2007/08/31

ブッシュのサブプライム対策とオーナーシップ社会:What Comes Around Goes Around

「大統領候補者のスタンスもそのうち」なんて悠長なことを言っていたら、先に現職大統領に動かれてしまった。サブプライム対策の話である。

ブッシュ政権は、31日に借り手救済に重点を置いたサブプライム対策を発表する方針を明らかにした。あと数時間後に正式発表なんだから確認してからにしろよ、という声もあるかと思うが、取り敢えず30日の事前ブリーフィングに関する報道によれば、概ね次のような提案が行われるようである。

1.FHA(モーゲージへのローン保証を提供)によるリファイナンス支援
・保証対象者の基準緩和、リスクに応じた金利設定の容認
・保証対象ローンの上限引き上げ
2.リファイナンスに関する税負担緩和
3.その他のリファイナンス支援(GSEの利用を含む)・悪質な貸し出し慣行対策・格付け機関問題の検討

このタイミングでの発表は、やはり31日予定のバーナンキの演説とのからみもあるだろうし、来週からの議会再開も多分に意識されているだろう。民主党に攻め込まれる前に先手を打っておこうという計算である。そもそもブッシュ政権は、政府としての介入には消極的だった。借り手救済に関しても、借り手は契約書の細部を読んでおくべきだったとして、むしろ金融教育の必要性を説いていたほどだった(Weisman, Steven R., "Bush Faults Easy Money For Volatility", New York Times, August 9, 2007)。しかし、金利リセットによる差し押さえが今後も増えて行くと予想される中で、共和党の中には、余りに冷淡な態度を続けていては、カトリーナの二の舞になるという懸念もあったという(Weisman, Steven R, "Bush Will Offer Relief for Some on Home Loans", New York Times, August 31, 2007)。

サブプライムの問題は、民主党がブッシュ政権・共和党の経済政策を攻撃する格好の題材になり得る。そもそもサブプライムが流行したのは、成長の果実が中低所得層に分配されず、賃金が伸び悩んだからだ。オーナーシップ社会といっても、まさに国民が家のオーナーシップを失っているというのが現実であり、国によるセーフティーネットこそが重要なのではないか。分配と保障への経済政策の重点移動を主張する民主党にとっては、訴えやすい議論である。

皮肉なのは、ブッシュ政権がFHAを持ち出してきたという事実である。もとを辿れば、FHAというのはニューディール政策の一環として設立された機関である。しかし、オーナーシップ社会構想の狙いは、ニューディール体制を突き崩す点にあった。ニューディールの流れをくむ政策スキームを弱体化させれば、その恩恵を享受している人々を民主党支持から引き剥がせるという思惑である。モラルハザードや政府の肥大化を懸念するブッシュ政権としては、取り敢えずはFHAによる限定的な関与で様子をみたいというところなのだろう。それでも、こうした経緯を考えれば、保守派の中には忸怩たる思いがあってもおかしくはない。他方で、「持ち家の促進」がオーナーシップ社会構想のオリジナル・ラインナップに含まれていたのも事実である。そうなると、むしろ注目すべきなのは、政府の役割に関する「小さな政府」とは一線を画したオーナーシップ社会構想の立ち位置なのかもしれない。

これからリセットを迎えるサブプライムローンは5,000~6,000億ドルといわれる。これに対して利用者が支払うプレミアムからなるFHAのファンドは220億ドルに過ぎない(Irwin, Neil and Dina ElBoghdady, "Bush to Offer Proposals To Ease Mortgage Crisis", Washington Post, August 31, 2007)。一歩踏み出したブッシュ政権が、どこまで歩みを進めなければならないのかは、サブプライムを巡る今後の状況に左右される。何やら、戦場の現実に引きずられざるを得ないもう一つの悩みの種を彷彿とさせる構図である。

2007/08/30

Does Sun Also Rise ?:忠臣の退場とブッシュ政権

8月27日に発表されたゴンザレス司法長官の辞任は、ブッシュ政権にとって一つの大きな区切りとなった。就任以来重用してきた忠臣軍団は去った。ブッシュ政権にとっては、民主党議会との協力関係を築く最後のチャンスだが、大統領がそのように動くとは限らない。

ゴンザレス長官の辞任は、カール・ローブ次席補佐官の辞任とセットで考える必要がある。これによって、2001年の政権発足以来大統領を支えてきた忠臣たちが、ほとんどいなくなってしまったからである。これだけ個人的な友人や長年の部下を大量に政権に登用したのは、カーター政権以来だといわれる。政権発足時の採用面接では、「単にホワイトハウスで働きたいのか、それともブッシュのホワイトハウスで働きたいのか」と聞かれたというから、ブッシュ大統領の忠誠心へのこだわりは筋金入りである。しかし、政権末期が近くに連れて、テキサス人脈は次々と政権を去っていった。今でも残るのは、スペリング教育長官、ジョンソンHUD長官、そしてOMBのジョンソン副長官ぐらいである(Romano, Lois, "Lonely at The Top", Washington Post, August 28, 2007)。

一枚岩の政権はメッセージのコントロールに強く、予想外の内乱にも足を掬われ難い。その意味で選挙に臨むには適している。しかし、行政運営という観点ではマイナスの要素もある。第一に、ともすれば「悪い情報」が上に上がりにくくなり、グループ思考の罠に陥りやすい。第二に、能力よりも忠誠が重視されると、適材適所の人材配置が難しくなる。第三に、特にブッシュ政権では、忠誠心が共和党の政治的な勝利を目指す方向に向いており、これが党派対立を激化させる要因になった。

「忠臣軍団」の退任から浮かび上がるのは、レイム・ダック化の現実にようやく対応しようとする、ブッシュ政権の姿である。ブッシュ政権が残りの任期で体制を立て直し、少しでも自らの政策を実現していくには、民主党主導の議会と渡り合っていかなければならない。その意味で「忠臣軍団」の退場には2つの意味合いがある。第一に、民主党議会による攻撃対象を減らすことである。ローブ次席補佐官やゴンザレス司法長官は、民主党による執拗な調査活動の標的になってきた。両者の退陣によって民主党は、絶好の「パンチング・バック」を失った。ブッシュ政権にすれば、自らの弱みを切り離すことで、民主党議会に対するポジションを少しでも改善できるという思いがあるだろう。一連の辞任はブッシュ政権にとって大きな打撃になるという報道は少なくないが、2人は既に政権の大きなお荷物だったわけであり、そうした見方は当たらない。第二に、議会との関係改善である。前述のように、政治的な目的を共有する「忠臣軍団」は、党派対立を激化させる役回りにあった。ボルテン主席補佐官を中心とする実務家集団には、ブッシュ政権を中道寄りにシフトさせ、民主党との協力を進めやすくする要素がある(Stolberg, Sheryl Gay, "Departures Offer Chance for a Fresh Start as Term Ebbs", New York Times, August 28, 2007)。また、ローブやゴンザレスには、民主党のみならず議会共和党からも不満があった。ローブには議会共和党を軽視するような振る舞いが目立ったし(Green, Joshua, "The Rove Presidency", The Atlantic, September 2007)、ゴンザレスは政権を守ろうとする余り議会共和党の信頼までも失っていた。それでなくても改選を控える議会共和党には、不人気な政権から距離を置こうという力学が働く。議会共和党との関係改善は、政権が民主党の攻勢を食い止めるためには、最低限の必要事項である。

もっとも、ブッシュ大統領が今さら民主党との協調路線に転ずるというのは、なかなか考え難い展開である。何よりも、大統領の意図が問題である。ゴンザレス辞任の会見を見ても、これを新たな転機にするというよりは、忠臣が辞任に追い込まれたことへの怒りが勝っているように見える。せっかく無党派層を取り返すチャンスになるSCHIPでも、ブッシュ政権は敢えて民主党を正面から批判する立場をとっている。これには民主党のエマニュエル下院議員も、「何が大統領をそうさせているのか理解できない」と困惑気味だ( Toner, Robin, "A Polarizing Bush Despite a New Cast", New York Times, August 30, 2007)。国内政治という観点では、イラク戦争や来年度予算で民主党の主張を食い止め、規制行政を通じて少しでも自らの政策実現に近付けるというのが、政策に残された唯一の選択肢なのかもしれない。そもそも税制改革や年金改革といった大きなテーマは、さっぱり議論の俎上に上らなくなっている。両者が協調するといっても、農業法やサブプライム関連などの比較的小粒な案件に止まりそうだ(Seib, Gerald F., and John D. McKinnon, "Lame-Duck President Has Fewer Tools to Advance His Shrinking Agenda", Wall Street Journal, August 28, 2007)。

思えば、ブッシュ政策にレイム・ダックという形容詞が使われるようになってから随分たつ。かくいう自分も、昨年3月の時点で、「黄昏を迎えるブッシュ政権」なんていう言い回しを使ってしまっている。「それから一晩を過ごして、そしてまた朝がやって来る」などというのは、比喩の世界はともかくとして、現実にはそうそうあり得る展開ではなさそうである。

2007/08/29

Things to Come II : ジュリアーニの医療保険改革案

一昨日はロムニーの医療保険改革案を「ジュリアーニに続く共和党有力候補による改革案」と紹介したが、よくよく見返して見ると、ジュリアーニの改革案をきちんと取り上げていなかった。遅ればせながら、その内容を整理しておきたい。

7月31日に発表されたジュリアーニの改革案は、3分野10項目で構成されている。

1.政府ではなく患者・家族の力を強める
・税制改革による選択の幅の拡大(1万5千ドルまでの医療費所得控除化)
・税額控除などによる低所得層の医療保険購入支援
・品質・価格の透明性向上
2.お役所仕事と医療のデリバリー改革
・医療訴訟改革
・ブロック・グラントによる州政府の改革促進
・州による保険規制緩和・州を跨いだ保険購入の容認
・新薬承認プロセスのスピードアップ
・官民パートナーシップによるIT化促進
3.健康促進のための保険カバレッジ改革
・HSAの基準緩和
・州の予防医療・生活習慣病対策とメディケイド補助金の関連づけ

お気付きのように、具体的な改革案の内容は、ロムニーのそれと似通っている。柱の一つが個人保険購入に関する税制改革なのも同じである。

ジュリアーニの改革案に対しては、「改革」の看板に値しないという批判もある(Klein, Ezra, “A Man With a (Non-)Plan”, American Prospect, August 2, 2007)。詳細さに欠けるのもさることながら、義務付け等もないし、所得控除はそもそも所得税を払っていない低所得層には無力である。これでは無保険者は減らないし、医療コストも下がらない。また、企業提供保険から個人保険に移れば、保険会社に対する加入者の立場が弱くなるという指摘もある(Gross, Daniel, “I Can Get It for You Retail”, Slate, August 9, 2007)。

見逃せないのは、そもそもジュリアーニの改革案は無保険者対策を謳っているわけではないという事実である。むしろジュリアーニの改革案は、民主党の提案を攻撃するための足掛かりとしての色彩が強いといえるかもしれない。ロムニーのラインにも似ているが、民主党の提案は「大きな政府」の典型であり、医療保険を取り巻く状況をかえって悪化させるというわけである。実際にジュリアーニが改革案を発表した際には、「民主党」という言葉が6回、「シングル・ペイヤー」が8回使われたのに対して、「無保険者」への言及は一度もなかったという(Klein, ibid)。「社会主義的なモデルは政府を破産させる。そこにヒラリー、オバマ、エドワーズは導こうとしている。罠に気付かなければ大変なことになる。カナダやフランス、英国型の医療保険になってしまう」などと、その批判ぶりはなかなかカラフルである(Santora, Marc, “Giuliani Seeks to Transform U.S. Health Care Coverage”, New York Times, August 1, 2007)。

既に述べたように、実際に改革案が目指す姿について、共和党と民主党にどれほどの違いがあるのかは疑問である。しかし、ジュリアーニやロムニーの態度を見る限りでは、合意出来る部分を探して超党派で改革を進めようという気配は感じられない。予備選特有の現象であるにしても、こうした論戦によって歩み寄りの「土壌」が汚染されすぎれば、改革の実現は遠のいてしまいそうである。

2007/08/28

Don't Worry Be...:サブプライムは難しい

やや落ち着きを見せている感のあるサブプライム関連の市場の混乱だが、リスクの総体が見えにくいことが、市場関係者の懸念につながっているようだ。何しろ自分のような素人には、お恥ずかしい話、出て来る単語自体に馴染みがない。ABCP、MBS、CLO…いわゆるアルファベット・スープという奴だが、何度も何度も調べてしまう。

我ながら何ともレベルの低い不透明感だと思っていたら、何のことはない。米国の企業エコノミストも似たり寄ったりであるらしい。米国の企業エコノミストの集まりであるNABEは、7月末から8月初めにかけて会員を対象に行なった世論調査の結果を発表している。これによれば、新しい金融用語について、「あまり知識がない」という回答が、ヘッジ・ファンドについては45%、ABSが48%、CDOが51%、CDSに至っては68%に達していた。サブプライム問題が爆発する前の調査なので、今頃は会員エコノミストも自分と同様に学習しているとは思うが、それにしても高い割合である。

これから利率のリセットを迎えるローンも多く、サブプライムを巡る状況は決して楽観できない。本業としては市場ウォッチよりは選挙ウォッチが近い自分だが、実体経済に影響が及べば、選挙の行方にも関わってくる。「みんなも知らないないんだから、まあいいや」とも言ってはいられない。

子どもの夏休みの宿題をそろそろ気にしながら、自分もお勉強の今日この頃。大統領候補のスタンスもそのうちアップする予定である。

2007/08/27

Things to Come:ロムニーの医療保険改革案

8月24日にロムニーが医療保険改革案を発表した。共和党の有力候補者ではジュリアーニに続く本格的な改革案の発表である。医療保険という本来は民主党のテーマである問題について共和党の候補者が相次いで改革案を打ち出しているという現実には、この問題への有権者の関心の高さが反映されている。同時にロムニーの改革案には、今後共和党がどのように民主党案を攻撃していくかという方向性が示唆されている。

ロムニーの改革案には大きな驚きはない。ジュリアーニと同様に、概ね共和党のラインに沿った内容だからである。ロムニーはマサチューセッツ州知事時代に、民主党の州議会と協力して、州民皆保険を目指した改革を実現している。しかし、共和党の予備選を争うロムニーが、マサチューセッツの改革に含まれたような、保守層が嫌うような提案を行なうことはなかった。

ロムニーの改革案の特徴を上げるとすれば、「含まれなかったもの」を指摘せざるを得ない。「義務付け」である。このページでも何度か触れているように、共和党も民主党もハイブリッド型の医療保険制度を基本とする中で、義務付けは「逆選択」に絡んだ大きな論点であり、保守層にすれば医療の社会化につながる受け入れ難い提案である。マサチューセッツの改革には、企業(提供)・個人(加入)の双方に義務付けが行われていたが、今回のロムニーの改革案には、ジュリアーニの提案と同様に、一切の義務付けは含まれなかった。

ロムニーは大きく分けて6つの提案を行なっている。
1.連邦政府補助金による州の医療保険規制緩和の促進
2.連邦政府が州政府に支給している無保険者用医療費の低所得者向け医療保険購入支援への転用
3.HSAの利用基準緩和と個人保険に関わる費用の完全所得控除化
4.ブロック・グラント化による各州のメディケイド改革促進
5.医療訴訟改革
6.情報化、コスト・クオリティ情報の公開等による市場力学の強化

このうち、連邦政府が行なう無保険者対策に分類できるのは、3の税制改革くらいだろう。企業提供医療保険と個人保険の税制上の扱いを共通化していくという方向性は、ジュリアーニやブッシュ政権と同じである。この辺りには、ロムニーのアドバイザーであるグレン・ハバードの存在が感じられる。ハバードはロムニーがマサチューセッツと違うスタンスを採ったのは、「大統領は連邦税制を変更できるという点で州知事よりも大きな権限を持っているからだ」と指摘している(Jacoby, Mary and Sarah Lueck, "Romney's Federal Prescription", Wall Street Journal, August 24, 2007)。

ロムニーの改革案で興味深いのは、共和党陣営が民主党の改革案を批判していくであろう2つの方向性が浮かび上がっている点である。

第一に、ロムニーの改革案の大原則は、医療保険改革は州政府が先導すべきだというものである(Luo, Michael, "Romney to Pitch a State-by-State Health Insurance Plan", New York Times, August 24, 2007)。これは、民主党が考えるような連邦政府主導の改革では、地域のニーズを汲み取れないという議論につながる。民主党案を大掛かりでグロテスクに形容するのは、ヒラリー・ケア以来の共和党の得意技である。

第二に、ロムニーは大規模な改革を提案しない理由として、上手く機能しているシステムに対しては「悪いことをしないのが肝心」だと主張している。米国の医療制度には良いところが沢山あり、不用意な改革によってこれを損ねるべきではないというわけである。無保険者問題といっても、その数は保険加入者には遠く及ばない。そして有保険者は、改革によって自らの待遇が悪化するのを恐れている。こうした恐怖感こそが、90年代前半にクリントン政権が医療保険制度改革に失敗する素地になった。そのことは共和党も忘れてはいない。民主党にとっては、このアキレス腱をどうカバーするかが、改革実現に向けての大きなハードルになるのである。

2007/08/24

Marking Earmarks:「紐付き予算」を巡る攻防

8月も次第に終わりが近付いてきた。9月になれば議会も再開される。ブッシュ政権と議会民主党の対立の構図は継続される可能性が高いが、イラク戦争と並んで大きな論点になると見られるのが、来年度予算の審議である。8月23日に発表されたCBOの見通しにもあるように、米国の足元の財政事情は必ずしも厳しいというわけではない。しかしブッシュ政権は、民主党を「浪費と増税の党」と攻撃する腹積もりで、大統領案を上回る歳出法案にはすべて拒否権を発動するという強硬な姿勢を示している。

一つの論点になっているのが、「紐付き予算」の取り扱いである。特定のプロジェクトへの利用を歳出法の中に書き込んでしまう紐付き予算は、地元への利益優遇措置であり、利益団体との癒着の温床になっていると批判されることが多い。昨年の議会では、人口の極端に少ない島に橋("Bridge to Nowhere")を作ろうとしたアラスカ州の共和党議員が厳しい批判の対象になった。批判の急先鋒だったのは、共和党内の「小さな政府」論者だったのだが、今年は民主党が多数党になったために、こうした共和党議員の舌鋒はさらに鋭くなっている。

民主党に都合が悪いのは、鳴り物入りで始めた予算制度の改革が意外な結果をもたらしていることだ。昨年の議会選挙では、民主党も共和党の放漫財政を攻撃しており、紐付き予算対策も公約の一部だった。その具体策として民主党議会は、予算過程の透明化を進めてきた。これによって、例えば予算の審議過程で紐付き予算の一覧表が作成され、どの議員が個別の紐付き予算を要請したのかが公表されるようになった。

直感的には、こそこそ出来なくなれば、余りに利益誘導が明白な紐付き予算は推進されなくなるだろうという気がする。しかし現実は違った。むしろ議員は積極的に紐付き予算を使っているというのである(Andrews, Edmund L., and Robert Pear, "With New Rules, Congress Boasts Of Pet Projects", New York Times, August 5, 2007)。自らの戦果を地元に示しやすくなったのが一因である。また、他の議員の戦果が見えやすくなったために、「それなら自分も」という動きを見せる議員もいるようだ。

これに対して議会民主党の指導部は、New York Times紙にエマニュエル議員が投稿し、「紐付き予算自体が悪いのではなく、問題はその中身。プロセスの透明化だけでも十分な改革だ」とする論陣を張っている(Emanuel, Rahm, "Don’t Get Rid of Earmarks", New York Times, August 24, 2007)。確かに、議会が紐付き予算にしなければ、具体的な用途は行政府が決めるだけ。どちらの方が適切に使われるかは一概には言えない。「イラク・スタディー・グループだって元はといえば紐付き予算で始まったものだ」というのは、それなりに納得の行く主張ではある。この他にもエマニュエル議員は、自分がどんな予算を地元に持って帰ったかを堂々と主張している。その中には、崩落の危険が指摘されていた橋(しかもテロの際の主要な避難ルート)の修復費用などというタイムリーなものも含まれている。

英語では紐付き予算のことをearmarkという。もともとは家畜を識別するために耳につけるマークが語源らしい。そういえば何となく可愛らしい感じがしないでもないが、これがなかなかどうして曲者なのである。

2007/08/23

How Many Ways to Leave the Congress ?:規制行政に活路を見出すブッシュ政権

レイム・ダック化が進むブッシュ政権にとって、民主党が多数を占める議会を相手に新たな政策を実現するのは至難の業である。しかしあくまでも妥協を嫌うブッシュ政権は、ある逃げ道を頻繁に使うようになってきた。規制などの行政府の権限で実施できる政策変更である(Riechmann, Deb, "Bush Pushes Agenda _ Without Congress", Wasington Post, August 16, 2007)。実際にブッシュ政権は、8月10日を皮切りにして、行政権限による政策変更を金曜日毎に発表している。

口火を切ったのは、移民政策に関する10日の新政策である(Allen, Mike, "Bush orders new crackdown on U.S. border", Politico, August 9, 2007)。ブッシュ政権は移民法改革の立法化に失敗したが、今回の新政策はそのなかでも行政府の権限だけで実施できる部分を取り出して進めていくのが狙いである。具体的には、国境警備の強化や不法移民を雇用した企業への罰則強化など、総じて不法移民に厳しい内容になっている。

翌週の17日には、医療保険に関する通達が発表された(Pear, Robert, "Rules May Limit Health Program Aiding Children", New York Times, August 21, 2007)。これは、貧しい家庭の子どもを対象とした公的な医療保険であるSCHIPについて、その対象者の拡大を難しくする内容である。SCHIPは無保険者対策の切り札として議会民主党がその拡充を目指している施策である。しかしブッシュ政権は、SCHIPが民間の医療保険を代替してしまうのは制度の趣旨に反するとして、議会と対立してきた。今回の通達は、実質的に貧困ラインの250%を加入資格の上限に定めたものだと見られている。例えば新しい通達では、州政府が貧困ラインの250%を超える子どもに対象を広げるためには、まず貧困ライン200%以下の子どもの90%をSCHIPに加入させる必要があるとされている。しかし、現時点でこうした基準を満たしている州はないし、そもそもSCHIPにはそれだけの予算が配分されていない。この他にも州政府には、民間医療保険からSCHIPに加入者が直接移動しないように、1年間の無保険期間をSCHIPの受給資格に加えたり、民間保険に準ずる自己負担を課すことが求められている。

続く24日に発表される見込みになっているのが、かねてからブッシュ政権と議会民主党の争いの種になってきた、環境・エネルギーに関する新しい規則である(Broder, John M., "Rule to Expand Mountaintop Coal Mining", New York Times, August 23, 2007)。石炭採掘企業に、マウンテン・トップ・マイニングと呼ばれる採掘手法を利用しやすくするのが狙いである。この手法は、石炭が埋蔵されている山の上部を爆薬などで吹き飛ばし、その残骸で近隣の河川や渓谷を埋め立てるという、いささか乱暴なやり方である。このため、かねてから環境保護団体などから問題視されており、訴訟の対象にもなってきた。新しい規制は、残骸の廃棄に関する基準を緩和して、こうした訴訟の可能性を排除しようとしているという。

政権末期の大統領が通達行政に頼るのは珍しいことではない。カーター、ブッシュ父、クリントンは最後の2年間にかけて新規規制の数を増やしている。またブッシュ政権の場合は、既に昨年の10月の段階で、閣僚に対して議会を経由しない政策遂行の方法を検討するよう指示を出していたという経緯もある(Adams, Rebecca, "Lame Duck or Leapfrog", CQ Weekly, February 12, 2007)。中間選挙での敗北を懸念した側面はあるが、仮に共和党が多数党を維持したとしても、自らの求心力低下は避けられないと感じていた節もある。実際に、最近の新規制のなかでも移民に関する部分は、民主党というよりは共和党の反対で立法化できなかったものである。

今後もブッシュ政権は、エネルギーや環境、さらには教育問題などで、規制を使った政策運営を展開する可能性を示唆している。しかし、8月といえば議会は休会中。さらに週末に入る直前の金曜日ごとに新しい規制を発表するとは、それだけで怪しさの漂う行動である。9月になれば、一連の規制行政を民主党が厳しく批判するのは必至の情勢であり、大統領と議会民主党の対立の構図は、政権の最後まで続いてきそうな気配である。

2007/08/22

大統領選挙人とLaboratory of Democracyの暴走

米国は連邦制の国。大統領選挙のような国の根幹を決める制度にまで、各州の裁量が働く。予備選の前倒しもさることながら、今度は本選挙における大統領選挙人の決め方を変えようという動きまで浮上してきた。いつまでも定まらない選挙の構図には、各候補者も頭を悩ませそうだ。

米国の大統領選挙は各州に人口に応じて配分された大統領選挙人の獲得数を競う選挙である。現時点では、メインとネブラスカ以外では、それぞれの州で最も多い得票者がその州に割り当てられた選挙人をすべて独占する方式(勝者総取り方式)が採用されている。州全体では勝負の行方が見えている州では候補者が選挙運動を行わなかったり、全国での得票総数の少ない候補者が当選したりするのは、こうした制度に一因がある。2004年の大統領選挙では、どちらに転ぶか分からなかった州は13州(選挙人にして159人)に過ぎなかったという。言ってみれば、これ以外の州では実質的には選挙が行われなかったも同然なのである(Steihauer, Jennifer, "States Try to Alter How Presidents Are Elected", New York Times, August 11, 2007)。

こうした中で話題になっているのが、カリフォルニア州の共和党関係者が住民投票への提案を検討している、大統領選挙人を州内の議会選挙区毎に分配する方式に変更しようという改革である。メインとネブラスカが採用しているこの方式では、まず下院の各選挙区に一人ずつの選挙人が割り当てられ、これらはそれぞれの選挙区での最多得票者に与えられる。上院の二人分は、現在と同様に州全体での最多得票者のものになる。

「議席配分方式」の各州にとってのメリットは、候補者による選挙運動の対象になる可能性が高まる点にある。しかし、選挙人の配分方法の変更は、選挙結果にも多大な影響を与える可能性がある。例えば、全米規模で「議席配分方式」が採用された場合には、共和党に有利になるといわれている。民主党の支持者が都市部などに固まっているのに対して、共和党の支持者はもっと広範に広がっているからである。2000年の大統領選挙では、ブッシュは47.87%の得票率で選挙人の50.37%を獲得しているが、これが「議席配分方式」だったら、選挙人の獲得率は53.53%になっていた(Talukdar, Monideepa, Robert Richie and Ryan O'Donnell, "Wrong-Way Reforms for Allocating Electoral College Votes", FairVote, August 8, 2007)。

もっと厄介なのは、個別の州が独自に改革に踏切った場合である。カリフォルニアの場合には、勝者総取りならば民主党が圧倒的に有利だが、議席配分方式であれば共和党にも望みがある。2004年の大統領選挙ではブッシュが22の選挙区で勝っているし、2006年の議会選挙でも19議席は共和党である。仮にカリフォルニアだけがこうした変更を行えば、民主党が大統領選挙に勝つのは難しくなるほどのインパクトがある。カリフォルニアの民主党陣営は反対運動を準備しており、ノースカロライナのように民主党に有利になりそうな州での改革を進めようとする動きもある(Marois, Michael B., "California Democrats Gird for Fight Over Electoral Vote Measure", Bloomberg, August 16, 2007)。

選挙人の配分に関しては、各州での得票率に比例した配分に変えるという考え方もある。この方式だと、2000年の大統領選挙はブッシュとゴアの同数になっていた。さらに、全国での最多得票者に、州の選挙人を全て与えるという提案もある。メリーランドは、大統領選挙人の過半数にあたる州が同調するのを条件に、こうした改革を立法化している。

選挙人の配分に関する騒動は、各州がより良い制度を模索しているといえば聞こえは良いが、実際にはかなり生臭い政治的な計算の産物である。いずれにしても、候補者にとっては、標的の定まらない難しい選挙になりそうだ。

:::another public announcement:::
これがカバーのデザインです。

2007/08/21

節目の選挙としての2008年

米国の歴史には、政策の方向性が大きく変わる「節目の選挙」がある。2008年の大統領選挙は、その一つになる可能性がある。

何が「節目の選挙」なのかという点について、興味深い分析をしているのが、Washington Timesのトニー・ブランクリーである(Blankley, Tony, "Is 2008 a change election?", Washington Times, August 8, 2007)。幾つかの全国的な争点に関する有権者の不満が表明されるだけでなく、価値観の大きなシフトやそれまでとは違ったタイプの大統領を生み出すのが、「節目の選挙」である。ブランクリーによれば、これまでの選挙で「節目の選挙」に値するのは、FDRが当選してニューディールの始まりとなった1932年と、レーガン政権が誕生し現在につながる保守の政治の幕が開いた1980年だという。これらが「節目の選挙」である証は、次に対立政党が政権を奪回した時にも、大筋での政策の方向性が変わらなかった点にある。アイゼンハワーはニューディールを否定しなかったし、クリントンは市場経済・自由貿易を尊重する政策を採用し、福祉制度の改革に踏切った。

なぜ2008年が「節目の選挙」になり得るのか。反戦気運だけでは物足りない。ニクソン政権を生んだ1968年の選挙はベトナム反戦の影響があったが、政策の方向性は変わらなかった。また、現職政党の大敗も、必ずしも政策の方向性を大きく変えるわけではない。1952年のアイゼンハワーや1976年のカーターが好例である。

ブランクリーは2つの点に注目する。第一は、国の進む方向性、特に経済的な側面に対する有権者の不安である。2001年のリセッションを抜け出して以来、米国経済はブッシュ政権下で緩やかながらも着実な成長を続けてきた。しかし、有権者がブッシュ政権の経済政策を見る視線は厳しい。保守の経済政策の基本は成長重視だが、最近の米国では、経済成長率のようなマクロの経済指標には現れない、所得格差やグローバリゼーション、高齢化に伴う老後の不安といった問題が、有権者の関心事になっている。ここにきてのサブプライム問題も、資産の安全性という点で、有権者の経済的な不安をさらにかき立てかねない。第二は、政府の機能不全に対する怒りである。カトリーナやイラク戦争に代表されるように、有権者は政府の機能不全をイヤという程見せつけられてきた。ブッシュ政権は、大統領はともかくとして、チェイニーやパウエル、ラムスフェルドといったワシントンのベテランに支えられている筈だった。それでも満足に政府を運営できないのであれば、今までとは異なった人材をホワイトハウスに送り込む必要がある。有権者がそんな判断に傾いても不思議ではない。オバマやジュリアーニといった国政の経験が浅い候補者が健闘しているのは、そんな嗜好の表れかもしれない。

こうした文脈に従えば、2008年が「節目の選挙」になる場合には、「変化」を体現する候補者に追い風が吹くと見るのが妥当だろう。他方で個別の要素に着目すると、経済的な不安という観点では成長重視路線からの切替えを主張する候補者が、また、政府の機能不全という点では行政運営能力の高い候補者が有利になりそうである。そう考えると、分配重視を訴える民主党が優位に立っており、その中で「変化」のオバマと「実力」のヒラリーが競っているというのも、なるほど頷ける構図である。

米国では、2000年の大統領選挙以来、有権者の二分化が進んでいるといわれる。このため、有権者が急に同じ方向を向くとは考え難いという見方もある。しかしブランクリーは、有権者の1~2割が動きさえすれば、「節目の選挙」は成立すると指摘する。実際に2006年の中間選挙では、普段は動かない無党派層の数ポイントの違いが、驚くべき結果をもたらした。

2008年の選挙が「節目の選挙」となれば、これに伴う政策面の変化は、次の大統領を超えて米国の方向性を形作る可能性がある。今回の選挙が注目に値する理由は、まさにこの一点にあるといっても過言ではないのである。

2007/08/20

久しぶりにイラク...

昨年の議会選挙以来、民主党はイラクからの早期撤退を主張して、ブッシュ政権や議会共和党を一方的に攻め立ててきた。その構図は大統領選挙にも引き継がれている。しかし、ここに来て米国では、米軍削減の可能性が現実味を高めてくると同時に、撤退の速度自体は緩やかなものに止まるという方向で、両陣営の間に収束点が見えて来ているような気配がある。

ブッシュ政権は、9月に予定されているイラク戦争の現状報告において、駐留米軍の削減に関する提案を行うといわれている(Myers, Steven Lee and Thom Shanker, "White House to Offer Iraq Plan of Gradual Cuts", New York Times, August 18, 2007)。取り敢えずは来年の前半に増派の区切りをつけ、8月までに増派前の水準に兵力を減らして行くというのが、今のところの基本方針のようである。民主党が主張するような「撤退」の色彩が強い内容ではなく、むしろ少なくともブッシュ政権が終わるまでは十分な兵力を展開できるように有権者を納得させるのが狙いだが、それでも議論のベクトルが米軍削減に動き始めている気配は漂っている。

とはいえ、兵力の急速な削減への機運が高まっているというわけでもない。むしろ民主党の候補者は、イラクからの米軍撤退はそんなに容易ではないという慎重な発言に傾いている。具体的には、現地の混乱を避けるためには、米軍の撤退は段階的に行う必要があり、完全撤退というよりは、一定の兵力を現地に残さなければならないというスタンスである。実際に大統領になった時を考えて、有権者に過大な期待感を抱かせないようにすると同時に、政策上の柔軟性を確保するのが狙いである。既に昨年の中間選挙で反戦を掲げて当選した民主党議員のなかには、公約通りに戦争を終わらせられなかった点について、地元からの突き上げを受けている例もある(Romano, Lois and Mary Ann Akers, "An Antiwar Freshman Leader Faces His Constituents", Wshington Post, August 9, 2007)。有権者の期待感を煽り過ぎるのは禁物なのである。8月19日にアイオワで行われた討論会では、民主党の有力候補がいずれも米軍撤退の難しさに言及しており、ヒラリーなどは「(撤退については)過大な宣伝をしないことが極めて重要だ」と述べている(Przybyla, Heidi, "Clinton, Obama Warn in Debate Iraq Withdrawal Will Take Time", Bloomberg, August 19, 2007)。唯一リチャードソンだけが6~8ヶ月での完全撤退を主張したが、反戦派で売っている筈のエドワーズですら、9~10ヶ月というタイム・テーブルの方が現実的だと反論している。撤退の度合いについても、ヒラリーはテロ対策やクルド地域の安定のために、オバマは米人保護やテロ対策、そしてイラク兵の訓練のために、さらにエドワーズはイラク政府による虐殺や他国への暴力の伝播に備えて、一定の兵力を残す必要があると主張している(Zeleny, Jeff and Marc Santora, "Democrats Say Leaving Iraq May Take Years", New York Times, August 12, 2007)。

また、ブッシュ政権との距離をジリジリと広げようとしていると思われた共和党の候補者も、イラク戦争に関しては政権擁護の立場を崩していない。8月5日にやはりアイオワで行われた討論会では、共和党の有力候補者が口を揃えてイラク戦争での勝利の必要性を強調し、撤退に傾く民主党を弱腰だと批判した(Nagourney, Adam and Michael Cooper, "In Debate, Republicans Make the Case for Staying in Iraq", New York Times, August 6, 2007)。民主党サイドでオバマの外交政策における経験不足が論争になっているだけに、共和党としては外交・安全保障での強さを改めてアピールするのが得策という判断もあったのかもしれない。

有権者の見方も冷静になって来ている。8月にギャロップ社が行なった世論調査では、増派がイラク状勢を改善させているという回答が、7月よりも9ポイント多い30%を記録した。イラク戦争は間違いだったという意見も、7月よりも5ポイント少ない57%である(Tsikitas, Irene, "Warming Up to the Surge", National Journal, August 8, 2007)。有権者の見方が明るくなっていると言える程ではないが、目立った世論の動きである。

世論や候補者の立場が極端に動かないのは、イラク戦争の先行きが不透明だからである。米国では、イラクの現状に関する評価が割れている。7月の終わりには、民主党系シンクタンクの研究者が、増派によってイラクにある程度の安定がもたらされる可能性が出てきたとする現地報告を発表し、話題になった(O’Hanlon, Michael E., and Kenneth M. Pollack, "A War We Just Might Win", New York Times, July 30, 2007)。そうかと思えば、8月19日のNew York Timesには、イラクの状況が改善しているかのような最近の報道には違和感を覚えざるを得ないという、米兵の署名記事が掲載されている(Jayamaha, Buddhika, Wesley D. Smith, Jereny Roebuck, Omar Mora Edward Sandmeier, Yance T. Gray and Jeremy A. Murphy, "The War as We Saw It", New York Times, August 19, 2007)。米軍はイラク人の安全を確保できておらず、経済復興も進んでいないというのがその趣旨である。いずれの記事も、「現地の視点からすれば、米国(ワシントン)の議論は現実離れしている」と書きながら、その内容は正反対である。

先行きの不透明さは、候補者に断固としたスタンスを取ることをためらわせる。長い選挙のリスクは、特定の政策へのスタンスを早く固め過ぎて、状況の変化に対応できなくなることだ。投票日までに時間がある以上、いずれの党の候補者も、慎重に状勢を見極めたいところだろう。そう考えると、「米軍削減は時間の問題だが、撤退までの速度は緩やかに」というのは、現時点での自然な落とし所なのかもしれない。

2007/08/17

Sub-Prime Bluesと民主党の落とし穴

サブプライム発の市場の動揺が続いている。大統領選挙の観点では、この問題は民主党候補者がブッシュ政権の経済政策を批判する格好の題材となっていると同時に、その行き過ぎの危険を感じさせる典型的な案件である。

市場の関心はクレジットの縮小にあるが、民主党候補者の関心はローンの焦げ付きによる立ち退きを迫られている借り手の保護だ。その文脈は、大衆の側に立つという民主党のポピュリスト的な経済政策にピッタリである。実際にヒラリーなどは、現在の借り手の窮状を、個人にリスクを押し付けるブッシュ政権のYOYO経済政策の犠牲者だと形容している(Bombardieri, Marcella, "Democrats offer fixes to foreclosure crisis", Boston Globe, August 8, 2007)。借り手救済と地方政府による貸家等の住宅政策にそれぞれ10億ドルを用意すると同時に、繰り上げ返済へのペナルティー禁止といった業界規制・借りて保護策の強化を実施すべきだというのがヒラリーの主張である。この政策が発表されたイベントでヒラリーを紹介した人物は、コンピュータ・セキュリティ・コンサルタントの仕事をアウトソーシングで失い、子どもの習い事を止めさせ、退職金を取り崩しまでしながら、住宅ローンの金利上昇に耐えられなかったという。これから金利変更時期を迎えるサブプライムローンはまだまだ多い。市場の不透明感が続けば、有権者の不安も強まり、これに呼応するように、民主党候補者のトーンも高まるだろう。

共和党系の識者は、ヒラリー達の提案が必ずしも適切な対応であるとは限らないと指摘する。例えば、かつて下院院内総務を務めたディック・アーミーは、今回の問題は市場の自然な調整過程に過ぎず、政府による対応は副作用が大きいと指摘する(Armey, Dick, "Let Market, Not Government, Deal With Subprime Mortgage Problem", Investor's Business Daily, August 15, 2007)。二つの要素がある。第一にモラル・ハザードの問題である。サブプライムには貸し手・借り手の双方に問題がある。安易な救済は、モラル・ハザードの発生を招き、同じ様な問題の再発を招きかねない。同じく保守派の論客であるジョージ・ウィルは、「借り手への思いやり」を掲げる民主党候補者は、できるならば金利の引き下げにまで進みかねない勢いだとしながら、金融政策が政治から分離されているのは幸運だと指摘している(Will, George, "Folly and the Fed", Washington Post, August 16, 2007)。第二の問題は、住宅市場の調整が終わった後も、規制強化などの対策は残ってしまう点だ。SOX法の見直し論を引くまでもなく、危機への対応は時に行き過ぎた規制につながる。市場の効率性が損なわれれば、かえって庶民の住宅購入が難しくなる可能性も否定できない。

英エコノミスト誌は、ブッシュ政権が保守の政策を真正面から追求しながら満足の行く結果を残せなかったたことを理由に、2008年の大統領選挙を契機に米国の政策は左旋回するだろうと予測する("Is America Turning Left?", The Ecoomist, August 11, 2007)。その上で、こうした変化が諸外国にとって好ましいとは限らないとも警告する。「分配」や「保障」への重点の移動は、時代の要請である。しかし、民主党が市場の力を損ねないための知恵を出せるかどうかは、今後の世界経済の行方にも、少なからぬ影響を与えそうだ。

:::Public Announcement:::



ブルースといえば...(それでこんなタイトルになったというわけじゃ...)。

2007/08/16

High School Musicalと民主党!?

今日もしつこくローブ・ネタと行きたいところだが、余りに暑いので、今日は軽めに失礼させて頂きたい。一応は「民主党はどこまで行けるのか」という話(?)である。

今週末の米国には一大イベントがある。High School Musicalのパート2が放送されるのである。「それって何?」といわれると辛いのだが、ローティーンの女の子が熱狂的に支持するディズニーのテレビ映画で、グリースを現代風に焼き直したような内容だといえば、イメージが沸くだろうか。あまり触手が動かないかもしれないが、米国ではミュージカルになるほどの大人気(Isherwood, Charles, "A Prayerful Three-Pointer From the Orchestra Pit", New York Times, August 11, 2007)。放映日の金曜には、女の子友達が集まって一緒にテレビを見て、そのまま泊まりがけで遊ぶという光景が、全米各地で繰り広げられる(Steinberg, Jacques, "In-Demand Surprise From Disney", New York Times, August 15, 2007)。

そのクライマックスで使われている楽曲が、We're All in This Together。このタイトル、あろうことか最近の民主党の経済政策のスローガンにそっくりなのである。リベラル寄りのシンクタンクであるESIのJared Bernsteinは自著All Together Nowの中で、ブッシュ政権の経済政策を、個人にリスクを押し付けるYou're On Your Own(YOYO)だと批判する。ここで批判されている経済政策こそが、ローブが共和党支配の時代を導く政策として考えていたオーナーシップ社会構想である。そうではなく、民主党は繁栄をみんなで分け合うことを目指すべきだというのが彼の主張であり、そこで提唱されているスローガンが、We're In This Together(WITT)だ。民主党陣営のなかでも、ESIは中道系のハミルトン・プロジェクトと競争関係にあるが、We're In This Togetherというスローガン自体は、ヒラリーを始めとする多くの候補者に借用されている。

お気付きのように、High School Musicalと民主党のスローガンには、微妙な違い(Allの有無)がある。自らのスローガンが、大人気のテレビ映画にダブるとは、それだけ民主党が時代の風にあっているということなのか。それとも両者の微妙な違いは、民主党が今一歩で時代を掴み切れないという展開を暗示しているのか。

いずれにしても明らかなのは、こんなことまで選挙につなげて考えてしまう自分は、よほど暑さにやられているということである。

2007/08/15

ローブの松明を受け継ぐのはヒラリー?

余りに暑い日が続くので、こちらも暑苦しくカール・ローブ論を続けたい。ローブの後世への影響力を測る一つのメルクマールは、2008年選挙への影響力である。その点では、ローブにもっとも近い選挙戦を展開しているのは、意外にも民主党の候補者であるようだ。

ほんの数年前までは、共和党の候補者はブッシュの御墨付きやローブの支援を喉から手が出るほど欲しがるだろうといわれていた。今回の辞任は、各陣営にとって千載一遇のチャンスともいえる。しかし現時点では、このチャンスを活かそうとする候補者は見当たらない。もちろん識者の中には、ローブの保守層へのアピールを引き合いに、早く手に入れた方が良いと指摘する向きもある(Crawford, Craig, "Rove Resignation Just in Time for GOP 2008 Hopefuls", CQ Politics.com, August 13, 2007)。しかし、ブッシュ大統領の不人気を考えれば、その象徴ともいえるローブから距離を置こうとするのは、決して不思議な動きではない。

但し、ローブの選挙戦略自身が否定されるべきものなのかどうかは議論の余地がある。たしかに浮動票よりも基本的な支持者の動員を重視する戦略は、2006年の選挙では役に立たなかった。ブッシュ政権の2期目には、肝心の「基本的な支持者」が減っているという事実もある(Nagourney, Adam, "Rove Legacy Laden With Protégés", New York Times, August 14, 2007)。しかし、無党派層が大きく動いたのは1994年以来であり、10年に一度起きるかどうかの稀な事態だというのも、これまた事実である。

むしろ保守派重視路線の問題は、政策実現能力を著しく損ねた点にある(Green, Joshua, "The Rove Presidency", The Atlantic, September 2007)。党派対立の色彩を強めるのは、選挙戦略としては有効だが、議会で物事を進めるのには向いていない。政策論では歩み寄れる余地がある論点でも、政治的な気運が整わなければ、妥協は実現しない。ローブの世界では、政策運営さえも、次の選挙で勝つための道具に過ぎない。それが透けて見えているのに、どうして民主党が歩み寄って来るだろうか。年金改革が好例である。結果的にブッシュ政権は、選挙での勝利を政策の変更という結果につなげられなかった。このことは、ブッシュ政権の本質的な欠陥である。ローブ無き後のブッシュ政権で、ワシントンでの経験を積んだ実務家が主役になっていきそうなのは、遅きに失したやむを得ない流れなのかもしれない(Rutenberg, Jim and Steven Lee Myers, "With Rove’s Departure, a New Era", New York Times, August 15, 2007)。

一方で、選挙の進め方という点では、ローブと見紛うような戦い方をしている候補者がいる。誰あろう、ヒラリー・クリントンである。Washington Post(Baker, Peter, "The Rove Legacy", Washington Post, August 15, 2007)、New York Times(Nagourney, ibid)の二大紙は、ローブの辞任を伝える記事のなかで、その遺産はヒラリー陣営に引き継がれたという見方を紹介している。またPolitico紙も、ローブの辞任に先立って、両者の類似点を取り上げている(Wilner, Elizabeth, "Clinton emulates Bush campaign tactics", Politico, August 10, 2007)。

具体的には何が似ているのか。例えば、女性であるにもかかわらず、軍事での強さを重視するのは、弱さを強さに変えるブッシュ流の戦法だ。また、あらゆる機会を捉えて相手候補を徹底的に攻撃するのも、選挙戦での「パウエル・ドクトリン(Mark McKinnon)」とでも呼ぶべきブッシュ=ローブの戦い方である。さらに、予備選挙の早い段階から「圧倒的な勝者」というイメージを作り出そうとする点も、2000年のブッシュ陣営にダブってくる。

なかでも両者に特徴的なのは、病的なまでのメッセージの統一性へのこだわり(Nicole Wallace)であり、スタッフの忠誠を重視して、決してリークを許さない鉄の規律である。Hilarylandと呼ばれる、主に女性スタッフで構成されたヒラリーのインナーサークルの結束の固さは、しばしばメディアでも話題になっている(Cottle, Michelle, "Hillary Control", New York Magazine, August 13, 2007)。このように忠誠心の高いスタッフ集団には、選挙活動の不必要な混乱を避けられるという利点がある。民主党の過去の候補者が、ともすれば内紛に襲われがちだったのとは対照的だ。偏った意見しか聞かれなくなるという批判もあるが、2000年のゴア陣営で戦略を担っていたCarter Eskewは、たいていの場合には選挙戦の問題は船頭が多すぎる点にあると主張する。

むしろ「ブッシュ型」のチームが問題になるのは、当選した後の「統治」の段階にある。リークを許さない政権は、得てして秘密主義に陥りがちであり、政策過程がみえ難くなりやすい。そして、グループ思考の弊害、「裸の王様」、「バブルに覆われた政権」といった危険性が高まるのも、実際の政権運営に移ってからである。ローブの本当の罪が政策実現能力の毀損にあるように、Hilarylandの功罪が問われるのも、大統領選挙での勝利という第一の関門を抜けた後なのかもしれない。

2007/08/14

ローブの退場に民主党への教訓はあるか

米国のメディアでは、カールローブ退場に関する論評が花盛りである。いずれにしても、ブッシュ政権の退潮振りが一層はっきりしてきたわけだが、一方で注目されるのは、上り調子の筈の民主党が、どこまで「左」に回帰していくかである。

民主党支持者の間には、今こそ民主党は、「大きな政府」のレッテルを恐れずに、政府の役割を積極的に支援する方向性を明確に示すべきだという意見がある。そのシンボルとなっている出来事が2つある。第一は、このページがお休みを頂いていた8月1日に発生した、ミネアポリスのI-35Wブリッジの崩壊である。The Nation誌等は、インフラ整備には5年間で1.6兆ドルの費用が必要だという研究を引用しながら、イラク戦争の終結までに1兆ドルが必要になることを考えれば、政治的な意思さえあれば十分に対応できる金額だと主張する(Heuvel, Katrina vanden, "A New New Deal", The Nation, August 8, 2007)。さらに同誌は、医療やエネルギー分野など、これまで見過ごされていた分野にも積極的に公共投資を行ない、幅広い中間層に向けた良質な雇用を生み出す必要があると主張する。

もう一つの出来事は、春先から議会で論点になっている、SCHIP(低所得家庭の児童に対する公的医療保険)の拡充問題である。民主党はその大幅な拡充を主張するが、ブッシュ政権は政府の規模拡大に外ならないとして、拒否権の発動を示唆している。American ProspectのPaul Waldmanは、SCHIPの問題こそは、民主党が政府は「問題」ではなく「解決策」になり得ると主張する好機だと主張する(Waldman, Paul, "The Failure of Antigovernment Conservatism", The American Prospect, August 8, 2007)。世論は明らかに民主党の側にあり、共和党の理論武装も弱く、前述のインフラ投資の問題とも絡めて、政府の重要性を主張しやすいからだ。Weldmanに言わせれば、最近の民主党は、保守主義の強さにショックを受け、中道に寄らなければいけないという脅迫観念に取り付かれた、政治的なPTSD患者のようなものだった。しかし、今こそ「保守主義」に「政府の敵」というレッテルを貼る好機だというのが、彼の主張である。

こうした民主党系の識者による論調には、「驕り」の気配が漂っているような気がしてならない。確かに、政府の役割に対する米国民の意識は高まっている。しかしそれは、いかに政府をきちんと機能させられるかという問題意識であって、必ずしも政府の「大きさ」に関する意識の変化とは言い切れないのではないだろうか。大統領選挙の論点として、候補者の「能力」が脚光を浴びているのも、こうした流れの一環だろう。高速道路の補修にしても、8月6~7日にCNNが行った世論調査では、そのための増税には反対するという回答が65%を占めている(Tsikitas, Irene, "No New Taxes (for Bridge Repair)", National Journal, August 13, 2007)。そうであれば、「新たな支出を考える前に、優先順位を再考すべきだ」という8月9日の記者会見におけるブッシュ大統領の発言の方が、有権者の意識には近いのかもしれない。実際のところ議会には、地道な補修工事よりも絵になり易い新規建設に重点的に予算を配分してきたという経緯もある(Saulny, Susan and Jennifer Steinhauer, "Bridge Collapse Revives Issue of Road Spending", New York Times, August 7, 2007)。

カール・ローブは、2004年の大統領選挙で勝利を納めた時点では、「永続的に続く共和党支配の始まり」を夢見ていた。しかし振り返ってみれば、その時こそがローブの頂点であったといっても過言ではない。上り調子に見える時にこそ、足元を見据えなければならない。民主党は、そんな教訓を学べるだろうか。

2007/08/13

The Show Must Go On:夏の日の選挙戦の無常

夏の停滞感も何のその。それでも選挙は続いていく。それが一体何につながるのか。時には物哀しさすら感じさせながら。

8月11日にアイオワ州で、共和党の模擬投票が実施された(Balz, Dan and Michael D. Shear, "Romney Wins Iowa's GOP Poll", Washington Post, August 12, 2007)。結果は32%の得票を集めたロムニーの圧勝。序盤州での戦いを重視する戦略が、先ずは実を結んだ格好である。しかし、幾つかの注意点はある。まず、模擬投票での勝利は、予備選勝利に必ずつながるわけではない。1987年のロバートソンのように、模擬投票では34%の得票を得ながら、アイオワの党員集会すら勝ち抜けなかった例もある。まして今回の模擬投票には、ジュリアーニ、トンプソン、マケインといった大所が参加していない。さらには投票総数も、1999年にブッシュが勝った時(2万3千)の6割程度(1万4千)に過ぎなかった。

一方の民主党は、利益団体のご機嫌をとるために、頻繁に行われる討論会に忙しい(Nagourney, Adam, "Appearing Now on a TV Near You? Surely a Presidential Debate", New York Times, August 11, 2007)。8月だけでも、4日がネットルーツを対象にしたYearlyKosの大会、7日がAFL-CIO、9日が同性愛者支援団体の討論会だった。この後も、各地で労組を対象にしたワークショップが開催される予定である。民主党がここまで忙しいのは、多様な利益団体に支えられているからこそ。それだけに、特定の団体におもねった発言は、本選挙で共和党の候補者に攻撃される材料になりかねない。

もちろん候補者もその辺りは心得ている。どこまで致命的なコミットメントをせずに済ませられるかが、腕の見せ所である。その典型が、最近のネットルーツとの距離感だろう(Smith, Ben, "Candidates court bloggers, avoid commitment", Politico, August 4, 2007)。各候補者は、ネットルーツの重要性を強調し、彼ら個別のアジェンダには賛同の意を示す。しかし、2004年のディーンや06年のリーバーマン予備選に見られたように、「反戦」といった大きな方向性で、民主党がネットルーツに引きずられているわけではない。いわば各候補者は、ネットルーツを「数ある利益団体の一つ」として扱い始めているという指摘もある。結局のところ、ネットルーツといっても、まだまだ中年の白人男性に偏った集団なのである(Vargas, Jose Antonio, "A Diversity of Opinion, if Not Opinionators", Washington Post, August 6, 2007)。

そんな無常感を感じていたら、驚きのニュースが飛び込んで来た。8月末をもって、カール・ローブが辞職するというのである(Gigot, Paul A., "The Mark of Karl Rove", Wall Street Journal, August 13, 2007)。大物の離脱が続いたブッシュ政権だが、遂に来るべき時が来たということだろうか。

ローブはブッシュ政権や共和党の先行きには楽観的である。イラク状勢は増派のおかげで改善に向い、盗聴認可や財政問題では民主党がつまづく。大統領の支持率はいずれ回復するし、何かと批判の多い外交政策でも、テロリストを匿う国はテロ国家と見做されることや先制攻撃の容認は、今後の政権にも引き継がれる。08年の大統領選挙にしても、こらえて大きな論点を主張し続ければ、共和党は勝てる筈だ。

こうしてまた、暑い夏の一日が過ぎて行く。投票日は依然として遥か蜃気楼の彼方である。

2007/08/10

有権者の本音はToo Much, Too Early?

大統領選挙がこんなに早くから盛り上がるとは、変化を求める米国民の思いは並大抵ではないと思っていた。しかしさすがの米国民も、さすがにこれはやり過ぎだと感じているようだ。

こうした現実が垣間見えた出来事が2つある。第一は、8月2日にピュー・リサーチセンターが発表した世論調査である。この調査では、選挙戦の現状をネガティブな言葉で表現する回答(52%)が、ポジティブな見方をする回答(19%)を大幅に上回った。ネガティブな表現のなかでもっとも多かったのは、「早すぎる」という回答。これに「混乱している」「長すぎる」「印象が薄い」「退屈」といった評価が続く。特にネガティブな回答が多いのは共和党支持者(61%)だが、無党派層でもその水準は55%に達している。それに比べれば、民主党支持者の39%はましな方だが、それでもポジティブな見方(27%)よりも多い。候補者に多大な関心を寄せているという割合も34%に止まっており、6月の33%からほとんど増えていない。共和党支持者に至っては、6月の33%から7月は30%へと減少してしまった。

二つ目の出来事は、8月7日に行われた民主党討論会のテレビ視聴者の少なさだ。今年の討論会は、選挙の前年にしては回数が多く、またテレビを通じた視聴者も高水準で推移していた。6月3日に行われた民主党の討論会は270万人の視聴者を集めているし、共和党でも5月15日の討論会は250万人が見ている。これまでの選挙前年の記録は1999年に共和党が記録した220万人だが、これは12月の開催である(Zenilman, Avi, "'08 debates come early and often", Politico, July 23, 2007)。それだけ今年は有権者の関心が高かったわけだが、AFL-CIOの主催で行われた8月7日の討論会については、蓋を開けてみればわずかに96万人の視聴者。これまでと比べて大幅に落ち込んだ。

こんなことで有権者の関心が持つのだろうかと思っていたら、とんでもないウルトラC(?)があった。投票日の方が近付いて来るかもしれないのだ(Shear, Michael D., "Primary Season Getting Earlier", Washington Post, August 9, 2007)。8月9日にサウス・カロライナ州は、予備選の投票日を2月2日から1月19日に早める意向を発表した。フロリダ(1月29日)に奪われた「南部最初の予備選」の座を取り戻すのが狙いである。そうなると「どこよりも先に予備選の投票を行なうこと」と州法に定めているニューハンプシャーの日程(現在は1月22日)が前にずれる可能性が出てくる。その次には「どこよりも先に予備選を行なう」という州法を持つアイオワの党員集会(同1月14日)がさらに前倒しになる。理論上は今年の12月中旬にも党員集会が開かれかねない勢いだ(Simon, Roger, "Race to be first unsettles campaign", Politico, August 9, 2007)。いくら間が持たないからといって、投票日の方から近づいてくるとは!

もちろん大きな問題はある。本選挙の投票日は動かないのだ。さっさと各党の候補者が決まるにせよ、党大会までもつれるにせよ、有権者が最後の審判を下せるのは来年の11月である。それまでには北京でオリンピックが開かれ、甲子園が3回終わってしまい、恐らく日本では衆議院選挙が済んでしまう。

いやはや、このページも少しペースを落とした方が良いのだろうか...

2007/08/09

「税」への回帰を模索するブッシュ政権:環境は変わっていないのか?

困った時には原点に戻るのは、古今東西を問わない常道。しかし、どこまで戻れるかは別の問題である。

ブッシュ政権は、8月8日に行なったプレスとの会見で、経済政策の目玉を税制に戻す意向を示唆した。特に目を引いたのは、国際競争力の観点から、法人税率の引き下げを検討しているとした点である(Baker, Peter, "Bush May Try to Cut Corporate Tax Rates", Washington Post, August 9, 2007)。ブッシュ政権にしてみれば、2期目に入って年金や移民といった目玉を打ち出したものの、どれも鳴かず飛ばず。民主党と対決するには、第1期の経済政策の中心だった税制に立ち返り、「低い税金を支持する共和党」で臨むしかないという判断があるようだ。確かに民主党は、税制の累進性強化や、増税に向けて歩を進めている。また、ポピュリズムの文脈では、大企業批判も強めている。ここで共和党が法人税減税に動けば、両党の違いが際立って来るようにも思われる。実際にブッシュ大統領は、8月8日に行われたFOXテレビでのインタビューで、「共和党の候補者は大統領から距離を置こうとしているのではないか」と問われたのに対して、「税負担を低くするという大きな論点では、共和党の候補者はそれこそが正しい政策だと理解している」と回答し、「税」を共和党の売りにしていく考えを滲ませた。

もっとも、税制に立ち返るといっても、そこには限界がある。具体的には、ブッシュ政権は一層の減税を提案しようとしているわけではない。法人税率の引き下げは、税収中立の税制改革として検討されている。すなわち、ループホール対策や租税特別措置の見直しによる増税で、税率引き下げによる減税を賄うという考え方である。米国の法人税の特徴は、最高税率が高い割りには(先進国で米国より高いのは日本だけ)、経済規模対比の税収が小さいこと。企業の税回避のために課税ベースが毀損している可能性が高く、この点の是正には、民主党サイドにも異論は少ない。後は増収分をいかに使うかという問題である。両党の意見が一致している訳ではないが、これが単なる法人税減税ならば、民主党に受け入れられる可能性が極めて低くなるのは事実である。民主党は、高所得層の平均税率が下がっている点を問題視しているが、その大きな要因は法人税収にある。吹き始めた累進性強化への風は、法人税減税には逆風だ。

累進性強化に関しては、共和党陣営に足並みの乱れも感じられる。一部の共和党議員が、医療保険改革の一貫として、「負の税額控除」を提案しようとしたのである(Novak, Robert D., "A GOP Muddle On Taxes", Washington Post, August 6, 2007)。「負の税額控除」とは、所得税負担のない低所得層に対しても、控除分を還付する仕組みである。議員に「増税反対の誓い」への署名を求めているAmericans for Tax Reformなどは、「負の税額控除」は減税ではなく歳出拡大だという立場をとっているが、共和党の中にも「公平さ」を主張する動きが芽生え始めているのかもしれない。

繰り返しになるが、税制の分野において、共和党と民主党の立場の違いが消え去ったわけではない。ブッシュ減税の延長問題もあり、税制は大統領選挙の大きなテーマになるだろう。しかし同時に、こうした議論が立脚している「地盤」自体は、ブッシュ政権が誕生した頃の姿から多少なりとも変容しているような気がする。

2007/08/08

How Low Can You Go? :民主党候補「保護主義化」の本当のリスク

大統領選挙の文脈で、民主党が保護主義の方向に動いているのは事実である。しかし、その度合いについては、冷静に見極める必要がありそうだ。

8月7日に民主党の候補者による討論会が開催された。主催は労組の元締めであるAFL-CIO。野外のフットボール・スタジアムを会場に、1万7千人の労組関係者を集めて実施されたというのだから、何とも壮観である(Balz, Dan, "Obama and Clinton Take the Gloves Off In AFL-CIO Debate", Washington Post, Auguat 8, 2007)。

この討論会は、各候補者にとっては、大きなトラップになる可能性があった。これだけの労組関係者を前にすれば、ついつい左に傾いた発言をしたくなるのが人情というもの。しかし、余りに左に進みすぎれば、本選挙での足枷になりかねない。さらにいえば、首尾良く大統領に当選出来た場合でも、今度は労組にお返しをしなければならなくなる。

もちろん労組も、その辺りの力学は心得ている。予備選で持っているレバレッジを最大限に活かして、いかに候補者から言質を取るかが、労組の腕の見せ所である。特に労組にとっての大きな論点である通商政策に関しては、比較的労組に近いといわれるエドワーズのスタンスをメルクマールにして、オバマやヒラリーを保護主義の方向に引きずろうとしているようだ(Chipman, Kim and Nicholas Johnston, "Edwards's Stance on Trade May Attract Union Support", Bloomberg, August 7, 2007)。エドワーズは、討論会前日に通商政策に関する公約を発表している。「エドワーズの議論に近付けるのか?」というのが、有力候補に対する労組からの問い掛けである。

ところが、肝心の討論会での通商政策を巡る議論で、観衆から一番の喝采を浴びたのは、エドワーズではなかった。確かにエドワーズは、NAFTAを見直し、労働基準や環境基準の強化を義務付けるべきだと主張した。他の有力候補者達も、程度の差こそあれ、概ね同じ様な趣旨の発言を行なった。しかし、観衆がもっとも沸いたのは、最後に発言したクシニッチの時だった。何とクシニッチは、NAFTAだけでなく、WTOからも脱退すると明言した。その時の観衆の盛り上がり振りは、尋常ではなかった。見方を変えれば、いくら労組に媚びるといっても、エドワーズを含めて、そこまで踏み込む有力候補者はいないのだ。

もう一度エドワーズの通商政策を見直してみよう。その内容で目を惹くのは、最近の中国からの輸入品の安全性に関する問題に絡めて、消費者の視点から、輸入品への監視強化を訴えている点である(Healy, Patrick and Michael Cooper, "Democrats Campaign on Mortgage and Trade Issues", New York Times, August 7, 2007)。しかしそれ以外の部分については、それほど新味のある提案がある訳ではない。労働・環境基準や、為替操作の問題などは、むしろ既にお馴染みの議論になっている感がある。

有力候補者の通商政策には、労組の支持を視野に入れて、互いの出方を見比べながら、歩を進めている側面がある。オバマとエドワーズの標的は、いうまでもなくヒラリーである。両者がNAFTAを取り立てて批判するのは、これがクリントン政権の遺産だからだ。また討論会では、両候補は通商政策の問題は企業の利益ばかりが反映されている点だと強調し、むしろ「体制派」の候補であるヒラリー批判につなげようとした。一方のヒラリーは、こうした攻め方をされると分かっているからこそ、左寄りのスタンスを取る。また、反戦機運の強いアイオワでバランスを取るためには、通商では左に寄らざるを得かったのではないかという指摘もある(Heilemann, John, "Marital Discord", New York, July 16, 2007)。

このように、候補者の保護主義化が予備選の必要性に迫られた計算づくのポジションに過ぎないのであれば、実際に民主党政権が誕生した後の展開は、それほど心配しなくても良いという議論もあるかも知れない。しかし、そこには見逃せないリスクがある。グローバリゼーションに対する有権者の不安感はリアルだ。かたちだけの「保護主義」でお茶を濁そうとすれば、結果的にもっと性質の悪いバックラッシュを招きかねない。思い返せば、クリントン大統領の自由貿易路線には、少なくとも理論的には「人的投資の充実」という積極的な対応策が組み込まれていた(Heilemann, ibid)。そうした知恵を出すことこそが、民主党の候補者には求められているのではないだろうか。

2007/08/07

〈お知らせ〉表示の不調について

taste of unionは、8月7日から更新を再開していますが、何故かトップ・ページに最新版が表示されない障害が発生しています。恐縮ですが、アーカイブの8月のところから、アクセスしていただければ幸いです。

しかし、しばらく休んでいた報いでしょうか…

Dance, Dance, Dance:オバマの「外交攻勢」に潜むリスク

ヒラリーに今一つ追いつけないオバマ。外交政策での論争を局面打開のきっかけにしたいところだが、ヒラリー陣営の落ちついた対応によって、かえって「経験の差」が浮き彫りになる危険性もありそうだ。

ここ数週間でオバマの外交政策に関する資質が問われる出来事が立て続けに3件発生した。そもそもの始まりは、7月23日の討論会。ここでオバマは、「就任後1年以内にイラン等の敵対国の独裁者と前提条件なしに会談するか」という問い掛けに、肯定的な解答をした。これに対してヒラリーは、宣伝目的に使われるかもしれないのに、軽々しく会うべきではないと反論。オバマの立場を「無責任で正直ナイーブ」と皮肉った。他方のオバマも、「無責任でナイーブといえばイラク開戦に賛成したこと」と切り返し、ヒラリーを「軽量級のブッシュ・チェイニー」と反論するなど、今予備選初の批判合戦に発展した(Tapper, Jake, "Obama Delivers Bold Speech About War on Terror", ABC News, August 1, 2007)。

これに続いたのが、8月1日にオバマが行なった、テロ対策に関する演説。なかでも注目を集めたのは、アルカイダの指導部掃討のためならば、パキスタン政府の了解が得られなくても、米軍による同国への軍事展開を排除しないとした点である。第一の発言と併せると、いわばヒラリーを左右から挟撃する形になったからだ。直接交渉路線は明らかにハトな派な印象だが、パキスタンへのスタンスはブッシュ政権に近い。それどころか、援助を梃子にパキスタン政府にテロ対策強化を求めるとしている点などは、むしろブッシュ政権よりもタカ派ともいえる(Richter, Paul , "Obama talks tough on Pakistan, terror", Los Angels Times, August 2, 2007)。

オバマが外交政策で積極的に仕掛けているのは、「実績」を切り札に着実にリードを広げているヒラリーに対して、自らにも指導者たる力量があるところを示そうとする狙いからだろう。加えて、対話路線の強調などは、オバマの「売り」である「変化」をも重ね併せようとする欲張りな側面も感じられる。

しかし、オバマの一連の発言は、かえってその力量に疑問符が付きかねないリスクがある。既にヒラリーに批判されている独裁者との対話もさることながら、パキスタンへの強硬姿勢に関しても、同国の政情不安を招きかねないとの批判がある(Brookes, Peter, "BARACK'S BLUNDER", New York Post, August 2, 2007)。また、ハト派とタカ派の混在は、オバマの反イラク戦争路線を支持している勢力を戸惑わせている(Richter, ibid)。外交評議会のMax Bootなどは、「対話問題での失地回復を狙ったのかもしれないが、墓穴を掘ってしまったら、先ずは穴を掘るのを止めるのが先決だ」と手厳しい(Horrigan, Marie, "Obama's Foreign Policy Speech Leaves Room for Dabate", CQPolitics, August 1, 2007)。

さらに状況を複雑にさせたのが、第三の出来事である。8月2日に行われたAP通信とのインタビューでオバマは、ビン・ラディンの掃討には核兵器を使用しないと明言した。核兵器には抑止力としての側面があるため、歴代の米国の指導者は、その使用基準を敢えて曖昧にしてきた。すかさずヒラリーは、「仮定の質問には答えるべきではない」という大人の発言で、オバマを牽制している(Luo, Michael, "Nuclear Weapons Comment Puts Obama on the Defensive", New York Times, August 3, 2007)。

オバマ陣営は、一連の発言はオバマが大胆な決断を下せることの現れであり、ヒラリーに代表される「ワシントンの常識」こそが時代遅れなのだとして、あくまでも強気の態度を貫いている。また、個別のスタンスに関しては「(対話路線について)諸外国の期待という点では明白にオバマの勝ち...ヒラリーの回答は振付けられていなかったまれに見る失敗(ブルームバーグのアルバート・ハント(Hunt, Albert R., "`Rock Star' Obama in Harmony With U.S. Allies", Bloomberg, August 6, 2007))」「(核兵器を使わないというのは)明らかに正しい解答(ブルッキングス研究所のマイケル・オハンロン(Kornblut, Anne E., "Clinton Demurs On Obama's Nuclear Stance", Washington Post, August 3, 2007)」等と評価する向きもある。しかし、核に関する発言を取り消そうとするなど、どこまで計算づくなのかという点には疑問が残る。もしかすると、きちんと振りつけられていたのは、第二の発言だけかもしれないとすら思えてしまう。

仮に一連の発言がオバマの「大胆さ」の現れであったとして、果たしてそれが有権者の嗜好にあっているのかという視点も見逃せない。Roll CallのMort Kondrackeは、オバマの発言を「外交経験のないテキサス州知事の発言のように聞こえる」と指摘する(Kondracke, Mort, "Obama's Foreign Vision Is Exciting -- And Also Naive", Roll Call, August 2, 2007)。広範なアジェンダを展開するのは結構だが、そこには優先順位や限界・困難さ、さらには慎み深さといった感覚がなく、傲慢さと経験のなさが染み出している。とくに「対話すれば説き伏せられる」という主張には、ブッシュ大統領につながる傲慢さが感じられるというのだ。大胆という意味ではケネディ大統領を髣髴とさせる面もあるが、そのケネディの思い上がりがキューバ危機を招いた。今の米国民に必要なのは、危機を回避できる経験の持ち主ではないのだろうか?

対照的に際立つのはヒラリーの落ち着きである。既に述べたように、ヒラリーは2つの出来事ではオバマを批判したが、パキスタンについては発言を控えている。結果的にヒラリーは、自身の外交政策の選択肢を一切失っていない。大胆さには欠けるが、「大人の対応」に映るのは事実だろう。

ヒラリーとオバマの支持率は、ここ数週間でジリジリと開いている。今の局面でヒラリーにとって大切なのは、明らかなトップ・ランナーであるという印象を有権者に植え付けることであって、無用な冒険は必要ではないという判断は可能である。仕掛けなければいけないとすれば、オバマの方だ。オバマの「大胆さ」が有権者を振り向かせられるのか、それとも観音様の掌中で踊る孫悟空と映るのか。お手並み拝見である。

2007/08/06

One More Night…

大変勝手ながら、諸般の都合により、State of the Unionの更新再開は、明日8月7日からとさせて頂きます。

休筆させて頂いている間に、米国では橋が落ち(!)、オバマの外交政策論がちょっとした騒動になりました。他方でメディアには、ジュリアーニやトンプソンの奥さん、さらにはチェルシー・クリントンの話題が飛び交っており、いかにもニュース枯れのDog Daysの感が漂ってきました。

それでも本ページは、暑苦しく更新を再開する所存です。一日遅れとなってしまいますが、宜しくお願い致します。