感は大きい。しかし、ケネディ家に比較すれば、まだまだ「新参者」に過ぎない。

浮き彫りになったのは、エスタブリッシュメントとクリントン夫妻との微妙な関係である。民主党エスタブリッシュメントの間には、クリントン夫妻に対する愛憎半ばする感情があるようだ。エスタブリッシュメントの立場からすれば、クリントンは民主党を大統領に返り咲かせてくれた恩人である。しかし、クリントン夫妻のあくなき上昇欲は、エスタブリッシュメントからすれば自己中心的と映る。ホワイトウォーターやモニカ・ルインスキーといったスキャンダルの連発も当然記憶に残っている。

クリントン夫妻は、エスタブリッシュメントの一員になろうと必死に這い上がってきた政治家だ。政策面でも、労組との亀裂をはらみながら、知識人の好む中道路線を選んだ。しかしエスタブリッシュメントには、そうした夫妻の行動を上昇欲ゆえの計算高さと評価する風潮があった。メディアはJFKの再来を期待したが、クリントン夫妻はそこまで洗練されていなかった(Harris, John F., “Washington Elite Lead Clinton Backlash”, Politico, January 29, 2008)。

ケネディ上院議員は、クリントン前大統領の攻撃的な選挙活動に嫌気がさしたために、オバマ支持を明言するに至ったといわれる。さらに前大統領を批判する向きは、クリントン政権関係者の間にも広がっているという(Dionne Jr., “Hobbled by Hubby”, Washington Post, January 29, 2008)。最近のワシントンにおける反クリントン感情の強さは、クリントン政権時代以来みられなかった水準だという。こうした素地は前政権時代から培われていたようだ。

「変化」を掲げる候補者という点で、1992年のクリントンと今年のオバマには類似点がある。既成の秩序を乱されるという意味では、エスタブリッシュメントはオバマに警戒感をもってもおかしくない。しかし、オバマの「融和」を求める姿勢やクールな受け答えは、エスタブリッシュメントと相性が良い。以前からケネディ議員にアドバイスを仰ぐなど、オバマの対応もそつがなかった。なんと言っても、同じ「成り上がり」でも、オバマは圧倒的にスマートだ。

人種の問題も見逃せない。黒人の候補を支持できるというのも、エスタブリッシュメントにとっては魅力だからだ。米国では、少なくとも政治面では、黒人の進出に対する障害は既に取り除かれているという見方がある。欠けていたのは安心して投票できる候補であり、96年にパウエルが立候補していれば多分当選していただろうという指摘である(O’Sullivan, John, The Obama Appeal”, National Review, February 11, 2008)。その点オバマは、黒人でありながら声高に人種問題を訴えようとはしない。エスタブリッシュメントにとっては、二重の意味で安心できる候補なのである。

ケネディのお墨付きによって、オバマはエスタブリッシュメントにとって、名実ともに安心できる選択になった。同時に、「勝つのはヒラリー」という神話は崩壊し、オバマで本選挙も勝てるという計算が立ってきた。かつては黒人の圧倒的な支持がクリントン夫妻の救いだったが、今回は雲行きが怪しい。

ワシントン・ポストのデビッド・ブローダーは、「あまり気づかれていないが、民主党リーダーの間にクリントン夫妻を拒否する動きが大きくなっており、これによって選挙戦の流れはオバマに傾いている」と指摘する(Broder, David S., “A Matchup Starts to Take Shape”, Washington Post, January 31, 2008)。

政治というのは残酷なものだ。

そうえいば、ケネディからの電話を受けながら支持表明を逡巡していたリチャードソンはどうしたのだろうか(Vargas, Jose Antonio, “Richardson's Choice”, Washington Post, January 29, 2008)。討論会で人の話を聞いてなかったというのも(そしてそれをしゃべっちゃうのも)、リチャードソンらしいよなあ...。

オバマとヒラリー、そしてメディア:Love and Hate

昨晩米国では、オバマとヒラリーの討論会が行われた。無数に繰り返される討論会をいちいち見ることはしなくなって久しいが、ちょうど帰宅した時間だったので最後の部分だけをちらっとみた。

興味を引かれたのは、最後の質問(「互いを副大統領に選ぶか?」)の直前に行われた、それぞれの候補への個別質問である。オバマに対する質問は、「子を持つ親として、テレビ等の過剰な描写にどう対処すべきか」というもの。ハリウッド関係者が聴衆に多い中ではあまり厳しい態度はとれないという部分はあるが、概ね好評のオバマ家族のイメージを出せる側面もある。そもそもこの問題は、選挙戦自体の大きなテーマではなく、無難に回答が容易にみつかる「流し」の質問だ。これに対してヒラリーへの問いは、「子供の質問が出たところで、配偶者の話題を」という前振りから、「クリントン前大統領をヒラリー政権はコントロールできるのか」という質問へ進んだ。まさに今の予備選挙の核となる部分であり、ヒラリーにとって厳しい質問である。頭をかすめたのは、「メディアはオバマに優しすぎる」というクリントン前大統領の不満である。

オバマ急伸の一因として、クリントン前大統領によるオバマ攻撃が逆効果に働いたという見方が一般的である。E.J.ディオンヌは、クリントン前大統領が「悪い警官」を演ずることで作り出した苦々しさが、黒人票をオバマ支持に集束させ、白人票のヒラリーからの流出につながったと指摘する。ディオンヌはケネディ上院議員による支持表明に代表されるクリントン離れを誘発したことで、予備選挙の構図は根本から変わってしまったとまで述べている(Dionne Jr., “Hobbled by Hubby”, Washington Post, January 29, 2008)。

その一方で、メディアの「オバマ好み」はかねてから指摘されており、メディアの一部にもこうした傾向を認める向きがあったのも事実である。メディアは単純に新顔のオバマが勝ち上がっていくというストーリーを好んでいるというわけだ(Kurtz, Howard, “For Clinton, A Matter of Fair Media”, Washington Post, December 19, 2007)。

具体的な事例も少なくない。例えば、オバマ陣営の関係者がメディアを装ってオバマに有利な質問をしたことがあったが、メディア関係者はこれを問わなかった。しかし、同じようなケースがヒラリー陣営で発生したときには、大変な騒動になった。シカゴの有力支援者に関するスキャンダルについても、実際に当事者が逮捕されたタイミングがサウスカロライナでのオバマ勝利に重なっていたために、ほとんど報じられていない。

メディアはオバマの「融和」を掲げる姿勢を大きく取り上げる。しかし、オバマはしたたかな政治家であり、選挙運動は十分に攻撃的である。例えば医療保険改革である。昨日の討論会でオバマは、両者の医療保険改革案は95%同じだと述べた。その一方でオバマ陣営は、ヒラリーの医療保険改革案を批判するメールを関係者に送っている(Smith, Ben, “More negative mail”, Politico, January 31, 2008)。「(ヒラリー案は)保険料を払えない人にも医療保険への加入を強要している」と批判するロジックは、90年代に共和党がクリントン政権の医療保険改革案を廃案に押しやった当時を髣髴とさせる。何よりも、中年夫婦の写真を使っているところなどは、医療関連団体によるかの有名な「ハリーとルイーズ」広告のようだ。ポール・クルーグマンは、「事実を歪曲しており、改革実現に向けて非建設的。『希望の政治』などと良くいえたものだ」と手厳しい(Krugman, Paul, “Obama does Harry and Louise, again”, New York Times, February 1, 2008)。

もちろん、ヒラリー陣営も攻撃的な活動はしているだろう。しかしメディアに書きたてられる可能性が低ければ、オバマ陣営はこうした広告を打ちやすくなる。クリントン前大統領が憤るのも一理ある。

こうしたメディアを巡る問題は、クリントン陣営、より正確に言えば、「クリントン政権」に淵源があるという見方も可能だろう。クリントン政権とメディアとの関係は必ずしも良好ではなかった。「成り上がり者」として軽蔑されることを嫌うクリントンは、メディアに対して警戒心を抱いていた。度重なるスキャンダルを巡る攻防も、メディアとクリントンの関係を悪化させた。こうした関係は、現在の選挙戦にもある程度続いている。メディアのアクセスを制限し、メッセージをコントロールしようとするヒラリー陣営の戦略を、メディアは本音では好んでいないのではないだろうか。当時のクリントンは、既存の体制に挑む「若僧」だった。メディアやエスタブリッシュメントの中には、クリントンに対して複雑な感情をもつ層も少なくない。ケネディのオバマ支持にもみられたように、オバマの登場によってその暗部が一気に噴出したように感じられる。

同じようなメディアの「偏向」は、マケインについても指摘さている(Conason, Joe, “Will the press get over its love for McCain?”, Salon, February 1, 2008)。マケインは税制や移民問題で明らかに政策を変えている。しかしメディアが攻撃するのは、ロムニーの「日和見主義」である。オバマと同様に、マケインもしたたかな政治家である。フロリダの予備選挙でマケインは、「ロムニーはイラク撤退のタイムテーブル作りに賛成している」と繰り返し批判した。ロムニーは事実を歪曲していると猛反撃したが、メディアにこの点を厳しく叩かれた形跡は無いようだ。

メディアのストーリーラインが変わっていくかどうかは、選挙戦の今後にも少なからぬ影響を与える。「フリー・メディア」と呼ばれるように、メディアによる好意的な報道は自前では賄えない広告活動になる。スーパーチューズデーのように、米国全土での選挙活動が必要とされるときはなおさらだ。

それにしても、オバマ・マケイン対決が実現した場合に、メディアはどう報道していくのだろうか。これもまた興味深いところである。