2007/04/29

インターネットは作ったんだよね!

連休に入ったところで、お約束のゴアの「犬の薬の値段」の話を。ちゃんとみつけてきました。

文脈を説明しておこう。「二つのアメリカ」で発揮されたエドワーズの「型」は、寓話を使う語り口である。ここで重要なのは「ありそうだけど架空の話」であることで、中途半端に本当の話を使ってしまうと、その信憑性を問われて墓穴を掘る。これが得意だったのがゴア元副大統領、という話である。

このページをご覧ください。有名な例があげられています。

「犬の薬」の話というのは、薬価の高さを攻撃する文脈ででてきた「実話」である。曰く、自分の義母と飼い犬は同じ薬を使っている。なのに、義母の薬の値段は犬の薬の値段の3倍近い。どうです。ひどいでしょう。

ところが、実際には、犬の薬の値段は実話ではなくて下院の資料から引いてきた値段。成分は同じでも、犬の薬は「犬用」の別物だった。

ほかにもゴアの発言には、「本当だったらうまい話なんだけど...」というのが幾つかあった。例えば、自分と奥さんが「ある愛の詩」のモデルだったという話。実際には、男性の方のモデルはゴアとその大学時代のルーム・メートだったトミー・リー・ジョーンズの二人(それはそれでなかなかシュールだが)、女性のモデルは別人だったというのがオチである。

今となれば単なる笑い話だが、それではすまされないのが、選挙の怖いところだ。これらに加えて、「インターネットは私が作った」発言もあったものだから、ブッシュ陣営はここぞとばかりに「ゴアの話は信用ならない」と揶揄した。こうしたことが積もり積もっていたから、ブッシュの「ゴアの経済政策はあやしい計算(fuzzy math)に基づいている」という批判が、それなりに有効になってしまった。冷静に考えれば、「あんたにはいわれたくないよ」という類の批判だったのに...思えば、ケリーのSwift Boat Veterans for Truth事件の源泉は、ここにあったのかもしれない。

いうまでもなく、政治家にとって失言はますます鬼門になっている。なんと言ってもインターネットとYouTubeの時代である。「おや?」と思う発言は、すぐに裏をとられ、世界中(!)に広められてしまう。そう考えると、インターネットの時代にこそ、巧みな「寓話」の語り手の威力が発揮できるのかもしれない。

しかし、ゴアがもう一度出馬するとなると、またこの辺の話をほじくり返されるんだろうなあ...

2007/04/28

エドワーズ、散髪、ヘッジ・ファンド

約束していた割に、エドワーズの「二つのアメリカ」演説の脆弱性に触れるのが遅くなってしまった。26日の討論会で、2つの象徴的なやり取りがあったので、取り上げておきたい。

結論から先にいうと、「二つのアメリカ」演説の脆弱性は、「あなたはどちらのアメリカに属しているのか」という問い掛けを誘発する点にある。

その典型が、今回取り上げたい一つ目の質問である。それは、「散髪に400ドルかけたことをどう思いますか?」というモデレーターの問いだ。

第1四半期の政治献金報告のなかで、エドワーズは有名なスタイリストの出張散髪を2回利用していたことが明らかになっている。その1回のお値段が、400ドルだった。

エドワーズは成功した弁護士である。「持つ者」「持たざる者」の二つの世界があるとすれば、エドワーズが属するのは、間違いなく前者のアメリカだ。「二つのアメリカ」演説が綺麗であるほどに、「400ドルの散髪」だとか、豪邸を保有していて隣人と揉めているとか、その手の攻撃は受けやすくなる。

もちろん、「持つ者」が「持たざる者」を擁護して悪い訳ではない。そもそも欧米には、ノブレス・オブリージュの伝統がある。

エドワーズも、こうした問い掛けには答を用意している。今の自分は確かに持つ者だ。しかし、元はといえば工場労働者の息子であり、そのルーツを忘れてはいない。むしろ、自分のように成功するチャンスを、多くの人に与えたい。

美しい。

エドワーズは、今回の選挙戦では、ポピュリスト的な主張を強めている。それだけに、こうしたストーリーを上手く伝えることが重要だ。

討論会で目を引かれたのは、変化球ともいえる、もう一つの質問だ。それは、「ヘッジ・ファンドをどう思うか?」という問い掛けである。

ヘッジ・ファンドといえば、「持たざる者」にとっては、別世界の存在。ところがエドワーズは、前回の選挙で落選した後に、ヘッジ・ファンドで有名な、Fortress Invest Groupのアドバイザーに就任している。第1四半期の政治献金でも、同社関連の献金が17万ドルあるという。

この質問が気になったのは、民主党の経済政策に関する路線論争に、微妙に関わって来るからだ。

ルービノミクス批判の一つの典型は、「ウォール街の代弁者」というものだ。ところが、有力候補者のなかでは、もっともルービノミクスから遠いと目されているエドワーズですら、ヘッジ・ファンドと関係がある。

ことほど左様に、ルービノミクス論争は、奥が深いのである。

*日本は全国的にGWに入りました。残念ながら仕事があったりもするのですが、このページは、出来るだけ更新するつもりです。ただし、今回のように携帯から直にアップした場合、本文中のリンクやラベルは後から付け加えるので、RSSなどでは掲載順が乱れるかもしれません。ご容赦下さい。

2007/04/27

え、もう討論会!?

26日に民主党の大統領候補によるテレビ討論会が行われた。

いや、いくら何でも早いですよね。

そんなこんなで(?)、気がついたら前半がもう終わってしまっていた。そこで、この際トランスプリクトも報道もしっかりチェックせずに、後半を観戦した直感的な感想をいくつか。

トップ3についていえば、「まあまあ」といったのが正直なところ。自分で驚いたのは、あまりに露出が多いからか、「どれもこれも古い顔だなあ」と感じてしまったことである。こんな選挙戦(失礼!)があと2年近くも続くと思うと怖くなる。後半になってゴアやギングリッチがでてきても、全く新しくないし。

まあ、ヒラリーは仕方がない。むしろ、経験を売るのが戦略だろうから、それでも良いのかも知れない。しかし、オバマのパフォーマンスにいつもの輝きが感じられなかったのは気になる。短い持ち時間では、「型」に持ち込み難いのだろうか。話し方にも、どことなくたどたどしさが感じられた。クシニッチとの「対決」では一瞬輝いていたが、正直物足りなかった。

その点エドワーズは、答え方としては、上手く質問を利用して、自分の主義主張を展開していたように思う。但し、4年前からの成長を印象づけようとしていたのか、妙な落ち着き具合が逆に心配になった。結局のところ、若々しくないエドワーズというのはどうなんだろう?

一番ドッキリしたのは、「あなたにとって精神的なリーダーは誰ですか?」という問い掛けに、エドワーズがしばし絶句してしまった時。頭が真っ白になってしまったように見えてドキドキした。どうにか無難な解答(神、妻、父)は引き出したが、やはりエドワーズは疲れているのではないだろうか…

対照的に印象が良かったのは、ドッド、バイデンの両上院議員。よどみないしゃべり方といい、威厳のある態度といい、「大統領らしさ」では際立っていた。泡沫候補スレスレなのがもったいない。一方で、同じスレスレ候補でも、話があちこちに飛んでしまったリチャードソンとは随分な違いだった。良い人そうな雰囲気はあったが、ループ・タイもしていなかったし。

それにしても驚かされるのは、4年前の大統領選挙でも、このタイミングで討論会が行われていたことである。特段今年が早いという訳ではないのだ。現職の任期がまだ2年近く残っているというのに。

でもって、来週には共和党候補の討論会も開かれる。

確かに、ブッシュがやけに弾けて踊り出してしまう気持ちも、分からないではない。

2007/04/26

にこやかなBoogeyman : ルービン

Boogeymanという言葉がある。あるグループを攻撃する時に、(理屈はともかく)そのシンボルとして標的に使う人物や物事のことである。民主党の経済戦略を巡る路線対立で、反クリントン派が選んだBoogeymanは、ルービン元財務長官である。

反クリントン派が批判するのは、「ルービノミクス」であって、「クリントノミクス」ではない。ヒラリーの出馬でやや微妙な感じが出てきたとはいえ、クリントン前大統領自身は、今でも民主党の英雄的存在である。路線論争の標的にするには、いささか巨人過ぎる。それよりは、「影の実力者」をBoogeymanに仕立てた方がやりやすい。

実際に、ルービンには標的になるだけの存在感がある。最近でも、ハミルトン・プロジェクトを仕掛けて、ルービノミクスの理論武装と人材育成を進めているのは、既に触れた通りだ。

ルービン批判の典型ともいえるのが、Robert KuttnerがAmerican Pospect誌に寄稿した「友好的な乗っ取り」と題する一文である(Kuttner, Robert, "Friendly Takeover", American Prospect, April 4, 2007)。ここでのルービンは、「国家のため」を装いながら、人脈・金脈・知力を駆使して、ウォール街の利益を推し進める人物として描かれている。

その内容はさておき、興味深いのは、路線論争の構図を垣間見ることが出来る点である。冒頭にこんなエピソードが取り上げられている。04年の大統領選挙で、民主党のケリー候補が、経済政策に関する議論がしたいといって、AFL‐CIO(労働組合)のJohn Sweenyに声をかけた。そこでSweenyがAFL-CIOの政策担当であるChris OwensとEPIのJeff Fauxを連れて出向くと、既にそこには、ルービンが配下(アルトマン元財務次官、スパーリング元大統領補佐官)と共に陣取っていた。さらに、一通りの議論を終えた後に、労組一行がそれとなく退出を促された後も、ルービン組はその場に居残ったという。

ちなみにこの記事の筆者であるRobert Kuttnerは、EPIの共同創始者の一人である。他方で、ルービンが連れていた二人は、ハミルトン・プロジェクトでも重要な役回りを果たしている。そこには、ルービン=ハミルトン・プロジェクトと労組=EPIという対立の構図が浮かび上がる。

では、どちらの陣営が、08年の大統領選挙で優位に立っているのか。Kuttnerは、いずれにしてもルービン陣営が影響力を維持するだろうと指摘する。ヒラリー陣営はいうまでもないが、オバマ陣営にもルービン人脈が食い込んでいる。期待できるとすればエドワーズだが、ポピュリスト路線であるだけに、仮に大統領になれば、ウォール街との仲介役(=ルービン)が必要になるというのである。

確かに、あまり知られていないかも知れないが、ハミルトン・プロジェクトのキック・オフ.イベントのメイン・スピーカーは、誰あろうオバマだった。また、このイベントでは、オバマの主要なアドバイザーといわれる、Austan Goolsbeeもプレゼンテーション(確定申告の簡素化!)を行なっていたという事実もある。

その一方で、ヒラリーといえども、ルービン派の言い分をそのまま受け入れているわけではないという指摘もある。実際に、ヒラリー陣営は、労組の盟友である、ゲッパート元下院議員とも連携しているようだ(Smith, Ben, "Strategists Bank on Budget-Neutral Policies", The Politico, April 2, 2007)。

ルービノミクス論争は、単なる路線論争というだけではなく、「影響力」の争いでもある。今後の政策論争にも、様々な人間模様がオーバー・ラップしてきそうである。

2007/04/25

AARP:Divided We Fail の脅威

今後のブーマー世代の政治力を考える上で、見逃せないのがAARP(全米退職者協会)の活動である。ブーマー世代は退職し始めたばかりだから、AARPの主役ではない。しかしすでにAARPの政治力は相当なものである。

その威力は、最近の政策動向に与えた影響を振り返れば一目瞭然だ。伝統的にAARPは、社会福祉政策に前向きなために、民主党に近いと考えられてきた。ところが、2003年の医療保険改革法(Medicare Modernization Act)では、一転して共和党を支持して、処方薬代保険(Medicare Part D)の成立を後押しする。と思えば、2005年には、今度は民主党側に立って、ブッシュ政権の社会保障(公的年金)改革案に猛反対。個人勘定を中心とした改革を頓挫させる原動力となった。

そのAARPは、いっそう政治活動に力を入れる方針だという。標的は製薬業界。処方薬代保険を通じた薬価の引き下げや、ジェネリック薬の利用促進、そしてカナダからの処方薬輸入といったところがAARPの重点課題のようである。これらの提案を推進するために、AARPは昨年の230億ドルを超える資金を政治活動に使う予定だそうだ(Birnbaum, Jeffrey H., "On Issues From Medicare to Medication, AARP's Money Will Be There", Washington Post, April 24, 2007)。

なんといっても、AARPは世界一裕福な圧力団体である。会員は3800万人。年間の収入は10億ドルだというのだから恐れ入る。

AARPの活動で気をつけなければ行けないのは、必ずしも「高齢者」の利益だけを考えた活動をしているわけではないことである。年金改革への反対がその典型だ。ブッシュ政権の改革案は、「退職者と退職が近い人」には影響がないように設計されていた。それでもAARPは、360億ドルをつぎこんで反対に回った。「すべての世代の利益を代弁する」というのがAARPの活動方針だからである。こうした方針は、AARPが進めているDivided We Failという活動にも現れている。

言い換えれば、AARPはすでにベビー・ブーマーを視野に入れている。

ブーマー世代を抱え込んだAARPは、いよいよ必要性が増してくる年金・医療保険改革の議論においても、無視できないアクターとしての存在感を示し続けそうだ。

2007/04/24

for the record : 「二つのアメリカ」とエドワーズの「型」

2008年選挙最強の飛び道具(?)、オバマの演説の魅力を取り上げたからには、2004年選挙で発揮された、エドワーズの演説の魅力にも触れたくなるのが人情である。実際に、2004年の選挙でエドワーズが使った「二つのアメリカ(Two America)」演説は、未だにエドワーズの代名詞といわれるほど印象的だった。その一方で、その印象が強かっただけに、エドワーズは「どちらのアメリカに属しているのか」という批判に晒さられる危険を抱えているのも事実である。

と、ここまで書くつもりだったのだが、肝心の「二つのアメリカ」演説のトランスクリプトを探すのに手間取ってしまったので、今日のところは、「名作」を紹介しながら、エドワーズの「型」について触れておきたい。

以前取り上げたように、オバマの「型」は、いろいろな出来事を結び付けて、大きな議論を作り上げることだ。これに対して、エドワーズの「型」は、架空の個人が登場するストーリー(寓話)を使って、メッセージを伝えることである。

「(今夜)アメリカのどこかで(somewhere in america…)」で始まることの多いこのストーリーには、幾つかのパターンがある。自分が一番好きだったのは、レイオフされた父親の寓話だ(これを探すのに手間取ってしまった)。例えば、この2004年2月10日の演説。記録に残す価値はあると思うので、長めに引用しておこう。

  And the reason it's important is because tonight a father will come home from work, something he's done many times year after year after year, coming home from his job at the factory where he's worked for many years -- work he's proud of. He's proud of what he does, proud of the work he does, proud of what he makes. He makes something, his factory makes something that the American people need, that the American people buy.

But the difference is when he comes home tonight, he'll have something different to say to his family. He'll come home to see his little girl, who he has seen every night. In fact, she's the end of his night every night. He knows his night is over when he gives her a hug. But tonight, when he comes home, he'll be coming home to tell her that his factory is closing, that he's about to lose his job, that, in fact, his life and his family's life is about to change.

And it's not because he's done anything wrong. He's done what he's supposed to do. He's been responsible. He's worked hard. He's raised his family.

It's not because the product that his company makes is no longer going to be made. They're going to continue to make it.

The problem is, they're going to make it somewhere else. They're going to make it somewhere outside of his community, outside of his country.

His life will change forever when he looks into the eyes of his little girl tonight. His family's life will change forever.

この話とつながっているかのように、娘の立場からの寓話もある。2004年2月3日の演説からどうぞ。

   Tonight -- tonight -- somewhere in America a 10-year- old little girl will go to bed hungry, hoping and praying that tomorrow will not be as cold as today because she doesn't have the coat to keep her warm; hoping and praying that she doesn't get sick as she did last year, because it means 24 hours waiting in an emergency room to try to get medical care; hoping...

... hoping that her father, who lost his job when the factory closed and has not been able to find steady work, will actually get a job that allows him to provide for his family.

She's one of 35 million Americans who live in poverty every single day, unnoticed, unheard. Well, tonight we see her, we hear her, we embrace her, she is part of our family and we will lift her up.

And she is, and her family is, like millions of Americans that work hard every day, struggle to get by. These are the Americans no one pays attention to, they're unheralded, they're unnoticed.

The truth of the matter is this: They are heroes in our America. They are the reason I'm running for president of the United States.

And the message I want you and I to send loud and clear to all those millions of Americans: Tonight we see them, tonight we hear them, we believe in them. We will lift them up. We will give them hope and we will give them back the White House.


「二つのアメリカ」とは関係ないが、04年の民主党大会では、エドワーズはイラク戦争の問題を寓話の手法で語っている。

  Tonight, as we celebrate in this hall, somewhere in America, a mother sits at the kitchen table. She can't sleep because she's worried she can't pay her bills. She's working hard trying to pay her rent, trying to feed her kids, but she just can't catch up.

  It didn't use to be that way in her house. Her husband was called up in the Guard. Now he's been in Iraq for over a year. They thought he was going to come home last month, but now he's got to stay longer.

  She thinks she's alone. But tonight in this hall and in your homes, you know what? She's got a lot of friends.

寓話の手法は、伝統的なフォーク歌手の手法である。かつて尾崎豊が、ジャクソン・ブラウンのようにメッセージを伝えたいといったのも、まさにこのやり方を意識していた(..知らないですかね)。初期のブルース・スプリングスティーンの作品なども、その伝統を受け継いでいる。同一(と思われる)人物が繰り返し違うストーリーにでてくるのも、エドワーズの語り口と同じだ。

「寓話」のミソは、誰もが感情移入できるような、ありそうだけれど、架空の物語である点だ。それでこそ、大上段に振りかぶるよりも、メッセージが伝わりやすくなる。だからといって、中途半端に実話を使うと、その信憑性を突かれてしまう危険がある。

ここで、ゴアの「犬の薬の値段(だったかな?)」の話を持って来たかったのだが、これも捜索に時間がかかりそうである。しつこくなって申し訳ないが、「二つのアメリカ」の落とし穴と併せて、明日以後に持ち越させて頂きたい。

2007/04/23

ブーマー世代は何が違う?

ベビー・ブーマー世代は特別なのか。それとも、そうではないのか。興味深い記事を2つとりあげたい。

最初の記事はブーマー世代の「特別さ」を取り上げている。それも良くない文脈で。

話題は健康である。

Washington Post紙は、ブーマー世代について、「親の世代よりも不健康な状況で退職年齢を迎える初めての世代」になりかねないと指摘している(Stein, Rob, “Baby Boomers Appear to Be Less Healthy Than Parents”, Washington Post, April 20, 2007)。階段の上り下りといった日常の行動に難しさを訴えたり、高血圧や糖尿病といった生活習慣病に苦しんでいたりする傾向が強いというのがその理由である。加えて、こうした問題の根元には、肥満があるとも指摘されている。

「不健康なブーマー世代」というのは、米国の一般的な感覚からは意外な事実であるらしい。ブーマー世代は学歴も高く、ジム通いをするなど、健康増進にも自覚的だという印象があるからだ。ブーマー世代の健康に関する意識をフォローしてきたHealth and Retirement Studyという調査に携わってきた研究者は、ブーマー世代がこれに先立つ世代よりも健康上の問題を訴える割合が大きいことに、ショックを受けたという。

Washington Post紙は、ブーマー世代と前の世代との大きな違いとして、ストレスの大きさを挙げる。ハードワークと雇用の不安定さ、そして、社会的な孤立。核家族化が進む中で、大家族によるサポートも少なくなった。

ブーマー世代の不健康さは、本人達にとって不幸であるというだけの問題ではない。介護が必要な老人が増えれば、国が費やさなければならない医療費が膨らむ。ブーマー世代は退職年齢にさしかかり始めたばかりであり、そのインパクトが本格的に顕在化するのはこれからである。

次の記事は、ブーマー世代は「前の世代とは変わらない」と指摘する。ただし、今度は良い方向での評価である。

今度は「住むところ」についての話である。

日本でもそうだが、子供が独立した後の親の世代は、郊外の大きな家を売り払って、都心に回帰するのではないかという見方がある。実際に米国では、都心にブーマー世代を狙った高級マンションを開発するケースが目立つ。

しかし、New America FoundationのJoel Kotkinは、実際には、ブーマー世代は郊外に住み続ける傾向があるようだと指摘する。例えば、50歳以上の郊外居住者が引っ越しをした場合、その8割は同じような郊外への引っ越しであり、都心に移った割合は1割程度だという(Kotkin, Joel, “Suburban Idyll”, Wall Street Journal, April 19, 2007)。

背景には様々な理由が考えられる。退職後も在宅で働こうとした場合、都心の狭い住居では都合が悪い。また、長年郊外で暮らしていると、いまさら都会の喧噪には耐えられない。

Kotkinが注目するのは、ブーマー世代に家族や社会とのつながりを求める機運がある点だ。だからこそブーマー世代は、住み慣れた郊外を離れたがらないというのが、彼の見立てである。

一般的にブーマー世代は、「自分中心(me-first)な世代」といわれてきた。しかし、ブーマー世代には子供の近くに住み続けたいという思いがあり、「子供が戻ってきたら暖かく迎えたい」とする割合も高いという。Kotkinは、ブーマー世代が家族や社会の絆を支える役割を果たせれば、それこそが次世代への大きな贈り物になるという。

なるほど、いろいろな見方があるものだ。「自分中心」で「健康オタク」だというブーマー世代のイメージは、必ずしも正しくない。CSN&YのTeach Your Childrenじゃないが、突き詰めていえば、「みんな年をとってきた」ということなのかもしれない。

…おや、誰ですか。「子供が戻ってきたら」なんて望むこと自体が「自分中心だ」なんていうのは…

2007/04/22

トンプソンズ Returns

前回のトンプソンズはトミー中心だったので、今回はフレッドの主役で。

自信がなくなると、迷いも生じやすくなる。今の共和党の心境だろうか。

08年の候補者争いに関して、共和党支持者の間で、フレッド・トンプソン元上院議員への期待感が高まっているようだ。元上院議員はまだ出馬を表明したわけではない。しかし最近の世論調査では、そこそこの数字を残している。例えば、4月13~15日にUSA TodayとGallupが実施した世論調査では、ジュリアーニ(35%)、マケイン(22%)に続く、堂々の第3位(10%)の支持を集めた。

共和党議員の関心も高い。4月18日に行われた下院議員との会合には、主催者発表で50~60人(メディア発表は35人)が参加している(Milbank, Dana, "Conservative Republicans Starving for a Thompson Run", Washington Post, April 19, 2007)。

しかし、なぜトンプソンなのか。

たしかに、共和党支持者は、現在のフィールドに今ひとつ満足できていない。ABC NewsとWashington Postが4月12~15日に実施した世論調査では、現在の候補者達で満足しているという回答は65%となり、2月の調査結果(73%)から低下している。対照的に、民主党支持者の場合は80%が満足している。もっとも、民主党支持者の満足度も2月(86%)からは低下しているのだが、それはそれとして。

それにしても、上院議員時代のトンプソンには、それほど目立った実績がある訳ではない。保守的な投票記録は残っているようだが、それも議論をリードしていたというよりは、ついていった方だったようだ。むしろ、「怠惰な政治家」「情熱にかける」などという評価があるのが現実だ(Cottle, Michelle, "Lazy Boy", The New Republic, April 13, 2007)。

もちろん何もしていなかった訳ではない。自分のような「その筋(?)」の研究者からすれば、トンプソンは行政改革に熱心に取組んだ議員として印象深い。しかし「その筋」の人は少ないし、選挙の争点としては、行政改革は余りにセクシーさに欠ける。

一方で、数少ない目立った活動といえば、マケインと一緒に選挙資金規制の改正を支持したこと。保守派が好むポジションではない。実際に、トンプソンとの会合に出席した下院議員達からも、彼の政策スタンスを讃える声はほとんど聞かれなかったようだ。それでも、下院議員達は、トンプソンへの期待感を隠さない(Milbank, ibid)。曰く「滑らかな語り口が良い」「大統領らしい風格がある」…

トンプソンは人気のあるテレビ・ドラマLaw & Orderに、検事役でレギュラー出演している。

やはり、大統領は「見た目」なんですかね…

2007/04/21

それがオバマの生きる道

オバマの演説の魅力は、個別の出来事が結び付けられて、大きな絵柄でのストーリーが展開されていく点にある。「木を集めて森を語る力」とでもいえば良いだろうか。最近の2つの事件への対応は、その「型」が見事に現れている。

第一は、バージニア工科大学の銃撃事件への反応である。オバマは、銃撃事件を非難するだけでなく、広い意味での「暴力」の問題を提起する。それは真面目に働いて来たのに、突然中国に雇用を奪われてしまう労働者への「暴力」であり、無視されたコミュニティーの聞かれることのない子ども達への「暴力」である。そして、最近話題になった、ショック・ジョックのドン・アイマスによる黒人に対する侮蔑的な発言も、言葉による「暴力」だ。

第二は、そのアイマス発言への反応である。オバマは、もちろんアイマスの発言を批判する。しかしオバマは、ラップなどを通じて、アイマスが使ったような言葉に触れる機会が多くなっているという事実も無視すべきではないとも主張する。

銃撃事件とオフショアリング、白人DJの侮蔑発言とラップ。こうした結び付け方こそが、オバマの「型」である。大半の候補者は、個別の対策に降りていく。銃撃事件であれば、銃規制の話に行くのが普通だろう。しかしオバマは、関係のなさそうな事柄(オフショアリング)との結び付きを足掛かりに、どんどん上に上っていくのである。

こうしたオバマの「型」は、二つの点で今の米国民には魅力的だろう。第一に、米国民は「結び付き」や「大きな絵柄」に飢えている。クリントン政権以来、米国では党派対立の潮流が強まる一方だった。第二に、米国民も夢がみたい。個別の議論に降りていけば、意見の対立や対策の有効性など、現実的な問題が露になってくる。袋小路に入った感のあるイラク戦争が典型だ。その一方で、JFKが証明したように、大きな絵柄での問題提起には、かえって国民を奮い立たせる効果がある。

もちろんオバマの「型」にも脆弱性はある。第一は、いうまでもなく政策論の欠如である。実際に、「オバマは政策論に欠ける軽量級」という指摘は少なくない。第二は、「結び付け方」への批判である。殺人とオフショアリングを結び付けたことには、余りに突飛だという批判がある(Baehr, Richard, "Obama Not Ready for Prime Time?", Real Clear Politics, April 18, 2007)。余計な議論を招く可能性もある。ラップ批判には、ラップ業界の大物、Def Jam Records共同創始者のRussel Simmonsが噛みついた。ラッパー自身が侮蔑的な言葉に囲まれて育って来たのであり、そうした黒人社会の痛みにこそ注目すべきだというのだ(Tapper, Jake and Jerry Tully, "Rap Mogul Takes On Obama", ABC News, April 16, 2007)。

オバマの選挙戦略の柱は、新世代のリーダーであることを強調する点にある。オバマの「型」は、こうした戦略と綺麗にマッチする。

オバマは「新しさ」でどこまで押し切れるのか。それとも、陣営は第二弾の戦略を考えているのか。選挙戦はまだまだ序盤戦である。

2007/04/20

確定申告:「見えない優遇税制」の政策価値?

多くの米国人にとって、今年はラッキーな年である。2日得をしたからだ。

確定申告の話である。

米国では基本的にすべての人が所得税の確定申告を行う。今年はその期限が4月17日だった。通常であれば4月15日だが、今年は15日が日曜日。さらに16日がワシントンDCの休日(The Emancipation Day:リンカーンがDCの奴隷解放に関する法律に署名した日を記念した休日)だったので、期限が2日延びたというわけだ。

米国人にとって確定申告は頭痛の種。フォームの記入や無数にある所得控除などの深い森を、独力で切り抜けていくのは不可能に近い。実際に、納税者の60%が、150~200ドルの手数料を払って、代行業者を使っているという(Kiviat, Barbara, "Tax Time: Still Not Do-It-Yourself", The Time, April 16, 2007)。

問題は単に「確定申告は面倒くさい」「膨大な時間が無駄に費やされている」といったレベルの話ではない。

政策の有効性にかかわる話である。

日本でもそうだが、米国には無数の優遇税制がある。それぞれの税制には、それぞれの目的がある。代表的な考え方は、納税者がある行動をとるように、税制上のインセンティブで誘導するというものであろう。

しかし、肝心の納税者がその優遇税制の存在を知らなかったらどうだろう。

自分で納税書類を埋めるのは、税の仕組みを知る近道である。自分も米国にいたときには代行業者を使っていたので、フォームを自分で埋める必要はなかったが、興味半分で実際のフォームを調べてみたことがある。その時初めて、悪名高きAMT(ミニマム代替税)の仕組みが理解できた。日本でもここ数年必要があって確定申告をしているが、それまでは「定率減税」の意味が分かっていなかったことに気づかされた。

代行業者を介してしまえば、納税者が優遇税制の真意を知る機会は少なくなる。そうなると、政策当事者の狙い通りに、納税者がインセンティブを感じているとは限らなくなってくる。

さらに話をややこしくするのが、納税支援ソフトウェアの存在だ。TurboTaxなどのソフトウェアは、納税者が自分で納税書類を作成する手助けになる。しかし、これが優遇税制の意味合いを納税者に理解させるかといえば、必ずしもそうとは限らない。むしろ、数字を入れればソフトが計算してくれるとなれば、優遇税制は一層みえにくくなってしまう可能性がある。

またしても私事で恐縮だが、日本で確定申告をした経験では、まず自分で計算して、さらに税務署の税務相談に出向いた上で書類を提出した時と、自宅のPCで税務署のHPを使って計算してもらった時では、前者の方が数倍「税の仕組み」がわかった気がしたものだ。

実は米国では、今年の納税シーズンには、面白い「事件」があった。今年版のTurboTaxに、ある優遇税制が組み込まれていなかったことが明らかになったのだ。AMTの計算上で州税の控除をどう使うかによって州所得税額が変わってくるという、説明するのも鬱陶しいような優遇税制である(Levin, Mark H., "American Jobs Creation Act of 2004 and State Income Taxes", The CPA Journal, March 2005)。問題の優遇税制を議会がぎりぎりになって延長したため、ソフトの準備作業が間に合わなかったのが理由だという(Day, Kathleen , "Missing TurboTax Tip Could Help AMT Filers", Washington Post, April 15, 2007)。いうなれば、ソフトを使わなければわからない優遇税制を、ソフトが見落としてしまったというわけである。

それでも米国人の税に対する知識は、日本に比べれば数段上ではあるだろう。読める方は、是非New York Timesのこのblog(Warner, Judith, "One April Day", New York Times, April 12, 2007)の読者投稿欄を覗いていただきたい。みなさん本当に熱が入っている。「それは税率ではなくて実効税率じゃない?」なんて、素人(失礼)の会話とは思えませんよね…

2007/04/19

ハミルトン・プロジェクトとEPI:民主党の経済政策に問われる「優先順位」

誰が勝つにせよ、ブッシュ政権との決別という意味で、08年の大統領選挙が米国の政策的な転換点になるのは間違いない。同時に、この選挙を契機に分岐点を迎えようとしているのが、民主党の経済政策である。ヒラリーの通商政策に関する「揺らぎ」に象徴されるように、クリントン政権の路線を継承すべきか否かという論争があるからだ。

両陣営共に、理論武装は進めている。クリントン系が拠点とするのは、ブルッキングス研究所に所属するハミルトン・プロジェクト。ルービン元財務長官が後ろ盾となったこのプロジェクトには、サマーズ元財務長官やアルトマン元財務次官など、クリントン政権の中枢が関わっている。

他方で、反クリントン派の拠点になっているのが経済政策研究所(Economic Policy Institute)。労働組合に近いこのシンクタンクには、Agenda for Shared Prosperityというプロジェクトがある。米議会の公聴会や、ワシントンのシンクタンクで開催されるシンポジウムでは、双方の研究者が火花を散らすことも少なくない。

両者の違いはどこにあるのか。詰まるところ、それは優先順位の違いだ。

一義的には、クリントン派は市場メカニズムやグローバリゼーションのメリットを重視し、反クリントン派は、「負の側面」の重さを強調するという違いがある。但しクリントン派も、「負の側面」を軽視している訳ではない。むしろ、市場原理やグローバリゼーションへの政治的な支持を維持するには、「負の側面」への対策が不可欠だというのが、クリントン派の問題意識である。だからこそハミルトン・プロジェクトでは、失業保険の拡充や教育改革などの提言を行なっている。

では何が違うのか。クリントン派が否定するのは、「負の側面」を理由に、市場原理やグローバリゼーションから、一時的にせよ背を向けることである。あくまでも均衡財政が目標であり、自由貿易協定は推進されるべきなのだ。

そして、この「一時的な離脱」こそが、反クリントン派の求める方向性である。

実は失業保険や教育の問題等では、両陣営の間にそれほど大きな見解の違いはない。また、反クリントン派にしても、市場原理やグローバリゼーションの経済的な利益は否定しない。但し反クリントン派は、今は一次的にこれらに背を向けて、「負の側面」への対策を講ずるべきだと主張する。

なぜならば、「負の側面」への対応は、これまで常に後回しにされてきたという認識があるからだ。財政でいえば、ブッシュ政権の金持ち優遇減税で膨らんだ赤字を、民主党が後始末するのはおかしい。むしろ、医療保険の拡充などに積極的に動くべきだ。通商については、全ての通商交渉を一旦停止して、既存の協定を見直す必要がある。

ポイントは両陣営の「対立」が、大統領選挙(予備選挙)の文脈で、どのように語られるかである。「犬猿の仲」のように見える両陣営も、実際の関係はもっと微妙だ。少なくとも「負の側面」に関する対策については、両者が合意できる余地は十分にある。

一方で、選挙の舞台では、白黒をハッキリさせる議論が好まれる。また、両者に合意できる部分があるといっても、それが選挙戦略として有効かどうかは別問題だ。そもそも市場経済やグローバリゼーションのメリットにはニュアンスがあり、選挙で売り込むのはなかなか難しい。

民主党の経済政策が、「負の側面」への目配りを強めていくのは間違いない。但し、バランスの崩れた対応や、到底かなえられない約束に傾いてしまうと、必ずバック・ラッシュがある。このことは、イラク戦争の例を引くまでもないだろう。思えば、共和党はイラク戦争で「国防」という強みを失った。民主党は「経済政策」という強みを維持できるのか。

たかが優先順位、されど優先順位である。

2007/04/18

バージニア工科大学と「大草原の小さな家」

痛ましい事件である。

銃社会の病理であるとか、NRAの影響力だとか、いろいろな議論はあるだろう。容疑者がアジア系留学生だというのも、その絵柄に居心地の悪さを加えている。

痛感するのは、米国という国の、その生い立ちからくる宿命的な危うさだ。「公権力」に頼らずに生きていく。そんな米国の成り立ち方と、米国人の銃へのこだわりには、独特のつながりがある。

なぜ銃の保持にこだわる人が多いのか。一つの理由は、それが自立のシンボルだからである。自分を守るというだけではない。食料を調達する道具としても、銃はシンボルとして位置付けられている。そこには、いわゆる「リバタリアン」とも相通ずる考え方がある。

「大草原の小さな家」という物語がある。あの世界こそが、銃の保有にこだわる人達の理想像だといったら、どう思われるだろうか。オクラホマ・シティの連邦ビル爆破事件の犯人を追った、American Terroristという本などにもにじみ出ているこうした心情は、外の国からはなんとも掴みきれない。

もちろん、「大草原の小さな家」にあったように、自立はそれを支えるコミュニティーと表裏一体である。また、一旦公権力を否定するところから、真に必要とされる国家の役割があぶり出される側面があるのも事実だろう。

今回の事件を正当化できる要素は全くない。しかし、米国で銃にまつわる事件が起きる度に、こうした「個人」と「国」の関係を考えさせられてしまう。

さて、やや情緒に流れてしまった嫌いがあるので、不謹慎を承知で、敢えてColdに政治的な注目点を。

3点指摘できる。

第一はブッシュ大統領の支持率。一般的には、国が悲劇に直面した時には、米国は大統領の下にまとまる傾向にある。9‐11然り、オクラホマ・シティの爆破事件然りである。

しかしブッシュの場合、状況はやや難しい。イラク等で統治能力が問われている上に、銃規制へのスタンスもある。何より、「国内でも安全が守れない」というストーリーは有り難くない局面だろう。

第二は、大統領候補のスタンスである。共和党でいえば、安全の問題の浮上は、ジュリアーニにプラスのように思える。一方で、共和党のトップランナーは、いずれも社会政策で中道寄りな傾向があるために、保守派にすり寄っていたところでもある。

民主党の候補の場合も、一見すると銃規制の観点で攻勢に出られそうだが、南部や西部の保守的な無党派層を視野に入れている候補は、意外に立ち回りが難しい。

第三は、現在まさに論点になっていた、移民法に関する議論への波及である。ブッシュ政権は、共和党の保守派を睨み、移民にやや厳しい方向にスタンスを移そうとしていた。今回の事件は、どのような文脈でこうした議論に関わって来るだろうか。

銃もそうだが、移民・人種の問題も、その根は深い。イラクの泥沼化が続く中で、また一つ米国民が不安感を覚える要素が増えてしまったような気がする。

犠牲者の方々のご冥福と、地域の痛みが癒えることを祈りたい。

2007/04/17

another big thing : ベビー・ブーマー vs. 団塊の世代

グローバリゼーションが、政策面でのNext Big Thingであるとすれば、もう一つのBig Thingが高齢化である。このページは、少しずつ政策フィールドに議論を広げていこうと考えているので、当然この問題を避けては通れない。

今日はちょっとした前振りを。

米国では、Christopher BuckleyのBoomsdayという本がちょっとした話題になっている。ベビーブーマー世代の年金が自分の税金で支えられていることに憤った29歳のブロガーが、同世代に反乱を呼び掛ける近未来(?)フィクション。自殺を遺族への優遇税制で奨励すべきだという提案が出てきたり、フロリダのリタイアメント・コミュニティーでゴルフに興じているブーマーが数百人の暴徒に襲われたり。荒唐無稽な話ではある。

しかし、Washington PostのRobert J. Samuelsonは荒唐無稽な話から二つの教訓を読み取る(Samuelson, Robert J., "Boomer Boomerang", Washington Post, Aprl 11, 2007)。

第一に、世代的なバック・ラッシュは不可避である。Samuelsonにいわせれば、ブーマー世代への公的給付を、若年世代が税金で支え続けてくれると考えるのは非現実的だ。若年世代の負担は大きくなりすぎるし、多くのブーマー世代は、健康で経済的な余裕があり、約束されているだけの給付を受け取る資格がない。

第二に、にもかかわらず、ブーマー世代は、より一層の公的支援を求めるようになるだろう。ブーマー世代の政治的存在感は、どんどん大きくなる。前回の選挙では、投票者の半数が50歳以上で、四分の一がAARP(全米退職者協会)の会員だったという。

自らもブーマー世代であるSamuelsonは、ブーマー世代に厳しい。次世代の負担を考えずに、こうした制度を温存した罪はブーマー世代にあるというのだ。

「ブーマーは自惚れを美徳にした」というBoomsdayの主人公の台詞を引き合いにして、槍玉にあげられているのが、NewsweekのThe Boomer File。このシリーズでは、有名人のブーマーが取り上げられ、いかに時代を動かしたかが称えられているが、そのくせに、次世代に残した負担には何の気遣いもないと批判する。

良くいわれるように、米国の高齢化の度合いは、日本ほど急速ではない。しかし、「世代の対立」というストーリーで考えると、ベビーブーマー世代のボリュームは軽視できない。日本の団塊の世代は、1947~49年生まれを指すが、米国のブーマー世代は、1946~64年生まれと幅が広い。現在の人口に占める割合は3割弱というから、ざっくりいえば、800万人の団塊の世代に対して、ベビー・ブーマー世代は8500万人近いのである。

ベビーブーマー世代の先頭は、今年で61歳になる。その代表格がブッシュ大統領であり、クリントン前大統領だ。彼らには来年には公的年金の早期受給資格が発生し、2011年には高齢者向け医療保険(メディケア)の支給も始まる。これもベビー・ブーマー世代である米議会予算局(CBO)のホルツィーキン前局長が、講演で「早く自分を捕まえないと手遅れだ」と冗談交じりに言っていたが、米国が次第に難しい時間帯に入りつつあるのは確かである。

今回はほんのさわりだが、このページでは、今後も、グローバリゼーションの問題とベビー・ブーマー世代の高齢化という、二つのNext Big Thingsに焦点をあてていこうと思っている。これらは2008年の大統領選挙でも争点に成り得るし、日本にとってもNest Big Thingsかもしれないからだ。

2007/04/16

偏在するオフショアリングの脅威

米国で保護主義的な雰囲気の高まりを呼んでいる一つの理由として、オフショアリング(雇用の海外へのアウトソーシング)への警戒感が指摘される。そうであるならば、今後の保護主義の行方を考える際には、誰がオフショアリングの脅威を感じているかを見ていく必要がある。誰が問題意識を持つかによって、政治的な対応の経路やあり方が変わって来るからだ。

オフショアリングに関するデータは、必ずしも整備されているとは言い難いが、少なくとも3つの視点が指摘できるだろう。

第一は、企業(資本)と労働者の乖離である。かつての米国では、ある産業が政府に保護を求める際には、企業と労働者の利害は一致していた。しかし、トーマス・フリードマンがいうところの「グローバリゼーション3.0」の時代では、個人が国境を超えた競争の主役である。ITが発展したおかげで、企業は世界のどこからでも労働力を調達できるようになったからであり、それこそがオフショアリングの本質である。これを「一国の政策」という観点に引き直せば、企業と労働者の要望には違いが生まれ易くなるということになる。

第二に、地域的な違いである。オフショアリングの対象になる雇用が、全米に均等に散らばっているとは限らない。ブルッキングス研究所は、オフショアリングの対象になりやすい雇用はある程度集中していると指摘する。同研究所が調査対象とした246の大都市圏では、2004~15年の合計で雇用の2.2%がオフショアリングの対象になる可能性がある。ただし、このうち28の大都市圏では2.6~4.3%の雇用がオフショアリングの対象になると予想されるのに対し、158の大都市圏では対象になる可能性があるのは2%に満たない。地域で言えば、北東部と太平洋岸の大都市圏は影響を受けやすいが、中西部や南部の大都市圏はそれほどでもないという(Atkinson, Robert and Howard Wial, The Implications of Service Offshoring for Metropolitan Economies, Brookings Institution, February 2007)。

全米ではオフショアリングの影響は少ないにしても、特定の地域に被害が集中するのであれば、政治的な反響の出方は変わってくる。通商でもそうだが、グローバリゼーションが政治的に維持しにくいのは、メリットが広範囲に広がる一方で、デメリットが少数者に集中する点にある。

第三に、職種である。米国でオフショアリングが「脅威」と感じられる大きな理由は、これまで競争にさらされてこなかった職業が、海外との競争にさらされる可能性があるからである。対象が製造業からサービス業に移るというだけではない。製造業の「空洞化」の場合とは異なり、サービス業のオフショアリングでは、「ハイ・エンド/ロー・エンド」「高技術職/低技術職」という区分けでは、オフショアリングへの脆弱性は図れなさそうだ。

プリンストン大学のアラン・ブラインダー教授は、オフショアリングへの脆弱性を分けるラインは、そのサービスが「質の劣化を伴わずに、電子的に提供できるかどうか」だという。たしかに、脳外科医の手術はオフショアリングされないが、タイピストの仕事は危ない。しかし、ウェイターはオフショアリングできないけれど、証券アナリストの仕事はインドからでもできるのである。

ブラインダーは、オフショアリングされやすい職業をランク付けしている(Wesel, David and Bob Davis “Pain from Free Trade Spurs Second Thoughts”, Wall Street Journal, March 28, 2007)。最上位はコンピューター・プログラマー、第二位がデータ入力。そして第三位に会計士が入っている。さらに、映画・ビデオ編集者、数学者、医療筆記者、通訳・翻訳業と続く。

そして、その次にランクされているのが、「エコノミスト」だ。

なんと。

ブラインダーは、オフショアリングの問題を、「足下の影響は過大視され、将来的な対応の必要性は過少評価されている」問題だと指摘する。もしかすると、評論する方も浮き足立っているのかもしれない。

「日本語」という壁に守られているからか、日本ではそれほどオフショアリングへの警戒感はそれほどでもないように思われる。しかし米国では、グローバリゼーションへの対応はイラクに続くNext Big Thingだ。このページでも、論文等の紹介を含めて、しばらくはこの辺の議論に焦点をあてていきたいと思っている。

2007/04/15

格差社会の大統領候補

元祖「格差社会」といわれる米国だが、大統領候補はどうだろうか。各候補の資産公開は5月15日だが、3月末にワシントン・ポストが、独自の数字を発表している(Goldfarb, Zachary A., "Measuring Wealth of the '08 Candidates", Washington Post, March 24, 2007)。

ワシントン・ポスト紙の結論は、大筋では予想通りといえば予想通り。トップランナーといわれる候補者は、大勢が資産持ちだという(夫妻で合計した数字)。民主党ではヒラリーが1000~5000万ドル、エドワーズが1280万~6000万ドル。共和党では、マケインが2500万~3800万ドル。ロムニーとジュリアーニは不明だが、ロムニーの場合、20年間のファンド社長としての給与だけで少なくとも5億ドルは稼いでいるし、ジュリアーニも講演だけで年間800万ドルを稼ぎ出し、年間収入が5000万ドル近い投資会社を持っている。

経緯はさまざまだ。マケインの資産は資産家の夫人(父親がHensley & Coの創業者)経由。2004年のケリーと似ていなくもない。エドワーズとロムニーは政治化になる前のキャリアで資産を積み上げた。他方で、ヒラリーとジュリアーニは、政治家としての「経歴」を資産に転嫁させた方だ。クリントン夫妻は、ホワイトハウスを後にしたときには借金があったくらいだ。

また、目立つのは、「本・講演」による収入の多さである。ジュリアーニの講演については既に書いたが、クリントンも大統領を辞めてから講演で4000万ドルは稼いだという。ヒラリー、マケインも印税収入がある。例外的に資産が少ない(100~250万ドル)オバマも、印税収入でだいぶ資産が増えているはずだという。

資産額だけをみると、「格差社会」の問題点を代弁できるのはオバマだけ、という結論になってしまうが、「不正」でなければ資産家であることに寛容なのが米国。むしろ、自分と異なる境遇を理解できてこそ、多様性に富む国の大統領には相応しいのかもしれない。

面白いのは、オバマの「本」に関する契約。Audacity of Hopeは、Random Houseとの包括契約の一環で、このほかにノン・フィクションをもう1冊と、子供向けの本(!?)を1冊書くことになっているという。なんだか「アルバム何枚」で契約するミュージシャンみたいだ。こうなってくると、(ミュージシャンと同じように)「書かなきゃいけないから書く」という本もあるわけで、「このタイミングで出るからには何かある」と勘ぐるのもほどほどにした方が良いかもしれない。

ちなみにオバマへの前渡し金は190万ドル。ヒラリーの「Living History」が800万ドルだから、Random Houseとしては、なんとも美味しい契約である。

2007/04/14

ある上院議員の待たれる帰還

僅かな票差の多数党だからこそ、1議席といえどもおろそかにできない。民主党の本音だろう。

4月11日に、民主党のジョンソン上院議員のスタッフが、オフィスの改修作業を行なうと発表した(Kane, Paul, "Johnson Aides Remodeling Office for His Return", Washington Post, April11, 2007)。ジョンソン議員は、1月に脳内出血で倒れて以来、議会に顔を出していない。今回の改修では、同議員の復帰に備えて、車椅子が通り易いように通路を拡張したりするという。同議員の復帰を予想させるかのような情報である。

現実的な採択の局面では、ジョンソン議員が復帰したとしても、民主党指導部がどの程度楽になるかは微妙である。確かに党派の主張が分かれる投票では1票は重い。しかし、たとえ1票増えても、民主党はフィリバスターを止める60票には届かない。

また、ジョンソン議員は、それほど忠実な民主党議員という訳ではない。Party Unity Score(どれだけ党派の意見がわかれる投票で民主党議員と同じ行動を取ったかを示す指標)では、ジョンソン議員のスコア(83%)は、民主党議員のなかで9番目に低い。ジョンソン議員は、どちらかといえば中道で行動する。こうした議員の復帰は、キャスティング・ボートとしての中道派の存在感を高め、党派対立をブリッジする力学につながるかもしれない。

もっとも、明日にもジョンソン議員が復帰する目処がたったという訳ではない。同議員は、現在入院しながらリハビリを行なっており、先ずは外来でのリハビリに進むのが課題。オフィスの改修にも数ヶ月はかかるという。また、復帰できたとしても、どこまで能動的に動けるかは未知数だ。

それよりも、民主党にとっては、多数党を支える1票としてのジョンソン議員が大切である。民主党にとってジョンソン議員の1議席は貴重だ。49(+2)―49。これが上院の議席配分である。民主党は49の議席に、無所属の2議員(リーバーマン、サンダース)を加えて、ようやく過半数の51議席である。民主党が1議席でも失えば、上院の多数党は交代する。

だからこそ、選挙運動が出来ない同議員に代わって、同僚議員が選挙資金集めを進めている。上院議員の任期は6年だが、ジョンソン議員は来年が改選の年にあたる。

資金集めの先頭に立つのは、地理的にもサウス・ダコタ州選出のジョンソン議員に近い、モンタナ州選出のボーカス上院議員。その他にも、リード院内総務やシューマー選対委員長、ケネディ上院議員といった、錚々たるメンバーが協力している(Blue, Miranda, "Johnson's Political Future Stirs Speulation - and Fundraising", CQ Today, April 10, 2007)。

ジョンソン議員の前回の選挙は524票差の辛勝。民主党には、必死でジョンソン議員を支えなければならない理由がある。

2007/04/13

イラクとマケイン:Sunny Side To Every Situation?

ブロードウェイの大ヒット・ミュージカル42nd Streetに、Sunny Side To Every Situationという歌がある。

太陽は二度と輝かないかもしれないが、どこかでは晴れた空が広がっている。クルマがガス欠になったら、信号無視だってしないですむ。雨に降られたら、蛙だったらどんなに嬉しいか考えてみるといい。

マケインがブッシュ政権のイラク政策支持の姿勢を改めて強調することには、果たしてSunny Sideはあるのだろうか。マケインは政治的な打算はないというが、外野席からその損得勘定をするのも悪くないだろう。

四つの視点がある。

第一にマケインの先行きは、イラク戦争に左右される度合いが一層強まった。

ブッシュ政権による「増派」が効を奏せば、一貫してこれを支持してきたマケインの立場は劇的に強くなる。特に本選を視野に入れると、反戦の姿勢を競っている民主党候補者に対する優位さは明白である。

もちろん、イラクの泥沼化が続くようであれば、マケインの立場は苦しい。その場合マケインは、早くから増派を主張してきた立場を生かして、ブッシュの対応はtoo little, too lateだったと主張することになるのかもしれない。なにせマケインは、2003年の夏から像派の必要性を主張していたのである。

難しいのはタイミングだ。イラクの今後としては、劇的に好転も悪化もせずに、だらだらと時間だけが過ぎていくというケースが予想される。そのような状況になった場合、「信念の人」を謳うだけに、モードを変える理由をどこに見出すか。

もっとも、イラク状勢が悪くなってこそ、マケインの強さが光ってくるという主張もある。David Brooks(久々の登場ですね)は、やがて中東全体が荒れてくれば、「もっとも本質があり、成熟していて、一貫している候補者の魅力と必要性が高まるはずだ」と指摘している(Brooks, David, "The Fatalist", New York Times, April 12, 2007)。

第二は、共和党支持者との関係である。

有権者の全体感と比較すると、共和党支持者は、ブッシュのイラク政策を擁護する割合が高い。3月14~15日にPew Research Centerが行った世論調査によれば、共和党支持者の59%が、議員に2008年8月を撤退期限とする法案に反対票を投じて欲しいと答えている。無党派層(32%)、民主党支持者(16%)よりも高い数字である。イラクの現状についても、共和党支持者の67%が「上手く行っている」と答えいている。無党派層は36%、民主党支持者は24%だ。「トップランナー」の立場を失ったマケインにとっては、予備選を勝ち抜くのが当面の課題。その意味では、イラク支持は真っ当な選択ともいえる。

問題は、無党派層の回答に示唆されるように、本来マケインの強さだった筈の党派を超えた支持を得難くなること。本選対応では気になるところだ。

もしかすると、マケインの選択を有り難く思っているのは、共和党のライバル候補かもしれない。実は共和党の他の有力候補者も、ブッシュのイラク政策を支持している。共和党支持者との関係では、それ以外の選択は難しい。しかし、マケインが余りに目立っているので、一般的には、それほど強い印象は残っていない。メディアに叩かれるのも、もっぱらマケインだ。

第三はそのメディアとの関係である。

2000年の選挙でマケインは、主流派に対抗する手段として、メディアとの関係を重視した。イラク戦争は、こうした関係を変えるかもしれない。米国の大手メディアは、ブッシュのイラク政策に批判的である。これに対してマケインは、「現地の良いニュースを伝えていない」とメディア批判を繰り広げている。

メディアとの関係が冷却化することには、意外なプラス面があるかもしれない。共和党主流派との関係である。主流派にとって、マケインとメディアの親密さは、2000年の裏切りの象徴だからだ。

第四に、キャラクターの再評価である。

マケイン陣営にすれば、不人気な政策を支持し続けることで、「政治的な計算よりも信念を優先する」というイメージを強調したいところだ。しかし、頑固さが諸刃の剣なのは既に触れた通りである。

かつてマケインは、共和党の「圧倒的なトップランナー」といわれた。障害になるのは、高齢である点だけという見方があったほどだ。しかし、マケインにとって、ホワイトハウスに続く道のりは、当時とは比較にならないほど複雑になった。

果たしてマケインは、42nd Streetのように"tra la la la la la la la"なんて歌える気分でいるのだろうか。

ちなみに、遊説先のマケインの集会で流れていたのは、Tom Petty and the HeartbreakersのI won't Back Downだった。

あまり軽やかな気分とはいえなさそうである。

2007/04/12

ブッシュとマケインが重なるとき

マケインの行動が、日に日にブッシュに似て来たような気がする。

いや、もしかすると最初から二人は似た者同士だったのかもしれない。

マケインとブッシュがだぶって見える事例としては、3点が指摘できる。

第一に、イラク戦争への態度である。

マケインは4月11日の演説で、イラク戦争に勝つことの重要性を改めて強調した(Nagourney, Adam, "McCain Says Democrats Play ‘Small Politics’ Over Iraq", New York Times, April 12, 2007)

「9-11前のアフガニスタンのように、イラクがテロリストにとっての『西部の無法地帯』にならないようにすることは、米国にとって死活的に重要だ。安定したイラクの統治体制が整わないうちに去れば、われわれはまさにそのリスクを犯してしまう。イラクがテロリストの聖地になってしまえば、9-11の再現やそれよりも悪い事態につながりかねない」。「(テロリストにとって)われわれ米国人こそが敵であり、最終的な標的なのだ」。「(撤退期限を決めた補正予算を採択した民主党は)いったい何を喜んでいるのか。敗北か?降伏か?イラクで喜んでいるのはわれわれの敵だけだ」。

これらの発言がブッシュによるものだったとしても、違和感は全くない。

第二は、弱みを局面打開のきっかけにしようとする戦略である。

ブッシュの不人気なイラク政策への支持は、マケインの選挙運動が不調である大きな理由だとみなされている。それでもマケインは、あえて弱そうな手札への掛け金を積み増すような行為に出た(Shear, Michael D., "McCain to Stake Bid On Need to Win in Iraq", Washington Post, April 7, 2007)。その上で、イラク戦争批判を強みにしているはずの民主党を、「彼らこそが戦争を失敗に導く現況だ」と痛烈に批判してもいる。

弱みを強みにすりかえる。これこそ「ブッシュ流(カール・ローブ流)」である。

第三に、「政治的な風向きを気にせずに、信念に基づいて行動する」という主張である。

11日の演説でマケインは、ブッシュのイラク政策を支持するのは、政治的な計算とは無縁の決断だと強調している。そしてマケインは、「(イラク問題を)民主党は政治的なチャンスだと考え、共和党は政治的な重荷だと受け止めている」と揶揄する。

「世論調査など気にもかけない」という、ブッシュ大統領の得意のポーズを思い出してしまう。

2000年の選挙でマケインは、主流派のブッシュに歯向かい、完全につぶされた。今回の選挙では、マケインは主流派としての戦いを選んだ。だからこそ、仇敵ブッシュのイラク政策も支持出来た。

マケインの選択は裏目に出ているように見える。主流派に近寄ったために、「誇り高き反逆者」というイメージには傷がついた。無党派層に対する魅力が低下しただけで、主流派は未だに2000年の裏切りを許していない。そして、ブッシュのイラク政策の不人気さは、マケインをも底なし沼にひきずりこんでいくように見える。

それでも当初の方針を貫こうとする頑固さ。そこにもまた、マケインとブッシュの類似点が浮かび上がる。

頑固さと断固としたリーダーシップは紙一重。問題は時代が求めるリーダーシップ像である。

マケインは、上院の「一匹狼」として知られてきた。頑固さは今に始まったことではない。そして、その自分の貫き方に評価を下すことこそが、有権者が向き合わなければならない課題である。

2007/04/11

イラク補正予算と「ブッシュ流」

ブッシュ大統領のイラク戦費に対する姿勢は、典型的な「ブッシュ流」である。当面の補正予算のステージでは、ブッシュは民主党議会に「勝てる」かもしれないが、共和党は大きな賭けに引きずり込まれようとしている。

4月10日にブッシュ大統領は、補正予算の取り扱いについて、民主党議会に「会合」を呼びかけた。

間違ってはいけない。ブッシュが妥協に動いたわけではない。報道官が認めるように、大統領が呼びかけたのは「交渉」ではない。あくまでも「会合」である(Murray, Brendan and Nicholas Johnston, "Bush Will Seek Meeting With Democrats on War Funds", Bloomberg, April 10, 2007)。それも、「条件なしの補正予算を議論する」という条件がついた会合だ。

大統領はこう述べる。「議会のリーダーは、この会合で補正予算の進捗状況を報告できる。われわれは条件なしの補正予算をどう進めるかについて議論できる」。同時に大統領は、補正予算に撤退期限などの条件をつけようとする民主党議会を、「無責任だ」と厳しく批判した(Branigin, William, "Bush to Discuss War Funding with Congressional Leaders", Washington Post, April 10, 2007)。

こうした手法は、ブッシュ政権の得意とするところである。強い態度で前提条件を設定しておきながら、相手に「会合」を呼びかける。そうすることで、「柔軟なのは自分、妥協を拒むのは相手」というストーリーを作り上げるのだ。公的年金改革で、「個人勘定の導入」を議論の前提としたのが好例である。財政赤字に関する議論でも、常に大前提は「ブッシュ減税の恒久化」である。

Washington PostのDan Froomkinは、補正予算に関するこれまでのストーリーの組み立て方自体が、極めてブッシュ流(カール・ローブ流)だと解説している(Froomkin, Dan, "Blame It on the Democrats", Washington Post, April 4, 2007)。それは、「自分の弱みを、相手の強みとすりかえる」という戦法である。Froomkinによれば、その好例は2004年の大統領選挙における、ベトナム戦争への従軍問題だ。よく知られているように、ブッシュはベトナム戦争に従軍していない。しかしブッシュの支持者は、ベトナムの英雄であるケリーの従軍歴を問題にして、逆にケリーのイメージを失墜させた。

補正予算にも似たような構図がある。ブッシュ政権にとってイラク戦争は弱みのはずだ。現地の状況は芳しくなく、米軍の犠牲が収まらないなかで、世論も政権に批判的だ。しかし政権のストーリーは違う。政権にいわせれば、米軍を危険にさらしているのは、補正予算に難癖をつけている民主党である。民主党が補正予算を認めなければ、交代要員が送れないので、国民が望む兵士の帰還も遅れる。政権の論法では、世論に逆らっているのは民主党なのである。

どうもブッシュ政権には、「行過ぎたレイム・ダック化」ともいうべき現在の苦境を打開するには、その根源であるイラク戦争をきっかけにするしかないというマインドがあるように思われる。そう考えさせられるほど、ブッシュ大統領の対決姿勢は際立っている。メディアには「ブッシュは(民主党との)戦いを望んでいるようだ(Stolberg, Sheryl Gay and Carl Hulse, "Bush Rules Out Bid By Congress For Iraq Pullout", New York Times, March 29, 2007)」「(議会への接し方は)いうことを聞かない幼稚園児をしつけようとする先生のようだ(Brownstein, Ronald, "Bush and Democrats: Enemies who need each other", Los Angels Times, March 28, 2007)」などと評されるほどである。

政権が強気である背景には、いずれ民主党は補正予算の「チキンゲーム」から降りざるを得なくなるという計算もあるだろう。上院の議席数を考えれば、民主党は「拘束力のある撤退期限」を含む法案は通せないだろう。さらにいえば、民主党が降りるとなれば、民主党内ではペロシ下院議長と反戦派の不協和音が強まる。政権とすれば、「ここは攻め時」という判断があってもおかしくはない。

もっともブッシュ政権は、強気の姿勢を突然豹変させて、一気に妥協に落とし込むという業をつかうこともあった。時限減税+段階的導入を受け入れたブッシュ減税の最終局面や、民主党の提案を自分の案のように宣伝した国土安全保障省の創設がそうだった。

一方で、ブッシュ政権が「強気」で勝利を納めれば、それだけ共和党が抱えるリスクは大きくなる。イラク戦争=ブッシュ・共和党の戦争という構図が鮮明になるからだ。とはいえ、ブッシュ大統領はもう選挙に臨むことはない。有権者の審判を受けるのは、政権のスタンスを支持する共和党議員であり、大統領選挙の候補者である。

ちょうど大統領選挙では、イラク戦争でブッシュ支持を明確にしているマケイン候補の不調が注目されている。一時は「圧倒的な有力候補」といわれたマケインも、支持率ではジュリアーニに追いていかれ、献金額ではロムニーにすら遅れをとった。

そのマケインは、今日(11日)予定されている講演で、「イラク戦争に勝つこと」の重要性を改めて訴える。イラク戦争との一蓮托生を選んだマケインの行方を、共和党議員はどのような心持で見守っているのだろうか。

2007/04/10

民主党議会:一学期の通知表

米国では、今日から上院の審議が再開される。下院の休会はもう一週間続くが、この辺りで民主党議会の最初の3ヶ月を振り返っておいても良いだろう。

ここまでの民主党議会を総括すると、「課題だった『まとまり』は十分に維持出来たが、それだけではたどり着けない力の限界も明らかになった」というところだろう。

まず「まとまり」である。伝統的に民主党は、党内に多様な意見があり、団結して動くのが苦手だった。議会運営にしても、指導部の権力が強かった共和党と比べて、民主党は各委員会の委員長が独自の動きに走りやすいのではないかともいわれていた。加えて、民主党が上下両院で多数党になったのは12年振りのこと。多様な支持母体の多様なペント・アップ・デマンドもある。

しかしながら、ここまでの民主党の団結振りは大したものである。議会専門誌のCQ誌がまとめたParty Unity Score(両党の過半数がまとまって違う投票を行なった「対決的な採決」で、自分の政党のポジションと同じ投票を行なった割合)をみると、ここまでの下院民主党議員の平均スコアは98%、上院民主党が95%と極めて高い(Giroux, Greg, "CQ Vote Study Shows Democrats Are Organized Majority So Far", CQ Politics.com, April 2, 2007. "Senate Democrats’ Unity Slightly Less Than House, Higher Than GOP’s", CQ Politics.com, April 3, 2007)。過去と比較しても、ここまでの民主党のまとまり振りは際立っている。同じ数字を遡ると、2005年までのブッシュ政権下の民主党は上下両院ともに86%、クリントン政権時代で下院82%・上院85%である(CQ Weekly誌、2007年1月1日)。

特筆すべきは、イラク問題での左派・反戦派の造反が最低限に止まったことだ。下院民主党が補正予算の採択に成功したのは、反戦派がグループとして反対票を投じる動きにでなかったからだ。実際に、Out of Iraq Caucusに属する73人の下院民主党議員のうち、反対票は7票だけだった(Kane, Paul, "The Iraq supplemental vote: Breakdown of Democratic votes", Washington Post, March 23, 2007)。

反戦派にとって今回の補正予算は、即時撤退にはほど遠いという点で、必ずしも満足できる内容ではなかった。しかし反戦派は、補正予算の否決でペロシを傷付ければ、得をするのはブッシュだと判断した。補正予算に反対票を投じるのは、「ラルフ・ネーダーを支持するようなもの」というわけだ(Toner, Robin, "Democrats Unite Around an Iraq Plan of Their Own", New York Times, March 23, 2007)。

中道派も良くまとまった。下院を例に取れば、Blue Dog Coalitionの43人は、99%の割合で民主党多数派と同じ投票行動を取った("Blue Dogs Sticking With the Party", Washington Post, April 9, 2007)。補正予算でも、中道派からの造反は7票だけである(Kane, ibid)。

同時に、限界も明らかになってきた。法律として成立させられた成果が少ないのだ。例えば、下院民主党は、昨年の中間選挙で、議会開会から100時間以内に6つの優先課題を立法化すると公約していた。確かに下院は全ての法案を採択したが、開会100日を過ぎても、上院の審議を終えて大統領の署名に回された法案は一つもない。イラク戦争にしても、ブッシュ政権の政策を変えられた訳ではない。「民主党は中間選挙でSix for '06といっていたが、実際にはZero for '07だ」と共和党のロット上院議員に揶揄されるのも無理はない(Ota, Alan K., "Unfinished Business Marks First 100 Days", CQ Today, April 6, 2007)。

現実は厳しい。特に上院においては、民主党の議席数だけでは、共和党のフィリバスターに抵抗できない。いくらまとまっても、法律は作れないのである。必然的に民主党は、共和党からの離脱者を誘わなければならないわけだが、そうなれば今度は党内左派が離反しかねない。

民主党にとって、当面の関門はやはりイラク戦費の議論である。ブッシュ側に折れる気配が感じられないなかで、民主党はどのような出口戦略を描くのか。鍵を握るのは、自らも反戦派であるペロシ議長が、「まとまり」というこれまでの成果をある程度犠牲にする覚悟で、共和党が飲める道筋を切り開けるかどうかである。

2007/04/09

選挙に勝つには「見た目」が何割?

これだけ情報が氾濫しているなかで、ブログにまで情報源を広げていたらキリがないが、たまたま面白い記事に出くわしてしまったので。

Huffington Postは、有名なリベラル・民主党系サイト。そこに掲載されたのが、「最後は政策の勝負」なんて考えていると、民主党は足をすくわれるという警告である(Neffinger, John, "Democrats vs. Science: Why We're So Damn Good at Losing Elections", The Huffington Post, April 2, 2007)。

ニュー・ディール以来の自負があるのか、民主党系の識者は、共和党を政策面では軽量級だと見下しがちである。共和党と違い、民主党はイデオロギーにしばられず、科学的根拠に基づいた豊富なアイディアを提案しているというわけだ。

しかしNeffingerは、浮動票に投票してもらうには、政策ではなく優れたコミュニケーターであるかどうかが鍵になると指摘する。しかも、その根拠は科学的な調査に裏付けられており、その現実から目を逸すのは、「地球は平らだと言い張るようなもの」だというのだから、「科学的根拠の重視」を謳うリベラル派とすれば聞き捨てならない。

取り上げられているのは、3つの調査結果である。まず、National Election Studyのデータによれば、有権者の投票行動は、候補者の政策に対する意見よりも個々の候補者に対する感じ方との連動性が高い。また、Princeton大学の調査では、有権者は全く知らない候補者2人の写真をみせられただけで、70%の割合で勝者を言い当てる。さらに、ハーバードの研究者による調査では、候補者の演説に関する無声のビデオをみせられた場合でも、何の情報もない場合と比較すると、聴衆が勝者を予測できる割合はかなり高まったという。

Naffingerは、こうした結果を理由にこう解釈する。有権者は政策よりも「感じ方」で投票先を決める。その「感じ方」は、態度や仕草、表情といった「見た目」で決まる。

さらにNaffingerは、民主党の問題点を2点指摘する。第一に、民主党は政策が大事であることを知っているだけに、有権者がそう思っていないとはにわかには信じられない。だからコミュニケーションへの力の入れ方で共和党に遅れをとる。第二に、民主党は「有権者が政策よりも『見た目』を重視するなんて不条理だ」と考えがちだが、それこそが不条理である。政策の違いは、丁寧に選挙戦を追わなければわからない。そもそも浮動票というのは、特定のスタンスに思い入れがないわけだから、そこまで政策には詳しくなれない。そうであれば、自分が判断できる材料=見た目で投票先を決めるのは、極めて自然な行動である。

こうした議論自体は、自分に引き寄せて考えて見ても、それほど違和感のある内容ではない。そもそも、テレビ映りの重要性を知らしめたのは、民主党(ケネディ)だった。

むしろ感じるのは、民主党の焦りである。ローブ恐怖症といっても良いかもしれない。

民主党には、政策では勝っている筈なのに、なぜ共和党に負け続けてきたのだろうという思いがあるのではないだろうか。だいたい、昨年の中間選挙にしても、民主党は政策で勝ったとは思っていないだろう。

政策に頼るのはナイーブに過ぎる。共和党のように冷徹に政治ゲームを繰り広げなければ、選挙には勝てない。民主党のローブはどこにいるのか。そんな焦りを感じてしまう。

もちろん、「政策オタク(Policy Wonk)か政治屋(Political Hack)か」というのは、ワシントンでは伝統的な論争ではある。しかし、ブッシュ政権の政治偏重の罪が問われているこのタイミングだ。

つくづく、一度始まったゲームはなかなか終わらないものである。

2007/04/08

トンプソンズ

仕事でもそうだが、自分はタイトルが上手くはまらないと満足の行く文章が書けない。それどころか、内容よりも先にタイトルを思いついてしまって、無理やり文章を書いてしまうときすらある。

悪い癖である。

フレッド・トンプソン元上院議員の出馬が噂される中で、ブッシュ政権で厚生長官を務めたトミー・トンプソンが共和党の予備選挙への参戦を表明した。

もっとも、米国でのトンプソンは、元厚生長官というよりも、元ウィスコンシン州知事として知られているかもしれない。90年代の米国で、トンプソンは改革派知事の代表格といわれていた。福祉政策や教育分野での先進的な取り組みは有名で、Power to the People: An American State at Work なんていう、いかにもそれっぽいタイトルの本も書いている。

米国では、州知事は大統領の登竜門。実務能力と指導力が期待できる上に、アウトサイダーとしての魅力も強みになる。最近の大統領をみても、カーター(ジョージア)、レーガン(カリフォルニア)、一人飛ばして、クリントン(アーカンソー)、ブッシュ(テキサス)と、州知事出身の大統領が大半だ。ましてトンプソンの場合、厚生長官も経験しているわけだから、国内政策では医療保険が大きな論点となるといわれる今回の選挙には、もってこいの人材にみえる。

しかし今回の選挙戦では、州知事の存在感は極めて小さい。民主党ではリチャードソン(ニュー・メキシコ)、共和党ではロムニー(マサチューセッツ)、ハッカビー(アーカンソー)がいるが、リチャードソンやハッカビーはもちろん、ビッグ3の一角といわれるロムニーですら、現時点での支持率は低い。有力候補といわれた民主党のジョン・ワーナー(バージニア)、イヴァン・バイ(インディアナ)は早々に姿を消した。

他にも大統領選挙での活躍を噂された知事はいた。共和党では、サウス・カロライナのマーク・サンフォード、ミネソタのティム・ポーレンティー、ミシシッピのハリー・バーバー、ニューヨークのジョージ・パタキなどがいる。民主党はやや手薄だが、それでも、カンサスのキャサリン・シベリウス、ルイジアナのキャサリン・ブランコ、アリゾナのジャネット・ナポリターノといった女性知事は面白い存在だった。

仕方のない人材もいる。カリフォルニアのアーノルド・シュワルツェネッガー(共和党)や、ミシガンのジェニファー・グランホルム(民主党)は、国籍の関係で大統領にはなれない。フロリダのジェフ・ブッシュは、ブッシュという名前だから大統領選挙には出たくない。

もちろん、これから副大統領として名前があがる人材はいるだろう。実際にロムニーは、ジェフ・ブッシュやサンフォードを候補にあげている(Kornreich, Lauren and Steve Brusk, ”Romney: Drop "Bush" and Jeb is the winner”, CNN, March 30, 2007)。さながら「知事連合」の趣だ。また、ポーレンティーはマッケイン陣営の重要メンバーである。

それにしても、米国の州政府が、「民主主義の実験室」としてさまざまな分野で連邦政府に先駆けた取り組みを進めている現状を鑑みると、大統領選挙での州知事の存在感の低さには、改めて違和感を感じざるを得ない。医療保険にしても温暖化対策にしても、重要課題に真っ先に取り組んでいるのは州政府なのである。

ひょっとすると、州知事の受難はブッシュ政権に原因があるのかもしれない。

実はブッシュ政権は、トンプソンだけでなく、トム・リッジ(ペンシルバニア)初代国土安全保障省長官や、クリスチャン・ウィットマン(ニュージャージー)環境庁長官という、やはり州知事として名を馳せた人材を擁していた。ブッシュ本人だって、超党派の政策運営や教育改革で知られた州知事だ。ミッチ・ダニエルズOMB長官のように、退任後に州知事(インディアナ)になった例もある。

しかしブッシュ政権を「実務に強い」と評価する声はほとんどない。むしろ、その実務能力のなさを攻撃されているのが現実だ。「州知事神話」がブッシュ政権で一旦崩れてしまったとしたら、その罪は大きい。

ところで知事といえば、今日は都知事選挙の投票日。それも知事対決である。ただし、日本では米国のように「おらが地元の知事」が国政に出て行くとういう楽しみがあまりないのが残念だ。

でもって、開票率0%で当確が出てしまうのだから世話はない。

それより何より、選挙期間がめちゃくちゃ短い。日中は会社にいてテレビもみない自分とすれば、「日本で選挙なんてやってるの?」てな感じだ。

まったくもってアイオワの州民がうらやましい。

2007/04/06

Revenge of Bill

政治の世界では、一つの流れが最高潮に達した時にこそ、次の流れが始まる隙が生まれる。果たしてヒラリーは、オバマの好調さを局面打開のきっかけにできるだろうか。

第1四半期の献金額発表で、オバマ陣営の上手さが際立ったのが、その広報戦略である。今の選挙戦には「組織に頼るヒラリーに、新顔オバマが徒手空拳で挑む」というストーリーがある。これを最大限に利用するだけでなく、さらに増幅することに成功したからだ。

二つのポイントがある。

第一はタイミングだ。

ヒラリーが献金額を発表したのは4月1日。他の候補も一斉に続いた。金額は確かに大きかったが、ヒラリーの集金力は折り込み済みだから、不意をつかれた者はいない。まして、最大のライバルであるオバマ陣営が数字を出していない。「大きな数字だから隠しているんじゃないか?」。むしろ、そんな憶測が飛び交う。

この辺はオバマ陣営も計算済み。当日は「オバマ陣営がたくさんの支持を得ていることを感謝する」という程度のコメント。さらに翌日も「2000万ドル以上は集めた」という情報だけを流し、周囲の期待とクリントン陣営の不安をあおる(Drew, Christopher and Mike McIntire, "Obama Built Donor Network From Roots Up", New York Times, April 3, 2007)。

そして翌々日の4月3日に、オバマ陣営はようやくヒラリーに匹敵する献金額であることを発表。そうなると、メディアの報道は、「オバマ健闘、ヒラリー苦境」の一色だ。

完全に嵌っている。

第二は発表に伴う語り方である。

発表当日、オバマは献金額に関するメディアからのインタビューを断る。広報担当のコメントも、「一般市民は(献金額など)まったく興味がないはずだ」(Zeleny, Jeff and Patrick Healy, "Obama Shows His Strength in a Fund-Raising Feat on Par With Clinton", New York Times, April 5, 2007)。

ヒラリーは資金力でつぶしにくる。だけど、選挙はお金では買えない。オバマの選挙は金ではない。

見事なストーリー・テリングという他はない。

もちろん、調子が悪いのはヒラリーだ。

念のため確認しておくが、ヒラリーの集金力はたいしたものである。06年上院選挙からの繰越(1000万ドル)を加えた3600万ドルという金額は、この時期としては民主・共和党を通じて過去最高だし、選挙の前年の集金額でみても、ブッシュの第3四半期(5000万ドル)、第4四半期(4800万ドル)に続いて史上3番目である。

しかしヒラリーは、せっかく大金を集めたのに、目論んだように他の候補をひるませられなかった。400万ドル近くしか集められなかったバイデンにすら、「アイオワの予備選を乗り切れるだけのお金があれば十分。お金で決まる選挙じゃない」といわれる始末だ(Kornblut, Anne E., "Clinton Shatters Record for Fundraising", Washington Post, April 2, 2007)。

それどころかヒラリー陣営には、オバマ陣営に肉薄されているという印象が色濃く残ってしまった。本来強いはずの組織力ですら、オバマの「人気」にはかなわないという絵柄である。

実際ヒラリー陣営は、ここでオバマに決定的な差をつけようと必死だった。その表れが、最終兵器ともいうべきクリントンの早期投入だ(Healy, Patrick, "Clinton Camp Turns to a Star in Money Race", New York Times, March 31, 2007)。

クリントンは最後の6週間で16回の資金集めパーティーに出席、献金者との電話会議や、インターネットでの呼びかけまで行った。ヒラリーの支持者が「2ヶ月前までは考えられなかった」というほどのクリントンの活動振りは、オバマ陣営への危機感の表れに他ならない。実際にクリントンは、「(第1四半期が終わる)3月31日は最初の予備選挙だ」とすら述べていたという。

ところが結果はご覧のとおり。必死振りが報道されていただけに、ヒラリー陣営の苦境が際立ってしまった。広報戦略としては明らかに負けである。

しかし、政治の世界では、頂点にたどり着いた者は落ちるしかない。ヒラリーにとっては、オバマの好調さこそが、局面打開のきっかけになるかもしれない。

しつこいようだが、ヒラリーの調子が悪いのは、「体制側の巨人」対「草の根に支持された新星」という構図ができあがっているからである。「弱いもの」が好まれるのは日本も米国も同じ。このままでは、ヒラリーの組織力の強さは裏目に出るばかり。オバマ陣営が献金額を「たいしたことはない」と言い放てたのも、こうしたストーリーのおかげである。

実際のところ、献金額の多少の差などは問題ではない。現実問題として考えれば、ヒラリー陣営もオバマ陣営も、選挙運動に必要な資金は十分に集められる。要は受け止められ方の問題に過ぎない。たとえ献金額でオバマを引き離しても、「選挙はお金じゃない」といわれればそれまでなのだ。

ヒラリーが局面を打開できるとすれば、オバマの人気が早い段階で高まり、両者がイコール・フッティングになったときである。「お互いの力は互角。政策で勝負しましょう。実績を評価してもらいましょう」。こうしたストーリーに持ち込めるのか。

クリントン陣営の責任者であるTerry McAuliffeは、「お金は問題じゃない。とらなければいけないのは票だ」としながらも、「現時点では(票で)勝っているのはヒラリーだ。あらゆる世論調査でリードしている」と述べている(Tapper, Jake, "Obama Bests Clinton in Primary Fundraising", ABC News, April 4, 2007)。

こうしたストーリー・テリングでは、ヒラリー陣営はもう一度(支持率で抜かれたときに)足をすくわれる。

おそらくどこかの段階で、オバマが献金額や支持率でヒラリーを抜く局面が訪れる。ヒラリー陣営の真価が問われるのは、その時の対応だ。

さて、ヒラリー陣営の最大のアドバイザーであるクリントンはどう考えているのか。資金力だけでは足りない。ヒラリーがクリントンに頼らなければいけないのは、唯一無二の「政治的嗅覚」なのかもしれない。

実際にクリントンは、「近年まれに見るほど」選挙に没頭しているという。

90年代からの米国ウォッチャーには、何ともこたえられない展開になってきた。

Misunderestimate !

正直言って、政治と金の話はあまり好きではない。上手く言えないが、取り上げる主題としては安易な気がするからだ。だから、今年第1四半期のヒラリーの数字が大きいと分かっても、食指は動かなかった。

しかし、オバマの数字には触れないわけにはいかないだろう。それは金だけの話ではないからである。

4月4日にオバマは、第1四半期の献金額が2500万ドルに達したと発表した。既に報道されている通り、ヒラリーの2600万ドルに迫る数字だ。この時期の民主党候補者としては、99年のゴア(890万ドル)を凌ぐ最高額。予備選全体を通しても、これまでの記録である03年第3四半期のディーン(1600万ドル)を上回った。

総額もさることながら、興味深いのはその中身だ。オバマへの献金者は10万人。ヒラリーの2倍である。この数字が重要なのは、支持基盤の広がりだけでなく、今後の伸びしろの大きさを示唆しているからである。

なぜか。理由は選挙資金に関する規制にある。

米国では、個人が特定の候補者に献金出来るのは、予備選・本選向けにそれぞれ2300ドルずつの合計4600ドルまでだ。オバマの場合、献金者の多さは、一人当りの献金額が小さいことを示唆している。実際、オバマの場合、90%が100ドル以下の少額献金。対するヒラリーは80%である。また、予備選向けの献金額だけを比較すると、オバマ(2350万ドル)がヒラリー(2000万ドル)を上回っているといわれる(Tapper, Jake, "Obama Bests Clinton in Primary Fundraising", ABC News, April 4, 2007)。つまり、オバマの献金者には、まだ上限まで余裕がある。従って、オバマはこれからも、同じ支持者に献金を頼める余地が大きい。しかし、ヒラリーの場合は、予備選上限を超えた支持者が、既に本選向けの献金にまで踏み込んでしまっている。

もちろん、少額献金の多さは、草の根市民への支持の広がりを意味する。しかし、それだけでは一面的な解釈かもしれない。

むしろ浮かび上がるのは、フレッシュさを売りにする候補者の意外に巧みな取り回しだ。

オバマは、シカゴの黒人実力者を足掛かりに、着実に集金マシーンを築き上げてきたという。確かに、04年の民主党大会での演説は、オバマの全国的な認知度を高め、ウォール街やハリウッドに支持者のネットワークが広がった。イラク反戦を旗印にすることで、草の根からの献金も増えている。しかし、その資金集めは、必ずしも素人の技ではない。実際に、選挙資金という意味では、シカゴは完全にオバマの独壇場。ここにルーツを持つヒラリーも、全く資金集めができない状況だという(Drew, Christopher and Mike McIntire, "Obama Built Donor Network From Roots Up", New York Times, April 3, 2007)。

何よりもオバマのキャンペーンが優れているのは、こうした組織面の強さを、「『組織力に頼るヒラリー』に挑戦する『彗星のように現れた新世代の代表オバマ』というストーリーの陰に、完全に隠している点である。

実は、こうした凄みが最大限に発揮されているのが、今回の献金額の発表に関する広報戦略である。この点については、次回以降に触れることにしたい。

2007/04/05

Alone Again...Naturally?

昨今、保守系識者のブッシュ政権批判は決して珍しくない。しかし、「側近」の転向となれば話は別だ。

問題の人物はMatthew Dowd。2000年の選挙からブッシュの選挙に携わり、2004年には選挙戦略の責任者だった大物である。そのDowdがブッシュとの決別を公言して話題を呼んでいる。

Dowdは4月1日のNew York Times紙に掲載された記事の中で、ブッシュが2000年の公約(A Uniter, Not A Divider)に反して、ワシントンの党派対立に拍車をかけたことに幻滅したと述べている(Rutenberg, Jim, "Ex-Aide Says He’s Lost Faith in Bush", New York Times, April 1, 2007)。ブッシュは戦時においても犠牲の共有を求めず、党派を超えたコンセンサスを作ろうともしなかった。イラク戦争では国民の声を聞かなかった。Dowdは、ブッシュは少なくなった取り巻きに支えられ、話し合いに応じない独善的なアプローチ(My Way or The High Way)を続けていると嘆く。

Dowdの告白はNew York Timesが初めてではない。今年3月に発表されたTexas Monthlyという雑誌にも、短いエッセイが載っている。この中でDowdは、「ブッシュと国民との直感的な絆は著しく損なわれたか、もしかしたら失われてしまったかもしれない」と書いている。実はこの記事は発売に先立って、2月にウェブ上で一時的に公開されたことがあり、その時にも軽く話題にはなっていた。

こうした「大物」の告白は、共和党の有力者がブッシュ離れをカミング・アウトし始めるきっかけになるかもしれないという指摘がある。

共和党内にブッシュ批判がくすぶっているのは周知の事実だ。保守派の有力コラムニストのRobert Novakは、「一人ぼっちの大統領」というコラムのなかで、ここまで自分の政党から孤立している大統領は見たことがないと指摘している(Novak, Robert D., "A President All Alone", Washington Post, March 26, 2007)。弾劾に直面していたニクソンよりも深刻だというのだから尋常ではない。

依然として共和党の有力者はブッシュを公然とは批判しない。議員だけでなく大統領選挙の有力候補者も同様だ。しかし、リーバーマン議員のスタッフを勤めたことのあるDan Gersteinは、「側近」の告白によって、これまで表面化してこなかったブッシュへの疑問が口にされやすくなるかもしれないと指摘する(Gerstein, Dan, "The Accidental Strategist", Politico.com, April 4, 2007)。とくに大統領選挙の候補者にとっては、「ブッシュ離れ」を明確にしなければ、勝利はおぼつかないことが明らかになってきたという。

もっとも、New York Timesの記事は、不思議とこうした生臭さを感じさせない。Dowdの語り口が、極めてパーソナルだからだ。

Dowdはブッシュとの経緯を恋愛に喩える。もともとDowdはテキサスの民主党支持者だった。ところが、クリントン政権が党派対立を克服できず、何も実績をあげられないのに幻滅していたところに、時の州知事だったブッシュが、地元の民主党議会と協力して政治運営を行っているのを目の当たりにした。

それは「まるで恋に落ちたようだった」。

そしてDowdはブッシュ選対に参加する。

しかし、次第にDowdは疑問を抱き始める。9-11後に国民を団結させようとしなかったこと、アブ・グレイブの事件にもかかわらず、ラムズフェルドを守ったこと。しかし、「恋に落ちているときに、思ったようにことが運ばなくったらどうするだろう。そんなはずはない、そのうち変わる、と思うものだ」。

Dowdは、2004年の再選でブッシュがテキサス・スタイルに戻るという期待にすがりついた。しかし、2005年のハリケーン・カトリーナ、そしてブッシュが、テキサスの別荘でイラク戦争で息子を失ったシンディ・シーハンに会わず、ランス・アームストロングとサイクリングに興じたことで、彼の疑問は確信に変わる。

「彼は私が思ったような人ではなかった」。

さらに個人的な出来事もオーバーラップする。未熟児で生まれた双子の一人をなくし、妻と離婚。一番年上の息子は、イラクへの出兵を控えている。

いうなれば、「恋と人生に疲れた男」のストーリーなのだ。

と、きれいに終わるつもりだったのだが、「騙されてはいけない」という記事をみつけてしまった。

クリントン政権のシニア・アドバイザーだったSidney Blumentalは、Dowdはブッシュの選挙戦略に携わっていただけに、議論の枠組みをつくりあげる(framing)ことに長けており、今回のストーリーも、大事な部分を取り上げずに、政権からの離脱をパーソナルなストーリーに仕立て上げるのが狙いだったと指摘する(Blumental, Sidney, "Matthew Dowd's not-so-miraculous Conversion", Salon.com, April 5, 2007)。

何が落ちているのか。それは、「なぜブッシュがテキサス流を捨てたか」という理由だという。

Blumentalは、ブッシュが中道をあきらめたのはDowdの助言が発端だと指摘する。2000年の大統領選挙でブッシュは総得票数でゴアに負けた。Dowdはカール・ローブに世論調査の数字を示し、米国には大きな「浮動票」は存在しないと説明する。これが「右寄りの政策で潜在的な支持者を掘り起こす」ブッシュ政権の基本戦略の始まりだったという。

その後もDowdは、妊娠中絶などの論争的な問題で保守派を動員する一方で、テロとの戦いを使って民主党を貶める戦略を支える役回りを演じた。世論調査を駆使し、有権者を細分化してメッセージを送る。「新しい共和党のブランド」を作るのが、Dowdの狙いだったという。

Blumentalは、Dowdが本当に転向したのであれば、ブッシュ政権の闇の部分を明らかにできる筈だと指摘する。しかし一連のDowdの告白にはそのような内容は全くない。Blumentalは、そもそもDowdがテキサスで民主党を見限ったのも、このままでは浮かばれないからと思ったからで、結局はオポチュニストに過ぎないのだと断罪する。

ここまで来ると、もはや議論の優劣などはどうでもよくなってくる。むしろこれらの論争は、「ブッシュの時代」が米国に作り出した底知れぬ溝の深さを浮き彫りにしているようで、なんともいえず寒々しい。

なるほど、米国の有権者が「新しい政治」を求めるわけである。

2007/04/04

思えば遠くへきたもんだ(...ふ、古い)

いくら何でも、そろそろイラクの話を書いておいた方が良さそうだ。

4月2日に民主党のリード上院院内総務は、ブッシュ大統領が駐イラク米兵の撤退スケジュールが付けられたことを理由に、戦費に関する補正予算に拒否権を発動した場合には、さらに厳しい条件をつけると発表した。2008年3月を撤退期限にするだけでなく、戦費の使用期限にもしようというのだ(Murray, Shailagh, "Reid Backs Iraq War-Funds Cutoff", Washington Post, April 3, 2007)。

民主党の大統領への対決姿勢は、随分と固くなってきたものだ。中間選挙後の昨年11月30日には、リード院内総務自身が、「われわれは戦費を打ち切ったり制限したりはしない」と述べていた。ホワイトハウスが、「砂が動くように民主党とその決断は変わっている。その速さは砂嵐なみだ」というのもあながち的外れではない(Murray, ibid)。

議会の動きを整理しておこう。先に動いたのは下院。3月23日に条件付の補正予算(H.R. 1591)を賛成218票、反対212票で可決した。ペロシ議長にとっては記念すべき勝利だったが、ちょっとした驚きだったのが、上院の投票結果だ。まず3月27日に上院は、補正予算から撤退スケジュールを削除するという修正条項を、賛成48票、反対50票で退けた。3月15日に上院は撤退に関する決議を賛成48票、反対50票で否決していたから、ちょうど逆の結果になった格好だ。内訳をみると、民主党のジョンソン議員と共和党のヘーゲル議員が賛成に回っている。たった2票だが違いは大きい。これを受けて、以前から明言していたとおり、共和党指導部はフィリバスターの権利を放棄、上院は賛成97票、反対0票で最終の採択に進むことを決める。そして翌29日、上院は条件付の補正予算を賛成51票、反対47票で可決。今度は民主党議員が全員賛成票を投じた。

状況は完全に大統領と民主党議会のチキン・ゲームだ。いずれは戦費をイラクに送らなければ、戦場の兵士に被害が及ぶ。しかし大統領も民主党議会も自分から降りる気配はない。

大統領の立場は別の機会に譲るとして、民主党の頼みの綱は世論だ。しかし、常に「過信」の危険は付きまとう。94年の中間選挙で大勝した共和党は、95~96年にかけて、財政問題でクリントン政権と対立。政府閉鎖にまで追い込んだが、世論の支持は得られなかった。

時間が経過すれば、それだけ降りるタイミングは難しくなる。草の根反戦派の圧力が高まるからだ。同時に、大統領選挙の候補者も位置取りが難しくなる。

ここ数日で思わぬ議論を巻起こしてしまったのが、早くから反戦の姿勢を明確にしてきたことを売りにしてきたオバマだ。オバマは4月1日に行われたAP通信とのインタビューで、「大統領が拒否権を発動したら、議会は条件なしの補正予算を通すだろう」と発言した("Congress will fund Iraq war if Bush uses veto, Obama says", USA Today, April 1, 2007)。これが草の根反戦派の逆鱗に触れた。DailyKosは、オバマのコメントがエイプリル・フールのジョークだったら良いのにとしながら、「なんて馬鹿げた発言だろう。悪い政策で、政治的に間違っているだけでなく、交渉戦術としてもなっていない。オバマはブッシュに降参してしまった」と評した(Greenberger, Jonathan, "Obama Gaffe on War Funding?", ABC News, April 1, 2007)。実はオバマは以前にも同じような発言をしているのだが、緊張が高まっているこのタイミングだけに、傍観者のような態度を取ったという批判を浴びてしまったようだ(Smith, Ben, "Obama Faces Battle Over Iraq War Opposition", Politico.com, April 3, 2007)。

一方でこの気を逃さじとばかりに、大統領との対立姿勢を強めたのが、反戦派からの評判が今一つのヒラリーだ。ヒラリーは、大統領は拒否権を使わずに議会との話し合いに応じるべきだと主張。選挙用のホームページで署名運動を始めた。しかしそのヒラリーも、リード議員が提案する戦費の打ち切りに関しては、取り敢えず態度を保留(Smith, ibid)。どこまでチキン・ゲームに付き合うかは、思案のしどころである。

Washington Postによれば、早ければ4月27日までには、議会は両院の内容の違いを調整した補正予算を可決し、大統領が拒否権を行使する状況が整うという(Kane, Paul, "The Iraq Withdrawal Debate, Part 1", Washington Post, April 3, 2007)。

心臓に悪いチキン・ゲームが暫く続きそうだ。

2007/04/03

Times They Are A-Changin'

ここ数日の米国では、通商に関する大きな出来事が相次いだ。

3月27日に下院民主党のランゲル議員は、議会がブッシュ政権の推進するFTAを承認する際の条件を提示した。30日にはブッシュ政権が、「非市場経済国」は対象にしないという長年の方針を転換して、中国の紙製品に相殺関税の発動を提案した。かと思えば、4月2日には難航が伝えられていた韓国とのFTAが急転直下合意にこぎ着けた。

米国の通商政策は何処を向いているのか。敢えて答えるとすれば、「揺れている」になるだろう。

米国はグローバリゼーションに組み込まれており、これに背は向けられない。しかし、自由貿易への懐疑的な見方は高まっている。保護主義の暴発をどのようにして避けるのか。その試行錯誤が、米国の通商政策の現在である。

そこで注目されるのが、ヒラリーの通商政策だ。クリントンは民主党にしては、自由貿易の重要性を理解していた。しかしヒラリーは、次第にクリントン流(ルービン流ともいうが)の立場から距離を置こうとしているといわれる。

ヒラリーが通商交渉上のレバレッジの問題を引きながら、対外債務の積み上がりに警鐘を鳴らしたのは、既に記した通りだ。但し、このロジック自体は、クリントン大統領とも共通点があった。

それよりもクリントン流からの離脱という点で特筆されるのは、NAFTAへの態度である。NAFTAは、クリントン政権の通商政策の大きな勲章だ。しかしヒラリーは、今年2月に発売されたTime誌とのインタビューで、北米の市場を改善するという点では良いアイディアだったとしながらも、「含まれた内容や、先代のブッシュ政権による交渉のされ方、実施に関する強力なメカニズムの欠如、例えばメキシコの国境沿いの公害や…」と問題点を列挙し、「もっと厳しい態度で交渉に臨むべきだというのが教訓だ」と述べている(Tumulty, Karen, "Hillary: "I Have to Earn Every Vote", Time, February 1, 2007)。NAFTAはクリントン政権の業績ではないかという問いに対しては、前政権(先代ブッシュ)が結んだ協定を、議会で批准させただけだという回答である。

もっともヒラリーの「移動」は、暫く前から始まっている。2005年にヒラリーは、上院で「製造業コーカス」という議員集団を結成している。もう一人のリーダーは、シューマー・グラム法案で有名な、グラム上院議員だ。

意外かもしれないが、ヒラリーが上院議員として代表するニューヨーク州は、五大湖に隣接する北部を中心に製造業の存在感が大きい。自動車部品大手のデルファイ社の破綻は、上院議員ヒラリーにとって他人事ではなかった。

見逃せないのは、ヒラリーが「移動」しただけでなく、通商政策の軸そのものが動いている可能性がある点だ。最近の米国では、自由貿易の経済的な利点はともかく、負の側面への対策を講じなければ、政治的にもたないという議論が盛んだ。さらに、負の側面についても、これまで思われていたよりも、遥かにシビアだという見方も浮上している(この点には改めて触れたい)。

今のヒラリーは、新しい自由化交渉を進める前には、「小休止が必要かもしれないという立場だ。最近では、通商政策に関するミーティングに、クリントン系の人脈だけでなく、労働組合関係者(AFL-CIOのThea Lee)や、自由貿易に批判的な識者(かつてゲッパートのスタッフを務めたMichael Wessel)も招いていると伝えられる(Jensen, Kristin and Mark Drajem, "Clinton Breaks With Husband's Legacy on Nafta Pact, China Trade", Bloomberg, March 30, 2007)。

もちろん、ヒラリーの左旋回には、「予備選挙対策」という見方もあるだろう。しかし、当選した暁には、予備選挙で作った借りは返さなければならないのが大統領選挙の暗黙の掟だ。

'The Sopranos'だって最終シーズンに入った。時代は変わる。否応なしに。

2007/04/02

レーガンの罠-Revisited-

今週の米議会はイースター休会である。かつて仕事で議会を今よりもしつこく追いかけていた時には、休会ほど嬉しいものはなかった。何せゆっくり出来る。このページも、例えばイラク補正予算の顛末に触れなければ、と気にはかかるものの、まあいいではないか、暫く議員は帰ってこないのだからと思ってしまう。週末までに触れられれば大勢に影響はない。

そこで、またしてものレーガン論である。

レーガンへの固執に対する保守陣営からの疑問については、David Brooksの議論を紹介した。今度はリベラルの立場からPaulKrugmanが、レーガン的な政策が今の共和党が直面する問題の現況だとする議論を展開している(Krugman, Paul, "Distract and Disenfranchise", New York Times, April 2, 2007)。

Krugmanの議論の着目点は「格差」である。レーガンが登場した1980年頃は、今ほど格差が大きくなかった。多くの米国民に中間層としての意識があったからこそ、共和党は「大きな政府」を敵に仕立てられた。国民=中間層にすれば、税金は福祉を通じて自分ではない「貧者」に回っていってしまうものだったからだ。

共和党の問題は、その後の格差の拡大で、こうした論法が利かなくなった点にある。少なからぬ有権者が20~30年前よりも生計を立てにくくなったと感じるなかで、格差の問題は政治的に無視出来なくなった。しかし、レーガンに取り憑かれた共和党には打つ手がない。保守派の支持層は、「減税と民営化」路線からの逸脱を許さない。

ここまでは、読みようによってはBrooksの議論からそれほど遠くない。

Krugmanに言わせれば、そこで共和党が取ったのが、「論点のすり替え」と「権利の剥奪」だ。前者はいうまでもなく、「テロとの戦い」。民主党がシリアスな政策を打ち出そうものなら、「テロ対策に甘い」と批判を浴びせるという手法だ。さらにそれだけでは不十分ということで、共和党は格差の縮小に熱心な候補者から投票の権利を奪うという手段に出た。2000年大統領選挙ではフロリダで有権者が投票を阻止され、ブッシュの当選につながった。最近の連邦検察官の人事問題も、投票関連の不正を捜査しようとしたことに関係がある。

ここまで行くとなんだかなあと思わないでもないが...

Krugmanの議論で面白いのは、民主党に対しても「毒」があることだろう。曰く、2008年の選挙は共和党にとって厳しい。なぜならば「クリントン時代には金持ちや企業に『ポピュリストではない』と証明しようとしてきた民主党も、時代が変わったことに気がついた」からだ。

Krugmanは暗にクリントン流の中道路線からの離脱を主張しているのである。

こうした路線論争が格別な意味をもつのは、何といってもヒラリーの選挙戦略である。クリントンをどう使うかという選択が難しいのは、スキャンダルがらみの悩みがあるからというだけではない。

なかでも足下で注目されるのは、通商政策周りの微妙な動きだ。Fisrt Ladyからニューヨークの上院議員、そして、大統領選挙の候補者へという変遷がヒラリーをどう変えようとしているのか。

もったいぶるようだが、この点については、明日改めて触れることにしたい。

2007/04/01

To Be With You

First Ladyというのは特殊な重みのある仕事だ。今回の場合はFirst Husband (and Former President)もからんでいるわけで、いかにも米国人好みの関心の高さである。

3月30日にABCの20/20に夫婦で出演したジュリアーニは、もし大統領になったら夫人に政策上も重要な役割を果たしてもらうつもりだと発言した(PÉREZ-PEÑA, Richard, "In His White House, Giuliani Says, His Wife Might Have a Very Visible Role as Adviser", New York Times, March 30, 2007)。

夫人がキャンペーンで果たす役割については、「彼女が望むだけ」。政策の決定に携わる範囲については、「彼女が望むだけ。彼女以上のアドバイザーは得られない」。閣議への参加についても、「もし彼女が望むなら。彼女が関心のあることに関係があれば、私としては全く問題はない」。

ジュリアーニのジュディス夫人は、看護婦と医薬品の販売員の経験がある。ジュリアーニにとっては3人目の夫人で、夫人本人も3回目の結婚(最近までは2回目だといわれていた)である。ジュリアーニにとって、私生活(大揉めに揉めた前妻との離婚、子供との不仲等)はアキレス腱の一つ。その中で、「夫人の政策関与」をぶち上げるのは、なんとなく不思議な気がする。

夫人の政策関与という点では、何と言っても思い出されるのはヒラリーだ。しかし、1992年の選挙戦でのBuy One, Get One Freeといういい振りは、必ずしも好感をもって迎えられなかった。いうまでもないが、First Ladyは厳密には投票で選ばれたわけではなく、政策への関与の正統性というのは微妙な問題である。また、米国にもステレオ・タイプの「夫人像」というのがある。おそらく米国人にとってコンフォタブルなのは今のローラ夫人くらいの位置取りだと思っていたが、今回のジュリアーニが問われないのであれば、時代はずいぶん変わったものである。

そのヒラリーだが、今回はFirst Husbandがついてくる。こちらは現在の米国政治では右に並ぶものがいない「大物」。政治にも政策にも詳しいのは誰もが認める事実である。いったいどのような役割を果たすのかが注目されるわけだが、まずヒラリーが考えなければならないのは、選挙戦での距離感だ。

Gallup社が3月23~25日に実施した世論調査では、とりあえずクリントンの存在はヒラリーにプラスだという結論が導かれている。70%がクリントンはヒラリーのキャンペーンにとって「More Good than Harm」と回答しており、「More Harm than Good」の25%を大きく上回った。

なにせクリントンの好感度は60%である。現状への不満を考えれば、「あの頃は良かった」となっても不思議ではない。

しかし良くみると有権者の態度は微妙だ。68%が民主党の予備選挙で対立候補がクリントンのスキャンダルを取り上げるとみている。本選挙で共和党が取り上げるとみる割合は実に85%だ。クリントン夫妻の夫婦関係についても、76%は投票の材料にすべきでないと答えているものの、実際には58%が有権者はこれを判断材料にするだろうとみている。

で、クリントンは教訓を学んだのか。結果は「教訓を学んだ」としたのが42%、「いまだに同じ人間だ」が51%。

ヒラリーにとっては、クリントンは危うさを伴った武器であるようだ。

さて、夫妻の話題となれば避けて通れないのはエドワーズである。しかしこの話題は軽々しくは書きにくいのも事実だ。

夫人の癌再発にもかかわらず選挙戦継続を決めたエドワーズには賛否両論があると伝えられる。先日の60 Minituesでは、Katie Couricから「飽くなき野望の表れではないか」などと責め立てられていたようだ(Horrigan, Marie,"Edwards Weathers First Iowa Poll Test Since Wife’s Health Crisis", CQ Politics.com, March 28, 2007)。

しかし、癌が発見された場合に、本人や関係者が仕事を抑えたかどうかという調査では、80%がNoと答えているという。金銭等の現実的な理由からの場合もあるし、生活や精神のバランスを維持するために通常の生活を続けようとするという思いもあるといわれる。

ある癌の経験者はエドワーズについてこう語っている。「エドワーズが選挙戦を続けることは夫人のサバイバルにとって重要だ。そのために彼らは生きてきたのだし、続けることが彼女を生きさせる(Leland, John and Pam Belluck, "Like the Edwardses, Some Use Work When They Must Fight Serious Illness", New York Times, March 25, 2007)」。

実際に、60 Minituesでエドワーズを問い詰めたCouricにしても、自らの夫を癌で亡くしており、その闘病中も仕事を続けていたという経験があるという(Shapiro, Walter, "Run, Elizabeth, Run", Salon, March 27, 2007)。

言葉を失う。

エドワーズについても、夫人の強い意向を尊重しての決断だったという見方が強い。民主党のスロットを争うリチャードソンは指摘する。「個人的にはエドワーズは撤退したかっただろう。しかし彼は夫人を気遣ったのではないか。彼女が原因だと思わせたくなかったのではないか(Johnson, Kirk, "Public Takes Up Pros and Cons of Edwards Bid", New York Times, March 24, 2007)」。

実際にエリザベス夫人はこう語っている。「大統領になるべき人を選挙戦から撤退させたということを私のレガシーにはしたくない。それは私にとってフェアではない。私たちが一生の仕事と思って打ち込んできたことをあきらめてしまったら、死ぬ準備ができるだろうか(Steinhauer, Jennifer, "In the Hospital, Mrs. Edwards Set Campaign’s Fate", New York Times, March 25, 2007)」。

エドワーズは会見でこう述べている。

"Any time, any place that I need to be with Elizabeth, I will be there, period."

Good Luckというほかはない。